このさき、どうするかな。
すべてが、つらい。すべてが、しんどい。元気を出してやっても、つらいままなのである。ぼくのことだからなぁ。ほかの人の感じ方を、移植するわけにはいかない。
ぼくの感じ方は、やっぱり、きちがいヘビメタ騒音で、しょうじた感じ方なんだよな。
これ、一生、むりだ。
どのみち、この状態で、生きていくしかないのか。
わりといい調子になって、やっていても、ヘビメタ騒音時代の「体の感覚」が持続している。多少、回復しても、けっきょく、ヘビメタ騒音時代の「こころの感覚」が持続している。やすまることがない。
そして、さびしい。
生きているあいだの持続時間というのがちがうのである。至近距離で、あれだけでかい音で、自分がきらいな音を毎日聞かされ続けるというのは、どれだけ、頑張って明るくふるまっても、どれだけ「元気だ元気だ」と言っても、ものすごく、つらい状態で生きるということになる。
生きている、持続時間が、ヘビメタ騒音のそれになってしまうのである。
意識がある間、持続している「感覚」というのがある。それが、ヘビメタ騒音の感覚なのである。ヘビメタ騒音時代の「くるしい、くるしい、くるしい」感覚なのである。
死んでしまいたいほど、くるしい感覚なのである。
それを、意志の力で乗り切ろうとした。
けど、きちがい兄貴が、きちがい感覚でずっとずっとずっとずっと、きちがいヘビメタを「きちがい的な意地で」……鳴らしてしまう。
これ、壁で区切られているけど、そこに、あのでかいスピーカーがある状態なのである。そして、ガンガン鳴っている状態なのである。
ほかの人はどうだか知らないけど、ヘビメタの音というのが、ぼくの脳みそを破壊する音なのである。
ほかの人はどうだか知らないけど、ヘビメタの音というのが、ぼくの精神を破壊する音なのである。
これ、ほんとうに、きちがい兄貴が、「なにも気にしないで」やったことだ。
こんなの、ない。
どれだけ、兄貴に言っても、きちがい親父のように、まったく伝わらないのである。俺が兄貴のヘビメタでこまっているということが、まったく伝わらない。
きちがい兄貴が鳴らしている音は、でかい音なのだけど、でかい音で鳴らしているということを言っても、まったく、まったく、まったく伝わらないのである。
フォークギターぐらいの音だと思い込んでる状態がかわらない。
こんなの、ない。
そして、世間の人たちというのは、兄貴のことではなくて、ぼくのことを悪く言うのである。