2017年3月31日金曜日

ヘビメタ騒音をやられていたときとおなじようにだるい

気分的に相当にやばい。のどがかわいて起きてきたけど、やばい。この体の状態はやばい。ヘビメタ騒音で本格的にのびていた(グロッキーになっていた)ときとおなじだ。いや、喉の渇きがある分だけもっとやばいか。急に腹が減って、食べたら、寝てしまった。歯磨きをするひまがなかった。ともかく、だるい。きもちわるい。食ったものをはきそうだな。ほんとうに、やめさせるべきだったんだ。どうしてもやめさせたかった。どうしても、ヘビメタをやめさせたかった。がんばってがんばってがんばって、きちがい兄貴抗議したけど、きちがい兄貴は、きちがいなので、そのまま弾き続けたよ。エレキギターを弾き続けて、でかい音できちがいヘビメタを聞きまくった。あれでぇ!あれで、「やってないつもり」なのかよ?? ほんとうに、そういうマジック!! あたまが、おかしいからこそできるマジックだ。ほんとうに、気にしてないんだよな。どれだけ言われても、言われたときだけ腹を立てて、まったく、こっちのことは気にしないで、最大限の音でドカスカ鳴らせる。入試だろうがなんだろうが、最大限の音で、可能な時間すべて鳴らしている。それで、「静かにしてやった」と思っている。あたまがおかしいからこそできる技だ。のどがかわいてからだがだるい。気持ち悪い状態で横たわっているあいだ、きちがいヘビメタについて考えている。きちがい兄貴の態度について考えている。これ、きちがいヘビメタが七時間なり、一〇時間なり、一二時間なり、一四時間鳴っていたときの、鳴り終わったあとの状態だ。一日が全部むだになるんだよな。きちがいヘビメタに耐えているだけで、全部むだになる。あれだけ、全開で鳴らしてたのに、鳴らしたつもりがないのかよ? そういう状態で、常に鳴らしてたんだよな。言葉の矛盾じゃないから。きちがい兄貴の態度の矛盾。きちがい兄貴の認識の矛盾。言葉は正確にきちがい兄貴の態度や認識の矛盾を表現している。

まったく気にしないで、よそじゃ、一分だって鳴らせないようなでかい音で、可能なすべての時間、鳴らしてた。こだわってこだわって鳴らしてた。絶対に一秒もやめてくれなかった。それで、ゆずってやったと思っているきちがいやろう。






2017年3月29日水曜日

ぼくは、寝るよ。

ぼくは、寝るよ。
めちゃくちゃにさみしいな。

このまま死ぬのかな?
なにかを、しないとな……。なにか……。

なにか……。

2017年3月28日火曜日

このまま、ここで歳をとって死ぬのか?

俺はこのまま歳をとって死ぬのだろうか? なんかきゅうに不安になった。まあ、ずっと、……あれからずっと……ヘビメタ騒音が鳴り始めてからずっと……不安なんだけどな。それにしても長いな。

このまま、ここで歳をとって死ぬのか?

死ぬ気になればなんでもできるって?

そんなことはないよ。俺がどれだけ寒い気持でがんばってきたと思っているんだよ? 張り裂けそうな気持でがんばってきて、いま、ここにいる。本当にくるしかった。どうしてもくるしかった。いまも鳴っている時間だけどな。午後九時四一分。どれだけ言っても、絶対にぃ!!一分もやめてくれなかったのに、よく言うよな。ああいう態度で全部の時間!鳴らした。全部の時間!鳴らして、ぜんぜん鳴らしたつもりかないのかよ?

昨日も実は書いてたんだけど、親父が十数年間毎日怒りっぱなしだった。これ、ほんとうに居合わせてしまったら、なにか文句をつけて逆上するのである。そんなことで起こる人がいるはずがないと他の人たちが思うようなわけのわからない理由で怒り狂う。で、それが普通の状態だった。

けど、それを、十数年毎日続けても、なんて言うのかな……親父にはやったつもりがないんだよね。たとえば、一四年間毎日、わけのわからないことで顔を真っ赤にしてつねに大きな声で怒鳴っていたとするだろ。事実なんだけどさ。けど、一五年目になったら、そういうことはきれいさっぱり忘れてしまうわけ。さらに、たとえば、三〇年目とか四〇年目になったら、「そんなこと、一回もない」「そんなことは、一日もない」「怒っていたとしたら、ちゃんと理由があることで怒っていたんだ」というようことを言い始める。

言い始めるといったけど、これは、なんて言うのかな?……一四年間毎日そうしていたということが、都合の悪いことになると、そういうふうに言い始める。たとえば、よその人の前で、「(親父は)一四年間毎日、わけのわからないことで顔を真っ赤にしてつねに大きな声で怒鳴っていた」と言われたときは、それが不都合に感じるわけだよ。うちにいるときは、どれだけ、うちの人が親父「一四年間毎日、わけのわからないことで顔を真っ赤にしてつねに大きな声で怒鳴っていた」と言ったって、無視して、怒るだけなんだよ。

もう、その時は体がでかくなった兄貴には、怒れなくなっているんだけど、性格が変わったわけじゃないわけ。無言のまま、顔顔を真っ赤にして、寝床に直行して、寝てしまう。

で、そうしたら、「昨日そういうふうに言われた」という事実がなくなってしまう。そういう態度だよ。親父が怒り狂っているときは、そりゃ「毎日、わけのわからないことで顔を真っ赤にしてつねに大きな声で怒鳴っている」と言われたら、怒り狂うわけだ。おもしろくないわけだから。相手が思い通りじゃないわけだから、発狂して怒る。

相手が、じゅうぶんに小さいから、言ってみれば「おこりがち」できる。で、逆上して怒る。で、それがすんじゃったら、それは、なかったことになってしまう。そういうことの繰り返し。怒ったこと自体に関しては、まったく気にしない状態なんだよ。「そんなのあたりまえで、気にするほうがおかしい」ぐらいの気持しかないし。「こういうことになっているからやめてくれ」と言われたら「そうなのか」と思って、やめてくれるわけではない。居合わせたら、怒り狂うということを、意志の力でやめてくれるわけじゃない。

で、これは、兄貴の態度とおなじ。兄貴はほんとうに、一日中、すべての可能な時間を使って、でかい音で鳴らしていた。いま住んでいるところで、鳴らしたら三〇分で「うさいからやめろ」と言われて、それを無視して鳴らしていたら、警察を呼ばれるレベルのうるさい音なんだよ。

これ、本人がわかってないけど、きちがい兄貴が最大限ゆずってやったつもりの音のでかさも、そういう音のでかさだ。俺が、兄貴のうちに行って、手持ちの持ち運び可能なミニコンポでは、きちがい兄貴が鳴らしていたような音を、音が割れずに出すことはできない。かならず、ミニコンポであれば音が割れるようなでかい音なんだよ。

あんなの、横三五センチ、縦八〇センチ、奥行き三五センチぐらいある、抱えないと運べないようなでかいスピーカーだから、音割れがしない状態で鳴らすことができたわけで、手で運べるようなミニコンポじゃ、ああいう音が出ない。きちがい兄貴が使っていたスピーカーをふたつ同時に抱えて持ち歩くなんてことはできないわけだから。ステレオセットはスピーカーだけでできているわけじゃないしな。

ともかく、俺が、いま、きちがい兄貴のマンションに行って、きちがい兄貴が鳴らしていたのとおなじ音のでかさで、一時間、二時間、三時間、四時間、太鼓の音を鳴らした、どんなことになると思っているんだよ? きちがい兄貴は、四時間ですら、太鼓の音にたえられるのか? いっしょ住んでいる人が、文句を言わないと思っているのか? 「こんなのたいしてうるさくない静かな音だから文句を言ってきても鳴らしたままでいい」と思えるのか? こんなのは、たいした音じゃないから、さげずに鳴らしても大丈夫だと思えるのか? 

きちがい兄貴!! こいつほんとうに、一度でも、一時間でも、他の音!!!で鳴らされたら、それがものすごくでかい音だと言うことがわかるんだよ。けど、「うちでは」それでいいわけ。親父がつねに怒っていたのと同じようにつねに、でかい音でヘビメタを鳴らす。で、こだわりきって鳴らしているのに、それを一四年間毎日続けても、「そんなの知らない」「たいして鳴らしてない」ときちがい的な言い訳をする。親父みたいに、忘れちゃっている。

一回でも、自分が相手にしてきたことを、相手にやられたら、わかるのに、自分がやっているうちは何十万回やったって、わからないままなんだよ。で、わからないとなったら、(こっちが)どれだけなにを言っても、わからないわけで、「わからないからやっていい」と思っているような感じで、ガンガン鳴らす。やりきる。一日に何十回「やめてくれ」と文句を言われても、やり通す。けど、本人はその日も、やり終えることができれば、鳴らしたつもりが特にない状態になってしまうのである。そういう認識だ。そういう認知だ。

ほんとうに、うちの目の前が幼稚園の広大な園庭で、となりの家が離れていたから鳴らせる音なんだよ。いま住んでいるマンションで鳴らしてみろ。目の前が、幼稚園の園庭で、他の家ともそれぞれ、道や庭で離れていたから、鳴らすことができたんだろ。

弟の立場を無視すれば、鳴らすことができる環境だった。

当時、マンションに住んでいたら、絶対に一時間だって鳴らせない音で毎日何時間も何時間も鳴らしていた。で、そういうことを一四年と四ヶ月間やったとしても、一四年と五ヶ月目には、もう、「やってないのとおなじ」という認識が成り立ってしまう。「そんなんじゃない。そんなんじゃない」と言い始める。親父とまったくおなじ。

園庭と言っているけど小学校の校庭とおなじ。園舎も小学校の校舎ぐらいの大きさがある。こどもが奇声あげていても、ぼくの部屋にいるときは平気なんだよ。複数の子供が奇声をあげて騒いでいる。きーーっとか、絶叫しているやつがいる状態が普通の状態だ。

けど、一〇メートルぐらい離れていれば、そんなに気にならない。まあ、耳元できーーっとか絶叫されたら、それは気になるよ。で、それが、休みなく一〇時間続いたら、ずっと、一〇時間、「うるさいな」と思って腹が立っている状態になる。けど、たったの一〇メートルなんだけど、もっと近いかもしれない。九メートル八メートルかもしれないけど、それでも、外の一〇メートルの空間というのが、ものすごい効果を上げている。騒音に対してものすごい効果がある。

きちがいヘビメタなんて、ほんとうに、子供一〇〇人が一斉にきーーっと奇声をあげて騒いでいるような音だ。二〇〇人ぐらいか。何人あわせてもあんなむかつく音にならない。だいたい、何百人も部屋に入りきらないからな。

ヘビメタの音というのは、でかいだけじゃなくて、密度が高い。音と音の間がすごく短い。とてつもなくでかい大きな音ひとつと、もうひとつのとてつもなくでかい大きな音ひとつが接近している。だから、つねに!!!体をたたかれているような状態になる。子供が数百人別々に絶叫しているような音になる。音と音のあいだの間隔がない。短い。短すぎる。で、それで、つかれちゃうんだよな。

ピアノとかとちがうから。ピアノの鍵盤をひとつたたいたあと、もうひとつたたくあいだに、間隔がある。ピークの音とピークの音のあいだに普通に認識できる間隔がある。ピアノのひとつの音ともうひとつの音のあいだに、ヘビメタの音は、たくさんのきちがい的に頭にくる音がつまっている。だから、鳴らされているあいだつねに、興奮状態になる。

それで、すべてが狂う。あんなに長い間交感神経がめちゃくちゃに興奮している状態が続いたあと、音が鳴りやんでも、副交感神経が優位になるまでに時間がかかる。そうすると遅刻することになる。けど、「ヘビメタ騒音で遅刻した」「兄貴の騒音で遅刻した」と言っても、「そんなのは、家で話し合えばいい」と言われておしまいだ。「言い訳するな」と言われておしまいだ。それで、くやしい木も二値なって、家に帰ると、きちがいヘビメタが鳴っていて、その日も、長時間、ヘビメタ騒音にさらされてしまうのである。






ピアノを素早く弾いたときのひとつの音ともうひとつの音のあいだにどれだけのヘビメタの音がつまっていると思っているんだよ? 












































怒鳴っていた














2017年3月21日火曜日

一〇〇%自分がやりたいようにやれたから、まったくなにもしてないつもりでいられる

めちゃ、くるしい。あー、もうだめかもしれない。くるしいーー。けっきょく、だめなんだよな。あれからずっとくるしい。どうやっても、どう考えてもくるしい。けっきょく、ヘビメタが鳴り始めてから……毎日キューーっとくるほどさみしさを感じている。破滅破綻を感じている。これ、やりようがないんだよな。どれだけがんばってもだめなんだよな。どれだけやり過ごしてもだめなんだよな。

きのう書いたブログの影響かヘビメタ騒音中で勉強をしていて、こまっている夢を見た。これがリアルなんだよな。こまっているというか、精神的には自殺寸前みたいな状態だ。そういう状態に異常な音の中で追い込まれていく。

で、そういうくるしい思いをさせていたときつねに、きちがい兄貴は、「なにもしているつもりがなかった」のか?? それなら、「やめてくれ」「鳴らすな」『静かにしてくれ』と言われたとき、「ああそうか」と鳴らさないで!静かにしてくれればいいだろ。頑固に、こだわり筑紫のでかい音で鳴らし続けて、「なにもしたつもりがない」のかよ??

あれ、文句を言いに行ったときだけうるさかったわけじゃないんだぞ。文句を言われた後、きちがい兄貴が三〇分間鳴らせば、その三〇分間ずっとうるさいわけで、休みなく、たたかれているのとおなじだ。きちがい的にでかい音で、きちがい的な音楽を強制的に聞かされて、頭の中がグチャグチャで勉強でがきなくて、気持がめちゃくちゃでキューーっとくる。キューっとした不安に襲われる。

発狂的な騒音のなかで次の日の試験について考えると不安になる。考えるというか、もだえ苦しんでいる状態で、次の試験のことを考えている。勉強しようと……あの音の中で勉強しようと身もだえてあせっている。もう、発狂状態。

で、たまらなくなって、「うるさい」『「静かにしろ!!」「鳴らすな」といいにいく。で、一秒も静かに鳴らないまま、きちがい兄貴が鳴らしている状態が続く。で、しかたがないから、こっちの部屋に帰ってくる。で、三〇分、四〇分、一時間とやられる。そのあとまた、「うるさい」「静かにしろ!!」「鳴らすな」と言いに行く。

で、そのあと、また、二〇分……四〇分……六〇分とやられる。で、たまらなくなって、「うるさい」「静かにしろ!!」「鳴らすな」と言いに行く。

でも、まったく静かにならなくて、その音の中で、あせりながら教科書とにらめっこをしている。けど、ガンガン音がせめてくるから、気持があせる。で、いたたまれなくなって、また「うるさい」「静かにしろ!!」「鳴らすな」と言いに行く。でも、きちがい兄貴がきちがい的なこだわりで頑固に鳴らし続けてやめてくれない。

で、三〇分、五〇分と我慢して、また、「うるさい」「静かにしろ!!」「鳴らすな」と言いに行く。で、二〇分、四〇分、六〇分と我慢して、また「うるさい」「静かにしろ!!」「鳴らすな」と言いに行く。

けど、きちがい兄貴がきちがい的なこだわりで、きちがい的にデカい音で鳴らして、静かにしてくれない。しかたがなく、部屋に戻ってなんとかやろうとする。けど、発狂的に頭にくる音が鳴っているので、なかなかうまくいかない。そういうことの繰り返しだ。

いま書いた繰り返しのぶんだと平日分でもたりない。あと、三回ぐらいおなじことを繰り返すことになる。休みの日だと、いま書いた過程をもっともっと何回も何回も繰り返すことになる。一時間に一回言いに行くとして一二回言いに行かなければならない状態だ。入学試験の前だって、そういう状態なんだぞ。どれだけ言ってもそういう状態なのだぞ。それで、「鳴らしてない」「そんなに鳴らしてない」「静かにしてやった」とか嫁さんの前で言ってる。兄貴の嫁さんの前で、いまだに、そういう言い訳をしている。

で、やっているそばから、そうなんだよね。鳴らしているときの態度がそういう言い訳をしているときの態度とおなじだ。あれ、ほんとうに入試前なんて毎日、あれだけ、もめているのに、ぜんぜんやってないつもりで、自分の意地を一〇〇%押し通して、こだわりの意地で、こだわりの音で鳴らしまくる。

だ!か!ら!鳴らしているのに、本人は「つもりがないまま」なのである。ほんとうに、どれだけ、兄貴のヘビメタのことでもめても、自分に関係がないつもりのまま、「まったくなにも言われなかった(だから、どれだけ鳴らしたっていい)」と思い込んでいる状態でガンガン鳴らしている。きちがいとしか言いようがない。

これ、ほんとうに、あんなんで、『ゆずってやった』と本当に思っているとしたらほんとうのきちがい。掲示板の荒らしなんて問題にならないほどのきちがい。ほんとうにどれだけ言われても、関係がない人のまま、頑固に全部やりきる。全部やりきっているわけでゆずってない。

これが、わからないんだよ。わからないまま、やりきる。こっちがどれだけ言っても、きちがい兄貴はわからないという状態を維持したままやりきる。やりきっているのだからやっているのに、本人は「やったつもりがない」という状態だ。全部こうなんだよ。やっているときはそれは、絶対に認めないんだよ。やっているときは、「人がせっかく鳴らしているのに、静かにしろ静かにしろってガタガタ言ってきやがって!(だれが、静かにしてやるものか)」という気持で、こだわりつくしのでっかい音で鳴らす。けど、一二時間鳴らせるなら一二時間鳴らしてしまえば、一二時間一分後には、まったく鳴らさなかったという気持ちになってしまう。問題はないし、なにもも言われなかった。もめごとはなかったということになってしまう。ぜんぜん!!気にしない。

こだわりつくして、全部自分の思い通りにできれば、「やってない」のとおなじ気分になれるんだよな。「そんなの、一回も言われてないから知らなかった」という気分になれる。けど、現在進行形で鳴らしているときに言われたら、そりゃ、きちがい親父のように目を三角にして顔を真っ赤にして怒って、発狂的な意地でやりきるのである。こだわりつくして、しがみついて、脂汗をたらして、ひきつって、へんな調子で無視して、頑固にやりきる。しがみついて、発狂モードでやりきる。

だ!か!ら!やっているのに、本人は、……自分が一〇〇%できれば、なにもやってないという気分になってしまう。……そもそも「やってない」という気分になれる。これ、ほんとう、文章がへんだと思うかもしれないけど、ほんとうにそういう状態なんだよな。

「問題がない」「ゆずってやった」「なにも言われなかった」「もめごとはしょうじなかった」と思うことができるのは一〇〇%自分の意地を通して、※自分が思ったとおりに※やれたからなんだよ。たとえば、一時間鳴らさないで静かにしてやらなければならなくなったという状態になれば、一時間我慢させられたということが、いまいましいこととして記憶に残る。その一時間のことは、くやしくてくやしくてくやしくて、くやしくて、記憶に残るという状態だ。一〇〇%自分がやりたいようにやれたから、まったくなにもしてないつもりでいられる。

2017年3月19日日曜日

焼きそばを作りました~~

焼きそばを作りました~~
昨日三〇円以下で手に入れたもやしと三個一〇八円ぐらいの焼きそばとの組み合わせ。三個一〇八円の焼きそばは、さすがにあんまりうまくない。

しかし、もやしいっしょに炒め、青のりをかけて食べるとーーうまままぃ。

と、一人でやってもおもしろくない。

あーつまんないねぇ~~
レトロゲームでもやるかな。

さみしいおとこになっちっまったなぁ。

ほんとうにつまんないわぁ~~~。

ヘビメタがなければ、ぼくも家族を持って、連休は家族旅行でも行ってたんだろうな。

一日目にヘビメタ騒音がなくなれば……きちがい兄貴が「いま住んでいるところで静かにするように」静かにすれば、それで、すべての問題が解決した。きちがいヘビメタ騒音から発生するすべての問題が解決した。きちがい兄貴が好きな時間に好きなだけ、好きな音量で鳴らすなんて状態で、解決するわけがないだろ。どんな問題も解決しないよ。すべての可能な時間、きちがいヘビメタが鳴っている。人が絶叫する声よりでかい音でヘビメタがガンガン鳴っている。だから!困ってた。鳴ったまま、解決するかよ。きちがい兄貴よ。ほんとうに、やったつもりがないのだろうけど……あの態度からするとやったつもりがないのだろうけど、きちがい兄貴の態度は親父の態度とおなじだから。あれだけ、まるだしで、本人が気がつかないとか、あり得ない。あり得たんだけど、あり得ない。

全部毎日同じようにヘビメタが鳴って、過ぎ去っていた。ぼくはすべてをなくした。体力、気力、知力、学歴、友達、彼女、ぜーーんぶ、ないよ。ヘビメタが何年間も続いていると、自然になくなる。鳴らさないで我慢することはできたぞ。一日に一時間、鳴らさないで我慢するということをしないのに、「静かにしてやった」と思っているのか? ほんとうに頭がおかしい。カオ君が言うように、あの音は非常識な音で、非常識なほどでかい。鳴らしているあいだ、どれだけ言われても、それを認めない。その態度が、親父の態度と、まったくおなじ。どんだけうらみがつもっているか、わかってるんだろうな。親父に一回やられれば、一日中腹を立てていたことを、兄貴は俺に一日中何百回も何千回も押し付けている。ヘビメタ騒音の音素一つ一つが、そういうものだ。

自分があの音のでかさでやられてみろ。一〇分で顔を真っ赤にするほど腹を立てるよ。けど、自分のヘビメタならそういうでかい音で鳴らしても、静かに鳴らしているつもりなのである。「こんなのは、たいした音じゃない」と思っている。

カオ君が一分で理解したことを、一五年間毎日鳴らして、まったく理解してない。理解しなければ、どれだけ鳴らしたって鳴らしてないのとおなじつもりでいられる。これも、きちがい親父のまねだ。きちがい兄貴は、俺に、きちがい親父のまねをして、きちがい親父がやってきたことを、おしつけている。騒音でおしつけている。毎日毎日、毎分毎分、毎秒毎秒、おしつけている。だれだって、学生時代ずっとそういうことをおしつけられれば、通勤も通学もできない体になる。

けど、よその人は知らないから、「そんなのはあまい」と言う。「ヘビメタ騒音が……」と言ったって、「そんなのはあまい」と言ってくる。「そんなのは、(お兄さんに)言えばいいのに、言わなかったおまえがわるい」と言ってくる。「どんな状態だって、選択肢はあったはずだ」と言ってくる。きちがい野郎がふたりいるところで暮らしたことがないくせにそういうきれいごとを言ってくる。頭にくる。一方では、破滅を感じる。そういうことの繰り返しだ。

引きこもっていれば引きこもっているやつが悪いように見える。無職なら、無職であるやつが悪いように見える。どれだけ「ヘビメタ騒音が……」と言っても「そんな過去のことはどうでもいい」と言ってくる。きちがいヘビメタ騒音を一日も経験したなかったやつが、そういうきれい事を言ってくる。頭にくる。

それは、いまさらはじまったことじゃない。やられているときからそうだった。宿題をしないで行けば、そういう反応があった。特に、班で連帯責任という場合は、そういうことを言われた。遅刻もそうだ。全部めちゃくちゃだった。きちがい兄貴は忘れてしまったかもしれないけど、ハンダゴテ事件の日は、めちゃくちゃに怒ってたからな。次の日も怒っていたからな。きちがい兄貴のヘビメタ騒音のせいで、俺は毎日、ハンダゴテ事件みたいな日を繰り返している。ほんとうに、これも、どれだけ言っても、きちがいヘビメタ騒音にたたられたことがない他人には、いいわけだと思われるけど、俺はヘビメタ騒音がなければ、勉強はできた。特に中学からは、できた。偏差値の高い学校に行くぐらいの学力は保持できた。

ちょうど、中学生になって勉強をやりたくなったんだよ。勉強をしてはい上がるしかないと思ったから。で、また、興味がない科目ができなくても、別にぼくは気にしなかった。できないならできないで納得していた。きちがいヘビメタ騒音に一日中、勉強の邪魔をされなければ!!! 納得できたんだ。まあ、私立を受けて、苦手な科目はなしにするということもできるからな。

友達ともうまく行った。ヘビメタが一〇年続いていると、どうしても、友達とうまく行かなくなる。これも、そんなのは関係がないと思う人がいるだろうけど……言う人がいるだろうけど、そういうひとも経験してみればわかるよ。あのヘビメタ騒音を一〇年間毎日続けて経験すれば、俺が言っていることが正しいということが理解できる。ヘビメタ騒音を毎日何年間も何年間も鳴らされなかったから、『騒音でうるさかったんだな』ということは理解できるけど『実情』が理解できない。からだがどんなふうになるか理解できない。経験してないから。毎日毎日一〇年間、ヘビメタ騒音が常に鳴っているという状態を経験したことがないから、実情を無視したことが言える。正しいと思って言える。

彼らとぼくの差は、経験でしかない。

うるさいというのはうるさいということではなく、すべてが狂うことだ。

うるさいというのはうるさいということではなく、すべてが狂うことだ。
ゆるさんぞ。きちがい兄貴。

この時間鳴ってた。

どれだけ頼み込んでも一分も静かにしてくれなかった。

そういう毎日だ。

そんな毎日が何千日も続いて良いわけがないだろ。
ほんとうに一日でもいいから、あじあわせてやりたい。
きちがい兄貴が鳴らしていた音が、別の音なら、どれだけうるさい音が、あじあわせてやりたい。あれだけ鳴らし続けて、「やってないつもり」「しずかにしてやったつもり」なんだからな。日曜日は、朝の一〇時半から夜の一一時一〇分まで鳴らせるだ。朝の一〇時半から夜の一一時一〇分まで一分もゆずってくれなかった。毎週毎週一四年間にわたって、一分もゆずってくれなかった。これが、事実だ。それなのに「しずかにしてやったつもり」なのか?? そういう態度で鳴らしてた。どれだけ鳴らしてたって、鳴らしてないのとおなじなのである。言われれば、むすーーっとして腹を立てて、目を三角にして顔を真っ赤にして、エレキギターにしがみついてきちがい的にデカい音で鳴らしてたのに、あれで、静かにしてやったつもりなのかよ? ほんとうにきちがいの頭は便利にできてるな。自分がやりたければ、頑固にやり切って……やりきることしか頭にない状態でやりきって、……それで、静かにしてやったつもりになれるんだからな。うるさくしてないつもりになれるんだからな。全部毎日そういう状態だった。全部毎日そういう態度だった。どれだけどれだけ言ってもそうだった。

ほんとう、きちがい親父とおなじなんだよな。自分がやりたいときにやめろと言ったら、ふくれて無視するか、まったく無意味な譲歩をする。まったく無意味な譲歩はまったく無意味な譲歩で、あれでぇ!!!譲歩してやったと思うことができるのは、精神異常だから。相手の都合を全部無視して、〇・一デシベル、五分間でも静かにしてやったら、一日中鳴らさないで静かにしてやったのとおなじ気分になれる。どれだけ譲歩しても、一日に五分、〇・一デシベルと決まっていて、その時間も、人が絶叫している声よりでかい音で鳴らしているんだから、静かにしてない。相対的に自分の中で〇・一デシベルでも静かにしてやったら、それで、「静かにしてやった」ということになってしまう。そうなったら、そのあとは、どれだけ言ってもむだだ。「静かにしてやったんだからいいだろ」というきちがい的な理屈で鳴らしまくる。で、そうやって、意地になってならしている時間は、鳴らさないで静かにしてやった時間とおなじなのである。そういうつもりになってしまう。そういう違いを認めない。本人が認めなければ、相手がどれだけ言ったって、だめなんだよ。そのまま、なにもしてないつもりで?あたかも鳴らしてないつもりで、鳴らし続ける。きちがい的にデカい音で鳴らし続ける。自分が鳴らしたい音だから、大きな音で聞くと気持ちがいいわけで、自分が聞きたくない音であれば、きちがい兄貴にとっても、きちがい兄貴が鳴らしていた音というのはものすごくでかい音なのである。鳴らしたいから、「こんなのは、静かな音だ」「鳴らして言い範囲でならしている」ということにしてしまう。で、きちがい親父とおなじで、一度そうなったら……うちで!!一度そうなったら、何十万回言われても、相手が何十万回怒って言いに来ても、その都度はねのけて、おしまいなのである。その時!その瞬間!!はねのけることができれば、一切合切やってないのとおなじ(つもりなのである)。だから、きちがい兄貴にとっては、「もめごとが発生してないつもり」なのである。で、どれだけ相手が言ってきても、「もめごとがはっせいしてないつもりのまま」「まったく鳴らしてないのとおなじ態度・認識」で鳴らし続ける。だから、一四時間鳴らしても、まったく鳴らさなかったのとおなじ気分でいられる。その一四時間に、一回、二回、三回、四回、五回、六回、七回、八回、九回、一〇回、一一回、一二回、一三回、一四回、一五回、一六回、一七回一八回一九回二〇回二一回、二二回二三回、二四回、二五回、二六回、二七回、二八回、二九回、三〇回、三一回、三二回、「明日入試だからやめろ」「静かにしてくれ」と言われても、まるで気にしないで鳴らし続けることができる。そういう意地悪な態度なんだよ。小学六年生の初めての日から。俺が小六の時、きちがい兄貴が鳴らしはじめた、はじめての日から、ずっとおなじだ。うちに!!いる限りは、ずっとそういう態度で、本人はまったく問題なく……問題を感じないで鳴らし続けた。

どれだけもめたって、まったくもめごとが発生してないという認知のままなのである。ほんとうに、きちがいが兄貴がやっていることで、きちがい兄貴に「やめろ」と言っているのに、まったくなにも言われてないつもりのまま、やり続けて、それで、関係がないつもりの人でいる。全部毎日、そういう態度で鳴らした。毎日全部、そういう無視のしかたで、一秒もゆずらないで鳴らし続けた。可能な時間はすべてそういう態度で鳴らし続けた。鳴らしているときにどれだけ、怒鳴り込んでも、そういう態度で無視して鳴らした。きちがい兄貴が無視して鳴らした。

一日中、一〇〇%時間!!!ずっとゆずらないで鳴らしても、ぜんぜん迷惑をかけてないつもりなのである。問題が発生しなかったつもりなのである。一回も「やめろ」といわれなかったつもりなのである。本人はそういうしくみで、ずっとやり続ける。

だから、それで、一四年間毎日やっても、本人は、まったくやってなのとおなじつもりしかない。まったく、迷惑をかけたつもりがないのである。相手がやめろと言っているのに、押し切って鳴らし続けたつもり自体がない。一四年間毎日ずっと、静かにしてやったのとおなじつもりなのである。だから、いまだに「自分にだって言い分がある」とか「静かにしてやった」とか、兄貴の嫁さんの前で言ってる。そういう態度で、うちでは!!!鳴らし続けた。うちでは!!!まったく関係がない人としてずっと鳴らす。鳴らすことが決まっているから鳴らすという態度で鳴らす。鳴らすことが決まっているから鳴らす……それで問題はないだろ……という態度で、こっちがどれだけなにを言っても鳴らし切る。だから、鳴らした。ゆずってない。一日に一分も静かにしてくれてない。それで、一日中譲歩してやったつもりなのである。そういう、きちがい回路が成立していて、なんの良心の呵責もなく頑固にどでかい音で鳴らすことができる。ほんとうに「鳴らしてたって鳴らしてない」「どんだけ鳴らしたって鳴らしてないのとおなじ」というきちがい的な認知のまま鳴らす。だから、他のひとには理解できない。そして、これがやっかいなことなんだけど、きちがい兄貴も理解しない。きちがい兄貴してみれば、「そんな人いるの?」という気分なのである。きちがい兄貴の話なんだけど、きちがい兄貴ではない人の話として聞くことしかできないのである。そのくらいに、関係がないことになっている。自分がやったことなのに、ほんとうに待った自分がやったことじゃないと思っている。きちがい兄貴の頑固な態度はきちがい兄貴の頑固な態度なのに、自分の態度だとは思ってないのである。これ、ほんとうに、親父とおなじなんだよな。四人家族で二人がこういう精神病質者だというのが、これまた他のひとにはわからないのである。別に精神病質者というような単語を使わなくてもいい。ともかく、そういう態度なんだということがわからない。そういう態度の人がいるということが、わからない。だから、「家族で話し合えばいい」と的外れな助言をしてくる。で、そういう助言をされたとき、「だから、どれだけ言っても通じない」と言っても、それがまた、通じないんだよな。そういう人がいるということを認めたがらない人がいる。特に、教師はそうだ。親父が兄貴とおなじ態度できちがい的なことをやり通したということ自体が、なんていうのかな、そういう常識の中で住んでいる人にとっては※不自然※なことだからあんまり信じたくないことなのである。だから、ヘビメタ騒音のことをいっても「それは、家族で話し合って……」という答えしか出てこない。「だから、家族で話してもむだだ」と言っているのに、相手は「むだではない」という言い分を取り下げずに話が終わる。で、帰れば、きちがい兄貴がきちがい的な意地できちがい的な爆音できちがいてきなヘビメタをドカスカ鳴らしている状態に遭遇してしまう。で、そのあとは、いままで言ったとおりに、どれだけ何回、「やめろ」「静かにし」と兄貴の部屋に怒鳴り込んでも、兄貴が一分も静かにしないで、血相を変えて鳴らしている状態が一時間、二時間、三時間、四時間、五時間、六時間、七時間と続いてしまう。

わからない人というのは、マリーアントワネットとおなじで、実情を知らない。きちがいの実情がわかってない。きちがい的な人がどれだけの意地で、どれだけいろいろなことを無視して無視して鳴らすか(やるか)わかってない。話なんて通じるわけがないだろ。

けど、話が通じなかったということも、けっきょくは俺のせいにされてしまうのである。

2017年3月18日土曜日

いたいと感じる必要がないのでいたいと感じない

だるい。つまらない。だるすぎる。これじゃ、どんな建前も羽をはやして逃げていくよ。けっきょく、だるいとどうにもならない。また、これ、寝床と机の往復になるな。あーあ。マクドナルドに行きたいのに、もう、二週間行ってない。これ、きちがいヘビメタ騒音一四年間の経験がない人だとわからないだろうけど、やっぱり、この雰囲気だと外に出たくない。ヘビメタ騒音生活の中で、無理矢理、通学通勤?していたのがこたえる。ほんとう
押して出るというのがな。違うんだよな。行動療法みたいな考え方だと、とりあえず出るというのが必要になる。たとえば、玄関まで行って帰ってくる。次は、庭に出て帰ってくる。次は、五メートルぐらいでもいいから、外に出て帰ってくる。ということを繰り返していけば、そのうち、どこにだって行けるようになるという考え方だ。で、そういう考え方も否定しないし、そういう考え方に則ったアプローチで電車に乗れるようになる人がいるということも否定しない。ただ、ぼくの場合はそういうことではなくて、まさしく、ヘビメタ騒音が前日、何時間も何時間もなっていたにも関わらず、朝起きて、とりあえず学校に行ったということが問題なんだよ。ぼくの問題の核心はそれだ。そういうつらい経験を何千日も繰り返したから、エネルギーが切れている。朝起きたときに、「あの感じ」がよみがえってきて、外に出たくないなと思ってしまう。体力があるときは、出れるので、そういう問題じゃないんだよと言いたくなる。あの感じ」というのは、前の日ヘビメタが七時間から一四時間鳴っていて、困っている状態だ。疲労困憊で困っている状態だ。そういうのが、一ヶ月で終わってくれれば、それで、どうにかなったけど、一四年間も続いたらだめだろ。七年間でぼくは終わっている。毎日、そういう状態が七年間続いて困っている。で、毎日そういう状態が七年間続いていなかった人が、どれだけ、なにを言っても、ぼくにはひびかない。正当性がある感じがしない。「実情」を知らない人が、正論を言っているようにしか聞こえない。それは、実情を知らなければ、合理的で正しい判断なんだけど、それは、実情を考慮してない世界の話だ。ぜんぜん違う。成り立っていることがぜんぜん違う。経験がぜんぜん違う。肝心な問題を抜きにして話しているようなもので、それじゃ意味がない。ぼくにとって肝心な問題は、ヘビメタ騒音が毎日、何時間も何時間も、とてつもなくでかい音で鳴っていたというとだ。あとは、そういうことをした兄貴が、そういうことをしたつもりがないという問題だ。そういうズレは、鳴らしている最中から存在するから、問題なのである。認知療法家が、「腹を立てる必要がない」と言っても実際にやられている最中、腹を立てざるをえないのである。終わったあと……一日のなかでヘビメタ騒音が終わったあと、宿題ができなかったと悲観する必要がないと言われても、悲観して、絶望的な気分になるのである。で、七時間近く、至近距離であれだけの音を聞かされると、……どうしても、終わったあとも……気分がおかしくなる。体調がおかしくなる。これも、「体調が悪くなる必要はない」と言われても、なるわけで、困る。そういう実情を全部無視して、「うつくしいこと」を言うわけだけど、それは、無理だ。絶対に、なぐられたあと、なぐられたところがはれるといったようなことと同じように、七時間の至近距離の騒音が終わったあと、脳みそ内である種の変化(過程)が起こる。それは、「はれる必要がないから、はれない(なぐられたところをふくらませる必要はないので、ふくらませるのはよそう)」とか言える問題じゃない。「いたがる必要がないから、いたがらない」「いたいと感じる必要がないのでいたいと感じない」という一種の倒錯理論ではだめな世界なんだよ。どうしたって、七時間発狂状態で、その発狂状態が終われば、鬱になる。鬱になる必要がないから、鬱になるのはよそうとかそういう問題ではないのだ。これ、やはり、脳内の神経伝達物質の問題がある。時間経過とともに流れが変わるわけで、七時間続いた刺激が、八時間目に影響を与えないということはない。ヘビメタ騒音がガンガン鳴っているなかで、座って我慢するというのは、発狂してぶん殴りたい状態なのに、それを我慢して座っているのである。ヘビメタ騒音がガンガン鳴っているなかで、横になって我慢するというのは、発狂してぶん殴りたい状態なのに、それを我慢して横になっている状態なのである。

2017年3月17日金曜日

「そんなんじゃないそんなんじゃない」と否定したことをやってんじゃないか!

だめだ。だるい。どうしても、だるい。しんどい。行きたくない。さっきから、買い物に行かなければならないと思っているのだけど、行きたくない。最近ずっとこれだな。体がしんどいんだよね。で、のどがかわいている。どうしても、なんて言うのかな? だるい。

これ、たぶんだけど、きちがい兄貴に対する恨みが、原因ではないかと思う。要するに、怒り疲れている。怒っているんだよ。ぼくは……。きちがい兄貴……。いま、九時二九分。九時二九分に、どれだけ、「勉強するから静かにしろ」と言っても、静かにしてくれなかったよな。午後四時から、鳴っているわけで、何回「宿題をするから静かにしろ」と言ったと思っているんだよ。宿題をしていくことができなければ、俺がだめなやつだと思われるんだぞ。そういうことでどれだけ俺の足を引っぱっていると思っているんだよ。全力で全部の時間邪魔してやると思って、全部の時間、まったくゆずらないで邪魔しているのとおなじだ。やっていることは、そういうことなんだけど、本人は、どれだけやっても、邪魔したつもりがしょうじない。邪魔していると思ってない。どれだけ、「うるさい」「やめてくれ」「宿題をするからやめてくれ」と言われても、弟の宿題の邪魔をしているつもりがしょうじない。兄貴が鳴らしていて、兄貴に言っているんだぞ。普通に考えて「うるさいからやめてくれ」ということだろ。けど、一日に何十回おなじことを言われても、そのまま、一分、一秒もゆずらないで、真っ赤な顔をしてやり続ける。はなから、「静かにしてやるつもり」なんてないんだよ。自分が一分間ほんとうに我慢して、静かにしてやるなんてことは、まったく考えてない。そんなことは、ありえないいことなのである。考えることさえできない。どれだけ「鳴らさないで静かにしろ」「ヘッドホンをして静かにしろ」と言われても、鳴らさないで静かにする可能性はゼロだし、ヘッドホンをして静かにする可能性はゼロなんだよ。思いつきもしないことなんだよ。どれだけ言われても、思いつきもしないことなんだよ。トータルで一万回、二万回、三万回、言われても、本人にの主観としては、「そんなのは知らない」「そんなの知らなかった」と嘘でなく言えることなんだよ。で、そういうしくみが、「言われて」「はねのけていた」ときとおなじなんだよね。いまは、認めるとまずいことになるから、認めないではねのけているだけなんだよ。で、はねのけたら、もうおしまいで、「そんなのまったく関係がない」つもりになってしまう。当時は、鳴らしたいから、認めてしまったら静かにしてやらなければならなくなるようなことは、認めないんだよ。その時!!はねのけたら、言われなかったのとおなじ状態になる。ようするに、はねのけて、まったく言われなかったという状態に復帰している。で、何万回繰り返したって、「うち」ではそうなんだよ。うちでは、自然にそうなっていて、自然にそれ以外の反応がないことになっている。だから、本人はまったく「知らないまま」……何万回も言われているのに……知らないまま鳴らし続けることができる。その日、試験期間中で二時間早く帰ってきて、午後二時から、ヘビメタを鳴らせるというのであれば、午後二時から午後一一時一一分まで、本人が風呂に入る時間とご飯を食べる時間をぬかして、全部鳴らしている。俺が「勉強するからやめてくれ」「明日も試験だからやめてくれ」と言って、きちがい兄貴が一〇分間、ちゃんと鳴らさないで静かにしてくれたことがない。一〇分間ヘッドホンをつけて静かにしてくれたことがない。実は、一〇分間どころか一分間も静かにしてくれなかった。だから、試験の邪魔をしているのに、一日で何十回「試験だからやめてくれ」「鳴らすな」と怒鳴り込まれても、まったく、つもりがないまま鳴らし続ける。親父のトイレとおなじで、本人がやる気になっていたら、途中でやめるなんてことは、どんな場合だってあり得ないんだよ。で、そうやって、がんばって、意地になって鳴らしているのに、「つもりがない」ということになっている。頭がおかしい。

で、体のだるさが、あの時とおなじなんだよ。もう、つもりにつもった。一〇年間で三六五〇日か。三〇〇〇日四〇〇〇日おなじ苦しみが続く。で、それで遅刻したら、俺が悪く言われる。「たるんでる」と言われる。「ヘビメタ騒音が……」と言ったって、認めてくれない。「どうして遅刻したんだ」と聞いてくるから答えているのに。これ、ほんとうに、そういうふうに言った人だって、俺と同じようにヘビメタ騒音相当の音を毎日聞かされて、夜眠れない状態になれば、遅刻するようになる。そいつは、あの音のでかさで、きちがい的な音がずっと鳴っている状態を経験したことがないだけの話しだ。けど、その人はその人だから、自分尺度でものを言う。「そんなのどれだけ鳴ってたって、起きられる。言い訳をするな」「どれだけ鳴っていると言ったってそんなに鳴っているわけじゃないんだ」などと言いやがる。「鳴っているんだ」。ほんとうにみんな、きちがいの意地がわかってない。どれだけの意地で鳴らすか? ……わかってない。どんだけうるさい音で鳴らすかわかってない。

ほんとうに、うち!じゃ、きちがい的な意地でやったことは、全部やってないことになってしまう。これ、親父がやり始めたことだけど、兄貴もまったくおなじことをしやがった。兄貴もまったくおなじ態度なんだよな。きちがい的な意地でやったことは、全部やってないことになってしまう。「やった」ということを認めるとまずい状態になると、その時「やってない」と言い出す。で、そういうふうに言い出したら、きちがい行為をやるときの頑固さとおなじ頑固さで、認めないんだよ。おなじなんだよ。やりたいことをやるときは、相手がどれだけ「やめろ」と言ってきても、「やめろ」と言われたこと自体を忘れてしまう。で、今度は「やった」ということが都合の悪いことだから、おなじ理屈で、「やってないこと」にしてしまう。やっているときは、相手の言い分を認めたら、自分が静かにしなければならない、あるいは、自分がやりたいことを中断しなければならないから、絶対に認めないんだよ。そういうエンジンがかかっている。だから、絶対の意地でやる。で、絶対の意地でやったということを認めるのが都合が悪いことに関しては、絶対の意地でやったということを認めないということになる。だから、おなじなんだよ。

そういうのを全部通して、「やってないやってない」「そんなんじゃないそんなんじゃない」と言い始める。それから、付け足しで言っておくと。「やってないやってない」「そんなんじゃないそんなんじゃない」と言ってはねのけたあと、すぐに、その問題行為をしても、まったく矛盾を感じないんだよな。そういうきちがい的なところがある。三分前にあれほど、「やってないやってないやってないやってない」「そんなんじゃないそんなんじゃない」と否定したことをやってんじゃないか!!!って言いたくなる。全部、そういう状態なんだよな。

けど、「うち」では、それであたりまえで、それで押し通して、やっぱり、やってないことにしてしまう。本人が、つもりがないまま?やり続けることになる。エンドレスなんだよ。全部。何回やっても。どこまで行っても、終わらないだろ。本人がやりたいようにやるしかない状態が成り立っている。

こういうきたない状態が、うちではあたりまえなんだよ。で、やったやつは、「つもりがなくて」「やってない」と思っている。こういう状態を突きつけられたことがない人が、これまた、「そんなの言えばいい」と的外れなアドバイスをしてくる。こんなの、実情を知らないから、そう言っているだけ。これ、ほんとうに、「パンがなければケーキを食べればいい」というアドバイスとおなじだからな。パンもケーキもないという実情がわかってないだけ。「パンがなければケーキを食べればいい」というのは、そういう実情を考えなければ、適切なアドバイスなんだよ。けど、言われた庶民は怒るだろ。で、これも、実は「怒る」ということは不合理だと言うことができる。認知療法家が言ってることは、これだから。合理的で正しいことを言われて怒るのは、不適切な思い込みによるものなのである。




2017年3月16日木曜日

「よそのいえ」で静かにするように、うちでも、静かにするべき

きのうJQueryとJQuery Mobileに関する本が来たから読んだんだけど、字が小さい。レンズを使って読んでもコードの文字が小さすぎてストレスを感じる。目が疲れた。コードの中の注解がもっと小さな字で書いてあるんだよな。中古で安い本だけど、ほんの半分がむだになっちゃったよ。まあ、発行が二〇一二年だからもうだいぶ古い情報になっているわけで、対応情報を調べないとだめなんだけど、本をレンズで見て、キーボードをたたくというのが難しい。

まあいいか。

風呂に入りたくないけど、入っておいた方がいいか。

この部屋でひとりで怒っている。ヘビメタ騒音関係のことで怒っている。これでつかれてしまう。むなしい。むなしいけどしかたがない。ほんとうにきちがい兄貴の態度がおかしい。これ、きちがい兄貴本人が一番無視していることなんだよな。あたりまえのようにやって、やってないと思っている。ずらし方はいろいろあるけど、そういうことで、どれだけ相手が頭にくるか、きちがい兄貴は、きちがい親父にやられて知っているはずなんだよな。きちがい親父が自分に対してやったことは、わかっているんだよ。きちがい親父の態度がおかしいということはわかっているんだよ。頑固におつけておいて、押し付けたつもりがまったくないという態度……病的な態度がおかしい。で、それは、わっかになっている部分があるから、絶対に修正がきかない。きちがい的な態度でやりきった……事実やったということで、もめても、おなじ状態でおなじ態度で、通じないんだよ。まったくつたわらない。おなじしくみが成り立っていて、つたわらない。だから、言えばつたわるというようなことではないんだ。けど、そういう精神病質者がいるということは、ほかのひとはわからない。だから、常識的な助言をする。けど、「うち」では、そんなことは、成り立たない。成り立つんだったら、苦労してない。精神病質者がぎちぎちに怒り狂って自分の思いを通している。自分の都合だけ考えて、自分のやりたいことを通している。で、それが、相手にとって迷惑ではないことなら、いいわけ。けど、相手にとって迷惑なことだと問題が生じる。その場合、「うちでは」精神病質者がやりがち。精神病質者がきちがい的な意地でやりがちをすることになる。で、槍勝ちをしてやっているのだけど、本人は、「やったつもり」がしょうじない。で、「やったつもり」がしょうじなければ、毎日毎日、何時間も何時間も頑固にやったとしても、まったくやってないのとおなじという認識が成り立っている。その精神病質者の中に、都合良く成り立っている。で、そういう都合の良さ」を説得によって放棄することがない。他人に説得されることによって、そういう利得!!を放棄することがない。どうしてなら、「放棄しなくてもいい場所」でそうしているから。あらかじめ、そうしている。そういうところでしか、そういう態度をとらない。そういう場所が「うち」なんだよ。まず最初は、親父にとってそういう場所だった。で、一五年間毎日、さんざんやられたきちがい兄貴が親父とおなじ病気になって、親父とおなじ思考で、親父とおなじ認知構造で、親父とおなじ気持ちで、頑固にヘビメタを鳴らす。兄貴のヘビメタ騒音というのは、親父の迷惑行為の、兄貴バージョンなんだよ。だから、一切合切話が通じない。親父に話が何十年間も伝わってないように、兄貴にも、話しが何十年間も伝わってない。これ、ほんとうは、ひとこと、言えばわかることなんだよ。それに、きちがい兄貴は、気がついてないけど、「よそのいえ」だと一〇〇%静かにすることができるんだよ。「よそのいえ」で静かにするように、うちでも、静かにするべきだったんだよ。それで、できない。できなかった。けど、それは、できなかったというよりも、やらなかったというべきなんだよ。けど、意地になってやってやらなかったという部分が、これまた精神病質的に、抜け落ちている。だから、まったく認めないまま、何十年も時間がすぎる。うちにいるときは、まったく認めないまま、一〇〇%時間、一〇〇%の時間、一〇〇%か九九・九%の音量で鳴らした。

いま、午後四時二七分。きちがいヘビメタがわんさと鳴っている感じがする。せめてくる感じがする。午後四時二七分に、どれだけ「やめてくれ」「宿題をするからやめてくれ」「鳴らすな!!鳴らすな!!鳴らすな!!」「静かにしろ!!静かにしろ!!静かにしろ!!」と怒鳴り込んでも、絶対に一分も静かにしてくれなかった。毎日そういう態度で鳴らしていた。それが、精神病質兄貴がこの世で、こだわってこだわって、こだわってこだわって、まげないでまげないで、意地になって意地になって、頑固に頑固にやってきたことだ。毎日やってきたことだ。どの口で「やってない」とか「そんなにやってない」とか言ってんだよ?? そういう態度で鳴らしてた。うちにいるときは、そういう態度で鳴らしていた。まったく事実とは異なる言い訳を嘘だと思わないで言う態度と頑固に無視して「やめろ」と言われているのにやりきる態度がおなじ!!!

2017年3月15日水曜日

Windows10の更新と「たたかって」いた

Windows10の更新と「たたかって」いた。それにしても、使いにくくしたものだ。まあ、更新とは関係がないんだけど、いたるところで、「なんでこれ、こんな風にしたんだ?」と感じる。本当にでかくする必要がないものをでかくして、でかくする必要があるものは小さくなっている。エクスプローラーの「更新」と上の「フォルダにあがる」は大きくしなければならないものなのに、使いにくく小さくなっている。

その他もろもろ、やってほしくなかったことをやっている。だいたい閉じるボタンだって、押しにくい。Windowsの大きさの調整がしにくくなった。



こっちのWindows7も更新で、だいぶトラブった。これはATOKが関わっているもので、これも……。ATOKも改悪が激しいな。ちゃんとした単語をごっそり削除してあるんだよ。標準辞書から。頭がおかしい。あとは、ブロガーで書いているとき数字を入力して変換すると、フリーズしてしまうという問題がある。こういう問題をどうにかしてほしいのに……。(数字の後に%などをつけると、特にやばい)(いつもそうなるわけではないけど、あらんときに、そうなる。せっかく集中して書いていたのに……。これ、対処法がないんだよ。書いたところまで画像としてコピーするしかない。スクロールバーは使えないから、全部を画像としてコピーできるとは限らない。ブロガーの方の自動保存機能とのかねあわせが問題になる。

いまは、Google日本語IMEで書いている。これも、途中まではいいんだけど使い続けていると途中で学習が変な状態になる。学習で変換効率が上がるならいいけど、途中で変換効率が落ちる。落ちたあと学習機能をオフにしても遅いわけで、わりと問題がある。ATOKが改悪されたとはいえ、まだATOKのほうが変換効率がいい。

ところで、きのう意を決して、買い物に行ってきたよ。けど、マクドナルドには行けなかった。何個かチーズバーガーを買って冷凍しようと思っている。飯を食うのがけっこう大変なんだよね。だるくなっちゃうと。

とりあえず、風呂にはいるかな。風呂も入りたくないんだけど、入るべきなんだろうな。

あとは、俺の人生なんだけどどうしたもんだろうな?

2017年3月14日火曜日

兄貴!!! おまえ、本当、どれだけ!!

ヘビメタでつらかったな。ヘビメタ騒音でどうしてもつらかった。ヘビメタ騒音で毎日ずっとうまく行かなかった。どうしてもうまく行かなかった。つらかったなぁ。あれだけこだわって頑固にでかい音で鳴らしたのに、「つもりがない」のかよ。「静かにしてやった」とか新しい家族の前で言っているのかよ? おまえ、本当、どれだけ!! 良く思い出してみろ。ちゃんと静かにすることなんて一日で一秒もない。毎日、家にいるときは必ずヘビメタを鳴らしていた。それもかならずどでかい音で鳴らしていた。あれが、たいしてどでかい音ではないというのであれば、いま住んでいるところで鳴らしてみろ。一分だって、鳴らせないだろ。そういう矛盾にいい加減!! 気がつけ!! きちがい兄貴!!!

2017年3月9日木曜日

朝の駅周辺

たわしを手に入れるために、駅まで買い物に行った。駅のむこう側の一〇〇円ショップにたわしがあることはわかっているので、そこに行った。そこでは、何回か五個入りの小さなたわしを買ったことがある。だから、それが欲しかった。けど、行ってみたら、二個入りのたわししかなかった。で、二個入りのたわしなのにいろいろな種類がある。で、そのすべてがバリュライフのたわしだ。なんだこりゃ、ゴミが入っていたたわしとおなじメーカーか。

けど、今度は良く中身を見て、へんな黒い粒が入ってないか、確認した。けど、包装はすべて透明ではないので、いろいろと苦労した。で、たぶん、そういうへんなものがついてないたわしを買ったと思う。まだ、開けてみてないからわからないけど。

ともかく、使えるたわしをゲットした。で、コーラもゲットした。で、本当はたわしとコーラだけそこで買って、あとはマクドナルドで(朝メニュー)ソーセージマフィンのような安いものを五個ぐらい買うつもりだった。けど、一〇〇円ショップでいろいろと買ってしまった。食品買った~~~。ので、マクドナルドに寄るのはやめた。また、今度だ。

金は使うね~~。食品と日常品だけど……。むだな買い物ではないと思うけど、なんて言うのかな? やっぱり、買うつもりではなかった菓子パンとかチョコとか買ってる。野菜と肉も買ってきたけど、買うつもりではなかった菓子パンとかゼリーとかチョコとか、むだと言えばむだかもしれない。けど、そういうのを、全部無視するとそれはそれで苦しいんだよな。実は、そういう生活をしてきた。最近になって財布のひもをゆるめて、「買いたいものは買おう」「いつ死ぬかわからないし、食べたいものは食べよう」という気持ちになったんだけど、昔は、「がまんがまん」の連続だよ。

財布のひもがゆるくなったのはここ四年、五年の話しだ。

実は缶コーヒーも買ってしまった。これは、一〇〇円ショップじゃなくて、駅の構内を通るときに自動販売機が目について買ってしまった。高いよ。小さな缶で一二〇円する。

あの雰囲気は並みじゃないな。やっぱり、つらい。駅の東口から、駅の西口にぬけて駅前で買い物をしてきただけだで、駅まで行って電車に乗って通勤じゃない。だから、耐えられたけど、電車に乗ってどこかに行くつもりだったら、やっぱり耐えられないな。耐えられないと言っても、けっきょく、電車に乗っていくんだろうけど、耐えられない。ここの駅で、乗車率一〇〇%ぐらいになる。座席はもう、あいてない。東京方面に向かって、数駅進むと、満員電車になる。強烈なんだよな。骨が折れるような満員電車だ。

ともかく、俺、駅付近で買い物をして帰ってきただけだから、いいけど、やっぱり、あそこを使ってどこかに行くって、耐えられない。もう耐えられない。特に最近、食べると腹が痛くなるから、無理だ。腹が痛い状態で満員電車なんて乗ったら、……もうだめだろ。

そう言えば、駅に行くとき、ニコニコして歩いている人を見かけた。「いいよなぁ」って思った。その人はなんかイヤホンをしていたから、落語でも聴いていたのかもしれない。ぼくが落語を聴いても、苦しいだけでニコニコできないわけだけど、そういうニコニコできる番組があるというのがうらやましいよ。その人にとって、ニコニコできる番組ね。

ニコニコして歩いていたのはその人だけで、他のひとは、しかめっ面か余裕のない顔をしていた。

ともかく、もう無理だというのがわかった。俺、無理だわ。

「パンがある」と念仏のように一万回言ったらパンが出てくるか?



   *     *     *

ともかく、なんか他のことをやらないと無理だなぁ。ああ、けどつらい。つらい。どうしてもつらい。ヘビメタ騒音の積み重ねでどうしてもつらい。いま、午後一一時〇〇分。いまも鳴ってた。ヘビメタ騒音の夜の雰囲気だな。そろそろ終わるにしろ、最短でも午後四時からやられて、つかれ切っている。あれほんとう、堆積がすごい。ヘビメタ騒音の堆積が……。一日の堆積で、体の状態が、いまのだるいからだの状態とおなじ状態になってしまっている。体がつかれっぱなしなんだよな。一日や二日のことじゃないし。一日の中でも、つかれるけど、長期間にわたってそういう日が続きすぎたので、けっきょく、そういう「つかれた状態」「だるい状態」が定着してしまった。

これ、午後一一時〇〇分に「もういいかげん、やめろ!! しずかにしろ!!しずかにしろ!!しずかにしろ!!」と兄貴の部屋に怒鳴り込んでも、「あとちょっなんだからいいだろぉ~~」とか言って、鳴らしてた。けっきょく、自分がやりたい分はやるわけで、最後の一〇分だって絶対にゆずってくれなかった。これが本当の話だ。それなのに、「ゆずってやった」とか本気で思っている。頭がおかしい。で、そういう状態で、毎日暮らしてたんだよ。だから、一日に一三時間三〇分、爆音で鳴らしても、「ゆずってやったつもり」だし「しずかにしてやったつもり」だし「まったく気にしてない状態」なのである。そういう、一四年間なんだよ。実際には一四年と数ヶ月で、年を越しているから、一五年間だ。

そういうことが積み重なって「だるい」「つかれた」と言っているのに、「だるいと言っているからだるいんだ」、「つかれたと言っているからつかれているんだ」というようなことを言ってくる人もいる。時系列的な関係が間違っている。

たとえば、パンがない状態が一年間続いたとしよう。パンがないあいだはほそーい茎のようなイモを食べていたのである。とりあえず、パンがない歴一年から二年にかけてパンがないとしよう。それで、パンがない歴二年と一ヶ月目に「パンがない」と言ったとしよう。これは、ないからないと言っているだけなのだ。

けど、倒錯している人は「パンがないと言っているから、パンがないんだ」と言ってくるだろう。そしてまた、その倒錯している人は「パンがあると言えば、パンが出てくる」というようなことを言う。

けど、それは間違っている。パンを作る、パンをうばう、パンをもらう、パンを買うというようなことをしなければ、パンは出てこない。具体的な行動は「パンを作る、パンをうばう、パンをもらう、パンを買う」ということだ。

「パンがある」と念仏のように一万回言ったらパンが出てくるか? 言っただけでは出てこない。まあ、パンではなくて、原料になる小麦粉でもいい。「小麦粉を作る、小麦粉をうばう、小麦粉をもらう、小麦粉を買う」でもいい。酵母菌かベイキングパウダー(みょうばん)みたいなものも必要になるかもしれないけど、そういうことは、捨象しよう。

で、肝要なのは、言っているだけではダメだということだ。けど、「あるあると言えば、パンは出てくる」というようなことを言う人は次から次へと出てくる。で、この要諦は「あるある」と言うことによって、具体的な行動をとりやすくするということなのだ。言葉そのものが持っている力ではなくて、言葉を発することによって、実際の行動をとりやすくするだけだ。

要は、「あるある」と言っていると、「パンを作る、パンをうばう、パンをもらう、パンを買う」ということをしやすくなる。ただ、それだけだ。「うばう」もあるんだよ。だから、それ自体が道徳性を保証しているわけではない。(あくまでも、それ自体が!ね)


2017年3月8日水曜日

気分!あがれ!!!気分!あがれ!!!気分!あがれ!!!

世の中、つまらない。こうなっちゃったら、つまんねぇよ。

希望が必要なんだよ。希望が!

ともかく、つかれた。これ、本当、どうするのかなぁ。自分でもさっぱりわからない。

中華丼を食べに行こうかと思ったけど、めんどうくさくて行けない。こうなっちゃったら、おしまいだ。本当につかれたな。あの時のまんまなんだよな。鳴ってたときとおなじ。どうにもならない。気分がどうにもならない。なんとか「あがって欲しい」のだけど、あがらない。気分!あがれ!!!気分!あがれ!!!気分!あがれ!!!



まあ、ヘビメタ騒音の雰囲気の中で、「気分!あがれ!!!」なんて言葉がむなしく響く。

けど、本当、楽しい人生にしたかったな。どーーしても、つらい。ヘビメタ騒音とヘビメタ騒音の雰囲気でつらい。きちがい兄貴の態度に腹が立つ。あれ、本当に親父のように、つ・た・わ・ら・な・い。つたわらないんだよな。一切合切つたわらない。自分が一〇〇%やって、一切合切ゆずらないと決めてかかっているから、ゆずらない。本当は、ゆずってないのに、譲ってないと言うことに気がつかないで「一日中」やる。これ、一日中と言ったら、本当に一日中なんだよ。本人の用事でヘビメタ騒音道具の前を離れる時間と、本人が寝ている時間以外の時間は、すべて、ヘビメタを鳴らすように決めている。で、鳴らす以上は自分が思ったとおりの音で鳴らすと決めているから、「ゆずった」としても、実際にはゆずらない。自分が思ったとおりの音で鳴らすということは、きちがい兄貴がゆずってやったつもりのに鳴ったときも、保っている。で、これ、本当に、あんなにでかい音で鳴らしておいて、「ゆずった」と思っているとか、頭がおかしいレベルなんだよな。そういう具合に、なんて言うのかな? 張り出している。で、本当は、細部の細部までゆずらない。まったく無意味な譲歩しかしない。まったく無意味な譲歩を一分でもやってやったら、自動的に、一日中やっても良い権利を手に入れるわけだから、一四時間鳴らせるなら、きっかり一四時間、全部、きちがい的にデカい音で鳴らす。けど、きちがい兄貴は、まったく無意味な譲歩を一分でもしたら、「譲歩したのだからいい」「譲歩したのだからどれだけ鳴らしてもいい」「文句を言ってくる」という気持ちになる。で、鳴らす。けど、本人は、「静かにしてやった」と思っている。だから、一日に一四時間、よその家では一分だって鳴らせないようなでかい音で鳴らしても、「ゆすってやった」と思っている状態が成立する。だから、ぜんぜん悪いと思わないで、頑固に鳴らす。本当に、相手が言うとおりに、静かにするのは、たとえ一分だろうが一秒だろうが、絶対にいやだからやってやらないというのがきちがい兄貴の気持ちで、そういう気持ちのまま、三六五日中三六五日、例外なく頑固に鳴らす。だから鳴らしているのに、本人は鳴らしてないのとおなじ気分なのである。まったく関係がないと思っている。ゆずってやったと思っている。本当は、絶対にゆずってやらないと決めつけて、ゆずってやらない。そういうことを、頑固に押し通している。五分だって、本当に静かにさせられたら、発狂してしまうような状態だ。そんなのは、絶対にいやだから、五分だって静かにしないで頑固に鳴らすのである。だから、鳴らした。けど、これが、一四年間頑固に鳴らして、まったくやったつもりがない状態なのである。ふざけている。けど、これが、本人にはまったくわからない程度に一体化しているんだよ。だから、「そう言えば鳴らしたな」と思うことができない。つねに、そういう状態。一五年目以降もずっと、そういう状態だ。だから、一切合切悪気がないままなのである。で、何度も言うけど、そういう態度で一秒もゆずらないで鳴らしたよ。今日は、土曜日だから、もう、鳴っている時間だ。午後一時一一分。これ!! 鳴っている雰囲気だから。

で、「鳴っている雰囲気だ」とか他人に言っても、他人からすると、ぼくが変なことにこだわっているようにしか見えないんだよな。成長期に一四年間やられたら、だれだって、「鳴っている雰囲気」に包まれて、暮らすことになると思うよ。やられなかったから、変なことを言ってるように聞こえるだけだ。


2017年3月7日火曜日

アキバズトリップに「30年の引きこもり」というすごいカードが出てくる

AKIBA'S TRIP(アキバズトリップ)というアニメの第九話に「30年の引きこもり」というカードが出てくる。「30年引きこもり」ではなくて「30年の引きこもり」で「の」がつく。それだけ。このカードがチートカードで「おとなしい無職」を「魔法使い」に変えてしまうんだよ。そして、相手のデッキにあるすべてのカードを無効化してしまうのだ。ただ、それだけ。あれ、「おとなしい無職」かどうかはちょっと記憶が正確ではない可能性がある。ググりたくないからいい。要するに、細かい違いについては、指摘の必要性はありませんということ。「引きこもり」は「ひきこもり」かもしれないし、表記の違いとかちょっとした違いは、どうでもいいことにした投稿。


2017年3月6日月曜日

だるい。しかし、ここでだるくなる

だるい。しかし、ここでだるくなる。あーだるい。これ、どうにもならないな。あーー、これはもう……眠りたいわけじゃないけど、だるすぎる。横になるしかないか。こんな人生、いやだな。もう、本当につらい。ヘビメタ騒音がはじまってからずっとだるい。辛抱して生きてきたけど、それがいまのだるさを生み出しているような気がする。じゃあ、辛抱しないで生きることができたかというと、それはできない。鳴っている以上だめだ。本当に、せめて一年間で鳴りやめば、どうにかなったんだけどなぁ。どうにもならない。

   *     *     *

ずっと苦しい。だるい。苦しい。どーしても苦しい。

2017年3月5日日曜日

職業を説明した場合と、無職引きこもりと説明した場合だと、明らかに態度が違う

石原慎太郎も舛添要一も見苦しいな。ああいう性格じゃないと政治家なんてできないかもしれないけど。蓮舫が党首とか、なんの冗談だよ。

ヘビメタさえなければな。

本当ヘビメタ騒音がなかったら、ぼくの人生はぜんぜん違っていたものになっていたと思う。毎日長時間続くヘビメタ騒音がつらかった。どうにもならない。本当、俺が悪く言われるわけだからな。本当、下に見られる。ヘビメタでどうしても、うまくいかなかった。どれだけ努力しようとしても無駄だった。ヘビメタ騒音がピッタリ鳴り止まない限り、すべてが無理なんだよな。努力の結果ダメになった。本当、どれだけ。ヘビメタ騒音のなかでどれだけ努力したって、まったくいいことにならない。負債が積み重なっていくだけだ。体力の負債、精神の負債、知力の負債、全部が全部、負債として積み重なっていく。ヘビメタ騒音がなってない状態で、からだを鍛えれば体力がつくけど、きちがいヘビメタが鳴っている(日常のなかで)運動をしたって、疲労が積み重なるだけなんだよね。体調がどんどん悪くなる。疲労困憊の極地で、無理をして生活することになる。勉強もおなじ。精神の場合もおなじ。どうしたって、憂鬱になるのである。どうしたって、きちがい兄貴のやっていることと、態度に対して怒りが湧く。ヘビメタの憂鬱と怒りで、精神がおかしくなる。これは、「楽しめない」ということにつながっている。この「楽しめない」ということに関しても、まるで俺が悪いように言われる。「楽しくなるような努力をしてない」とか平気で言われるからな。きちがい兄貴と俺の関係。ヘビメタ騒音にはまったく関係がないよその人と俺の関係。きちがい兄貴とよその人の関係。この内、きちがい兄貴と俺の関係とヘビメタ騒音にはまったく関係がないよその人とと俺の関係は、ヘビメタが続く限り悪くなる一方なのである。そして、一四年間も積もってしまったら、その後も慣性の法則みたいなものが成り立っていて一定の速度で悪くなる一方なのである。これは、どういうことかというと、やはり、無職と引きこもりが積もると、対人関係が悪くなるということだ。これ、やっぱり、なんて言うのかな? かまえる人達がいるんだよな。なんて言うのかな? 「説教をしなければならない」ような気持ちになってしまうのである。どうしても、見下してしまうのである。本人にそういうつもりがなくても、先にwebデザイナーなどと職業を説明した場合と、無職引きこもりと説明した場合だと、明らかに態度が違う。一度、偏見ができあがると、「ヘビメタ騒音」のことを説明しても、だめなのである。本当にぼくが言っている頻度でぼくが言っている音のデカさで鳴っていたということに対して疑問を持ち続ける。これは、一種の不信感なんだよ。「そんなのへんだよ(へんだからなかったんじゃないか)(そんなのおかしい。嘘を言っているではないか)」というような感想を持ち続ける。ファースト・インプレッションが非常に重要。ファースト・インプレッションの研究はしたかった。ぼくは生涯を通じて「無職にまつわる現象について」研究をするつもりだ。ファースト・インプレッションの研究もそのうちのひとつだ。けど、それは、横においておくとして、ともかく、無職引きこもりだとファースト・インプレッションが悪すぎるのである。一度、悪い印象ができあがると、「ヘビメタ騒音が……」言っても、無駄。けど、小学六年生の頃からずっと毎日、一日に六時間四〇分から一四時間ヘビメタ騒音をあのデカさで鳴らされて、ちゃんと働けるからだを維持できる人はいないと思う。土台、無理な話なんだよな。土台、無理な話というのは、実際に経験してみないとわからないと思う。言葉では、そりゃ、長い間ヘビメタ騒音が鳴ってたんだなということがわかるけど、実際に鳴らされていないのだから、一日が終わったあとの疲労なんてわかるはずがない。精神が壊れると言ったけど、睡眠回路も壊れる。で、睡眠回路が壊れたことで、ヘビメタ騒音に関係がない他者とあいだでいろいろな問題がしょうじる。これも本当に言いがたい。毎日続いちゃうとな。毎日、何年間も何年間も何年間も何年間も何年間も何年間も続いちゃうと、それがあたりまえの状態なわけだから、つらい。

*     *     *

ニートを売り物にする人はタレントだと言った。そして、それは、悪いことではないと言った。で、もう一つ言いたいことがある。それは、ニートを売り物にしている人は、経済的に自立している。だからこそ、トリックスターのような立場を与えられる。もし、本当に経済的に自立していないガチなニートだと、なかなか、タレントになれない。サブカル席に座れない。サブカル席に座っても、長くは座れない。

トリックスターになれる、ニートを売り物にしているタレントの場合は、経済的に自立しているから、見ていて安心感がある。この安心感が絶対に必要なのだ。



2017年3月4日土曜日

ニートであることを売り物にして飯を食っている人は、タレント

やっぱり、この人生はおかしいと思う。こんなのはない。神様がまちがっている。本当にどれだけーー。どれだけ。本当にどれだけ他のひととちがってしまったか。本当にどれだけ、ヘビメタ騒音がなかった場合のぼくとちがってしまったか? だれだって、こうなることをやられて、さらに、他のひとから説教されるような立場になってしまった。これは、どういうことかというと、たとえば、ヘビメタ騒音を鳴らされ続ければ、体力がなくなり、元気がなくなるわけだけど、「元気を出せ」と他のひとから言われるような立場になったということだ。これ、おかしいよ。ヘビメタ騒音が何年間も毎日続かなければ、俺は、元気だった。人並みに元気だった。たとえつかれることをしたとしても、人並みに快復できた。それが、もう本当にまったくないわけだから、つらい。で、そういうことが続いてしまった。ヘビメタが毎日一四年間鳴っていれば、最低でも一四年間はそういう状態が続く。さらに、毎日勉強の邪魔をされて、うまくいかなくなる。スクールカーストで下になる。体力がなく、元気がなく、スクールカーストで下の方に位置するようになる。ヘビメタがなければ、そういうことではなかった。一応、体力というのは、普通の生活をするための体力のことで、スポーツができるということではない。ヘビメタ騒音がないとしてもスポーツはそんなにできなかっただろう。器用なところがあるから、うまい部分もあるんだけど、それは、本当に部分的にうまいということだけだから……。野球とかサッカーとか好きじゃないし。けど、そういうヘビメタ騒音がなくてもそれほどできなかっただろうことには、あまり興味がないんだよ。だから、できないならできないで納得している。けど、ヘビメタ騒音がなければできたことに関してはこだわりがある。どうしても、納得がいかない。

あと、なんて言うのかな? そういう人生になってしまったから、無職引きこもりを看板に掲げなければならなくなったんだけど、これは、やめておいた方がいい。ニートを売り物にしてお金を稼げる人なんて、本当にごく少数だ。これは、メディアにさらされることを覚悟しなければならないし、メディアにさらされても、それがお金につながるとは限らない。まあ、ニートであることを売り物にして飯を食っている人は、タレントみたいなもんだ。そういう「席」がある。「外人席」があるように、そういう「サブカル席」がある。これは、芸人みたいなものだから、本来のニートとは意味が異なる。

ちなみに、「ニートであることを売り物にして飯を食っている人は、タレント」であっていいと思う。別に悪くない。そういう人をせめているわけではない。これも書いておかないと、誤解を受けるからなぁ。人にはそれぞれ役目があるから、タレントでもいいんだよ。




2017年3月3日金曜日

今日もお金が入った

今日もお金が入った。入ってきた。お金が入ると他人の収支報告にもやさしい気持ちになれるね。「ブログで三万円儲けたの? よかったね~~」って言える。

けどねー。つらいんだよねー。

つかれたなぁ。ほんとうーーあああ、つかれた。このつかれはどうにもならない。今日のお金はたまたまのヒットだしな。いや、いつものヒットいつものヒット。

けど、つらい。


2017年3月1日水曜日

本人にとっては、「どうでもいいこと」なのである(改)

やられたまんま歳をとって、やられたまんま!終わるのか??
他の人にとってはどうでもいいことだけどぼくにとってはどうでもいいことじゃない。つねに、最優先の課題だった。いま、ラーメン屋に行ってラーメンを食べてきたんだけど、楽しくない。あといったい、俺は、どれだけ、こういうことができるんだろう。好きな時間にぷらっとラーメン屋に行って、ラーメンを食べるということが、いつまでできるんだろう。

そういう、寝たきり生活を考えれば貴重なことなんだけど、楽しくない。やられている最中から、他人とっては、どうでもいいことなんだよな。兄貴にとっても、どうでもいいことだった。じゃあ、ゆずってくれるのかというと、一秒だってゆずってくれなかった。これ、本当にいまは「ゆずってやった」「言い分がある」みたいなことを言っているけど、一秒だってゆずるのはいやだったんだよ。で、実際にゆずらなかった。そういう毎日の繰り返しなのに……ゆずってやったとか、本当に頭がおかしい。そういう、頭で、ずっと、頑固に、なにがなんだろうが、一秒だってゆずらずに鳴らしたんだよ。だから、鳴らした。


あの、意地はない。あのこだわりはない。サイコパス兄貴よ! 自分が本当に静かにさせられそうな二ったら、どういう気持ちになったのか?おぼえてないのか。全身の力を振り絞って、はねのけて、頑固にこだわりつくしてやる……そういう態度だ。これは、親父の態度とおなじ。まわりの人が反対することを親父が、やったときの態度とおなじなんだよ。本人は自分の顔が見えないだろうけど、かお真っ赤だよ。かお真っ赤にして、目を三角にして、きちがい的な意地でやりきる。

で、そうやって、発狂してやったことは、全部やってないことに鳴っている。それから、なんて言うのかな? きちがい兄貴やきちがい親父がこだわっているのは、いわれたその時だけ!!なんだよ。これもおかしい。その時!! はねのけたら、そのあと一時間、二時間、三時間、四時間、五時間、六時間、七時間やったって、やってないことになっているし、言われてないことになっている。他の人が反対したことをやっているというつもりがまったくない。

たとえば、きちがい兄貴があのでかい音で鳴らしていたら、「鳴らすな」と言ったときだけではなくて、そのあとも、おなじ気持ちが続くんだよ。鳴っているわけだから。きちがい兄貴がこだわりつくして鳴らしているわけだから、言ったときだけ、不愉快に思っているけど、そのあと一時間、二時間、三時間、四時間、五時間、六時間、七時間鳴らしても……「相手は不愉快に思うわけがない」と思っているような態度で無視して鳴らす。

相手のことは、自分がはねのけたら、もう、眼中にないんだよ。自分がやっていることを、反対されたという「過去」がなくなってしまう。そんなのは、最初から言われてないのとおなじ気分なのである。

だから、一日に一〇回、二〇回、言われても、言われたときだけ発狂してはねのけて、あとは、鳴らしてないつもりで鳴らしている。あとは、迷惑をかけないつもりで鳴らしている。だから、相手が何回も何回も言ってきたというのがぬけてしまう。相手は、鳴っているから……実際にずっと鳴っているから、何回も言わなければならなくなるんだよ。そういうのがまったくわかってない。

言われたら、言われたときだけ、腹を立てて、言われたということをすっかり、忘れてしまう。「自分はなにも言われてない」「相手はなにも言ってこなかった」「やめろと言ってこなかった」という前提で、頑固に頑固に、ずっとそれをやり続けることができる。やっているんだから、うるさいに決まっているだろ。

そういうのが一切合切わからない。入学試験だろうがなんだろうが、わからないまま、やりきる。で、本人は「ゆずってやったつもりなんだよ。入学試験の前の日に一二時間鳴らしても、本人は「ゆずってやった」「なにも言われなかった」と思っている状態だ。だから、悪気がない。悪気がないだけで、全部の時間、こだわりつくして、こだわりのでかい音で鳴らしてた。

これは、兄貴は、自分の鳴らしている音にこだわっているから……鳴らしたいと音にこだわっているから……それ以上は、絶対に静かにしないというレベルの音があった。で、その「これ以上は絶対に静かにしない」というレベルの音が、くそっうるさい。これは、本当に物理的にうっさいわけで、きちがい兄貴が嘘だと思うなら、その音で、鳴らしてみろ。いま住んでいるところで鳴らしてみる。新しい家族にも、隣の部屋に住んでいる人にも、「うるさいから、やめてくれ」と言われるから。そういう音のでかさなんだよ。一〇分間で、我慢できずに、「やめてくれ」といわれるような音なんだよ。

そういう音で鳴らしていて、「静かにしてやった」「ゆずってやった」と思っているきちがい野郎。Mさんがどう思っていたか知らないけど、うちだからでたきんだよ。うちだから、あれだけでかい音で鳴らし続けることができた。俺は、Mさんは、「へんな音を鳴らさないで静かに手繰れ」と言いたかったと思うね。親父との関係で、がまんしちゃったんじゃないかな。あとは、お子さんは、家にいなかった感じがする。全寮制の学校に行ったんじゃないかな。ともかく、きちがい兄貴は、本当なら一〇分鳴らしただけで「やめろ」と普通の人に怒鳴られるような音で鳴らしてた。

これが事実。

自分がそういう音で鳴らしたい場合は、どんなでかい音だって、「こんなのたいした音じゃない」「こんなの静かな音だ」と思うことができるんだよ。で、一旦そう思ったら、うち!!に住んでいる限り絶対に認めないんだよ。これも、親父とまったくおなじなんだ。兄貴は、騒音にこだわる親父そのもの。兄貴は、鳴らしたい音にこだわりきって、きちがい的な意地でそれを押し通す親父そのもの。こだわる対象が違っているだけで、無視の仕方や思い込み(自分だまし)までそっくり。一度自分にそういう催眠術をかけたら、うちにいる限りは、その催眠術は解けない。

よそでは、気を遣うのに、うちでは、気を遣わない。どれだけなにを言われても、「やめろ」と何万回言われても、まったく気にしないでやっているつもりがないまま、やり続けることができる。そっちは、「どうでもいいこと」なのだろうけど、こっちは、つらいよ。で、とりあえず、いまは「どうでもいいこと」と書いたけど、どうでもいいことじゃないんだよ。本人が好きなように、全部やりきることができるなら、本人にとっては、「どうでもいいこと」なのである。
わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



人気の投稿

「公開バージョン」はもとのバージョンの一部を文脈に関係なく削除したものなので、段落と段落のつながりがおかしい場合があります。(少し不自然な場合があります)。ご了承ください。

死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。