2025年7月11日金曜日

●なんで、がんばる必要があるのか?■思霊※2025/07/11 4:48

一日に一〇個、つくるのは、むりだと言っている人に、「むりだというから、むりなんだ」「できると言えばできる」などと言い、むりなことをさせようとする。「今現在に集中すればいい」というのも、目の前の作業に集中すればいいということであり、一日に一〇つくることに集中すればいいということになってしまう。

みんな、ひとごとだから、好き勝手なことを言えるだけだ。

Aさんがブラック社長だとする。Bさんが、一日に一〇個、つくっている人だとする。Aさんは、ほんとうは、一日に三個しか作ることができない。しかも、その三個というのが、かろうじて基準を満たすものなのだ。たとえば、一〇〇点満点中五〇点以上が、合格だとする。そうすると、Aさんがつくるのは、みんな、五〇点台の製品(商品になるもの)なのである。Bさんは、一日に一〇個、つくることができる。

しかも、一〇個とも、九〇点台をたたき出す出来栄えなのだ。

しかし、そんなBさんも、一日に一〇個、つくるのは、くるしいと感じているのである。むりをしてつくっている。Bさんの考えでは、一日に七個、つくるのがちょうどいいのである。七個なら、毎日続けることができるのである。

しかし、一〇個、つくるのは、むりだと感じているのである。だから、七個にしようと言っているのに、強欲なブラック社長が「できると言えばできる」などと言って、Bさんに、一〇個作らせようとする。

それじゃあ、ブラック社長が「できる」と言って、一〇個つくれるかと言うと、じつは、つくれないのである。四個もむりなのである。言ったって、できないのである。

しかし、社長なので、そんな作業はやらない。Bさんの仕事だから、Bさんがやればいいと思っている。「できる」と言えばできるのであれば、ブラック社長がやればいいのである。

さらに、言霊理論が正しいなら、「一日に一〇〇〇〇個、この製品が、できあがる」と言えば、「一日に一〇〇〇〇個、この製品が、できあがる」のである。

別に、Bさんが作業をする必要もない。

ブラック社長は、言霊主義者だけど、言霊の力なんてぜんぜん信じていないのだ。

「明るいことを思えば明るいことが起こる」と言うのであれば、「今日から、一日に一〇〇〇〇個、この製品が、できあがる」と、明るいことを思えば、その通りになるのである。その通りになるのである。思ったことが現実化するのである。

だったら、「今日から、一日に一〇〇〇〇個、この製品が、できあがる」と思えばいいだけだということになる。

別に、希望をもって、がんばらなくてもいいのである。思うだけで、思った通りになるのだ。なんで、がんばる必要があるのか?

言霊主義者は、自分の現実的なことに関しては、言霊なんてぜんぜん信じていないし、思霊主義者は、自分の現実的なことに関しては、思霊なんてぜんぜん信じていないのだ。

ところが、言霊主義者も思霊主義者も、「ぜんぜん信じていない」ということが、わかってない。

言霊主義者も思霊主義者も、希望を持って頑張ればいいと言っているだけなのである。ところが、希望を持ってがんばっている状態が、くるしい場合は、くるしい状態が続いてしまうのである。

*     *     *

Bさんが、むりをして、うつ病になったら、自己責任論者は、「そんなのは、自己責任」と言うのである。言霊主義者であって、思霊主義者であって、自己責任論者である人は、「できると言えばできる」「できると思えばできる」と圧力をかけるのである。

他人事であれば、言うのは気楽だ。

そして、その対象となる人が、つぶれたら、「そんなのは自己責任」と手のひらを返して言うのである。

もう、これが、あたりまえになっている。日本では、もう、ずっと前から、これがあたりまえになっている。 

「できると言えばできる」というような言葉は、いちおう、ポジティブな言葉だ。明るい言葉なのである。

じゃあ、それが、もたらすものはなんなのかということを、言霊主義者は考えない。言霊主義者だけではなく、スピリチュアリズムにこっている人は、考えない。

俺がなにを言っても「単純なのが正しい」「アバウトでいいんだ」と言って、まるで、考えないのである。

ポジティブな言葉がネガティブな状態をつくりだすことだってあるのだ。他人事だと、ぜんぜんわからなくなるみたいなのだけど、自分のことである場合は、むしろ、積極的に、自分が普段言っているスピリチュアリズム的な言葉を、ガン無視しているのである。

そして、ガン無視していることに、まったく気がつかない。

そういう人が増えると、社会がより悪くなるのである。悪魔が好むような社会になってしまうのである。

思いやりがない、殺伐とした社会になってしまうのである。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。