2017年6月30日金曜日

俺の人生、それだけになっちゃったよ。

いま、歯磨き中。

ある程度(体力的に)よゆうがあるから、釜の中のごはんをはらって、釜飯でも作るかな。

初恋の人は、いま、なにをしているのかな?

ヘビメタ騒音で本当すべてが、きつかった。それだけ。
俺の人生、それだけになっちゃったよ。

俺がどんだけ、愚痴を言わないでたえてきたと思っているんだ?



2017年6月29日木曜日

あそこは、いつもうるさい

むかしの北側のとなりの人のことが気になるんだよな。あれ、やっぱり、きちがい兄貴の騒音が相当に気になっていたのではないかと思う。いつも、雨戸を閉めていたし、「あそこは、いつもうるさい」といった感じで、見つめていたことがあるんだよな。すぐに、雨戸を閉めたけど。けど、お子さんはたぶん、全寮制の学校に通っているか、すでに成人していて家を出ていて、滅多に家になかったのではないかと思う。おばさんは家にいたはずなんだよ。だから、絶対にうるさいと思っていたと思う。北側の人は道路のことについて、所有者ともめごとを抱えていて、「うち」とはあらそいたくなかったのではないかと思う。あとは、これは、どちら側の人が関わっているのかわからないけど、エレキギターではなくて、ドラムを鳴らす息子の親が相談に来たことがある。このドラムを鳴らす息子というのは、けっこう離れていたところにある家の子供で、町内会の範囲が違う。だから、そこまで、兄貴のヘビメタの音が聞こえていたわけではない。どちら側かわからないけど、「うち」の近くの人が、その息子の親とつきあいがあって、そういうことを言ったのではないかと思う。この時点で、兄貴は、まだヘビメタを鳴らしていて、問題が片付いていなかった。お母さんも、しらばっくれちゃって……。事なかれ主義というか……。片付いてないのだから、片付いてないといって、いっしょにその問題について考えればいいのに。お母さんもお母さんで、世間の人とはまったく違う思考回路なんだよな。ちなみに、問題が片付いてない状態でも、ヘビメタを鳴らす時間というのは、きちがい兄貴の都合でかわる。これは、たとえば、兄貴が高校生のときと大学生のときとでは違うという意味で違う。きちがい兄貴は、一浪して、夜学に入ったんだよ。で、夜学だから、ちゃんと通えば、土曜と日曜はぬかして、そんなに鳴ってない日が続くはずだった。しかし、きちがい兄貴がパンチコ屋でノートを盗まれてから、あんまり大学に行かなくなった。で、「本当に大学に行ってんのかよ?」と言いたくなるほど、授業がある時間にうちにいて、きちがいヘビメタを大音響で鳴らしていた。ノートを盗まれるまでの短い期間をぬかして、兄貴が高校生のときとたいしてかわらない時間鳴っていた。さらに、大学はいわゆる夏休みと冬休みが長くて、その期間も鳴っていた。きちがい兄貴は、アルバイトだけはしてたんだけど、アルバイトから返ってきたら、ドカスカ鳴らすという状態がずっと四年間続いた。土日は、ほとんどすべての時間ずっと鳴っている状態でくるしかった。けっきょく、(兄貴が)高校生のときとたいして変わらない状態なんだよな。

2017年6月28日水曜日

いつも、ここに書いたようなことが頭の中をまわっている

ローヤルゼリーを飲んで落ち着いたところ。コラーゲンとグリソディンも飲んでおいた。

考えとしてはやはり、ヘビメタ騒音と兄貴の態度なんだよな。これが、負の感情を生み出す。体のだるさは、当時の体のだるさとおなじなんだよな。やっぱり、睡眠が関わっているような気がする。

いつも、ここに書いたようなことが頭の中をまわっている。それは、たとえば、どこかに行く前、いろいろな用意をしているときもそうだし、門をくぐるときもそうだし、門を出て歩き始めたときもそうだし、いつもの道を歩いているときもそうだし、駅の階段をのぼっているときもそうだし、電車を待っているときもそうだし、電車の中にいるときもそうだ。全部おなじ雰囲気。ヘビメタ騒音で、くるしいときのまま。

2017年6月27日火曜日

ダイヤ君がいなかったら、ぼくはとっくに死んでいただろう。本当に感謝している。

つかれた。うん。つかれた。
ストリートナンパのサイトをみていた。これは、別にストリートナンパをするために、ではない。元気な人はいいなぁ~~~~と思ったよ。

ヘビメタ騒音がくるしかった。ナンパなんかしなくても、あっちからよってきたのだから、ヘビメタ騒音でくるしくてもつきあっておけばよかったなと思った。

けど、つかれたな。

足首はだいぶ良くなった。

つかれた。

おさいぽで、支払いの設定をした。WebMoneyが使えたので良かった。
けど、つかれた。

どうするかな?

つかれたな~~

もう、本当につかれた。やっぱり、だめだ。このつかれはやばい。今日はまだ起きたばかりなのに……。

やはり、一日の中でできることがすくない。すぐにつかれてしまう。これをどうにかしなければならないけど、どうにもできないから困っている。

まあ、ここはネガティブなことを書いてもいいページなので、書こう。つかれたとか。俺はやっぱり、そういうことを言いながらじゃないと、たえられない。どうしても、言いながらじゃないと無理だ。ヘビメタ騒音やられていたとき、俺は、ヘビメタ騒音のことは他の人に言わないでたえてきた。そういう期間も長いのである。まあ、親友にだけ、言っていた。親友には迷惑をかけたと思う。ダイヤ君がいなかったら、ぼくはとっくに死んでいただろう。本当に感謝している。

無職に対して偏見がある人に、わざわざ、無職ですと自己紹介するような問題

新しいサイトでヘビメタ騒音のことを言うかどうか迷う。すごく迷っている。これ、どうしたものかな? ヘビメタ騒音のことはものすごく重要なんだけど、ヘビメタ騒音のことを言うと、拒否反応を示す人たちがいて、問題がある。(しかし、自己紹介となると、どうしても、ヘビメタ騒音のことについて言っておかなければならない気持ちになるので、どうしようか迷っている)

前にも書いたけど、自己紹介をどうするかというのがものすごく問題なんだよね。そして、そういう問題がヘビメタ騒音一四年間で、生じてしまったということ自体がある種の葛藤を引き起こす。(ふがいないとか、そういう気持ちももちろんある。

ヘビメタ騒音のことについて触れるのがどうしてまずいのかというと、これは、たとえば、無職に対して偏見がある人に、わざわざ、無職ですと自己紹介するような問題があるのだ。

無職に関しても、自分としては、毎日あれだけ長い時間ヘビメタ騒音にさらされ続ければ、だれもが、無職になるのだから!なにもはずかしいことはないと思っている。しかし、無職に対して偏見がある人は、理由を問わず無職に対して偏見があるので、人間関係上の問題が生じる。

いまは、たとえば、三〇代、四〇代でフリーターと言っても、そんなには問題が生じなだろうけど、フリーターを無職と見なしている人もいるので、そういう人とは、フリーターであっても問題が生じる。

相手の状況に関しては、それほど深く考えないので、第一印象が強烈に重要なのだ。その場合、相手の中のカテゴリーが重要なわけで、本人にとっての事情や、本人にとってのカテゴリーわけはそんな重要じゃない。相手が、ある属性に対してどう思っているかということが重要だからだ。相手がどういうカテゴリーわけをしているかということと、カテゴリーに属している他者に対してどういう偏見(気持ち)を持っているかというのが重要なのだ。だから、そもそも、カテゴリーわけや、カテゴリーに属している他者に対してどういう偏見(気持ち)をもってるかは、人によってかなり違う。

この、「気持ち」は、その人の持っている基本的な考え方に根ざしたものなので、ちょっとあっただけの人間が、ちょっとした会話の中でかえるというのは、むずかしい。ちょっと会っただけの人間に関しては、その人の持っている基本的な考え方によって「解釈される」。なので、あなたが言う新しい情報やあなたがその人の前で見せる(その人にとっては)新しい行動も、基本的な考え方によって、解釈される。なので、あなたが無職だとすると、その人にとっては、あなたが言っていることが「無職らしい発言」だと思えるし、あなたの行動は「無職らしい」行動にみえるのである。

というわけで、無職に偏見がある人に、「無職です」と自己紹介してしまうことは、あまり良いことではない。で、リアルな世界でもそうなのだけど、非リアルな世界においてもそうだ。

ぼくはいま現在無職とは言えないから、無職問題はよいのだけど、ヘビメタ騒音関係のことは、片付いたとは言えないので、迷っている。無職だと言えないにしても、「無職歴が長い」ということについて偏見を持っている人がいるかもしれない。そして、そういう他者は、案外多いかもしれない。(これも、本当は、ちゃんと調べたいのだけど、ちゃんとした調査ができないんだよ。いまのぼくには。)

ヘビメタ騒音のことを「出すか」「出さないか」でものすごく迷っている。

   *     *     *

それと、たとえば、知的障害者に偏見がない(と少なくても本人が思っている人の場合でも)、無職には猛烈な偏見があるという場合がある。精神障害者に偏見がない(と少なくても本人が思っている人の場合でも)無職には猛烈な偏見がある場合がある。そういう人もいる。

フリーターに関してもそうだ。フリーターは働いているのだから、無職ではないと考える人もいるし、「ちゃんと働いてない」「責任のある仕事をしてない」と考える人もいる。そういう区分けは人によって違う。で、これは、本人にとってはなじみがあるものだから、他の人のちょっとした意見では、考え方をかえない。本人が、たとえば、無職になってしまうというような経験をすれば、かわる場合もある。しかし、他の人の意見では、そういう基本的な考え方はあまりかわらないと考えておくのが適切だろう。


2017年6月26日月曜日

買い物に行って、ご飯を買ってもなにもかわることはない

起きた。けっこうくるしい。あ~~あ、買い物に行くか。あ~~あ、つまんない。夏を乗り越えられるのだろうか?

寝不足状態?のときは死にたくなる。けど、死なないけどね。いや~、あの雰囲気がいやだという、それだけの話しだ。ヘビメタ騒音の日中の雰囲気、そのものだ。

買い物に行って、ご飯を買ってもなにもかわることはない。


ヘビメタ騒音の結果、俺の身体に発生したことについて、俺が悪く言われるのは絶対におかしい。悪く言っているやつらだって、おなじ時間、おなじ音量で鳴らされ続ければ、絶対にそうなる。俺がちゃんと説明しているのに、それがわからないというやつらは、頭が悪すぎる。

俺は、何回も話しかけたからな。無視しやがって

ちょっと部屋片付けをしていた。整理だけなので音は出ない。
俺がこっちの人に気を遣っていても、なんていうのかな、あっちのひとと別のあっちの人は、猛烈に音を出すからな。もちろん、日中だけど。



しかし、とことん、ヘビメタ騒音でめちゃくちゃだ。片付けながらそう思った。ヘビメタ騒音という患部があると、どうしても、患部を見られたくないというような感じになってしまう。患部というか、弱みというか弱点というか。汚点というか。スティグマというか。けど、なんて言うのかな、俺が悪いわけじゃないんだよな。不可避的に体調が悪くなって、不可避的に、反応が遅くなるわけだから。反応が遅いというよりも、そもそも、ヘビメタ騒音で眠れなくて、だるくてだるくて、反応を返したくない。けど、ヘビメタ騒音のことを隠して……多くの友達には隠して、六年間ぐらいはうまくやってたんだよな。しかし、やはり、ヘビメタがくるしい。いい人であったとしても、やはり、ヘビメタ騒音を巡る対立があった。これ、言いがたいのだけど、前に説明した。ケイ君にしても、ケイケイ君にしても。本当、ヘビメタ騒音でくるしい。ヘビメタ騒音が弱点になってしまう。そして、前の日のヘビメタ騒音の影響で、徹夜明けのような体力、反応速度、態度になってしまう。前の日のヘビメタ騒音の影響と言ったけど、前の前の日もある。一二〇〇日前のヘビメタ騒音の影響もある。ずっと、そういうのがとれずに毎日積み重なっていく。日曜日なんて、悲惨なんだから。月曜日の苦しさよ。きちがい兄貴はシランプリで鳴らしているわけだけど、鳴らしてた。これ、バカらしい話しだけど、シランプリで鳴らしていれば、本人の中では、まるで鳴らしてないのとおなじなのである。まったく鳴らしてないのとおなじ気持ちで、ずっと、頑固に鳴らす。そういうふうなところで、親父のように「調子がいい」。親父のようにすっとぼけて、まるでぜんぜん自分が関わり合いがない気分でいるんだよな。きちがい兄貴がやっていることで困っているのに。そして、それについて、何回も何回も……トータルで何万回も言っているのに。

さっき、七時台の話しをしたけど、あれは、本当は続きがある。きちがい兄貴が一階の部屋にいるときは、唯一、ヘビメタが鳴ってない時間帯だ。だから、ヘビメタが鳴ってないときに、兄貴にヘビメタをやめてくれと言うとなると、この時間帯に話しかけるしかない。俺は、何回も話しかけたからな。無視しやがって。きちがい親父のように無視してやがって。無視したと言うことも、「特につもりがないこと」になっていてるらしい。時間が経てば、「そんなんじゃないそんなんじゃない」と言い出す。ともかく、自分のヘビメタ騒音が制限されるような話しは、頑固に無視した。絶対に口を利かなかった。そういう人間なんだよ。これ、よその人の前だとまるでそういう人間じゃないようなふりをして、「そんなんじゃない。そんなんじゃない。ぜんぜん知らなかった」「話しかけてこなかった」と言いやがるんだよ。そういうふう言っている時は、親父とおなじで、嘘をついているつもりがない。本当にそう思っていっているわけ。けど、うちにいて、「ヘビメタ騒音をやめてくれ」「ヘッドホンをして鳴らしてくれ」「静かにしてくれ」と言われたら、中間試験期間中、あるいは期末試験期間中だろうが入学試験直前だろうが、頑固に無視して、一切合切口を利かない。ずーーっと何年間も何年間もそういう態度で毎日暮らしてきた。それなのに、きちがい兄貴本人がわかってない。「そんなんじゃない」つもりでいる。どれだけの嘘なんだよ。逆に言えば、そういう態度で、鳴らしてた。頑固さがおなじ。「そんなんじゃない」と否定するときの頑固さと、ヘビメタ騒音をやめてくれと言われたときの頑固さがおなじ。

2017年6月25日日曜日

ヘビメタ騒音のハンディで、すべてがくるしくなる。

朝の九時頃から寝て、いま起きた。
だいたい、午後の六時四〇分ぐらい。
起きたので起きたという報告。

世界は変わらないな~~
あたりまえだけど。

いま、世界を変えるために洗濯中
じゃなくて、変わらない世界を維持するために洗濯中

変わらない世界を維持するのもたいへん。洗濯をやめれば、どうにかなるというわけじゃないしな。悪い方向にしか変化しない。

殺人ヘビメタ騒音で終わってた。どうやったって、終わりだ。あの時くるしかったな。本当にくるしかったな。どれだけくるしかったか。ヘビメタ騒音のハンディで、すべてがくるしくなる。

ヘビメタ騒音が鳴っている感じがする。日曜日の午後七時。これ、ヘビメタ騒音が鳴っている雰囲気だ。どれだけ、やめろと言っても、本人がご飯を食べるために一階に降りていくまでやめない。だいたい午後七時一〇分ぐらいにやめるんだよ。そのあと、七時四〇分からはじまる。だから、この三〇分は、ヘビメタが鳴ってない唯一の時間(帯)なので、一階でいっしょにご飯を食べるなんてことはできない。

使い分けているつもりがないというのが最大の問題

けっきょく、俺がつまらない。

海外旅行でも行くかな。それで、楽しくなるとは到底思えないけど、なんかもう、どうでもいいや。節約生活には飽きた。もう、いいよ。何歳まで生きるつもりなんだって話しだ。もう、つかれた。もう、いいよ。英語なんてどうでもいいや。ほか、いろいろな金儲け、どうでもいい。金儲けの方法はいくつかはある。けど、売れなきゃ売れないでいいいや。全部、めんどい。

どーでもいいや。けっきょく、たいしたことにならなかったな。ぼくの人生は失敗だった。きちがいヘビメタが三日で、鳴りやまなければ、無理。無理だ。無理だったんだ。鳴っていても、どうにかなると思ってがんばって生きてきたけど、むだだった。

どうにかなるわけがなかった。あれだけ毎日、すべての時間、鳴っている状態だとどうしても、不可避的につかれる。翌日もつかれる。その日も破滅的につかれる。たまった。

まるまる荘に出たとき、ダイヤに「いまは、鳴ってないのだからどうにかなるでしょ」みたいなことを言われたけど、まるまるそうに出たときも、帰れば鳴っていた。飯代を浮かせるために帰って食べなければならなかった。そして、その時間いつも鳴ってた。食べているあいだじゅう、ずっときちがい兄貴のヘビメタが鳴っていた。だから、別に鳴ってないわけじゃない。

それから、まるまる荘に出たときは、ヘビメタ騒音歴一〇年目なんだけど、一〇年のうちに、たまった。たまりすぎ。無理。どうしたって無理なんだ。この「たまったもの」にかんしては、他の人は、本当にまったくわからない。そういうことにかんする認知の差もでかかったんだよな。ぼくとダイヤで……。

あるいは、ぼくとぼく以外のひとで。

いまだって、そうだろ。「いま、鳴ってないのだから、どうにかなるはずだ」という人がいる。けど、ちがうんだよな。そういうふうに言っている人だって、実際に一〇年間毎日……本当に毎日……ずっとずっとやられ続ければわかる。からだでわかる。そんなもんじゃないんだって。けど、経験してない人は、絶対にわからない。

ハンダゴテ事件の時、兄貴は「父親にちゃんと説明すればわかるはずだ。おまえの説明が悪かったんだろ」と技術科の教師に、言われたわけなんだけど、それは、技術科の教師が父親の性格についてわかってないだけだ。父親の「うち」での!!!!!!状態についてわかってないだけだ。本当に、うちの人間に囲まれた場合とよその人が一人でもいる場合とでは、親父はちがう。使い分けているつもりはないのだろうけど、ちがう。

で、使い分けているつもりがないというのが最大の問題だ。嫌がらせで、知っているけどそうしているというほうが、ずっと小さな問題なんだよ。これも、わかってないやつはわかってないんだろうけど。本当に、催眠術にかかったように、否定して、気違い的な考えにこだわり続ける。絶対の意地で自分の言い分を通す。普通に、言葉が通じるのであれば、絶対に「ひとこと」でわかることが、通じない。そういう状態になる。これは、親父の話だけど、兄貴の場合もおなじなんだよ。

一切合切認めないでやるけど、やったつもりが生じてない……らしい。頭がおかしいレベルで認知の差がある。気違い的な意地で頑固にやったことは、全部やってないのとおなじことなのである。そういう、頭がおかしいとしかいいようがない構造がある。

で、そういう構造がある以上、「悪意もなく」自分の意地を押し通して、迷惑行為を続けることができる。本人は、頑固にすべての時間やり通して、まったくやったつもりがない。どれだけ、でかい音で鳴らしても、本人が「こんなのは小さな音だ」と思えば、本人の中では普通の音であるらしく、「大きな音で鳴らした」という認知がしょうじないのである。

で、それは、親父とおなじように、どれだけ何回、指摘されても、わからないままなんだよ。だから、一日目と三万一回目の態度がおなじ。三万二回言われたって、一切合切態度が変わらない。認識が変わらない。

でかい音で鳴らしているということを言われても、本人が認めなければ、本人の中では、「小さな音」なのである。じゃあ、いま住んでいるところで、その「小さな音」で鳴らせるのかというと、一分だって鳴らせない。だから、その小さな音がでかい音だということは、知っているはずなんだよ。

けど、知っているはずだということを説明されても、きちがい親父とおなじように、すっとぼけた態度のまま……だ。どれだけ言われても認めないし、き・が・つ・か・な・い。

だから、こっちが困る。やられっぱなしでこっちが困る。「うちでは!!!」それがあたりまえなんだよ。

だから、頑固にやっているやつは、まったくやってないつもりで、頑固にやり切る。で、当然責任がしょうじているとは思ってない。責任どころか、関わりが生じているということ自体が、まったくわかってない。

それは、否認すればそれでおしまいなのである。「やったってやってない」ということになる。そうやって、怒っておしけたら、本人の中では「終わっている」から、そういうふうに認めないで、押し切った……そういう話しあいがあったということすら、なかったことになってしまうのである。

だから、次の日も、知らずに!!!迷惑行為を自分が好きな分だけやることができるのである。これも、「やたってやってない」ということになっているらしく、前の日、さんざんやめろと言われたことをやっているという「つもり」がしょうじないのである。そうやって毎日、既成事実を作り上げていく。強制的に押し付けてくる。けど、押し付けたつもりなんてまったくないのである。

本当に全部の日がヘビメタ騒音でメチャクチャな日だ。

拭き掃除とかしてたけど納得、いかない。
納得がいかない。別に拭き掃除のことは関係がない。納得がいかないのはヘビメタのことだ。納得がいかないのはぼくの人生だ。

これもう……。本当に全部の日がヘビメタ騒音でメチャクチャな日だ。



2017年6月24日土曜日

人はどうして働かなくてもいいか?(飢餓陣営の人たちへ)

無職だということを看板に掲げて会った人のうち、悪い意味で、俺が無職だということを気にした人たちのほうが、圧倒的に数が多い。悪い意味で無職だということを気にしなかった人たちにしても、期間限定の話しだ。「いまは、無職だけど、そのうち働くのだから、良いのではないか」というような話になる。

「男は働かなければならない」という強い強い観念を持っているのである。この観念は「偏見」とも言える。まあ、常識的な価値観とも言えるのだけど、特に根拠がない偏見であることには違いがない。

その人たちの中では、働いていた人が定年退職して、無職になった場合は、無職でも無職ではないというような価値観もある。要するに、限定付きなのである。そんなの、言わずもがなの「常識」。哲学的な思考になれてない人なら、そうであってもいいけど、哲学的な思考になれている人も、そういう常識の枠の外には出ていなかった。出ていない人が多かった。そういう「労働観」が、とくに、根拠のない、文化に規定されただけの労働観だということに気がついてない。

宗教の場合は「うちどめ」がある。宗教ごとに採用する観念はちがうのだけど、「うちどめ」がある。これは、特に根拠もなく決め付けてしまうということだ。確定なのである。『人の生きる意味』『死後の世界』などについて、本当は、特に根拠はないのだけど、「これはこうだ」と決め付けてしまう。哲学は、そういうリミットをはずしたところにある。どこまでも、「とりあえずの話し」なのである。

ならば、日本の労働観にしたがって、「労働そのもの」「労働自体」「働くということ自体について考えるということ」は、宗教のように事前に打ち止めをつくっておいて、結論を出すと言うことなのである。こんなのは、哲学的な態度じゃない。

   *     *     *

「人はどうして働かなくてもいいか?」というタイトルにしようかな?





一度は日本の労働観を相対化しておく必要がある。

俺が無職中にあって、悪い意味で無職だということにこだわったやつらの発言なんてどうでもいい。けど、理論的にたたきのめしてやりたい気持ちがあるけどな。まあ、それは、『無職の現象学』ですでにやったことだから、いいや。

けど、そういう常識的な人のほうが多いからな。『働くとはなにか』ということについて、本当に深く考えるひとなんて、そんなにいない。哲学的な人たちも、そういうところでは、ものすごく常識的で、常識の範囲内でしか考えてない。

日本のいまの文化を相対化しないとだめだろ。日本の労働観を相対化しなければならないだろう。

なぜなら、『働く』ということは、文化によって規定されるけど、文化そのものが多様なのだから、文化に影響されない、本質的な意味での『働く』ということについて考えるなら、どうしても、一度は日本の労働観を相対化しておく必要があるからだ。

   *     *     *

ATOK2013だと、労働観という単語ですら、登録しなければならなくなった。まったく残念なことだ。昔のATOKは良かったな~~

本来のぼくではない、騒音で疲れ切った過労死寸前のぼく

寝たら、ちょっと良くなった。

あ~~、昼間の絶望的な雰囲気とはちがって、なんとかなりそうな雰囲気になった。

やっぱり、睡眠がでかいんだな。

けど、「このさきどうするか?」という問題は、いまだにある。問題がなくなったわけじゃない。けど、考えることがちがうよな。寝不足で起きているときは、最悪。ぼくは、そういう生活をずいぶんと繰り返したから、なんて言うのかな、そういう雰囲気が似たような寝不足のときに復活してしまう。どうしても、そういう「モード」になる。

「そういう生活をずいぶんと繰り返してたから」と書いたけど、これは、もちろん、ヘビメタ騒音生活のことだ。きちがい兄貴が「うち」にいるあいだは、ずっと鳴らしているわけで、そういう状態だと不可避的に睡眠不足状態になる。

その「態」で、ずっと暮らしてきたわけで、別人のように能力が落ちている状態、別人のように怒りやすい状態、別人のように楽しく反応できない状態が、ノーマルな状態ということになる。

他の人がぼくを見ているとき、他の人はヘビメタ騒音に一年間、二年間、三年間、四年間、五年間、六年間、七年間、八年間、九年間、一〇年間やられている状態のぼくを見ているということになる。一〇年間のつきあいがある親友は、一〇年間の「本来のぼくでない、汚染されたぼく」を見ていることになる。本当に、いろいろと心配してくれたんだよ。自分のことのように心配してくれた。つねに、気にかけてくれた。「事情」を知っているから。

けど、一一年間、一二年間、一三年間と続くと、そういう大切な人とも、不可避的に、うまくいかなくなるんだよな。それは、他の人にはわからないだろうけど、気違い的にでかいヘビメタ騒音を、日中、ずっと聞かされると、夜、眠れなくなるということとおなじように、不可避的なことなんだ。

この、「不可避的なことだ」ということに関して、やはり、よく事情を知らない他の人と、言い合いになるわけだ。そりゃ、立場がものを言っているから。ぼくとおなじようにヘビメタ騒音を一四年と数ヶ月間経験したことがない人は……ほとんどすべての人だけど……ヘビメタ騒音を一四年と数ヶ月間経験したことがない人は、どうしても、「不可避的なことだ」ということがわからない。経験としてわからない。

やられれば、六ヶ月ぐらいでわかると思うけど、やられてないから、わからない。それから、別人のように楽しく反応ができない状態と書いたけど、だれだって、過労死寸前の状態だと……あるいは、過労死にいたる第二段階あたりの状態だと……普通に反応することができなくなる。

ヘビメタ騒音というのは、そういう病なんだよな。一日徹夜しただけで、日中、反応が遅くなるだろ。なにか言われても、「どうでもいいや」みたいな投げやりな反応しかできない状態になるだろ。これ、切羽詰まった状態でそうなる。まるで、水の中にいるように、動きが遅くなる。

まあ、一日の徹夜では、そんなふうにはならないか。ともかく、徹夜が何千日も続いている状態なんだよ。それで、くるしい。

ヘビメタ騒音というと、「音」の問題だと思われるけど、実は、そういう身体の問題なんだよな。まあ、たとえば、誰かがジョークを言ったときに、普通の状態であれば「おもしろい!」とすぐに反応できるんだけど、徹夜が数百日、数千日続いた状態だと、うまく反応ができない。

つまらないわけだから。それから、「今日も帰ったら騒音が続く」という不安と怒りがこころに重くのしかかっていて……言葉で表すと……「それどころじゃない」というような気持にもなる。

気持というか……なんて言うか?……状態?がある。それから、反応をするのがめんどうくさいというような気持というもある。めんどうくさいというのも、特にそう思っているわけではないのだけど、疲れがたまっていて、しんどくて、どうしても、腰があがらないというような状態になっている。

特にそう思っているわけではないというのは、騒音で徹夜が続いている状態で、頭に霞がかかっているような状態で、反応を返すまでに、時間がかかるということだ。もっと言えば、めんどうくさくて、からだがだるくて、反応を返したくもない……というような感じになっている。

それは、意図して、そう思っているわけではなくて、……からだの状態として「そうなっている」。反応を返すこと自体が、しんどいのである。

で、つねに毎日そういう状態だと、当然、他の人とうまくやっていけなくなる。もっとも、ぼくは、なんとか中学と、高校は持たせたんだけど、それでも、なんて言うのかな……本来のぼくではない……ヘビメタ騒音による徹夜が数千日も続いて、反応が遅くなっているぼくなのだ。過労で、「別人化」が進んでいる状態だ。本来のぼくではない、騒音で疲れ切った過労死寸前のぼくなのだ。

2017年6月23日金曜日

「やってないつもり」のまま、意地を張ってやり続ける

なんか、うまくいかないな~~
明日、土曜か。

いつまで、俺は、こんなことを~~~?
いつまで、俺は、こんなことをしているのだろう?

命燃え尽きるまで……。

本当、つまんない人生になっちゃったな。
兄貴のヘビメタ騒音が重すぎる。
兄貴のヘビメタ騒音が長すぎる。
一日の中でも長すぎるし、一生の中でも長すぎる。
本当、一日の中で長すぎて、「やっと終わった」と感じたときには、もう、身もこころも疲れ果ててどうにもならない状態になっている。それの、繰り返しだからな。朝、どんな気持ちになると思っているんだよ。深夜、俺がどういう気持で起きていると思っているんだよ。眠れずに、起きていると思っているんだよ? 日中、あるいは、夜寝る時間の近くまできちがいヘビメタをずっと鳴らされると、崩壊的につかれて眠たいのに、眠れないという状態になってしまう。あれが地獄なんだよな。そして、次の日の朝が地獄だ。地獄続き。何千日もあんな状態を繰り返していいわけがないだろ。気違いだから、まったくわかってない。きちがい兄貴は気違いだからまったくわかってない。
なにもやってないつもりでいる。親父とおなじなんだよな。俄然意地になって、毎日毎日、やっていることが、「ぜんぜんやってないこと」になっている。「ぜんぜんやってない」つもりのままでいる。どれだけ言われても、その「つもり」がこわれない。「やってないつもり」のまま、意地を張ってやり続ける。逆上してやり続ける。こだわりつくしてやり続ける。けど、そういうふうに意地になってやったことは、特にやってないことになっているんだよな。きちがい兄貴の中で。きちがい親父とおなじように。

殺さないと、「やってないつもり」のまま、意地を張ってやり続けるという状態がわからない。ずっと突きつけられる。やられた方に堆積していく。

   *     *     *

きちがい兄貴と書いておいて、あとで、きちがいをとる。
気違いに関しては、そのまま残す。

2017年6月22日木曜日

。どれだけいい人でも、どれだけ心配してくれる人でも、くるしい

いま、幼稚園児がぎゃーぎゃーでかい声をあげてさわいでいる。けど、この程度の騒音は問題ではない。幼稚園の横に住んだことがある人ならわかると思うけど相当にうるさい。けど、べつに、だからと言って、幼稚園児がうるさいから勉強ができないということは言わない。実際、この程度の叫び声なら、勉強ぐらいできるからな。けど、ヘビメタ騒音はちがう。至近距離の、きちがい兄貴の、ヘビメタ騒音はちがう。音の質がちがうし、音の密度もちがう。そしてなによりも、音のでかさがちがう。あの音のでかさで、やられたら、だれもが勉強できないと思う。しかし、そういうヘビメタ騒音を経験したことがない人が言う。「ヘビメタ騒音で勉強ができないなんていいわけだ」「ヘビメタ騒音で遅刻してしまうなんていうのはいいわけだ」「騒音なんて、俺だってある」……この人たちは、うちの!!!ヘビメタ騒音を経験したことがない人たちだ。※ぜーーーぜんちがうんだよな~~※。ぜんぜん違う。どうしてそれがわからない? いくら、うちの!!!きちがい兄貴の!!!至近距離の!!ヘビメタ騒音を経験したことがない人でも、文章を読めば、違いぐらいわかりそうなもんなんだけどな。こういう「わからない人」たちを相手にしなければならないのは、屈辱的なことだ。きちがい兄貴が、普通の人になって普通の人のように静かにしてくれればそれで済むわけなんだよ。当時ずっと、済まなかったわけで、それが問題だ。

連続はこたえるよ。毎日連続はこたえるよ。それが、六年間、七年間、八年間、九年間続いていたら、こたえるよ。人生がまったくなくなってしまうほどこたえるよ。そして、昨日書いた「楽しい楽しい」と言っていれば楽しくなると言う人たちとも仲が悪くなるということだけど……これは、きちがい兄貴が気違い的な意地で毎日毎日連続して鳴らしていると、そうなる。必然的にそうなる。どれだけ「楽しい楽しい」と言ったって、くるしい。一日七時間から一四時間のヘビメタ騒音で、鳴っている最中もくるしいけど、他の人と会っている日中の時間も、激しくくるしい。何千日そういうことを繰り返したか。これもくるしい。どれだけいい人でも、どれだけ心配してくれる人でも、くるしい。積み重なっていくんだよな。

俺は、いま現在、起きているけど本当は寝ている時間だ。郵便物で起こされただけだ。本当なら、寝ている時間。午後一時なんだけどさ。そして、午後一時に起きたときの、この雰囲気が、たまらん。これが、ぼくの生きてきた世界だ。どうしてもくるしい。無意味。

これ、本当、きちがい兄貴は気がついてないけど、きちがい兄貴は「いま住んでいるマンション」でヘビメタを一秒も鳴らせないわけだからさ……。本当は、自分が鳴らしていた音がでかいということを知っているんだよ。これ、本当に、親父との関係で、親父のように……まるで親父のように……自分は「うち」では、ヘビメタをどれだけ鳴らしたっていい……と決め付けてしまったんだよな。一度、無意識的に決め付けたら、どれだけなにを言われても、自分がやりたいようにやる。自分がやりたいやり方で押し通す。絶対に、言うことを聞かない。

   *     *     *
せめて一〇〇〇日で、完全に鳴りやんだら……。こんなことになってない。三〇〇日で終わっているか? ぜっっっっったたたたたたいいいいに、やめなかったんだよな。一秒も!!!

しかし、長すぎる。本当に全部だもんな。土曜も日曜も祭日も。なんとか休みも。家にいればかならず、ずっときちがいヘビメタを爆音で鳴らしていた。(こっちが)「やめろ」と言って、一分間中断してくれることがない。けっきょく、その日、全部やる。全部の可能な時間、ドカスカ鳴らす。それが、毎日毎日ずっと続いてみろ。どれだけ体力がある人でも、体力がなくなくなっちゃうよ。続きすぎた。長い。三〇〇〇日目、どういう態度で鳴らしてたと思っているんだよ。三六五〇日目、どういう態度で鳴らし続けていたと思っているんだよ??? 兄貴!!! おまえ!!! 本当に、長すぎる。

   *     *     *

この、雰囲気。
数千日も繰り返された雰囲気は、きえない。

ずっと数万日、ヘビメタ騒音の、朝の、雰囲気だ。

「死ぬかっ」って話になっちゃうよな。どうしても。

本当、ヘビメタ騒音の繰り返しでどれだけくるしかったか? ヘビメタ騒音の繰り返しで、不可避的に、どれだけくるしかったか?

こんなの無理だよな。

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2017年6月21日水曜日

こっちがなんか言って、「やめさせる」ということが絶対にできない


このさき、どうしようかな。気分的にはだいぶわるい。不安増大。現状維持でせいいっぱい。今日は、買い物には行かない。あるから、不必要だし、足が痛い(ことがあるから)。

けど、どうしたもんだ? 風呂は入るべきなのか? 雨がやんだ。ヘビメタ騒音の雨はやまない。どーーしても、暗いんだよな。気持ちが暗い。

だから、普通の人だったら喜んでやれることが、できない。というか、ぜんぜんうれしくない。楽しくない。普通は、旅行とか行けば、たのしいわけだろ。楽しいから旅行に行こうと思うわけだろ。そういうのが、まったくない。

旅行と言ったけど、なにか仲間で楽しいことをするという場合もおなじ。きちがいヘビメタ騒音の憂鬱がこびりついていて、仲間のなかで、はしゃげない。他の人とはちがって、暗い気持ちでいる。普通の「さめている」というのとはちがう。けど、「さめている」をこえて「さめている」。

気分がくるしいわけで、まあ、落ち込んでいる状態なんだよな。長く続きすぎた。あれの『毎日』はきつかった。本当にきつかった。どうにもならない。『楽しい楽しい』と言っていれば、楽しくなるとか、そういうことでは、どうにもならない日々を経験した。それがでかい。これ、どういう「やまい」なんだよ? 「『楽しい楽しい』と言っていれば、楽しくなる」と言っている人とは仲良くなれないわけだろ。長いわけだから。こっちは、ずっと、『憂鬱だ。くるしい』と言っているわけだから。そういう「やまい」なんだよ。ダイヤ(親友)とのあいだでもそういうことが、繰り返しあった。他の友達とのあいだでもそういうことがいっぱいあった。だから、ヘビメタ騒音というのは、「友人関係」「人間関係」の「やまい」なんだよ。他の人とうまくいかなくなる。けど、じゃ、ぼくが『楽しい楽しい』と言っていれば、楽しくなるかというと、そうじゃない。長すぎる。期間が長すぎる。これ、ちがうんだよな。

クリティカルポイント、リターン可能ポイントがある。

長すぎる。最後の最後までなれなかった。ヘビメタ騒音になれなかった。ヘビメタの音になれなかった。あの音の連続はくるしい。あの音がずっとあのでかさで鳴っていて、普通の気分でいられるということはない。『楽しい』ということはない。普通の気分『セット』であれば、楽しいことがあれば楽しいわけだよ。

けど、ヘビメタ騒音気分セットの場合は、楽しいことがあっても、楽しいと感じることができない。なおさら、ヘビメタ騒音の嵐が続いているなら、楽しいことよりは、不愉快なことが起こりがちなんだよ。だから、ヘビメタ騒音嵐の中で不愉快な出来事に遭遇することになる。きちがい兄貴は、きちがい兄貴の思い込みで、すべての時間……すべての可能な時間……『このくらいの音で鳴らす』ということは、決めているので、途中でやめるということがない。途中でヘッドホンをするということがない。

どれだけ、『ヘッドホンをしてくれ』とこっちが言っても、絶対の意地で無視してヘッドホンをしない。ずっと、スピーカーから鳴らす。で、そのスピーカーはぼくの部屋の壁のすぐ後ろにある。なので、ぼくの部屋の壁自体が『でかいスピーカー』のようになって、部屋のどこにいてもほぼ同じ音で聞かされてしまう。逃げ場がない。この部屋の中で、一番兄貴のスピーカーから遠い場所と、一番兄貴のスピーカーに近い場所で、そんなに音の大きさがわからないんだよな。もちろん、理論的には距離の二乗に反比例するはずなんだけど、部屋のどこにいても、ほぼ同じ音で聞こえる。

ともかく、部屋の壁全体が、ドカカッッスッカカカドカカッッスッカカカ鳴っている状態で、落ち着かない。鳴ってて、無視すると言うことがどうしてもできない。耳栓をしても、容赦なく、音がドカカッッスッカカカドカカッッスッカカカ、入ってくる。耳を両手できつくふさいでもドカカッッスッカカカドカカッッスッカカカドカカッッスッカカカドカカッッスッカカカ、気違いの音が、容赦なく入ってくる。ともかく、やられているあいだずっとつらい。

けど、きちがい兄貴は「やっているつもりがない」らしいのだ。これもおかしな話しなんだけど、『態度自体』は完全にそうだよ。すべての可能な時間、意地になって意地になって、絶対に一秒もゆずらないで、自分が思ったとおりの『でかい音』で鳴らすのだけど、『でかい音』で鳴らしているつもりもないし、『鳴らしているつもりもない』という状態なんだよな。で、これは、親父がなにかやっているときの状態とおなじなわけ。

で、そういう状態であれば、こっちがなんか言って、「やめさせる」ということが絶対にできない。この『絶対さ』が他の人にはわからない。そういうきちがいがうちに二人いるってどういうことだかわかるか? しかも、なんか、一人の気違い(兄貴)は『自分がやられたから』どれだけやったっていい……どれだけやったって問題がないと心の底から、思っているような節がある。だから、なにを言われても、一秒だってやめない。こういう状態のときは『言われた』ということ自体が腹が立つことで、「むかついた」という気持しかない。本人が言われて頭にきたという状態でしかない。相手が自分の騒音で困っているとかそういうこと、一切合切頭に浮かばない。『せっかく人が鳴らしているのに、がたがた言ってくるな!!』という気持ちにしかならないわけで、『鳴らさないでゆずってやろう』『一時間ぐらいは勉強の邪魔をしないようにヘッドホンをしてやろう』という気持にはならない。ならないのだから、そのままやり続ける。だから!!!やっているのに!!!やっているつもりがないのだ。これが、頭にくる。一日の中で可能な時間はすべての時間鳴らしつくして、それで、本人は、まったく鳴らしてないつもりだ。そういう状態なんだよ。何回言われても、関わっている感じがしない。相手が困っているから言ってくるということが、まるで理解できてない。まったくなにも、言われかなったのとおなじ気分、おなじ状態なのである。一日が終わればそういう状態になる。こっちが入試だろうが期末試験だろうが、そうなんだよ。だから、弟の入試や期末試験の『邪魔をしたつもり」というのが一切合切ない。けど、一日中すべての時間鳴らしている。すべての可能な時間、鳴らしている。鳴らしているのだから、鳴らしているのに、鳴らしたつもりがまったくない状態になってしまう。一日の終わりには、そういう状態になる。で、毎日それの繰り返しだ。


引きこもり無職というタイトル(肩書き)でもいいと思っていた

ほんとーーにつまんない。
これで俺が会社を経営したとしてもつまんないことにはかわりがないんだよね。会社というのは、合同会社で、ひとり社員だ。代表社員。無職引きこもりよりは肩書きがいいけど、どのみちそんなに人とは会わない。全部ネットで済ませるからな。

しかし、こんなの、生きているあいだのことだけだ。

ヘビメタ騒音にあれだけ長い期間たたられれば、だれだって引きこもり無職にならざるを得ないのだけど、そんなことがわかっているやつは、少ない。なので、引きこもり無職という肩書きですごしてきた。ぼくは、ヘビメタ騒音があれだけ長い期間、あれだけでかい音で鳴っていたらだれだって引きこもり無職にならざるを得ないのだから、引きこもり無職というタイトル(肩書き)でもいいと思っていた。しかし、世間の人は、そうではないようだ。頭にくる。

いまは、本当に引きこもったままお金を稼ぐことができる。だから、まあ、無職から離脱したとしても、引きこもりである場合がある。それを、どうとらえるか?

これ、本当に、バカな子供や常識的な社会人の一部は、引きこもりを完全にバカにしている。そういうバカな人たちと対立するのは、バカげている。

きちがい兄貴が、気違い的な意地で、毎日毎日、よその家じゃ一秒だって鳴らせないようなでかい音でヘビメタを鳴らし続けたから、こういう状態が生じている。これは、事実だ。

自分が、俺と同じ量のヘビメタ騒音を浴びなかったから、引きこもりにならず、無職にならず、生きているだけだ。俺とおなじ期間の長さ、俺とおなじ分量のヘビメタ騒音を浴びれば、かならず、引きこもり無職になる。俺と同じ量のヘビメタ騒音を浴びなかったのは、たまたま、運が良かっただけ。それがわかってない人が多すぎる。わかる人は、ヘビメタ騒音の話をちょっと聞いただけでわかる。概要を聞けばわかる。一日にどのくらいの時間、どのくらいの期間の長さ、どのくらいの音量で鳴っていたのかということについて説明した文章を読めば、たちどころに理解できる。

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ところで、
ぼくがスピリチュアリズムについていっていることがわかるスピリチュアリズム系の人って、美輪明宏さんぐらいなものなのかな。

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まあ、ともかく、ぼくは、無職の研究、引きこもりの研究はこのあともするつもりだ。特に無職の第一印象に関する研究はする。



2017年6月20日火曜日

可逆的なのか不可逆的なのか

うーん、本当に考えがまとまらない。いろいろな思いが一度に交錯してしまう。いろいろなところで損傷を受けているからな。そもそも、思考スタイルがちがいすぎるんだよな。どうすんだ? これ??

ともかく、わりとたいへん。

今日も不意打ちのような騒音を避けることができなかった。まあ、ヘビメタ騒音にやられてなかったらたいしたことじゃないのだけど、すでにヘビメタ騒音にやられているからだ(人生)なので、わりと頭にくるんだよな。

しかし、まいったな。数年前にくらべてよくなっているかどうかというと、金銭的にはよくなっているけど、体力的にはよくなってないんだよな。気力は、くるしいながらもスイッチが入るときがあるけど、それは、一年間で数十日といったところで、意味がない。これ、なんて言うのかな、たとえば、三〇代のときは、くるしいながらもスイッチが入る日は、もうちょっとあった。

全部が、ヘビメタ騒音に十数年間やられた後の話だから、なんて言うのかな? 普通ではない。普通ではないのだ。これが、くるしい。十年以上の連続した疲労が与える影響がでかすぎる。リターン可能な地点をすぎてしまうと、そのもとの原因(騒音)がなくなっても、効果が続く。事故に遭ったのは一瞬だけど、それ以降下半身が動かなくなる人もいるだろう。だめになった部分が、そのもとの原因(衝撃)が過ぎ去ったあとも、治らない。可逆的なのか不可逆的なのかということは、考えなければならないことだ。で、普通なら可逆的に見えることが実は、可逆的ではないといえる分野(障害の分野)があるように思える。長期間の刺激(騒音)というのは、そういうものの一部なのではないかと思う。

まあ、騒音に対して敏感になって怒りやすくなっているということは含まない。そうじゃないんだよ。そうじゃなくて、長期間の激しい騒音の繰り返しで視床下部とか海馬が、損傷を受けている可能性がある。しかし、一般の人には、騒音による意欲の低下といった分野は、可逆的なものとしてとらえられている。

頭がおかしい。ど・れ・だ・け・の・意地でやったか。

月にあと五万円多く使えたらな~~
五万円はでかい。
楽しくなくても旅行でも行くかな。
もう、本当にばからしい。
きちがいヘビメタ騒音のせいでどうして俺がこんなにもみじめな思いをしなければならないんだ。一〇分の一の能力でやっていくとか、どんだけのハンディなんだよ。睡眠障害、易疲労性、これが、どれだけ俺の足を引っぱっていると思っているんだよ? どれだけ長い年月を経て、これらの症状が発生したと思っているんだよ。いくらでもやめられた。いくらでも、ヘッドホンをすることができた。きちがい兄貴の『意地』だけなんだから。問題なのは、きちがい兄貴の意地だけだ。兄貴がやりたいからやっていたことだ。これ、本当に、業務上どうしても音が出るというのとは、ちがうからな。電車や飛行機の騒音問題、工事の騒音問題とはちがうからな。きちがいだから、気違い的なこだわりで、鳴らし続けた。兄貴の意思でならした。兄貴がやめるつもりになれば、いつでもやめられた。兄貴がヘッドホンをつけて鳴らす気になれば、いつでも、ヘッドホンをすることができた。こだわりまくりで、ヘッドホンをしなかっだけだろ。どれだけもめたと思っているんだよ。本当にハンダゴテの親父の態度とおなじ!! 本人はまったく、そんなつもりはないのだろうな。きちがい兄貴が親父のことをうらんでいるということは、きちがい兄貴にはわかっているだろう。けど、その何万倍も、俺はきちがい兄貴のことをうらんでいる。親父がやったことをヘビメタでやっただけ。親父がいろいろな気違い行為をやったのとおなじ。その時はその時で目の色を変えて、顔を真っ赤にして押し通すけど、押し通すことができれば……一〇〇%押し通すことができれば……やったつもりがなくなる。そのとき、どれだけもめても、もめたという記憶がない状態になってしまう。だから、つねに、どれだけ言われても、どれだけ「そのことで」ぶつかっても、「ぜんぜんそんなの知らなかった」ということになってしまうのである。全部毎回、そういうことだから、何万回、何十万回もめたって、一回ももめたつもりがないという……気違い的な状態ができあがる。本人は、シランプリだよ。自分の思いが一〇〇%通ったら、そんなのまったくやってないつもりになる。こういう、気違い的な構造が成り立っている。そして、そういう気違い的な構造が成り立っているということが、これたま!一〇〇%わかってない。だから、いつも張本人は、「関係がない人のつもり」でいられる。自分がやったことがわかってない。何万回繰り返していても、自分がやったことが(その都度)わかってないから、けっきょく、一回もやっていないと思っている状態が続く。じゃあ、いえばやめてくれるのかというと、それは、絶対にないんだよね。そういう本当に、気違い的な状態がつねにうちでは成り立っている。で、やったもの勝ちだ。そして、やったやつは、絶対無責任の境地に立って、やったことすら認めないのである。「そんなんじゃないそんなんじゃない」というのがはじまる。頭がおかしい。ど・れ・だ・け・の・意地でやったか。

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神様がいない。
こんなのはおかしい。

2017年6月19日月曜日

昔もいまもおなじ。

むなしい。こころに穴ぼこがあいている。むなしい。
これはないなぁ。

あの騒音はない。きちがい兄貴のあの態度はない。あれで、静かにしてやったつもりなのかよ? こだわりつくして、ガンガン鳴らしてたくせに。親父とおなじなんだよな。とことん、親父とおなじ。考え方が同じ。反応しかたが同じ。認識のしかたがおなじ。全部おなじ。あれだけこだわって鳴らして、ゆずったつもりがあるとか、おかしい。これ、本当に頭がおかしいと言っていいレベルのことだからな。それで、よそじゃ、いい子ぶる。猫をかぶって、本性を見せない。うちでやったことを一日でもいいからやって視ろ。あたりまえなんだろ。「たいして鳴らしてない」んだろ。「こんくらい、たいした音じゃない」んだろ。損ならよその家で、うちで鳴らしてたように、鳴らせばいいじゃないか。一日だってできないくせに!! よそじゃ、一日だってできないことを、うちでは、毎日やって、あたりまえだったんだよ。そういうことについて、いい加減、気がつけ。親父とおなじで、昔やったことは、どこまでも、昔の感覚のままなんだよな。いや、時間が経ったぶん、すっとぼけられる。「そんなんじゃない」とか言い出す。「そんなの知らなかった」とか言い出す。ど・ん・だ・け・の・意地でやったと思っているんだよ。きたないだろ。きたなすぎる。全力で人の人生を破壊しておいて、まったくやったつもりがないんだよな。

で、そのままだ。どれだけ俺が説明しても、「まったくやったつもりがないまま」なんだよ。そういうところも含めて、おかしい。で、そういうやつだから!……いまでもそういう態度で反省しないやつだから!!……やってるときは、なおさら、どれだけ言われても、反省しないでやってたんだろ。態度がおなじなんだよ。

昔もいまもおなじ。

こっちは、きちがいヘビメタの余波を食らって、よその人から、悪く言われて困っているよ。きちがい兄貴が、きちがい親父に、どれだけ真剣に「そのハンダゴテじゃダメだ」ということを言っても、親父は、気違い的な意地で認めなかった。そして、気違い的な意地で認めなかったということも、認めてない。認めなかった。その場合、よその人から「そんなの、おまえの説明のしかたが悪かったんだろ」とか言われるわけだ。

きちがいヘビメタ騒音に関してもまったくおなじことが成り立っている。きちがい兄貴よ。ハンダゴテ事件は二日で済んだけど、もし、一〇年間続いたら?どう思うんだよ? ヘビメタ騒音なんて、一〇年以上続いているだぞ。それも、毎日。週に二日じゃなくて、週に七日。毎日毎日、親父がハンダゴテ事件の時の態度で、きちがい兄貴が言っていることを否定したら、どう思うんだよ? 兄貴が俺にやっていることはそういうことだ。俺は毎日「うるさいからやめてくれ」と言ってたからな。ちゃんと聞こえるように、何回も何回も言ってたからな。なにが「知らなかった」だ。なにが「俺にも言い分がある」だ。ふざけるな。親父とおなじなんだよ。

おれが、これを書いている時間、どれだけむなしいか。本当に、人生全部がヘビメタ騒音だ。

2017年6月18日日曜日

「うちのなかで」「目下の人から」言われると、ダメなんだよ


気違い兄貴よ。気違い兄貴! おまえ、自分が中学生高校生のとき、あれだけでかい音で、誰かがラッパを鳴らしていたらどう思うんだよ? あれだけ長い時間ラッパを鳴らしていたらどう思う? 一〇分間でもはらわたが煮えくりかえるほど怒るね。親父がへんな宗教に凝って、そのへんな宗教の音楽を、あの爆音で鳴らしていたらどう思う? 中学生のとき、月曜日から金曜日まで、午後四時から午後一一時まで、あの音のでかさで、へんな宗教の音楽が鳴ってたら、どう思うんだよ? 下の部屋(一階の部屋)じゃなくて、隣の部屋で鳴ってたらどう思うんだよ。それで、鳴らしている親父に、「鳴らさないでくれ」と言っても、怒って鳴らし続けたらどう思うんだよ。そして、そういうふうにずっとずっと毎日毎日、頑固に、鳴らしていた親父が、一五年後に「そんなに鳴らしてない」とか「ゆずってやった」とか言ったらどう思うんだよ。毎日、何回も何回も、隣の部屋の親父に「うるさいからやめてくれ」「勉強するからやめてくれ」と言ったのに、一五年後のある日、親父が「そんなのぜんぜん知らなかった」と言ったら、どう思うんだよ? 入学試験の前日に家族会議を開いて鳴らさないでくれ」と言ったのに、無言のまま、自分の部屋にはいって、普段通りにへんな宗教の音楽を、あの爆音で鳴らしたらどう思うんだよ? きちがい兄貴は、気違い的な騒音で「勉強ができない時間」を経験したことがない。きちがい兄貴にとって、ヘビメタを爆音で鳴らすのは、気持ちがいいことで、すっきりすることだからな。反対に、一分間でも、我慢させられたら、顔を真っ赤にして怒る。損なのは絶対にいやだから、してやらない」という気持ちになって、俄然、「思い通りの音で鳴らすこと」にこだわりつくして、実際にそうする。親父が、そういう態度で、へんな宗教の音を、あのでかい音で聞いていたらどう思う? 家にいる時間つねに、あのでかい音で鳴らしていたらどう思う? 一日だけでも地獄だろ。おまえ、きちがい兄貴、どれだけ頑固に鳴らしていても、「まったく鳴らしてないつもり」だったんだな。「まったく迷惑をかけてないつもり」だったんだな。どれだけ言っても、親父のように、通じない。親父に通じないのと同じしくみで、きちがい兄貴に、一切合切こっちが言っていることが、通じない。通じないということも、通じない。だから、鳴らされているまま、困り続ける。言ってるんだよ! 「鳴らさないでくれ」「これこれ、こうだから、鳴らさないでくれ」と言っているんだよ。一日に何回も何回も、相手の部屋まで行って、怒鳴り声ていっているんだよ。叫んで言っているんだよ。聞こえないなんてことはないんだよ。怒鳴り声で言っても、きちがい兄貴がエレキギターを引く手を休めなければ、よく聞き取ることができないようなでかい音で鳴らしてたんだよ。そして、いちおう、手を止めて、聞いた!! 聞いた!!! だから、知っている!!! 頭にくる。全部そういうやり方。(自分は)ハンダゴテぐらいで、真っ赤な顔をして怒っていたくせに。「一生、口を利いてやらない」「一生、無視する」というような言って、実際十数年間にわたって毎日そうしたくせに。同じ家に住んでいるのに、十数年間も親と口を利かない……ということが、どれだけ異常なことかわかってない。きちがい兄貴がヘビメタを鳴らしていた一四年間のうち、後ろの三年間はぬかして、一年間に何秒間、親父と口を利いたんだよ? たった、ハンダゴテぐらいのことでそのくらい、怒っているんだぞ。ハンダゴテ事件なんて、二日間の出来事だ。おまえ、きちがい兄貴、ヘビメタ騒音事件が何千日の出来事だと思っているんだよ? 
基地外兄貴は、ハンダゴテのことを父親にうまく説明することができなかったバカなやつだと他の人から思われたわけだけど、それは、ハンダゴテ事件の時だけだろ。俺なんて、毎日、何千日も、そういうことを経験している。親父の認識があまりにも異常なので、他の人には「そうなのだ」ということが理解できない。だから、うまく説明できなかったおまえ(この場合は兄貴)が悪いということになる。けど、だれもが無理なんだよ。これ、きちがい親父がまた、よその人の前では、いい人のふりをするから、余計にわかりにくくなる。親父の場合、「うちのなかで」「目下の人から」言われると、ダメなんだよ。頭がおかしくなる。よその人に対する態度と、うちの人に対する態度を使い分けている。使い分けているというつもりがない……主観的なつもりがないから、さらに、問題がでかくなる。兄貴もまったく同じだ。兄貴の場合はもっとひどい。よその家で、一日に一〇分でもいいから、当時「こんなのはたいした音じゃないと思っていた音で」ヘビメタを鳴らしてみろ。どういうことになるかわかっているんだろ。だから、よそじゃ、一日に一〇分ですら、五分ですら、一分ですら、ヘビメタを「当時の音で」鳴らせない。ちゃんとわかっている。ヘビメタがでかい音だと言うことがわかっている。だから、よその家では、普通にヘッドホンをするんだろ。俺がどれだけ頼んでも「うちでは」一日に一分ですら、ヘッドホンをしてくれなかったけどな。入学試験、一週間前だろうが、最後の重要な期末試験中も、絶対に、一分ですら、ヘッドホンをしてくれなかった。そういう態度の違いについて、まったくわかってない。頑固にやり切った本人が、まったく、わかってない。そういう態度の違いに対する認識がまったくない。で、こういうふうに言われた後も、まったく、認識がかわらないんだよ。態度がわからない。そういう病気だ。頭がおかしい。わからないとなったら、何万回言われても、わからないままなんだよ。で、何万回言われても、あとになれば……たとえば一四年間毎日言われているのに、一五年目になれば、「そんなの、まったく言われなかった」「そんなのぜんぜん知らなかった」と真顔で言える。そういうこまった人間だ。本当に、ふざけるな!!

2017年6月17日土曜日

タオルって、みんな、どのくらいの頻度で洗っているの? 

どうしたものかな。ちょっと、人恋しくなっている。あ~あ、けど、やっぱり、つかれた。

とりあえず、洗濯。タオルとか。タオルって、みんな、どのくらいの頻度で洗っているの? 基本的に、このタオルはバスタオルではないのだけど、バスタオルとして使っているんだけど、一度使ったらダメなのかな? 基本、一度使ったら、洗おうというスタンスなんだけど、どうなんだろう??

それとも、タオルは、一週間ぐらいは洗わないでおくのかな? 一回使ったら洗うというのだと、ちょっときついんだよな。けど、経験から言うとそうしたほうがいい。けど、基本、タオルはけっこう頻繁に買い換えるというスタンスであれば、そんなに洗う必要はないかもしれない。

どうなんだろうな? (洗剤+水+電力代)×回数で計算をしたことがないからわからない。しかも、一回で洗うのはタオルだけではない。

あ~あ、しかしつまんねぇ。(ヘビメタ騒音兄貴にやられてから、いついかなる時も憂鬱だ)。これで、人に会ったとしても、憂鬱なのはかわりがない。

   *     *     *

しかし、どうするか? 
どうする? 人生、つらいなぁ~~。
人生、つらい。ヘビメタがはじまってから、人生がつらい。どうしょうもなく、つらい。ヘビメタがはじまってから、いついかなる時もつらい。

2017年6月16日金曜日

気持がつながってない。認知がつながってない。

あ~~あ。さみしい。むなしい。さみしい~。むなしい~~。あ~~あ。さみしい。むなしい。さみしい~。むなしい~~。あ~~あ。あれはない~~。くそうるさかった。つねにくそうるさかった。どれだけ言っても、ずっと鳴らしたままでやめてくれなかった。

だから、静かにしてない。

で、鳴らされているあいだずっとくるしかった。休みなくくるしかった。休みなく音が続くので、休みなくくるしかった。あれで、あれでぇ!!! 静かにしてやったつもりなのかよ?

本当にきちがい兄貴は、きちがい親父と頭の構造がおなじ。すべておなじ。感じ方がおなじ。きちがい兄貴よ! きちがい親父が、理由のないことで怒ったことなんてないと言ったら、どう思うんだよ。きちがい兄貴が「静かにしてやった」と言っているのは、それとまったくおなじだから。頭がおかしいレベルで、認知が狂っている。

うちでだけ認知症。

本当に、うちが離れていて、目の前が幼稚園だったから、やれたんだよな。あれだけのでかい音で鳴らせた。弟のことだけ無視すれば、相当にでかい音で鳴らせる環境だった。マンションじゃ、当時の兄貴にしても、絶対にあの音のでかさで鳴らせない。

きちがい兄貴は鳴らしたいから、北側のとなりの人のことを考えてなかったと思うけど、北側のとなりの人は相当に言いたかったんじゃないかなと思う。親父と関係がまずくなるのは、北側の人は望んでなかったんだろう。きちがい親父は、きちがい親父だから、なんて言うのかな? まったく、本当に、普通の人とはちがうんだよな。

そこら辺の感覚がぜんぜん違う。

兄貴が鳴らし始めたら、まったく関係がない人として振る舞う。いちおう、大家みたいなものなのだから、気にしろよ。きちがい兄貴に注意しろと俺が、親父に言ったら「しかたがないしかたがない」の連発だよ。で、いまは、注意する必要がないから俺が親父に「注意してくれなかった」と言ったら、親父は「注意した!注意した!!!」と言ってるよ。

感覚がおかしい。

うちはアパートみたいな構造で実際に部屋を貸していた時期もあるのだけど、自分の子供が、あれだけでかい音でヘビメタを鳴らしても、まったく関係がないつもりでいるんだよな。一度、「注意したくない」という気持ちになったら、もう、見向きもしないんだよな。すったらかし。一切合切自分が関わっている感じがしてない。ヘビメタに関しては、逃げの一手だ。大きくなった?兄貴に注意したくない一心なのである。

注意したくないという方向にドライブがかかると、もう、それだけになる。絶対に、どんなことを言われても、どんなことになっても、注意しない。「注意してくれ」と言われて、自分が注意しなければならないような状態に追い込まれたということ自体が、ゆるせないことなのである。顔が真っ赤になる。顔が真っ赤になって、怒り狂った状態になる。注意しようにも、注意できない状態なのである。

ということは、無意識的には子供にやってきたことがわかっているということなのだろうか。ともかく、めちゃくちゃだったからな。きちがい兄貴よ。きちがい親父は、俺たちが小さいころ、わけのわからないことで怒り狂っていた。つねに怒り狂っていた。毎日、つねに怒り狂っていた。

で、親父に「昔、親父はつねに怒り狂っていた」と言ったら、「そんなんじゃないそんなんじゃない」と言ったんだよ。ぜんぜんつもりがないのである。「そんなんじゃないそんなんじゃない」と言っている時は、本当にそんなんじゃないつもりなのである。そんなことはしてないと言うつもりなのである。「理由がないことで怒っていた」と俺が親父に言ったら、親父が「怒ったんだったら理由があるんだろ」と言った。これ、きちがい兄貴が、直接親父に言って、そういう答えが返ってきたら、きちがい兄貴はどう思うんだよ?

きちがい兄貴の、いま現在の態度は、親父の態度と同じだ!!
きちがい兄貴がいま言っていることは、きちがい親父がいま言っていることとおなじ。

きちがい兄貴が、親父に、「親父は理由がないことで怒っていた」と言ったとして、その答えが「怒ったんだったら理由があるんだろ」だったら、どう思うんだよ。「そんなつもりじゃなかった」「そんなに鳴らしてない」「(弟が自分の騒音でこまっているなんて)ぜんぜん知らなかった」という兄貴の答えは、そういう親父の答えと、同じレベルなんだよ!!!

俺が印刷して送ったものを兄貴の嫁さんが読んで「こんなの、おかしいよ」と言ったらムスーっとして黙っているだけだろ。それで、いまは鳴らせないから、自分の部屋に戻ってヘッドホンをして鳴らすわけだろ。

うちでは、死んでもヘッドホンなんてしなかったけどな。その日、自分がスピーカーから一三時間四五分鳴らせるのに、一三時間ヘッドホンをして、スピーカーで鳴らすのは四五分だけだったなんてことは一回もない。一時間、ヘッドホンして我慢してくれたことも、ないから。

入学試験前の冬休み期間中、ずっと、朝の九時一五分から、夜の一一時一一分まで鳴らして、途中で、一時間でも三〇分でも、ちゃんと、ヘッドホンをして静かにしてくれるということがなかった。

もちろん、一時間ヘッドホンをして鳴らしたけど、一二時間スピーカーから鳴っているという状態は耐えられないけど、そういうことすら!!!してくれなかった。一日もそういうことすら、してくれなかった。それがきちがい兄貴だ。それなのに、「静かにしてやった」「自分は弟に迷惑をかけてない」と思っているのがきちがい兄貴だ。

親父とおなじなんだよ。こだわりつくして、絶対の意地でやるのに、絶対の意地でずーーっとずっとーーーっとずーーーっとやったことは、「やってないこと」なのである。

主観的に「やってないこと」「つもりがないこと」になってしまう。やっている最中からそうなんだから……。やっている最中から、つもりがないなんて、病気だよ。

で、そういうふうに押し通してしまえば、本当にやってないつもりになれる。一〇年間毎日、一秒も本当にゆずらないで鳴らしたとしても……つまり、「やった」としても、「そんなのやってない」「そんなんじゃない」と一〇年と一日目には真顔で言えるやつなんだよ。

嘘をついているつもりがない。

つもりがないだけで嘘をついているのだけど、つもりがない。で、つもりがないといこうとは、やってないということだ。

で、じゃ、「鳴らさないでくれ」と言われたら、鳴らさないようにするのかというと、そういうことは、死んでもない。一分だってゆずらないで鳴らし切る。それがあたりまえ。

「じゃ、やってんじゃないか」といこうとになるのだけど、それが!!!親父のように通じない。

オヤジアタマで通じない。

まったく通じない。逆上して、意地を張って一〇時間やったとしても、本人が、やったつもりがなければ、そんなの「やったってやってない」という気持ちになれる。で、おしまいだ。本人が、そういう風な気持ちになって怒ったら、それでもう切れているわけで、一切合切関係がないのである。

やったってやってなくたって関係がない。おそろしいほどの無関心ぶりを発揮する。完全に「関係がない人」になりきる。たとえ、意地を張って一四時間鳴らしたとしても、一四時間と一秒後には、「鳴らしてない気持ち」になれる。ゆずってやった気持ちになれる。「そんなんじゃないそんなんじゃない」と顔を真っ赤にして言える気持ちになれる。


本人は「そんなつもりじゃない」ままなのである。

で、これも、本人が怒ったら、そこで切れてしまうわけで、まったく、関係がない人になってしまう。それか! 一四時間鳴らしても、一四時間一秒後には、「いま鳴らしてないんだからいいだろ!」というような態度でまるで気にしない。

俺がひきつってひきつって、憂鬱で憂鬱で死にたいときに、兄貴に相談したら、兄貴が真っ赤な顔をして、目を三角にして、二階に上がってガンガン鳴らした。どうして、ひきつった気持ちになっていたかというと、きちがいヘビメタがこのまま鳴っていたら、高校に落ちてしまうからだ。憂鬱で憂鬱で死にたい気持ちになっていたのは、

これ、ヘビメタ騒音で高校に落ちてしまうとかいうと、「日とのせいにするな」というやつがわいてくるけど、あの音はない。あんなでかい音で四六時中、つねに、鳴らされて良いわけがないだろ。

基地外兄貴の中では、自分が好きなときに、好きな音で鳴らしていいということになっていて、その状態が崩れることに関しては、一切合切、首を縦に振らなかった。

これが、兄貴がうちで鳴らしていたときの、兄貴の態度だ。例外なくそうだ。だから、中間期末試験期間中も、つねにヘビメタを一〇〇%時間、一〇〇%の音か九九・九%の音で鳴らされ続けた。「明日試験があるからやめてくれ」と何回、怒鳴り込んだと思っているんだよ。怒鳴り込んだとき、「ああそうか」と言って、ちゃんとやめてくれたことがあるか? 一分間でも、ちゃんと鳴らさないで我慢してくれたことがあるか? 試験期間中は、午後四時から、午後一一時まで我慢してくれたという日があるか? 一日もないだろ。

それで、「静かにしてやったつもり」なんだよ。半分の時間だって、静かにしてやった日がない。たとえば、午後四時から、午後七時一〇分までは鳴らすけど、その後は鳴らさないとか、そういうことに、同意してくれたことが、試験期間中ですらないんだぞ。それで、「静かにしてやった」とまじで思い込んでいる。そういうやつなんだよ。きちがい兄貴は!!

自分(兄貴)が弟の試験日に、一時間静かにしてやらなければならななったとなったら、どれだけ、腹を立てて、ムカつくと思っているんだよ? 一時間ですら、完全に無理なんだよ。首を縦に振ったことがない。ヘッドホンをすればそれで済むのに、ヘッドホンをすることに関しては、絶対にゆずらなかった。

これ、二四時間中、二四時間、おかまいなしだからな。自分(兄貴)が起きてないので鳴らさなかっただけで、自分が鳴らしたいと思ったときに、一時間我慢して、ヘッドホンをしてやるということが、ずーーっと五〇〇〇日以上ないんだよ。そういう状態なんだよ。そういう意地で鳴らしているんだよ。自分がヘッドホンをして鳴らすというような不自由な思いをすることは、絶対に、なにがなんだろうが、どんなときでも、嫌だったんだよ。

試験期間中だってそうだ。自分(兄貴)が午後一時に帰ってきたら、午後一時から鳴らすわけで、俺がどれだけ言っても、静かにしてくれなかった。試験期間中は、ヘッドホンを付けて鳴らすということですら、一切合切、やってないのに、「静かにしてやった」「協力してやった」「そんなつもりじゃなかった」なんて言ってやがるのである。こんなの、おかしいだろ。おかしいと思わないところがおかしい。

そういうモードなんだよ。何十年間も毎日そういうモードだ。だから、本人の主観としては、「静かにしてやったつもり」なのである。そういう認識がおかしいって言っているんだよ。いま、言っている。二〇年間三〇年間ずっと言っている。

けど、いまですら、「認識がおかしい」ということを認めてない。いまですら、本人のなかでは「静かにしてやった」「(試験に)協力してやった」と思っているのである。頭がおかしい。本人が一〇〇%、意地になって鳴らしたのに、意地になって鳴らしたということが一〇〇%わかってない状態だ。実際に鳴らすときは、そういう状態で鳴らしているわけで、鳴らしているときに、どれだけ、「明日も期末試験があるからやめてくれ」と言われても、静かにする必要性すら認めずに、絶対の意地ですべての時間、自分が満足できるでかい音で鳴らして、一分間ですら、ゆずってくれなかった。

なかなか、さみしいものがあるよ

ドクターペッパーを買ってきて飲んだ。ストローで飲んでいる。

さっき、うとうとして寝ちまった。

なかなか、さみしいものがあるよ。この生活はかわらないんだろうな。何回もチャンスはあったのだから、つきあっておけば良かったな。けっきょく、相手にしなかったというような感じになっているので、うらまれているかもしれないな。当時はヘビメタ騒音でそれどころじゃなかったけど。内面の破綻を視られるのが嫌だった。それから、次の人や、次の次の人の場合は、無職であるということを言うのがいやだった。最初は、言わないで、後で言うというのも、なんかみじめったらしくていやだった。だから、これまた、関心がないような感じでかわしてしまった。

友だち付き合いもけっきょくはヘビメタ騒音で吹っ飛んでいる。で、うとうとして起きたときの気分が、めちゃくちゃなんだよな。俺のこころは何十年も前のある時点でとまっている。うとうとして起きたときの感じが、極端に水分がたりないだるい状態なんだよな。実際に、水分がたりないのかどうかわからないけど。喉はかわいている。

2017年6月15日木曜日

ヘビメタ騒音の必然。どうにも防ぎようがない

今日も買い物に行きたいところだけど、買い物に行くと金がなくなるんだよな。
まあ、今日は、金が入った。金が入る、金が入る(アファメーション)。

いや、今日、金が入ったの事実なんだけどね。

アマゾンプライムで仮面ライダーアマゾンズのシーズン一の終わりと、シーズン二の一回目を視た。これ、どうしようかな。どうしたもんか。

食費がけっこう行ってるんだよな。月に三万円をこえている。四捨五入すると四万になる月もある。これでは、金が入っても……。

あ~、また、頭がもやもやしてきた。くるしいな~~。つまらないな~~~。この先、これでどうなるんだよ?

ともかく、頭がもやもやする。自分の人生を考えると、ほんとうに、全部ヘビメタ騒音でめちゃくちゃだ。今も、くるしい。

ほんとうに気分が二〇代の頃の破滅的な気分になってきた。くるしい。二〇代のほうがくるしかった。ほんとうに、いまもくるしいな。これ、どうなっちゃうんだ。ぼくの身体は? ぼくの人生は? まあ、気分的にくるしいというのもある。必然なんだよな。ヘビメタ騒音の必然。どうにも防ぎようがない。さらされ続けた。俺は、そのなかでがんばった。で、終わった。基本的に終わっているんだよ。終わっている人の感じってわかる? 本人のなかで終わってたら、終わっているんだよ。どうしても、しつこく鳴らしてゆずってくれなかった。一分も!! ゆるせるかよ?

本当につかれたな

いろいろと選択がまちがっているような気がする。けど、もう、ぼくの力ではどうにもできない。どうにもならない。

本当につかれたな。ヘビメタ騒音がはじまってからというもの、普通の精神じゃいられない。強烈に不安や不満がつきまとっている精神でしかいられない。本当に、つかれたな。どうするんだよ?

睡眠回路が壊れているのはしかたがないとしても、意欲に関係する回路が壊れているのは、いかんともしがたいな。それにしても、兄貴の態度が親父の態度とおなじだ。頑固に一〇〇%やるけど、本人はまったく、関係がないつもりでいるんだよな。つねにそうしている。そうじゃない時間がない。家にいるときは、つねに、そういうモードで、頑固に迷惑行為をやる。これは、たとえば、一日に一時間迷惑行為をするというのではなくて、うちにいて起きているあいだは、ずっと迷惑行為をするわけだから、こまる。つねに!!というのが、つらすぎる。「うち」にいるときは、迷惑行為をしているのがあたりまえで、迷惑行為をしてない時間がない。これが普通の毎日だからな。で、「迷惑行為はやめろ」と言っても、「迷惑行為をしている」というところから否定して、やり続ける。そういうことが、普通に成り立ってしまう「家」だ。どうしてかというと、家長である父親がずっと毎日そうしてきたからだ。これも、無意識的なレベルでつねにそうしてきたわけで、またまた、そういうふうになっているというわけではないのである。これが、でかい。普通の家のもめごとというのは、そういうもめごとではない。一時的に発生するもめごとなのである。つねに、しかけてくるなんてことはない。親父はつねに、しかけてきた。息をするように、しかけてくる。子供が視界に入ったら、かならず、けちをつけて?怒り狂う。本当に頭がおかしいレベルでそういうことをしやがる。しかも、本人は、どれだけ頑固にそうしたとしても、そうしたというつもりがないのである。きちがい兄貴がやったことというのは、親父がすでにやってきたことなんだよな。しくみとしてはそうだ。だから、親父には修正能力(浄化能力)がない。そりゃ、自分がやってきたことを、子供にやるなとは言えないだろ。もちろん、やってきたとは思ってないんだけどな。そういうしくみもおなじなんだよな。理由がないのに、血相を変えてやってきたこと……というのが、本人にとっては、まったくやってないこととおなじなのである。「そうした」「そうしてきた」と言われれば、「そんなんじゃない!!!そんなんじゃない!!!」というのがはじまる。

しかし、世の中、まちがっている。どう考えてもおかしい。

   *     *     *

一一歳の時からヘビメタ騒音が始まって、二五歳まで続いた。それ以降ずっとくるしい。最初の七年で、すべてが終わっている。一年以内に、きちがい兄貴が鳴らす時間は、すべてヘッドホンをして鳴らすというような約束をしてくれなければ、ぼくの人生は、やっぱり、なかったと思う。どうあがいても同じなんだよな。泥沼……ヘビメタ騒音地獄の中で疲弊していく。ヘビメタ騒音毒ガスの中で、もがいて、体力を失って、能力を失って、だめになっていく。ヘビメタ騒音泥沼なのかで、もがいて、しずんでいく。どうにもならない。あれ、関係なしにやりやがったんだからな。何万時間鳴らしたんだろう。トータルで何万時間鳴らしたんだろう? 四万時間以上は鳴らしたと思う。本当にくるしかった。どれだけがんばっても、むだだった。つかれるだけだった。ヘビメタ騒音疲労の中で、暮らすしかない。憂鬱でないわけがないだろ。不安でないわけがないだろ。きちがい兄貴よ!!俺はさんざん言ったから!! 親父みたいな頭で、はねのけて、理解しなかっただけだろ。自分がやりたいことを一〇〇%押し通したいから、気違い的な意地で無視しただけだろ。認識しなかっただけだろ。きちがい兄貴は自分が親父にやられたことはわかっているんだよな。俺にやったことは、まったくわかってない。親父が兄貴にやったことをまったく理解してないように、わかってない。親父なんて、いまですら、まったくなにもしなかったつもりなんだからな。きちがい親父が子供にやってきたことを、一回でも、子供からやられたら、それは、わかって、怒り狂うんだよ。それは、侮辱的なことだから。けど、自分が何万回……理由がないところで……やっても、わからない。これは、根本的にわからないから、わからない。理由がないところでというのは、そうしなければならない理由がまったくないところで、親父が「自発的に」そうしたということだ。これ、本当に、「そうする理由がない」のである。親父の頭の中で、そうすることを「指向」したという以外、そうする理由がない。「きちがいあたま」の内部の理由なのである。

なんなんだろう。この雰囲気。この気分。

正直言ってめんどうくさいな。
なんなんだろう。この雰囲気。この気分。
金の稼ぎ方を変えよう。
ちょっと倫理にこだわりすぎた。
いい人すぎた。
あとはやっぱり、ヘビメタ騒音がでかすぎる。すべての話しは、なんて言うのかな……普通の人の話になってしまうんだよな。特に「引き寄せ」とか「鏡の法則」とかひどすぎる。ああいうレベルのスピリチュアルな話しというのはひどすぎる。誰かが言わなければならないことを、言わなければならないのか?

ともかく、ヘビメタ騒音でくるしかった、朝、そのままの雰囲気だ。朝だ。歳をとると一年が短くなると言うけれど、そういうことまで考慮に入れると、ヘビメタ騒音にたたられた時間が長すぎる。人生の三分の一ではなくて、三分の二以上なんだな。

ヘビメタ騒音でめちゃくちゃなんだけど、俺はちょっと不真面目になったほうがいい。

2017年6月14日水曜日

ヘビメタ騒音のことを思い出してしまう瞬間


しかし、いろいろとヘビメタ騒音のことを思い出してしまう瞬間がある。それがきつい。おれはもう、一生無理か。

認知の差

ここまでくるのがけっこうたいへんだ。
起きて、ご飯を食べる……これだけのことがどれだけたいへんか。ヘビメタ騒音生活十数年のあとは、これをやるだけで、たいへん。しかも、いろいろな「負の記憶」がよみがえってきて、くるしい。
きちがい兄貴に腹を立てている。きちがい兄貴が言ったこと、に腹を立ている。きちがい兄貴の態度に腹を立てている。本当に、全部やられた。全部の時間やられた。これ、実際にヘビメタ騒音生活をしないと、わからないんだろうなー。他の人にはわからない。そこで、世間の人とぼくとのあいだに認知の差ができる。この認知の差は、いろいろなところで、悪影響を及ぼす。

ともかく、一日目にきちがい兄貴が、うちで鳴らすときはヘッドホンをして鳴らすことにすればよかったんだよ。ずーーっとそうすればよかったんだよ。できたはずだぞ。なんで、うちだと一分もできないんだ。一秒でもいやなんだ。どうして、そういうところに気違い的なこだわりがある?

きちがい兄貴よ。言っておく。きちがい兄貴が鳴らしていた時間は、きちがい親父ともめていた時間よりも、くるしい。腹が立つ。ずっと腹が立つ。一四時間鳴っていれば、一四時間ずっと腹が立つ。そして、一四時間鳴っていると、残りの一〇時間もずっと、くるしい。からだが苦しい。残りの一〇時間、ヘビメタが鳴ってなくても、ヘビメタ騒音の影響でからだが苦しい。どれだけつかれていても眠れない状態になる。そして、その眠れない夜の影響が日中に出る。夏休みなんて、本当に一日に一四時間近く鳴らして、絶対にゆずってくれなかった。冬休みもそうだ。入試間近の冬休みだって、一日に一秒だってヘッドホンをしてくれたことがない。それで、一四時間近く鳴らして、「ゆずってやったつもり」だ。それが気違い兄貴の毎日の態度だ。それが、気違い兄貴の普通の態度だ! まったくなにも悪いと思ってないんだからな。「もうすぐ入試だからやめてくれ」と一日に何回怒鳴られても、そのまま頑固に鳴らし続けて、「ゆずってやったつもり」だ。そういう態度なんだよ。気違い兄貴が、なんて言うのかな……本当に親父のように全部そういう態度で鳴らして、……それで、親父のようにぜんぜん関係がない人のつもりでいる。張本人なのにぜんぜん関わりがわかってない。「あなたが意地を張ってやっている行為でこまっているんだ」ということが、ぜんぜんわかってない。そんなの、言われた途端にはねのけて、おましいなのである。本人の中で終わっているから、一日中、何回も何回も言われても、一回も言われたことがないようなつもりで、本人は眠れる。一日が終わるときには、「まったくなにも言われなかった」という記憶になっている。鳴らしているときは……それはそれは、無我夢中で鳴らしていて、……鳴らしているときに文句を言われたということに、腹を立てておしまいだよ。一切合切、自分が関わっている感じがしない。きちがい兄貴が張本人で、きちがい兄貴の意地でこまっているのに、どれだけ言っても親父のように通じない。で、その時はその時で、そういう態度で「のりきる」。で、毎日毎日、一四年間、そうしたとしても、まったくなにもやってないつもりなんだよ。……言いがたいけど。一五年後には、「そんなの知らなかった」と言えば、それで本人の中ではおしまいなんだよな。自分がやったつもりが、とことん、しょうじない。




2017年6月12日月曜日

外に出ても、ものすごく憂鬱なんだよ

かなり、相当にやばい。この鬱をどうにかしたいところだ。

ちょっとずつ、整理整頓を開始したが、なんて言うの?……ただものを移動しているだけのような気もする。

「昔の地層」から昔のジュースが出てきた。当然中身が入っているやつ。今日は、これを飲もう。隣のうちの門の音とか、全部が憂鬱。全部、この雰囲気が憂鬱。

   *     *     *

あそこは、箱買いしたジュースや箱買いしたラーメンが置いてあるところで、ジュースもほぼ飲み終わったし、ラーメンは完全に食べたので、たぶん、片付く。パイナップル果汁一〇〇%ジュース……これ、いつのやつだろう。二年ぐらい経っているような気がする。

あそこを片付けて……そのあとどうするか?

さっきも書いたけど、かなりめんどうだ。やる気がしない。暇なんだけど、やる気がしない。憂鬱である。気分があがらない。ゼリーでも食べて元気を出すか? 

パイナップル果汁一〇〇%ジュース……飲むことにした。
うまい。

缶のゴミが発生。

他の人はどうだか知らないけど、俺はこれで、外に出ても、ものすごく憂鬱なんだよ。破滅空間を歩くことになる。あの気分で……。きちがいヘビメタにやられて入学試験を受けに行った気分で……。

だから、引きこもっていること自体が問題なんじゃない。どこに行ってもヘビメタ騒音の憂鬱が続いているわけで、そのことこそが問題。本当、道路とか、空とか、ヘビメタ騒音にやられていて、ものすごく不安だったときとおなじなんだよな。おなじように見える。そして、死にたい。あれ、本当に、「精神破壊」なんだよ。やられたことがないやつはわからないだろうけど。どれだけ長く続いたか。毎日毎日、家に帰ればきちがいヘビメタが爆音で鳴っている日々……毎日毎日、家にいれば、家にいるあいだじゅうずっときちがいヘビメタが爆音で鳴っている日々……これが問題なんだよ。

*     *     *


しかし、本当にむなしい人生だよな。このあいだ、ラーメンを食べていたとき、カップル風の人たちがちょっと気になった。普通はあんまり気にならないのだけど、その時は、気になった。ヘビメタ騒音がなければ……と思う。ヘビメタ騒音でズタボロなのを、見られたくないというような気持ちがあって、あっちからアプローチしてくれたのに、なんか、興味がないふりをしてしまった。それは、その後も続いたわけで、ヘビメタ騒音でズタボロな上に、無職であるということを言いたくないので、これまた、関心がないふりをしてしまったということが、何回かある。しかし、俺はその時、いまよりもずっと金がない状態で、外食なんてもってのほかだったから、つきあったとしても、負担を感じていただろう。これも、きちがいヘビメタ騒音、しつこすぎるヘビメタ騒音、家にいるあいだずっと鳴っているヘビメタ騒音がなければ、普通にというか、わりと年収が高い職業に就けたはずなので、ヘビメタ騒音が関連している。そういう意味でも関連している。

2017年6月11日日曜日

金儲けにかんしては、金持ちが言っていることが正しい か??? 

http://www.30hikikomori.com/2017/06/blog-post_95.html
私が言っていることは正しい。なぜらな、私は金持ちだからだ
の続きです。

*     *     *

でもでも~~~、でもでもでも~~~、金を儲ける方法に関しては、金持ちがっていることが正しいでしょ~~~。

いや~~、いやいやいや~~~~、そうとは言えない。

金に関しては、金持ちが言っていることが正しくて、貧乏人が言っていることが正しくないと考える人がいるかもしれない。

けど、これもちょっと注意が必要だ。

どうしてかというと、金持ちが、本当のことを言っているとは限らないからだ。これは、意図的に隠すつもりがある場合と、意図的に隠すつもりがない場合がある。しかし、金持ちが本当のことを言っているとは限らない。


本当は、金を儲ける方法としてメインのことを語らなければならないのだけど、サブのことばかり語る人が出てくる。本当は、その人もメインの方法で金を儲けているのだけど、メインの方法にはまったくふれずに、「こころのステージ」「マインドセット」「幸運グッズの使い方」といったサブのことばかり言う人がいる。

これは、どういうことかというと、さっきも書いたとおりのことなんだけど、わかりやすくパチンコの話しにしよう。パチンコに勝つには、データを集めることが必要だとする。これがメインの方法だ。

そして、サブの方法は、たとえば、神棚にパチンコの玉を置いて、パチンコ屋に行く前に、手を合わせてお祈りをするということだ。お祈りの言葉は「玉ちゃん玉ちゃん、今日も仲間をいっぱい連れてきてね」という言葉にしておこう。……お祈りの言葉は教祖や信者にとって強烈に重要なことだけど、本当は、適当なものかもしれない。

で、その「パチンコ玉ちゃん教」の教祖は、本当にパチンコで金を儲けて、お金持ちになった人だとする。だから、その人が、お金持ちで、お金の儲け方について語っているということ自体は、真実だとする。

その場合、本当は、金を儲けるメインの方法はデータを集めて、データを分析して、データにあわせた行動をとるということになる。

しかし、その教祖は、そういうふうに言わない。本当に必要な方法は、どうやってデータを集めて、どうやってデータを分析して、どうやって、そのデータ分析を実際の行動に役立てるかという方法だ。

しかし、その人はそのことについて一切合切ふれないで、「神棚にパチンコの玉を置いて、パチンコ屋に行く前に、手を合わせてお祈りをすれば、パチンコの玉が出る」とか、「玉ちゃん玉ちゃん、今日も仲間をいっぱい連れてきてね」と言えばいいというようなことばかり言う。

で、これは不思議なことなんだけど、「本人が本当にそう思っている場合」がある。メインのことは頭にあがらず、サブの方法だけが頭に浮かぶ。そして、サブの方法を実行したから、いまの自分がある。お金持ちでいられるということを言う。その場合、本当に悪意がなく、本人がそう思っている場合がある。

それを聴いた信者が、「神棚にパチンコの玉を置いて、パチンコ屋に行く前に、手を合わせてお祈り」をして、「玉ちゃん玉ちゃん、今日も仲間をいっぱい連れてきてね」と言った場合、どういうことが起こるかというと、信者が損をする。

しかし、ここで重要なのは、損をする信者だけではないということだ。ちゃんと、得をする信者も出てくる。要するに、「神棚にパチンコの玉を置いて、パチンコ屋に行く前に、手を合わせてお祈り」をして、「玉ちゃん玉ちゃん、今日も仲間をいっぱい連れてきてね」と言ったら、パチンコで、玉が出て、お金が入ってきたということを言う信者が現れる。

おなじように、「神棚にパチンコの玉を置いて、パチンコ屋に行く前に、手を合わせてお祈り」をして、「玉ちゃん玉ちゃん、今日も仲間をいっぱい連れてきてね」と言ったにもかかわらず、パチンコに使った分だけ金がなくなる信者と、パチンコで金を儲けることができた信者が出てくる。

これは、「神棚にパチンコの玉を置いて、パチンコ屋に行く前に、手を合わせてお祈り」をして、「玉ちゃん玉ちゃん、今日も仲間をいっぱい連れてきてね」と言わなくてもおなじ結果がでる。

「神棚にパチンコの玉を置いて、パチンコ屋に行く前に、手を合わせてお祈り」をして、「玉ちゃん玉ちゃん、今日も仲間をいっぱい連れてきてね」と言わなくても、ある人は儲けて、ある人は損をする。

だから、「神棚にパチンコの玉を置いて、パチンコ屋に行く前に、手を合わせてお祈り」をして、「玉ちゃん玉ちゃん、今日も仲間をいっぱい連れてきてね」と言った※から※、金が儲かったわけじゃない。

けど、「神棚にパチンコの玉を置いて、パチンコ屋に行く前に、手を合わせてお祈り」をして、「玉ちゃん玉ちゃん、今日も仲間をいっぱい連れてきてね」と言って、実際に儲かった信者は、「神棚にパチンコの玉を置いて、パチンコ屋に行く前に、手を合わせてお祈り」をして、「玉ちゃん玉ちゃん、今日も仲間をいっぱい連れてきてね」と※言ったからこそ※、儲かったのだと信じる。

そういう、理由付けをする。

そして、そういう行為を他の人は「否定」できない。「理由」というのは、どうにでも言えるからだ。すでに現実化したことについて、どういうふうに理由をつけるかのかというのは、「個人の自由だ」という部分がある。

この場合、問題なのは、サブの方法であるにもかかわらず、その方法でパチンコの玉がでたと思う人が出てきてしまうことだ。要するに、サブの方法はプラシーボみたいなもので本当は意味がないんだけど、サブの方法が「効いた」と信じ込む人が出てくる。その人にとっては良いことだけど、あらそいがうまれる。

すべてのサブの方法が効いたと信じ込む人が、いまから述べるような人であるとは言わない。しかし、中にはこれから述べるような傾向を持った人がいる。

サブの方法が効いたと信じている人にとっては、教祖様は絶対の存在になる。なので、「サブの方法をやったのに効かなかった」という人を毛嫌いして、攻撃し出す。その人にとっては「サブの方法をやったのに効かなかった」と言う人は、邪魔な存在なのである。

「サブの方法をやったのに効かなかった」人が「サブの方法をやったのに効かなかった」とコメント欄に書くと、効いた人であってなおかつ単純な人は「俺は出た。効かなかったとかネガティブなことを書くな」とネガティブな攻撃をしてしまうのである。

「玉ちゃん教」だから、滑稽に聞こえるかもしれないけど、精神世界系ではよくある話しなんだよ……これ。「効かないのは、おまえがネガティブだからだ。ネガティブなことを言うな」とネガティブな攻撃をし出す人がわりと多い。その人にとってみれば好きなアイドルをけなされたような気持ちになるのだろう。「効かなかった」と報告する人をネガティブな言葉で攻撃する。

けっきょく、サブの方法なので、「効いた」とか「効かなかった」というようなことに関して話し合うことは本当は、意味がない。けど、この手のあらそいは、精神世界系の世界でよく発生することだ。

教祖がすすめた方法が効かなかったと言う人は、「それは、おまえが悪いんだ」というような攻撃を受けがちだ。かならず、「それは、おまえが悪いんだ」というような攻撃を仕掛けてくる人が出てくる。特に、そういう人たちは「ネガティブだからだめなんだ」というような理屈を言う。

「出なかったのは、おまえがネガティブだからだめなんだ。出ないという結果を、おまえが引き寄せた。本当に熱心に念じたかのか? 俺は、ちゃんと出た。いちゃもんをつけるな」と怒ってしまう。こういうことを書くこと自体、相当にネガティブだと思うんだけど、その人は、自分はポジティブだと思っているらしい。

こういう、悪質な信者も出てくる。それは、信者の性格が悪いのであって、たしかに、「こういう行為をするひとが出てくるから、そういうことは言うな」と言ってもしかたがない部分はある。教祖に向かって、「そういうひとが出てくるから、あんまり、メインじゃないスピリチュアルなことを言うのはよくないことだ」と言うことに関しては、私は中立的な立場を通したい。

基本的に、「本当のこと……つまり、メイン方法について言うべきであって、サブの方法だけを言うのは間違っている。それは、あまりいい行為ではない」ということは、言える。けど、性格の悪い信者の言動にまで、責任は持てないだろう。けど、スピリチュアルな教祖ならば、そういうことまで考えて発言をするべきだとは思う。

教祖がすすめた方法が効かなかったという人に対して、「それは、おまえがネガティブだからだ」といったような攻撃をする人たちに言いたいことが、ある。そういう攻撃は良くないということだ。即座に、そういうことをやめたほうがいい。それは、ぜんぜんスピリチュアルなことではないから。スピリチュアルな文言を使っているけど、やっていることは、むしろそれに反することなんだよ。耳が痛いとは思うけど、そういうことをやったことがある人はやめたほうがいい。

で、そういう信者も出てくるというような現代の事情に関して説明したわけだけど、これから結論を言う。

お金のことに関して、お金持ちが言っていることが正しいかどうかは、わからない。お金儲けに関して、金持ちが言っていることが正しいかどうかはわからない。

理由は、金持ちが、無意識的に、あるいは意図的に、メインの方法について触れないで、サブの方法だけを言う場合があるからだ。お金持ちが、「私は、お金持ちだから、お金儲けに関して私が言っていることは正しい」と言った場合、この命題が成り立つかどうかは、メインの方法について語っているかどうかに依存する。

2017年6月9日金曜日

その三年間、フォークギターの音に関して文句を言ってない

しかし、ほんとうに狂いそうになるな。
これは、いかんよ。

そりゃ、視るものはけっこうあるけど、これは、いかん。
つまらない。基本、つまらない。
そりゃ、視るものがあってもつまらないだろ。
こんなんじゃ。

これは、おかしい。本当に現実なのか?
ヘビメタにやられなかった場合のぼくが、現実なのでは?
ぼくがというよりも、ぼくの世界がと言ったほうが正解か。
これは、おかしい。まちがっている。
どう考えてもおかしい。こんなのはおかしい。
ヘビメタにやられて、こんな人生なのはおかしい。


ヘビメタにやられなかった場合の、平行世界の俺は、さぞかし活躍していることだろう。これ、つらすぎるわぁ。あと、ほんとうに、ひとから誤解された。

これ、メカニズムというかプロセスを説明するのはむずかしいのだけど、そうなる。誰もがみんな、経験すれば、ほぼ同じプロセスをたどって、ダメになると思う。ひとから誤解される人生になると思う。そういうことがいろいろと積み重なると思う。過労死にし至るまでの段階を三段階に分けて説明する理論があったと思う。

これ、ちょっと探してみたけどないんだよな。そのなかで、「別人化」といわれる状態があるのだけど、その状態でずっと何年間も生きているような状態なんだよ。だから、ひとから誤解を受ける。ヘビメタ騒音が鳴りやめば、楽に勉強ができたはずなんだよな。もう、基本的な設定から違う。

なんで俺だけ、きちがいヘビメタ騒音をずっとやられてなければならないんだよ?

こんなのおかしいよ。こんなおかしい世界を作った気違い兄貴は、やってないつもりなんだからな。これもおかしい。どれだけの意地で、こだわってこだわって、やりきったか。鳴らしまくったか? 頭がおかしい。あれで「ゆずってやった」「静かにしてやった」と本当に考えているとしたら頭がおかしい。で、たぶんそうなんだろうな。

で、「ゆずってやったつもり」「静かにしてやったつもり」で一日中、どんな小さな時間も見つけて、どれだけ何を言われても、ヘビメタを鳴らしきったんだろうな。

で、それに関しては、まったくやってないつもりなんだよ。一日に何十回言われても、トータルで何万回言われても、まったく言われてないつもりなんだよ。そういうふうに、毎日リセットされてしまう。こっちは、毎日、つもっているよ。

いま、横の幼稚園で、複数の子供が騒いでいる。だから、普通に考えればうるさい。で、ぼくは、このくらいの音なら、じゅうぶんに勉強ができる状態なんだよ。好きな本も読める状態なんだよ。俺の騒音感度は、そんなに高くない。少なくても、きちがい蛇女た騒音にやられる前は、騒音感度は人並みだったはずだ。

だいたい、きちがい兄貴がエレギターを引く前に、フォークギターを弾いているのだけど、ぼくは、一日に一回も、フォークギターの音にかんして文句を言ってない。兄貴は合計で三年間、フォークギターを弾いていたけど、ぼくは一日も、一回も、文句を言ってない。きちがい兄貴が普通のステレオで普通の音楽を聞いているときも、文句を言ってない。あのエレキ・ギターを買って、あの、でかいステレオを買ってからの話なんだ。

で、これ、きちがい兄貴には、気違い的なこだわりがあった。

ほんとうに、一秒だって絶対に譲りたくないのである。

で、そういう意地を通した。そういうこだわり通した。そのこだわりのとおりに実行してずっと鳴らした。こっちが、入学試験だろうが期末試験だろうがなんだろうが、絶対の意地で鳴らして、一秒もゆずってくれなかった。

これが本当に兄貴がこの世でやったことなのに、まったくわかってない。親父のようにまったくわかってない。自分がこだわってこだわってこだわってこだわって、こだわりぬいて、絶対にゆずらないでやったとは、「そんなにやったことじゃない」のだ。

けど、やっている最中から、そういう態度なんだよな。頭がおかしい。何度も言っているけど、ハンダゴテ事件における親父の態度とおなじなんだよ。こんなの、普通の人に、わかるわけがない。「どんなに鳴らしていると言ったってたいして鳴らしてないんだろ」とか「それは、家族で解決してください」って、俺がどれだけ言われたと思っているんだよ? きちがい親父やきちがい兄貴の「うちでの!!状態!!!」なんて、他の人には、まったく想像もつかない。

私が言っていることは正しい。なぜらな、私は金持ちだからだ

私が言っていることは正しい。なぜらな、私は金持ちだからだ。
貧乏人がいうことはまちがっている。なぜなら、彼らが貧乏人だからだ。

こういう考え方をしている人がいる。けど、これはまちがっている。どうして、こういう、簡単な手口に引っかかるんだ? どうして、こういう大風呂敷トークに引っかかる?

真実はこうだ。金持ちが正しいことを言う場合はある。金持ちがまちがったことを言う場合もある。貧乏人が正しいことを言う場合はある。貧乏人がまちがったことを言う場合もある。発言が正しいかどうかは、発言者が金持ちかどうかとは、関係がない。

これが、真実。

2017年6月8日木曜日

文章の書き方 「上から書いていく方法」と「下から書いていく方法」


実は文章を作成するにはふたつの方法がある。ひとつは上から書いていく方法で、もうひとつはしたから書いていく方法だ。上からというのは、理論構造上「うえ」ということだ。下からというのは理論構造上「した」ということだ。
ようするに、見出しから書いていくか、内容そのものを書いていくかの違いがある。まず、見出しを思いつく分だけ書いて、そのあとに、抜けがないか確かめながら、見出しをたしていく。見出しには階層状の序列があり、上から書くのだから、当然、より上位の見出しから書いていく。大見出しを何個か書き、中見出しが必要なら、中見出しを書き、小見出しが必要なら小見出しを書く。中見出しを大見出しに「出世」させることもあるだろうし、大見出しを中見出しに「降格」することもあるだろう。しかし、この段階で、理論構造上はすべてのものが出そろっているということになる。
あとは、各見出しに対応した文章を書けばいい。各見出しに対応した文章というのは、詳細な内容だ。すべての大見出し、中見出し、小見出しの文章を書いてしまえば、構造的にはわりとすぐれている文章全体ができあがるわけだ。

これが、上から書いていく方法だけど、下から書いていく方法もある。下から書いていく方法は、まず、「詳細な内容」を書いてしまう方法だ。詳細な内容を理論構造とは関係なく、まず書き出す。そして、詳細な内容に、見出しをつける。詳細な内容と見出しがある「かたまり」をいくつか並べる。必要な「詳細な内容」があれば、詳細な内容を書いて、見出しをつける。そうやって、何個か詳細な内容を伴う「かたまり」をあとで整理して並べる。称さない内容を書いてから、あとで、理論的な構造を作っていく。
実際には、必要な「詳細な内容」を書き出す前に、詳細な内容に対応する見出しを考えてしまうこともあるだろう。その場合は、見出し書いたあとに、詳細な内容を書くということになる。しかし、全体の流れとしては、まず詳細な内容を書いてしまって、そのあと、理論的な構造の調整をするということになる。これが、下から書いていく方法だ。下から書いていく方法だとランダムに自分の書きたいところか書けるという利点がある。




2017年6月6日火曜日

不毛~~~不毛~~~

不毛~~~不毛~~~
意味なし、意味なし、意味なし。

もう、だめだ。足、引っぱられ感が並みじゃない。

みんな、よく生きているな。いや、「みんな」は、参考にならない。俺だってみんなとおなじようにヘビメタ騒音が鳴ってなかったら、こんなになってない。これ、鳴っている感じだ。

おれ、このまま死ぬ確率のほうが高いな。

いま、午後九時一八分。
これ、ヘビメタ騒音が鳴っている午後九時一八分の雰囲気だ。

   *     *     *
本当に「連鎖」というのがある。「連鎖」がきつい。
過労死にいたる前の状態で、ずっと暮らしてきた。しかも、過労死の場合は、他の人には、その人が働いていることがわかっている。俺は人知れず、鳴らされてきたわけだよな。お母さんと近所の人をのぞけば……。不毛。そもそもが踏もう。きちがい兄貴が、いまいいわけでなにを言おうが、当時は、絶対にやめてやるつもりがなかったんだよ。絶対に、一分でも静かにしてやるつもりが、何年間も何年間も本当に、なかった。いまになれば、まるで、言われたら静かにしてやった」みたいなことを言っているけど、嘘。そういう嘘を平気でつけるんだよな。おまえ、きちがい兄貴、やっているときの記憶がないのか?

本当、連鎖でおかしくなる。連鎖する。どうしても、連鎖する。どうしても、どうしても、連鎖する。負の連鎖がとまらない。ヘビメタ騒音の毎日というのは、そういう毎日だ。ヘビメタ騒音が毎日七時間以上鳴るということは、そういうことだ。

夏休みは、四〇日中四〇日、全部の日、朝の九時一五分から、夜の一一時一〇分まで、鳴らした。途中の休みは、昼間の一〇分間と、夜の三〇分間だけだ。それをのぞいて、朝から晩まで、ぼくがどれだけ「宿題やるから鳴らすな」と言っても、一分もゆずらないで鳴らしていた。ゆずらないで鳴らしていたんだよ。毎日。だから、毎日鳴らしていたんだけど、どれだけ言われても、「宿題の邪魔をしているつもりがない」。で、つもりがない以上は、一日に一三時間以上、そうしていても、まったく、一秒もそんなことをしたつもりがない、ままなんだよ。で、一日がそういうふうにすぎて、四〇日が、そういうふうにすぎる。で、四〇日目に、「宿題をするからやめろ」と言われても、絶対にゆずってくれなかった。で、俺が自分の部屋よりは、下の部屋でやった方が、まだヘビメタ騒音の音量が小さいので、下の部屋でやっていた。けど、下の部屋も、まるで、そのしたの部屋で、爆音でヘビメタを鳴らしているような状態で、くそうるさかった。下の部屋にあるテレビの音をどれだけでかくしても、二階で鳴っているヘビメタの音のほうがずっとでかい状態だった。そういう、でかさで鳴らしている。で、きちがい兄貴が一階にある冷蔵庫に飲み物を


兄貴の気違いヘビメタ騒音と通常の騒音とでは、天と地の開きがある

はて、どうするか。幼稚園の騒音をかき消すためにバロック音楽をかけている。本当は、音がない方がいい。けど、まあ、しょうがない。けど、こういうときですら「ヘビメタ騒音がはじまるんじゃないか」みたいな、発狂的な?突き刺さるような?予期不安がある。空間的な認知なんだよね。音と、音の記憶なんだけど、苦しめられたことは、空間認知で、空間認知が続く限り、終わらない。

ぼくが消滅しない限り終わらない。

まあ、目をつぶっても、生きていれば、感覚があるわけだけど、そして、思考があるわけだけど……なんて言うのかな? 空間全部が!時間全部が!ヘビメタ騒音なんだよね。ヘビメタ騒音の可能性なんだよね。本当、生きているのが破滅的くるしかった。鳴らされているあいだずっと発狂的な怒りが持続した。そして、基地外兄貴の部屋に、「鳴らすな!!!鳴らすな!!!鳴らすな!!!鳴らすな!!!鳴らすな!!!鳴らすな!!!」と言うために行くんだけど、どれだけさけんだって、気違い兄貴がそこでやめてくれるということがない。

やめて、一分間、我慢してくれるということがない。

全部が全部、毎日毎日、そういう状態だから。そういう時間が長すぎた。どうしてもつらい。毎日がどうしてもつらい。ヘビメタ騒音で極限状態で暮らしたあとは、もう、騒音に関しては、「ふち」にある。一本の藁で、崩れ落ちてしまうようなロバのような状態だ。ロバの背中に荷物を載せるわけだけど、その荷物が重くても、限界のちょっと前までは、たったまま耐えられる。けど、わずか一本の藁で、限界を越えると、立っていられなくなる……というやつ。実際には、一本ではないんだろうけどな。ともかく、限界的な状態というのがある。限界的な状態のちょっとまえまでなら、耐えられるけど、どんな小さな衝撃でも、崩れ落ちてしまうような限界ポイントがある。

もともと、ヘビメタ騒音疲れがたまって、ヘビメタ騒音毒素がたまっている状態だと、通常の騒音でも、……騒音は騒音で似ているところがあるので……だめになってしまう。けど、俺は、幼稚園の騒音に関しては、この歳になるまで平気だったんだけどな。まあ、子供の声に関しては、元気をもらうみたいな感じがあった。で、これを他の人に話したことがあるんだけど……。あるんだよ。そうしたらその人が「だったら、いいじゃない」と言ったんだよ。これは、「だったら、ヘビメタ騒音だってたいしたことじゃないんだらいいんじゃない」という意味だ。けど、ちがうんだよね。そんなんじゃないってば。

もう、こういうのが、腹立たしい。どれだけの違いがあるか。ヘビメタ騒音と幼稚園の騒音とでは、質と量がちがうんだよ。どうして、ちゃんと説明しているのにわからないのか? 頭にくる。「だったら、いいじゃない」と言った人に関しては、頭にきている。そういうレベルの理解力しかないのか。ふざけんな。

で、こういうことを言う人が実際にいたので、幼稚園の騒音は気にならないということを言っていた。実際、いまの時点でも、幼稚園の子供の絶叫系騒音と、ヘビメタ騒音では天と地の開きがあると思うけどな。けど、この発言は、子供の絶叫系騒音について悩んでいる人にとっては、きつかっただろうなというような思いがあった。

だから、まあ、いろいろとむずかしいね。けど、本当に、兄貴の気違いヘビメタ騒音と通常の騒音とでは、天と地の開きがある。ヘビメタ騒音の連続がどれだけつらいか。ヘビメタ騒音の持続で、どれだけのエネルギーがなくなるか。どれだけ、生活がつらくなるか? 兄貴は、一〇年間でいいから、兄貴の騒音相当の騒音を聞き続けて暮らすべきだ。聞かされ続けて暮らすべきだ。

あいつは、なんとも・思ってないんだよ。やっておいて、なんとも思ってない。いまですら、なんとも思ってない。きちがい親父とおなじで過去にやったことは、ぜんぜんやってないこととおなじなのである。「やってないやってない」「そんなんじゃないそんなんじゃない」と言い出す。

どれだけのこだわりで、やり続けたと思っているんだ。やっているときからそういう状態だから、やっているのに、やっているということ自体を認めなかっただけだろ。やっているときから、やっていること自体を認めないというやり方で、一歩もゆずらずに、やり続ける。そういうやり方だ。やっていることを(意識的には)認めないから、自分の思いを全部通して、こだわりきった音で鳴らすことができるのである。

2017年6月5日月曜日

「金は使うほど入ってくる。たくさん使えばたくさん入ってくる」

精神世界系の人たちは、無茶なことを言う。

「金は使うほど入ってくる。たくさん使えばたくさん入ってくる。呼吸みたいなものだ」というようなことを言う人がいる。一理あるけど、まちがっている。実際、嫁さんがそういう人の影響を受けて、浪費家になってこまっている人(旦那)がいる。一理あるんだけどね。

まず、無茶なことをいわないと、話題にならないからね。逆をいえば、いちおうは目立つ。けど、無茶なこと、逆のことを言う人が増えすぎたので、いまは、それでは、インパクトがたりない。これ、みんな、ミニ宗教なんだよね。わかるかな?

戦後、大きな宗教が崩壊して、ミニ宗教ができたわけなんだけど、いまは、ミニミニミニミニミニミニ宗教が跋扈している状態だ。だいたい、宗教の体裁をとらない。宗教組織はもたない。作者と読者というフラットな関係があるだけだ。

宗教ではなくて、心理学の体裁をとるやつもいる。もちろん、エセ心理学だ。宗教に心理学の味付けがしてあるようなものだ。そういう人たちは、わかったようなことを言う。そして、無茶なことを言う。

まあ、全体的にそういうことを言わないと受けない時代だというのはわかるけど、精神世界系のわりには、人を傷つけているんだよな。まあ、これは、そのうちわかる。

「金は使うほど入ってくる。たくさん使えばたくさん入ってくる」に関して言っておくと、主流がなければだめだ。「たくさん使えばたくさん入ってくる」と言うような人は、それを言うこと自体が、金儲けになっている人か、あるいは、金儲けの手段が別にある人だ。「別の金儲けの手段」が主流なのだ。

そして、「金は使うほど入ってくる。たくさん使えばたくさん入ってくる」というような考え方は、傍流だ。サブ。別の金儲けの手段がメインで、「たくさん使えばたくさん入ってくる」というような考え方はサブ。

けど、「金は使うほど入ってくる。たくさん使えばたくさん入ってくる」という考え方を真に受ける人は、メインの金儲けの手段がないのに、使ってしまう。金を使ってしまう。そりゃ、「金は使うほど入ってくる。たくさん使えばたくさん入ってくる」のだから、たくさん使った方がよいのだろう。けど、本当は、それでは、ただの浪費家になってしまう。収入が消費に追いつかないのであれば、借金を抱えることになる。

「たくさん使えばたくさん入ってくる」はずなのに、借金を抱えてしまうというのはどういうことか? 逆じゃあ~~な~~い?? 逆でしょ。本当は、使えば使うほど入ってくるはずなのに、借金が増えてしまう。「たくさん使えばたくさん入ってくる」はずなのに、借金が増えてしまう。

で、まあ、そういう人たちに対しては、「こころのステージが……」とか「こころの準備ができてない」とか言い出す。

「こころのステージが低いからそうなる。こころのステージが高ければ、金は使うほど入ってくる。金を使って借金が増えてしまう人は、(金持ちになる)こころの準備ができてない人なのだ」……なんてことを言い出す。

まあ、これも、最初から用意されたいいわけ。後出しなんだけどね。これは、善人のやることじゃない。詐欺師のテクニックだ。

プチ信者さんに言っておくけど、「こころのステージ」とか言い出したところで、どうにもならない詐欺トークなのだということに、気がつかなかったら、お金を取られるだけだぞ。プチ信者として、その人にお金を貢ぐだけ。こういう関係ができあがっているんだよな。

じゃ、その人が個別になんかしてくれるのか? そりゃ、教祖様は特別な客に、特別なことをしてくれるけど、「あなた」に特別なことをしてくれるのか? あなたは、説教を食らうだけだ。

メインの金儲けの道がある人は、たとえば「たくさん使えばたくさん入ってくる」というような考え方をしなくても、金が入ってくる。メインの金儲けの道がない人の場合は、「たくさん使えばたくさん入ってくる」というような倒錯思考をして、お金をたくさん使っても、金が入ってくるということがない。これが、真実。

「たくさん使えばたくさん入ってくる」というような考え方は、あくまでもサブだから。メインの行動をするためのスパイスのようなものでしかない。メインの行動をしない限り、「たくさん使えばたくさん入ってくる」と強く強く思って金を使っても、金は入ってこない。

どうして、こういうあたりまえのことが、わからなくなってしまうのか?

   *     *     *

けど、まあ、経済活動としては、ありなんだよ。だから、別にそういうことで儲けている人たちを軽蔑したりはしない。ただ、金のない人にそういうスパイスだけのことを言うと、あんまり、いい結果にはならないんじゃないかなと思う。その金のない人にとってね……。言っている人のところは金が入ってくるからそれでいいんだけど。

だから、信者さんは、サブだけを信じて、やりすぎちゃだめだということを言いたい。やりすぎなければいい。ちょっとした「こころのスパイス」みたいなものなのだから。サブの考え方は、メインの行動を起こすための起爆剤のような役割をしているわけ。本当に金がほしい人は、そのプチ宗教家に金をもたらしているメインの行動はなんなのかを考えたほうがいい。


2017年6月2日金曜日

「いやいや、そんなことありませんよ」と答えるのが、礼儀だ 「ダメ人間」 考察2

「(自分は)だめ人間である」と標榜している人は、実は、先に予防線を張りたいだけなのではないかと思う。

こういう人たちは、自分がだめ人間であるということに、本当は、引け目を感じているので、そこにふれられると怒る。自分で先に言うのはよいのだけど、相手が言うのはゆるせないことなのである。実は、「だめ人間」という言葉でもっとも傷つきやすい人たちなのかもしれない。

自分で自分をダメだと言うのはいいけど、他の人が自分をダメだと言うのはゆるせないという気持を持っている人は、本当はその部分(だめな部分)を極端に気にしているのかもしれない。だから、最初に言っておいて、相手の攻撃をかわしたいのではないだろうか。

こういう人が期待している相手の言葉は「いえいえ、ぜんぜんそんなことないですよ」「ぜんぜん、だめ人間じゃないですよ」という言葉なのではないだろうか。そう言ってほしいのではないだろうか。そう言ってほしいという気持が人並み以上にあるのではないだろうか。相手が否定することを期待して、自分で自分を下げておく。そうすると、相手が否定してくれる。

ネットでは、そんなにはそういうふうにならないけど、現実生活なら、「いやいや、そんなことありませんよ」と答えるのが、礼儀だ。現実生活なら、よっぽど関係が険悪でない限り「そんなことありませんよ」というような答えを得ることができる。相手が否定した答えをしてくれれば、関係が安定する。

「だめ人間ではない」と答えたほうは、「ダメ人間である」と先に言った人間のミスを指摘しにくくなる。人間というのは、自分の発言に一貫性をもたせようとする動物なので、過去において「だめ人間ではない」と答えた相手のミスを指摘するのはできれば避けたいことになるのだ。だから、先に「だめ人間である」と宣言しておくことは、ある程度の抑止力になり得る。

ただし、この方法は、まず相手が否定してくれなければ成立しない。「本当にだめ人間ですね」肯定されてしまったら、抑止力にならない。予防線を張れない。なので、先に「だめ人間だ」と宣言するタイプの人は、肯定されてしまうと怒るのではないだろうか。

本当に、「だめ人間」という言葉にプラスのイメージを持っていて、なおかつ、自分はだめ人間だ」と言って、相手が「本当にだめ人間ですね」と肯定した場合は、怒らないかもしれない。怒る人たちはやはり、否定してほしいのだろう。

悪意がないと思っている。悪意のかたまりなんだけどな。

どうしても、ナットクガイカナイ。ヘビメタソウオンデジンセイガナイ。いつも鳴ってた。この時間、いつも鳴ってた。どれだけ言っても、一分もやめてくれなかった。それが、きちがい兄貴が実際にこの世でしたことだ。毎日毎日、一〇年以上にわたって、この世でしたことだ。俺は、十代を全部、きちがいヘビメタ騒音にとられている。納得、行かない。納得、行かない。どうしても、ナットクガイカナイ。どうしても、つかれる。どうしても、ナットクガイカナイ。


この感じが、この世の感じだ。どれだけ休んでもつかれがとれない。頭にくる。どうして、やめてくれなかった。きちがい兄貴のこだわりようは、おかしい。きちがい親父をゆうに超えるほどのこだわりだ。あんまりこだわりすぎて、自分がこだわってることがわからないという状態になっている。まさに、親父とおなじ。発狂してこだわって、こだわってこだわって、こだわって、「やってないこと」にしてやがる。

全力でこだわって鳴らして、全力でこだわって、やったということを否定する。頭がおかしいから、そういう矛盾に気がつかない。

自分がやられてみろ。自分が嫌いな音を、あの時間の長さ、ずっとやられてみろ。どれだけ毎日積み重なるか。きちがい兄貴は、どれだけ言われても、俺の勉強の邪魔をしているつもりがない日……日々なんだよ。毎日毎日、ずっと。何年間も何年間も、例外なく毎日毎日ずっと。

で、一日もやったことがない……というような気楽な認識なんだよな。自分がやられたら、一分でわかることを、何万時間やっても、わからない。認めない。……「やってない」ことになっている。あたまがおかしい。そうやって、やってきたんだよ。毎日毎日、毎時間毎時間、そうやって、更新してきた。

だから、全部積み重ねても、自分がやったという感じがしない。「そんなの知らなかった」ときちがい的な嘘をつける。こんなの、本当に、親父流の、矛盾した嘘だからな。で、親父とおなじように狂っているから、まるで悪意がないんだよ。悪意がないと思っている。悪意のかたまりなんだけどな。

きちがい兄貴は、いま住んでいるマンションでは、新しい家族がこわくて一分だって矢ないんだよ。そういうでかい音で鳴らした。俺が入試の前に取れた下やめてくれと言っても、一分もやめてくれなかったけどな。

一日に一三時間鳴らせるなら、一三時間、きっかり全部鳴らした。そういうモードだ。それで、なんとも思ってない。入学試験の前ですらそうなのだから……まるで悪気なく一三時間鳴らせるような状態なのだから、普段の日に、どれだけ言われても、静かにするわけがないだろ。

まったくなにも感じないよ。きちがい兄貴よ!! この世でおまえがやったことを、別の音で、経験してみろ。あれが、どれだけうるさい音か経験してみろ。「やったつもりがない」というのは、親父とおなじ脳みその病気で、一〇〇%意地になって絶対にゆずらずにやったことは、やったつもりがないと思っているだけだろ。一〇〇%意地になって絶対にゆずらずにやったこと!!だからこそ!!!まったくつもりがないのである。そういう病気だ。きちがい。

   *     *     *

ぼくにとってこの世というのは、そういう嘘くさい世界だ。そういう嘘くさい「この世」だ。きちがいが意地を通せば、通りが引っ込む。「どれだけやったって、やってない」のである。頭がおかしい。俺の側の世界というのは、そういう世界だ。これ、うちの基準だから。で、世間の基準とちがうから、めちゃくちゃにこまった。兄貴がそういう状態だ……親父がそういう状態だということを、世間のやつらが、信じない。常識的なことを言って、否定する。俺が言っていることを否定する。これも、なんの悪気もないことなんだけど、悪気がないといっても、きちがい兄貴やきちがい親父の「悪気がない」のとは、ぜんぜん違う。だから、このことについては、せめるつもりはない……けど、ちがうのはちがうんだよ。ちがうからちがう。


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2017年6月5日 2017年6月8日
兄がヘビメタにとりつかれてから、地獄の日々がはじまった。
という話しです。
5では 国語試験の問題についても語りました。


2017年6月1日木曜日

自分が親父みたいなことをしてたなんて、信じられない

やっぱり、どうしても納得がいかない。全部の時間をとられた。学生時代の全部の時間をとられた。納得がいかない。学生時代だけじゃないけどな。 ずっと勉強の邪魔をされていいわけがない。

しかも、やっている相手がそれに気が付かないなんて! どれだけ言われても気が付かないなんて!おかしすぎるだろ。親父モードなんだよな。家では、親父モードなんだよ。きちがい兄貴は、家では、親父とおなじことをしてたんだよ。

いまになれば、「自分が親父と一緒だなんて信じられない」「自分が親父みたいなことをしてたなんて、信じられない」と……これまた、しらばっくれればいいわけで、なんの傷もない。きちがい兄貴よ。きちがい兄貴が嫌いな音を、あの音のでかさ鳴らして、「そんなにでかい音で鳴らしてない」と言うやつがいたら、どんな思いをすると思うんだよ?

これ、きちがい兄貴にとって見れば、自分が思ったとおりの音で鳴らすことが以上命令で、それ以外このとはまったく考えてないのだろうけど……どれだけ言われても、無意識的に無視して言われたことに鳴らないのだろうけど……きちがい兄貴が思ったとおりの音で鳴らしているということは、でかい音で鳴らしているということだ。

ヘビメタが好きな兄貴の友達が、「こんな音で鳴らして大丈夫なの?」「こんな音で鳴らしたことは一度もない」と言うほどでかい音なんだよ。どれだけでかい音でも、自分が鳴らしたい以上は、普通の音なのである。だから、普通の音で鳴らしているのだから問題がない』という意識が成り立つ。

自分がでかい音で鳴らしているといことですら、親父モードで絶対に認めない。そういう態度で鳴らしている他人がいたらどう思うんだよ? きちがい兄貴!!!

そして、そいつが「でかい音で鳴らしてない」と言ったらどう思うんだよ?

きちがい兄貴だって、太鼓の音をあの音のでかさで鳴らされたら、うるさいと思うんだよ。そういう音で鳴らしてたんだよ。これ、鳴らしているあいだ一五年間、親父のように、認めないんだよ。こういう基本的なことを認めないでやりきるというのが、親父や兄貴の手口だ。それで、一五年間毎日やったら、もう、一六年目には「やってない」「やってない」と言い出す。「鳴らしてない」「そんなに鳴らしてない」「そんなにやってない」と言い出す。

これ、本人はほんとうにそういうつもりらしいのである。そういうことが、どれだけ『相手』にとって屈辱的なことかわからないのかよ?

親父がやったことをそのまま、俺にやり付けている。おやじにやられてくしやかったことを、騒音で、俺にやり付けている。兄貴は、そういう人間だ。態度がおなじなんだよ。親父とまったくおなじ。怒っているときの親父とまったくおなじ。

で、毎日、毎分毎秒、うちにいたら、『そういう状態』なんだよ。『そうじゃない状態』の時間が一分だって一秒だってない。うちにいたら、自然に、そういう状態なのである。息を吸うようにそういう状態になる。で、「はいって」やったことは、なんだろうが絶対に認めない。何十年でもしらばっくれて絶対に認めない。そういう人格なんだよ。

だから、よそのうちではやらないことでも、うちでは、全部やりきっている。で、まったくやったつもりがないという意識を保持している。頭がおかしい!!! で、頭のおかしさを利用して、自分がやりたいことをとおしてしまう。よその人なんて、軽くだませる。本人が、よその人の前では、「やってないつもり」だからな。

よその人は『そんな人はいない』と思っている。そういうことがあっても『話せばわかる』と思っている。「そういうことは、家族でよく話しあえばいい」と思っている。けど!! そんな話しあいが成り立つわけがないだろ。本人はまったくやってないつもりで!!!すべての時間やりきるのだから!!!

こんなバカなことはないと思うかもしれないけど、すべての態度がソウナッテイルだよな。そうなっているからそうなっている……そうとしか言いようがない。全部、自分がやりたいようにやることに奉仕している。だから、「やっているのに、やってないつもりでいる」というのも、自分がやりたいようにやることの……一部だ。自分がやりたいようにするための、サポート機能なのである。「やっているのに本人はやってないつもりでいる」「全部やっているのに、まったくやってないつもりでいる」「意地を張って全部の時間やっているのにもかかわらず、本人はまったくやってないのとおなじ気持ちでいる」というが、「やりきること」に奉仕するのである。

だから、それを支える一部だ。そういうゆがんだ認識が、ヘビメタ騒音を全部思った通りの音で、思った通りの時間鳴らし切るという具体的な行為を支える!一部になっている。

「意地を張って全部の時間やっているのにもかかわらず、本人はまったくやってないのとおなじ気持ちでいる」というのが、そういう毎日の行為を支えている。

きちがい兄貴にとっては、気にせずに、全部の時間自分が満足できる音で鳴らすということだ。そして、親父にとっては全部の時間、自分が満足できるように、怒鳴り散らすということだ。で、わけがわからないことで怒鳴り散らしているのにもかかわらず、「そんなつもりがまったくない」状態なのである。「そんなつもりがまったくない」のであれば、「やめてくれ」言えばやめてくれるかというと、それは、絶対にない。兄貴もおなじなんだよ。
わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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「公開バージョン」はもとのバージョンの一部を文脈に関係なく削除したものなので、段落と段落のつながりがおかしい場合があります。(少し不自然な場合があります)。ご了承ください。

死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。