たとえば、「日経平均が、五時間後には、いまよりも一万円分あがっている」と言ったとする。言えば言ったことが、現実化するので、五時間後には、いまよりも一万円分あがっているはずなのである。
ところが、あがらなかったとする。
あがらなかったら、「言えば言ったことが現実化する」という言霊理論はまちがっていたということだ。あがらなかったのに、言霊理論は正しいということにはならないのである。
ところが、言霊主義者は、「言い方が悪かったからあがらなかった」と詐欺師顔負けの言い訳をするのである。
これ自体が、悪いことだ。
いいことなんてしてない。
悪いことをしているという自覚がないのだ。
どうしてかというと、幼児的万能感が強くて、矛盾を矛盾として感じることができないからだ。
「そんなのは、どうだっていい」「言霊は正しい」と言ってしまえば、それで、すんでしまうことなのである。
たとえば、株の専門家が、正月に、今年はこうなるというような予想をたてるとする。
これは、予想だ。
「たぶんこうなるだろう」と予想しただけだ。正月に言ったことが、現実化している専門家はものすごく、少ない。
いちおう、あたっている専門家だって、予想があたっただけだ。
「言ったから、言った通りになった」わけではない。言ったので、言霊の力によって、現実化したのではないのだ。
言霊の力によって、本来の現実がかえられて、別の現実になったわけではない。
あてた専門家は、ただ単に、「こういうふうに動くだろう」ということを言っただけだ。
「こういうふうに動く」「こういうふうになる」と(自分が)言ったから、言霊の力によってそうなったと、主張しているわけではないのである。
現実を言霊の力によってかえたのではなくて、現実を予想しただけだ。
だいたい、予想をはずした専門家だって「こういうふうに動く」「こういうふうになる」と言っている。
当然、あたった専門家とはちがうことを言っている。
はずした専門家が言ったことは、現実化していない。
もちろん、あてた専門家だって、言霊の力で、現実をかえたわけではないのだ。
しかし、言霊主義者は、あてた専門家が、「こういうふうに動く」「こういうふうになる」と言ったから、言霊の力で、「こういうふうに動いた」「こういうふうになった」と誤解をしてしまうのである。
この誤解の力が強すぎるのだ。
あたらなかった専門家のほうが、数としては多いので、あたらなかった専門家が言ったことは、ガン無視だ。
あたらなかった専門家が言ったことが、現実しかなかったということは、ガン無視なのだ。
だから、言霊主義者のなかでは、『言霊が正しい』と思えるようなことにしか、意識が集中しないのである。
言霊が正しいと思えるようなことだって、予想があたっただけで、言ったから、言霊の力によって、言ったことが現実化したわけではないのだ。言ったから、現実が言った通りになったわけではない。
こんな、幼稚なカルト理論を、だいの大人が、目を輝かせて言う。ドヤ顔で言う。
さらに、言ったのに、言った通りにならなかった場合は、「言い方が悪いから現実化しなかった」とアホなことを言い、人のせいにする。
もうすでに書いたけど、言っても、言い方が悪いと現実化しないのであれば、言えば言ったことが現実化するとは言えないのだ。理論的におかしい。
* * *
ある銘柄の株価があがるかどうかというのは、二分の一の確率だ。
けど、この場合は、一定の時間を決めておかなければならない。
たとえば、一時間後にここまであがるとか、一時間後にここまでさがるということを決めておかなければならない。そうしないと、確率は50%とは言えない。二分の一の確率であたるということにはならない。
それぞれの時間にあがったときもあれば、さがったときもあるという感じで動いているので、時間のほうを自由に解釈できるなら、どっちも正しいという状態がしょうじてしまうことがある。
「一時間後にはさがったけど、一〇年後には、あがった」……こういうことだってある。
言霊主義者は、「言霊は絶対だ」とか「言霊は宇宙をつらぬく絶対法則だ」とか「言霊が正しい」とかと言っている。
言霊理論を批判されると、腹をたてる言霊主義者が多い。多くの言霊信者にとって、「言霊は正義」なのだ。
だから、多くの言霊主義者は「言霊理論がまちがっている」ということを聞かされると、腹をたてるのだ。
これも、すでに指摘したけど「言霊」自体が、信仰の対象のようなものになっている。
多くの言霊主義者にとっては、「言霊は神のようなものだから」「神を汚されたように」腹をてるのだ。まさしく、言霊信仰だ。
ともかく、言霊主義者が本気で言霊を信じているのであれば、自分が、一定時間後のある株価を予想して、はずしたときは、言霊理論が正しくないということに、つきあたらなければならない。
言えば言ったことが現実化するのだから、自分が「この銘柄が、一時間後に何千・何百円になる」と言ったら、その通りにならなければならない。
その通りにならなければ、言霊理論は正しくないということになるのである。
言っても、言った通りにならなかった。
言えば言った通りになるという言霊理論はまちがっていると認識しなければならないのである。
株をやっている言霊主義者が「自分の予想は、あたるときもあるし、あたらないときもある」などと言っているのは、おかしいことなのである。言えば、言ったことが現実化するのだから、言霊主義者が言ったとおりに、株価が動くのである。言霊主義者が言った通りに、株価が動かないのであれば、言霊理論がまちがっていたということなのである。さらに、株をやっている言霊主義者が「予想」という言葉を使うのはおかしなことなのである。そりゃ、そうだろ。一〇〇%の確率で、自分が言った通りになるのだから、これは予想ではない。言霊の力によって、言ったことが現実化されるわけだから、これは、予想なんかではない。断じて、ちがう。
* * *
問題なのは、「予想」と言ってしまう現実感覚や、「ばすれることもある」と言ってしまう現実感覚なのだ。この現実感覚が、言霊信仰と同時に存在してしまうのは、おかしなことなのだ。言霊主義者のなかに、この現実感覚と言霊信仰が、同時に存在してしまうのは、おかしなことなのだ。しかも、言霊主義者が、「おかしなことだ」と感じないというのも、おかしなことなのだ。
どんなばかだって、「言った通りにならなかった」と感じるはずなのである。「言った通りにならなかった」ということがわかってないわけではない。ところが、「言った通りにならなかった」のに、「言霊(理論)は正しい」と思っているのである。矛盾している。この矛盾した状態が「常態」だということが、問題なのである。