2018年1月31日水曜日

八方ふさがりになってしまうんだよな

八方ふさがりになってしまうんだよな。家の中にいる気違いにやられると。家の中にいる感覚がずれた人にやられると、世間の人が容易には信じないので、ものすごくこまったことになる。騒音だって……。

あとは、一部重なるけど、「うちでだけくるうひと」がいる。「うちでだけな。そういう場合、やはり、第三者は、第一者のみかたになるようなところがある。常識で考えれば「そんなひと、いない」「ちゃんといえば、ちゃんとつたわる」「ちゃんといわないからだめなんだ」という意見になる。そういう意見を、第三者は尊重する。自分の意見だからな。自分の感覚に基づいた自分の意見だからな。自分の常識に基づいた自分意見だからな。不調和は、いやなんだよ。例外があるということを認めるのは、いやなんだよ。不愉快なんだよ。

にしても、気違い兄貴の「自分のだまし方」がものすごい。本当に、他の人は、気違いの壁がわからない。感覚がずれたひとの壁がわからない。家族にずっとやられ続けるということの意味がわからない。やられ続けたことがないから……。

あれはない。あれはない

あれはない。あれはない。あの感じはない。常に毎日あの感じだった。この部屋で、あの感じだった。あれはない。あれはない!! あれは、いな!! あれはない!! だれに言ってもわからないことなのだけど、あれはない。どれだけ、だれに言ってもわからないことなのだろうけど、あれはない。あれはない。あれはない。







これ、こんなのでいいはずがない。あの繰り返しはきつかった。長すぎる。あれはない。だれにもわからないのだろうけど、あれはない!! あれはない!!! ぼく以外の個体にはわからないのだろうけど、あれはない。だれだってそうなる。あんなの、繰り返したら、だれだってこうなる。だれだって。だれだって、こうなるのに……経験してない人は勝手なことを言う。まるで、俺だからなったようなことを言う。自分だったら、それをやられてもそんなふうにはならなかった。自分であれば兄を静かにさせることが可能だったはずだ。だから、そんなふうにはならない。自己責任、自己責任。引き寄せ引き寄せ。



あれはない。気違いだから可能だったことだ。あとは、「過去にこだわるのはよくないことだから、前を向いて歩きましょう」か。あれはない。あれはない。ふざけるな!! あれはない。どれだけ俺が、やられているさいちゅう七年間、一〇年間、前を向いて歩いてきたか。あれはない。あれはない。

2018年1月30日火曜日

こんな現実でいいはずがない。




あの時から(ヘビメタをやられたときから)どこを歩いていても、気分が重い。で、ヘビメタのことは、言うと、あんまりよく思われないんだよね。ぼくにとっては、生活のすべてだったのに。悩みのすべてだったのに。兄貴の態度というのは、他の人にはわからない。ちょっと相談すれば、片付きそうな問題なのである。他の人はそういうふうに受け取る。重い問題だとは思わないのである。「お兄さんに、俺か言ってやる」と言ってくれた友達が二人いた。とりあえず、兄貴が鳴らしているときにきてもらえばよかったか。遠慮しちゃったんだよな。いろいろ、考えがあって……。気違い兄貴は、絶対にやめないから。そりゃ、俺の友達がいるときだけ、ちょっとだけ静かにするかもしれないけど、俺の友達が帰ったら普段通りのデカイ音で鳴らすに決まっている。

しかも、自分のヘビメタ騒音はどれだけデカイ音で鳴らしていても、フォークギターぐらいの音だと思っているところがあるらしく、絶対に、静かにしない。実際にフォークギターぐらいの音に音をおとしてくれたら、どれだけ助かるか。気違い兄貴の主観だから、なおしようがない。ちょっとでもゆずれば、ものすごくゆずってやったと思う。〇・一デシベルでもゆずってやったら九〇デシベルぐらいゆずってやったと思ってしまうところがある。これも、兄貴の主観だから、こっちがどれだけ言っても、なおらない。本人はまじめにそう思ってるわけだから。嘘なんだけど。全部、嘘なんだけどな。気違い兄貴が静かにしてくれたのは、一五年間で一日だけなんだよ。それ以外の日は、日曜祭日も含めて、一分も、一秒も静かにしてくれなかった。これが事実。けど、気違い兄貴は、親父とおなじで「やってやった」「静かにしてやった」とまじで思っている。頭がおかしい思い込みなんだけど本人の頭のなかでは、それが事実なので、「本当は静かにしてやらなかった」「本当はすべての時間意地になって、デカイ音で鳴らした」ということが、わからない。本人の中の事実と、客観的な事実が違う。常に、そういう状態だ。だから、どれだけデカイ音で、どれだけ長い時間、鳴らしても、悪いと思わないのである。だから、こまる。絶対に、首を縦に振ってくれなかった。これが、本当の態度だ。意地だ。一分だってゆずってやるわけがない、のである。親父の態度で、一日一分だってゆずってくれなかった。これが、本当の話だ。けど、親父とおなじように、現実を言い換えている。主観のなかでは、「静かにしてやったつもり」なのである。だ・か・ら、こまる。こまる。

こんな現実でいいはずがない。






2018年1月29日月曜日

第三者の要求にあわせることができなくなる

どうしてもヘビメタ騒音でくるしい。あれからずっとくるしい。どうしてもくるしい。



書くと現実化するので書いておく。



スクロール型の動画をyoutubeに投稿する。

気違いを含む音声動画をdailymortion?に投稿する。

収益はどうでもいい。



あとはどうするかな。



   *   *   *

ほうとう、つまんねぇ~~

六ヶ月でおしまいなんだよ。

六ヶ月間、あんな騒音にさらされて、学校に行くということだけでおしまいなんだよ。夏休みがあったけど、俺は、気違いヘビメタをさけるためにバレー部(球技)に入ってしまったのだ。だから、夏休みのあいだも学校には行っていたけど、朝の九時一五分から、夜の一一時一一分まで、どれだけ「やめろやめろ」と怒鳴り込んでも、気違い兄貴が頑固に鳴らす状態がかわらなかった。これ、本当、どれだけ。どれだけ。



本当、精神科医が書いていたけど、六ヶ月の騒音生活で、「私」は社会生活を維持することができない状態になった……そうだ。この人は、外国に留学していて、アパートに住んでいたんだけど、アパートのとなりの人が、統合失調症の人で、魔除けのためにへんな音楽を鳴らし続けるんだってよ。で、その人(精神科医)のほうから、悪霊がくると言って、精神科医の住んでいる部屋のほうにむけて、爆音でへんな音楽を鳴らしてたんだってよ。

本当に、一日のうち、半分の時間を「騒音」にとられて、もう半分の時間、普通にどっかに通って生活するというのは、ものすごいことなんだよ。実際には、三分の一の騒音で、人間死ぬ。自殺する。「ちたゆかなくなる」。社会生活がたちゆかなくなる。六ヶ月で。六ヶ月で。ぼくなんて六ヶ月をどれだけ超えたと思っているんだよ。相手は、頭がおかしい人で、「どれだけなにを言っても聞かない」し、ものすごくデカイ音で鳴らしているのに、ものすごくデカイ音で鳴らしているという認知がない人だ。

こまるんだよな。

死にたくなる。

これ、本当に、職場なり学校なりの第三者と、鳴らしている第一者のあいだにはされて、めちゃくちゃになるんだよな。言っていることはわかる。第三者が言っていることはわかる。けど、騒音が一日の三分の一鳴っていると、第三者の要求にあわせることが、どーーしても、どーーしても、できなくなる。できなくなるんだよ。

寝不足でよろけてしまう。寝不足で、どうしても失敗してしまうことが出てくる。失敗すれば、失敗したのは、自分だから、どうしても、責任をとらなければならなくなる。もう失敗しないようにしなければならなくなる。けど、寝不足で無理だという事情がある。

「騒音が……」と言ったって、言い訳をするなと言われるのが関の山だ。たとえば、寝不足で事故を起こしたら、どうなる? 「騒音で……寝不足で……」と言えば、「それじゃしかたがありませんね」と事故の責任を問われないということになるか? 事故であろうが、被害者?はせめてくる。責任をとれと要求してくる。

それは、あたりまえだ。わかる。わかる話だ。

しかし、鳴っていると!次、そういう事故を起こさないようにするということを、どーーーしても、どーーーしても、約束できない。限界的にがんばっていて、その状態だからだ。気を張って気を張って、注意して注意して、それで、事故を起こしてしまうときがある。

一日の、三分の一の時間、騒音が鳴っているというのは、そういうことなんだ。どれだけ、注意しても、事故を起こしてしまう。そして、事故を起こしたのが自分なら、自分が責められる。で、もう、これからは、そういう事故を起こさないように、約束しなければならなくなるけど、それが、無理なんだよ。

鳴りやめばいいけど、鳴りやまなければ、無理だ。事故を起こす前、限界的にがんばってそれなんだよ。一日に八時間けたたましい騒音が鳴っているということは、そういうことだ。

一日八時間、自分がこの世で一番嫌いな音にさらされ続けるというのは、そういうことだ。

残りの八時間が、地獄になる。

兄貴は学校でどういうことが起こっているのか知らない。「これこれこうでこまるからやめろ」と言っても、ハンダゴテの親父のよう理解しない。どれだけなにを言ってもまったく通じない。

自分の騒音で弟が困っているということを、発狂して認めない。親父のように、発狂して認めない。

はなから、わからないんだよ。

親父とおなじようにはなから、わからない。

で、第三者は、兄貴がそういう態度で、そういう意地で鳴らしているということを認めない。「そんな人、いない」だからな。こまるんだよ。気違い兄貴だって、親父にどれだけ言っても、親父が「わからなかったから」こまっていたんだよ。

それを俺にやる。やりつける。

親父のやり方で、騒音を押しつけて、「学校で俺(弟)がこまった」ということを認めない。「兄貴が騒音を鳴らしているから、学校で恥をかいた」ということを、親父のように認めない。

ハンダゴテ事件のときの親父のように認めない。

「兄貴が騒音を鳴らしているから、学校で失敗した」ということを、ハンダゴテ事件の親父のように認めない。どの時間に、「ヘビメタを鳴らさないでくれ」「これこれをやるから、ヘッドホンをしてくれ」「これこれでこまったから、鳴らさないでくれ」と言っても、気違い兄貴が、親父の態度で、はねのけて、頑固にすべての時間!ドデカイ音で鳴らす。

で、本人は、「しずかにしてやったつもり」なのである。これも、親父とおなじだ。自分が親父にやられて、くやしくてくやしくて、たまらなかったことを、俺にやりかえしている。

何千日も、何万時間もやり返している。

毎日が、ハンダゴテの日々なんだよ。兄貴よ!

「親父バリアー」で、なにを言っても、親父にはつたわらなかっただろ。親父とおなじように、「気違い兄貴バリアー」で、なにを言っても、つたわらなかったんだよ。

気違い兄貴は、気違い親父とおなじだからまったくそんなつもりがないままだ。

そういう日々なんだよ。

そういうひが何千日も、おなじように続く。

こんなんで、いいわけがないだろ。

兄貴がハンダゴテでやられたのは一日だけじゃないか。俺が兄貴にヘビメタ騒音でやられたのは、五〇〇〇日以上だ。兄貴は、気違い親父以上に、気違い親父なんだよ。一切合切認めない。やっていることと反対の意識を持っている。認知をもっている。全部が全部、親父とおなじ。やり口がおなじなんだよ。全部やりきるけど、まったくやったと思ってない。全部おなじ。

これ、本当、サトウさんのようなまじめな人にはわからないんだよな。普通の家で育った教師にはわかない。軽い問題だと思っているんだよな。ちょっと言えば通じると思っているんだよな。そんなんじゃないのに。おまえらも「現場」を無視しすぎている。

   *   *   *

俺の事情は俺にしかわからないか。「からだ」をふくめた事情というのは他の人にはわからない。たとえ、母親でも親友でも。

それにしてもヘビメタがきつかったな。本当に、俺の人生全部、ヘビメタ騒音だよ。やったやつが、やったつもりがないというね……。本当に頭にくる。そういう態度で、毎日無視して、ガンガン、すべての時間、鳴らした。可能なすべての時間、一〇〇%から九九・九%%の音でずっと鳴らした。で、俺はずっとくるしかった。死にたくなるほどくしかった。そういう、一〇年、二〇年、三〇年で、四〇年でいいはずがない。

   *   *   *

本当にどれだけくるしいか。どれだけ無視してがんばっても、やられたら!くるしくなる。毎日くるしかった。一日も、気が晴れた日がない。常に、常に、ヘビメタ騒音で嵐だったよ。さむかったよ。あつかったよ。へたってたよ。気持ち悪かったよ。全部、浴びてしまったら、自分ではどうすることもできない体調なのである。全部、浴びてしまったら、だめだ。どれだけ、言霊にこだわって、アファメーションを繰り返したって、やられてない状態にはもどらない。やられてない人がアファメーションをするのとはちがう。

本当にどれだけくるしいか。

他の人は、「浴びてしまったら、自分ではどうすることもできない体調になる」というのは、イ・ラショナルナ思考だと言うのだろ。「たとえ、ヘビメタ騒音を浴びたしても、自分では、どうすることもできないなんてことはない」と言うのだろ。けど、そういうことを言う人たちは、実際に、ヘビメタ騒音生活を経験してない。俺とおなじ分だけ毎日、あのデカイ音で、あの気違い的な態度で、ヘビメタを聞かされ続けたわけじゃない。ぜんぜんちがう。経験〇(ゼロ)じゃないか。俺は、経験一四年間だ。ぜんぜんちがう。若いときの一四年間。これがどれだけ大きいか。毎日やられてどれだけ、くるしいか。

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2018年1月27日土曜日

相談なんて成り立たない

ヘビメタ騒音でどうしてもだめだ。
これは、ヘビメタ騒音の雰囲気だ。
他の人には俺がこだわらなくていいことにこだわっているように見えるしかもしれないけど、ちがう!! だれだって、俺とおなじ量、俺とおなじ長さ、やられれば、俺とおなじような状態になる。外から見れば、こだわらなくていいことにこだわっているように見えるようになる。

ぜんぜんちがうんだけどな。

やられすぎた。本当に、気違いヘビメタ騒音で死にたい気分になる。死にはしないけど、死にたい気分だ。お母さんの布団で寝てればよかったな。中学一年生のとき、学校から帰ってきたあとどうしてもつかれて、お母さんの布団で寝てしまった。

だいたい、午後五時から、午後七時四〇分ぐらいまでなんだけど。そのあいだ、布団をとられたお母さんは、いまの椅子に座って起きてたんだけど、「どうしてもだめだから、二階で寝てくれ」と言われた。お母さんの寝室?は、家のなかでは一番しずかなところなんだよな。

ちなみに、横の居間は、なんて言うのか……眠ることができないほどの音で鳴っている。ふすまでしか区切られてないし、ふすまも閉めたわけじゃないのに、音の伝わり方がちがうんだな。

ともかく、ふすまが半分開いていても、お母さんの寝室なら寝ることができた。ちなみに、ぼくの部屋は、基地が兄貴の隣の部屋で、スピーカーの裏側にあるわけだけど、ドンドンガンガンひびいて、とてもじゃないけど眠れない。

やはり、おなじうちでも、眠れる部屋と眠れない部屋があったんだな。やはり、部屋の位置で音の伝わり方がだいぶちがうのだろう。お母さんの布団で、学校から帰ってきたあと眠ってしまうのは、一ヶ月ぐらいしか続けることができなかったけど、三年間、続ければよかった。

あそこで仮眠をとれば、次の日の朝がちがう。

けど、気違い兄貴よ!! おまえは、ずっと、鳴らしていた。俺がどれだけ、怒鳴りこんでも鳴らしていた。

次の朝、つらいんだよ。

しかも、これが、教師などにはやはりつたわらないんだよな。俺が、サボって夜更かしをしているように思うわけだから。ヘビメタのことを言っても、教師になるひとの多くは、普通の家で育ったわけで、家族の一員である気違いが気違い的な意地で、ガンガン鳴らすというのは、本当にわからないみたいなんだよな。(やったってやってない」が本当に成り立っている状態がわからない。)


「(だからそのことは)家族で相談すればいい」なんてぬかしやがるんだよ。そんな「相談」がなりたつような「いえ」じゃないのに。家族で相談して、気違い兄貴の騒音問題が解決したら、こまってないんだよ。

午後一一時一一分まで気違い的な音でガンガンヘビメタを聞かされ続けて、夜、眠れずに苦しむなんてことはないんだよ。

そんなのはあったとしても、一日で片がついている。気違い兄貴が一日中、ヘッドホンして聞けば良いわけだから。気違い兄貴が、フォークギターぐらいの音量に、エレキギターとステレオの音をおとせばいいわけだから。

けど、それがどれだけ言っても、成り立たなかった。静かにしてくれなかった。だから問題なんだよ。「相談なんて成り立たない」「気違い兄貴にどれだけ言っても気違い兄貴が静かにしない」と言っているのに、「それは、ともかく、相談してから……」みたいに言って、お茶をにごしておしまいにする。

だから、「相談のテーブルに気違い兄貴がつかないんだ」って言っているのに……。入試のときですらそうなんだぞ……。

こんなの、家の問題に首を突っ込みたくないだけだろ。

人に相談しても、気違い兄貴が鳴らしているときに、家にきて、(気違い兄貴を)羽交い締めにしてとめてくれる人じゃないとだめなんだよ。
で、その人は、一日中、兄貴を監視してくれないとだめなんだよ。羽交い締めにしてとめる人が帰ってしまったら、すぐに、フルの音(爆音)で鳴らし続ける。

一秒だって、「鳴らせる状態」なのに、静かにして我慢するなんてことはできないんだよ。

で、実際にそうしているのに、本人は「まったくそのつもりがない」という気違い的な意識状態だ。こんなのは、ない。けど、あった。あしかけ一五年間、うちでは、普通にそうだ。毎日毎日、そういう状態があたりまえなのである。

一時間、ヘッドホンをして静かにしてくれることは、足かけ一五年間で、一度もなかった。「一時間、ヘッドホンをして我慢する」なんてことがあったら、それは、(うちでは)異常な出来事だ。

一時間ですら絶対に我慢しないのが気違い兄貴だ。

そういう異常な意地が、他の人にはわからない。

で、なんだか知らないけど、俺が悪いことをしているように誤解するやつが出てくる。「兄貴がヘビメタを鳴らしてくるしい」と言っているのに、まるで俺が悪いことをしているように、誤解するやつらが出てくる。

これは、正直言って意外だった。こんなのはおかしい。

まあ、これは、俺が無職引きこもりになってからだけどな。その人たちは、無職引きこもりに偏見があるのだろう。犯罪者予備軍のような偏見があるんだろう。偏見があると、「ヘビメタ騒音でくるしいんだ」と言っても、まるで、俺が嘘を言っているように思うんだよな。

順序しては、ヘビメタ騒音が足かけ一五年間鳴って、それで、睡眠回路がこわれて、どーーーしても、ふつうに働けない「からだ」になった。

けど、その偏見がある人たちは、その因果関係がわからない。俺がサボりたいから、「お兄さんがそういう、あり得ないデカイ音で鳴らしたから、働けない」と言っているのだろうと誤解する。

事柄が発生した時間的な順序と因果関係がわかってない。だいたい、「お兄さんがそういう、あり得ないデカイ音で鳴らした」ということが事実なのか、最後まで半信半疑だ。疑いをもってる。その人たちにとっては、俺が言っていることは信じられないことなのだ。兄貴の性格や兄貴がやったことについて、俺が適当に嘘を言っていると思っている。頭にくる。こんなの、生きてたくないだろ。死にたくなるだろ。

2018年1月26日金曜日

「本物をあげた」と思っている

このあいだの続き
   *   *   *
SFとかホラー映画のように、「心臓をくれ」と言われて、「あげる」と答えたら、ほんとうに心臓を持って行かれるということを前提にした話だ。レーザーメスのようなもので切り出すのか、あるいは、手で!動いている心臓を取り出す能力がある能力者やばけもの?がいるということを前提にした話だ。

なおかつ、それをみんな知っているということを前提にした話だ。

だって、現実世界で「心臓をくれ」と言われたって、リアリティーなんてないからな。実際には「(心臓を)もっていかない」ということを知っている。冗談や、それこそテレビのまねだと思うだろ。

けど、そうじゃなくて、ほんとうに、「あげる」と言ったら、心臓を取り出されてしまうということが、わかっている世界の話しだ。心臓を抜き出す能力がある人がいるということが周知の事実であって、過去、何人も実際にそのやりかたで、心臓をとられたことがあるということも周知の事実であるような世界だ。冗談ではないということだ。



もし、そういう世界で、「心臓をくれ」と言われたら「ふざけんな」と思うでしょ。「だれがやるか」と思うでしょ。考えるまでもなく、否定するでしょ。間違っても「はい、あげます」なんて普通は言わないでしょ。



気違い兄貴にとっては、「ヘッドホンをしてくれ」と言われることが、「心臓をくれ」と言われているようなものなのだ。親父の話と、兄貴の話が交互に出てくると、どっちのことを言っているのかわからなくなる人がいるから、あんまり、親父の話と兄貴の話を交互にするべきではないのだけど、親父にとっては「新しいハンダゴテを買うための金をくれと言われることが「心臓をくれ」と言われてるようなものなのだ。



そのくらいに、いやなことなのだ。実際にあげる……実際にしてあげるということを考えることさえできないことなのだ。考える前に、怒って否定しなければ、『命がなくなるようなこと』なのだ。もちろん、兄貴がヘッドホンをしたって、兄貴は死なない。親父が、新しいハンダゴテを買うための金を出してやったって、親父は死なない。(金は持っていた)。



兄貴の話だけにしよう。兄貴にとって、本当に静かにしてやるというのは、自分の!動いている!心臓を抜き取られて持って行かれるほどいやなことなのだ。だから、『可能性』さえ考えることができない。一度は、引き受けてちゃんと考えて、答えを出すというようなことではなくて、最初から、『可能性』を考えるまでもなく、「やってやらない」とこころに決めていることなのだ。


だから、やってやらない。これ、ほんとうに「ふざけんな」という気持ちもある。実際に心臓を持って行かれる可能性がある世界で、見知らぬ人から「心臓をくれ」と言われたら「ふさげんな」と怒るよな。「なんで、俺がおまえに心臓をやらなければならないんだ」と思うよな。気違い兄貴にとっては、「静かにしてくれ」「ヘッドホンをしてくれ」と言われること自体が、見知らぬ人から「心臓をくれ」と言われることのように腹の立つことなのである。「なに言ってんだ!!ふさげたことを言うな!!」と怒りたくなるようなことなのである。



言われた自分が、怒って当然のこと。「そんなことするわけがないだろ」と怒って思うようなこと……それが、『静かにしてやること』だ。



この『静かにしてやること』というのは本当に静かにしてやるということだ。偽物の『静かにしてやる』じゃない。実際には、まったく静かにしないで、ドデカイ音でガンガン鳴らして、『静かにしてやった』と思うことはやってやれても、『ほんとうに静かにしてやる』ことは、死んでもできないのである。



自分がやりたい音で鳴らせないという状態を突きつけられて、その通りにしなければならないということが、気違い兄貴とって腹が立つことで、どんなことがあっても絶対にやってやりたくないことなのである。



だから、気違い兄貴が『静かにしてやった』と思うためにやることは、実際には、ドデカイ音で鳴らしづけることだ。だって、そうすることが『真の目的』なのだから。偽物の心臓を用意して、「はい、心臓あげた」と言って、それでおしまいにしようと思っている人とおなじだ。



偽物の心臓なのだから、自分は傷つかない。まったく傷つかない。まったく傷かつないで問題を解決しようとすると、そういうことをするということになる。で、すでに一度、あげたのだから、もう、関係がないと思うことができる。だって、「あげた」わけだから。もし、あげたのに、「心臓をよこせ」と言ってきたら、「さっきあげただろ。しつこいぞ」と言い返すこともできる。



この場合、あくまでも、心臓をあげたのに、さらに心臓をよこせと言ってくるほうがおかしいということになる。まあ、実際には「心臓をよこせ」と言ってくるほうが最初からおかしいのだけど。それは、説明のためなので、我慢してほしい。



気違い兄貴の世界では、「静かにしてくれ」と言ってくる相手は、「心臓をくれ(冗談ではなくて、ほんとうに、クレ)」と言ってくる相手のようにおかしな相手なのである。



そういうレベルで、はねのける。あたかも、そう思っているかのように、考えるまでもなく「本当に静かにしなければならない可能性」ははねのける。最初から、本当に静かにしてやることなんて考えてない。可能性としても、考えてない。



最初から、「はねのける」と決まっていることなのである。可能性ですら、「はねけのる」とかたく決まっていることなのである。



最初から可能性すらない。やってやる可能性もなければ、それを真剣に考える可能性もないことなのだ。最初から、『ノー』だと決まっている。それであたりまえ。「こうしてくれ」と言ってくれる相手のほうがおかしい。無礼! それであたりまえ。なんにも悪くない。



そういうふうに決まっている。気違い兄貴のなかでは、そういうふうに決まっている。だから、本当には静かにしない。絶対に静かにしない。



問題なのは、「本当には静かにしてない」ということがわかってないというとなのだ。心臓の例を使えば、偽物の心臓をあげた本人が、本物の心臓だと思っているという状態だ。



本当は偽物の心臓しかあげてないのに、本人は、本当の心臓をあげたと思っている状態だ。だから、「もっとよこせ」「ちゃんと本物の心臓をよこせ」と言われたら、その人は「さっき、あげたのに、なんだ!!」と怒り狂ってしまう。



その人は「本物をあげた」と思っているのだから「後から後から言ってくる方が悪い」と本気で思えるわけだ。「じゃ、心臓がないのにどうして生きているんだ」とかそういうことは、その人のなかでは問題にならないわけ。そういう矛盾を乗り越えて、無視して、頑固に自分がやりたいことを押し通そうという魂胆だから。(けど、この魂胆は、無意識的なレベルにとどまって、本人は関知してない)。



矛盾はあるわけだけど、本人は、気がつかない。



言われたって、絶対の意地で認めない。気違い兄貴の態度にもそういう矛盾はある。けど、ここで言いたいのは、気違い兄貴が(弟が言うように)静かにしなかったとしても見まったく悪いと思わなかったということだ。



そのまま鳴らしっぱなしで、まったく悪いと思わなかったということだ。そして、こっちとしては、ずっとデカイ音で鳴っているわけだから、何回も何回も、後から後から「静かにしろ」「静かにしろ」「静かにしろ」と言いに行くわけだけど、気違い兄貴にしてみれば、後から後から「静かにしろ」「静かにしろ」「静かにしろ」とと言ってくるやつが悪いぐらいにしか思わないということだ。どれだけ真剣に「こまるからやめてくれ」「明日、入試だからやめてくれ」と言われても「静かにしてやったのになんだ!」というような気持ちしか浮かばない。(実際には、まったく静かにしてない。)



そうやって、入試前日だろうがなんだろうが、何時間も何時間も、夜の一一時一一分まで絶対にゆずらないで、うるさくする。で、何度も言うけど、「悪いことをしている」と思わない。「まったく静かにしてやらないでずっとデカイ音で鳴らし続けた」と思わない。



だから、そういう人間なので、話しあいで解決するということはできない。「お兄さんに相談すればいい」というような助言はまったく役に立たない。「ちゃんと言えば、お兄さんだって静かにしてくれるよ」というのは、間違った思い込みだ。

つまらないにはわけがある

すべてがつまらない。「つまらないつまらない」と言っているからつまらなくなるんだ、という文句が聞こえてきそうだが、つまらない。



つまらないにはわけがあるんだよ。ヘビメタ騒音以降おもしろくない。つまらない。楽しさを感じる脳みそが消滅した。そんな感じでおもしろくない。つまらない。なんかやっているときも、かなりだるい。つまらない。けっこう、きついんだよ。やることは、消去法できまってくる。どうしても必要なことや、おもろしくないけど、つらいことではないことをやることになる。たとえば、アニメだって、見ている時にほんとうにおもしろいのかというと、そうではないのだ。消去法で残っているだけ。仕事関連のことだって、おもしろくないけどやるということになる。これは、本人にとっておもしろい仕事がまったくないということなのでつらい。おもしろくない仕事をしている人だって、おもしろい仕事があるかもしれないのだ。けど、ぼくの場合、ヘビメタ騒音以降、おもしろい仕事はこの世に存在しないのとイコールなのだ。楽しさを感じる脳みそが消滅したと書いたけど、十数年にわたる長期のヘビメタ騒音で、ほんとうに海馬や視床下部あたりが不可逆的な機能不全に陥っているのではないかと思う。まあ、生きているのだから、不全ではあるけど、そこそこ機能しているのだろう。けど、それは、気違いヘビメタ騒音を長期間浴びる前の脳みそじゃない。

2018年1月25日木曜日

親父に反省しろと言っているのとおなじで、無理だ

起きた~~~

さむい~~~



母親の夢を見た。

さみしい。



ネットをチェックしたあと、暇になった。



あんま、やること、ないわ。



けど、ほんとうにやる気系はヘビメタ騒音で何十年もかけて、崩壊。じょじょに崩壊。一気に崩壊。じょじょに崩壊と一気に崩壊を繰り返してきたような感じだ。ヘビメタ騒音がつもって、じょじょに崩壊していくんだけど、ふしめふしめで、一気に崩壊している時期がある。だから、じょじょがたまって、一気、また、じょじょがたまって一気というような感じで繰り返し繰り返し、だめになっている。一過性のものじゃない。三日で終われば、すんだんだけどな。

ヘビメタ騒音が長すぎる。
ヘビメタ騒音の日々が長すぎる。

どーーにもならない。もがいてもがいて、くるしかったな。どーーにもならない。めちゃくちゃだった。つねに!!!やられてくるしかった。くるしくてくるしくてたまらない。

他の人は、俺が普通に暮らしていると思っていたんだろうな。家に帰って、普通に勉強していると思っていたんだろうな。勉強なんてできるわけがないだろ。あんな、気違い空間で。どんだけけたたましい音量で「無視できない音」が鳴っているか?!

あんなの、俺の部屋にいれば、一分どころか、三秒で、「くっそ、うるさい音だ」と いうことがわかるけど、俺が言っているのを聞いただけでは、自分の騒音体験のなかの騒音しか思い浮かばないし、実際にやられてないから、わからないんだよな。

俺の部屋にいれば「こんな音で鳴っていて、よく平気だな」と思うよ。

実際、俺の部屋に入った友達からそう言われた。「こんなんで、よく勉強ができるなぁ」。勉強なんてできないよ。こんな音のなかで、勉強なんてできるわけがないだろ。

ほんとうに、全部、くるしかった。気違い兄貴は、あれを押しつけているあいだ……あのけたたましい騒音を押しつけているあいだ……静かに鳴らしていると思っていたのか? 普通の音で鳴らしていると思っていたのか?? 思っていたとしたら、兄貴は、親父以上に親父だ!!! 


全部そうなっちゃっているんだよな。

全部。

これは、「行きすぎた一般化」じゃない。ほんとうに全部なんだよ。「死んでも鳴らす」という意地で鳴らしている。絶対にやめてくれない。絶対にヘッドホンをしてくれない。スピーカーから鳴らすことに、こだわりきる。このこだわりがまた、親父とおなじなんだよな。

気違い的なこだわりで、スピーカーで鳴らすわけで、絶対に、ゆずらない。実際、あしかけ一五年間毎日、一日に一分も、ヘッドホンをしてくれなかった。事実だから!!

事実なのに、兄貴が、シランプリなんだよな。「そんな事実はない」と思っている。やったことなのに!! 自分がこだわってやったことなのに、「そんなの、やってない」と思っている。

全部、そうなんだよな。

うちで!!!!やったことは、全部、そうなんだよ!!

本人が「知らないうちにやっている」。しかも、知らないうちにやっているということにかんしては、おそろしく!こだわりがない。

自分がやったことなのに……こだわってこだわって、絶対にゆずらないでやったことなのに……「そんなの知らなかった」みたいな感覚がずっと成り立っている!!! 

で、本人が「やってないやってない」と言って、言いかえしたら、もうそれで、※すんでしまう※。やってないことになってしまう。気分的に、ほんとうにやってないことになってしまう。

これは、親父もおなじで、たとえば、ハンダゴテがほんとうに使えるのかどうかなんて、まったく関心がないのである。相手が使えないといっているから「使える!!使える!!」と発狂して、否定して、押しつける。押しつけたあとは、もう、まったく関心がない状態になっているんだよな。

「使えない」と言われたら、否定して「使える使える」と言いかえして、それでおしまい!! あとにはなにも残らない!!

だから、ほんとうは「使えるのか使えないのか」知らない期間のほうが長い。発狂して否定するのは、「言われたときだけ」なのである。その瞬間だけ。言われたときに、事実とは関係なく、あるいは、知っているか知っていないかに関係なく、「否定」する。

発狂して、反対のことを言う。で、本人が発狂して、反対のことを言い終わったら、その時点で、関心が切れている。一切合切の関心が切れている。

使えたって使えなくたってどうでもよいのである。一秒前にあれだけ、発狂して、「使える!使える!」と怒鳴って、強く主張したのに、一秒後には、もう、「そんなことはまったくなかった」というような無関心な状態になれる。

言われたときだけ!!反応して、それでおしまい。相手が言っていることを否定して、怒鳴りつけたら、もう、本人のなかでは、完全に終わっているのである。あとは、まったく関心がない状態になっている。関心がない状態になったあと、ふたたび「やっぱり、使えなかったぞ」と言われると、一回目とおなじ反応をするだけだ。ハンダゴテの『使える』『使えない』は親父の話だ。

気違い兄貴の場合は、ヘビメタ騒音を鳴らすか鳴らさないかでそうなる。ヘッドホンをするかどうかでそうなる。気違い兄貴にしてみれば、まったく譲歩になってない譲歩でもしてやったら、すごいことなのである。五分間譲歩してやったら、あとの時間は、一〇時間でも一一時間でも、『譲歩してやったのだから、鳴らしてもいい』ということことになる。

この兄貴の、ニセの譲歩は、親父のハンダゴテとおなじ役割をしている。で、ほんとうは、デカイ音で鳴らしているときに、デカイ音で鳴らしているということを認めないのである。否定している。

親父の「やってないやってない」とおなじだ。

気違い兄貴にしてみれば、それがどんなにデカイ音だって、自分がやりたい音であれば、静かな音なのである。絶対にデカイ音であるということを、認めない。

もう、そのレベルで狂っている。

で、そのレベルで狂っているということが、第三者にはわからない。それから、これが驚きなのだけど、親父とおなじように、兄貴も「わからない」ままなのだ。どれだけ兄貴に言ったって、発狂して『否定』するだけだ。

で、その発狂して否定するという態度が鳴らしているときの態度なのである。だから、鳴らしているときに「うるさいからやめろ」と言われたら(親父とおなじように)そういう反応をする。

これは、トータルで一万回、二万回、三万回、四万回、五万回、(こっちが)言ったって、通じないままだ。そのまま、一五年間経過してしまう。

気違い兄貴は、鳴らしているとき、まったく関係がないつもりで鳴らしているのである。で、「うるさいから静かにしろ」と言われたら(親父とおなじように)怒って否定しておしまいなのである。

で、本人は、二四時間中二四時間、「関係がない人のつもり」なのである。何度も言うけど、やっているさいちゅうからそういう態度だ。そういう認知だ。そういう認識だ。

一日、一四時間中二四時間、いついかなる時に言われても、怒って否定する。親父のように怒って否定する。事実とはまったく関係なく、怒って、『相手が言ったことを否定する』。

で、否定したら、本人のなかでは、終わっている。だから、何万回も否定して怒って、おしまいなのである。何万回も否定して怒って、そのまま鳴らし続けておしまいなのである。鳴らしてないときに、「こまるからやめてくれ」と言われた場合も、おなじだ。

だから、鳴らしているときも鳴らしていないときも『静かにしてくれ』ということを言われたら、怒っておしまい。

で、本人はまったくなにも、感じない状態で、……鳴らせる時間はすべて、特別にデカイ音で鳴らす。限界的にデカイ音で鳴らす。いくら、目の前が幼稚園で、他の家が離れているとはいえ、限界がある。で、その限界の音でずっと鳴らし続ける。

だから、俺の部屋は、常に気違い兄貴の騒音洪水で、いっぱいになっている。ほんとうにやめさせられることをつきつけられたら、胸くそ悪い気分になってまずは怒るのである。

で、その時は、気違い兄貴の中には、不愉快なことを言われて不愉快になったという気持ちしかない。相手のことなんて考えてないのである。だから、だれもが『でかすぎる』と思う音で、どれだけ、鳴らしたってまったく平気だ。本当に静かさせられる可能性は、怒って排除して、おしまいのである。排除したら、どれだけ何回言われたって、言われなかったことになってしまうのである。だから、絶対に反省しない。絶対に反省できない。

一日に二四時間そういう構えなのである。意識的な構えは、二四時間中二四時間かわらない。だから、なんの気兼ねもなく、ガンガンドカスカ、いまは気違い兄貴にしたって一分だって鳴らせない以上にデカイ音で鳴らして、まったくなにも感じない。あたりまえだ」と思っている。『鳴らせてあたりまえだ』と思っている。『すべての時間、自分がこの音で鳴らしたいときは、この音で鳴らせて、あたりまえだ』と思っている。

ゆずるつもりなんて、まったくない。

自分が本当に我慢して、ヘッドホンをしてゆずったり、鳴らさないでゆずるということは、一秒だって絶対にやってやりたくないことだから一秒だってやってやらないことなのである。決まっている。最初から、決まっている。やり始めたときから、決まっている。

で、それでいいと思っている。こころの底から、それで問題がないと思っている。だから、どれだけ言われても、絶対に一秒だってゆずってやらないし、それで問題がないと思っている状態なのである。どれだけ言われたって反省なんてするわけがない。

それは、親父に反省しろと言っているのとおなじで、無理だ。これ、ほんとうに無理な話なんだよ。これが、他の人にはわからない。だから、「俺(エイリ)が(お兄さんに)ちゃんと言わないからダメなんだ」みたいなことを言われる。

2018年1月24日水曜日

一度は横になる

ほんとう、このまま死ぬんだろうか。それとも、どこかでやる気が出るのだろうか?



ともかく、きょうはこれで、一度は横になる。



あまいせんべい、うまかった。



どっかで、なんかやる気が出たらいいんだけどな。

こう、カラッとさ。ヘビメタ騒音がなかったときのように、楽しい気分になりたいな。

2018年1月23日火曜日

「心臓をください」と言われた場合 (このあいだの続き)



親父にとって、使えないハンダゴテを出してきてやったということが、最大限の譲歩だということは言った。最大限の譲歩が譲歩になってないのである。兄貴もおなじだ。兄貴にとって、最大限の譲歩は、自分が静かにしてやりたいぶんだけ静かにしてやるということなのである。

一分でも、自分が静かにしてやりたい範囲で静かにしてやれば、静かにしてやったことになってしまうのである。

その時間も含めて、静かになってない。

兄貴は、よそのうちでは一分だって鳴らせない音で鳴らしている。その、「最大限譲歩して静かにしてやった時間」も「よそのうちでは、でかすぎて一分だって鳴らせないような音で」鳴らしている。だから、譲歩になってないのである。

けど、本人は、一分間でもそういう譲歩をしてやったら、もう譲歩をしてやったのだから、譲歩しなくてもいいという気持ちになる。「そんなの譲歩じゃない。ぜんぜん静かにしてないじゃないか」ということは、死んだって認めないのである。

親父が使えないハンダゴテだということを認めないのとおなじだ。

どれだけ俺が「ぜんぜん静かにしなってない。ちゃんと静かにしてくれ」「ヘッドホンをして静かにしてくれ」と言っても、自分の譲歩がまったく役に立たない譲歩だということを認めない。普通の基準で言えば、ものすごくデカイ音で鳴らしているということを認めない。

兄貴が「静かにしてやったつもりの音」がでかい音だというのは、一秒聞けば、だれもがわかるようなことなのに、(兄貴は)絶対の意地で(でかい音だというとを)認めない。さらに、認めないということも認めない。死んだって、認めない。認めたら死ぬと思っているような態度で認めない。

気違い兄貴のなかでは、「ちゃんと静かにしてやった」ということになっているのである。親父がハンダゴテならちゃんと出してあげたのだから、ハンダゴテのことは解決している(買ってやる必要がない)と思っているのとおなじだ。

兄貴が、ぜんぜん静かにしないのに、静かにしてやったと思っているのは、親父が、使えないハンダゴテを使えるハンダゴテだと思っているのとおなじだ。

親父の場合、どれだけ「使えないハンダゴテだ」ということを説明されても、絶対に認めないのである。永遠に認めない。そりゃ、認めたら死ぬと思っていたら認められるわけがない。自分が金を出してやるということは、そのくらいに、いやなことなのである。心臓をとられてしまうような、いやなことなのである。そんなことは、するはずがない。

普通の人は、「心臓をください」と言われた場合、あげないでしょ。AさんとBさんがいて、Bさんが、Aさんに「心臓をくれ」と言ったら、Bさんは、「あげられるわけがないだろ」と答えるでしょ。「わかりました。あげましょう」なんて言う人はいないでしょ。Bさんが本気だったら、「そんなの冗談じゃない」「あげられるわけがないだろ」と言うでしょ。

怒るでしょ。親父にとって、ハンダゴテを買ってやるということはそういうレベルのことなんだよ。

兄貴の場合も、まったくおなじなんだよ。相手が言うとおりに、本当に静かにしてやるというのは、自分の動いている心臓をあげるようなことなのだよ。だから、必死になって抵抗する。絶対に、あげない。絶対に、認めない。

この心臓のたとえは、突飛だけど、気違い親父や気違い兄貴の思考スタイルを普通の思考スタイルに変換して説明するには、もってこいだと思う。

「心臓をください」と本気で言われて、「はい。わかりました。あげましょう」という人は、いない。冗談だと思っていればそういうふうに言うかもしれないけど、相手が冗談で言っているのではなくて、ほんとうに、自分の心臓を取り出すつもりだったら、絶対に、「いいですよ」などと言わない。

認めない。相手の言い分を認めない。

相手が言っていることを認めて、譲歩するというとはない。もちろん、自殺するつもりの人は、「いいですよ」と言うかもしれない。けど、それは、例外だ。普通の人であるならば、絶対に、「心臓をください」と言う相手に、心臓をあげるとは言わない。

で、言いたいことは、普通の人は、相手に「心臓をあげる」と言わなかったことを反省するだろうかということだ。それから、一〇回中三回ぐらいは、心臓をあげることができるだろうかということだ。

まず、普通の人は、相手に「心臓をあげる」と言わなかったことを反省するだろうかということについて考えてみよう。見知らぬ相手から、いきなり、心臓をくれと言われて、「いいですよ」と言わなかったことについて、反省する人はない。相手がぶしつけで失礼なことを言ってきたのだから、応じる必要がないと普通の人は考えるだろう。

それとおなじように「静かにしてくれ」と言われて、「いいですよ」と言わなかったことについて反省するということはない。「静かにしてくれ」と言われたあと、気違い兄貴が静かにしなかったとしても、気違い兄貴は反省しない。他の人が「心臓をくれ」と言われて、ことわったのとおなじ心理が成り立っているからだ。

気違い兄貴にとっては、相手の言うとおりに、ヘッドホンをして静かにしてやるということは、心臓を持って行かれるようなことだからだ。死んだって、やってやりたくないことなのである。

だから、「静かにしてくれ」と言われたら、親父のように!怒って!!はねのけるわけで、「(実際に)静かにしてやらなかった」ということについては、反省するわけがない。あたりまえだと思っているのである。普通の人が「心臓をください」といわれて、「ことわった」のとおなじ状態なのである。だから、悪いことをしたとは絶対に思わない。


親父の場合を言っておくと、親父にとっては、自分の動いている心臓をあげたくないのとおなじレベルで、新しいハンダゴテを出す金をあげたくないのである。

「ハンダゴテならある。どうして、使わないんだ」という思いがある。

で、そういうふうに思ったら、相手がどれだけ「エレクトロニクス工作にはこのハンダゴテは使えない」と言っても、認めないのである。親父にとっては、そのハンダゴテが使えるかどうかに関係なく、使えるハンダゴテなのである。使えないということを認めてしまったら、金を出さなければならなくなる。それは絶対にさけなければならないことだから、事実に関係なく『使える』ということになる。

親父のなかでは、事実に関係なく使えるハンダゴテなのである。

だから、そのハンダゴテをもたせてあたりまえなのである。親父にとって『使えない』と言っている相手は、間違ったことをいっているだけなのである。使えるハンダゴテを使えないといっているだけなのである。使えないということを認めたら、金を出してやらなければならなくなるのだから、そのハンダゴテは絶対に使えるハンダゴテなのである。

使えるハンダゴテでなければならない。

使えるハンダゴテだという現実しか、受け入れることができない。最初から、現実を無視して決まっているのである。そして、現実を無視して決まっているからこそ、『使える』というのが親父にとっては現実なのだ。現実をそのように受けとめるしかないのである。

なんてたって、認めてしまったら、心臓をとっていかれるのだから、必死になって否定する。絶対の意地で認めない。事実に関係なく、(金を出してやるのがいやだから)そのハンダゴテは、絶対に使えるハンダゴテなのである。相手がどれだけなにを言っても、何万回言っても、絶対に『使えないハンダゴテだ』とは認めない。

命がかかっている。親父にとっては、使えないということを認めたら、心臓をえぐり取られてしまうのとおなじだから。心臓をえぐり取られてしまうようなことを認める人はいない。

親父にとっては、ハンダゴテが、気違い兄貴にとってはヘビメタが、心臓とおなじなのである。兄貴が、実際に自分が鳴らしている音がでかい音だということを認めるということは、親父が親父が出したハンダゴテが使えないハンダゴテだということを認めるのに等しい。

だから、命がかかっている。

たとえ一分だろうが、『でかい音だと言うことを認めて』ちゃん静かにしてやるのは、絶対にいやなのである。もちろん、認めたところで、死ぬわけではない。けど、兄貴にとっては『認めたら』心臓をもっていかれるようなことなのだ。一分間だろうが、ちゃんと静かにしてやるのは、命がけで阻止しなければならないことなのだ。認めたら、死んでしまうようなことなのだ。

だから、事実に関係なく、死のもの狂いで、認めない。自分の鳴らしている音が、でかい音だということを認めたら、本当に静かにしてやらなければならなくなるのだけど、本当に静かにしてやるのは、死んだっていやだから、やってやらないことなのだ。だから、本人は、たいしてデカイ音を鳴らしてないつもりで、実際にはデカイ音で鳴らしていた。そういう態度で常に暮らしていた。(静かにしてやるなら、自分の気持ちがこわれない程度に静かにしてやるということだから、実際には静かにしない。親父のハンダゴテとおなじで、現実的には、やったところでまったく意味がないことしか、しない。『自分の気持ちがこわれない程度』というのは、思いっきり鳴らしたい自分の気持ちがこわれない程度ということだ。ようするに、ふつうに静かにしてやるのは絶対にいやなのである。要するに、譲歩するにしろ、思いっきり鳴らすということは、ゆずりたくないのである。

やってやったところでまったく意味がない譲歩をしてやるということにこだわりつくす。そりゃ、ほんとうに譲歩してやったら、死んでしまうと考えているような状態だからだ。ほんとうの譲歩を一分でもしてやったら、心臓をとられて死んでしまうと考えているような人間の態度なのだ。

実際にはやってやったところで、まったく意味がないことにこだわる。

そして、「やったところで意味がないこと」を、してやったから、「やってやった」ということになる。「ちゃんとやってやった」つもりなのである。本人は!! 親父にしてみれば、相手が使えないといっているハンダゴテだけど、だしてやったら、それはものすごくえらいことなのである。で、だしてやったら、もうやってやったということになる。「ちゃんと」用意してやったということになる。『使えない』などと文句を言っている相手のほうが、おかしいのである。親父にとっては、『使えない』といっている相手がわるいということになる。いちゃもんをつけて、逆らっているということになる。ほんとうは、使えないハンダゴテなんだけどな。

兄貴の場合も、まったくおなじだ。自分が満足できる音で鳴らして、それで、譲歩してやるというとだから、ほんとうには譲歩しない。ほとんどまったくかわらない大きな音で鳴らす。それが、兄貴にとってできる最大限の譲歩だ。ほんとう譲歩は、一分だろうがやってやらないのである。ほんとうの譲歩を一分でもしたら、死んでしまうと考えている人間が、ほんとうの譲歩なんてするわけがない。

兄貴のなかでは、自分が!五分間、〇・一デシベルでも、静かにしてやったら、『ちゃんと静かにしてやった』ということになる。静かにしてやったらと搔くしかないので書いたが、そのあいだも、『よそのうちでは一分だって鳴らせないようなデカイ音で』鳴らしている。

だから、譲歩になってない。けど、本人は、譲歩してやったつもりになる。で、譲歩してやったのだから、あとはどれだけ鳴らしたってかまわない」という気持ちになって、入試一日前だろうが一日で一二時間鳴らせるのであれば、絶対の意地で一二時間鳴らし続ける。

それで、『譲歩してやった』と思っている。ぜんぜん悪いと思ってない。親父とおなじで、一日に、なんじゅっかい文句を言われても、まったくこたえない。一回目のおなじ反応しかしない。それに、自分はもう『静かにしてやったつもり』だからな。

親父がもってきたハンダゴテで、兄貴がひどい目に遭ったということを親父が認めなかったように、兄貴は自分のヘビメタ騒音で、弟がひどい目に遭ったということを認めない。親父にしみれば、ハンダゴテを物置からもってきてやった時点で「ちゃんと」たいしてしてやったということになっている。『使えない』という文句は認めない。使えるのに『使えない』と言ってくる相手が悪いと思うだけだ。『使えない』ということは最後の最後まで絶対に認めない。こういう態度だ。そして、実際にそうした。

兄貴は、自分の譲歩がまったく意味がない譲歩だということを認めない。兄貴にしてみれば、最初に五分間、〇・一デシベルだけ静かにしてやったら、その時点で『ちゃんと静かにしてやった』ということになっている。ちゃんと静かにしてやったのに、『ちゃんと静かにしてくれ』『もっと静かにしてくれ』と言ってくる相手が悪いと思うだけだ。実際は静かにしてないということは、最後の最後まで絶対に認めない。こういう態度だ。そして、実際にそうした。

   *   *   *




なんか俺が、好きでだらしがないことをやっているというように見られるんだよな。それは、いまだってそうだ。ひきこもり」なら、そういう目で見られるだろ。けど、これは、必然だ。気違いヘビメタ騒音の必然なんだよ。あんなの、たえられる人がいるわけがない。

兄貴は頭がおかしいからなにもやってないつもりで、すべての可能な時間、鳴らし続けたんだよ。親父とおなじ頭の持ち主なんだよ。親父とおなじ反応が返ってくる。兄貴になにを言っても、親父とおなじ反応が返ってくる。

で、そのことは、他の人には、理解できないこと、納得がいかないこと、不可解なこと、そんなことはあるはずがないこと、なんだよ。だから、板挟みになる。教師にヘビメタ騒音のことを相談してもむだだった。「ちゃんと言えばわかってくれるよ」という態度なのだ。教師は教師で、兄貴みたいな人がいるというとを認めないので、「ちゃんと言えばつたわる」「ちゃんと言わないからダメなんだ」という認識のままだ。『兄貴にちゃんと言ったけど、うるさくしている』ということをぼくが、教師にちゃんと言っても、教師にはつたわらない。まあ、家の中の、やっかいな問題には首を突っ込みたくなかったという理由もあるかもしれない。

2018年1月20日土曜日

いまもくるしい

ちょう、つまんないな。

また、ネットの調子が悪い。



あ~あ、「飛翔の年(とし)」じゃないのかよ?



あ~、つまんねぇ。



無理なものは無理なんだよ。



シンクの掃除をした。

けっこうたいへんなんぞ。これ。

いや、そんなにたいへんじゃないけど、けっこう面倒なんだよ。



   *   *   *



現在、洗濯中。

液体洗剤がなくなった。液体洗剤を買っておかないとなぁ。あーあ、めんどいなぁ。めんどい。しかし、ヘビメタがはじまってからというもの、とにもかくにも、くるしい。生きていて、くるしい。なにをやっているときも、くるしい。全部ヘビメタでくるしい。二四時間中二四時間、ヘビメタ騒音でくるしい。いまもくるしい。いまも、くるしい。



むかしはくるしかったけど、いまはくるしくないということではない。









2018年1月18日木曜日

お金の量と感謝の量……「お金は、感謝の量だ」という考え方は正しいか?

「お金は、感謝の量だ」という考え方がある。それ自体は否定しない。しかし、そういうことが成り立たない場合もある。「お金は感謝の量だ」ということについて考えてみよう。

これは、誰かがなにかをやってくれたことに関して、お礼としてお金を払うという考えかだ。だから、お金をたくさんもらっている人は、それだけ、他の人から感謝されているということになる。「お金をたくさん持っている人は、他人から感謝された量が多いので、お金をたくさん持っているのだ」ということになる。

逆に「お金を持ってない人は、他人から感謝されることをせず、他人から感謝されることをしないが故に、お金がないのだ」ということになる。しかし、それは間違っている。行為の量に対してどれだけのお金をもらえるのかというのは、残念ながら、市場で決まる。

なので、行為の量に対して、お金の量が決まっているのかというと、決まってない。おなじ行為でも、一円だったり一万円だったりする。市場で決まるから。一行為に付き一円などと決まっているわけではないので、感謝の量の尺度にはならない。おなじ行為でも、時代によって、値段がちがう。

人件費の安い外国に工場が逃げていけば、当然、国内の労働者は、外国の労働者と賃金において競争しなければならなくなる。そして、人件費の安い国の労働者には、賃金の上では絶対に勝てない。
(『無職の現象学』を参照してください)

それから、市場経済社会だと、最初から、規模のメリットがある。規模がでかいほうが、なにをやるにしても有利だという点がある。それは、金そのものについても言える。莫大な金が集まっているところ……豊富な資金があるところは、それだけで、ものすごく有利な立場にたてる。これは、感謝の量とは関係がない。規模のメリットと労働市場における賃金の決まり方は、「感謝の量」とはまったく関係がない。

なので、「お金は、感謝の量だ」ということが成立しない場合がある。(ほんとうは、規制なども、値段にものすごく影響を与えるので、規制も関係がある。規制は感謝の量とは関係がない。規制で守られているところの料金は、総じて高くなる。なので、感謝の量に関係なく、高いお金を払うということになる)。

「お金は、感謝の量だ」ということが成立するには、対等な個人が、双方の条件を出し合って、契約した場合である。対等な個人と書いたけど、サービスの提供側とサービスの受け取り側には最初から情報の格差がある。だから、ほんとうは対等とは言えない。

まあ、サービスの供給者が多数存在して、市場において競争しているのであれば、そしてまた、その競争にかんする情報がすべて開示されているのであれば、まあまあ、対等だと言える。なので、「お金は、感謝の量だ」と言う場合、それが成り立つ場合は、対等な個人が同意した場合にのみ限られることだと言うことができる。そういうのは、案外少ない。

2018年1月17日水曜日

『冬のヘビメタ騒音』の雰囲気。 だるい。しんどい。

ウエイパーでラーメンを作って食べた。麵は、冷やし中華のものを流用した。



いま正直言って元気がないんだよ。

どうするかまよっている。

買い物に行くべきか行かないべきか。

これ、ヘビメタ騒音の雰囲気なんだよな。『冬のヘビメタ騒音』の雰囲気。だから、もうだめ。問答無用でだめ。やはり、つらい気持ちを「おさえて」出て行くことになる。それか、家にいて、ベッドの上にいて、苦しんでいるかのどっちかだ。だるいからくるしい。気分もよくない。ヘビメタ騒音の冬だから。



ほんとうにどれだけ俺がヘビメタ騒音でつらい思いをしてきたか。つらい時間をすごしたか。こんなことがあっていいはずがない。間違っている。

2018年1月16日火曜日

長期間にわたって、症状が持続することもあるんだ

髪もとかさずに、自動販売機まで行ってきた。



この夜遅い時間だというのに、自動車がいっぱい走っていっていやになっちゃうよ~~。







しかし、これで、「ビタミン全開」を手に入れたので、飲むことができる。けど、けど、「果糖ぶどう糖液糖」が入ってるので、あんまり、健康にはよくない。







ちなみに、腹があんまりよくないのに、コーヒー買っちゃった。なんかもう、やけ。やけ、です。もう、ほんとうに、ヘビメタ騒音が鳴ってから、いいことがないんだよ。



それから、他の人が知らない(わからない)あれやこれやのことで、他の人との関係が悪くなっていく。これは、ほんとうにヘビメタ騒音からしょうじたことなんだよ。ヘビメタ騒音で、気力も体力もうばわれているけど、なんて言うのかな……ただ単に気力と体力がうばわれているわけではなくて、複雑に絡み合って、いろいろとうまくいかないことが出てくる。みんな、二四時間起きている状態で、仕事をしてみぃーん。作業をしてみぃーーん。



いろいろなことがぐちゃぐちゃになっていく。しかも、一日だけじゃない。二四時間起きて作業をするという状態が、一年二年、続いてみろ。そりゃ、普通に寝て起きている人と、あれやこれやのことでうまくいかなくなる。弱みが増えていく。もちろん、二四時間起きて、一年間作業し続けるというのは無理だ。



けど、二、三時間眠ればわからないよ。で、気違いヘビメタが鳴っているときの「作業」というのが、毒ガスないの作業とおなじで、どれだけ気を張ってがんばっても前に進まない(できないし)その時間その場所にいたということで、毒ガスの影響が出てしまう。鳴り終わったあと……つまり、毒ガスが一応はなくなったあとも、毒ガスの影響で気分が悪い。この気分が悪いというのは、精神的な意味で気分が悪いということと、体力的な意味で気分が悪くて動かないということが両方含まれている。



毒ガスを吸っておいて毒ガスの影響を受けないということが無理であるように、ヘビメタ騒音をずっと聞かされて……何時間も何時間もずっと聞かされて、その影響を受けないというのが無理なんだよ。



こういうレベルでも、「過去のことは過去のことだから、現在には影響がない」「過去のことは、自分の頭の中にしかない。記憶にしかすぎない」……というようなことが間違っているということがわかる。



さらに「だるいと言っているからだるくなる」というのも間違いだ。少なくてもこの場合は。毒ガスを吸ったからだるいわけで、毒ガスを吸ってだるくなっている人に「だるいと言うからだるいのだ」「元気だと言えば元気になる」なんて言ったってしかたがないだろ。



こういう人は、助言をしているようだけど、間違った原因のせいにしているので、ほんとうはよくないことをしている。これ、ほんとうに、たとえば、メチル水銀が入った魚を食べてしまって、だるくなっている人に「だるいと言うからだるいんだ」「だるくないと言えば、だるくなくなる」なんて言ってみぃ。



「だるくないと言っても、だるいまま」なのである。そうすると、(言霊信仰者は)「本気で言わないからだ」と「本気度」を問題にするけど、問題は、神経細胞に結びついたメチル水銀だ。だから、「言った」ということは関係がない。


それに、順序が違うのである。メチル水銀を摂取してないときに「だるい」と言って、それで、だるくなったわけじゃないのである。ようするに、だるくないときに、「だるい」と言ったから、そのあとで「だるくなった」わけじゃない。すでに、メチル水銀でだるくなったあとに「だるい」と言ったわけで、順序がちがう。



あくまでも、メチル水銀を摂取したあと「だるい」と感じたので「だるい」と言っただけなのだ。原因がメチル水銀を摂取したということだと、だるい期間も当然長くなる。そうなると、長い期間の中で複数回「だるい」と言っているので、当然、「だるい」という発言のあとに「だるくなった」と外からは観察できるような状態になってしまう。複数回言っているわけだから。



それから、メチル水銀が体のなかから出ていかない限り、だるい状態が消失しない。これは、努力の問題じゃないのである。気持ちの持ちようの問題じゃないのである。



長期間にわたって、症状が持続することもあるんだということをどうして認めないのか?



「だるい」と言ってだるくなるのは、他に原因がまったくないところで、「だるい」と言ったとき、なんとなくだるくなったような気がするというような人が、ちょっとはいるというレベルのことで、発言による自己暗示を受けない人もいる。心理学の実験をするときは、すでに他の理由でだるくなっている人は被験者として不適切だから、被験者になることはない。



日頃から理由があって「だるい」と感じて「だるい」と言っている人は、そういう実験の被験者としては不適切なんだよ。どうしてかというと、他にだるくなる理由がないにもかかわらず、「だるい」と言ったことによって、人はだるくなるかどうかということを調べているからだ。

それから、これ、結論?だけ、あたかも決定事項(断定)として『一人歩き』してしまうのだけど、この結論?はいろいろな誤解をうむ。帰無仮説とか棄却域といったことがわかっている人が、実験方法と検定方法を見ないと、その実験の結果からどういうことが言えるのか、正確には理解できない。

まあ、だるいと言ったあと、だるくなる人がいるかどうかという実験がおこなわれて、なおかつ、「『だるくなる』という結論が出た」と一般の人が思い込んでいることを(頭の中で)前提にした話をしてしまったけど、この実験については、調べてない。まあ、いいや。俺がそのうち調べてやるから。そして、ほんとうの意味を、誤解がしょうじないように説明してやるから。

まあ、そこのところは、本筋ではなくて、今回言いたかったのは、他の理由でだるくなっていることだってあるということだ。言霊信仰者は「だるいと言ったからだるくなる」ということしか認めない。だから、「『だるくない』と言えばだるくなくなる」のである。

けど、さぁ。これ、自分がある種の毒を摂取してしまって、それでだるい状態で暮らしているときに、「だるいと言ったからだるくなる」「『だるくない』と言えばだるくなくなる」って言われてみな! そして、ものは試しと「だるくない」と何回も何回も毎日言って、暮らしてみな。それでも「だるいとき」どう思うよ? ずっとだるいままだったら、どう思うよ?

2018年1月15日月曜日

「認めたら、死ぬ」というレベルで認めない

寝る前は、「ノート術」とか「やりたいことリスト」のことを調べていたのだけど、起きたら……



もう、かんけいねぇ~~~



の世界だ。



まあ、やりたいことスリトに関しては、調べてもいたけど、実際にちょっと書いてみた。



起きた途端にヘビメタ騒音の記憶がよみがえるんだよな。ちなみに、いまは、朝方に寝る状態なんだけど、朝の雰囲気がヘビメタ騒音連続期の朝の状態だ。あれで、「憂鬱になるな」というほうが無理だ。ほんとうにこれ、繰り返し繰り返し、ずっと、毎日、夜の一一時一一分まで、自分が嫌いな音にずっと何時間も何時間もさらされてみな。だれだって、朝がつらくなる。つらいなんてもんじゃないんだよな。あれ、数千日続いて、俺のからだにきざまれているよ。けど、ぼく以外のひとは、そういうことをやられたことがない人なので……経験したことがない人なので……自分の経験にあわせて、想像で、それを判断する。「自分だって、朝がつらいときがある」と思うわけだ。けど、それは、ちがうんだよ。ぼくだって、ヘビメタ騒音以前に、そういうときがあった。「つらい朝」があった。けど、質的にちがう。「自分だって、朝がつらいときがある」のあとには、「けど、がんばって起きて働いている」が続き、そのあとには「だから、起きれないなんて甘えたことを言ってないでおまえも働け」が続く。けど、ぜんぜん経験したことがちがう。俺とおなじ経験をしたあとに、そういうことを言え!と言いたくなる。けど、これを実際に言うと、ほとんどの「相手」は怒った。あるいは、不愉快な気分になるみたいなのだ。「相手」のほうが失礼なことを先に言っていると思う。ほんとうに「腹を立てる必要がない」のである。けど、経験をした人は……ぼく……ひとりで、他の人は経験してないわけだから、多勢に無勢というところがある。その人は、自分の想像と判断が間違っているということを言われて、腹を立てているわけだから、……俺としては、どうしようもない。実際に、間違っているわけだから。そういうものじゃない。相手の騒動と判断を熟慮しても、そういうものじゃないと言っているんだよ。こっちは。

   *   *   *
俺が高校を落ちているとき、クラスのやつらにバカにされたんだよ。バカにされたと言うよりも、「エイリがサボってだめだめだ」みたいな感じのことを言われた。

気違い兄貴、おまえ、ほんとうに「ハンダゴテ」事件どころじゃないから。気違い兄貴の頑固さで、俺は、気違い兄貴の騒音と、世間の常識の板挟みで、困り続けたよ。

それは、やっぱり、ハンダゴテ事件とよく似ている。「そんなの言ってわからないわけがない」「家族なのだから話し合えばどうにかなるはずだ」なんて、言われるんだよ。小学生でも一目見て、「使えないハンダゴテだ」ということがわかるのに、どれだけ言っても、わからない。親父はわからない。わからなかった。

で、学校に持っていくしかないのだけど、持っていったら、「こんなの使えるわけがないのに、そんなこともわからないのか」ということを言われるわけだよ。「そんなのは知っている。けど、親父に言ったら、使える!!!使える!!! ダイジョウブダ!!ダイジョウブダ!!と言って、聞かなかった」と兄貴が言うだろ。そうすると、大人なのに、理解できない人がいるわけがないと「よその人」は思うわけだよ。

だから、「おまえの言い方が悪かったんじゃないか」と言われる。どれだけ、正確にちゃんと言っても、気違い親父は、わからない。わかったら、金を出さなければならないことになる。親父だって、金を出したくないという無意識がなければ、わかることなんだよ。

けど、金を出したくないという無意識がある以上は、どれだけなにを言われても、一目見ればわかることでも、命がけで否定して、認めない。認めてしまったら、金を出さなければならなくなる。それは、死んだって、ぜったいにいやなことなのである。

だから、防衛して認めない。「防御」として認めない。

で、親父の場合は、そうやって、否定したということが、わかってないんだよ。認識できない。だから、全力で否定したのに、「否定なんてしなかった」ということになる。「否定なんてしなかった」ということになるのは、自分が否定したということが不都合なことになった場合だ。

不都合なことにならなければ、肯定も否定もしないで、無視している。そういうことがあったかどうかということが問題にならないわけだから、「そんなことは、知ったことじゃない」のである。

それから、自分が強制的に持たせたもので、子供が恥をかいたということが、わからない。これも、どれだけ説明してもわからない。「なんだ!そんなの!!」と怒り狂う。

これ、絶対にどれだけ考えてもわからないんだよ。

そういう世界だ。

親父がどれだけ真剣に、胸に手を当てて考えても、自分が押しつけたもので子供が恥をかいたということはわからない。これは、何十年だろうがわからないままなんだよ。ほんとうは、強制したわけだから……相手の言うことを認めないで押しつけたわけだから、……押しつけたということは最低でも理解してなければならないのだけど、押しつけたなんて思うわけがないのである。

そして、実際に、子供がそれで恥をかいたのに、恥をかいたというということも絶対に認めない。それも、発狂して、はねのけたら、「あったってないこと」になってしまうのである。

「やったってやってない」になってしまうのである。

親父は、自分がやってないことで、不当に「相手に責められている」という主観しかもてない。どうやっても、そういう主観しかしょうじない。「親父がだいじょうぶだと言うから持っていた」「その持ち物で恥をかいた」ということは、絶対にどれだけ言われても認めない。認めるわけがない。そんなのは、現実と関係なく、認めることができないから、絶対の意地ではねのけて、認めない。認めても「死ぬ」わけではない。

けど、親父は「認めたら、(自分が)死ぬ」と深く確信しているような態度で否定する。そういう、切迫感がある。そういう緊張感と興奮がある。そのくらいの意地で否定する。逆上して否定して認めない。

で、兄貴の態度というのが親父の態度とおなじなんだよ。だから、自分のヘビメタ騒音で、弟が恥をかいたとか、そういうことは、一切合切認めないで、頑固に鳴らし切る。そんなのは、認めてしまったら、静かにしなければならなくなるわけで、静かにしたくないから、認めないのである。

だいたい、親父にとって、ハンダゴテを物置から出してきてやったというのは、最大限の譲歩なのである。金を払いたくないので、絶対に「使える」のである。だから絶対にゆずらない。兄貴も、自分の音がでかい音だということを認めてしまったら、静かにしなければならなくなるので、絶対に、自分の音がでかい音だということは認めない。

これも、「認めたら、死ぬ」というレベルで認めない。

認めて、「ほんとうに」静かにしなければならなくなるというのが、「死ぬほど」いやなのである。そんなのは、「死んだってやりたくないこと」なのである。だから、事実に関係なく、絶対の意地で認めない。そして、絶対の意地で認めないということも、絶対の意地で認めない。「認めたら、死ぬ」のである。

   *   *   *

つづく

2018年1月14日日曜日

精神異常者が「親」であった場合は、一般論は成り立たない

簡単にいっておく。すべては自己責任だ」という考え方は間違っている。私は「すべては自己責任ではない」ということを言っているわけではない。自己責任である場合もあるし、自己責任ではない場合もある」と言いたい。



それから、すべては自己責任だといった場合、自分以外のひとについても、言及している。Aさん、Bさん、Cさんがいるとする。その場合、Aさんの身の上に起こったことは、すべて!Aさんの責任なのである。Bさんの身の上に起こったことは、すべて!Bさんの責任なのである。



これは、「すべては自己責任だ」と考えている人から見れば、そういうふうに見えるということで、べつに、私が、Aさんに起こったことは、すべてAさんの責任だと考えているというわけではない。



「すべては自己責任だ」と考えている人から見れば、あなたの身の上に起こったことは、すべてあなたの責任なのである。だから、「すべては自己責任だ」と考えている人は、自分のことについてだけ言及しているというわけではない。「自分の身の上に起きたことはすべて自分の責任だ」と考えているだけではないのである。



かならず、他の人のことについても言及しいてる。



他人の身の上に起こったことは、すべてのその他人の責任だと考えていると言うことを、表明しているのである。これは、自分の身に起こったことはすべて自分の責任だと考えているだけではないこと言うことを、意味している。



しかし、「すべては自己責任だ」と常日頃からいう 人は、このちがいを軽視する。あるいは、ちがいを完全に無視してしまう。発話者が「自分の身の上に起こったことはすべて自分の責任だ」と言う場合と、発話者が「他の人の身の上に起こったことはすべてその他人の責任だ」と言う場合は、意味が違う。



ちがうけど、「すべては自己責任だ」と考えている人は、この両者を区別せず、適当に、使い分けている。



要するに、「すべては自己責任だ」というおなじ文字列でちがった事柄について語っているのである。おなじ文字列なので、普通の人にはどっちのことを言っているのかわからない。言っている本人ですら、適当に、その都度、別の意味をこめて(おなじ文字列)を使っているので、両者のちがいについてあんまり考えてないのだろう。しかし、おなじ文字列を使うにしろ、そこにこめられている意味がまったくちがうということは、意識しておかなければならない。



   *   *   *



自分の行為に対する他人の反応と言うことを考えた場合、他人というのが精神異常者であった場合と、健常者であった場合はちがう。そもそも、反応がちがうのだから、一般論は、相手が精神異常者であった場合は成り立たない。精神異常者が「親」であることもある。なので、精神異常者が「親」であった場合は、一般論は成り立たない。けど、精神世界の人は、それこそ、「すべてこうだ」と言い切る人が多いので、精神異常者にやられた「子供」を精神的に追い込むことがある。

たとえば、「ほめれば、相手は喜ぶ。喜んだ相手の反応が、自分の自己イメージ作る」……というのは、一般論としては正しい。しかし、親が精神異常者である場合は、ちがう反応を返すので、一般論のなかで語られるようなことにはならない。「よいことをすればよいことが返ってくる」ということも、親が精神異常者である場合は成り立たない。



   *   *   *



2018年1月11日木曜日

うちの人に適応される法律とよその人に適応される法律がちがう

うまくは書けないけど、ほんとうに、ヘビメタ騒音で「すべて」がだめになっていくんだよ。約三分の一日、あるいは約二分の一日、自分が嫌いな騒音に絶え間なくたたられると、すべてがおかしくなる。

どれだけ、そのなかで、努力しても、すべてがおかしくなる。「そのなか」でというのは、ヘビメタ騒音が鳴っている最中もふくむけど、ヘビメタ騒音が鳴っている一日という意味だ。これ、ほんとうに、約三分の一日、けたたましい音で、いやな音を聞かされ続けると、どうしても、約三分の二日に影響を与える。鳴ってない約三分の二日に影響を与える。

三三パーセントの時間、鳴っていると、残りの六七パーセントに影響を与える。「不可避的に」影響を与える。影響を与えないようにする「努力」ではどうにもならない。そして、他の人たちは、無視するけど、連続がくるしい。毎日毎日、帰れば気違いヘビメタがけたたましい音で鳴っているというのがくるしい。

休みの日はいつでも、朝からヘビメタがけたたましい音で鳴っているというのがくるしい。

これも、本人の努力ではどうにもならないところがあって、やられ続けているのに、気にしないということはできない。

あるいは、やられ続けているのに、睡眠リズムがこわれないとか、体力的な影響を受けないということは、ない。そんなのは、無理な話なんだよ。放射線を浴びたのとおなじで、あるいは、毒ガスを吸ったのとおなじで、からだが生化学的に反応するわけで、やられているのに、やられてないのとおなじからだを維持するということはできない。やられているのに、やられてない場合とおなじからだの調子を維持するというのは、どれだけ、本人が気を遣ってがんばってもできない。

逆に、そのなかで、がんばることで、疲れがたまって、より悪い方向に進む。そういうことでしかない。ヘビメタのなかでがんばるとか、ヘビメタ騒音生活中の、鳴ってない時間にがんばるというのは、そういうことになる。

ほんとうに、毎日ヘビメタ騒音が続いたので、毎日ヘビメタ騒音の「毒素」が累積的に増えていく。どうしたって、やられたあと弛緩して、動けなくなる。やる気がなくなる。どうしたって、五年も六年も、かならず、どれだけ「やめろ」と言っても、怒鳴っても、午後一一時一一分まで、嫌いな音を聞かされ続けると、体に影響が出る。精神に影響が出る。

そして、気違い兄貴の態度だけど、最悪だ。これ、ほんとうに、「あたまにくるやつ」にやらてれるのと、好感を持っている人にやられるのはちがう。これ、気違い兄貴の態度が親父とおなじで!「やったってやってない」なのだから、頭にきて当然だ。うらみがしょうじて当然だ。気違い兄貴の態度は、頭にくる態度だ。倍速で、うらみがしょうじる。

いまの時間も鳴ってた。

いま、どれだけ、兄貴の部屋に、「やめろ」「静かにしてくれ」「ヘッドホンをしてくれ」と言っても、一分だって、一秒だって、やめてくれなかったし、静かにしてくれなかったし、ヘッドホンをしてくれなかった。これが事実だ。毎日の事実だ。いついかなる時間に「やめろ」「静かにしてくれ」「ヘッドホンをしてくれ」と言っても、一秒も、やめてくれなかったし、静かにしてくれなかったし、ヘッドホンをしなかったのが、事実だ。

それなのに、気違いに兄貴は「静かにしてやった」と思っているんだからな。親父とおなじなんだよな。絶対の意地でやりきるのに、絶対の意地で、相手の言うとおりにはしないのに、「してやった」と思っている。これは、気違いだからこそできる技(わざ)なんだよ。こんなの、気違いじゃなければ、できるわけがない。

普通は絶対に、知っている。普通は、自分がデカイ音で鳴らしたら、デカイ音で鳴らしたということを知っている。けど、何万時間、一〇数万時間デカイ音で鳴らしても、デカイ音で鳴らしたと思ってないのである。これは、いままで書いてきたけど、ほんとうに親父とおなじしくみで、まったく思ってない。

思ってなければ本人のなかではそれが事実なんだよ。これは、統合失調症患者の「妄想」と質的に似ているところがある。妄想ではなくて、無意識的な欲望が勝って、意識的な解釈がまけている状態なんだけどな。意識的には、嘘でなく「デカイ音で鳴らしてないつもり」なのである。

「つもりはつもり」なんだよ。

けど、本人だって、「よその家」ではでかすぎて、一分だって鳴らない。うちでは、一分だって、絶対にゆずらなかったけど、よその家」では、一分だって、その音で鳴らすことができない。どうしてかというと、あまりにも音がでかすぎて、兄貴の嫁さんや兄貴の新しい家族に迷惑だからだ。うちの人に適応される法律とよその人に適応される法律がちがう

そして、そのことにたいして、本人がまったく無頓着で、気がつかない。どれだけ、指摘されても気がつかない。

「うちでは」それでいいのであって、うちでやるな」と言っている方が間違っているという主観しかもてない。だから、「うちでは」やってあたりまえだから、やるということになる。「うちではやってあたりまえで、やっているのだから、まるで問題はない」ということになる。気違い兄貴のなかではな!!

これは、そっくりそのまま、気違い親父にも成り立つ。というよりも、兄貴が、親父のコピー。オリジナルは、親父。うちで!最初にそういうことやり出したのが親父。で、そういう「家庭」だから自浄機能なんてものはないのである。そりゃ、親父が、二、三日で、自分がやってきたことを認めて、「これからはもうやらないからゆるしてくれ」と謝罪したら、自浄機能はあるのだろうけど、なんてたって、親父自身が何十年も毎日やりきって、「気がつかなかったやつ」だからな。いまも気がついてないよ。

だから、兄貴も、親父とおなじように、俺がどれだけ言っても、まったく気がつかないまま、死んでいくんだろうと思うよ。死ぬまで、「そんなに鳴らしてないのになんだ」「ゆずってやったのになんだ」と思っていると思うよ。

   *   *   *
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2018年1月10日水曜日

昔の文章を取り戻したいのだけど、どこにあるのかわからない。

昔の文章にこだわってしまうわけよ。ぼくは、昔のほうが、むずかしいことを考えていた。学問的な思考ができた。昔の文章が、どっかに行っちゃったんだよー。 あーーあ。なんかもう、ボロボロで、何がどこにあるのかまったくわからない。だいたい、死ぬことを考えていた時期があって、その時にいろいろなものをなくしている。どこになにがあるのかわからない。自分で消しちゃったのかもしれない。わからない。





ちょっとしたことでも、ものすごく、やりたくない時期もあった。「も」というよりも、ヘビメタ騒音以降ずっとそうなんだけどさ。



どーーーんだけ。ほんとーーーう、どーーんだけ。

あのすさまじい音のなかで、ぼくがどんだけのことをなくしたか。「ないまま」暮らしているか!



言霊に凝っている人は伝染病にかかっている人に優しくできるか?

ぼくは「利他的であれ、利己的なのはよくない」というとを言わない。スピリチュアリズムにこっているひとは、「利他的であれ」ということを言う。けど、ネガティブな人を忌み嫌う人が、利他的な行動をとれるとは思えない。まあ、いいか。


まあ、ぼくは、たとえば、伝染病にかかった人を看病したりしない。空気で伝染する病気にかかった人がいたとしたら、なるべく避けたいと思う。それは、自分がおなじ病気になりたくないからだ。

で、それが利己的なことだと知っている。利己心からそう思っていると言うことを知っている。自分がその病気になりたくないから、悪いけど、その病気にかかっている人を避ける。それは、スピリチュアル的に言えば、いいことじゃない。

けど、伝染病じゃない人の場合は、別に避けたいとは思わない。スピリチュアリズムに凝っている人は、実は、伝染病にかかってない人でも、避けたがる。ただ単に、顔色が悪いだけで、避けたがる。それは、顔色の悪い人が「負の気」を持っていると信じているからだ。「負の気」も「うつってしまう」のである。だから、スピリチュアリズムに凝っている人は、ただ単に顔色の悪い人を、必死になってさける。それは、ただ単に「(自分は)うつりたくない」という利己心から出ている行動だ。

ところで、スピリチュアリズムに凝っている人は、言霊にも凝っていることが多い。「思いは実現する」と思っている人も多い。こういうのは、「系をなしている」と思う。

言霊に凝っている人は、「(私は)病気にかからない」と言えば、病気にかかることはないのだから、ものすごく伝染力の強い伝染病の人を看病してやるべきだ。かりに病気にかかったとしても「この病気は絶対に治る」と言えば、絶対に治るのだか問題はない。言霊に凝っている人が「この病気は絶対に治る」と言ったのに、治らないなんてことはない。絶対に治る。病気の人は、病気と仲良くしている人で、自分は病気を追い出すという決心をすれば、絶対に病気を追い出すことができるのだから、伝染病にかかっても平気だ。だいたい、「(私は)病気にならない」と言った時点で、絶対に病気にはならないようになっているのだから、病気になった場合のことを心配する必要はない。言ったことは、どんなことがあっても、実現化されてしまうのである。なので、「病気にならない」と言えば絶対に病気にならないのである。だから、こういう人は、ものすごく伝染力が強い伝染病の患者の世話をするには、適切な人だと思う。

けど、言霊に凝っている人は、説教はするけど、世話はしない。言霊に凝っている人は、差別はするけど、世話はしない。言霊は、実は「けがれ」信仰とペアになっている。実は病気の人は「けがれている」のである。

これは、ぼくがそう言っているわけではなくて、「けがれ信仰」をもってるひとがそう言っている。病気というのは「け」(気)……が枯れている状態なのである。「けがれはうつる」ので、けがれているひとにはさわってはいけないのである。

なので、世話はできない。実際に病気である人だけではなくて、顔色が悪い人も、けがれている状態なのである。なので、顔色が悪い人にも近づくべきではないのである。実際には、病気でない人まで、そのように、あつかわれてしまうのだから、けがれ信仰者が看病なんてできるわけがない。病気と言っても、うつる病気とうつらない病気がある。うつらない病気でも、「けがれ信仰者」にとっては、うつる病気なのである。なので、区別なく、さける。

また、繰り返しになるけど、顔色の悪い人にも近づかない。顔色が悪い人のもっている「悪い気」をうつされてしまうからである。なので、彼らが「まずい」と感じる人は、徹底的にさけるようになる。これは、利己心から出ていることなのである。ほんとうは、利己心のかたまり。自分がうつされたくないという気持ちだけ。相手のことなんて関係がないのである。けがれ信仰者はスピリチュアルなことも言う。というより、たぶん、けがれ信仰者とスピリチュアル信仰者はかさなる。

だから、スピ系の「発信」として、けがれ信仰者の言葉が混じっていることがある。けど、スピ系は、すべて利己心を否定している。エゴイズムはスピリチュアリズムの対極にあるような扱いを受けている。

けど、スピ系であってなおかつけがれ信仰者の人は、自分の考えや行動を、利己的なものだとは思ってないのである。利他的なものだと思っているのである。だから、説教はするのである。その説教は、無茶がある説教で、元気づけてはいるけど、「そうではない人」を否定してしまう。そうではない人」というのは、たとえば、病気が治らない人だ。もっと正確に言えば「私の病気は治る」と言ったにもかかわらず、病気である人だ。

で、まあ、ぼくも、言霊やけがれ(信仰)の影響を受けている。だから、だから、ほぼ、言霊信仰者やけがれ信仰者と同じような行動をとるときがある。けど、それは、利己心からきている行動だと知っている。スピリチュアリズム的にはあんまりいいことじゃないのである。言霊という考え方やけがれという考え方は、実は「自分のことより他人のことを考えるべき」というような考え方とは相容れない。基本的に差別主義なのである。利他的じゃない。けど、言霊信仰者が言霊のことを語るときは、利他的なことを語っていると思っているところがある。けがれ信仰者が説教をしているときは、あたかも、利他的な行為をしていると思っているところがある。しかし、ほんとうは、考え方そのものが、利己的なのである。

言霊信仰者であって、なおかつけがれ信仰者である人は、説教のなかでしか「利他的」ではない。実際の人間にはつめたいのである。実際に接触する人間にはつめたいのである。説教をするときは、実際の他者に接触しなくてよいから、「利他的なことを言える」のである。あるいは、「利己主義はダメで利他主義じゃないとだめだ」というようなことを言えるのである。言うだけなんだけど。

説教の世界では、他者というのは「抽象的な他者」なのである。「集合的な他者」なのである。だから、「うつらない」「まもられている」。だから、利他的なことも言える。実際には、そういう人たちは、自分を守るために、病気の人や暗い人をさけまくる。実際の他者に対してはそういう行動しかしない。

で、そういう人たちは、すでにうまくいっている人たちによいことをしてあげようと思う人たちなのである。すでに、うまくいっている人たちは、「よい気」をもってるから、積極的に接触しようとする。これも、「利己的な行為」だ。だから、ほんとうは利己主義マッシグラーなんだけど、そういう気持ちはないんだよな。気持ちだけは。

かわいそうな人たち(にかんして)は、接触しないのであれば、説教のなかでやっつけることができる。説教して、いい気持ちになれる。それだけ。けど、これは、スピリチュアル的に言ってよいことなのだろうか悪いことなのだろうか。よいも悪いもないことなのだろうか。

   *   *   *

まあ、かなしい気持ちになるけどね~~。ぼくにはできないけど、理想像を書いておくと、言霊信仰やけがれ信仰の影響を受けながらも、ほんとうにスピリチュアル的な人というのは、相手のつらい状態を受けとめてやることができる人なのではないかと思うよ。相手の「負の気」なんてものには、まったく影響を受けない真の「陽気」がある人なのではないかと思うよ。一度は、ちゃんと、受けとめて、そして、明るい光でつらい人を包み込む。そういう人は滅多にいないけど、いるはいると思う。

気を気にしているのに「相手の負の気」に影響を受けるようじゃまだまだだね……と言っておこう。ほんとうに「気」のことがわかっている人は相手の「負の気」の影響は受けないと思う。

   *   *   *

これはあんまりよくまとまってない文章なので、あとで、書き直す。言霊信仰とけがれ信仰を一緒にしちゃっているのがまずいな。別々に論じて、あとで、言霊信仰とけがれ信仰の関係について述べよう。けがれは、差別と直接関係がある。日本の(風土的な)差別の土台は、縄文が弥生にやられてたところではじまっている。




2018年1月9日火曜日

感覚がずれた人が暴君となって、はちゃめちゃなことをする「家庭」だってある

いや~~ほんとう、つかれた~~~

つかれた~~



うごけません



まあ、いいや。



ヘビメタ騒音のことを「だすと」かならず、敵ができるんだよ。敵が発生する。この人たちはなんなんだろうな。俺が悪いことをしたわけじゃないのに、あたかも、俺が悪いことをした(悪いことをしている)と思う人たちなんだよな。読解力あるのかな? まあ、無職だということを言ってしまうと(当時)それで、偏見ができるというのもあるんだけどね。それから、自分に関係がないことで人が人の悪口?をいっているのがいやだとかそういう感じなんだろうか。

けど、まるで俺が、ヘビメタ騒音を鳴らしてたというような感じで、誤解しているようなところがある。この、頭の悪い人たち、なんなんだろうな。一割ぐらいいるんだよな。兄貴が鳴らしたのに、俺が鳴らしたと思っているようなところがある。

それか、そういう人たちが……その一割ぐらいの人たちが、基本的に兄貴とおなじ構造をもっていて、自分のことを言われたような気がして、腹を立てるのかもしれない。まあ、一番でかいのは無職に対する偏見なのだと思う。あとは、「なんだぁ、そんなの!!」と感じる人がいるんだよな。この人たちは、悪い人だと思う。



いずれにせよ、ヘビメタ騒音のことは、出しても出さなくても、人から嫌われる。人、全部から嫌われるわけではなくて、一割ぐらいの人から、なんか嫌われる。これ、ほんとうに、やられてみな。ああいう態度で!! ああいう態度で!!

これ、ほんとう、兄貴みたいな人がいるというとを信じたくない人たちもいるんだろうな。そういう人たちのなかには含まれているんだろうな。兄貴みたいな人はいない!」というような価値観を維持したいのだろう。価値観というか、世界観だ。

だから、「いる」と言っている俺に、嫌悪感を抱くのだろう。

これもおかしい。ようは、そういう人がいない世界に住んでいるのに、そういう人がいると言われて、腹を立てる。これ、ほんとうに、気持ちが小さい、同情心がない、共感性の少ない、悪い人だと思うな。

「そんなの人、いないのになんだ!」ということなんだろうな。

まあ、これは、自我が攻撃を受けているのとおなじだから、そういう反応になるのも納得がいく。世界観というのは、その時の自我を構成しているものだから。これも、むかし書いたな。けど、なんて言うのかな? ほんとうに、家の人がこまった人だとこまるんだよ。

感覚器がずれている人だとこまる。自分がやりたいことを優先して、感覚器のほうを折り曲げる人だとこまる。そういう人は、ほんとうに、悪意なく「やったってやってない」と思うことができる。ほんとうにそういう人はいるし、そういう人とのもめごとというのは普通の人とのもめごととは、ちがうのに、そこがわからないんだろうな。

「そんな人いない!」とまあ、そっちはそっちで、頑固になる理由があるのだろう。「そういう人とのもめごとと普通の人とのもめごとに質的な違いはない!!なんだこんにゃろう」と思う部分があるんだろうな。

けど、質的にちがう。そういう人が「親」であった場合、普通の親とのもめごととは、ちがうんだよね。そういう人が「兄」であった場合、普通の兄とのもめごととは、ちがう。あたかも、統合失調症の人を相手にしているような状態になる。あたかも、発達障害で、悪気がないのにこまったことをする人であって、なおかつ、相手を困らせたということがまったくわからない人を相手にしているような状態になる。

発達障害者というと、いつも、「やられているがわ」の人間であるかのように語られるけど、そうじゃないんだよ。発達障害者が、暴君となって、はちゃめちゃなことをする「家庭」だってある。一家の大黒柱が、悪い意味で発達障害者である場合だってあるんだよ。

そうすると、強権で、わけがわからないことを、ばんばん押しつけてくるわけで、ものすごくこまるんだよ。話しあいなんて、成立しない。

そんなのは、成立するわけがない。

「やったってやってない」のだから……。そして、「やったって」の部分がとれて、「やってない」になるのだから、話しあいのテーブルにつくと言うことさえ無理なんだよ。そういう状態だ。これ、ほんとうに、身近な他者がそういう人であった場合の状態なんて、わからないんだろうな。だから、「話しあえばいい」みたいなことを言う。

けど、それは、「うち」の状態がわかってないから、そういうことを言っているだけ。


ほんとうに、第一者の感覚がずれた行為と、第三者の常識のはさまれて、やられた人(第二者)がものすごく、損をするんだよな。「おまえ、そんなのわからないなんて、バカじゃないの」と思われる。いや、俺はわかっている。何回も「ちゃんと」親父に言った。けど親父がわからなかっただけだ。

けど、そういうふうに言うと、「そんなのわからない大人はいない。おまえの説明が悪かったんだろ」と言われる。「こういうふうにちゃんと言った」「こういうふうにちゃんと説明した」と言っても、第三者の常識の世界では、「大人が、わからないなんてことはない」ということになっているので、俺が言っていることを受け付けることができないのである。

俺が「ちゃんと説明した」と言っても、その人は「ちゃんと説明されてわからない大人がいるはずがない」ということにこだわるので、俺が「ちゃんと説明しなかったから、だめなんだ」「親が誤解をしたんだ」というような間違った推論をする。

親父みたいな人に関わると、そういうことが、多い。

これ、ほんとうに損な立場なんだよな。

ほんとう「どれだけちゃんと言っても、つたわらない」ということ(事実)が第三者には、わからない。第三者は、事実だと思いたくない。だから、第一者が変なことを言っていると思う。「ちゃんと言わないからダメなんだ」とか間違った推論をする。感覚がずれた人が親だと、不可避的にこういうことが、いっぱいしょうじる。日常茶飯事だよ。

で、俺の場合は、「父親」だけではなくて、「兄貴」もそういうひとだったので、二重にこまるんだよな。兄貴が「父親」のやり方で、ヘビメタを鳴らしまくった。一部の第三者にとっては「そんなひといない」と思うような人なんだよ。一部の第三者には信じらないような感覚でヘビメタを鳴らしやがったんだよ。だから、そのままその人たちに、そうだったということを説明すると、俺が変なことを言っていると思われる。


そういうことを「ちゃんと」言われて、わからない人はいないという世界観のなかに住んでいる人は、俺の言っていることが、根本的にわからない。「いる」ということをつきつけられて、不愉快になる。もっと、正確に言うと「いるという可能性」を突きつけられて、自我が不安定になり、不愉快に感じる。たしかに、これは、認知療法家が言うように「俺の問題じゃない」。

(こまった行為をする人を第一者、こまった行為をされる人を第二者、まったく関係がない人を第三者と言うことにする)。

   *   *   *

ほんとうにすべてが!!!
ヘビメタ騒音だったな!!
この朝の雰囲気!!!
これ、ヘビメタ騒音の朝の雰囲気だから!!
三〇年経っても、まったくかわらない。
これ、ほんとう、死にたい。
どうしても、ヘビメタ騒音で、人生がなかった。
どうしても治らない睡眠障害だって……鬱だって、トラウマだって……。人付き合いの破滅だって……。
ゼンブガゼンブ、ヘビメタ騒音。
ほんとう、これちがうから。行きすぎた一般化じゃない。やってみればわかるよ。やられてみればわかるよ。不可避的にどうしても、影響を受ける。ずっと続けば、ずっと影響を受ける。どんだけつらいか。俺が選んだんじゃないんだよ。自己責任のわけないだろ。「自己責任うんぬん」だって、一日もやられてないやつが言うわけだ。家族に「感覚がずれた人」……はっきり言えば、家族に精神病質者がいない人が言う……。どれだけ言っても、まったくなにも通じない!!! まったくなにも通じない!!! まったくなにも通じない!!! こだわりつくしてやっているのに、やっていると思ってない。こだわりつくして、頑固に頑固にやったのに、やったと思ってない。一秒だって、ヘッドホンをして静かにしてくれなかったのに、「静かにしてやった」と思っている。ほんとうに気違い的なこだわりで、気違い的な頑固さでやったことは、全部!!やってないことなんだよ。関係がないことなんだよ!! これ、わからないだろ。そういう人間を目の前で見たことがない人にはわからないだろ!!

2018年1月8日月曜日

どうしても、ヘビメタ騒音のことを思い出す

ニュースを視ても、どうしても、ヘビメタ騒音のことを思い出す。どうしても、ヘビメタ騒音でくるしい。ヘビメタ騒音の毎日が、くるしかった。言葉では言い表せないほど、くるしかった。どうしてもくるしい。いまもくるしい。どうしてもくるしい。

積み重ねだった。

絶対にやめてくれなかった。

殺さなきゃならない状態を毎日突きつけられた。鳴らされていたら俺が死んでしまう。そういう問題だ。それを、気違い兄貴は、「軽い気持ちで」やっていたのか。やってないつもりでやっていたのか。どれだけ頑固に鳴らしたか!! あれで、つもりがないのかよ。頭がおかしいから、なにも感じないでそういうことができるんだよな。そういう残酷なことができる。本人は、……やっているときは……やり続けたいだけなんだから。それ以外の感情なんてない。やり続けたいのに、「やめろ」と言われたら、かっときて、真っ赤な顔をして、否定しておしまいだ。そうしたら、そのあと、どれだけ鳴らしていても、鳴らしたことになってないのである。ぜんぜん気にしない。どれだけ何回言われても、そういう反応しか返ってこない。気違い親父とおなじ!!!おなじ!! これ、兄貴だって、気違い親父におなじようにやられたら、怒ってたのに!

とくに、入試関係のニュースとか視ると、とてつもなくくるしい気持ちになるよ。ヘビメタにやられていた毎日を思い出す。ヘビメタでどうしてもくるしかった。鳴らされて、殺すわけにはいかないから、ずっとやられっぱなしだった。ずっとやられっぱなしのまま学校に通っていた。だましだまし、暮らしているような状態だ。家にいるときはヘビメタをやられて、切羽詰まった気分で死にたいのである。死にたい気持ちのとき、気違いヘビメタが、ガンガンガンせまってくる。

そりゃ、入試にこだわる人もいるかもしれないけど、その人は、毎日毎日、午後一一時一一分まで、気違い的な音を聞かされ続けたわけじゃない。ちゃんと勉強する時間があった。

ちがうんだよ。

中学三年間、高校三年間、休みの日も含めてすべての日、ヘビメタをやられた。ヘビメタ騒音を鳴らされ続けた。この部屋にいてつらかった。この部屋を出て、外に行っても、帰ってくると鳴っていたのでくるしかった。入試から帰ってきたときも、気違いヘビメタが鳴っていたのでくるしかった。

そのあと、ずっと、その日もヘビメタが一一時一一分まで鳴っていた。で、「そんなの、やめてって言えばいい」という人がいるんだけど、さんざん言った。何回も何回も怒鳴り込んだ。それから、なんて言うのかな、……ほんとうに、ヘビメタの一〇分間が長い。ヘビメタの一時間が長い。やられているあいだの一時間というのが長すぎる。あんなのやられて、いいわけがない。

あんなのやられて、影響を受けないわけがないだろ。

次の日、くるしくないわけがないだろ。明日入試だというのに、あの音を何時間も何時間も聞かされ続けて、いいわけがないだろ。どれだけ言っても、「親父のように!!!」通じないんだよな。通じないとなったら通じないわけで、絶対に意地を通してやるけど、まったくやったつもりがしょうじないのである。

だから、まったく関係ない人のまま鳴らし続けることができる。少しでも、……わずかな時間でさえも……ちゃんと鳴らさないで静かにしてやるつもりなんていうのは、入試だろうがなんだろがまったくないんだよ。で、ないから……デカイ音で鳴らしているのに、本人は「まったく鳴らさなかった場合と」おなじ認識、おなじ気分でいる。

頭がおかしいからそういうことが可能なんだよ。

鳴らすことしか考えてない。

自分が我慢してゆずるなんてことは、一分だろうが一秒だろうが、死んだっていやだからやってやらないというこころがまえなんだよ。で、実際やり通す。で、やり通せば、まったくやってないのとおなじなのである。どれだけ言われてもそういう状態が続く。だから、やりっぱなしだ。

   *   *   *
ぼくがかりに、修士号をとっても、博士号をとっても、気違いヘビメタを鳴らされて入学試験のときつらかったという記憶はかわらない。

   *   *   *

がーーーって鳴ってた。いまの時間も、がーーって鳴ってた。けたたましい音でヘビメタと気違い兄貴のエレキギターが鳴ってた。も・の・す・ご・い音で鳴ってた。俺の部屋で、鳴ってた。俺の部屋の壁がガンガンガンガン、ものすごい音で鳴ってた。


ゆるせない。


2018年1月7日日曜日

ぼくは、そう言えない

起きて、ひと息ついた。

昨日の寿司弁当の腐りやすいネタを食べて、一度ゆでてあるようなネタは残して、とっておいた。あんまり食いたくない。あとで食べる。

けど、これ、二回値下げされている寿司弁当だから、ほんとうはなるべく早く食べたほうがいい。



ヘビメタ騒音にやられて「いい思い出がなく」「ひとりで歩いていれば」……そりゃ、さみしいよな。



俺はいったい何年、こんなことを繰り返しているんだ? まあ、普通に働けないという事情があるので、(女の人には)積極的にはなりにくい。普通に働けない。普通に通勤できない。これが、どれだけの影響を与えたか。ああっ、普通に通学できないというのもあった。もう、ぼくの人生、一八歳の時に終わっているんだよね。一八歳の時点で、毎日ヘビメタ騒音を午後一一時一一分までやられた。うちにいるあいだ、どれだけなにを言っても、どれだけ発狂して怒鳴り込んでも、気違い兄貴を殺してしまわない限り、ずっと「その音」が続いた。で、俺が俺の部屋にいるあいだ、ずっとずっとずっと、ヘビメタ騒音を聞かされた。強制的に聞かされた。それが、デカイ。でかすぎる。でかすぎるんだよ。他の人には、関係がないことで、他の人にはどうでもいいことなんだけど、ぼくにとってはでかいことだ。他の人にとっては、何年間鳴っていても、何十年間鳴っていても、「いま、鳴ってないなら、それでいいじゃないか」と言えるようなものなのだけど、ぼくは、そう言えない。で、「いま、鳴ってないなら、それでいいじゃないか」と言う人だって、自分が本当に、休みの日も含めて、一一歳から一八歳まであしかけ八年間ずっとやられたら、考えが変わると思う。「いや、俺は平気だ」と思っているのは、やられてないからだ。そういうのは、受けとめ方の違い」をこえている。まあ、ぼくにとってヘビメタ騒音だったけど……ヘビメタだったけど、「自分が一番嫌いな音」をずっと毎日、爆音で聴かされ続けたら、やはり、人生がなくなる。俺と同じような状態になる。過去のことが過去じゃなくなる。ヘビメタ騒音は、鳴りやんでも、水銀の毒のように効く。放射線のように効く。浴びてしまったら、だめなんだ。過去のことはどうでもいい」というのは、そういう過去しか持ってない人がそう考えるだけのことだ。現在に影響を与える過去だってあるに決まっている。どうして、現在に影響を与える過去……がある……ということを認めないのだ。不可逆的な変化というのがあるんだよ。あるとき毒を飲んだら、その毒がそのあとずっと影響を与えることもあるんだよ。過去の時点で飲んだから、現在には影響を与えないなんて、だれが言える? 「過去は過去のことだから、現在には影響を与えない」というのは、間違った信念だ。もちろん、そう信じるのはいい。自分がそう信じて、どれだけ、毒を飲んでも死なないというのであれば、別にいい。いや、毒を飲んだあと、後遺症で苦しんでも、後遺症は、過去の「服毒」ということとは関係がないのだと信じることは可能だ。で、そう信じたければ信じればいい。自分の範囲でな。けど、他の人まで、そうだと言うなよ。他の人の出来事について、そういうことを言うなよ。一般法則としては「過去は過去のことだから、現在には影響を与えない」は成り立つときもあれば成り立たないこともある。けど、過去といった場合、すべての過去なのである。過去でない過去はないのだから。過去の出来事でない過去の出来事はない。だから、「すべての過去の出来事は現在には影響を与えない」というのは、間違っている。間違った一般化だ。



「なら、勝手に影響を受けて、気にしていればいいだろ」ということになると思う。けど、なんて言うのかな? 「すべての過去の出来事は現在には影響を与えない」というのは、間違っている。勝手に人のことを、判断するな。「過去の出来事が過去の出来事であるならば、現在には影響を与えない」というのは、間違った思い込みだ。

どうしてもゆるせないな。

どうしてもゆるせないな。
こんなのはおかしい。
こんなのはおかしい。

なんで俺が。なんで俺が。なんで俺が。

気違い兄貴、静かにしろ!!!静かにしろ!!!静かにしろ!!!

こんな人生ない。

こんなのはない。こんなのは、ない。

2018年1月6日土曜日

それが! それが!!

さみしいけど、買い物に行くかな。

どの店も一長一短なんだよな。二軒よるのはちょっとなぁ。



おれ、どうなっちゃうんだろう。

これ、さみしいよなぁ。



ちょっと考えながら歩いてくるよ。



他の人はどうなりたいんだろうね?

そして、俺はどうなりたいんだ?



このまま死ぬのかね?

「こんなのは、俺の人生じゃない」と思うところもある。



   *   *   *



背中をおしてくれ~~おしてね~~

はふん~~

まだまだ~~

まだまだ~~



いくきになれん~~



あーあ、ほんとう、ヘビメタ騒音がはじまってから、めちゃくちゃ。めちゃくちゃ!! 不安とさみしさでどうにかなりそうだ。けど、これが複合的な感情で、いろいろなことが浮かんでくる。俺、ほんとう、気違いヘビメタ騒音がなかったら、好きな女の子と結婚して、年収もいまの歳ぐらいなら八〇〇万ぐらいあったと思う。それが! それが!!

あしかけ一五年間で、一日もない

今日は土曜日なのか~~

ぜんぜん気がつかなかった~~~



ほんとう、ヘビメタ騒音で孤独まっしぐらーだからな。

あれ、ほんとうに、友だち付き合いも世間付き合いもできなくなる。

通学も通勤もできなくなる。



ほんとう、どんだけの意地で鳴らしてたと思っているんだよ? 気違い兄貴?

いま、土曜日の午後六時五四分で、鳴っている時間だけど、土曜日の午後六時五四分に、「やめてくれ。静かにしてくれ」と言われて、数分間でも、ヘッドホンをして静かにしてやったことがあるのかよ? いまは冬休み期間中だけど、それ以外の土曜日も、絶対にこの時間は鳴っているんだよ。午後七時一〇分か、一一分ぐらいには、気違い兄貴の都合で、一旦は鳴りやむ。じゃあ、午後六時五四分から午後七時一〇分までの一六分間、鳴らさないで静かにしてくれるのか?



入学試験前の冬休みだって、一六分間、気違い兄貴が鳴らさないで静かにするなんてことはないんだよ。俺がどれだけ何十回ねばってねばって頑固に頑固に「やめろ!!鳴らすな!!ヘッドホンをしろ!!!やめろ!!鳴らすな!!ヘッドホンをしろ!!!やめろ!!鳴らすな!!ヘッドホンをしろ!!!やめろ!!鳴らすな!!ヘッドホンをしろ!!!やめろ!!鳴らすな!!ヘッドホンをしろ!!!やめろ!!鳴らすな!!ヘッドホンをしろ!!!」と怒鳴っても、怒鳴っても、絶対に、一分だってちゃんと静かにしてくれなかったのが気違い兄貴なんだよ。



「もうすぐ鳴りやむんだからいいだろ~」などと言って、絶対にやめてくれなかった。で、自分が風呂から出たら、その途端に鳴らし始めて、絶対にゆずらない。そういう毎日なんだよ。そうじゃない日がないんだよ。兄貴が、風呂から出たあと、後半戦?はずっとヘッドホンをして静かにしてくれ日というのが、あしかけ一五年間で、一日もないんだよ。



そういう徹底ぶりなんだよ。半分静かにしてくれた日なんていうのは、一日もないんだよ。それで、気違い兄貴のやつ「ゆずってやった」と思っている。ほんとうは、よそじゃ一分だって鳴らせないようなドデカイ音で鳴らしているのに、「こんなのは、たいした音じゃない」「どれだけ鳴らしたって問題がない」「静かにしてやるかどうかは俺が決める」と思って、絶対にゆずらない。一分だってゆずらない。この意地は、「親父の意地」とおなじだからな。



これ、だから、本人は……やってないと思っている。一〇〇%全部、頑固に自分の気持ちをお通してやって、それで、「まったくやってない」と思っている。頭がおかしいから、ほんとうに「本人の主観としては」そう思える。頭がおかしいから、ほんとうは、兄貴の友達が「こんな音で鳴らして大丈夫なの?」と不安になるようなデカイ音で鳴らして「普通の音で鳴らしているから大丈夫だ」と思っているままなんだよ。



殺さなければ、静かにさせることができない……。こういう究極の選択を常に、ガンガン鳴らしてせまってくる。このあいだも言ったけど、気違い親父は、見えないところにいったら、それでおしまいだ。頭にくるけどそれで、気違い親父のきちがい行為からはまのがれることができる。けど、気違い兄貴のは「音」だから、気違い兄貴が見えないところに行っても、気違い兄貴の行為からまのがれることができない。きちがい行為の影響を受けてしまう。壁をへだてて、気違い的でかい音で鳴らされると、「こまったまま」になるんだよ!! これ、ほんとうに、やられた人じゃないとわからない。だから、次の日の朝どれだけしんどいかわからない。ヘビメタ騒音をやられてない人が「俺だってしんどい。しんどいのに起きている」なんていいやがる。そりゃ、ヘビメタ騒音が鳴ってなかった、小学六年生以前、ぼくだって、「朝起きるのがしんどい日」があった。けど、それは、ちがうんだよ。ほんとうに、ちがうんだよ。

ほんとうに、俺が、誤解ばかり受ける。俺がサボっているように思われる。俺が、甘えたことを言っているように思うやつが、いっぱい出てくる。そいつらはみんな、ヘビメタ騒音を経験しているわけじゃない。ヘビメタ騒音の毎日が一年、二年、三年、四年、五年、六年、七年、八年、九年、一〇年、一一年、一二年、一三年、一四年、「積み重なった」わけじゃない。









2018年1月5日金曜日

「怒った途端に」関係がなくなってしまう


気違い兄貴なんて、鳴らしているときは、絶対に静かにしてやるつもりがないわけで、気違い兄貴が「言われて」「静かにする」なんてことはないんだよ。実際、あしかけ一五年間にわたって毎日なかった。兄貴は、鳴らしているときに「静かにしてくれ」と言われたら、親父のように怒って、一分だって、一秒だって静かにしてやるものか」とむきになって、頑固に鳴らし続けた。これが、ほんとうの兄貴の姿だ。けど、兄貴は、これまた親父のように、「静かにしてやった」と思っている。「静かにしてくれなかった」と言われると「そんなんじゃない!!そんなんじゃない!!静かにしてやった!!静かにしてやった!!」というのがはじまる。これ、嘘なんだけど、本人は嘘をついているつもりがないんだよな。で、これも、親父とおなじだ。全部親父とおなじなのである。全部、親父のコピー。親父の態度のコピー! 親父の考え方のコピー! 親父の認識のコピー! 自分にとって不都合なことを言われたら、発狂してやり切るというのが、普段の態度だ。普段絶対にゆずらないでやってきたことだ。一分だって、ヘッドホンをして聞くことは、いやなことだから絶対にやってやらないことなのである。一分だって、ちゃんとスイッチを切って静かにしてやるということは、いやなことだから絶対にやってやらないことなのである。そういう毎日だ。だから、静かにしてない。毎日、一分も静かにしてない。けど、気違い兄貴は「静かにしてやった」「ゆずってやった」と思っている。頭がおかしいから、本気でそう思える。頭がおかしいから「うちでは」絶対に自分がやりたいようにやるという気持ちを通して、鳴らした。鳴らし続けた。こっちがなにを言っても、その都度、発狂してはねのけて、頑固にすべての時間、鳴らし続けた。自分がやめようと思う午後一一時一一分までは、絶対の意地で鳴らすわけで、たとえば、午後八時に「静かにしてくれ」と言われたから午後八時一分まで(自分の気持ちを曲げて)(相手の言い分を聞いて)ヘッドホンをして静かにしてやるということは、絶対に絶対にない。そういう一四年と四ヶ月なんだよ。これに、嘘偽りはない。「言われて」静かにしてやるということは絶対にない世界なのである。ああ、それなのに、静かにしてやらなかったときの状態のまま、「静かにしてやらなかった」ということを否定する。「なかにはいっていること」が違うだけなのである。代入される項目がちがうから、そうなっている。「鳴らさないでくれ」と言われて「鳴らさないようにする」ということと、「そういう状態で頑固に鳴らしていたということを認める」ということは、おなじことなのである。どういうふうにおなじかというと、兄貴にとって「不都合なことだ」ということにおいておなじなのである。で、不都合なことを言われると、発狂して、否定して、それでおしまいなのである。これは、ほんとうに「それでおしまい」。自分が発狂して否定したら、もう、それで自分のなかでは、完全に終わっている!!わけで、「関係がない」ことになってしまう。自分が頑固にやっている行為であり、なおかつ、相手が直接言ってきたことなのだから、関係があるに決まっているのに、「怒った途端に」関係がなくなってしまうのである。これが、兄貴がしたことだ。そして、これは、そのまま親父がやったことだ。で、毎日どの瞬間もそういうモードですごしているんだよ。うちでは!!! だから、どれだけ言っても、解決しない。どれだけ相談しても解決しない。もう、決まっている!! で、そういう特殊な人が家族である人というのは、少ない。そういう特殊な人が家族である人には俺が言っていることがわかるのだけど、そういう特殊な人が家族のなかにいない人には、俺が言っていることが心底!わからない。「そんなの、家族なんだから相談すればいい」「相談すればちゃんとやってくれるよ」などと俺が言われてしまうのである。これが、きつい!! きつい!! ともかく、毎日、そういうモードでくらしている以上、どれだけ言っても、どれだけ相談しても、兄貴と親父の行動はかわらない。かわらなかった。

(じゃあ、相手の行動はかわらないのだから、引き下がって我慢するしかない……となると、ものすごくこまるのである。親父がやったことでもこまったけど、気違い兄貴のヘビメタ騒音はこまるなんてものじゃないのである。)心理学系の人は「相手がかわらないのだから自分がかわるしかない」などと、気楽に言うけど、どんだけ……。けっきょく、相手の考えが変わらずに、一四年間ヘビメタを浴び続けてしまった俺の人生が、どんな人生になったと思っているんだよ。一日、あびたら、その影響は残る。浴びて、それで、平気なんてことはないんだよ。そこが、まったくわかってない。「意思で」「気持ちの持ちようで」どうにかなると思っていやがる。それは、違う。ほんとうに、自分が嫌いな音をあの頑固さで、あの音のでかさで、毎日毎日、約七時間以上聞かされてみろ。それで、学校なり会社に通ってみろ。どれだけ、一日がつらいか。一日だけ、約七時間鳴ってたというのとは、違うよ!

自分の気持ちが実際にあがるなら

まあ、開運グッツを買って身につけるとか、部屋に置いておくというのはいいことだ。別に否定しない。これは、気持ちの問題だからね。本人が、自分の気持ちをあげようとして、開運グッツを買ったり、開運グッズを身につけたりすることは、いいことだ。ぼくが問題だと言っているのは、たとえば「いつまでも病気でいる人は、病気と仲良くしたい人だ。本気で追い出すつもりがない人だ」というようなことは言わない方がいいということだ。だいたい、それは、差別発言だから。それから、勝手な決めつけがある。こういう人は、「結果」から、なんらかの妄想的な原因を導き出している。いま現在、病気なら、病気と仲良くしたい人なのである。「病気を追い出すぞ」と決心したにもかかわらず、あいかわらず病気が治らない人は、病気と仲良くしたい人なのである。

結果から言っている。実際に病気が治らないのであれば、本気で!病気を追い出すという決心をしてない人なのである。証拠は、病気が治ってないということだ。本気で!という言葉が出てきたけど、ほんとうに、これは、そういう人たちがよく使う言葉だ。「本気で!病気を治そうとしているのに病気が治らない」なんてことは、(その人たちにとっては)ないことなのである。「治らないなら!本気で!なおそうとしてないからだ」ということになる。……その人たちにとっては!! 他の原因を認めないのである。「本気で決心をしているかどうか」だけが問題なのである。これは、本人が、自分の気持ちをあげようとして、開運グッズを買うのとは違う。他の人のことについて言及してしまっている。「本気で!病気を治そうとすれば病気は絶対に治る。ずっと病気でいる人たちは病気と仲良くしていたい人たちだ。本気で治すという決心をしてない人たちだ(決めつけ)」と言うのは、他の人たちに対する発言だ。他の人のことについて言及してしまっている。

何度も言うけど、本人が!!本人のために!!!開運グッズを買うことはいいことだ。ぼくは否定してないから! 俺がそういうのを否定していると勝手に誤解している人たちもいるんじゃないかなと思う。

自分の気持ちが実際にあがるなら、開運グッズは、効果がある。





2018年1月4日木曜日

どんだけさみしい思をしてきたか。

もう、なにをどうしていいのかわからない。

ほんとうにガチガチにくるしい状態にたえてきたら、もう、いいやという感じもある。ヘビメタでくるしかったな。どんだけさみしい思をしてきたか。

   *   *   *

俺はこのまま死ぬんだろうか。全力で、がんばってきたけど、もう限界だ。やっぱり、つかれた。ほんとうに疲れ果てた。鳴っているとき、どれだけ、言っても、一分もやめてくれなかった。一分も。あのあと、どういう気持ちで俺が自分の部屋に帰ったと思っているんだ。親父の態度とおなじなんだよ。家族会議だって、そうだ。絶対に首を縦に振らなかった。(どれだけ相談しても、絶対に首を縦に振らなかった。)

ようするに、ヘッドホンをして聞くのは、絶対に一秒だっていやだという意地を通した。そして、すべての時間、スピーカーから鳴らした。気違い兄貴がヘビメタを聞くのに「静かにして」聞くわけがないだろ。あれ、ほんとうに「静かにしてやったつもり」だったのかよ。

だから、「そういうのが全部気違い親父の態度とおなじだ」と言っているんだよ。まあ、他の人には「気違い親父の態度」というのがわからないから、そういう説明をしてもわからないだろう。

けど、気違い兄貴は、知っているわけだからな。親父の態度を!

で、気違いに気は親父にやられて怒ってた。直接、ずっと騒音を聞かされなくても、ずっと怒っていた。「ずっと騒音を聞かされなくても」というのは、ずっと、気違い親父がやる物理攻撃が続かなくてもということだ。兄貴は、親父とふれあって、気違い的なもめごと……きちがいとのあいだにしか起こりえない気違い的なもめごとを経験したら、親父と別れたあとだって、一日中怒ってたんだよ。物理的な攻撃が続かなくても、親父からの物理的な攻撃が続かなくても兄貴は怒っていた。

そりゃ、怒るよな。あんな態度であんなことやられたら、そりゃ怒るよな。だれだって、そりゃ怒るような態度なんだよ。(親父の態度は)普通の人がそういうことをやられたら、発狂してしまうような態度なんだよ。「態度全般」なんだよ。「態度全般」というのは、なんて言うのかなやりとりすべてがおかしい。

けど、本人は、「ちゃんとやってやった」「譲歩してやった」「ゆずってやった」と思っているわけだからな。これは、とりあえず、文章の都合で「思っている」と言ったけど、普段から思っているわけじゃない。

言われた後ちゃんと、そういうふうに思っているわけじゃない。「ちゃんとやってやった」「譲歩してやった」「ゆずってやった」は、それぞれ「ちゃんとやってくれなかった」「譲歩してくれなかった」「ゆずってくれなかった」と言われたときの反応なのである。気持ちなのである。じゃ、そうじゃないときはどういう気持ちか?

ぜんぜんまったくおぼえてないという状態なのだ。これが、「相手」にはこたえる。で、気違い兄貴もこれとおなじことを毎日一四年以上やってきたわけだよ。

そして、何十年経っても「つもりかないまま」なんだよ。そして、「譲歩してくれなかった」と言われたら!「譲歩してやった」と親父のように単純に反応しているだけなんだよ。言われたら、怒って否定する。……それだけ。それが済んでしまったら、「譲歩してくれなかった」と言われたことも、「実際には譲歩してやらなかった」ということもふっとんでいる。まったくなにも心に残らない。「譲歩してくれなかった」と言われたことも、「実際には譲歩してやらなかった」ということもまったく認識されない。言われたときだけ、「否定形で」反応しているだけ。それだけ。

自分がやりたいことがあるときは、「やめろ」と言われたら、やはり、「否定形で」反応しておしまいなんだよ。「そんなのいやだ」という気持ちを通す。一分だろうがそんなことはやってやらない」という気持ちを通す。通したら、自分には一切合切関係がないことで、自分が騒音を押しつけた……相手がやめてくれと言ったのに「そのままやり続けた」という事実は、ないことになってしまう。

「あったって」ないことなのである。で、それが、一万日繰り返されても、やっぱり、おなじなのである。だから、一万日やったとしても、まったくやってないつもりのままですごすことができる。すごすと言うことは、自分の意地をすべて通して、実際には一分だろうがヘッドホンをしてやらずに、自分が満足できるデカイ音で鳴らすということだ。だから、すべての時間、気違い兄貴が思ったとおりの音で鳴らし続けるということになってしまう。毎日、そうだ。

気違い兄貴は、もめごと!のあと、兄貴のきちがいヘビメタ騒音を俺に押しつけていた。俺の部屋に帰ったって、気違い兄貴の部屋と同じような音のでかさで、気違いヘビメタがガンガン聞こえる状態だからだ。ほんとう、気違い。ほんとうに、「いま住んでいるマンションで」むかし、ならしていた音で鳴らしてみろ。おまえ、一〇分で、横の人が苦情を言ってくるよ。そういう音だよ。

   *   *   *
ヘビメタ騒音がはじまってから九年目あたりに、親友から「いいかげん、どうにかしたほうがいいよ」「いいかげん、どうにかなってくれ」「いいかげんどうにしかしないと、エイリがほんとうにだめになっちゃうよ」と言われたときの気持ちがわかるか? これ、気違い兄貴の家での態度というのは、他の人には絶対にわからないんだよな。俺がどれだけ兄貴に言ったか? 俺がどれだけ真剣に兄貴に頼んだか? ヘビメタ騒音問題を解決しようと最大限の努力をしてきたか??

兄貴の!家での態度!!がわからないひとには、ほんとうにまったくわからない。兄貴の!家での態度!!なんて、兄貴を含めて、俺とお母さん以外のひとは、わからない。親父はまったくわかってないからな。実際に、家で鳴らしているときにきて聞いてみろ。ほんとうに、ひどい音で鳴らしている。しかも、「こんなで買い音で鳴らして大丈夫なの」と兄貴が兄貴の友達に聞かれたときのように、まったく気にしてないのである。「だいじょうぶだいじょうぶ」と答えてまるで気にしない。そのうちにきた兄貴の友達は、ずっと、気にして、「(こんなにデカイ音で鳴らしたら)弟さんに悪いよぉ」と言っていたのに。兄貴は、まるで気にしない。その兄貴の友達が帰ったあと、どれだけ俺がなにを言っても、夜の一一時一一分まで、普段通りのデカイ音で鳴らしていた。あと、ほんとうに、入試の前とか、夏休みの終わり日とか、こまるんだからな。これ、ほんとうに兄貴のヘビメタ騒音が朝から夜の一一時一一分までずっと鳴っているからこまっているのに、他の人は、その深刻さがわかってない。「勉強したくないから言い訳している」なんて思うわけだから。俺がどれだけ自分の人生について真剣に考えていたか。

「いいかげんどうにしかしないと、エイリがほんとうにだめになっちゃうよ」なんて、親友に言われなくたってわかっているよ!! ほんとうにくるしい。毎日ほんとうにくるしい。特に、朝の苦しさはない。朝も気違い兄貴がヘビメタを鳴らしている時間があったけど、それを抜かして考えても、ヘビメタ騒音で朝、つらい。朝、ヘビメタが鳴っている期間となってない期間がある。鳴ってない期間は鳴ってなかった。けど、それでも、前の日のヘビメタ騒音でくるしくてくるしくて、死んでしまいたい気分なのである。朝の憂鬱は、ほんとうに、鬱病自殺寸前、過労死寸前の憂鬱だ。どれだけ俺が苦労して起きて、ひきつって動いていたか。これ、ほんとう、俺がサボっているように言われるんだからな。いまも!! 別に毎日何年間も何年間もおなじようにヘビメタを経験してない人が、「朝、起きれないなんて甘えだ」「俺だって、つらいけど起きて、会社に行っている」とか言うわけだからな。俺だって、ヘビメタ騒音がないときは、普通に!!つらいときもあったけど、普通に通っていた。何千日も、午後一一時一一分まで、ガンガンキーキードカスカ!ヘビメタが続く状態を経験して、体がだめになっていく。他の人にはこれがわからない。ほんとうに経験したことが違うのに、自分の物差しで、がたがた言いやがって。想像力のかけらもないのか??

と、怒ると……これがまた、なんて言うのかな、まるで、俺がコミュ障みたいに言われるのかもしれないけど、違うから。十数年間も毎日って言っているだろ。七年目には、七年間も毎日と、俺は言った。そういうことを無視するやつが、悪い。これ、ほんとう、わからない人にはわからないだよな。ほんとうに、どれだけ!! ほんとうに七時間以上、気違いヘビメタを浴びると、どうしても、眠れなくなる。午前四時、五時まで起きているような状態になる。これ、浴びてしまったら自分の意思ではどうにもできない。普段日光に当たって、運動すれば、寝れるよ……とか……それは、普通の人の話だろ。ヘビメタ騒音がまず一分も鳴ってない状態にならなければ、だめなんだよ。まず第一に!! 他のことはどうでもいいからまず第一にヘビメタ騒音が鳴りやまなければ、だめなんだよ。三年目、六年目、七年目、全部毎日鳴ってた。毎日って、ほんとうに、土曜も日曜も祝日も全部!!

はぁ??いまは鳴りやんでいるだろ」って。それは、そうなんだけど、一〇年間毎日やられた時点で、もう、治らない状態になっている。放射線とおなじだよ。障害で浴びた量が問題。で、これも、他の人は、10年間も経験してないから、ぜんぜんわからないんだよな。リターン可能な時点(地点)というのがある。それをすぎたら、だめだ。

この夕方・夜のヘビメタ騒音の感じ。

paypalアカウント、ひとつ、削除した。

新しく作る必要が出たら、新しく作ろう。



ほんとうに喉がかわく。



ヘビメタ騒音のストレスで、ぼくはもうだめかもしれない。



それから、いろいろつまらない。

この、つまらん、気持ち。

この夕方・夜のヘビメタ騒音の感じ。

あーいやだ。いやだ。これだけだったんだよな。ぼくの人生。

2018年1月3日水曜日

常にこころがはりさけそうだよ

野菜スープ、うま~~

けど、つまんない。
楽しくない。
楽しいわけがない。これ、どうしたらいいんだろうね。
ヘビメタ騒音がはじまってから、常にこころがはりさけそうだよ。

こんなの、ない。

「そんなぁ  普通の感情なんてないよ」
「どれだけ、ヘビメタ騒音ですり減ったかわからない」
「あのけたたましい気違いの音に、常に毎日、毎分毎秒やられていて、いいわけがないだろ」

「楽しめばいい」「楽しもうとしないからいけないんだ」「なんかあるだろ」

「いや、楽しくない」

「自分で楽しもうとしなかったら、楽しいわけがない」

「ヘビメタ騒音一四年と四ヶ月で、すべてがすり減った。俺がどれだけ……俺がどれだけ……」

   *   *   *

実際になければ、そうはならないわけだから……。この人たちのいっていることもわかる。けど、それは、ヘビメタ騒音を浴びる前のぼくにしか成り立たない。ほんとうに、これ、違う。立っている場所が違うんだよ。毎日、午後一一時一一分まで、ガンガン鳴らされ続けたことがない人にはわからない。鳴っている瞬間がくるしい。鳴らされたあとの時間がくるしい。それが一〇年、一一年、一二年と、一三年、一四年と、毎日つもっていく。普通の人の普通の感覚というのは、ヘビメタ騒音がはじまってから五年目あたりでなくなった。それからは、普通の人の普通の感覚とは違う感覚になっている。で、それは、普通の人はわからない。だから、勝手なことを言う。楽しいわけがないんだよ。どんだけつもったか。

それは、経験してないからわからないだけ

そういえば、昨日は外に出た。さむーーーい。さみぃーーーーー。寒かった。猛烈に寒かった。「やっぱり、冬だな」と思った。いままでは、マフラーをしていくと、歩いているあいだにあったかく感じたものだ。(マフラーでダウンコート内の熱が逃げないようになっている)。けど、昨日は、歩いても歩いても、寒いだけ。



けっきょく、食料品しか買ってない。



いやー、ヘビメタ騒音のことで、さみしかったよ。

ひとりで外出すると、自分の人生についていろいろ考えちゃうんだよな。ほんとうに、ヘビメタ騒音にやられていたときとおなじだから。これ、絶対他の人は、わからないと思うけど。気違い兄貴! どんだけ、俺が、あ・に・き・の・へ・び・た・そ・う・お・んのことで、くるしい、こころもとない状態で歩いているかわかるか? どういう気分で暮らしていたか?わかるか?? わからないと思う。



気違い兄貴にほんのちょっとでも「ひとのこころ」があって、鬼にならなければ、そういうことがわかって、エレキギターを毎日すべての可能な時間、あの音のでかさで弾き続けるなんてことはないんだよ。普通に、中間テストのとき、「静かにしてくれ」と言えば、それが通じる状態なんだよ。普通の人なら。「ひとのこころ」があるなら。親父のようにガン無視で、どれだけなにを言っても通じない。



通じないのが!!気違い兄貴だ。



ほんとうに……うちの連中はほんとうに、通じないとなったら、どれだけなにを言っても、まったく通じない。ほんとうにちょっとでもいいから、ひとのこころがあれば、絶対に通じることが、一切合切通じない。これ、いあわせたひと」じゃないわからないんだよ。「うちのなかのこと」はわからない。親父や兄貴の「うちのなかのたいど」というのは、普通の家で暮らしてきた人には、こ・ん・ぽ・ん、からわからない。これも、また、これで、「わかる要素」がないんだよな。



だから、「いえばいい」「いえば、わかってくれる」「ちゃんとやってくれる」みたいな気持ちでいる。



で、そういう判断は、俺のヘビメタ騒音問題全体に対する気持ちに影響を与える。だから、親父や兄貴の「うちのなかのたいど」が根本的にわからない人にとっては、「言わないのが悪い」とか「ほんとうにそんなひとがいるのかなぁ」みたいなことでしかない。



けど、それは、ヘビメタ騒音問題全体を誤解している。間違った認識に基づいて間違った判断をしている。気違い兄貴よ。兄貴の一五年間にわたる態度は態度は、ほんとうに、ハンダゴテ事件の時の親父の態度とおなじなんだよ。本人にとって都合が悪いことは、どれだけ普通なら「ひとこと」いえばわかることでも、命がけで!認めない。認めないということも認めない。言われたら腹を立てて、「はねのけて」それでおしまいだ。「はねのけた」(相手の言い分を聞かずに自分の行為を続行した)ということが、根本的にわかってない。



「そんなのなんだぁ!!」と怒り狂って、はねのけたら、その瞬間に、わすれているんだよ。わすれちゃう。自分が「はねのけた」ということさえわすれてしまう。瞬間的にわすれてしまう。一秒後には「そんなことはない」という認知になっている。一秒後には「相手が言ってきた」ということをわすれてしまう。



「言ってきた」ということになってないのである。



一秒後と言うよりも、「怒った瞬間に」忘れている。自分は鳴らしたいわけだから、「鳴らさないでくれ」というのは、自分にとって不都合なことなんだよ。不都合なことを言われたら、瞬間的に発狂して、瞬間的に、「相手が言ってきた」ということをわすれてしまう。



だから、トータルで何万回、何十万回言われても、「そんなの言われなかった」という認識になってしまう。兄貴の認識は「つねに」そうだよ。鳴らしているさいちゅうも、鳴らしている期間中も、鳴らしている期間を過ぎたあとも。鳴らしている期間ってあしかけ一五年間だからね。鳴らしているさいちゅうって、たとえば、いまは冬休み期間中なんだけど、冬休み期間中なら、朝の九時一五分から……遅くても午前一〇時から、午後一一時一一分までの、最低一二時間三一分だ。



これ、鳴らしてない時間は兄貴が昼飯を食べる時間(一〇分)と夜飯を食べる時間(二〇分)と風呂に入る時間(一〇分)だけだ。四〇分を抜かしてずっと、ガンガン、強烈にデカイ音で鳴らしている。気違い兄貴は気違いなので、デカイ音で鳴らしているという認知がないんだよな。じゃ、うちで鳴らしていた音のでかさで、いま住んでいるマンションで鳴らしてみろ。





ほんとうに普通の音だというのであれば、兄貴がいま住んでいるマンションでも、一日に一〇時間以上鳴らしてあたりまえだろ。実際には、いまは、兄貴は一分も鳴らせない!!



よそじゃ、ずっとヘッドホンをして鳴らしているのである。ならば、そういうことが「うちでも」できたはずなのに、できないんだよ。「うちで鳴らすなら!自分が思ったとおとりの音で鳴らしていい」「それでまったく問題がない!!」と思っていたわけで、スピーカーから鳴らすことにこだわって、こだわって、こだわって、こだわって、絶対の意地で、どれだけなにを言われても、スピーカから鳴らしてたんだよ。スピーカーで鳴らさないと「感じが出ない」というような自分勝手なな理由で、こだわってこだわってこだわって、弟の人生を破壊してしても、まったく気にしないで鳴らし続けた。



毎日毎日おなじ。



親父が気違い的な迷惑行為をして、「やめてくれ」と言われたら怒っていたけど、それとおなじなんだよ。そういう行為をやるときの「こだわりかた」もおなじなんだよ。兄貴と親父はまったくおなじ。で、そうやって、「ことにこだわって、こだわって、こだわって、こだわって、絶対の意地で、どれだけなにを言われてもやったこと」はぜんぜんやったことじゃないのである。「やった」ということを認めるだんになると、「やってない!やってない!やってない!やってない!やってない!」とこだわりつくして、言う。否定する。だから、気違い的な迷惑行為をやるときの態度と、「やった」ということを否定するときの態度がまったくおなじなんだよ。これは、親父もそうだけど兄貴もそうだ。



で、両方とも、しらばっくれて、まったくそんなことはしなかったと思っているのである。まったくそんなことはなかった」という認知なのである。こういうことを、「悪気なく」できる。こんなの、最悪の悪気があってもできないことなのに、悪気なく、毎日、平然とやる。やり通す。だから「やっている」のに、本人は「やってない」つもりなのである。あたりまえのようにやるけど、本人は、「やったつもりがないまま」なのである。



じゃあ、言えばやめてくれるのかというと、めちゃくちゃに怒って、こだわってこだわってこだわって、絶対にやめてくれない。途中で「おれる」なんてことはないんだよ!! 絶対の意地でやる。だから、やったのに本人は、「やってないやってない」「なんだなんだ!!」だよ。そうやって、発狂してはねのけてしまえば、それですんじゃうわけ。それは、やっているときにやめろと言われて、興奮して、はねのけてしまえば、まったく気にしないのとおなじなんだよ。興奮してはねのけてしまえば、どれだけ言われたって、言われた感じがしない。言われたという認識がなくなる。自分にとって不都合なことは、どれだげ何万回明確に、直接言われても、「まったく言われなかった」こととおなじことなのである。





これ、本人が一番わかってない。



次にわかってないのは、まったく関係がない第三者だ。うちにいるときの兄貴や親父の態度を見たことがない人は、「そんなひといるのかな?」など気楽な?感想をもらす。気楽な?感想を漏らした人は、半信半疑で半分は信じていないので、その人のなかでも、「そんなことはなかったんじゃないかな」というような感情が支配的なのである。あとは、俺のことに関心がないか、「兄貴が爆音で鳴らしていた」とか「親父が迷惑行為をした」ということに、関心がない人は、要する、どうでもいいことして、半分、疑ったままにしておく。で、「ともかく、働いてないのはケシカラン」「そんな、何年間も職歴がないなんておかしい」と思うわけだよ。ほんとうに、頭にくる。頭にくるので不愉快に思ったということが顔に出るのだろう。そうすると、そいつは「そんなことを言われたぐらいで怒って」というようなことを思うわけだよ。


気違い兄貴よ!おまえの行為を普通の人は信じないからだめだ。それは、気違い兄貴が、ちゃんと説明したのに、他の人が「兄貴の説明のしかたが悪かったから、お父さんがわからなかったんだ」と判断したときとおなじだ。ハンダゴテ事件の時「ちゃんと言えばつたわるのに、ちゃんと言わなかったから悪いんだ」と判断した人がいたけど、それとおなじだ。それから、「このハンダゴテが使えないのがわからないなんておかしい」いう考えがあるんだよ。そりゃ、見たら!!だれだってわかることだからな。「こんなの!!つかえないぞぉ!!」(そんなこともおまえはわからないのか)と思われるわけだよ。親父がバカだから、兄貴がそういうこともわからないバカだと思われる。気違い兄貴よ!! おまえは、親父の態度で!ヘビメタを鳴らして、親父の態度で!ヘビメタを音で鳴らしたということを否定して、毎日、俺にそういう思いをさせている。親父の判断や親父の態度が、普通の人にはわからないように、普通の人には、兄貴の判断や兄貴の態度がわからない。まるで「言わなかったから悪いんだ」というようなことを言ってくるやつがいる。言わなくても、そういうことを思うやつがいる。そういうやつらは、悪い人ではない。けど、こっちが、責められるような立場で接することになると、俺にとって悪いひとになるんだよ。責められるような立場というのは、何十年も働いてないとかそういう立場だ。けど、そういう人たちだって、俺とおなじようにヘビメタ騒音を一一歳から二五歳まで毎日やられれば、俺とおなじ状態になって働けなくなる。それは、経験してないからわからないだけ。

2018年1月1日月曜日

おなじ反応が返ってくる


明けても、おなじペースだわ。あいかわらずだ。



やっぱり、ヘビメタ騒音のことが気になる。



ほーーーんとに、つらかった。



ほーーんと、つらいだけの人生だったな。ヘビメタがはじまってから。







いま現在、意識ははっきりしていて、作業ができる状態なんだけど、やる気がない~~







ほんとうにあらゆる点で、ずれた。兄貴のヘビメタ騒音って、そんなに重そうな問題に聞こえないんだけど、重い問題なんだよ。あいつ、ほんとうに、催眠術にかかったように頑固にやって、催眠術にかかったように頑固にやったことに関しては、まったく、記憶がないというような感じなんだよな。もちろん、「鳴らした」ということ自体はおぼえてはいるんだけど、「デカイ音で鳴らした」という気持ちはないんだよね。こっちがどれだけ、本気で「やめてくれ」と言いに行ったか、ぜんぜんわかってない。親父のようにぜんぜんわかってない。







弟が自分の音でこまってたなんて、そんなのは知らなかった。



「そんなの知らなかった(知らなかったからやってないのとおなじ)(たいして悪いことじゃない)(いや、まったく悪いことじゃない)」という気持ちしかないんだよ。認識しかない。で、やっているときからそうなんだよ。



たとえば、俺が小六の時に、兄貴の部屋に行って「宿題ができないからやめてくれ」「静かにしてくれ」「うるさすぎる」とどれだけ言っても、「そんなの知らなかった」という気持ちのまま、頑固にやり続ける。今日は元旦だけど、元旦だってそうなんだよ。朝から、すべての時間、デカイ音で鳴らし続ける。



うちにいれば!!絶対の意地で鳴らし続ける。



元旦だから、弟の言うことを聞いて、一時間ぐらいは、ヘッドホンをして静かにしてやろう」なんて気持ちはない。一一時間鳴らせるなら、一一時間絶対の意地で、鳴らす。けど、「つもりがない」まま鳴らすので、「つもりがないまま」なんだよ。「やめてくれ」と言われたら、親父のように発狂して、真っ赤な顔をして、エレキギターを弾き続ける。ヘビメタをステレオで鳴らし続ける。



で、繰り返しになるけど、一日が終わるまでに、俺が二〇回、兄貴の部屋に行って「やめてくれ」「静かにしてくれ」と言っても、気違い兄貴は、「そんなの知らなかった」という認識しかない状態なんだよ。一日中鳴らして、一日中、何回も何回も「やめてくれ」「静かにしてくれ」と言われたという記憶がない。自分が言われたという記憶がない。そのとき!!怒ってはねのけたら、それでおしまいなんだよ。



一回一回、切れている。



だから、何十回言われても、「そんなの言われなかった」という気持ちのままなんだよ。こういうしくみが成り立っている。だから、ほんとうは無視して鳴らしたという現実があるのに、やった本人はまったくおぼえてないという状態だ。



これは、普通の人がとくに、気にしないで相手をいじめたというのとはちょっと違う。いや、だいぶ違う。ほんとうに、基本的なレベルで「つもりだけ」がない状態なのである。「頑固さ」と「否定の強さ」がおなじレベルだ。これも、親父がずっとやったことなんだよ。親父はヘビメタは鳴らさなかったけど、すべてのことで、こういうことになる。親父が迷惑行為をやったら、どれだけもめても、親父はまったくおぼえてないという状態ができあがる。



もうほんとうに「さいちゅう」から、どれだけ言っても、どれだけもめても、怒り狂って認めない状態なのである。で、やりきることができれば、認めなかったということも含めて忘れてしまう。自分にまったく関係がないことだと思ってしまう。



はねのけた瞬間から、そうなんだよ。



だから、そういう瞬間を何万回繰り返しても、本人は「つもりがないまま」なんだよ。直前の文章は、親父の話だけど、親父も兄貴もまったくおなじだから、どっちの話しなのかは気にしなくていい。親父がオリジナルで、うちでそういうことをやり始めた。そして、毎日何十年も、親父はかわらずに「そういうやつ」だから、そういうふうに振る舞う。



気違い兄貴が、一五歳の時に、親父のやり方で、ヘビメタを気違い的な音で鳴らし始めた。だから、どれだけやったって、「認めない」という状態が、成り立っている。成り立っていた。兄貴がヘビメタを鳴らしているときの状態や認知のしくみが、親父が迷惑行為をしているときの状態や認知のしくみとおなじなのである。



い・わ・れ・た・ら、発狂してやりきるけど、それをどれだけ何万回繰り返しても、「やったつもりがしょうじない」という状態になっている。だから、「(どれだけやったって)やってない」のである。兄貴は「やってない」「そんなんじゃない」という気持ちのままだ。



そういう気持ちのまま、頑固に自分の意地を通して、自分が満足できるやり方で、やりきる。自分が満足できるやり方というのは、音のでかさにおいて譲歩しないということだ。ほんとうの意味では譲歩しない。



譲歩するなら、自分が満足できるデカイ音で鳴らして、それで譲歩してやるということだから、親父をこえた「けちくささ」を発揮して、静かにしたのだか静かにしてないのだかまったくわからない音の分だけ静かにするといこうとになる。自動的にそうなるのである。自分が満足できない音で鳴らすつもりはないのである。



最初から……最初から!!! 



だから、自分が満足できるデカイ音で鳴らして、譲歩してやる……譲歩するなら譲歩してやる……ということになる。そういうことにしかなりえない。だから、無駄なんだよ。このしくみが他の人にわかってないから、俺が兄貴に直接「静かにしてくれ」と言わないからダメなんだと言われてしまう。他の人から言われてしまう。



気違い兄貴が一五年間毎日がんばって鳴らし続ければ、一五年間毎日そういう状態がしょうじてしまう。こんな人生でいいわけがないでしょ!! 他の人にはわからないと書いたけど、兄貴にもわかってない。他の人よりも、兄貴が一番わかってない。兄貴は、親父がそういう態度だったというのはわかっているんだよ。



腹を立てている。もちろん、ゆるしてない



。そりゃ、赤ちゃんの頃から、そういうことを押しつけられて毎日いじめられてたら、そうなる。相手にとってまったく無意味な譲歩しかしないということだから、意地悪なことをしているということになる。けど、本人はまったく意地悪なことをしているつもりはないんだよ。それどころか、「やってやった」「やってやった」「やってやった」「やってやった」のオンパレードだ。けど、かならず、迷惑行為をするときは、そうやって、ゆずらない。



どれだけ言っても絶対にゆずらない。しかも、どれだけもめても、もめたといこうとをおぼえてない状態なのである。で、それについて言うと、また、おなじ反応が返ってくる……そういう状態なんだよな。これは、親父の話だけど、そっくりそのまま、兄貴のヘビメタ騒音(迷惑行為)にあてはまる。当人は、どれだけやたっってやってないつもりなんだよ。どれだけ、「やめろ」と言われても、……「言われた」という認識がしょうじない。これは、比喩じゃなくてほんとうにそうなんだよ。



何万回言われたって「そんなの知らなかった」と平気で言える……状態なんだよ。状態というか、そういう人なんだよ。これは兄貴の話だ。親父もおなじだけどね。これ、ほんとうに、他の人にはまったくわからないことなんだよな。「そんな人いない」「ちゃんと言わないからだめなんだ。ちゃんと言えば、わかってくれる」とか言われる。

ほんとう、ヘビメタつらすぎる。

そうとうやばい。

文章の整理をしていたのだけど、同じようなところをまわっているから、つらい。つらい。



ほんとう、ヘビメタつらすぎる。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。