2018年1月23日火曜日

「心臓をください」と言われた場合 (このあいだの続き)



親父にとって、使えないハンダゴテを出してきてやったということが、最大限の譲歩だということは言った。最大限の譲歩が譲歩になってないのである。兄貴もおなじだ。兄貴にとって、最大限の譲歩は、自分が静かにしてやりたいぶんだけ静かにしてやるということなのである。

一分でも、自分が静かにしてやりたい範囲で静かにしてやれば、静かにしてやったことになってしまうのである。

その時間も含めて、静かになってない。

兄貴は、よそのうちでは一分だって鳴らせない音で鳴らしている。その、「最大限譲歩して静かにしてやった時間」も「よそのうちでは、でかすぎて一分だって鳴らせないような音で」鳴らしている。だから、譲歩になってないのである。

けど、本人は、一分間でもそういう譲歩をしてやったら、もう譲歩をしてやったのだから、譲歩しなくてもいいという気持ちになる。「そんなの譲歩じゃない。ぜんぜん静かにしてないじゃないか」ということは、死んだって認めないのである。

親父が使えないハンダゴテだということを認めないのとおなじだ。

どれだけ俺が「ぜんぜん静かにしなってない。ちゃんと静かにしてくれ」「ヘッドホンをして静かにしてくれ」と言っても、自分の譲歩がまったく役に立たない譲歩だということを認めない。普通の基準で言えば、ものすごくデカイ音で鳴らしているということを認めない。

兄貴が「静かにしてやったつもりの音」がでかい音だというのは、一秒聞けば、だれもがわかるようなことなのに、(兄貴は)絶対の意地で(でかい音だというとを)認めない。さらに、認めないということも認めない。死んだって、認めない。認めたら死ぬと思っているような態度で認めない。

気違い兄貴のなかでは、「ちゃんと静かにしてやった」ということになっているのである。親父がハンダゴテならちゃんと出してあげたのだから、ハンダゴテのことは解決している(買ってやる必要がない)と思っているのとおなじだ。

兄貴が、ぜんぜん静かにしないのに、静かにしてやったと思っているのは、親父が、使えないハンダゴテを使えるハンダゴテだと思っているのとおなじだ。

親父の場合、どれだけ「使えないハンダゴテだ」ということを説明されても、絶対に認めないのである。永遠に認めない。そりゃ、認めたら死ぬと思っていたら認められるわけがない。自分が金を出してやるということは、そのくらいに、いやなことなのである。心臓をとられてしまうような、いやなことなのである。そんなことは、するはずがない。

普通の人は、「心臓をください」と言われた場合、あげないでしょ。AさんとBさんがいて、Bさんが、Aさんに「心臓をくれ」と言ったら、Bさんは、「あげられるわけがないだろ」と答えるでしょ。「わかりました。あげましょう」なんて言う人はいないでしょ。Bさんが本気だったら、「そんなの冗談じゃない」「あげられるわけがないだろ」と言うでしょ。

怒るでしょ。親父にとって、ハンダゴテを買ってやるということはそういうレベルのことなんだよ。

兄貴の場合も、まったくおなじなんだよ。相手が言うとおりに、本当に静かにしてやるというのは、自分の動いている心臓をあげるようなことなのだよ。だから、必死になって抵抗する。絶対に、あげない。絶対に、認めない。

この心臓のたとえは、突飛だけど、気違い親父や気違い兄貴の思考スタイルを普通の思考スタイルに変換して説明するには、もってこいだと思う。

「心臓をください」と本気で言われて、「はい。わかりました。あげましょう」という人は、いない。冗談だと思っていればそういうふうに言うかもしれないけど、相手が冗談で言っているのではなくて、ほんとうに、自分の心臓を取り出すつもりだったら、絶対に、「いいですよ」などと言わない。

認めない。相手の言い分を認めない。

相手が言っていることを認めて、譲歩するというとはない。もちろん、自殺するつもりの人は、「いいですよ」と言うかもしれない。けど、それは、例外だ。普通の人であるならば、絶対に、「心臓をください」と言う相手に、心臓をあげるとは言わない。

で、言いたいことは、普通の人は、相手に「心臓をあげる」と言わなかったことを反省するだろうかということだ。それから、一〇回中三回ぐらいは、心臓をあげることができるだろうかということだ。

まず、普通の人は、相手に「心臓をあげる」と言わなかったことを反省するだろうかということについて考えてみよう。見知らぬ相手から、いきなり、心臓をくれと言われて、「いいですよ」と言わなかったことについて、反省する人はない。相手がぶしつけで失礼なことを言ってきたのだから、応じる必要がないと普通の人は考えるだろう。

それとおなじように「静かにしてくれ」と言われて、「いいですよ」と言わなかったことについて反省するということはない。「静かにしてくれ」と言われたあと、気違い兄貴が静かにしなかったとしても、気違い兄貴は反省しない。他の人が「心臓をくれ」と言われて、ことわったのとおなじ心理が成り立っているからだ。

気違い兄貴にとっては、相手の言うとおりに、ヘッドホンをして静かにしてやるということは、心臓を持って行かれるようなことだからだ。死んだって、やってやりたくないことなのである。

だから、「静かにしてくれ」と言われたら、親父のように!怒って!!はねのけるわけで、「(実際に)静かにしてやらなかった」ということについては、反省するわけがない。あたりまえだと思っているのである。普通の人が「心臓をください」といわれて、「ことわった」のとおなじ状態なのである。だから、悪いことをしたとは絶対に思わない。


親父の場合を言っておくと、親父にとっては、自分の動いている心臓をあげたくないのとおなじレベルで、新しいハンダゴテを出す金をあげたくないのである。

「ハンダゴテならある。どうして、使わないんだ」という思いがある。

で、そういうふうに思ったら、相手がどれだけ「エレクトロニクス工作にはこのハンダゴテは使えない」と言っても、認めないのである。親父にとっては、そのハンダゴテが使えるかどうかに関係なく、使えるハンダゴテなのである。使えないということを認めてしまったら、金を出さなければならなくなる。それは絶対にさけなければならないことだから、事実に関係なく『使える』ということになる。

親父のなかでは、事実に関係なく使えるハンダゴテなのである。

だから、そのハンダゴテをもたせてあたりまえなのである。親父にとって『使えない』と言っている相手は、間違ったことをいっているだけなのである。使えるハンダゴテを使えないといっているだけなのである。使えないということを認めたら、金を出してやらなければならなくなるのだから、そのハンダゴテは絶対に使えるハンダゴテなのである。

使えるハンダゴテでなければならない。

使えるハンダゴテだという現実しか、受け入れることができない。最初から、現実を無視して決まっているのである。そして、現実を無視して決まっているからこそ、『使える』というのが親父にとっては現実なのだ。現実をそのように受けとめるしかないのである。

なんてたって、認めてしまったら、心臓をとっていかれるのだから、必死になって否定する。絶対の意地で認めない。事実に関係なく、(金を出してやるのがいやだから)そのハンダゴテは、絶対に使えるハンダゴテなのである。相手がどれだけなにを言っても、何万回言っても、絶対に『使えないハンダゴテだ』とは認めない。

命がかかっている。親父にとっては、使えないということを認めたら、心臓をえぐり取られてしまうのとおなじだから。心臓をえぐり取られてしまうようなことを認める人はいない。

親父にとっては、ハンダゴテが、気違い兄貴にとってはヘビメタが、心臓とおなじなのである。兄貴が、実際に自分が鳴らしている音がでかい音だということを認めるということは、親父が親父が出したハンダゴテが使えないハンダゴテだということを認めるのに等しい。

だから、命がかかっている。

たとえ一分だろうが、『でかい音だと言うことを認めて』ちゃん静かにしてやるのは、絶対にいやなのである。もちろん、認めたところで、死ぬわけではない。けど、兄貴にとっては『認めたら』心臓をもっていかれるようなことなのだ。一分間だろうが、ちゃんと静かにしてやるのは、命がけで阻止しなければならないことなのだ。認めたら、死んでしまうようなことなのだ。

だから、事実に関係なく、死のもの狂いで、認めない。自分の鳴らしている音が、でかい音だということを認めたら、本当に静かにしてやらなければならなくなるのだけど、本当に静かにしてやるのは、死んだっていやだから、やってやらないことなのだ。だから、本人は、たいしてデカイ音を鳴らしてないつもりで、実際にはデカイ音で鳴らしていた。そういう態度で常に暮らしていた。(静かにしてやるなら、自分の気持ちがこわれない程度に静かにしてやるということだから、実際には静かにしない。親父のハンダゴテとおなじで、現実的には、やったところでまったく意味がないことしか、しない。『自分の気持ちがこわれない程度』というのは、思いっきり鳴らしたい自分の気持ちがこわれない程度ということだ。ようするに、ふつうに静かにしてやるのは絶対にいやなのである。要するに、譲歩するにしろ、思いっきり鳴らすということは、ゆずりたくないのである。

やってやったところでまったく意味がない譲歩をしてやるということにこだわりつくす。そりゃ、ほんとうに譲歩してやったら、死んでしまうと考えているような状態だからだ。ほんとうの譲歩を一分でもしてやったら、心臓をとられて死んでしまうと考えているような人間の態度なのだ。

実際にはやってやったところで、まったく意味がないことにこだわる。

そして、「やったところで意味がないこと」を、してやったから、「やってやった」ということになる。「ちゃんとやってやった」つもりなのである。本人は!! 親父にしてみれば、相手が使えないといっているハンダゴテだけど、だしてやったら、それはものすごくえらいことなのである。で、だしてやったら、もうやってやったということになる。「ちゃんと」用意してやったということになる。『使えない』などと文句を言っている相手のほうが、おかしいのである。親父にとっては、『使えない』といっている相手がわるいということになる。いちゃもんをつけて、逆らっているということになる。ほんとうは、使えないハンダゴテなんだけどな。

兄貴の場合も、まったくおなじだ。自分が満足できる音で鳴らして、それで、譲歩してやるというとだから、ほんとうには譲歩しない。ほとんどまったくかわらない大きな音で鳴らす。それが、兄貴にとってできる最大限の譲歩だ。ほんとう譲歩は、一分だろうがやってやらないのである。ほんとうの譲歩を一分でもしたら、死んでしまうと考えている人間が、ほんとうの譲歩なんてするわけがない。

兄貴のなかでは、自分が!五分間、〇・一デシベルでも、静かにしてやったら、『ちゃんと静かにしてやった』ということになる。静かにしてやったらと搔くしかないので書いたが、そのあいだも、『よそのうちでは一分だって鳴らせないようなデカイ音で』鳴らしている。

だから、譲歩になってない。けど、本人は、譲歩してやったつもりになる。で、譲歩してやったのだから、あとはどれだけ鳴らしたってかまわない」という気持ちになって、入試一日前だろうが一日で一二時間鳴らせるのであれば、絶対の意地で一二時間鳴らし続ける。

それで、『譲歩してやった』と思っている。ぜんぜん悪いと思ってない。親父とおなじで、一日に、なんじゅっかい文句を言われても、まったくこたえない。一回目のおなじ反応しかしない。それに、自分はもう『静かにしてやったつもり』だからな。

親父がもってきたハンダゴテで、兄貴がひどい目に遭ったということを親父が認めなかったように、兄貴は自分のヘビメタ騒音で、弟がひどい目に遭ったということを認めない。親父にしみれば、ハンダゴテを物置からもってきてやった時点で「ちゃんと」たいしてしてやったということになっている。『使えない』という文句は認めない。使えるのに『使えない』と言ってくる相手が悪いと思うだけだ。『使えない』ということは最後の最後まで絶対に認めない。こういう態度だ。そして、実際にそうした。

兄貴は、自分の譲歩がまったく意味がない譲歩だということを認めない。兄貴にしてみれば、最初に五分間、〇・一デシベルだけ静かにしてやったら、その時点で『ちゃんと静かにしてやった』ということになっている。ちゃんと静かにしてやったのに、『ちゃんと静かにしてくれ』『もっと静かにしてくれ』と言ってくる相手が悪いと思うだけだ。実際は静かにしてないということは、最後の最後まで絶対に認めない。こういう態度だ。そして、実際にそうした。

   *   *   *




なんか俺が、好きでだらしがないことをやっているというように見られるんだよな。それは、いまだってそうだ。ひきこもり」なら、そういう目で見られるだろ。けど、これは、必然だ。気違いヘビメタ騒音の必然なんだよ。あんなの、たえられる人がいるわけがない。

兄貴は頭がおかしいからなにもやってないつもりで、すべての可能な時間、鳴らし続けたんだよ。親父とおなじ頭の持ち主なんだよ。親父とおなじ反応が返ってくる。兄貴になにを言っても、親父とおなじ反応が返ってくる。

で、そのことは、他の人には、理解できないこと、納得がいかないこと、不可解なこと、そんなことはあるはずがないこと、なんだよ。だから、板挟みになる。教師にヘビメタ騒音のことを相談してもむだだった。「ちゃんと言えばわかってくれるよ」という態度なのだ。教師は教師で、兄貴みたいな人がいるというとを認めないので、「ちゃんと言えばつたわる」「ちゃんと言わないからダメなんだ」という認識のままだ。『兄貴にちゃんと言ったけど、うるさくしている』ということをぼくが、教師にちゃんと言っても、教師にはつたわらない。まあ、家の中の、やっかいな問題には首を突っ込みたくなかったという理由もあるかもしれない。

2018年1月18日木曜日

お金の量と感謝の量……「お金は、感謝の量だ」という考え方は正しいか?

「お金は、感謝の量だ」という考え方がある。それ自体は否定しない。しかし、そういうことが成り立たない場合もある。「お金は感謝の量だ」ということについて考えてみよう。

これは、誰かがなにかをやってくれたことに関して、お礼としてお金を払うという考えかだ。だから、お金をたくさんもらっている人は、それだけ、他の人から感謝されているということになる。「お金をたくさん持っている人は、他人から感謝された量が多いので、お金をたくさん持っているのだ」ということになる。

逆に「お金を持ってない人は、他人から感謝されることをせず、他人から感謝されることをしないが故に、お金がないのだ」ということになる。しかし、それは間違っている。行為の量に対してどれだけのお金をもらえるのかというのは、残念ながら、市場で決まる。

なので、行為の量に対して、お金の量が決まっているのかというと、決まってない。おなじ行為でも、一円だったり一万円だったりする。市場で決まるから。一行為に付き一円などと決まっているわけではないので、感謝の量の尺度にはならない。おなじ行為でも、時代によって、値段がちがう。

人件費の安い外国に工場が逃げていけば、当然、国内の労働者は、外国の労働者と賃金において競争しなければならなくなる。そして、人件費の安い国の労働者には、賃金の上では絶対に勝てない。
(『無職の現象学』を参照してください)

それから、市場経済社会だと、最初から、規模のメリットがある。規模がでかいほうが、なにをやるにしても有利だという点がある。それは、金そのものについても言える。莫大な金が集まっているところ……豊富な資金があるところは、それだけで、ものすごく有利な立場にたてる。これは、感謝の量とは関係がない。規模のメリットと労働市場における賃金の決まり方は、「感謝の量」とはまったく関係がない。

なので、「お金は、感謝の量だ」ということが成立しない場合がある。(ほんとうは、規制なども、値段にものすごく影響を与えるので、規制も関係がある。規制は感謝の量とは関係がない。規制で守られているところの料金は、総じて高くなる。なので、感謝の量に関係なく、高いお金を払うということになる)。

「お金は、感謝の量だ」ということが成立するには、対等な個人が、双方の条件を出し合って、契約した場合である。対等な個人と書いたけど、サービスの提供側とサービスの受け取り側には最初から情報の格差がある。だから、ほんとうは対等とは言えない。

まあ、サービスの供給者が多数存在して、市場において競争しているのであれば、そしてまた、その競争にかんする情報がすべて開示されているのであれば、まあまあ、対等だと言える。なので、「お金は、感謝の量だ」と言う場合、それが成り立つ場合は、対等な個人が同意した場合にのみ限られることだと言うことができる。そういうのは、案外少ない。

2018年1月16日火曜日

長期間にわたって、症状が持続することもあるんだ

髪もとかさずに、自動販売機まで行ってきた。



この夜遅い時間だというのに、自動車がいっぱい走っていっていやになっちゃうよ~~。







しかし、これで、「ビタミン全開」を手に入れたので、飲むことができる。けど、けど、「果糖ぶどう糖液糖」が入ってるので、あんまり、健康にはよくない。







ちなみに、腹があんまりよくないのに、コーヒー買っちゃった。なんかもう、やけ。やけ、です。もう、ほんとうに、ヘビメタ騒音が鳴ってから、いいことがないんだよ。



それから、他の人が知らない(わからない)あれやこれやのことで、他の人との関係が悪くなっていく。これは、ほんとうにヘビメタ騒音からしょうじたことなんだよ。ヘビメタ騒音で、気力も体力もうばわれているけど、なんて言うのかな……ただ単に気力と体力がうばわれているわけではなくて、複雑に絡み合って、いろいろとうまくいかないことが出てくる。みんな、二四時間起きている状態で、仕事をしてみぃーん。作業をしてみぃーーん。



いろいろなことがぐちゃぐちゃになっていく。しかも、一日だけじゃない。二四時間起きて作業をするという状態が、一年二年、続いてみろ。そりゃ、普通に寝て起きている人と、あれやこれやのことでうまくいかなくなる。弱みが増えていく。もちろん、二四時間起きて、一年間作業し続けるというのは無理だ。



けど、二、三時間眠ればわからないよ。で、気違いヘビメタが鳴っているときの「作業」というのが、毒ガスないの作業とおなじで、どれだけ気を張ってがんばっても前に進まない(できないし)その時間その場所にいたということで、毒ガスの影響が出てしまう。鳴り終わったあと……つまり、毒ガスが一応はなくなったあとも、毒ガスの影響で気分が悪い。この気分が悪いというのは、精神的な意味で気分が悪いということと、体力的な意味で気分が悪くて動かないということが両方含まれている。



毒ガスを吸っておいて毒ガスの影響を受けないということが無理であるように、ヘビメタ騒音をずっと聞かされて……何時間も何時間もずっと聞かされて、その影響を受けないというのが無理なんだよ。



こういうレベルでも、「過去のことは過去のことだから、現在には影響がない」「過去のことは、自分の頭の中にしかない。記憶にしかすぎない」……というようなことが間違っているということがわかる。



さらに「だるいと言っているからだるくなる」というのも間違いだ。少なくてもこの場合は。毒ガスを吸ったからだるいわけで、毒ガスを吸ってだるくなっている人に「だるいと言うからだるいのだ」「元気だと言えば元気になる」なんて言ったってしかたがないだろ。



こういう人は、助言をしているようだけど、間違った原因のせいにしているので、ほんとうはよくないことをしている。これ、ほんとうに、たとえば、メチル水銀が入った魚を食べてしまって、だるくなっている人に「だるいと言うからだるいんだ」「だるくないと言えば、だるくなくなる」なんて言ってみぃ。



「だるくないと言っても、だるいまま」なのである。そうすると、(言霊信仰者は)「本気で言わないからだ」と「本気度」を問題にするけど、問題は、神経細胞に結びついたメチル水銀だ。だから、「言った」ということは関係がない。


それに、順序が違うのである。メチル水銀を摂取してないときに「だるい」と言って、それで、だるくなったわけじゃないのである。ようするに、だるくないときに、「だるい」と言ったから、そのあとで「だるくなった」わけじゃない。すでに、メチル水銀でだるくなったあとに「だるい」と言ったわけで、順序がちがう。



あくまでも、メチル水銀を摂取したあと「だるい」と感じたので「だるい」と言っただけなのだ。原因がメチル水銀を摂取したということだと、だるい期間も当然長くなる。そうなると、長い期間の中で複数回「だるい」と言っているので、当然、「だるい」という発言のあとに「だるくなった」と外からは観察できるような状態になってしまう。複数回言っているわけだから。



それから、メチル水銀が体のなかから出ていかない限り、だるい状態が消失しない。これは、努力の問題じゃないのである。気持ちの持ちようの問題じゃないのである。



長期間にわたって、症状が持続することもあるんだということをどうして認めないのか?



「だるい」と言ってだるくなるのは、他に原因がまったくないところで、「だるい」と言ったとき、なんとなくだるくなったような気がするというような人が、ちょっとはいるというレベルのことで、発言による自己暗示を受けない人もいる。心理学の実験をするときは、すでに他の理由でだるくなっている人は被験者として不適切だから、被験者になることはない。



日頃から理由があって「だるい」と感じて「だるい」と言っている人は、そういう実験の被験者としては不適切なんだよ。どうしてかというと、他にだるくなる理由がないにもかかわらず、「だるい」と言ったことによって、人はだるくなるかどうかということを調べているからだ。

それから、これ、結論?だけ、あたかも決定事項(断定)として『一人歩き』してしまうのだけど、この結論?はいろいろな誤解をうむ。帰無仮説とか棄却域といったことがわかっている人が、実験方法と検定方法を見ないと、その実験の結果からどういうことが言えるのか、正確には理解できない。

まあ、だるいと言ったあと、だるくなる人がいるかどうかという実験がおこなわれて、なおかつ、「『だるくなる』という結論が出た」と一般の人が思い込んでいることを(頭の中で)前提にした話をしてしまったけど、この実験については、調べてない。まあ、いいや。俺がそのうち調べてやるから。そして、ほんとうの意味を、誤解がしょうじないように説明してやるから。

まあ、そこのところは、本筋ではなくて、今回言いたかったのは、他の理由でだるくなっていることだってあるということだ。言霊信仰者は「だるいと言ったからだるくなる」ということしか認めない。だから、「『だるくない』と言えばだるくなくなる」のである。

けど、さぁ。これ、自分がある種の毒を摂取してしまって、それでだるい状態で暮らしているときに、「だるいと言ったからだるくなる」「『だるくない』と言えばだるくなくなる」って言われてみな! そして、ものは試しと「だるくない」と何回も何回も毎日言って、暮らしてみな。それでも「だるいとき」どう思うよ? ずっとだるいままだったら、どう思うよ?

2018年1月15日月曜日

「認めたら、死ぬ」というレベルで認めない

寝る前は、「ノート術」とか「やりたいことリスト」のことを調べていたのだけど、起きたら……



もう、かんけいねぇ~~~



の世界だ。



まあ、やりたいことスリトに関しては、調べてもいたけど、実際にちょっと書いてみた。



起きた途端にヘビメタ騒音の記憶がよみがえるんだよな。ちなみに、いまは、朝方に寝る状態なんだけど、朝の雰囲気がヘビメタ騒音連続期の朝の状態だ。あれで、「憂鬱になるな」というほうが無理だ。ほんとうにこれ、繰り返し繰り返し、ずっと、毎日、夜の一一時一一分まで、自分が嫌いな音にずっと何時間も何時間もさらされてみな。だれだって、朝がつらくなる。つらいなんてもんじゃないんだよな。あれ、数千日続いて、俺のからだにきざまれているよ。けど、ぼく以外のひとは、そういうことをやられたことがない人なので……経験したことがない人なので……自分の経験にあわせて、想像で、それを判断する。「自分だって、朝がつらいときがある」と思うわけだ。けど、それは、ちがうんだよ。ぼくだって、ヘビメタ騒音以前に、そういうときがあった。「つらい朝」があった。けど、質的にちがう。「自分だって、朝がつらいときがある」のあとには、「けど、がんばって起きて働いている」が続き、そのあとには「だから、起きれないなんて甘えたことを言ってないでおまえも働け」が続く。けど、ぜんぜん経験したことがちがう。俺とおなじ経験をしたあとに、そういうことを言え!と言いたくなる。けど、これを実際に言うと、ほとんどの「相手」は怒った。あるいは、不愉快な気分になるみたいなのだ。「相手」のほうが失礼なことを先に言っていると思う。ほんとうに「腹を立てる必要がない」のである。けど、経験をした人は……ぼく……ひとりで、他の人は経験してないわけだから、多勢に無勢というところがある。その人は、自分の想像と判断が間違っているということを言われて、腹を立てているわけだから、……俺としては、どうしようもない。実際に、間違っているわけだから。そういうものじゃない。相手の騒動と判断を熟慮しても、そういうものじゃないと言っているんだよ。こっちは。

   *   *   *
俺が高校を落ちているとき、クラスのやつらにバカにされたんだよ。バカにされたと言うよりも、「エイリがサボってだめだめだ」みたいな感じのことを言われた。

気違い兄貴、おまえ、ほんとうに「ハンダゴテ」事件どころじゃないから。気違い兄貴の頑固さで、俺は、気違い兄貴の騒音と、世間の常識の板挟みで、困り続けたよ。

それは、やっぱり、ハンダゴテ事件とよく似ている。「そんなの言ってわからないわけがない」「家族なのだから話し合えばどうにかなるはずだ」なんて、言われるんだよ。小学生でも一目見て、「使えないハンダゴテだ」ということがわかるのに、どれだけ言っても、わからない。親父はわからない。わからなかった。

で、学校に持っていくしかないのだけど、持っていったら、「こんなの使えるわけがないのに、そんなこともわからないのか」ということを言われるわけだよ。「そんなのは知っている。けど、親父に言ったら、使える!!!使える!!! ダイジョウブダ!!ダイジョウブダ!!と言って、聞かなかった」と兄貴が言うだろ。そうすると、大人なのに、理解できない人がいるわけがないと「よその人」は思うわけだよ。

だから、「おまえの言い方が悪かったんじゃないか」と言われる。どれだけ、正確にちゃんと言っても、気違い親父は、わからない。わかったら、金を出さなければならないことになる。親父だって、金を出したくないという無意識がなければ、わかることなんだよ。

けど、金を出したくないという無意識がある以上は、どれだけなにを言われても、一目見ればわかることでも、命がけで否定して、認めない。認めてしまったら、金を出さなければならなくなる。それは、死んだって、ぜったいにいやなことなのである。

だから、防衛して認めない。「防御」として認めない。

で、親父の場合は、そうやって、否定したということが、わかってないんだよ。認識できない。だから、全力で否定したのに、「否定なんてしなかった」ということになる。「否定なんてしなかった」ということになるのは、自分が否定したということが不都合なことになった場合だ。

不都合なことにならなければ、肯定も否定もしないで、無視している。そういうことがあったかどうかということが問題にならないわけだから、「そんなことは、知ったことじゃない」のである。

それから、自分が強制的に持たせたもので、子供が恥をかいたということが、わからない。これも、どれだけ説明してもわからない。「なんだ!そんなの!!」と怒り狂う。

これ、絶対にどれだけ考えてもわからないんだよ。

そういう世界だ。

親父がどれだけ真剣に、胸に手を当てて考えても、自分が押しつけたもので子供が恥をかいたということはわからない。これは、何十年だろうがわからないままなんだよ。ほんとうは、強制したわけだから……相手の言うことを認めないで押しつけたわけだから、……押しつけたということは最低でも理解してなければならないのだけど、押しつけたなんて思うわけがないのである。

そして、実際に、子供がそれで恥をかいたのに、恥をかいたというということも絶対に認めない。それも、発狂して、はねのけたら、「あったってないこと」になってしまうのである。

「やったってやってない」になってしまうのである。

親父は、自分がやってないことで、不当に「相手に責められている」という主観しかもてない。どうやっても、そういう主観しかしょうじない。「親父がだいじょうぶだと言うから持っていた」「その持ち物で恥をかいた」ということは、絶対にどれだけ言われても認めない。認めるわけがない。そんなのは、現実と関係なく、認めることができないから、絶対の意地ではねのけて、認めない。認めても「死ぬ」わけではない。

けど、親父は「認めたら、(自分が)死ぬ」と深く確信しているような態度で否定する。そういう、切迫感がある。そういう緊張感と興奮がある。そのくらいの意地で否定する。逆上して否定して認めない。

で、兄貴の態度というのが親父の態度とおなじなんだよ。だから、自分のヘビメタ騒音で、弟が恥をかいたとか、そういうことは、一切合切認めないで、頑固に鳴らし切る。そんなのは、認めてしまったら、静かにしなければならなくなるわけで、静かにしたくないから、認めないのである。

だいたい、親父にとって、ハンダゴテを物置から出してきてやったというのは、最大限の譲歩なのである。金を払いたくないので、絶対に「使える」のである。だから絶対にゆずらない。兄貴も、自分の音がでかい音だということを認めてしまったら、静かにしなければならなくなるので、絶対に、自分の音がでかい音だということは認めない。

これも、「認めたら、死ぬ」というレベルで認めない。

認めて、「ほんとうに」静かにしなければならなくなるというのが、「死ぬほど」いやなのである。そんなのは、「死んだってやりたくないこと」なのである。だから、事実に関係なく、絶対の意地で認めない。そして、絶対の意地で認めないということも、絶対の意地で認めない。「認めたら、死ぬ」のである。

   *   *   *

つづく

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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「公開バージョン」はもとのバージョンの一部を文脈に関係なく削除したものなので、段落と段落のつながりがおかしい場合があります。(少し不自然な場合があります)。ご了承ください。

死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。