2018年4月21日土曜日

困らせたということが、ホネのズイからわからない

ここまでの段階で、つかれたので横になる。



一回目のごはん(うどん)

ご飯を炊く

風呂に入る

文章を書く

他の人のブログを読む



つかれた。



けど、横になってもつかれがとれないんだよな。



他の人のタイ旅行の話しなどを読むと、うらやましくなるが、じゃあ、行くのかというと行かない。ちなみに、金はある。(あとでどうなるか知らないけど)。あとのことを考えないのであれば、行けなくはない。



あーーあ。それにしてもヘビメタ騒音が苦しかった。ヘビメタ騒音で、タイに行ったとしても、おもしろくない。ヘビメタ騒音病、ヘビメタ騒音障害というのはそういう障害だ。

これ、俺が勝手に思っているだけで、自分だったら、そんなくらいことは考えないでもっと人生を楽しんでいる。楽しくないなんていうのは、甘えだ」と思う人がいるかもしれないけど、その人は、実際に!!!やられたことがない。

毎日あの騒音が続く状態で、暮らしたことがない。体験としてわかってないからそういうことを言えるだけだ。そういうことを思えるだけだ。はっきり、言えば、傲慢なんだよ。そして、間違っている。常にそういう間違ったことを言う。

しかし、その人はけっきょく、一四年間のヘビメタ騒音を体験してないわけだから、たぶんいっょうわからない。で、わからないことは、そのひとにとってはいいことだと思う。だいたい、そういうことでかりに!間違っていたとしても、それで、不愉快な思いをするのはエイリという個体だけで他の個体は、その人がそういう考え方をもっていたとしても、別に困らないし、腹も立てない。不愉快な思いをしない。



ヘビメタ騒音は、そういう障害なんだよ。俺がいま語っているだろ。で、俺が語っていることは他の人にはまったく意味がないことなんだよ。ヘビメタ騒音障害というのは、そういう障害だ。

で、『考え』というのは、その人の実体験と関係があるので、その人にしたって別に『考え』をかえたりしないと思う。

俺に、ああだこうだということを言われても。体験がないだけだと言われても。実際に体験したら、そんなことは言えなくなると言われても。体験してないのだから関係がない。経験がないのだから、経験からしょうじるあれやこれやのことに関しては、『仮定の話になる』わけで、仮定の話なんて、関係がないと言えば関係がないと言える。



というわけで、経験した僕と、経験してない圧倒的多数者あいだには、ヘビメタ騒音障害をめぐって、意見の対立がある。溝がある。この溝はうまらない。そっちが、体験したらうまるだろうけど。



気違い兄貴にしたって「よそのいえ」ではやらないのだから、気違い兄貴による気違いヘビメタ騒音に関して言えば、他の人は経験しようがない。



どれだけの差か。



(漢字変換を気にしないで書いたので、どこかで、漢字が間違っているかもしれない。いまちょっと、見なおす気持ちがない。間違って変換したときに、変換をなおしていると、書きたいことが書けなくなってしまうので、とばして書く。けど、あとで見なおしたとき、それに気がつけるかどうか、わからない。自分が書いたばかりの文章だと案外、見落としがある。いちおうなおしたけど)



いま、日曜日の午前一〇時四五分だろ。がんがん、けたたましい音で鳴っているよ。気違いアニキしたって、「よそじゃ」一分だって鳴らせないようなデカイ音で鳴らしているよ。ヘビメタが好きなカオ君がおどろいてしまうようなデカイ音で鳴らしているよ。

そして、日曜日、午前一〇時四五分から、午後一時、午後三時、午後五時、午後七時、午後八時、午後九時、午後一〇時、午後一一時と、何回も何回も「やめろ!!!やめろ!!!やめろ!!!やめろ!!!」「静かにしろ!!!静かにしろ!!!静かにしろ!!!静かにしろ!!!」と怒鳴り込んでも絶対に、一分も静かにしないまま、鳴らし続ける。それが、兄貴の普通の状態だ。



気違い兄貴がわかってないのである。ぜんぜんやってないと思っている。頭がおかしい。気違い親父とおなじで、自分が集中して、絶対の意地でやり続けたことは、一分もやってないことなのだ。一回もやってないことなのだ。この認知のズレ!! そして、その認知ズレに対応するように、実際に鳴らしているときは、気違い的な態度で踏ん張ってゆずらないんだよ。この気違い的な頑固さをどう説明するんだよ?

親父とおなじなんだよ。

とことんおなじなんだよ。

意地の強さと、やってないと思う認知のズレの強さがおなじ。意地が強ければ強いほど、やってないと思う気持ちが強い。強烈な意地でやったことは、強烈な意地で「やってない」と思う。感覚する。認知する。強烈な意地で「やってない」と言い張る。「やった」ということを強烈な意地で認めない。「やった」ということを強烈な意地で否定する。やっているときの意地の強さと、やりきったあとの「やった」ということを否定する意地の強さが、正比例しておなじ。おなじ強度で否定する。

頑固に無視している状態が、極大なら、「そうした」ということを否定する強度も極大なのである。頭がおかしいから、そうなっている。気違い兄貴だって、親父のそういう性格や認知で、どれだけ苦労したと思ってるんだよ。気違い兄貴だって、気違い親父のそういう性格や認知でものすごく困った思いをしてたんだよ。腹を立ててたんだよ。いちいち腹を立ててたんだよ。親父と一〇分間接触したら、兄貴は一〇分間極大値で腹を立ててたんだよ。自分が経験したことなのにかわらないのか?



兄貴の態度は、親父の態度とまったおなじ。こだわりきって、気違い的な意地でやったことは、やってないことなのである。自分には関係がないことなのである。

じゃあ、やっているときに、「やめてくれ」と言ったらやめてくれるのかというと、それは絶対にないことなんだよ。これまた、『絶対にやめてやらなかった』ということは、絶対の意地で否定するんだよ。否定することになる。

そういう「しらばっくれ」がどれだけ腹が立つものだと思っているんだよ。気違い親父にやられて、気違い兄貴はわかってるんだろ。気違い兄貴は、親父のやり方をそっくりまねして、ヘビメタを鳴らし切った。これは鳴らしたいから鳴らした。「やめてやりたくないから、絶対にやめてやらなかった」。これが正しい。

「知らなかった」「そんなんじゃない」と嘘をついている。

で、嘘をつき始めたら、一〇年間でも二〇年間でもおなじ嘘をつくのである。これも、やり始めたらとまらない……ずっとヘビメタを鳴らしていたというのとおなじ構造だ。



で、絶対に普通の意味では『気にしない』。気にならないことはどれだけ言われたって、気にしないのである。気にならないのである。そもそも、どうして気にしなければならないのかわからない状態なのである。だから、どれだけ「やめてくれ」「これこれ、こういう理由で困るからやめてくれ」と言われても、言われたつもりがしょうじない。そんなのは、「不都合だ」「不愉快だ」と感じたときに、はねのければ、何万回、何十万回言われても、一回も言われた気持ちになれないのである。こういう、障害! こういう病気!



ほんとう自分にとって都合がいいようにずれている。こういうのも、親父とおなじ性格だから。ぜーーーぶ、おなじ。



そういうことで、俺がどれだけ他の人から下に見られて、どれだけバカにされてきたか。ほんとうに一〇分の一の能力で、「遅い」「甘えている」と文句を言われながら生きているような状態になる。

気違い兄貴のヘビメタがなければ僕のほうが勉強ができるのに、その勉強が出ないやつに、勉強ができないと思われているような状態が続くんだよ。こんなでいいわけがないだろ。俺は必死になって、『勉強するから静かにしろ』『主題をするから静かにしろ』『試験だから静かにしろ』と一日に何回も何回も怒鳴り込んだからな。

気違い兄貴が親父の態度でやり続けて、気違い兄貴が親父の態度で無視しただけだろ。気違い兄貴が親父の態度で、なんとも思わなかっただけだろ。これ、ほんとうに親父とおなじなんだよ。どれだけなにを言っても、親父は、気にしない。気違い親父が押しつけたもので、子供がいやな目に遭ったということを最後の最後まで認めない。理解しない。

どれだけ、子供が、バカでもわかるようにそのまま、言ったとしても、認めない。感じる力がないから、わからない。どれだけ説明しても、気違い親父が押しつけたハンダゴテで、恥をかいたということがわからない。子供がどれだけちゃんと説明してもわからない。「なんだ!!そんなの」と怒り狂っておしまいだよ。兄貴もおなじ。「試験だから静かにしてくれ」と言われても「なんだ!!そんなの」と怒り狂っておしまいなんだよ。

こっちが困る!ということは、絶対に認めない。

最後の最後まで認めない。

こっちが、バカでもわかるようにどれだけわかりやすく説明しても、一切合切認めないでやりきる。で、一切合切認めないでやりきったら、どれだけ迷惑をかけていても、迷惑をかけたことにならないのである。どれだけ相手を困らせたとしても、困らせたということが、ホネのズイまでわからない状態なのである。ホネのズイからわからない。

親父とおなじだから、親父とおなじ状態でわからない。ちょうど、兄貴がハンダゴテで恥をかいたということかわからないように、宿題ができなくて困ったということがわからない。わからないとなったら、わからないんだ。

こんなの、何十万回怒鳴って言っても、どれだけはっきり言ってもわからない。そういうことを受け付ける回路そのものが欠けているからわからないといった感じでわからない。実際、生きているあいだ、気にしない。どれだけ言われても気にしないし、気にならないんだよな。あとは、適当に「そんなんじゃない」と声を張り上げてその場をしのいでしまえば、それも、関係がないことになる。だから、何年経っても、何十万回言っても、かわらない。



そういう「ひどさ」なんだということが、よそのひとには、これまた、とことんわからないんだよな。『そんなことないんじゃないか』と思われる。そして、そうしてやられたことの全体量を低く見積もられる。自分ならば、そんなのは、どれだけやられたって、ゆるすことができる。自分ならば、そんなのは、どれだけやられたって、過去のことだと思うことができる。……そういうことを言っている人だって、実際にやられて、自分の力が一〇分の一になれば、わかるよ。過去のことじゃないんだよ。

2018年4月20日金曜日

認知療法家がすすめるような解釈は神経症を生み出す直接の原因になる

いま、幼稚園で工事をしているのだけど、こんなもんじゃないんだよね。たしかに、工事はうるさい。部分的な工事だとしてもうるさい。パタン!!パタン!!ガガガガガガガとうるさい。けど、勉強はできる。こういう音のなかでも勉強はできるんだよ。けど、ヘビメタ騒音のなかでは勉強はできない。気違い兄貴のヘビメタ騒音のなかでは勉強ができない。これ、ほんとうに俺の部屋の壁が、巨大なスピーカーの表面みたいな感じになっている。ほぼ並行に、音が伝わってきて、部屋のどこにいても、ほぼ同じ音のでかさで聞こえる。逃げようがないんだよね。むしろ、俺の部屋より、俺の部屋の前にある

ヘビメタノ音密度が高すぎる。パタン!パタン!となにかを打ちつけているときも、ガガガガガとなんかをたたいているときも、ヘビメタ騒音ほど、音密度が高くない。普通の騒音の場合、一秒間に五個の音がする感じなんだけど、ヘビメタは一秒間に六〇個ぐらい鳴っているような感じだ。もちろん、一個の音と一個の音のあいだも、音が鳴っている。一個の音というのは、縦軸に音の大きさをとって横軸に時間をとって、グラフを描いた場合、一個のピークができるということだ。縦軸は、当然対数表現にならざるを得ない。

ともかく、甘えではなくて、ほんとうにヘビメタ騒音のなかで勉強ができない。学校でおぼえたことを忘れてしまう。ヘビメタ騒音のなかで復讐しようとすると、学校で一度は、おぼえたことを忘れてしまう。学校では楽々解けた溶けた数学の問題がヘビメタ騒音のなかだと、いつまでも終わらない。暗算ができくなる。短期記憶を吹っ飛ばされる。短期記憶を維持できない。それに、たとえば、歴史の勉強なら歴史の勉強で、ここの歴史的な記憶に、気違いヘビメタ騒音の記憶が混ざり込んでしまうんだよな。けっきょく、「歴史はいやだ」というような感じになる。本来好きな数学でも、英語でもおなじだ。ヘビメタ騒音のなかでやると、その科目がきらいになる。そして、本も読めない。好きな本を読んでいるのに、それが、きらいになる。いやなイメージがつきまとう。学校の勉強とは関係なしに、科学系の本を読むことが好きだったんだけどそれもできなくなった。ヘビメタ騒音対抗のために、デカくて高いステレオを買ってしまったので、パソコンを買えず、プログラムの勉強もできなかったのだけど、ヘビメタが鳴っているなかで、プログラムの本を読んでも、プログラムがきらいになってしまうだけだ。俺は本当はそういうのが好きだった。エレクトロニクス工作も……。数学も……。数学なんて、問題のパターンをどれだけおぼえるかの記憶勝負だ。そりゃ、自分で工夫して思いつくということもあるだろうけど、試験の問題に関しては、記憶勝負だ。ヘビメタ騒音で時間がとれなかったら、だめだ。だいたい、ヘビメタ騒音のなかで数学の問題を解こうとすると、たちまち、強烈な不安といらだちに襲われて、解けなくなる。解いたとしても、いやな記憶がつきまとうことになってしまう。負の記憶がつきまとう。

   *   *   *

だれも、興味はないだろうけど、終活の一環として言っておくと、僕は、興味のあることに関する記憶力は、高かった。興味のないことに関する記憶力は、人並みなんだけど、興味があることに関する記憶力は高かった。一回読めば、おぼえることができた。

あとは、エピソード記憶は、強烈に細かくおぼえている方で、何十年も前のほんのちょっとした会話やシーンを詳細に思い出して困るときがある。まあ、エピソード記憶に関しては、どうも、芋ずる式で、関連があるようなことが発生すると、自然に思い出してしまうのである。で、それが、良い記憶じゃなくて、不愉快な記憶だったりする。エピソード記憶に関しては、印象能力が高すぎて、困っている。敏感なのである。

気違い親父が常に襲ってきたから、常に気を張って生きてきたんだよな。これ、子供の頃、気違い親父が気違い親父の理由で、実は、怒り狂っていたんだけど、実際に子供のことで怒るわけだから、無視できないんだよね。これ、気違い的な親と一緒に暮らしたことがない人には、想像もできないことなんだけど、認知療法家が涼しい顔をして言っているようなことは、成り立たない。もう、ここからして、ちがうんだよな。

これは、わからない人にはわからないと思うけど、ちょっとだけ言っておくと、たとえば、マナーについて親が怒ると言うことを考えてみよう。おぼえるべきマナーが一〇個ある場合、おぼえるべきマナーが一〇〇〇個ある場合、おぼえるべきマナーが提示されてないにもかかわらず、食事中ずっと親が怒り狂っている場合(こどもに対して怒りをぶつける場合)の三つにわけるとする。おぼえるべきマナーが一〇個の場合は、子供が一〇個のマナーすべてを守っていれば、親が怒らず、子供は身を守ることができるだろう。おぼえるべきマナーが一〇〇〇個の場合、子供はじゅうぶんに身を守ることができず、たびたび起こられるかもしれない。しかし、努力目標と、こうすれば怒られるが、こうすれば起こらないということがわかっているので、細かいことを気にするだろうけど、神経症にはならない。理由に関係なく、親が子供の動作すべてにわけのわからない理由をつけて怒り狂う場合は、気にすることが一〇〇〇個でおしまいということがない。その都度、気違いが荒れるわけだから。気違いが指摘して、そのせいで頭にきたということをデモンストレーションするわけだから。ほんとうは、理由がないことで怒っているのだけど、子供がこうした、ああしたということで、いちいち腹を立てているのだから、子供は自分を守りようがない。なにをしたって、怒り狂われるわけだから、「防衛」に失敗する。その場合、認知療法家が言うような、理論的で知的な感じがする解釈をすると、神経症になる。これも、他の人はまったくわかってないだろうけど、認知療法家がすすめるような解釈は神経症を生み出す直接の原因になる。







2018年4月19日木曜日

まるまる荘で寝たきりだった

ヘビメタ騒音でこころがもげた。

どーーにも、動かない。
くるしい。

無感動無関心系になってしまった。

どーしても、こころがうごかない。

あの焼き切れたヘビメタ騒音生活で、すべてがなくなった。すべて、ちった。友情も結婚も進学も就職もちった。

ヘビメタ騒音の一日というのがすごいんだよ。経験してない人にとっては、「なんだ、そんなの」と思えるようなものかもしれないけど、一日がすごい。一日で、もう、何年分もつかれる。

僕はへとへとになりながら、走ってきた。

背中に火がついて走ってきた。

けど、それも終わった。まるまる荘に出たときには、もう終わってたんだな。あそこで、僕の人生が終わってたのか。まるまる荘で寝たきりだったからな。ほんとうに寝たきりの生活だったなぁ。で、帰って飯を食っているとき、ヘビメタにやられる。

「俺が飯を食うときだけ、鳴らすな」と何百回、何千回行っても、一回も静かにしてくれたことがなかった。自分の人生を破壊したヘビメタ騒音のなかで飯を食うのは、くるしかったぜ。「飯を食ってんだからいいだろ」という言い分だ。頭にくる。まるまるまるまるまる。まるまるまるまるまる。

他の人にはわからないんだよなぁ。
全部。ヘビメタ騒音がどれだけつらいかわからない。ヘビメタ騒音を六時間以上浴びたときのからだの調子がわからない。ヘビメタ騒音を六時間以上浴びたあと、ねむれなくなるということがわからない。

どれだけ、張り詰めた状態になるか、わからない。熱湯とこおり水がどうじに体の中を駆け巡っているような状態だ。不安でこおったように冷えているのに、ヘビメタ騒音で熱せられた怒りがどんどんどんどん熱くなる。

マグマになって駆け巡る。

頭の九割は、疲れ果てて動けない状態なのに、頭の一割が、怒りで暴れている状態だ。動けないから、動けないけど、こころの中は、めちゃくちゃだ。頭がおかしな状態になっている。残留があるんだよ。

ヘビメタを六時間以上、あの音のでかさで、ガンガンガンガン聞かされると、どうしても、それがおさまるまでに時間がかかる。四時間あるいは五時間ぐらいかかるんだよ。

そうすると、そのあいだどれだけ眠ろうと思っても、眠れない。気違いヘビメタを鳴らされて熱くなった部分が冷えない頭の一部が激しく抵抗して、眠れない。交感神経が激しく活動して眠れない。副交感神経が優位にならない。それは、気違いヘビメタを最低で六時間、聞かされたからだ。どんだけ、体にひびく音で鳴らしているか?

あそこ、ほんとうに、俺の部屋で、ステレオを最大限の音にして、ドカスカ鳴らしているような感じなんだからな。

俺の部屋の、どこにいても、ほぼおなじ音量で聞こえる。どうしても、逃げられない。ヘビメタ騒音の壁から一番はなれたところに座れば、音がその分だけ減衰して、ちょっとは楽になるということがなかった。

まったくない。

ガンガンガン、頭の横でやられる。部屋中がヘビメタ騒音で、頭がヘビメタ騒音に包まれる。もう、ほんとうに袋だたきになっているような状態だ。音になぐられる。一秒間に何十回もなぐられる。ヘビメタ騒音があの距離でガンガン鳴っているというのは、そういうことだ。普通の家に育った人はぜんぜんわかってない。

鳴り終わったら眠れると思っているだからな。「鳴っているときだけ、くるしいんだろ」と思っているわけだから。鳴っているときに眠れないというのはわかるけど、鳴り終わったあと眠れないというのは納得できないと思っているのだから……。……そんなもんじゃないんだよ。

毎日のヘビメタ騒音というのはそういうものじゃない。だれにもわからない。俺外の人はやられたことがないからわからない。自分で、経験すれば一日でだいぶわかるし、一年間三六五日連続して続けば、一〇〇%わかると思う。

けど、そういう経験をした人がいない。そうなると、その人たちの少ない騒音経験のなかで「うるっさい」と感じたことを思い出して、そこから、「うるさい状態」を推量するということになる。で、それが、実際ヘビメタ騒音とは似ても似つかないものなんだよ。

両方とも騒音なんだけど、気違い「家族!」が、家で、ずっと鳴らしている騒音とは、似ても似つかないものになる。で、兄貴のこだわりなんて、ほんとうに、他の人にはわからない。

それから、兄貴の感覚や態度もわからない。そんなのは、普通の人が・親父の感覚や態度がわからないようにわからない。兄貴に言っておく。「兄貴の態度は、普通の人には、わからない。どうしてかというと、兄貴の態度が親父の態度とおなじだからだ」。

これ、普通の人は兄貴の態度も親父の態度もわからないのだから、わからなくて当然だけど、兄貴は、親父の態度だけはわかっているのだから、理解しろ。気違い兄貴の態度は、気違い親父の態度とおなじなんだよ。

気違い兄貴は、親父のことが嫌いだろ。そして、親父のことを憎んでいるだろ。それは、憎むだけのことを親父がしたのだから当然だ。気違い兄貴は、親父の感覚でわかってないけど、親父が兄貴にやったことの何倍もひどいことを、弟にし続けた。親父とおなじ頭の構造だから、まったくわかってないだけなんだぞ。

これ、言っておくと。気違いの「家族」がいない人には、絶対にわからないことだ。どーーいう態度でやるか。どーーいう態度で無視するか。自分がこだわってこだわって、逆上して、やったことは、やってないことになっている……なんて、わかるわけがない。

親父や兄貴の頭のなかでは、「こだわってこだわって、発狂して、絶対にゆずらないでやりきったこと」がまったくやってないこと」になっているのだ。で、そういう感覚が常に成り立っている。そういう態度が常に成り立っている。うちでは、自然にそういう態度なのである。

そして、そういう態度でやったことは絶対に認めないのである。認めなというのは、ほんとうにやってないからやったと認めないという態度で認めない。やっているときは、そういう態度でやりきる。

だから、際限がないんだよ。本人は知らないままずっとやり続ける構造ができあがっている。本人は本当に、一〇〇%やりきることができるなら、ぜんぜん気にしないわけだから。ぜんぜん気にならないわけだから。……どれだけ言われたって気にしないんだよ。

だからやる。「やめろ」と言われたとき、どういう態度でやりきろうとするか、ぜんぜんわかってないんだよね。そして、事実やったのに、やったということがまったくわかってない状態になってしまう。自分が思ったとおりにやりきれれば、まったくやってないという認知状態になってしまうのだ。こんなのわかるはずがない。

他の人に、こんなことがわかるわけがない。こんな矛盾した態度・認知が普通に成り立っている状態なんて、他の人にはわかるわけがない。だから、他の人は「お兄さんに言えばいい」「家族で相談すればいい」なんてことを言う。これが、俺にとってどういうふうにひびくか、それも、わからないと思う。こんなの、死刑宣告だよ。「あーそうか」と思うよ。

   *   *   *

家族!というのがものすごくデカイ。うちに帰ればいるわけだからさ。おなじ屋根の下ですごしているわけだからさ。学校でどれだけいじめられても、日曜日や祝日は関係がないだろう。(そういう場合もあるかもしれないけど)。ともかく、期間が長すぎる。普通いじめは、一年間とか二年間だろ。一四年間なんて長すぎる。

つねに、騒音でいじめられた。家で息をしている時、常に騒音でいじめられた。いじめという言葉を使うならな。本人は、騒音攻撃をしているつもりなんてないんだよ。自分が聞きたいから、聞いているだけで、まったくこっちのことは考えてないのだから、とくに、「いじめてやろう」と思って騒音攻撃しているわけではない。自分がやりたいことが騒音を出すことだから、やると(じどうてきにそうなる)ということだ。だから、どれだけ迷惑行為をやっても、迷惑をかけてないつもりなのだ。

どれだけ言われたって、わからない。言葉で言われたって、わからない。これは、親父とおなじだ。ここの神経回路がおかしい。ここの感覚がおかしい。ここの感覚のおかしさが、他の人にはわからない。けっきょく、「やりきる」。けど、迷惑はかけてないつもりのままなんだよ。一日に、何十回文句を言われてもめても、まったくわかってない状態というのが続く。これは、他の人にはわからない。


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あと、僕は、「他の人」「他人」「他者」を使い分けている。だから、混在していたとしても、表記の不統一ではない。

「他の人」と言う場合は、実際に自分のまわりにいた人たちのことだ。実際に自分のまわりにいた人たちを思い浮かべて、その言葉を使っている。

「他人」というのは、実際に自分のまわりにいた人たちだけではなく、抽象的な意味で他人であるような人たち全員をさす言葉だ。自分が知らない人たちも含まれている。

「他者」というのは、「自己」に対して「他者」であり、自己と区別する場合に使う言葉。一番抽象度が高い。ちなみに、このあいだはじめて気がついたことだけど、「他人」を「他者」という言葉を置き換えると、日本語としてなんとなくへんな感じがする場合がある。完全な互換性はない。「他人」を「他の人」に置き換えると、この問題は生じない。なので、「他者」という言葉は、「他人」や「他の人」にくらべて意味が狭いのではないかと思われる。


抽象度は
「他者」>「他人」>「他の人」
の順番で高くなる。


ちなみにちょっと軸はずれるけど、「よその人」という言葉について説明しておくと、よその人は、うちの人(家族)に対してよその人であり、うちの人(家族)ではない人たちのこと。


2018年4月18日水曜日

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・言いがたい家族について
・なぜ、意地になるか?
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潜在意識というマジックワード 「思っただけでいい」のか「行動しなければならない」

思っただけで、現実化する」と思っただけで、潜在意識が埋め合わせをしようとして現実化する」のあいだには大きな違いがある。



けど、大きな違いを大きな違いだとは見せかけない仕掛けがある。



それは、「自然に」実現化されるというような文章にあらわれる。思っただけで、実現化されるわけではなくて、潜在意識が現実と考えたことのギャップをうめあわせるために、自然に「体を動かす」のである。



だから、自然に実現化するということになる。



しかし、「方法」がわからなければ、思っただけになる。自然に体を動かすというのは、自然に、行動するということである。自然に行動するというのはどういうことであるかというと、特に意識せずに、自然に行動するということなのである。



だから、けっきょく、思っただけではなくて、行動している。現実化するための行動をしている。現実化するための行動をする場合と、現実化するための行動をしない場合とのあいだには大きなへだたりがある。



しかし、「自然に」という言葉で語られてしまうので、まったく違いがないように受け取ってしまうのである。これがひとつのレトリックだ。



もうひとつ言っておかなければならないのは、自然に行動するには、なにをするべきか知っていなければならないのである。



たとえば、「お金を儲ける」と言った場合でも、お金を儲ける方法を事前に知ってなければならない。そして、それは、かなり確実なものでなければならない。



しかし、「潜在意識に命令すれば、潜在意識が現実とイメージとのあいだのギャップを埋めるために、動き出す」と言った場合には、そういう「方法」がない。



たとえば、飛行機がなかった時代に、飛ぶ道具をつくろうとしたとする。その場合、思っただけでは、無理だ。ちゃんとトライ・アンド・エラーをしなければ飛ぶ道具はつくれない。



そして試作品をつくるのでさえ、「ここはこうして、ここはこうするべきだ」というようなイメージがなければならない。



これは、行動イメージだ。そして、その行動を可能にするような技術や知識がなければならないのである。言いたいことは、思っただけでは、現実化しないということだ。「方法」が本人にとって明らかでない場合は無理だ。



エジソンだって、のちに電球と呼ばれるものをつくろうと「思った」だけではなくて、それを現実化するにはどうすれば良いのかということについて考えてトライ・アンド・エラーを繰り返したから、のちに電球と呼ばれるものをつくることができたのだ。思っているだけで、手を動かさなかったら「自然に」できるわけがない。



手を動かすことも含めて自然にできると思っているのが、マーフィーやその一派だ。けど、方法が明らかでなければできない。方法は、潜在意識が自然に教えてくれると思っているかもしれないけど、自然に教えてくれるわけではない。動いて、トライ・アンド・エラーを繰り返すことによって、自分でつかむしかない。



潜在意識に命令すれば、思っただけで、自然にそういう行動をするようになるという言い方があるかもしれないけど、それは、「嘘も方便」といった場合の「方便」だ。だましがある。



1)思っただけではなくて、行動しなければならない。

2)行動は適切な行動である必要がある。

3)失敗しても、あきらめずに行動しなければならない。



そして、なによりもたいせつことだけど、方法を知ってなければならない。実は思っただけだと、そこに到達するまでの方法がまったくわからないという場合があるのだ。いままで、上で述べてきたことは、実はそういうことだ。



たとえば、理想的な異性に巡り会い結婚するというような願いがあるとする。その場合、「理想的な異性に」巡り会う必要がある。この「理想的な異性」というのが「くせもの」なのだけど、ともかく、「理想的な異性」に巡り会わなければならない。



しかし、「理想的な異性」に巡り会うための具体的な方法を知らない場合は、どのようなことをして良いのかわからない。「理想的な異性と結婚する」というゴールのイメージがわくとする。ゴールのイメージだけをイメージトレーニングをするように、思い浮かべるとする。思うだけで、それが実現化すると言い張る人たちは、「思っているだけで良い」ということを言う。



しかし、出発地点とゴールのあいだが、さっぱりわからないということだと、行動しようにも行動することができない。かりそめの方法はあるだろう。たとえば、合コンに行くとか、結婚相談所に行くというような方法だ。あるいは、すでに知り合っている異性に目を向けてみるという方法だ。



この場合「理想の異性」なので、実は、灯台もと暗しで、身近な人が「理想の異性だった」と言うこともあり得る。そうすると、身近な人が「理想の異性」だった人の場合は、「ほんとうだ!!見方をかえただけで、思いは現実化する」と思うわけだ。この人にとっては、その「思っただけで現実化する」というのは、真実だということになる。



しかし、身近な人のなかに「理想の異性」がいない場合は、そうじゃない。「理想の異性」を求めて結婚相談所を渡り歩くことになる。



しかし、結婚相談所に行っても、合コンに行っても理想の異性に出会うことができなかったら、どうするか? 「理想の異性」を見つけるための確実な方法なんてない。だから、「思う」というのが確実な方法なんだと言われると、「思う」ことだけに集中してしまうことになる。



けど、「思う」だけでは、うまくいかない。さらに、行動をしてもうまくいかない場合がある。



こういう状態で悩んでいる人には「思うだけで現実化する」という言葉は救いの言葉に聞こえる。なので、信仰してしまう。けど、たいしたことは言ってない。



思っただけではなくて、行動しなければならないということを暗に提示している場合は、「ありきたりの方法」をためすしかないということになる。わかるかな? 



そして、「行動しても報われない場合は、ない」ということを、「潜在意識」という言葉を使って説明する。潜在意識はすごいパワーを持っているので、潜在意識にしたがって行動した場合は一〇〇発一〇〇中で現実化するのである。



そうじゃない場合は、潜在意識にしたがって行動したわけではないということになる。もともと、行動は、どちらにも解釈できることなので、現実化しなかった場合には、潜在意識にしたがった行動ではないということになる。



成功した場合は、もちろん、潜在意識が猛烈な働きをして、引き寄せたのである。現実化させたのである。この場合の潜在意識は、自分の潜在意識である場合と、宇宙の潜在意識である場合がある。



自分の潜在意識が宇宙の潜在意識に「通信」して、それを現実化してしまうというようなことを言うわけだ。宇宙の潜在意識のことを、宇宙意識とか神などという場合がある。



しかし、たいていは、自分の潜在意識と宇宙の潜在意識を区別せずに、「潜在意識」と言っている場合が多い。区別せずにおなじ言葉を通ために、たいていの人はだまされてしまう。



もちろん、この世なので、だまされて、しあわせをつかめばそれは、それでいいということになる。そのひとにとっては、潜在意識にお願いしたら、現実化したということになるだろう。



その場合、その人は、「思っただけで現実化する」というようなことを他の人に言ったとしても、本人は、嘘を言っているつもりはないと思う。「実際に思っただけで現実化した」と思っているわけだから。だから、それはいい。



しかし、現実化してない人にとってみれば、それは、どうでもいいことではないのである。これで、一巡した。



ところで、たとえば、理想の人と言った場合、その人にとって理想の異性というのはその人が決めるものなので、その人の思い通りになるところがある。たとえば、AさんとBさんがいて、Aさんは、Bさんのことを特に理想の異性だとは思ってなかったとする。



しかし、「よくまわりを見てご覧なさい」と言われて、よく見てみると、まさにBさんこそが「理想の異性だった」ということに気がつく。この場合、だれがAさんにとってBさんこそが理想の異性だったということについて異議を唱えることができるだろうか。



だれも異議を唱えられない。Aさんがそう思うなら、そうなのである。



Aさん以外に「Bさんが理想の異性だ」ということを否定できる人はいない。Aさんの「おもいよう」なのである。



だから、Aさんは「理想の異性に出会うことができた」というのは、「真」だということになる。「真」か「偽」かで言うと「真」になる。けど、これは、「思えば理想の異性に出会うことができる」ということが「真」であることを意味してない。わかるかな?



   *   *   *







あの人らはぼやかしているけど、思っただけで現実化すると言っている人も、かならずしも、思っただけで現実化すると言っているわけではないのだ。私の知る限り、思っただけで、行動してしまうと言っている人たちのほうが多い。思っただけで行動してしまうのだから、けっきょく、行動もしなければならないと言っている人たちとおなじ意見を持っているということになる。



潜在意識に伝えただけで、行動してしまうのである。しかも、エジソンのように行動してしまうのである。潜在意識に伝えたのにエジソンのようにトライ・アンド・エラーを繰り返さないなんてことはないのである。



潜在意識に伝えただけで、自然に、行動してしまう。



だから、行動する必要があると言っている人たちと言っていることはかわらないということになる。思っただけでいいという人たちと思っただけではじゅうぶんではなく、行動もしなければならないと言っている人たちの違いはない。「潜在意識」というマジックワードを使うと、そういうことを区別なく語ることができるのだ。



実は「思っただけでいい」ということと「思っただけではじゅうぶんではなく、行動しなければならない」ということは、潜在意識というマジックワードを使うとひとつのことになる。同じ意味になってしまうのである。時には違う意味で語られて、時には同じ意味で語られるということになってしまうのである。



そういうところに、曖昧さがあるのだけど、この曖昧さは、なんて言うのかな「だまし」の部分に寄与している。「思いは現実化する」と言っている人たちのなかには「思っただけでいい」と思っている人たちと「思っただけではじゅうぶんではなく、行動しなければならない」と思っている人たちがいる。



そして、このことを区別なくあいまいに語る人たちもいる。その人たちは、「思っただけでいい」のか「思っただけではじゅうぶんではなく、行動しなければならない」のかについて、特に考えてない。潜在意識という言葉に酔いしれて、その都度、違ったことを言っているのである。



しかし、違ったことを言ってると本人たちが認識しているかどうかわからない。潜在意識という言葉を使うと、「思っただけでいい」という立場から「思っただけではじゅうぶんではなく、行動しなければならない」という立場に自由に移動できる。



そして、また「思っただけではじゅうぶんではなく、行動しなければならない」という立場から「思っただけでいい」という立場に、特に解釈の違いについて言及することなく、移動することができる。一貫性は保たれているように見えるが実は、一貫性は保たれていない。一貫性が保たれているように見えるのは、「潜在意識」という言葉を使うからである。





   *   *   *





方法を知らないと行動できない。方法は、ありきたりの方法が選択されることになる。だれもが思いつく方法が選択されることになる。その、だれもが思いつく方法のうち、いくつかをためして、だめだった場合が悩んでいる人だ。こういう人たちが「思っただけで現実化する」という考えにこだわる。多大な関心を向ける。すでにゴールにたどり着いているなら、そんなことには関心を持たない。また、ゴールがない人は、関心を持たない。これは、どうしてかというと、ゴールがない人というのは現実化させたいことがないから、そういうことに関心を持たない。その人たちにとっては、どうでもいい話なのである。




   *   *   *


一巡した後の話しをするけど、まず、トライ・アンド・エラーのさいちゅうの人は、ゴールに到達してないわけだから、「思いは現実化してない」ということになる。

「思っているだけで良い」と言っている人たちは、ものすごいパワーを持った「潜在意識」があなたが眠っているあいだに、それをしてくれるので良いと言っているのだ。あるいは、あなたが気がつかずに行動しているあいだにそれがなされるので良いと言っているのだ。ともかく、潜在意識はすごいパワーを持っているので、たとえ、あなたが方法を知らなくても、自然に、その願いが叶うということを言っている。

しかし、潜在意識、潜在意識と言っている人は、実は、そんなに深いことは考えないので、いろいろな矛盾を抱えているのことに気がつかない。








2018年4月17日火曜日

夜起きたときつらい

ほんとうのことを言うと、ヘビメタ騒音のことで憂鬱なのである。
いまだに憂鬱だ。いまだに朝起きたときつらい。昼起きたときつらい。夜起きたときつらい。これはたぶん、治らない。やられすぎた。

   *   *   *

ほんとう、人生ないわ。わらえる~~

   *   *   *

起きたあと、まだ、工事が続いているようなので、英語学習用のCDを鳴らして、なんとかすごす。いま、やんだから助かった。

ひまなんだよね。どうするかな?
金銭的には、逃げ切れるような気がしてきた。
しかし、それは、独身貧乏生活の場合だ。

どーすっかな。ともかく、楽しくないというのは、重症だ。働いていても、働いていなくても、楽しくないというのは、重症だ。これ、十数年毎日、容赦なく続いた騒音の結果なんだけど、つらすぎる。こころがあがらない。日本で「憂鬱な顔をしている」「元気がない」「明るくない」ということがどれだけのマイナスになるかわかるか? 「暗い」「元気がない」というのは、「勉強ができない」なんてことよりもずっと、マイナスになるんだよ。面接で、どっちをとるか? 「暗い人」と「明るい人」……面接でどっちをとるか? 明るい人に決まっている。「つかれやすい人」と「体力がある人」のどっちをとるか? 「体力がある人」だ。だれだって、ヘビメタを一日に六時間四五分から一三時間二六分毎日、やられ続ければ、「暗い人」「元気がない人」になるのに、他の人は、ヘビメタ騒音というハンディが、僕と会ったときに見えない。他の人は、他の人で生きているわけで、気違いヘビメタ騒音というわけがわからないハンディについては、無視する傾向がある。ヘビメタ騒音について説明しても「そんなのは、言えばいい」というレベルのことしか考えない。深刻な問題だとは思えないのである。そりゃ、「言えば」言うことを聞いてくれる兄貴であれば、深刻な問題ではないけど、デカイ音で鳴らし続ける兄貴なので、深刻な問題になる。他の人は、親父の状態や感覚、兄貴の状態や感覚が、肌でわからない。これは、根本的に、未知のものだからわからないということだ。親父がわかりすぎている。あり得ない性格をした父親なのである。で、このあり得ない性格が、他の人には、ほんとうにわからないものなのだよな。兄貴は、親父のコピーなので、親父とおなじ感覚で、親父とおなじことをした。夢中になってやってることは、どれだけやったって、やってないことになるという脳みそを持っている。都合が悪いことは、死んでも認めないという脳みそを持っている。ここのところが、ほんとうに「他人」にはわからない。「うちのこと」を知らない人には、とんと理解できないのである。だから、俺が「へんなことを言っている」ようにしか思われない。「言えば、お兄さんは静かにしてくれるはずなのに」……「エイリさんが言わないのが悪い」と考える。俺がどれだけ「ちゃんとわかるように何万回も言った」と言っても、兄貴がハンダゴテについてちゃんと親父に説明したと言っても、認めなかった「他者」のように、わからないのである。わからないと言うよりも、認めない。「そんなことはないはず」なのである。「ちゃんと、言えば、ちゃんとわかるはず」「ちゃんと、言えば、ちゃんと通じるはず」なのである。その人たちの頭のなかでは……。しかし、実際の親父や兄貴は、そういう人たちの頭の中の想像を遥かに超える「へんなひと」なのだ。これがわからないんだよな。それから、自分が経験したことじゃないので、たとえば、僕がヘビメタを六時間鳴らされたあとは眠れなくなるということを言ってもわからない。自分の体験ではないからわからない。

   *   *   *


むかしは良かったなぁ。ヘビメタ騒音が鳴ってないむかしは良かったなぁ~~。気違い親父にたたられていたとは言え、あんな苦しい生活じゃなかった。ヘビメタ騒音がはじまってから苦しいのなんのって、言いようがない。しかも、まわりのやつからヘビメタ騒音関係のことで文句を言われるんだよな。だれだって、あんなに長い間、至近距離でヘビメタを聞かされ続けたら、眠れなくなるのに文句を言われる。遅刻をすれば文句を言われる。あんなに長い間、至近距離でヘビメタ騒音が鳴っていれば、だれだって、宿題を完了することができないのに、宿題をやっていかなければ、俺が文句を言われる。夏休みの時、どういう思いをしたと思っているんだよ。気違い兄貴! おまえ、夏休み一日目から最後の日までずっと、一日に一二時間以上鳴らしてた。どれだけ「宿題をするから静かにしてくれ」と俺が言っても、無視して頑固に鳴らしてたね。「そんなの知らないよ~」という態度だ。それなのに、夏休み最後の日、俺が下の部屋で宿題をしていたら「宿題なんて、夏休みの最初のうちに終わらせておくもんなんだよぉ~」と言って二階に上がっていた。どうして、俺の部屋ではなくて、一階の居間で宿題をしていたかというと、二階で勉強するよりは、静かだからだ。と言っても、いまのテレビを最大限の割れるような音にしても、なおかつ、二階で鳴らしている気違い兄貴のヘビメタのほうがうるさいという状態だ。あそこの部屋で勉強しても、勉強ができるということではなかった。一階の部屋に行く前に何回も「ヘビメタを鳴らすな。宿題をするから静かにしろ」と兄貴の部屋に行って絶叫して言った。その前の日だってそうなんだぞ。その前の前の日だってそうなんだぞ。そりゃ、夏休み終了三日前なのに、ヘビメタ騒音で宿題が終わってない状態だからな。これ、ほんとうに死にたい。朝の九時一五分からずっと、やられた。兄貴がヘビメタ道具の前を離れるわずかしな時間を抜かして、ずっとやられた。一日に約四〇分を抜かして、ずっとやられた。それで、宿題ができないまま、……前の日までずっと気違いヘビメタを浴びたのでだるだるの状態で学校に行って……「どうして、宿題をやってこないんだ」と言われる。その時「兄貴がヘビメタに凝っていて、ヘビメタ騒音をデカイ音で鳴らして、宿題ができない」ということを言っても……「そんなのは、お兄さんに言えばいい。ともかくやってきて」と言われる。そういうことの繰り返しだからな。人生全部。
あれだけ長く、ヘビメタ騒音にさらされれば、だれだって、憂鬱で元気がない状態になるのに、「元気がないやつはだめだ」「明るい人のほうがいいですよね(それがわからないなんて、おかしい)」というようなことをいわれ続ける。こういう人生だ。こんなのない。

  

2018年4月16日月曜日

なんだ! ヘビメタ騒音なんて!!

どれだけの「健康被害」が生じるか、どれだけの「能力被害」がしょうじるか、半分の人にはわからない。だれもが、俺と同じようにはヘビメタ騒音を経験してないわけだけど、それでも、「そんなの、やられたとしてもたいしたことではない」と考えるやつらがいて、そいつらのことは、ほんとうになぐってやりたいような気持ちにかられるときがある。
ほんとうにそういう人たちが考えるようちょっとした被害じゃないんだよ。ちょっとした障害じゃないんだよ。俺がちょっとしゃっきりすれば、遅刻しないで済むのに遅刻していると思っているんだろ。ちがうんだよ。ヘビメタが毎日続いてくるしいんだよ。『そんなの知るか』ということになるんだけどな。「ともかく、(そんなことは)どうでもいいからちゃんとやって」と言われることになるんだけどな。それで帰って、気違い兄貴の部屋に行って「やめろ!!」「やめろ!!」「静かにしろ!!」「静かにしろ!!」「遅刻しちゃうから静かにしろ」「遅刻しちゃうから静かにしろ」と必死に何回も絶叫しても、気違い兄貴がいつもの態度で無視して鳴らし続けておしまいだ。しかも、そうやって均した時間、鳴らしたつもりがないらしいのだ。こんなのあるか? ある。あるんだよ。そいつらは、まるでわからないのだろうけど、ある。実際にそういうことが起こる。

   *   *   *

……「だから、ヘビメタ騒音が鳴っている以上、遅刻しないという約束はできないと言っているだろ」
……「ヘビメタ騒音とか、なんだぁ そんなの……。なんで遅刻して威張っているんだよ」
……「威張ってないだろ」
……「なんだ! ヘビメタ騒音なんて!!」



あー

ダイヤ君には悪かったな。あんなことを言ってしまって……。
ゆー君にも悪いことをした。言ってもらえばよかった。ティー君にも、悪いことしたな。言ってもらえばよかった。『俺が(おまえの)兄貴に言ってやる』と言ってくれたときがあったなぁ。

全部、長すぎるのが悪い。
気違い兄貴が長くやりすぎ。ほんとうに、どんだけ長かったか。一四年と四ヶ月だけど、現在進行形の時は、三年目だって、七年目だって、一〇年目だって、『エイエンニ ツヅク」ような感じがしてた。というか、そのときどきの『永遠』なのではないか。「明日も続くだろう」ということは、「永遠に続くだろう」と、同じ意味だ。


2018年4月15日日曜日

毎日やり続けるから、しんどい問題になる

起きてから考えることってヘビメタ騒音のことなんだよね。兄貴!! 兄貴は、気違い親父の感覚で、無視してやった。気違い親父の感覚がどれだけ腹が立つものか身をもって知っているよね。

気違い兄貴には信じられないことだけど、気違い親父とおなじことを兄貴はしている。親父のように、無視しているから、やったことがわからないだけだ。無視しているから、何千日やろうが、一日もやったつもりがないという状態が成り立っている。

もちろん、これは、さっきから言っているように、親父が兄貴にやったことでもある。もちろん、親父はやったとは思ってない。「やった」「こういうふうだった」と言われたら「そんなんじゃない」と絶叫して怒っておしまいだ。

けど、やっているさいちゅうから、そういう状態だった。

やっているとき……現在進行形で文句を言われると、「なんだそんなのぉ!!」と怒り狂っておしまいだった。気違い兄貴はまったくつもりがないんだろうけど、これとおなじことを兄貴は、毎日俺にやってた。

だから、やってた。

「やってない」わけじゃないのである。

これも、ほんとうに、何千日やろうが「やってないつもり」なんだよ。兄貴本人はやってないつもりなんだよ。本人は!! 

親父もそうだけど、兄貴は親父とおなじでまったくやってないつもりなのである。だから!!!こまったんだよ。

どれだけ言っても、やってないと思っている状態が続いて、なおかつ、毎日やり続けるから、しんどい問題になる。

わかるよね。気違い兄貴!

気違い兄貴だって親父にさんざんやられて困っていたわけだから。どういうやり方でやるかわかるよね。気違い兄貴がやられて、怒っていたやり方とおなじやり方で、やっている。兄貴がやっている。

兄貴が親父にやられて腹を立てていたやり方で、弟にやり返している。やり返す相手がちがうだろ。

   *   *   *

困り切る……ことを毎日やられていいわけがないだろ。ほんとうに、きりきりまいだからな。気違い兄貴が、全面的に今日陸してくれなければ、気違い兄貴のヘビメタ騒音問題は少しも片付かなかった。少しも片付かないまま一〇年経過したときの気持ちがわかるか? 小学六年生の時に問題だったことが二一歳、二二歳で問題なんだぞ。おなじ問題がずっと成り立ち続けているんだぞ。

それも、たいしたもんじゃないというような小さな問題ではなくて、デカイ問題だ。一日のうち、すべてがヘビメタ騒音に覆い尽くされてしまうのである。一日のすべてが、ヘビメタ騒音でくるしい状態になる。こういうことを、頑固に無視して、親父のやり方で、やりやがって。そして、親父のやり方で否定しやがって。

ほんとうに、小さな問題じゃなくて、強烈にデカイ問題なのである。音がデカイ、気違い兄貴が、よそのうちでやるように、毎日、ずっと、ヘッドホンをして鳴らさなければ片付かない問題なんだよ。気違い兄貴が、気分のいいときだけ、一デシベル、五分間から一〇分間ゆずってくれれば、それでいいという問題じゃないんだよ。そこが、親父のようにわからないんだよな。こっちは、必死なのに。こっちは、ヘビメタ騒音が死にたいほどデカイ問題で、いつも、あっぷあっぷしているのに。溺れて、息がうまく吸えなくて、くるしい状態とおなじだ。水の中でもがきながら生きているような状態なのである。むせてむせてむせて。

自分がヘッドホンをせずに、一デシベルぐらいちょっどだけ音をおとしてやればそれで済む問題だと思ってたんだろ。どうして、ヘッドホンができない? ヘッドホンをすることだけは、絶対にいやだったんだよな。あの時は! あの時って一五年間だよ。絶対にいやなことは一日に一分だろうがしてやらない!! そういう態度だった。そういう態度で鳴らして、「ゆずってやった」とか思っている気違い野郎。

気違い兄貴が!! これじゃいやだと思うほど静かにしなければ意味がないんだよ。気違い兄貴が、普通の音だと思っていた音は、カオ君がカオ君の家では絶対に鳴らせないようなデカイ音だ。どうして、どうして、家でだけ鳴らしていいんだ? おかしいだろ。感覚がずれているんだよ。感覚のズレを利用して、全部、ぶちかましてやってきた。全部無視してやってきた。それが、兄貴がこの世でやったことだ。兄貴がこの世でやった、ほんとうのことだ。客観的に言って、兄貴がやったことはそういうことだ。けど、兄貴は、「ゆずってやった」つもりでいる。普段ものすごくデカイ音で鳴らしているのに……客観的に言ってものすごくデカイ音で鳴らしているのに……普通の音で鳴らしているつもりでいる。こんなのがゆるされるわけがないだろ。

気違い兄貴は、親父に、カネやその他のことで……細かいことで、こういうやり方でやられて、腹を立ててきたんだよ!! どうして、自分がやられたら小さなことでも腹を立てるようなやり方で、他の人にやるんだよ。他の人って、弟だけどな。

いったんそうなったら、全部の時間そうなんだよ。一日じゅうそうなんだよ。そういう感覚で暮らしているわけだから、そうじゃない時間というのがないんだよ。だから、一年

2018年4月14日土曜日

どれだけの意地がかかっているかわかるわけがない

やっと冬を越えたのに、俺のこころの中はめちゃくちゃだな。ヘビメタ騒音で感じた疲労感は説明することができない。あの繰り返しで、底の方のやる気がなくならない人はいない。

どれだけ、気違いヘビメタ騒音のなかで消耗したか? どれだけ、あせった気持ちになったか? どれだけ、勉強の邪魔をされたか? こんなの、経験したやつじゃないとわからない。

気違い親父とおなじで、まるで、他の人のことは気にしないんだよな。自分のスイッチが入っちゃったら、まるで気にしない。自分のスイッチが入ったら、それだけで、他人がどれだけなにを言っても、最初に思った通りにやってしまうのである。

『途中でやめてやる』なんてことは、死んでもできない。

で、毎日そういうモードなんだよ。これがきつい。きつすぎる。そうじゃない日がない。気違い兄貴のなかでヘビメタ騒音スイッチが入ったら、家に住んでいるあいだ、一五年間ずっと毎日、スイッチが入ったままになっている。

だから、スイッチが入ったままになっているときにやったことは、一切合切反省できない。自分でやったことなんだけど、自分がやった気がしない。やっているときから、そういうモードだから。まったく悪気がないまま、やり続ける。

普通だったら『困る』というのがわかるはずなんだけど、それが、親父のようにとことんわからない。親父が学歴のことや勉強のことがわからなくても当然だけど、兄貴はわかっていたはずだ。

それなのに、自分の弟のことになると、わからないのである。弟は、傷つけてもよいのである。自分の感情のままにならしてもよいのである。無視してもよいのである。

どうしてなら「うちのにんげん」だからだ。

「うちのかぞく」であれば、絶対に気にしなくてもよいのである。

で、親父は、意識的にも無意識的にもそういう態度だったんだけど、無意識的にそういう態度だったので、そういう態度だったということは、認識してないんだよ。兄貴もおなじ。親父が血相を変えて、発狂してやったことを、兄貴がヘビメタ騒音で繰り返しているだけ。

やり方がおなじだから、認知のしかたもおなじなんだよ。いや、認知のしかたがおなじだからやり方がおなじなんだよ。いや、認知のしかたもやり方もおなじなんだよ。ともかく、ゆずらない。

自分がやりたいことをやる。

最初にスイッチが入ったら、あとは、周りの人間は頑固に無視してやりきる。無視している、あるいは、無視したということを無視してやりきる。で、やったってやった気持ちがまったくしょうじないのである。「そんなの知らなかった」のヒトコトで、一五年間毎日やったことを、済まそうとする。

そんなの、済むわけがないだろ。

何万回言われても、『知らないまま』なんておしいだろ。けど、そうなんだよ。で、「そんなの知らなかった」と言うときだって、そういうモードなんだよ。自分が「しらなかった」と言えば、本人のなかではそれで済んでいる。

かえようなんて思わない。認識をかえようなんて思わない。自分にとって不都合なことは、絶対に命がけで認めないし、認めないということも認めないという態度で認めない。それで、済ませてしまう。

おなじやり方で、蹂躙する。

無視してやってたときおなじやり方で、「そんなの知らなかった」と言っておしまいにする。一切合切こたえない。何度も言うけど、俺が入試の前に、「やめてくれやめてくれ」「静かにしてくれ静かにしてくれ」「ヘッドホンをして静かにしてくれ」「時間を決めて静かにしてくれ」と言ったとき、気違い兄貴は、むすーーっとした顔になって、『そんなの知らない』という態度ですべての時間、自分が思ったとおりのデカイ音で鳴らす。

どれだけなにを言われても、なんとも思わない。最初にやる気になったことをやるだけなのである。相手がなにを言おうが絶対の意地で、寸分もほんとうにはゆずらずにやりきる。

で、やってない気持ちのままなんだよ。

『やってない気持ちのまま』やりきるから。……こんなの、平和な家に育った普通の人がわかるわけがない。どれだけの意地がかかっているかわかるわけがない。

2018年4月13日金曜日

まるで俺がサボっているように思われる


ヘビメタ騒音に関してはほんとうにゆるせんやつらがいっぱいいる。人を発達障害児のようにあつかいやがって。現在無職である、アルバイト以外、働いた経験がないということを聞いたときの、あいつらの表情は忘れられないぜ。ゆるせん。そいつらだって、毎日、この時間、ヘビメタが鳴っていたらそうなるのに。気違い兄貴の態度で、気違い兄貴が満足できるようなデカイ音で、ヘビメタを何時間も何時間も、鳴らしているなら、どんな健康な人だって、通えなくなるのに。毎日、日曜祝日も含めて六時間四五分から一三時間二六分鳴らされ続けたら、どうしたって、朝起きれなくなるのに……。まるで俺がサボっているように思われるんだよな。まるで俺が、最初から弱いみたいに思われるんだよな。そんなんじゃないのに。七年間鳴らされて、七年間学校に通って、だんだん、からだが悪くなった。だれだって、七年間毎日……これ、ほんとうに毎日だから……平日は毎日とかそういうことじゃないから……ほんとうに休みなく毎日七年間、気違いヘビメタが横でガンガン鳴っている状態が続いたら、だれだって、通えなくなるのに、俺だけが弱いみたいに思われるんだよな。だれだって、むりなのに。だれだって、むりなことになるのに。

ヘビメタ騒音障害というのは、そういう障害だ。なにが人間学か? なにが生きがたさだ? ふざけんな!

   *   *   *

普通の人なら六ヶ月だけで社会生活ができなくなるようなひどい騒音だったけど、それを俺は七年間も続けてきたんだぞ。それだけで、俺がどれだけ丈夫で、どれたけ強いかわかる。まったく、あきれてものが言えない。いま、七時五八分。この時間は、気違いヘビメタがものすごい音で鳴ってた。『ひどい騒音』と書いたけど、音のでかさがひどいし、音の持続時間が長すぎる。

あしかけ一五年間浴び続けて、通勤通学ができなくなった俺を、一日もヘビメタ騒音にさられされてない人間がバカにする。こんな世の中はない。

俺が働いてないということで、俺を軽蔑した人なんて、一年間毎日ヘビメタ騒音にさらされただけで、働けないからだになると思う。さらされてないから、わからないだけだ。推量する力がないから、推量できないだけだ。バカだ!! 俺がヘビメタ騒音のことを説明したあとも、そういう偏見が成り立ちぱなしだったやつは、バカだ。頭がたりないだけだ。どれだけひどいことか、想像できないだけの話しだ。話しから、想像できないだけの話しだ。俺の話から、そのひどさを想像できないだけの話しだろ。想像力がないんだよ。推量する力がないから、ヘビメタ騒音が実際にそういう音で、そういう時間長さ、期間の長さ鳴っていたら、自分も、通えないからだになってしまうなということが、わからないだけ。推量できないだけ。バカなだけだ。

   *   *   *

ほら、気違い兄貴。おまえが親父の態度で、気違いヘビメタを鳴らしたから、俺が他のやつらから、誤解されて嘘を言っていると思われているぞ。俺が、だめ人間だと思われているぞ。俺が弱い人間だと思われているぞ。満足か!!!満足か???

鬼!になって鳴らして、絶対に一分も静かにしてくれなかった。鳴らすと鳴ったら絶対に人部が満足できるデカイ音で鳴らして、一分だろうがゆずらなかった。

親父の態度で鳴らして、絶対にゆずらなかった。一分間ヘッドホンをつけてくれなかった。試験期間中も、一分間だろうがヘッドホンをしつけてくれなかった。試験期間中は、一時間、午後四時から午後五時までヘッドホンをして鳴らすということですら、絶対に認めなかった。絶対に認めないで絶対にやってやらなかったことだ。俺が、何回、言ったと思っているんだよ??

それで、『知らなかった』だからな。どこまでも、どこまでも、親父とおなじ。どこまでもどこまでも、兄貴は気違い親父とおなじ。気違い親父の態度で鳴らして、絶対に認めてくれなかった。こっちが困っているということですら、一五年間言われても、絶対に認めないでやりきる。気違い兄貴が鳴らしているから、……一日に一時間だって絶対にゆずらないで鳴らしているから……俺がまるまる荘にでなきゃならなかったんだよ。気違い兄貴は、気がついてないだろ。親父とおなじなんだよ。とことん、親父とおなじ。思考回路が親父とおなじ。感じ方が親父とおなじ。認知のしくみが親父とおなじ。絶対の意地で押し通したことは、何年間やったとしても、やったと認めない。やりきれば、今度は「やってないやってない」と騒ぎ出す。頭がおかしい。どれだけの意地でやったと思っているんだよ? 兄貴!!





グチを言いやすい人(性格傾向)と、グチを言う量(回数)が多い人

グチを言いやすい人(性格傾向)と、グチを言う量(回数)が多い人をとりあえずわけておこうと思う。

グチ率一%の人は、一〇〇個のいやな出来事のうち、一個グチを言う。あるいは、グチ率一%の人は一〇〇個のいやな出来事が発生した場合、一回だけグチを言うとする。

グチ率二%の人は、一〇〇個のいやな出来事のうち、二個グチを言う。あるいは、グチ率二%の人は一〇〇個のいやな出来事が発生した場合、二回だけグチを言うとする。

いま、Aという人がグチ率一%であって、Aの身の上に一日で九〇〇〇個のいやなことが発生したとする。その場合、Aは九〇回グチを言うということになる。

次はBについて考えてみよう。Bはグチ率が一〇%であって、Bの身の上に一日で一〇〇個のいやなことが発生したとする。その場合、Bは一〇回グチを言うということになる。

グチ率のちがいは、グチの言いやすさのちがいなので、Bのほうが一〇倍グチを言いやすい性格であると言える。しかし、一日でグチを言った回数は、Aが九〇回、Bが一〇回なので、一般の人は、Aがグチを言いやすい性格だと考える。

しかし、AはBの一〇分の一しかグチを言わない性格なのである。グチを言いやすいのはBだ。しかし、一般の人は、回数でカウントするのでAはBの九倍グチを言う、と考えるだろう。つまり、AはBよりグチを言いやすい性格だと考えるだろう。

これは、思考実験で、実際には、グチ率というものを決めることができない。客観的に決めることができない。また、出来事に関しては、どのような出来事が、不愉快な出来事になるかということに関して、客観的に決めることができない。

これは、ほぼ同じ状態で、ほぼ同じ刺激があった場合、どの程度その刺激を不愉快なものだと認識するかについて、調べればわかりそうなものだけど、それはわからない。前から言っているように個人には文脈があるので、文脈をはなれた認知は、実際の生活のなかではしょうじていない。

実験的に調べることができるのは、その日の状態のその人の感じ方のうわべだけだ。日常生活的な文脈を削除しなければ、統制された実験はできないので、最初から計っているものがちがうということになる。

けど、そこに目をつぶれば、かりそめのものだけど、ある一定の傾向については調べることができるかもしれない。しかし、その実験にはそういう基本的な問題があるということを最初に認識しておかなければならない。



2018年4月12日木曜日

あれはない。

「あれはなかったな」と思っている。
いろいろなシーンが浮かぶ。あの時の電車の中のシーンとか……。ぜーーーんぶ、ヘビメタ騒音でめちゃくちゃだよ。前の日のヘビメタ騒音でめちゃくちゃだよ。前の日までの数千日のヘビメタ騒音でめちゃくちゃだよ。どれだけ、こころぼそい思いをして、入学試験を受けるために電車に乗ったと思っているだよ? 

気違い兄貴が、ヘッドホンをして一日中聞けば、それで済んだ。一時間だろうが、ヘッドホンをしてくれたなかったけどな。あの大学入試の日はない。あれはない。

2018年4月11日水曜日

いま、体がかゆい

いま、体がかゆい。あーーっ。

いちおう、薬を塗って、薬を飲んだ。

これは、ダニじゃない感じがしてきたなぁ。

内側から来ているのかな。なんか、ストレスっぽいな。なんか、いやな感じがあるんだよね。



まあ、孤独死関連のブログ記事を読んだからではないけどさぁ。

風呂場で死んだ人の話。



なんとも言えない気持ちになるなぁ。

まあ、風呂場で死んだ人にしても、前日までは「ポジティブ思考」「アファメーション」「笑う門には福がある」「笑って病気を治しちゃうぞ」と言っていたのかもしれないしな。



   *   *   *



つまんないだよなぁ。

買い物に行くべきだけど、なんかいやだな。



   *   *   *



まあ、俺は全身かゆくてたまらんが。

「かゆくないかゆくない」と言えば、かゆくなるなるか?

そんなことはないんだよね。いま、薬を飲んだから、それが効く可能性はあるけど。

感情、死んだよ

つまらないということについて雄弁に語りたい。しかし、つまらないということについて雄弁に語るということができない。つまらないからだ。


つまらないという感情はどこからくるのだろう。つまらない以上はおもしろくないということだ。楽しくないということだ。いろいろなタイプの「つまらなさ」があるけど、別に方が決まっているわけじゃないんだよな。

俺はどうしてつまらないのか? それは、ヘビメタ騒音で俺の感情が死んだからだ。

なんか事情を知っているかわいい女の子を抱きしめて、横になりたい。これは、やっぱり、ヘビメタ騒音で感情が死んでいるので、そんなに楽しいことではないけど、ひとりで横になっているのよりはいい。

感情、死んだよ

ほんとう、感情、死んだよ。気違いヘビメタの中で、気違いヘビメタの引きつりのなかで、感情が死んだ。あの、状態はない。あのあせりはない。あの、いたたまれない感情はない。

   *   *   *

なんとかしたいんだけど、どうにもなんないな。
物価が三分の一になったらどうにかなるか?
物価が三分の一の国に引っ越せばどうにかなるか?

いやいや、どうにもなりゃしない~~
どうにもなりゃしないんだぁよ~~
そんなことじゃ~~


けど、くるしい。けど、くるしい。

   *   *   *

ヘビメタ騒音の量があまりにもでかすぎて、一般論からはずれた。最初から、一般論は、気違い兄貴の態度や気違い兄貴の意地について考慮してない。一般論のなかでは、そういうことは、あり得ないことなのである。だから、あり得ないことがあったという特殊な状態で暮らしてきた僕としては、到底受け入れられない。
それでも、一般論はありふれたものだから、僕もトライしたことがある。何年灌木が毎日がんばってきたと思っているんだよ? 何年間毎日、僕が「一般論に従って」がんばってきたと思っているんだよ。こんなの、夜の一二時まで働いて、二時間かけて家に帰って、午前四時には起きて、二時間かけて午前六時には会社に到着して仕事を始めるというようなサイクルで暮らしているようなものなのだぞ。もちろん、日曜祝日も出勤して、一日の休みもない状態だ。気違い兄貴が、日曜祝日は一日中静かにして、俺を休ませてくれたかというと、そうじゃない。気違い兄貴は、意地になって、一日中、スピーカーで、けたたましい音でヘビメタを鳴らした。一階の玄関で話ができないほどデカイ音でヘビメタを鳴らしていた。二階で鳴らしているのに、一階の玄関で話ができないような音で鳴らすのがノーマルな状態だ。気違い兄貴はこういうデカイ音で鳴らしておいて、デカイ音で鳴らしたという気持ちがしょうじない。認知・認識がしょうじない。気違い兄貴にしてみれば、「そんなにでかくない音」で鳴らしたつもりなのである。「普通の音」で鳴らしているつもりなのである。どうしてそうなるかというと、デカイ音で鳴らしたいからだ。デカイ音で鳴らしたいから、デカイ音で鳴らして、「普通の音で鳴らしている」と思い込んでいたのだ。普通の音ではなくて、デカイ音で鳴らしているということをちょっとでも認識してしまったら、「静かにしてやらなければならない」からな。普通に静かにしてやらなければならないからな。普通の基準で静かにしてやらなければならないからな。気違い兄貴の基準で静かにしてやるのは、いいけど、普通の基準で静かにしてやるのは、一秒だろうが死んだっていやなんだよ。だから、「うち」では、ほんとうに一秒も静かにしなかった。普通の基準で、一秒だって静かにしなかった。それが、気違い兄貴だ。それが気違い兄貴のやったことだ。

「ちゃんと言えば、ちゃんと静かにしてくれるはずだ」と思っているやつが間違っているのである。けど、そういうやつは、間違っているといるということを認めない。「へんだなぁ」と思っておしまいだ。「ちゃんと言っても静かにしてくれない」ということをこっちが言えば「へんだなぁ」と思って、「俺が言っているようなでかい音で鳴っている」ということに関しては、判断保留のである。半分は「静かにしてくれるはずなのに、ちゃんと言わないからダメなのだ」という判断が成り立っている。これが間違いだということがわかってない。「うち」のことを「普通の判断基準」で判断するな! うちのことを普通の判断基準で判断すると、まるで俺が、バカに見えるのだ。エイリが悪いと思えるのだ。こんな世界ない。一般的なやつは、そう思って俺に敵対することになる。

気違い兄貴は、ここまで考えて、「気違い的な意地で鳴らした」わけではないけど、そういう効果がある。一般的な思考に縛られている人にとってみれば、俺がへんなことを言うヘンな人なのである。そういう「差」が常にある。気違い兄貴は、ハンダゴテのことでそういう「差」を味わったわけだけど、気違い兄貴はヘビメタ騒音のことで、そういう「差」を俺に味あわせている。親父とおなじようにまったくシランプリなのだ。自分が気違い的な意地でやったことに関しては、まったくシランプリだよ。そういうところも、おかしい。おかしいけど、事実だ。どれだけ言ったって、つたわらないのである。このどれだけ言ってもつたわらない」ということですら、どれだけ人が「ちゃんと」理解できるというのだ? ソンナノハおかしい」と思ってはねのけてしまうのではないか。鳴っていたのは、架空の話し……お兄さんになにを言ってもつたわらないのも架空の話し……全部、エイリさんがちゃんと言わないから、伝わらないのだ……と考えてしまう。

2018年4月10日火曜日

日本労働教徒は、自分の偏見に気がついてない

ほんとうに俺はいろいろなところで誤解されてるんだよな。これ、どれだけのことか。他の人にはわからない理由で、働けないからだを手に入れてしまったということが、どれだけのハンディになるか。

気違いヘビメタ騒音なんて、わからないやつはわからないわけだから。

俺が言ったって、それが、「働けない理由」にならないやつがいる。それを、働けない理由とは認めない人たちがいる。この人たちが、日本労働教徒であった場合は、俺に対して、説教をするわけで、俺が不愉快な思いをする。それは、決まっているんだよ。

だから、ヘビメタ騒音はうるさいというだけではなくて、俺の人生全部に多大な損害をあたえている。だいたい、俺が教師や講師をしていたら、この人たちは俺のことを無職だと思うということがない。

だから、説教してこない。労働の大切さを語り出さない。「それじゃ、だめだろ」ということを言わない。そりゃ、講師として働いていたら「働け」という人はいない。「ヘビメタ騒音で働けない」と最初に言っているのに、頭が悪い誤解をしやがって! こういう誤解をする人たちは、他のところではまともなんだからな。

ほんとうにいやだな。

たいていの日本人は、日本労働教徒で、日本労働教徒は、自分の偏見に気がついてない。自分が偏見を持っているとは思ってない。「正しいことを言っている」と思っている。働かないのではなくて働けないのだということをちゃんと言っているのに、(その人たちは)頭が悪いからわからない。

あるいは、ヘビメタ騒音がどういうものか経験してないからわからない。ヘビメタ騒音を、気違い兄貴の態度で一〇年間毎日やられて、通える人なんて、いない。通勤できる人なんていない。そういうことがわかってない。どれだけの努力で、俺が、いまの生活を維持しているかわかってない。まるまるまる。

   *   *   *

当時、俺に対して偏見を持った人と、付き合う気がしない。付き合う気になれない。そいつらは、俺がまた無職になったら、当時と同じような偏見を持つわけだから、付き合う気がしない。

だいたい、愚かな心理臨床家も言っているでしょ……「あるがままを認めるということはたいせつだ」と。

たとえば、あなたが無職だとして、無職であるあなたとは付き合えないという判断をした人は、あなたの「あるがまま」を認めなかった人だ。あなたが、無職ではない状態になったから、付き合いをはじめたとしても、それは、ほんとうのつきあいじゃない。

「有職」という言い方がほんとうにあるのかどうか知らないけど、「有職」だからあなたを認めて付き合うという思考の持ち主は、あなたが無職になれば、また、あなたを無職してしてあつかう。

要するに、あなたのことを、付き合う必要がない人間だと見なすことになる。そんな人間と付き合って楽しいかね?

たとえば、あなたが日本人だとする。そして、日本人に偏見を持っている人たちがいるとする。そして、その日本人に偏見を持っている人たちが主流派だとする。なので、日本人に偏見を持っている人たちが集まっているグループがそこらへんにあるとする。そのグループのなかにあなたがはいっていくとする。

そうすると、その人たちは、あなたが日本人であるということをせめる。「日本人は悪いやつだ」「日本人は全員犯罪者みたいなものだ」「日本人である以上付き合う気がしない」「日本人である以上、あなたのことは人間として認めない」「一人前の人間として認めない」ということを言ったとする。

そして、あなたは、努力して、日本人であることを捨て、他の国籍を取ったとする。他の国籍を取ったあなたは、その人たちに認められ、人間あつかいされる。けど、あなたは楽しいか? そんなやつらと一緒にいて楽しいか?

   *   *   *

それから、たとえば、そういう状況下で、日本人である人が日本人であることを認めたとしても、そんなにいいことにならない。「あるがまま」を認めたってしかたがない。働けない人が「働けない」ということを認めたってしかたがない。それでなにになる?

あるがままを認めるということが、自分が普通の人間であり、普通の人間がするようなことをすればよいのだということを、認めるということなのであれば、多少の効果はあるだろう。

しかし、それは、「普通の人間がするようなことをできるならば」という条件付きだ。普通の人間ができることができないのであれば、「普通の人間がするようなことをすればよいのだ」と思っても、まったく意味がない。できないのだから、意味がない。

また、「自分は普通の人間がすることができない」ということを認めても意味がない。自分が普通の人間がすることができない人間だとする。それが「あるがまま」の姿だとする。そして、普通の人間がすることができない「あるがまま」の自分を認めれば、問題が解決するかというと、解決しない。

問題というのは、「普通の人間がすることができない」ということから派生する問題だ。「普通の人間がすることができない」のであれば、ある種の「生きがたさ」が発生するだろう。それがその人にとって問題であるのならば、その人が「あるがまま」を認めても、「生きがたさ(生きがたいという意識)」が続くことになる。

あるがままを認めることで問題は解決しない。

単に「普通の人間がすること」と言ったけど、「普通の人間が普通にすること」のほうがより正確だ。

   *   *   *

あるがままを認めるということが、「まるまるという感情をもった」ということを認めることである場合はそれでいい。しかし「まるまるという感情をもった」にもかかわらず、そこに居続ける(そこで日常的な行動をする)ということは、やはり、つらいことなのではないかと思う。

たとえば、日本人に偏見がある人たちによって構成されるグループに日本人である「自分」が入ったとしよう。

その場合、グループの構成員は、「日本人はバカだ」「日本人はひどいことをした」「日本人はひどいやつらだ」とかなんとか、常に悪口をいってくる。

あるいは、「日本人はバカだ」という先入観に基づいて、あなたのなんでもない行為をバカにしたとする。バカにされれば、傷つき、頭にくる。その場合、たしかにあなたは、「不愉快だという感情」を持ったのだとする。

その時、「不愉快な感情を持った」ということを認めながらも、なおかつ、その組織に居続けること(普通に暮らすこと)は、よいことだろうか? 悪いことだろうか?

そりゃ、毎日、日本人だということでバカにされ続ければ、反感を感じ続けるだろう。バカにされて怒ったという感情はそのままにして、そこで、日常のさまざまな業務を行えば、それでよいのだろうか? 生きがたさが減少するだろうか?

あるいは、バカにされることに慣れて、つまり、バカにされるということに対して鈍感になり、バカにされる自分というのを自我の一部として受け入れれば、楽になるだろうか? それとも、生きがたさは続くのだろうか?

   *   *   *

それから、睡眠不足による疲労などが、行きたくない気持ちとマッチしている場合について考えてみよう。この場合、行きたくないという気持ちを持ったということを認めたとしても、睡眠不足による疲労で起きれない?わけで、行きたくない気持ちを認めながらも、行くということは、できない。まず、眠らなければならないからな。身体症状と気持ちをわけておかないといけないのだけど、身体症状と気持ちがわけられないときがある。

「認める」ということにそんなに意味がない場合がある。「認め」ながらも、動くなんてことができないから、困っているという場合がある。「認め」ながらも動けるというのであれば、ストレスはある状態だけど動けるのだろう。

しかし、それを毎日一〇年も二〇年もやってきて、それで、燃え尽きてしまった場合は、「認める」ということで回復に向かうかというと、そうではないと思う。どちらかといえば「認めたってしかたがない」という状態が成り立つと思う。

「認め」ながらも、動けるのであれば、たしかに、ある程度「慣れる」場合もあるだろう。動けるのであれば。だいたい、動けるというのは、単に動けるということではなくて、適切な行動をすることができるということなのである。でたらめに動けばいいということではない。ちゃんと、スキーマがあって、スキーマに順応した行動が求められる。

常に「適切な行動」が求められるのである。

だから、「認めながらも」動けるという場合は、それほど問題ではない場合なのではないだろうか。

つまり、「認めながらも」動ける状態というのは、特に「認めることがないまま」動ける状態なのではないだろうか。認めるというのは、そういう感情を持ったということを認めるということであり、そのままにしておくということだ。

この「そのままにして」行動をするということが、ある種の「生きがたさ」を生み出しているのであれば、「そのままにして」行動することで「生きがたさ」は解消されない。むしろ、つもっていく場合がある。慣れる場合とつもっていく場合がある。どっちにしろ、学習する。

はっきり言ってしまえば、「認めたまま」……それはそのままにして……動くということができないから困っているのではないか?と思う。できない人は、「認めたまま」動くということができないから困っているのではないか。あるいは、できない人は、特に認めないまま、動くということができないから困っているのではないか。

ようするに、「すてておくことができない」から困っているのではないかと思う。「すてておくことができない」人に対して「そんなのは、すてておけばいい」と言っているだけということになる。ここでも、しっぽをかむ蛇のようにまわってしまう。円環。


2018年4月9日月曜日

無意味化できるわけがないのに

いろいろな意味で限界に達している。
からだがだるくてだるくしてしかたがない。

   *   *   *

これは相当やばい。飯を食うのがめんどうだ。

なんとか食った。

あー。しかし、めんどうだ。これはやばい。

精神的にやばい。
眠れないというのがやばい。

   *   *   *

なるべく早くヘビメタ騒音が鳴りやむことが必要だったんだよ。三年以内に。最長でも三年以内に。できれば、一週間以内に。一週間以上やられたら、こころに残る。一ヶ月以上やられたら、人生に残る。人生の問題として残る。そういうレベルの問題だ。

鳴りやむというのは、気違い兄貴が一分も鳴らさない状態か、あるいは、気違い兄貴がずっとヘッドホンをして鳴らす状態のどっちかだ。気違い兄貴が「静かにしてやったつもり」でエレキギターを弾き続けて、ステレオを鳴らし続けると言うことではない。

けど、「うち」では、それが絶対通らなかった。■家■うち■では、「静かにする」というのが、気違い兄貴が、けたたましい音で鳴らすことなのだ。一八〇度意味がちがう。


気違い兄貴よ! 俺がどれだけだるい状態で生きていると思っているんだよ。俺がどれだけ、気違いヘビメタを巡って、友達とケンカをしたと思っているんだよ。気違い親父の「それ」とおなじなんだよ。ほんとうに、全部やられた。ありとあらゆることで、やられた。ありとあらゆることで、「どーしょもない」状態がしょうじる。うちでやられたら、そとで、「どーーしょもない」状態がしょうじる。不可避的にしょうじる。

経験してない、理論的な人? あるいは、経験してない常識的な人はそれがわかってない。そういう世界のことがわかってない。

だから、やられても、どうにかなる……みたいなことを言う。それは、俺に対する「せめ」だ。まあ、「せめている」ということもわからないのだろうけど。理論的にそうなるんだよ。そういうつもりがなくても、理論的にそうなる。現実社会において、俺がヘビメタ騒音のことをかくそうそうとしなければ、途端にそうなる。それは、(俺が)労働者としてはめ込まれなければならないからそうなる。

出来事を無意味化しようとする人たちがいるけど、それは、その人たちが実際にやられてないから、そういうふうに認知しているだけだ。実際にやられてないから、涼しい顔をして「正論」ぽいことを言える。「影響を受ける必要がない」というようなことを言える。「俺なら、どれだけやられたってそんなことにはなってない」……。そういう自信がうかがえる。けど、それは、実際に経験してないからそういう自信を持っているだけだ。だいぶ、飛ばして言うと! 一般論として、敵対関係になる。

実際にやられたら、無意味化できるわけがないのに……やられてないからきれい事が言える。

夜は気違いヘビメタの夜とおなじだ

多少元気になったぞ。しかし、どうしたものだ。ヘビメタ騒音の毒がからだにまわってくるしい。気分が鬱だ。憂鬱だ。やっと、動けるようになったという感じだからな。

ヘビメタ騒音のことは一般的な人にはまるで、わからないみたいだしなぁ。あれだけ長い時間、あれだけ長い期間やられて、くるしくないわけがないだろ。タイ旅行に行けないことではなくて、タイ旅行に行ったとしても、ヘビメタ騒音でくるしくてくるしくてたまらないというのが問題なんだ。ヘビメタ騒音障害を抱えて、旅をするということが問題なんだ。なんてたって、朝は、気違いヘビメタの朝とおなじだし、昼は、気違いヘビメタの昼とおなじだし、夜は気違いヘビメタの夜とおなじだし、深夜は気違いヘビメタの深夜とおなじだからだ。そして、早朝もそうだ。特に早朝は、『亡徴』を感じる。自分を一つの国にたとえると、ほんとうにぼろぼろなんだよな。内側も外側もボロボロ。身体も、他者との関係もボロボロ。

ともかく、楽しくないというのが一番の問題だ。そして、それは、まるで理解されない。あれはない。あれはない。あれはないぞ、気違い兄貴。他の人だっておなじことをおなじ期間の長さ、やられれば、おなじ状態になるのに、まるで俺が弱いみたいに言われる。まるで俺が元気になろうとする努力がたりないからだめなんだみたいに言われる。だれだってほんとうはたえられないのに。気違い兄貴のヘビメタでどれだけ弱ったか。そりゃ、ああいう態度でああいうことをされれば、俺みたいな状態になる。これ、他人にはわからないことなんだよな。『連続』というのがわからない。連続!!

気違い兄貴、おまえ、ほんとうに、親父の認識、親父の態度で、こだわってこだわって、無視して無視して、気違いヘビメタを鳴らしやがって。どういう毎日だと思っているんだよ。ハンディ、デカすぎて、もうむりだよ。


注 『亡徴』~~韓非子15篇

基本的には、「下の欲」のほうが強い


楽しんでください……没頭してください……

わからないじゃない。けど、無理矢理思うことができるか?という話なんだよ。ぼくが、言いたいのは……。無理矢理でも思えるという一派がある。で、その人たちの言い分もわからないではない。けど、やはり、場合分けをする必要がある。究極の状態なのか、普通の状態なのかで、ちがってくる。基本的には、「下の欲」のほうが強い。「下の欲」を「上の意志」で書き換えることはできない。これが、基本だ。なんてたって、「下の欲」のほうが強いわけだから。下の欲が、上の意志に影響を与えている。下の欲の一部が上の意志だということになる。下の欲の影響下にあるけど、下の欲から(一番)はなれたところに上の意志がある。

フロイトの字が構造論を利用して説明すると、下の欲は無意識、上の意志は、自我と超自我(特に超自我)ということになる。けど、ぼくが言っている「下の欲」は、フロイトの無意識と同一ではない。なので、下の欲は無意識に似ているけど、同一ではないということを言っておきたい。

また、下の欲は、実際に上の意志よりも、深いところにあると思うけど、そういう脳みその構造は関係がない。下の欲を生み出すところは、海馬・視床下部あたりで、上の意志を生み出すところは、大脳新皮質(とくに、前頭葉)であり、実際に、下の欲のほうが下にあり、上の意志のほうが上にあるのだけど、そういう脳みその構造は、無視する。この話とは関係がない。

2018年4月8日日曜日

人生は不公平。 人は不平等。

人生は不公平。

人は不平等。

悪のサイクルは続くが、善のサイクルは続かない。



悪いやつが多いからな。人間の頭というのは、基本的に自分勝手にできている。だから、自分の意地を通す悪いやつが多い。自分勝手さを制御できるやつのほうが少ない。だから、悪いやつのほうが多い。


プラスマイナスゼロなんてことはない。
だれの人生もプラスマイナスゼロなんてことはない。
生まれたときから差がある。その差は、たいていの場合、縮まらない。どうしてかというと、自然の原理として悪のサイクルがはじまるからだ。

だからこそ、社会制度で調整しなければならない。けど、社会制度による調整は、悪のサイクルが発生する力にくらべて、弱い。制度による救済のほうがか弱い。嵐の中で、うちわをあおいでるようなものだよ。自然の風の方向……嵐の風の向きとは、反対の向きに、必死になって、うちわをあおいでいるようなものだ。

2018年4月7日土曜日

信仰とこころ ネガティブな言葉を使わないともっとネガティブなことが起こる場合がある

概要だけ書いておく。たぶん、反対意見を持つ人が多いと思う。
どんなにつらい状況でも、つらいと言わないようにするというのは、普通の人にはいいことかもしれないけど、燃え尽きてしまった人には、むいてない。つらいと言わないでがんばるというのは、いいことだとは思う。

けど、そういうことを一〇年間二〇年間毎日やってきた人が、燃え尽きてしまった場合は、その助言はあまりに意味がないと思う。意味がないどころか、逆にその人を追い詰めるものになってしまう。


それから、おどしがはいっている。しかも、言っている人は、おどしだとは思ってないわけで、実際にそうなると確信しているわけだよ。

たとえば「どれだけつらい思いをしていても、つらいと言うとますますつらいことが起こるから、つらいとは言わないで、楽しい楽しいと言わなければならない」というようなことが言われる。

つらいと言うことで、つらい出来事を、呼び込んでいると確信しているわけで、それは、だれのみにも起こることなのである。

ようするに、普遍的にだれもがそうだと言っているのである。

だから、そういう考えにとらわれた場合つらいとは言えないということになる。また、おなじ理由で、どれだけつかれていてもつかれたとは言えないということになる。

認知療法系の心理学では、「べきの暴君にはやられないようにしよう」という考え方がある。「べきの暴君」にやられている状態というのは、「こうするべきだ」「こうするべきではない」ということに強くこだわっている状態だ。

精神分析は「べきの暴君」は強すぎる「超自我」に相当する。超自我が強すぎると、いろいろな問題を引き起こす。いずれにせよ「こうするべきだ」「こうするべきではない」という考えにこだわりすぎている状態は、あまりいい状態とは言えない。

強く考えて、こだわりすぎるのは良くないということだ。
「つらいと言うからもっとつらい目に遭う、つらいと言うからもっとつらいことが起こる」というのは、一種の信仰であって、実際には一〇〇%そうなるものではない。

一〇〇%かならずそうなるというのは、宗教的な信仰心のあらわれなのである。「つらい」と声を上げることで、事態が改善することもある。「つかれた」と言ったあと、よく眠れば、つかれがとれて元気になることがある。

他人に「つかれた」と言うことで、その他人が、休憩を提案することもあるだろう。「つかれた」と言わずに、ずっと、不眠不休で働き続けたら、ある日、過労死てしまうかもしれないのだ。「つかれた」と言うことは、赤信号をともすことになる。SOSを出すことになる。

だから、「つかれた」と言うこと自体が「もっとつかれた状態」をかならず引き寄せる(かならず現実化する)とは言えない。

「あーつかれた」と言って、眠ることが「あーつかれた」と言わずに動き続けること(起きて動き続けること)よりも、つかれを減少させることがある。「あーつかれた」というネガティブな言葉を発したら、そのぶんだけ、※かならず※、もっとつかれると考えるのは間違っている。「あーつかれた」というネガティブな言葉を発したら、かならず、もっとつかれる状態が未来において発生すると考えるのは、間違っている。

そういうことになる場合もあるけど、そういうことにならない場合もある。ネガティブな言葉を発することによって、事態が改善する場合だってある。

ずっと動き続けることがよいことだというのであれば、いったいいつ眠るのだ? どこかで、眠る時間がくるのではないか。

もっとも、その時に「つかれた」と言わないという考えにこだわる人は、「つかれた」という(ネガティブな言葉)を言わないようにしてもよい。

しかし、それは、その人がその人の範囲でそう考えてそうするということであって、みんながみんな絶対にネガティブな言葉を使ってはいけないということを意味しているわけではない。ようするに、その人がやるぶんにはいいけど、他の人にすすめるのはどうかと思う。

自分に適応されることと、他人に適応されることはちがうということを肝に銘じておいた方がよいのではないか。自分の範囲に適応して、他人のことはほうっておけばいい。

しかし、ネガティブな言葉を使うと、もっとネガディブなことが実現化されると信仰している人は、すべての範囲においてそれは正しいと考える。あるいは、すべての範囲においてそれは成り立つし、それが成り立つということは、正しいと信じている。

なので、不可避的に、他人の行為に対して言及することになる。すべての範囲において成り立つということは、だれか、他人の範囲においても成り立つということを意味しているので、ほうっておけないのだろう。

だいたい、ほんとうのことを言うと、ネガティブな言葉を使うと、もっとネガディブナことが実現化されると信仰している人ですら、本人は気がつかずにネガティブな言葉を使っている。本人が気がつかないだけだ。あとは、ほんとうに「ざまあみろ」という気持ちがないと否定できるだろうか。

ネガティブな言葉を使うと、もっとネガディブナことが実現化されると信仰している人は、実際の他人が、実際の出来事で苦しんでいる場面を見たとき、「ネガティブなことを言うからそうなったんだ。ざまあみろ」と思うことがないのだろうか。

ネガティブな言葉を使うと、もっとネガディブナことが実現化されると信仰している一部の人は、そういうところがあると思う。ネガティブなことを言った他人が気にくわないのである。ネガティブなことを言った他人は、ネガティブなことを言ったのだから滅べばいいと(無意識的に)思っているのである。

そりゃ、そうでなければ、自分が言ったことが正しくなかったということになってしまうからな。「すべての場合においてそうだ。そうならないことはない」と信じているわけだから……。信じているわけだから、そうではないことが起こると困る。

だから、ネガティブな言葉を使うと、もっとネガディブナことが実現化されると信仰している人は、ネガティブなことを言った他人の身の上にもっとネガティブなことが起こることを『期待』している。そうでなければならないのである。だから、ネガティブなことを言った他人が、もっと困った状態になれば「ざまあみろ」と思うのである。

けど、そういうことがスピリチュアリズムに反することか、あるいは、スピリチュアリズムにのっとったことかということを考えると、そういうことは、スピリチュアリズムに反することだと思う。

なので、スピリチュアリズムに賛成?している人は、「ネガティブな言葉を使うと、もっとネガディブナことが実現化されると信仰している」ということに関しては、自分の範囲に限定しておくのがいいと思う。だれにも成り立つ、絶対普遍の原理ではないということを肝に銘じておいた方がよいのではないかと思うのである。

結論としてはそうなんだけど、ネガティブな言葉を使うと、もっとネガディブナことが実現化されると信仰しているは、これは、絶対普遍の原理だ、どんなときも、だれにでもあてはまると断言したい気持ちがあると思う。

だから、その気持ちとのたたかいになるのではないかと思う。

もともとは、そういう人だって、他人のしあわせを願っているわけだろ。他人のしあわせのための『手段』あるいは『選択されるべき方法』の一つが、『ネガティブな言葉を使わないこと』であるわけだろ。

だから、ネガティブな言葉を使うかどうか……他人がネガティブな言葉を使うかどうかにかかわらず、他人のよい状態を望んだ方がよいのではないかと思う。

ネガティブな言葉を使うと、もっとネガディブなことが実現化されるというような言葉を言うときは、例外があるということを先に認めておいた方がよいのではないかなと思う。それから、自分はそう思ってネガティブな言葉を使わないようにしているということだけを言えばいいと思う。ネガティブな言葉を使うと、もっとネガディブなことが実現化される……ということは、普遍原理ではなくて、例外がある……こういうことを、先に言った方がいいと思う。

ネガティブな言葉を使うと、もっとネガディブなことが実現化されるということは、だれにでも成り立つことではなくて、自分に成り立つことなので、自分は、ネガティブな言葉を使わないようにしているというよな話しを事前にしておいた方がよいのではないかと思う。

もっとも、ネガティブな言葉を使うと、もっとネガディブナことが実現化されると考えている人であって、なおかつ、それが普遍的な原理だと考えている人もいる。普遍的な原理だと考えている以上、かならず、他人を責めるところが出てきてしまう。それは、理論的に必然的に発生する。それ自体が、ネガティブなことなのではないかと思うわけ。

だから、普遍原理なのではなくて、自分の範囲において自分がそう考えているからそうするということを事前に明確にしておいた方がいいなぁ。

2018年4月5日木曜日

現状維持で、精一杯だ。

俺、もう、だめだわ。

現状維持で、精一杯だ。



ヘビメタ騒音が鳴り始めてから、ずっとくるしい。

全部、からだが火事だった。背中が焼け焦げていた。カチカチ山。精神がカチカチ山。からだがカチカチ山。あせってあせって、あせって、寝てないからだで走りまくって、倒れた。で、倒れたところでもヘビメタが鳴っていた。だから、倒れた原因をつくったものが倒れたあとも鳴っていたわけで……。横になりながら、気違いの音を聞かされて、いいわけがない。横になりながら、俺がどんなことを考えていたかわかるか? どんなことを感じていたかわかるか? 明るくポジティブなんかにできるわけがないだろ。毒を流され続けてやられ続けて、いいわけがないだろ。全部くるしかった。倒れて、横になっているあいだ、毒ガスを吸われさてくるしかった。あの中で感じたことは、ない。あれは、ない。毒音波のなかでからだが動かなかった。やすんでたわけじゃない。くるしくて立てなかっただけだ。他の人は、あの時間、僕がさぼってやすんでいると思っている。どんだけのちがいか。

2018年4月4日水曜日

兄貴がゆずってやったつもりの時間、兄貴はゆずってない

つかれた。いま、ヤフオクで買った初代ファミコン本体がくるのをまっている。



風呂に入ったあと、洗濯をした。

すでに干した。



そういえば、今日の午前四時ぐらいに、蚊を殺してしまった。僕は、蚊を殺したくないんだよね。俺に迷惑をかけてない蚊は、殺したくない。今日殺してしまった蚊は、俺をまだ刺していなかった。刺すかもしれないといううたがいはあったけど、刺したわけではなかった。

蚊を殺すほうが、一〇〇倍かわいそうだよ。○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○。○○○○○○、俺の人生をうばった。気違いヘビメタがいまだに、どれだけのハンディか。どれだけのハンディとして存在するか。俺の体の中にどれだけのハンディとして存在するか。気違い兄貴の態度は、気違い的に一貫している。

『どれだけやったって関係がない』という態度だ。
俺が夏休みの最初の日から「宿題をするからやめてくれ」と言っているのに、一日中……ほんとうに一日中……ヘビメタを鳴らしやがって。午前九時一五分から、午後一一時一一分まで、ずっと鳴らしている。あいだに合計三〇分間の休憩があるけど、その休憩以外の時間は、全部、ヘビメタを鳴らして、エレキギターを弾いている。

このエレキギターは、アンプ付きスピーカーにつながっていて、強烈にデカイ音を出していた。六畳間に三つもでっかいスピーカーを入れて、ガンガン鳴らせれば、そりゃ、うるさくなるだろ。これがわかってないんだよな。テレビぐらいの音だと本気で思っている。

気違い親父とおなじで、自分がやりたくなければ、あるいは、自分がやりたければ、現実をねじ曲げてしまうのである。現実をねじ曲げて、認知・認識してしまうのである。それはほんとうは、悪意があることなんだけど、悪意がないことになっているのである。

だから、悪意がなければできないことを、気違い的な意地でやりきって、『なにもしたつもりがないという状態』がしょうじる。

意識的には常に、なにもしたつもりがないのである。じゃあ、やめてくれるかというと、実際に無意識的にやりたいことは、絶対の意地で通す。相手が「やめてくれ」と横で絶叫してたって、無視してやりきる。常にそうする。

だから、常にやっているのに、常にやってないつもりでいるという気違い的な心理状態が成り立つ。やり口がおなじなんだよ。ちなみに、今日は、四月四日で、春休み期間中だから、気違い兄貴は夏休みとおなじように、だいたい、午前九時から、午後一一時一一分頃まで鳴らしていたということになる。

一日だって、そうしないことがない。

それなのに、俺の勉強の邪魔をしたつもりがまったくしょうじない。それは、俺が「勉強の邪魔だから、ヘビメタを鳴らさないでくれ」と言わなかったからではない。そうじゃないんだよ。そんなの、もう、何万回も絶叫して言った。気違い兄貴が鳴らしているときに、気違い兄貴に直接、絶叫して言った。

自分が鳴らしているときに!言われたら!ヒトコトも口を利かずに、親父のような形相で鳴らすか、あるいは、「がたがた言ってくるな」というようなことを言って頑固に、親父のような形相で鳴らすかのどちらかだ。どっちもおなじなのである。

どっちも、怒って真っ赤な顔をして鳴らしやがる。

そうやって、怒っているのに『言われた気持ちがないまま』なのである。自分がまったくゆずらずに、自分がやりたいかたちで、すべての時間、鳴らすことができたなら!!……まったく言われた気持ちもないし、まったくやったつもりもないということになってしまう。

こういう気違い的な心理状態なんだよ。

だから、どこまでも、気にしない。一日に何十回言われようが、……「やめろ!!!」「やめろ!!!」と横で絶叫されようが、その時、怒ってはねのけることができれば、〇・一秒で、忘れちゃうんだよ。そして、相手がいやがったこと、相手が反対したこと、を、相手の反対を押し切ってやったということも、忘れてしまう。

一日に一三時間二六分やろうが、そんなの、一分もやってないという気持ちになってしまうのである。これが親父とおなじ。押し通せれば!!の話しなんだよ。常に毎日押し通していたけど……。この『常に毎日押し通している』ということが、ほんとうにわかってないんだよ。見ず知らずの人なわけ。まったく関係がない人のつもりでいるわけ。

張本人なのに……意地を張って意地を張って本人がやったことなのに、まるで関係がない人のつもりなんだよ。だから、『知らなかった』とかそういう「すっとぼけたこと」を平気で言う。

気違い兄貴は、気違い親父にこういうやり口で、いろいろなことを押しつけられて、いやな思いをしていたんだよ。けど、自分が、親父のやり口で、弟にヘビメタ騒音を押しつけているということは、親父とおなじように一切合切認めない。認めなければ、どれだけやったって、やってないことになってしまうのである。

本人は気にしないよ。やれるなら!!

一〇〇%自分の意地を通して、やれるなら、一〇〇%やってないことにして、一切合切、気にしない。ほんとうはやったことを知っているけど、一切合切気にしないようにするというのではなくて、ほんとうにやったことを知らずに?意識せずに、一切合切期、気にしないのである。

一切合切気にしないし「本人のなか」でやったことになってない。

一度は認識して、やったことは知っているけど、意識して嘘をつくというのではないんだよな。まったく嘘をついてないつもりなんだよ。

やったのに!!

あれだけ意地になってやったのに、意地になってやったということを指摘されれば、「意地になって、やった」ということを、意地になって否定する。おなじ。内容がかわっているだけ。

その時「はねのける」あるいは「はねのけたい」内容がかわっているだけで、はねのけるしくみはかわらない。

それから、当然、「はねのけた」と思わないところもかわらない。だから、どれだけ言っても、際限なく続く。そうやって、気違い親父のやり方で「押し通している」ということを、知らない。本人がまったく認識しない。

これも、「そんなんじゃない」「そんなんじゃない」と本人が、怒って言えば、それで、本人のなかでは「すんでしまったこと」になる。それから、「そんなんじゃない」と絶叫して否定したことを、「すぐにやりはじめても」まったく気にしないんだよ。

おなじだから!!
しくみがおなじなんだよ!!

だから、現在進行形でやっていることなのに、現在進行形で「やっている」ということを否定している状態が成り立つ。いつもそうなんだよ。そういうやり方で!!そういうやり口で、絶対に自分がやりたいことを通す。途中でやめてやるなんてことは絶対にないんだよ。

途中で『自分がそうだった』ということを『認めてやる』なんてことは、絶対にないんだよ。いつもそういう、気違い認知で押し切って、気違い的な意地でやりきる。そして、気違い的な認知でやったということを気違い的な意地で否定する。

これが、「セット」だから……。毎日毎日こういう構造が成り立って、やったことだから、本人は、『特に気にしてない状態』というのがずっと成り立つ。ずっとやられっぱなしになる。


これは、他の人にはわからない。しあわせな家で過ごした人にはわからない。気違い兄貴よ! 親父の行為はたしかに腹が立ったけど、親父がいなくなれば……視界から消えれば……効果は半減した。

けど、気違い兄貴のは、気違い兄貴が視界から消えても!! ガンガンガンガン鳴らして、存在を誇示するので、効果が半減しなかったよ。

気違い兄貴が鳴らしている時間というのは、気違い兄貴がわかるようにいうと、親父ともめている時間とおなじなんだよ。気違い兄貴と親父がもめていたときの気違い兄貴側の!気分は、気違い兄貴がヘビメタを鳴らしているときの俺の気分とおなじなんだよ。

気違い親父が家にいる時間は短かった。

これは、寝ている時間を含まない。気違い兄貴は、家にいる時間が長くて、その時間ずっと気違いヘビメタを鳴らしていた。どれだけ無視しようとしても、壁の向こうで鳴らしているから無視できない。視界に入ってないけど、気違いの音がガンガンひびいてくるから、無視できない。おまえ、気違い兄貴、どれだけつらいと思っているんだよ。どれだけ腹が立つと思っているんだよ。

親父の態度で気違い的な騒音を出す人間が横の部屋にいるということが、どれだけのことかわかるか?

気違い兄貴がこっちの言うことを聞いて、一秒でもヘッドホンしてをくれるということはないんだよ!! かならず、スピーカーで鳴らすことにこだわって、スピーカーで鳴らす。かならず、デカイ音で鳴らすことにこだわってデカイ音で鳴らす。このデカイ音は、よそじゃ絶対に鳴らせないようなデカイ音なんだよ。

気違い兄貴は、親父の魔術にかかっているから、それがわからない。

「うち」から出たら、普通に静かにしてやがる。よその人に対する気遣いの、一無限大の一の気遣いもないんだよ。「うち」の人になら、どれだけ鳴らして、傷つけたっていいんだよ。

最初から、そう決めていた。

だから、「うちの人」がどれだけなにを言っても、最初から無視して、親父のように!!絶対に聞かない。一万分の一でもゆずってやったら、ものすごいことだ。親父とおなじだからそういう感覚が成り立っている。

家にいるあいだはずっとそうだ。

ゆずると言ったって気違い兄貴がガンガン鳴らしたまま、気違い兄貴がゆずったつもりになっているだけで、よそじゃ気違い兄貴にしたって一分だって鳴らせないようなデカイ音で鳴らしているんだよ。まったくわかってない。

「自分がゆずってやったら、静かにしてやった」と思っているのだろうけど気違い兄貴がゆずった時間、気違い兄貴は、「よそ」じゃ一分だって鳴らせないようなデカイ音で鳴らしていた。兄貴がゆずってやったつもりの時間、兄貴はゆずってない。兄貴がゆずってやったつもりの時間、兄貴は静かにしてない!!

これが、親父のようにわかってないんだよな。完全に親父の頭とおなじ頭ができあがっている。完全におなじ。感覚がおなじ。認知がおなじ。認識がおなじ。態度がおなじ。それにかかわる記憶がおなじ。「やったってやってない」が常に成り立っている状態で、ガンガン鳴らしてた!!

   *   *   *

「やめろ」と言われて怒ったということは、僕の言葉の意味を、兄貴がたしかに認識したということを明示している。

2018年4月3日火曜日

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なんだかんだ言って俺がつまらない~~ 俺がつまらない~~

なんだかんだ言って俺がつまらない~~

俺がつまらない~~



あの、ヘビメタがはじまった小学六年生の秋から、ずっと僕はくるしい。どうしても、くるしい。どうしても、くるしい。ヘビメタで一日が「くれる」のがたいへんだった。一日が終わるまでに、死にたいほど消耗してしまう。あれはいいようがない。ちょっと不愉快とか、ちょっとくるしいというのではなくて、全面的に不愉快で、死にたいぐらいにくるしい。あの連続はない。あの時間の連続はない。ともかく、生きてられないほどくるしかった。死にたいほど不安だった。どうしても、夜、眠れなかった。どうしても、毎日寝不足でくるしかった。帰れば、ヘビメタが鳴っているのでくるしかった。どれだけ言っても、気違い親父の態度で気違い兄貴が、俺の言い分を退けるので、頭にきた。殺したいほど頭にきてた。自分の部屋に帰って我慢している時間がつらかった。その場で殺さなければ、絶対の意地で鳴らすわけで、やめさせることができない。騒音を突きつけられた。死にたくなるような騒音を毎日ずっと突きつけらよ。くるしかった。


2018年4月2日月曜日

色眼鏡をかけなければわかるはずだった

しばらく、横になるかな。

あとで起きて、通販の箱を開けよう。



ほんとう、楽しいことをちょっとは考えないとだめだな。

ある程度金がかかるのはしかたがないか。

老後の金なんか貯めてもしかたがないよな。



妄想というか空想しないとな。



秋葉原に行きたい感じもするけど、いま行ったら、暗い気持ちで秋葉原をさまよいあることになる。で、じゃあ、明るい気持ちで秋葉原を歩いたことなんてあるのかよ? という話になる。明るい気持ちで秋葉原を歩いたことはない。ヘビメタ騒音にやられたあと、秋葉原には行ったから、『当時から』秋葉原を歩いているときは、ヘビメタ騒音のことで暗い気持ちだ。



思いでの暗い場所……。



そんなのなつかしんだってしかたがないだろ。けど、行けば、『その回』が未来の『思いでの暗い場所』になるんだよ。わかる? 気違いヘビメタ騒音で暗くなってからずっとそういう感じだよ。どこに行っても、だれといても、気違いヘビメタの不安でどうにもならない。



ヘビメタ騒音でどうしょうもなく、暗い気持ちで不安なんだよ。そして、常に疲労感がある。この疲労感は強烈な疲労感で、こころがあがらない。くるしい。

だから、かりにものすごい美少女と秋葉原に行ったにしろ、暗い顔をして歩くことになる。その美少女がぼくのことを好きだとしてだ……。別にそういうお仕事の人と歩くわけではない。自分に好感を持っている人と、どこに行っても、ヘビメタ騒音でつらい気持ちだって、わかる?

そういう気持ちがわかる?

で、これで、明るい雰囲気を出そうと思っても、だめなんだよ。だから、よけいにつらくなる。その人にも悪いだろ。自分といっしょに『楽しい場所』に行った人が……くらい顔をして歩いているなんて……いやだろ。横の人って俺のことだけどさ。

だから、よけいに遠慮しなければならなくなる。



気違いヘビメタで、人間関係がめちゃくちゃなんだよ。友達も、全部、ヘビメタ騒音が直接の原因でわかれることになった。俺のことを気遣って、いろいろなところに連れて行ってくれた友達とも、わかれている。全部、ヘビメタ騒音が直接の理由でわかれている。ヘビメタ騒音でどうしても、つらい。こころが破けるような感じでつらい。どうにもならない……人生がどうにもならないような感じがして、つらい。



気違いヘビメタがまず鳴りやまなければどうにもならなかった。一週間で鳴りやまなければ、どうすることもできなかった。ヘビメタ騒音が鳴っているなかで、元気に暮らすというのはできないんだよ。俺はそれをこころみて、失敗している。……長すぎる。

どれだけの期間の長さヘビメタを鳴らしていたか。

未来へと続く一日……ずっとヘビメタを鳴らされてしまう。毎日毎日、それが続く。鳴らされている未来が、ずっと続いてしまった。どれだけつらいか……。これ、ほんとう、いい人でもヘビメタ騒音の影響を過小評価する人がいて……そういう人は、これまた、どれだけなにを言ってもわからないんだよな。



普通の気持ちなんてなく鳴るよ。気違い兄貴は、静かにしようと思えば静かにできた。静かにできないなんてことはないんだよ。当時ですら、ヘッドホンはふたつもっていた。そのふたつのうち、どちらかのヘッドホンをして、一日中鳴らせば良かった。で、いまは、普通にそうしている。

いまは、言ってみれば『よその家』に住んでいて、普通に横の人に気を遣って、静かにしている。

どうして、うちではそれができないのか? どうして、こだわり続けて、鳴らしたのか? スピーカーから、ヘビメタが好きな兄貴の友達でもびっくりしてしまうようなデカイ音で鳴らさなければならなかったのか?

こんなの、兄貴が普通に我慢すれば、それでおしまいなんだよ。ヘビメタ騒音病の特効薬は、それでしかなかった。これ、八年間九年間、毎日毎日やられたあとに、俺がSSRIやSNRIやNaSSAを飲んでも解決しない。

気違い兄貴が即座にやめれば、それでおしまいだった。

気違い兄貴は、当時学生だったわけで、あの騒音が、帰ってきてからずっと鳴っている状態で暮らすのは、くるしいと言うことが、わかるはずだった。

色眼鏡をかけなければわかるはずだった。

『騒音で勉強ができない』状態だって、色眼鏡をかけなければわかるはずだった。けど、自分が思ったとおりの音で思いっきりヘビメタを鳴らしたいという気持ちがあった。無意識の領域にあった。

だから、無意識のレベルで『自分が思ったとおりの音で思いっきりヘビメタを鳴らしてもいい』という色眼鏡をかけて、鳴らし続けた。意識のほうは、常に「そんなつもりじゃない」のである。ほんとうは、気違い兄貴だってよその家じゃ一分だって鳴らせないようなでかい音なのに、その色眼鏡をかけると、『小さな音』『普通の音』だと感じることができた。

だから、ずっと気にしないで鳴らした。デカイ音で鳴らしても、気にしないようにするために色眼鏡をかけているわけだから、色眼鏡をかけているあいだは、どれだけデカイ音で鳴らしたって、『こんなのはたいした音じゃない』と感じることができる。

どれだけ言われたって、『まったくなにも言われなかった』『ぜんぜん気がつかなかった』と感じることができる。そのまま、鳴らし切ることができる。何回言われたって、なにも感じないで、そのまま鳴らし切ることができる。だから、「やったってやってない」状態なのである。感覚としては……認知としては……認識としては……記憶としては。

相手の必死さがわからない 相手の必死さは無視する


相手が「必死になって言っている」というのが、人間として根本的にわからないんだよな。兄貴と親父はそういうところがある。相手にとってのたいせつさ、相手にとってのゆずれなさがわかってない。



相手にとっての深刻さがわかってない。自分の行為が相手にとってどれだけ深刻な影響を与えているかまったくわかってない。



まあ、意識的にはまったくわかってない。だから、記憶にはまったく残らないんだよな。どれだけ、言われたって、「言われなかった」という「気持ち」でいる。無意識的にはわかっているのかもしれないけど、それは、逆の効果しかない。



この無意識は、無意識にしても「わかる」以前の感覚だと思う。その時だけ、肌で「わかる」。相手が必死なら、こっちも必死になって、無視してがんばってやりきるということになってしまう。これも「無視しよう」と考えて無視しているわけではなくて、態度として「無視している」のである。



だから、意識的にも無意識的にも「無視してやろうと思って」無視したわけではないというのは、正しい。正しいのだけど、絶望的なんだよな。どうしてかというと、最初の話しにもどるけど、相手にとって重要さが、ほんとうにわからないから。相手が必死になって、逆上して、一〇回、二〇回、三〇回、と怒鳴れば怒鳴るほど、無視して、夢中になってやるから。



で、その時は、そういう状態で……からだ全体でそういう状になっているだけだから、思考が……意識的思考が入り込む余地が、絶望的にないんだよ。気違い側にしてみれば……やりきれれば、「なにもなかった」ことになってしまう。相手が「それじゃたまらないから」ということ



で、必死になって逆上して怒鳴って言ったということが、最初から認識されない。強く言えば強く言うほど、無視する度合いが強くなる。強く言えば強く言うほど、ひきつって頑固にやりきろうとする。絶対に、相手の言うことを聞いて、やめるということがない。



けど、やめないということではなくて、やめなかったという記憶がない状態だというのが特筆すべきことなんだよな。「やめてくれ」と言われれば言われるほど。やりきるほうに、突進してしまう。何度も言うけど、ひきつっている。無視してひきつっている。



本人だって、必死なのだ。



「絶対にやってやるものか」という意識で、めっかち(目が三角で目が血走っている状態)でやってしまう。ひきつっているんだよ。絶対に、相手の言うとおりにはしない。で、相手が目の前から消えれば、それで済んじゃうんだよな。

だから、相手が「やめろ」と何十回も自分の前で怒鳴ったということが、まったく認識されてないような状態になってしまう。というか、やっぱり、相手の必死さや、相手にとっての重要さが、根本的にわからないんだよな。で、親父は、金や親父の単発の行為でそうだったんだけど、兄貴は、ずっとヘビメタ騒音でそういう状態だった。



「本人だって必死なのだ」と書いたけど、やりきれれば、まったく気がつかなかったことになってしまうので、気がつかずにやったこととイコールになる。ようするに、「必死になってやったこと」とは認識されない。「やった」と言われると、それを否定することに必死になるので、それ以前にやった問題行為に関しては、どこまでも本人は「やってないつもりのまま」だ。こだわってないつもりなのままだ。「そんなことはない」という意識を持っている。自分がこだわってやったという気持ちがない。相手が必死になってやめさせようとしたということを、根本から否定する。いつもいつも、「必死さのわりには」……ただ単に気がつかずにやってしまったことなのだ。で、それは、「やる必要がない」と気になって、そうなる。やりたいうちは、問答無用で頑固に無視してやりきっている状態だから(やり続けている状態だから)……やったかどうかということ自体が問題にならない。本人の頭のなかでは、問題にならない。もう、その場でやる必要性がなくなったあとに、「そんなんじゃない」「気がつかなかった」と言い出す。ほんとうは、本人が相手の言い分を無視して、頑固にやったことなのに、「気がつかずにやってしまったこと」だというような認識ができあがる。これは、その場でやる必要性がなくなったあとにそうなるわけで、一五年間だろうが、「うちで」やる必要性がある場合は、「気がついているのにやったかどうか」というのは、端から問題にならない。

   *   *   *



ちょっとだけ、位相がずれたことを言うと、たとえば、「アニメ声で小さな声で言ったから、刺してしまった」ということも言えるのだけど、それは、(被害者のほうが)アニメ声で言ったという現実があり、(加害者のほうが)刺したという現実があるからだ。

これが、たとえば、被害者のほうが、絶叫してデカイ声で「やめろ」と言ったにもかかわらず、加害者のほうが刺したというような事件であった場合、「(被害者のほうが)絶叫して、デカイ声で言ったから、加害者のほうがカっときて、怒って(興奮して)刺してしまった」と言うこともできる。

現実がAであった場合、もし非・Aであるならば、被害者は助かったかもしれないというのは、どういう場合でも成り立つ。「かもしれない」話しだからね。で、その「かもしれない」話しに基づいて、被害者の責任を追及するのはよくないと思う。

「……であれば、被害者は被害を受けずに済んだかもしれない」というのは、こういう場合は成り立たないと思う。つまり「被害者が非・Aをすれば助かったのに、Aをしたので、助からなかった。だから、被害者には非・AをしてAをしなかったという責任がある」と言うのは間違っていると思う。





「めっかち」というのは、僕の造語。目が三角で、目が血走っていて、前のめりになっている状態。ひきつって、つんのめっている状態。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。