2019年6月30日日曜日

それにしても、いまも鳴ってた


もう、だめなんだろうな。感情が動かない。
どうしたもんだ?

感情が復活することがあるのだろうか?
ほんとうにヘビメタ騒音でめちゃくちゃになった。
あれはない。で、やはり、他の人はないことなので、ぼくがどれだけ言ってもつうじないのだろう。他の人にはぼくのヘビメタ騒音は見えない。見えないとなると、働ける人が甘いことを言って働かないように見えるのだ。
気違い兄貴よ。これがどういうことかわかるか?

それにしても、いまも鳴ってた。いまの時間も鳴ってたな。長すぎる。
時間も、期間も長すぎる。全部に、ヘビメタ騒音が染みついた。
これ、ほんとうに、他の人にはわからないんだな。
なにが『過去は関係がない』だ。ふざけるな!! ふざけるな!!

まあ、悪い意味で感情は動いているなぁ。
悪い意味で。

これ、ほんとう、どれだけのことか他の人にはわからないので、他の人からひどいことを言われる。他の人は別にひどいことをいっているつもりがない。これ、ほんとうに、気違いによるヘビメタ騒音の繰り返しだとこういうことになってしまうんだよな。やった気違いは悪く言われず、やられた人間が悪く言われる。やられた人間が、根性なしであるかのように言われる。やられた人間がコミュ障であるかのように言われる。やられた人間が『そんなのは関係がない』と説教、される。こんなのはない。


ヘビメタ騒音で睡眠回路がこわれてしまったことは『気にしなければいいこと』ではない

雨が降っているのであーール。

喉が痛いのであーール。



+++++++++

喉のイガイガは問題だ。あの作業をすると、どれだけ、ほこりが出ないように作業しようと思っても、むせる。喉が痛くなる。



++++++++++



楽しみがない。

なんかいろいろとやる気がない。

親の病院関係のことと、うちのなかのこと、内の外のことでいっぱいだ。睡眠障害が、どこまでもたたる。ほとんど寝てない状態で動いているときの感覚が、気違いヘビメタにたたられていた、ときの、感覚とおなじ。俺にとってトラウマ地帯である、小学校の近くにある病院に行かなければならない。まあ、入院費の振り込みとかいろいろとある。あそこらへんを自転車で走っていると、ヘビメタ騒音にやられていた小学生時代・中学生時代をどうしても思い出してしまう。とてつもなく、くるしい。小学校は、最寄りの駅とは反対方向にある。ならば、最寄りの駅方向に行くのは大丈夫なのかというとそうじゃない。最寄りの駅と電車は、ヘビメタ騒音にたたられていた頃の、くるしいくるしい高校生時代の記憶でいっぱいだ。あとは、アルバイトか。ヘビメタ騒音にたたられながらのアルバイトは、きつかったよ。死ぬほどきつかったよ。あのときもたたられていたんだけど、高校は卒業していた。で、その時点でヘビメタ騒音生活が七年間続いていた。で、その七年間で、ぼくの睡眠回路は完全にこわれた。それ以降、治ることがなく……睡眠回路が復活することがなく……ずっと生きている。これ、睡眠回路が根本のところでくずれたことがない人……多くの人がそうだと思うけど……そういう人たちには、想像することさえできない苦しい生活だ。苦しい世界だ。『重いよう』だとかそういうことじゃない。体が感じていることはどうしょうもない。それから、睡眠回路がこわれている状態で生活していると、いろいろなところで、トラブルが発生してしまうのである。気違い兄貴は、弟の睡眠回路を破壊してやろうと思って、ヘビメタを、鳴らしていたわけじゃない。けど、結果的には、弟の睡眠回路を壊している。破壊している。で、「つもりがないから」ゆるされるのかというとそうじゃない。どれだけ言われても、「つもりがないまま」やり続けた!というのは、悪意があって、意図的にやっている状態よりも、悪質な状態なのである。悪意をこえた悪意があるのである。ヘビメタ騒音そのものや、ヘビメタ騒音で睡眠回路がこわれてしまったことは『気にしなければいいこと』ではない。これも、実際にやられてないやつが、無茶なことを言う。無理難題を押しつけてくる。そいつは、ヘビメタ騒音がない。ヘビメタ騒音がない状態で暮らしている。だから、無茶なことだとは思ってない。『無理難題』だとは思ってない。『無理難題を押しつけている』つもりなんかはない。むしろ、あたりまえのことを要求しているだけだと思っていると思う。けど、『ヘビメタ騒音』という『要素』が付け加わると、まるで違った話になる。まったくもって次元が違う話になってしまうのである。これは、やられてない人には『体感的には』わからない。ヘビメタ騒音生活がどういうものだか、まるでわかってない。ヘビメタ騒音生活がどういうものだかまるでわかってない状態で、『常識的なこと』を言う。説教して要求してくる。けど、それが違うんだよ。それが違う。けど、ヘビメタ騒音生活を経験したことがない人には、違いがわからない。

2019年6月29日土曜日

人生の中で経験してきたことが違うんだよな。


人生の中で経験してきたことが違うんだよな。

そういうことだ。

ヘビメタ騒音生活を一四年間毎日経験してない人が言うことは、全部、無理なことなんだよ。ここらへんがわかってない。ヘビメタ騒音生活を一四年間毎日経験してない人は、ヘビメタ騒音にたたられたぼくの現実を、完全に、きれいに無視している。そりゃ、言葉としてたとえば、「ヘビメタ騒音がものすごい音で鳴っていた。それが一四年数ヶ月にわたって続いた」というとを理解したとしても、それは、言葉上の理解だ。経験じゃない。どういうからだになるか、わかってない。一四年間やられたあと、どういう体を引きずって生きているのかわかってない。

あとは、その人が持っている常識というのがある。これも、いかんともしがたい。障害者に偏見を持っていない人でも、無職には強烈な偏見持っている人が多い。これは、共同幻想だと言ってもいい。労働観……人生観……こういうのが、すべて、働けるように見えるけど実際に働けない人にとって、マイナスに働く。普通に誤解して、説教をしてくる。しかも、それが悪いことだとは思ってない。さらに、自分が誤解をしているとは思ってないわけで、バカ丸出しだ。バカはどっちだ。はずかしいのはおまえらだ。

これ、ほんとうに、気違い兄貴の例で言うと、ハンダゴテ事件とおなじなんだよな。他の人が、誤解に基づいて、的のはずれた説教をしてくる。「うち」の人が、他の人が理解できないほど、ヘンな人だと……あるいは、認知に問題がある人だと、他の人は普通に誤解する。そして、誤解をもとにした解釈をする。その解釈は、そのひとにとってはあたりまえなのだけど、事実とはことなる解釈だ。それから、他の人は、「うち」でやられたほうの人を『バカにする』つもりはないのだけど、結果的に、バカにするということになる。これも、バカにしたつもりはないのだけど、実際にはバカにしているというやっかいな現実で、いやになる。で、こっちは圧倒的な少数ではあるわけだら……めんどうなことが増える。

(働くというのは、外で働くということな。あとは、働くというのは通勤して働くということな。そこんとこ、よろしく)

2019年6月28日金曜日

『働かないと、飢え死にしてしまう社会』のほうがよいのか

基本的に、社会として『働かないと、飢え死にしてしまう社会』のほうがよいのか『働かなくても飢え死にはしない社会』のほうがよいのかという問題についてちょっとだけ言っておきたい。
ぼくは『働かなくても飢え死にはしない社会』のほうがいいと思う。『働かなくても飢え死にはしない社会』のほうがすぐれていると思う。『働かなくても飢え死にはしない社会』を目指すべきだと思う。

社会としてどっちがすぐれているかの問題だ。

『働かないと飢え死にしてしまうぞ』というおどしがなくなった『未来の社会』では、ぼくの考えのほうがむしろあたりまえのことになると思う。しかし、いまは『働かないと飢え死にしてしまうぞ』というおどしがある社会のほうがよいと考えている人たちもいるのだ。ぼくは違うけど。

で、悲しいのは、働かないと飢え死にしてしまう人たちが、『働かなくても飢え死にはしない社会』のほうがよいと考えていることだ。

働かないと飢え死にしてしまうぞ』という「おどし」はおどしなのか、おどしではないのかということを問題にするとおどしなのではないかと思う。

そのおどしにどれだけのリアリティーがあるかというと、相当のリアリティーがある。リアリティーがないことではなくて、リアリティーがあることなのである。

だから、多くの人が『働かないと飢え死にしてしまう』と妄想しているわけではないと思える。働かなくても飢え死にすることなんてないのに、働かないと飢え死にしてしまうという『根拠のない妄想』を持っているというわけではないのだ。……多くの人にとって。

第一義的には、働くのは、飢え死にするのをさけるためであり、世のため、人のために働くというのは、第一義的な理由ではない。あたかも、『世のため人のために』働くのが人間だと考えている人たちも盛るけど、基本的には『働かないと自分が飢えるから働く』のである。……多くの人は。

もちろん、働かなくても、飢え死にしないだけの資産がある人も、働く場合がある。そういう場合にこそ、『働かないと飢え死にしてしまう』というおどしから、離れたところに『働く理由がある』と思ったほうがいい。

ようするに、ほんとうは『飢え死にしたくないから働かなければならない』と思って働いている人のほうが多いのだけど、その側面は、わりと忘れられている。

社会を動かす原動力として『働かないと飢え死にする』というおどしがあるのではないかと思う。

そして、それは、根拠のないおどしではないのである。実行されているおどし、あるいは、将来において実行され得るおどしなのである。つまり、おどしのためのおどしではない。

働くことのメリットして、いろいろなことがあがる。『世のため人のため(に働いているという気分になれる)』という理由も、そういうメリットのうちのひとつだ。それは、『働かなくても飢え死にすることがない』ということが保証された社会において成り立つものだ。

ほんとうは、おどしに屈して働いているのに、『自分は世のため人のために働いている』と思いたいのである。そういう精神的な機制があると思う。ほんとうの恐怖に満ちた理由を隠して、そういうきれいな理由で、飾りたいという気持ちがあると思うなぁ。……多くの人には。

『働かなければ飢え死にしてしまう』から働いている人が、『自分は世のため人のために働いている』と考えている場合は、矛盾がある。

『(自分は)働かなければ飢え死にしてしまうので、自分のために』働いているのである。ほんとうの『衝動』と自分が理解している理由に乖離がある人がいる。

こういう人は、『働かない人』を過剰に攻撃することで自分の身を守ろうとする。ほんとうは、『世のため人のため』ではなくて、全部、自分のためなのである。そういう人たちにとって働くというのは、全部自分のためなのである。

けど、嘘で塗り固めないと、不安で不安でしかたがない。

だから、『世のため人のために働いている』と考えて、その一方で働かない人間を激しく攻撃する。こういう人たちは世のため人のために、自分のそういう行動をよくないものと認識して、なるべくそういう行動をしないようにするべきなのである。

問題なのはいま現在において『働かなくても飢え死にしない社会』を目指すべきなのか、あるいは『働かなければ飢え死にしてしまう社会』を維持することを目指すべきなのかということだ。

『働かなくても飢え死にしない社会』を目指すべきだ。




2019年6月27日木曜日

ほんとう、圧倒的少数、 わかるわけ、ないか。

ほんとう、圧倒的少数、
わかるわけ、ないか。

「たまたま」相手が言っていることが聞こえなかったとかそういうことじゃないのである


いま、お庭マスターを待っている状態だ。
あとは、通販をまっている。
通販は、ほんとうは昨日きたんだけど、俺がお金を払うために病院に行ってたので、受け取れなかった。失敗した。あっちは時間通りにきてくれたのに、俺が勘違いして、今日の午前中にくるものだと思って、病院に行ってしまったのだ。(俺を昔虐待したやつのために、病院に行って支払いをしなければならないわけだからな)
それに、お庭マターのことだって、親父が竹を植えなければ、呼ぶ必要がなかった。お母さんが、『竹を植えないで』とさんざん言ってたのに、聞かないで植えてしまったのだ。だいたい、塀の近くに、いっぱいいろいろな木を植えるのはよくない。そだったら、葉っぱや枝が隣の家に入るからだ。塀を越えて。
それがお母さんにはわかっていたから「塀のそばに木を植えないで」とさんざん言ってたのに、親父が無視をして植えてしまった。親父はエンジンがかかると、人の言うことは聞かない。一切合切聞かない。自分がやりたい気持ちになると、自動的にやってしまう。どれだけ『やめてくれ』『こういうことになるからやめてくれ』ということを言っても、聞かない。日本語がわかる人は、わかると思うけど、『こっち』が言っても『親父』が聞かないということだ。これ、日本人なのに「どれだけ『やめてくれ』『こういうことになるからやめてくれ』ということを言っても、聞かない」という文でわからない人がいるかな? 文脈から、だれが主体でだれが客体かわかるよね。ちなみに、こっちというのは、親父以外の家族のことを指している。これもわかるよね。
自分がやりたいようにしかやらない。お母さんが親父に『この木が邪魔だから切って』と言っても、親父は自分が切りたい木しか切らない。だから、いつも、邪魔な木が残っているということになる。親父は普通の人じゃないから、ほんとうにわからないのだ。絶対に普通の人だったら、「じゃまになる」ということがわかって、自発的に切っているところなのに、そういうとがない。切らなきゃならない枝は、のばしっぱなしで、別に切る必要がない枝をばんばん切るということになる。で、「きったきった」ということになる。だから、『ちゃんと切って』なんて言ったって、わからないよ。じゃあ、『この枝を切って』と言えば、切ってくれるのかというとそうじゃないんだよね。そういうところで、人の言うとおりに行動するのは、意地でもいやなのだ。言われた途端に、スイッチが入る。だから、気違い親父がやったことは、いつも、「とらぶるのもと」なのだ。ちなみに、気違い兄貴の、強情な態度も、親父とおなじだ。気違い兄貴が、ヘビメタを鳴らしたくなったら、絶対の意地で鳴らしてしまうのである。『こっち』が、どれだけ『うるさいからやめてくれ』と言っても、やってしまう。親父とおなじなんだよ。しかも、『やめてくれ』と言われると、スイッチが入ってしまう。気違い的な意地で顔を真っ赤にしてやってしまう。これも親父とおなじなんだ。やりきれば、本人はまったくやってないつもりになってしまうというのもまったくおなじだ。こういうところで、ほんとうに脳みそがおかしい。「じぶん」しかない。「あいてがいったこと」なんてない。あるとしたら「やぶるためにある」といった感じだ。相手が言うとおりには、絶対にしてやらないのである。そういうスイッチが入る。で、やりきるわけだけど、やりきったら、ほんとうに「やったつもりがない」という意識状態になってしまう。これは、ようするに『ほんとうにやらなかった場合』とおなじ意識状態になると言うことだ。やったってやってない」のである。一切合切関係がない人間になってしまう。この、自分が意地になってやりきってしまえば……真っ赤な顔をして相手がいやがることをやってしまえば……相手が反対することをやってしまえば……それで、一切合切関係がないひとになってしまう……一切合切関係がない状態になってしまう……そういう精神状態になってしまうというのは、親父も兄貴もおなじだ。根本的に、やりたいことは絶対の意地でやる。相手が、反対しても、相手が反対したということ自体を根本的に無視する。(無視するつもりはないのだけど、無意識的に無視してしまうのである)。だから、「やってないつもりでいる」という状態ができあがる。相手がいやがること、相手が反対したことを、全力でやりきっているのに……やりきったのに……ぜーーぜん、関係がないひとになってしまうのだ。『そんなの言われてない』つもりになってしまうのだ。これが、ほんとうに、ホネガラミでそうなんだよ。こんな人間と「はなしあえる」わけがないだろ。うちは、無法地帯なんだよ。けど、『ヨソ』の人はそれがわかってないから、『お父さんと話し合えばいい』『お兄さんと話し合えばいい』と助言してくる。で、この助言が、そういう助言をする人が考える以上に、助言された人を「くるしめる」。そりゃ、相手は、ヨソの人が理解できないような反応をする人間なのだ。で、『こっち』が親父や兄貴の反応について、説明しても、『ヨソの』人は、信じない。『そんなのはおかしい』と言って信じない。だから、困る。で、親父や兄貴の性格についてもっと説明すると、なぜか、ヨソの人は、怒り出す場合がある。怒るというか、『不愉快な気持ち』になるのだ。まあ、不愉快なんだよ。自分の判断が間違いだということを言われているわけだから、そして、「そういうひとがいる」ということを言われているわけだから、不愉快な気持ちなる。これは、親父のことを巡って、さんざんヨソの人通れとのあいだで繰り返されたことだ。兄貴が親父のコピーなんだから、兄貴のことに関しても、ヨソの人はそういう反応をする。とくに、『話し合えばいい』『家族なんだから、ちゃんと説明すればわかってくれるだろ』と思う人は、そういう反応をする。(なにか不愉快だ)と思うのだ。こいつの話(エイリの話しは)なにか不愉快だと思うのだ。おまえが、事実を認めてないだけだろ。どうして、うちことについて、俺が正直に真実を述べているのに、信じないんだ? ほんとうに不愉快なのはこっちだよ。まあ、そういう威力もある。そういう効果もある。気違い親父や気違い兄貴は、ぼくと『ヨソの人』のあいだを引き裂こうとして、気違い行為を夢中になって無視してやるわけじゃない。けど、態度全般が、そういうことだから、そういうことになってしまうのだ。これは、ほんとうにに魔法のように効く。常識的なやつらと『うちの被害者』の間を裂く。相手(親父や兄貴)は意図してないのだけど、いつもそうなのだ。いつもそうなるのは、いつも、親父が親父であって、兄貴が兄貴であるからだ。けど、これも、一部の人間は、過小評価する。「いつも」ではないのだろ。「たまたま」そうなっているのに、「いつもそうなっている」と勘違いしているだけだと言うのだ。ちなみに、勘違いしているのは、エイリだ。あるいは、お母さんだ。親父に関しては、兄貴も加わる。兄貴に関しては、俺だけだ。ようするに『うちなかでやられている人』は、いつも(相手が)そうしている、いつも相手がそうすると勘違いしていると、ヨソの人が思うのだ。特に、認知療法の影響を受けた人はそういうことを言う。これがほんとうに迷惑なんだよ。どっちが、非合理的な考え方をしている? 認知療法家や認知療法に凝っている一般人だ。現象を説明できないのだから、非合理的なんだよ。けど、これも、伝わることが少ないなぁ。認知療法の影響を受けた一般人は、「いつも」ではないと言い張る。「いつもそうだ」というのは、行きすぎた一般化だと言い張る。けど、家族が違えば、状態が違う。非・合理的な考え方をしているのは『いつもそうだ』というのは行きすぎた一般化だと言い張る方だ。人格として繰り返しているのだから、いつもそうなんだよ。気違い親父や気違い兄貴の認知構造が変わらないのだから、いつもそういう認知で、そういう行為をするんだよ。……なんでこれがわからない。そういう行為というのは、相手が言っていることを無視して、夢中になって、自分がやりたいことをやるということだ。人格が(少なくてもその期間中)かわらないわけだから、(少なくてもその期間中)普通にそうするのである。『頭の構造』がかわらないわけだから、「いつも」そうするのである。「たまたま」相手が言っていることが聞こえなかったとかそういうことじゃないのである。これを「たまたま」相手が言っていることが聞こえなかったと説明することは間違っている。非・合理的な考え方だ。現象を合理的に説明できない。

++++++++++++++

それにしても、いったいどれだけの人がぼくの言っていることを理解できるのだ。一般的な人はやはり、認知療法家や認知療法家の影響を受けた人がが言っていることが正しいと思うだろう。

2019年6月24日月曜日

あの坂道を思い出す


ひげを剃ったら、くちびるのうえのところがいたくなった。こういうのがあるから、ひげを剃るのはいやなんだよ。わずかに傷がついた。やっぱり目をつぶって切るのはやばいな。切られたひげがはねて、目に入るのがいやだからとじた。普通は、ゴーグルをつけてやっている。

なんか、ふにゃっといたいので気になる。

いま、雨。

外出しなければならないから、思いやられる。
どうも、午後一時は降っている予報だ。

それにしても、ヘビメタ騒音で、出るときがいやなんだよな。外に出て歩いているときがいやなんだよな。あの坂道を思い出す。そりゃ、雨の日も雪の日も歩きました。俺がどんな気持ちで坂道をのぼったり、おりたりしていたと思っているんだよ。気違い兄貴。気違い兄貴の騒音でめちゃくちゃな気分だよ。常にくるしかった。特に、歩いているときがつらかった。前日、前々日……と積み重なったヘビメタ騒音で憂鬱だったんだよ。そういうヘビメタ騒音で自分の人生がくずれてしまうんではないかと不安だったんだよ。

2019年6月23日日曜日

基本的な事実を認めないということと、相手が困っているということを認めないというのは違うことだ


2019年06月23日18時49分12秒
起きてしまった。この時間に起きるとやばい。これからたぶん、明日の午後一時まで一睡もできないだろうから、午後一時から一睡もできないまま動くことになる。そのあとは、いつ解放されるかわからない。
やばい。なんとか、午前五時あたりから、午前一〇時ぐらいまで眠りたい。けど、たぶんそれは無理。今日もやってみたんだけど、けっきょく、無理だった。午前一〇時ぐらいから眠りたくなる。今日はそれで眠れたけど、明日は、それだとやばい。

ヘビメタ騒音にやられて睡眠回路がこわれた。もちろん、気違い兄貴は、弟の睡眠回路を壊してやろうと思ってヘビメタを鳴らしたわけじゃない。ヘビメタを、自分の満足できる、でかい音で鳴らしたわけじゃない。

けど、そういうことを毎日一四年以上やっていれば、こっちの睡眠回路はこわれる。高校三年生のときに限界だったんだよ。ヘビメタ騒音のなかにいるときの気分が並みじゃない。ヘビメタ騒音が終わったあとの気分が並みじゃない。

全部、壊された。

絶対に、言うことを聞いてくれなかった。

親父とおなじなんだよ。

自分の気持ちしかない。

自分が一〇〇%の音で一〇時間鳴らしたいなら、絶対に一〇時間、一〇〇%の音で鳴らしてゆずらない。そういう毎日だ。三〇〇〇日に一日ぐらい、一〇時間一〇〇%の音で鳴らしたいとき、九時間五五分を一〇〇%の音で鳴らして、五分間だけ九九・九%の音で鳴らすということをする。

〇・一%ゆずってやったということになる。その日、けっきょく、一〇時間うるさくしているのに、五分間ゆずってやったから、しずかにしてやったということになる。そういう日が三〇〇〇日に一日ぐらいある。
けど、それは、親父の譲歩とおなじで、気違い兄貴が勝手に思いついた譲歩をしているだから、こっちは、ずっと困り続けている。その「ゆずってくれた五分間」ですら、気違い的にデカい音で鳴っているのだから、こまる。静かにしてもらってない。

けど気違い兄貴は、気違い兄貴のやり方でしずかにしてやったから、「しずかにしてやった」という記憶が残る。「しずかにしてやった」と認識している状態になってしまう。

こういうやり方だ。

で、わざと意地悪で「しずかにしてやった」と思っているわけじゃないのである。本人の脳みそのなかでは本当に静かにしてやったつもりなのである。だから、「しずかにしてやったのになんだ」と本気で怒り狂って、絶対に言うことを聞かないで、残りの九時間と五五分間うるさくする。

言っておくけど、気違い兄貴が「しずかにしてやった」つもりの五分間も、よその家ではあり得ないようなでかい音で鳴らしている。本人の耳が悪くなってしまうようなでかい音で鳴らしている。しかし、気違い兄貴は「しずかにしてやった」と思っている。「しずかにしてくれなかった」と言われれば「しずかにしてやったしずかにしてやった」と気違い親父とおなじように反対語を返す。あるいは、押し黙っている。で、そのまま、気違い兄貴がやりたいようにヘビメタを鳴らす。体は、気違いヘビメタを鳴らすように動く。あれ、鳴らしてんだろ。けど、本人は、「しらぬぞんぜぬ」なのである。

全部毎日が、おなじだ。気違い兄貴が鳴らし始めてから全毎日がおなじ。一四時間鳴らせるなら一四時間そういうモードで鳴らすんだよ。たとえそれが、俺の試験前で、俺がさんざん「にゅうしだからやめろ」と言っても、気違い兄貴は、鳴らしてなんとも思わない。あるいは、「しずかにしてやった」と思っているだけだ。「悪い」とか「迷惑をかけている」とは思わない。

さらに言ってしまえば、「でかい音で鳴らしている」とも思ってないのである。そういう意識、そういう認識、そういう認知。そして、そういう時間だ。この時間が長すぎた。気違い兄貴が、普通に存在すれば、そういう意識、そういう認識、そういう認知で、ガンガン鳴らし続ける。でかい音で鳴らしているのに、でかい音で鳴らしているなんて思ってない。

俺がさんざん「こまるからやめてくれ」と言っているのに自分の音で弟が困っているなんて、絶対に思わない。わからないままなんだよ。
それは、親父が、使えないハンダゴテを兄貴に押しつけて、兄貴が、親父が押しつけたハンダゴテのことで困っているということを認めないのとおなじなんだよ。
兄貴は、ちゃんと説明している。普通の人なら絶対にわかる説明をしている。気違い親父が普通の人じゃないから、わからなかっただけなのである。ようすに、これに関しては、兄貴の説明不足ではないのである。こういうことが、他の人にはまったくわからない。「おとうさんにちゃんといえば(おとうさんは)わかるのに、あなた(あにき)がちゃんといわなかったからわるい」というような解釈をしてしまう。

親父は、相手が(兄貴が)自分(親父)の押しつけたハンダゴテで困っているということは、認めない。空想的に妄想的に「つかえる」のである。「つかない」ということを認めると親父が困るから、絶対的な意地で認めない。

兄貴も、自分の音がデカイということを認めると自分が「普通の音」で鳴らさなければならなくなるから困るわけ。「異常にでかい音で鳴らしたい」わけだから、「普通の音でしか鳴らせない」ということになったら、兄貴が困る。

我慢できない状態になる。ヨソでは我慢しているわけだから、ほんとうは我慢できないなんてことはないのだけど、「うち」では親父とおなじように、我慢できない。無自覚だけどモードを切り替えている。うちモードとヨソモードを切り替えている。

だから、空想的に妄想的にでかい音で鳴らしているということ自体を認めない。気違い兄貴が認めなければ、気違い兄貴の体どれだけやってたってやったことにならないんだよ。そういう人格、そういう世界だ。


うちはそういう「世界」なんだよ。これが、普通の人にはわからない。だから、「ちゃんとせつめいすれば、わかるのだから、ちゃんとせつめいすればいい」などと言いやがる。「ちゃんとせつめいすれば、あいて(あにき)はわかってくれるのだから、ちゃんとせつめしないあなた(エイリ)がわるい」という前提で、「ちゃんとやってくれないこまるだろ」ということを言ってくる。

「ちゃんとやる」というのは、たとえば、「遅刻をしないでちゃんと学校にくる」ということだ。前提に「おにいさんにいえば、おにいさんはしずかにしてくれるはずだ」というのがある。

あるいは、「どれだけでかい音で鳴らしていると言ったって、そんなにでかい音で鳴らしているわけがない」いとうような前提がある。ほんとうに頭にくる。電車の音とか、カラオケの音とは違うから。もう、質が違う。俺は幼稚園の騒音には耐えられるのだから、騒音耐性は普通か普通の人以上にある。

その俺が、真横で鳴っている気違い兄貴の騒音には耐えられないといっているんだよ。それを……。それを……まるで、俺が音に対して神経質だからダメなんだというようことを言うやつまであらわれる。そいつは、俺の部屋で気違いヘビメタがどんな音で鳴っているか、知らない。一度も聞いたことがない。それなのに、そういう前提でものを言う。頭にくる。頭にこないわけがないだろ。

   *   *   *

厳密に言うと、基本的な事実を認めないということと、相手が困っているということを認めないというのは違うことだ。親父の場合はハンダゴテが使えないということを認めないし、兄貴の場合は、自分が鳴らしている音が強烈にデカイ音だということを認めない。認めたら、親父の場合は、新しいハンダゴテを買ってやらなければならなくなるし、兄貴の場合は、普通の音で鳴らさなければならなくなる。

だから、こういう基本的な事実を認めないというところがある。それとは、別に、「相手が困っている」ということをまったく認めないというところがある。基本的な事実を認めないということと、相手が「それで」困っているということを認めないということは、厳密に言えば、違うことだ。けど、くっついている。

   *   *   *

できれば眠ったほうがいいのだけど、眠れるわけじゃないし、どうするかな? 体を疲れさせて、午前六時から午前一一時ぐらいまで、仮眠するかな? けど、それは、今日、こころみてだめだったことなんだよな。今日だけじゃなく、きのうも、おとといも、さきおとといも。

どうすっかなぁ。

けっきょく、他人はヘビメタ騒音を六時間以上浴びせられたあとの精神状態と身体の状態がわからない。精神状態といったけど、脳みその状態な。あれは、ほんとうおかしい状態になっている。脳みそが興奮して眠れない。けど、死にたくなるような気持ちがあるし、しんどい。このしんどさが、ほんとうに他人にはわからない。学校に行けば、「普通の状態で暮らしていること」を普通の状態で求められるのでくるしくなる。たとえば、ヘビメタ騒音を六時間浴びせられたあと、眠れずにいって、知能検査を受けた場合、ヘビメタ騒音がない状態で暮らしているときの知能と、前の日もヘビメタ騒音を6時間以上浴びせられて、一睡もできなかったときの知能は違う。前の日眠れなかっただけじゃなくて、二日前も、三日前も、四日前も、三〇〇日前も六〇〇日前も九〇〇日前もじゅうぶんに眠れない状態で知能検査を受けるわけだから、そりゃ、結果が違う。体力測定おなじだ。だいたい、成長期に、午前二時から午前四時ぐらいまで、ちゃんと眠れないということは、成長自体に影響を及ぼす。なんてたって、一一歳の時から二五歳まで続いたわけだから……。中学の一三歳、一四歳、一五歳、高校の一六歳、一七歳、一八歳を、すっぽり包み込んでいる。あの六年間、一日だけぬかして、ほんとうすべての日、ヘビメタを聞かされた続けた。怪音波を聞かされ続けた。鳴り始めたら、何時間も鳴りやまない。どれだけ言っても、六時間以上やられる状態が続く……これだけで、普通の人とくらべた場合、どれだけの差がついているかわからない。勉強だけじゃないんだよ。

知能テストといったけど、「精神力」とか「我慢強さ」というような場合もおなじだ。気違いヘビメタにやられて、はかる状態では、我慢強さがなくなっている。ヘビメタ騒音を前日、前々日、三日前、四日前とずっと、一日に六時間以上やられて、体力の限界に達している。そのとき、平等に、我慢大会をやったらどうなるか? 我慢強さをはかったらどうなるか。精神力を測ったらどうなるか? 俺の成績がいちじるしく悪いということになる。我慢強くないということになる。精神力がないということになる。ヘビメタ騒音にやられながらも、がんばりきって、日常生活を維持している俺が、そういうふうに言われる。結果が出たら、できるやつが、できないやつをバカにする。できるやつが、できないやつを「俺よりものこくらいおとっている」と見なすことになる。俺にはヘビメタ騒音のハンディがある。そいつにはヘビメタ騒音のハンディがない。これは、「他人にどう言われても気にする必要はない」というような問題とは違う。

できるやつは、できるという立場で、できないやつに、いろいろとえらそうなことをいうことになる。たとえば、朝一定の時間に起きることができない人間に対して、朝一定の時間に起きることができるやつは、できるのだからという理由で、えらそうなことを言うことになる。

おまえ、ヘビメタ騒音のハンディがないじゃないか? どうして、どうして、えらそうなことを言える? おなじ条件ではかったわけじゃないぞ。おなじ条件ではかったわけじゃないぞ。

けど、たとえば、おなじ時刻に、おなじ条件で試験を受けたとすると、おなじ条件ではかったということになってしまうのである。

たとえば、学校でおなじ時間におなじ条件で「我慢大会」をやったとすると、おなじ条件で我慢大会に参加したということになってしまう。公平だということになってしまう。

けど、俺には、前日、前々日……六〇〇日前、一二〇〇日前のヘビメタ騒音の影響が蓄積している。一日に六時間以上といったけど、一日に一二時間鳴っているときもあるし、一日に一四時間鳴っているときもある。夏休みなんて、四〇日間にわたって、毎日一四時間鳴っているような状態だ。これは、蓄積する。つもる。

いずれにせよ、我慢大会をやれば、「我慢できる」と「我慢できない」という結果がしょうじる。その場面だけを切り取って考えれば、公平な我慢大会なのである。実際には「我慢できる」「我慢できない」の二値ではなくて、だれか対象となる人とくらべた場合、「より我慢できる」とか「より我慢できない」というような位置関係がしょうじる。これは、個々(人)の指標として成り立ってしまう。レッテルが貼られる。だから、「俺はおまえより、より我慢できるわけだから、おまえに対して『根性なし』ということができる」というような意識を生じさせる。「俺のほうが根性がある」という結果が出たので、そう言っていいということだ。あるいは、「おまえは甘い」「おまえは我慢がたりない」「おまえは我慢力がない」ということを言える立場を手に入れることができるわけだ。ようすに、『我慢できる』『我慢できない』といった二値ではなくて、相対的な関係作り出してしまう。実際には、関係ではなくて、関係の意識を作り出してしまう。さらに、これは、公平な条件ではかった結果に基づく指標なので、公平だということになってしまう。ヘビメタ騒音にやられている俺は、『どこが公平なんだよ』と感じてしまう。公平じゃないじゃないじゃないか。



2019年6月21日金曜日

眠るべき時間に眠れないというとが引き起こすこと (影響を受ける必要がないというのは、やられてないやつの方便)

ヘビメタでなんだかわからない人になって、なんだかわからない人だと思われて生きてきた。もう、限界。

それに、ここのところ、ずっと掃除や庭の手入れをしているのだけど、むせたり鼻水が出たり、体がかゆくなったりと、限界だ。これで、三日後に、時間通りに動けるのだろうか。たぶんだけど、ぼくは、前の日、午後七時あたりに起きて、そのまま起きていることになる。

そして、眠たくなった昼間の一二時あたりから、行動を開始しなければならない。そして、一度行動を開始したら、ぼくの都合で、休むということはできない。

この、気違いヘビメタ騒音で睡眠時間がずれて、一番眠りたいときに無理して行動しているときの、気分やからだの状態が、耐えられない。限界に達している。

引きこもりに関しては、一般の人は、コミュ症だから引きこもっていると思いがちなのだけど、そうではない場合がある。

しかし、引きこもりの場合は、たいてい、睡眠時間がずれるから、昼夜逆転している場合がある。それは、引きこもってから、引きこもりが原因で睡眠時間がずれたわけだから、ぼくの場合とは違う。

ぼくは、先行して七年間毎日、ヘビメタ騒音で『眠るべき時間に』眠れないのに学校に行かなければならないということが、積み重なった。

ヘビメタ騒音で、夜、どうしても眠れなくなってしまうと言うのが、でかすぎる。これが、どれだけデカイか。たしかに、引きこもっている多数の人が、人間関係に絶望していると思う。ぼくも、ヘビメタ騒音のトラブルで、人間関係に絶望している。

もっとも、職場でパワハラをされて、鬱病になり、引きこもっているという場合もある。その場合は、たしかに、人間関係が問題なのだろう。で、それが第一次?的な問題だ。しかし、ぼくの場合、人間関係の問題は、ヘビメタ騒音によって生じる第二次的な問題なのだ。

けど、それが、一〇年間、一一年間、一二年間、一三年間、一四年間毎日続いてしまえば、どちらもおなじということになる。一四年間毎日、気違いヘビメタ騒音が鳴りやまなかった。だから、俺は、いつもいつも、つかれはてた体をむりやり動かすということになる。

動かしていたということになる。

その場合、ヘビメタ騒音のことを話しても、ヘビメタ騒音の効果を過小評価する人は、どうしても、一般『引きこもりフレーム』にしたがって、俺の引きこもりを解釈する。そうすると、「あまえだ」「コミュ症だ」「だれだって、朝はつらい」「みんながんばっている」「おまえだけできないなんて言うのは、ゆるせない」「さぼるな」「ちゃんと働け」とかなんだとか言いたくなるわけだ。

そういうことを言うやつは、ヘビメタ騒音を経験してない。当然毎日、経験してない。この経験の違いが、こういう、愚かな発言をさせることになる。

けど、これはたしかに愚かな発言なんだけど、言っている人は、愚かな発言だとは思わない。まったく正しい発言だと思っているのである。

この場合、俺とその人の関係になる。俺とぼけ発言をする人・多数との関係になる。原因をつくっている気違い兄貴は、シランプリで、自分がやりたいことをやる。

自分がやりたいことというのは、自分が思った通りの音で、自分がやりたい時間はすべてヘビメタを鳴らすということだ。だから、兄貴がやったことで俺が、困っているということがわからない。

これは、ハンダゴテ事件とおなじなのである。気違い親父は、強情にハンダゴテを押しつけたということがわかってない。そりゃ、気違い的な意地で押しつけるけど、押しつけちゃったら、どれだけなにを言われても、「そんなのまったくかんけいがないつもり」なのである。

どれだけ「親父のハンダゴテは使えなかった」と言われても、妄想的な考えにこだわって、現実否定をして、使えないということを認めないのである。兄貴もおなじだ。妄想的な考えにこだわって、「でかい音で鳴らしている」ということを認めない。

よその家では、一分だって絶対にあり得ないようなでかい音で鳴らしているということを認めない。気違い兄貴が、気違い兄貴にしたってヨソの家では一分だって絶対にあり得ないようなでかい音で鳴らしたいなら、絶対に、うちではそういう音で鳴らすし……鳴らすなら、それは、絶対にでかい音ではないのである。否定。現実否定。

ただ、気違い親父のハンダゴテに対する態度や、気違い兄貴のヘビメタに対する態度は、道徳観と認知システムをずらせば、認知療法家が言っている理想的な状態と一致してしまうのである。

夢中になってやること、自己投入、自己投出。………気違い兄貴の態度や気違い親父の態度を記述したものを読んで自己投入だと考える人はいないけど、それは、道徳観と認知システムが共同幻想と一致しているからなのである。

認知システムと共同幻想の一致しているということは、実は、認知システムと共同幻想が一致しているわけではなくて、認知システムにかかわる共同幻想が一致しているということなのである。

ようするに、普通はそういうかたちで現実否定をする人はいないということになっている。で、普通はそうなので、あなたのお兄さんやお父さんもそうなのだろうという前提に立つということことになる。

俺の話を聞いても、気違い兄貴がほんとうにデカイ音でヘビメタを鳴らして、『こんなのデカイ音じゃない』と認知しているかどうかについて、疑問を持っているのである。その疑問は疑問として当然だけど俺の話を聞いたあとも、気違い兄貴のような人はいないという前提でものを言うのである。

明言はされてないけど、俺が言っていることは、その人のなかで否定されている。だから、その人の「もともとの考え方」を普通に言う。その場合は、親父や兄貴のような人がいるということは、一時的に否定されている。

「だとしても」いう言い方だ。「だとしても、ちこくしちゃだめじゃないか」「だとしても、ちゃんとやらなければだめじゃないか」という言い方になってあらわれるのである。

「だとしても」と言っている人は俺の言っていることが正真正銘の事実だと思ってない。認知システムにズレがある人はいないということなにっているのである。いたとしたら、精神病院に隔離されているはずだいうことになっているのである。学校に行ったり、会社に行ったり、普通の生活をしているのに、そんなところでズレがある人はいないということになっているのである。

けど、いるんだよ。どれだけ、学校や会社で、そういう側面を出すのかわからないけど、少なくてもうちでは完全にそうなるやつがいる。実在する。

で、「だとしても」という考え方をする人は、「だとしても、そういう人の影響を受ける必要はない」というようことを言い出す。相手がそうだとしても、そういう悪い人の影響を受ける必要はないということを言い出す。また、相手がそうだとしても、そういう悪い人がやったことの影響を受ける必要がないというようなことを言い出す。

しかも、それが理論的で合理的だと思っている。けど、気違いヘビメタがものすごくデカイ音でずっと鳴っていると、その影響を受ける。こういうこともわかってない。それはある意味で、現実否定なのである。現実否認なのである。

だから、こういう点でも、気違い兄貴や気違い親父と、道徳的で合理的な認知療法家がいっていることは、似通ってくる。正確には『影響を受ける必要はない』という言葉で、影響を無視するか、あるいは軽視するのである。これもある種の現実否認だ。

けど、この現実否認は、だれが当事者かなのかということが違う。ようするに、認知療法家が否定しているのは、相手にとっての現実なのである。認知療法家にとっての現実じゃない。ここが、トリックになっている。

四〇年、五〇年のほこりで、むせた


フォークをどう捨てるかでまよった。で、餃子のお土産を買ってきたから、餃子のパックをつかって、そこにフォークを入れて、クリアテープで封印しようと思った。
しかし、餃子のパックを突き破って?フォークが突き出たときのことを考えて、フォークのさきの部分をクリアテープで、包み込もうと思った。で、やめておけばいいのに何重にもした。で、むせた。これ、小さなフォークが何本もあって、先を加工するのがけっこう問題だった。小さなフォークは一本ずつやらずに、何本かまとめてやった。
しかし、このフォークというのが、四〇年前のフォークなのだ。もっともっと前のフォークなのだ。四六年前ぐらいかな。で、コップに入れて保管していたわけ。コップに歯ブラシのようにたてて、置いてあった。で、ほこりがついているわけなんだよ。四六年分の。そりゃ、横じゃなくて縦だから、ほこりがつく面積は少ないわけだけど、コップの底を見て思った。コップの底とおなじ密度でほこりがついているのなら、相当についている。
ほこりを立てないようにゆっくりと、先っちょ加工をしたつもりなのだけど、やっぱり、ほこりが出たんだと思う。むせて、鼻水が出た。これ、毎度のパターンなんだよな。もう、それでいいのに、あれじゃないこれじゃないと、もしものことを考えて厳重に丁寧に加工してしまう。
で、けっきょくむせる。鼻水が出る。保管と書いたけど、要するに置いてあるだけだ。もう、うちにあるものは四〇年も五〇年もそこにあり続けたものなのだ。もさなのだ。ほこりが普通のほこりじゃない。そして、ネズミの糞公害の影響もあるのだろう。また、ネズミについていたダニがほこりのなかで増えたのではないかと思う。ともかく、やりたくない。
いじりたくない。親父が四〇年も五〇年もほったらかしにしたものなんだよな。ともかく、ほんとうにいろいろなものがある。なんか、爪楊枝とかクシが、清掃作業員に刺さる場合があるらしい。あとは、ゴミがつぶされて圧力がかかるとき、パチンとはねて、なんらかのものが飛ぶことがあるらしい。まあ、今回不燃ゴミだから、圧力はかからないけど。
ともかく、あつかいようによっては、フォークが(プラスチックのパックから)突き出ることがあるかもしれないと思って、丁寧にやりすぎた。
ああでもない、こうでもないとやっているときに、ほこりを吸ってしまうような気がする。
鼻水とタンみたいなものが出たから、もう、ほこりぶんは体内から出ているような気もするけど、なんかすっきりしない。だいたい、一階の部屋は俺の管轄じゃない。お母さんもものを捨てなかったからなぁ。使いもしないものが、いろいろととってある。で、それがほこりをかぶってひどいことになっている。親父がネズミを餌付けしたから、ひどいことになっているよ。
もう、おれは、いやなんだ。いやなんだ。いやなんだ。
なんか、不愉快な状態になるとヘビメタ騒音が鳴っていたときの感じが復活してしまう。気違い親父は、ほこりのことなんてまったく知らない。だいたい、「ネズミがくるから、魚の切り身を一晩中、出しておくのはやめてくれ」と何回言っても、ネズミが出てから一ヶ月以上、行動をかえなかった。竹だって、お母さんが「植えないでくれ」と言ったのに、植えてしまった。結果、どれだけ切っても、びゅんびゅん、のびてくる。俺しか家にいないのだから俺が対処するしかない。だから、いやなんだ。あいつにかかわると、いやなんだよ。で、気違い親父の感覚と気違い兄貴の感覚がおなじだからな。人に迷惑をかけておいて、まったくわかってないんだよな。言われたってわからない。

2019年6月19日水曜日

ヘビメタ騒音なしで生きてみたかった。

ヘビメタ騒音なしで生きてみたかった。

ヘビメタ騒音なしの青春が欲しかった。

ヘビメタ騒音なしの進学、友人、彼女……。

ヘビメタ騒音なしのすべて。

2019年6月17日月曜日

元事務次官が長男を殺した事件について  元事務次官は無職である 引きこもりは切れやすいというレッテル貼りはやめろ

農林水産省の元事務次官・熊沢英昭容疑者が44歳の長男・熊沢英一郎さんを殺害した事件。

++++++++++++

元事務次官が長男を殺した事件についてちょっと、言っておく。「元事務次官」「元事務次官」と言っているけど、この人は犯行当時無職だ。無職が無職を殺したのである。それなのに、「モトジムジカン」「モトジムジカン」とまるで、「モトジムジカン」という職業に就いていたかのような認識でものを言っている人が多い。「もと」……。「もと」……。元事務次官は無職なので、無職が無職を殺したという事件だ。しかし、長男が無職だということは、批判されるが、「元事務次官」が無職だということは、批判されない。これはおかしいことだ。「あたりまえじゃないか」と思っている人は、ここのところを考えたほうがいい。無職だということを責められる無職と、無職だということを責められない無職がいる。これが重要なところだ。これが、価値観なのである。無職という言葉には、二重の意味がある。無職性の高い無職は無職として認識されているけど、無職性の低い無職は無職としては認識されてない。その人が実際に無職なのかどうかとは、関係がなのである。ならば、暗黙知的に成り立っている実際の基準はどうなのかということが問題になる。実際の基準は、語られることがあまりなのである。しかし、その基準は、内なる基準として、語られることがあまりないにもかかわらず、存在する。

「無職の現象学」にもうちょっとくわしく、ここらへんのことを書いたので、興味がある人は読んでください。

+++++++++++

「元事務次官」がどういう人だったのか、「元事務次官」の息子がどういうひとだったのか知らないので、細かいことに関しては書きません。

しかし、これでまた、引きこもりにレッテルが貼られて、引きこもりパッシングがはじまるわけか。「引きこもり」や「無職」にレッテルを貼るのは、「気分がいいことかもしれないけど」やめておいた方がいい。

「引きこもり」と言っても、千差万別。人によって、状況も「性格」も違うのである。しかし、コミニュケーション能力が低いとか、切れやすいというレッテルを貼りたがる。実際に熊沢英一郎さんが切れやすい人なのか、そうではないのか知らないけど、とりあえず、噂だと切れやすい人だということになっている。

そうすると、引きこもりは切れやすいというようなレッテルを貼る人が、いっぱい、いっぱい、あらわれる。他にも「引きこもりは切れやすい」とは、言わないものの、そういう前提でものを言う人があらわれる。そのひとにとっては、「引きこもりは切れやすい」というのは、特に意識がむかない確固たる前提なので、「引きこもりは切れやすい」という前提について特に疑問を持つことなく、「引きこもりは切れやすい」という前提に基づいた意見を言うことになる。意見だけを見た場合「引きこもりは切れやすい」という言葉はどこにも入っていないにもかかわらず、「引きこもりは切れやすい」という前提でものを言っていいるのだなというのが、わかるのである。

「引きこもり」と言ったら引きこもりではない引きこもりはいないので、すべての引きこもりという意味になってしまう。引きこもりという集合が切れやすいという性質を持っているということになってしまう。これは、実像から、切り離されている。実態をうまく語っていない。

だから、こういう集合的な単純思考はやめたほうがいいと思う。実際には、頭がおかしいレベルで切れまくっている「引きこもりではない人」にやられて、引きこもってしまう人なんかもいるんじゃないかなと思う。

+++++++++

それから、切れやすい性格について言うと、今回のケースの場合、実際に人を刺し殺した無職の父親ほうが、無職の長男よりも、切れやすいと思う。長男の切れやすさは指摘されているけど、父親の切れやすさはあまり指摘されないみたいだ。

長男は、小学校の騒音について文句は言ったけど、『刺し殺してやる』などとは言ってないのだ。なので、小学校に侵入して?小学生を刺し殺してしまうのではないかというのは、わりと根拠のない『心配』なのである。

実際に、熊沢英一郎さんがナイフを持って外に出ようとしたのを見かけて、とめようとして、もみ合いになって刺してしまったということではない。

熊沢英一郎さんははたしかに怒りやすいけど、刃物を持って、あたりを徘徊したことはない(調べてないからわからないけど)(実際そういうことがたびたびあったということであれば、かならず、言及されているはずだ。)

熊沢英一郎さんは四四年間生きていて、ナイフを持って近所を徘徊したことが一度もない。『いつか迷惑をかけるようになるのではないか(小学生を刺してしまうのではないか)』というのは、熊沢英昭さん側の行きすぎた心配だ。先に刃物を握ったのは熊沢英昭さんのほうだ。

(まあ、この事件、正直言って、あんまり興味がないんだよね。ただ、世間の反応は気になる。

毎日これの繰り返しだ。どれだけ困るか。まわりの人間がどれだけ困るか


精神的にすごくやばいときがある。もう、つかれた。うとうと、しているときがやばい。普通は「うとうと」しているときって、気持ちがいいわけでしょ。

俺の場合は違う。

三途の川を行ったりきたりしているような状態だ。で、ヘビメタ騒音の苦しさが「うかびあがって」きてしまう。

あのつらい夜のことを思い出してしまう。そのときが、完全に復活してしまう。「うとうと」しているとき、ヘビメタ騒音で死にたかった気分が復活してしまう。

なんかまるで、こう、ほんとうに夢を見ているみたいだ。

悪夢な。
人生が悪夢。むごい。

俺がどうにかするしかないけど、最善の努力をして、これだ。がんばりきって、これだ。もう、つかれたよ。ほんとうに、どれだけつかれるか、だれもわかってくれないんだよな。「ヘビメタが鳴っている」と言ったって、実際に、気違い兄貴が鳴らす、気違いヘビメタを何時間も何時間も経験した人じゃないとそのつらさがわからない。

期間的に一四年と数ヶ月あるから、一年目と三年目、三年目と五年目、五年目と八年目、八年目と一〇年目、では「感覚」が違う。

この感覚の違いなんて、実際に経験してない人にわかるわけがない。ヘビメタ騒音時間自体は、一年目にくらべて、一四年目は短くなっている。それでも、気違い兄貴が家にいる日は、一三時間以上、鳴っている状態だ。だから、どの時点で帰っても、鳴っている状態で風呂に入るということになる。一四年目のヘビメタ騒音の風呂。ヘビメタ騒音で、結婚も就職も、なにもかも、こわれている。

これ、気違いアニキしてみれば、ただ単に鳴らしているだけで、まるで悪いと思ってないんだよ。

昔っから、一年目の一日目から。〇年目でもいいけど、いちおう、一年目からまったくわるいと思ってない。鳴らしているあいだ、非常識な騒音を鳴らして(弟に)迷惑をかけているというつもりがない。絶対に一秒もゆずらないで、すべての時間、自分が満足できる音で鳴らし切るけど、まったく鳴らした「つもり」がない。

これ、親父とおなじなんだよな。とことん、親父とおなじだ。けど、「親父とおなじ」と言ったって、他の人にはわからないだろ。どれだけホネガラミかわからないだろ。

「頭のくせ」「考え方のくせ」なんて、なまやさしいものじゃないんだよ。存在自身がそれ自体という感じで、夢中になってやっているからな。ほんとうに……とめるとしたら、殺さなければならない。そういう状態を、常に!!おしつけてくる。「殺さなければ、やめさせることができない状態」を常におしつけてくる。

もちろん、おしつけているつもりなんて、まったくない……こういう状態だ。だれもわからない。「うちのかぞく」以外、だれもわからない。

気違い兄貴は、親父の異常さがわかるけど、気違い兄貴は、気違い兄貴の異常さがわからない。親父だって、気違い行為を、気違い的な意地でやるだけやって、シランプリだからな。完全に、自分がやったつもりがないんだよ。

「かかわっているつもり」自体がない。自分がやっていることと、自分がやっていることで相手が困るというのは、完全に切り離されたことなのである。だから、「かかわっているつもりが」まったくないまま、やりきる。

自分がやったことで相手が困ったということが……どれだけ言われてもわからない。言われたら「なんだそんなの!!」と怒り狂って、発狂的な意地で、その行為をやり続ける。だからやっているのに「やったつもりがまったくない」という気持ち・認識が成り立っている。常にそうなっている。

俺だって「こんなきたないやり方で、自分の意地を通す人なんていない」と思う。俺だって「まったくゆずらずにやりきったなら、まったくゆずらずにやりきったということは、認知しているはずだ」と思う。俺だって俺だって……気違い兄貴や気違い親父を、見なければ、そう思う。だから、他の人の気持ちはわかる。けど、事実、気違い兄貴や気違い親父は、いま書いたとおりの態度で、やりきる。やりきっているさいちゅう、やりきったあと、「自分がやった」という認知がしょうじない。特に、「相手の反対を押し切って、自分がやった」という認知がしょうじない。

だから、本人はまったく関係がない人のつもりでいられる。ほんとうは、本人が張本人、本人が台風の目なんだけど、ぜんぜんかかわっている気持ちがないんだよね。で、絶対の意地でやりきる。……どれだけ困るか。こういう人が家族にいたら、どれだけ困るか。

しかも、気違い的なところでエンジンがかかる。気違い的なところで、「意地」が爆発する。意地を通した、つもりはないんだけどな。一〇〇%意地を通してやりきれば、「一〇〇%やってない」つもりになれる。毎日これの繰り返しだ。どれだけ困るか。まわりの人間がどれだけ困るか。

気違い的な意地で、こだわってこだわってやっていることを、気違い的な意地で否定しやがる。いつも「そんなつもりじゃない」まま、やりきる。毎日やりきる。それを何千日続けたって、本人は「そんなの知らない」「そんなの知らなかった」という気持ち・認識のままなんだよ。まるで、つたわらない。どれだけ言っても、まるでつたわらない。

2019年6月16日日曜日

つまんない。ほんとうにつまらない。


つまんない。ほんとうにつまらない。
お金が出ていく~~
お金が出ていく~~

あとは、見えない虫に刺される。
台所にいると、変な虫に刺されるんだよな。で、これが肌トラブルになるからいやだ。かゆいし。
一ヶ月ぐらい、ずっとかゆい。
で、跡が消えないうちに、増えてしまう。これが頭にくる。

ほんとうに、ヘビメタ騒音以降ずっと地獄。だれといても地獄。ものすごくかわいい子に声をかけられたときも地獄。いいけど、地獄。ヘビメタ騒音で地獄。「ヘビメタ騒音で」地獄だから。ヘビメタ騒音なんだよ。

ワタ君、俺はつかれた。
俺はあのままだ。
チャンスを棒にするときの感覚があのままだ。せっかくチャンスがあっても、ヘビメタ騒音でかき消される。ヘビメタ騒音の不安と怒りで、普通の感情がない。切羽詰まった感情しかない。いいことが、いいことだと感じられない。ほんとうに、ヘビメタ騒音でピンチなのに、「ためされている」ような感じになってしまうだ。気違いヘビメタ騒音で、用意ができてないのに、「それ」がはじまる。あくせく、ついていくけど、九五%ぐらいの力をそがれている。それから、「まいにちつづく」というのが、ほんとうにでかい。だれに言っても、わからないとは思うけど、ほんとうにつらい。「まいにち」というのがつらすぎる。「まいにち」「何時間も何時間も」というのがつらすぎる。あいつは、シランプリでやりやがったんだからな。で、この他の人に「やめろ」と言われたことを、必死になってやって、「やってないつもりでいる」というのが親父そっくりなんだよな。だから、何時間やったってやってないつもりだ。一日に一四時間鳴らしたって、やってないつもりなのである。だから、認知がおかしい。俺との関係がくずれているということがわからない。こういうことの鈍感さがまた、親父とおなじなんだよな。自分の感情しかない。ほんとうは、押し切って夢中になって、真っ赤な顔をしてやったのに、本人は、それが済んじゃったら「まったくやってないつもり」なのだ。本人がかかわっている感じ時下ない。じゃ、「やめてくれ」と言われたときやめてくれるのか、というと、絶対にそういうことはないんだよね。本人は、無頓着だよ。やってないつもりだからな。で、ともかく毎日つもる。つもると、困るんだよ。

2019年6月15日土曜日

小学六年生のときの体力の二〇分の一といったところ

ぼくのいまの体力は、ヘビメタ騒音がはじまる前の小学六年生のときの体力の二〇分の一といったところだろう。そのくらいに体力がない。



ともかく、つかれた。

ほんとうにどうしようかな。ぜんぜん、すすまないよ。まあ、このペースでやっていくしかないか。カネ、快楽、しあわせ。



ほんとうに、俺の体力レベルが下がってどうしようもない。

2019年6月14日金曜日

もう、こころが張り裂けそう



つまんない。
コーヒー、飲みたい。
どうするかな?
自動販売機に買いに行くか?
それとも、離れた100円ショップに自転車で行くか?
実は離れた100円ショップで買いたいものがある。
ひとつは消毒スプレー、もうひとつはスポンジたわし。
あとは、お菓子でも買うか?
この離れた100円ショップは、独特の雰囲気がある。むかし、レンタルビデオ店に行ってたとき、帰りに寄っていたのだ。けっこう、レンタルビデオ店にはけっこう足繁く(あししげく)通っていた。それから、おなじことなんだけど、図書館の帰り道でもある。だから、図書館やレンタルビデオ店に、けっこう行ってたときは「たちよった」ところなのだ。
で、まあ、ヘビメタ騒音でさびしいわけ。ヘビメタ騒音が鳴っていなければ、俺は女性には不自由しなかったと思う。けど、事実鳴ってた。鳴ってなかった側の『現実』はない。
だから、さびしい思いをして……。もう、こころが張り裂けそうだったよ。いまでもそうだけどな。だから、思い出の道と言っても、いい感じじゃないのだ。
これから行くにしろ、さみしい思をしていくわけ。手短に言って、オトコの友達は役に立たない。

ともかく、コーヒー、買っちゃおうかな。
自転車をこいでいるとき、さみしいんだけどね……。言いようのない気持ち、が、あるんだよな。これは、たぶんだれにもわからないと思う。いや、だれもがわかる気持ちか。だれもが一度は経験した気持ちか。けど、俺以外の人には、ヘビメタ騒音がないわけで、やはり、違うと思う。敗北感とやるせなさと怒りとさみしさ。
こころが張り裂けそうなんだからなぁ。ほんとうに「こころがはりさけそうなひと」がのんびり「こころがはりさけそうなんだからなぁ」などと、タイプしたりしない……と思うでしょ。けど、さみしいんだよ。けど、張り裂けそうなんだよ。これは、ヘビメタ騒音という、特殊事情が影響している。長すぎる、ヘビメタ騒音。

   *   *   *


どうしようかな。まじで、つまんない。こっちに書くと問題があるけど、ヘビメタ騒音のことを考えている。兄貴の態度について考えている。かんがえているかんがえているかんがえている。

つまんない。
ほんとうにつまらない。
つまんない。

ほんとうにギャップがでかすぎる。人が聞いて考えること・感じることと、俺が実際に考えたこと・感じることの差がでかすぎる。ヘビメタ騒音について俺が説明したとする。そうすると、人は理解して、「そういうことがあったんだな」と思う。ようするに、『ヘビメタ騒音がうるさかったわけだな』と思うわけだ。しかし、その『思い』と俺の側の思いがちがいすぎる。ヘビメタ騒音に対する思いがちがいすぎる。人が「聞いて」考えることと、俺が実際に「経験した」ことの差がでかすぎる。ヘビメタ騒音と言ったって、他の人には、わからない。本当のところはわからない。実際に経験した場合の話はわからない。どんだけ、能力を制限されるかわからない。どれだけ疲れ果てるかわからない。どれだけ「つもる」かわらない。だから、「過去のことはかのことだからどうでもいい」とか言いやがる。それが、どういうことを意味しているか、他の人はわかってない。わからずに、発言する。言う。しかも、正しいと思っている。この溝。そして、この溝がしょうじたのだって、気違い兄貴が気違い的な感覚で、気違い的な意地で、ナマの音でヘビメタを鳴らすことにこだわってこだわって、一五年間、おなじように鳴らしたからだ。気違い兄貴が、一五年間毎日、そうやって、絶対にゆずらずに鳴らし切ったから、しょうじたことだ。で、こだわっているのだけど、本人は、特にこだわっているつもりがないのである。けど、一秒だって、ほんとうにゆずらなければならないと鳴ったら、怒りくるう。発狂して、発狂して、こだわってこだわって、やりきる。殺さなければとめられない勢いで、顔を真っ赤にしてやりきる。やろうとする。こだわってないように思えるのは、気違い兄貴が好きなだけ、好きな音で鳴らしているからだ。ほんのちょっとでも、ほんとうに自分が制限されたら、それだけは「わかって」怒り狂う。絶対にいうことを聞かない。俺に言われたっていうことを聞かないけど、お母さんに言われたっていうことを聞かない。たぶん、親父に言われたっていうことは聞かないだろう。親父が、やってきたことだからな。親父がそうやって、自分の意地を通してきた。気違い親父が権力者?で怒り狂っているときは、全部、そうやって、自分の意地を通してきたのだ。けど、これだって、本人はまったくつもりがない」ことなのだ。この、本人は「まったくつもりがない」というのも、兄貴と親父でおなじなんだ。ほんとうに、親父と兄貴はおなじ。


2019年6月13日木曜日

俺にとっての可能性が、なくなっていく過程


昨日、歩いてマクドナルドに行って、マックポテトを食べてきた。
買ったのは、フィレオフィッシュのセットとチーズバーガーピクルス多め(増量)だけど、店で食べたのは、マックポテトだけだ。店で飲んだのは、メロンソーダ。チーズバーガー四個は、持ち帰りにして注文すれば、なにを店で食べるのかは自由だ。
ほんとうは、店でチースバーガーを食べようかと思ったんだけど、腹がいっぱいで食べられなくなった。
今回はマックポテトがメイン。チーズバーガーのセットがなくなってしまったのだ。だから、なにか他のものでセットをたのむ必要がある。セットではないたのみ方もできるけど、マックポテトのMがメインだと、セットでたのんだほうがいい。

今日は、大きく睡眠時間がずれてしまった。燃えるゴミの日だったので、青い網カゴが出るのをまっていたのだけど、なかなか出ないので、午前六時二〇分ぐらいに、燃えるゴミを出した。からすにやられないことを祈る。たぶんだけど、からすにはやられないと思う。からすにやられるようなものが入っていない。午前五時ぐらいに、チーズバーガー一個とフィレオフィッシュ一個を食べた。ちょっと最後のほう、きつかった。残そうかなと思ったけど、残ったものを、起きたあと、食べるのがいやだったので食べた。

まあ、ぼくは破滅感があるのだけど、たまには、夜のマクドナルドもいい。破滅感、あるよ。ヘビメタ騒音にやられてから、ずっと闇の中だから。けど、これがまた、ほかのひとにはわからないんだよな。わからないということは、わかる。なんと言っても、期間が長すぎる。ヘビメタにたたられていた期間が長すぎる。そのあいだにどんだけ消耗したか、他の人はわからない。俺にとっての可能性が、なくなっていく過程だ。ヘビメタ騒音が鳴っている過程というのは、ヘビメタ騒音で俺の能力と可能性がなくなっていく過程だ。他の人にはわからない。他の人には、ぼくの能力とか可能性なんていうのは関係がないから。「そんなの、知ったことか」という内容だから。けど、ぼくには、関係がある。大いに関係がある。他の人は、「ひとごと」なので、やはり言うことが違うんだよな。で、その言葉が手短に言うとぼくを傷つける。「そんなんじゃないから」と言いたくなる。「そんなんじゃないから、困っている」。ヘビメタ騒音のことを話すと、『元気づけるようなことを言ってくれる』人が多いのだけど、ほんとうに『そんなんじゃない』。

2019年6月11日火曜日

ヘビメタ騒音がなかった場合の俺が、いま、この状態だったらどう思うんだろう


俺は本当にほこりとかダニとかいやなんだよぉ。いやなんだよぉ。

あああああ。

きたないものを見ると、むせる。

「ほこりのシーン」がもう、いやだ。



しかし、ヘビメタ騒音がなかった場合の俺が、いま、この状態だったらどう思うんだろう。案外ハッピーなんだろうか? 「よゆうよゆう」とか言って普通に生きていけるんだろうか。

まあ、そうなんだろうな。ヘビメタ騒音で傷が多すぎ。あれはない。あんなのずっとやられたら、だれだって、成果なく生きる気力を失うだろう。能力、体力、精神力、睡眠力を削り取られて、疲労困憊で動けなくなるだろう。


親友もそうなんだけど、ほんとうにやられた場合の、体力状態とか精神状態とか、そういうものがわかってないと思う。「どうにかならない?」って? いま現在、やれることはすべてやって、最大出力でがんばっている。がんばっていてこれなんだよ。

   *   *   *
これは、書くかどうかまよったけど、お母さんが子猫を入れてしまってから、うちのなかがダニとノミでいっぱいになったことがある。刺されまくりだよ。起きたくない状態で、むりやり体を動かしているとき、かゆいというのが、あのときとおなじだ。で、気違いヘビメタにたたられていたとき、俺は本当にがんばっていた。がんばって、あれなんだよ。最大限がんばってあれなんだよ。最大限、ゆるしてあれなんだよ。なにもわかってない。どれだけの精神エネルギーを費やしたか。あんな態度で、あんなにデカイ音を、鳴らされて、ほんとうにくるしい。この苦しさが他の人にはわからない。「たいしたことないんだろ」と思うやつらが多い。「鳴ってなくたっておなじだ」と言ったやつには、ほんとうに腹が立つ。どれだけ侮辱的な言葉かわかってない。

気違い兄貴の態度というのが、一〇〇%鳴らすけど、……絶対の意地で、細部の細部まで自分が思った通りのこだわりのデカイ音で鳴らすけど、……あるいは、すべての細かい時間まで使ってずっと鳴らすけど……一〇〇%関係がないという態度だ。この一〇〇%関係がないという態度というのは、ほんとうに「やったってやってない」と思っている態度で、ほんとうに「やってない」と思っている態度だ。やったってやってないのである。だから、関係がない。そりゃ、鳴らしてないと思っているのであれば、「鳴らされると困る」ということをどれだけ言われたって関係がない話しに思えるだろ。

タイドガオカシイ。
これ、親父とおなじなんだよね。そもそも、あり得ない態度で鳴らす。他の人には絶対にわからない。この矛盾した状態が、やつらにとって『普通の状態』なんだぞ。これが、普通の家でくらしてきた人にわかるか? 兄貴がこだわって鳴らしているのに、まるで俺がヘビメタ騒音にこだわっているように、他の人から言われるんだぞ。気違い兄貴が一五年も毎日毎日、こだわりつくしてやっているから、俺がずっと毎日毎日、愚痴を言っているように思われるんだぞ。あんなは快適な音で、ズッとやられたら、そりゃ、愚痴を言いたくなる。それでも俺は、我慢して、ずっと愚痴を言わないで暮らしてきたんだ。ごく親しい人以外、ヘビメタノ愚痴を言わなかった。必要に応じて言うことがあったけど……。必要に応じていう必要があったとき……だって……おまえ、ほんとうにどれだけ……。それで、喧嘩になる。教師からは、『態度がわるい』と思われる。みんな、どれだけデカイ音でヘビメタが鳴っているか、知らない。俺の部屋に入って聞いたことがないから知らない。普段どれだけでかい音で鳴っているか知らない。いま、幼稚園がうるさい。けど、そういううるささではないのだ。これがわかってない。普通の生活騒音とは違う。学校の近くの騒音とも違う。どれだけでかい音で鳴っているか、非常識な音で鳴っているか、破壊的な音で鳴っているか、知らない。他の人は知らない。ことがあったあとに「どうしてか」と聞かれてヘビメタ騒音のことを言っても、その人にはそれがわからない。もう敵対関係ができあがっているからな。たとえば、遅刻したときに、どうして遅刻をしたのか?と言われた場合、ヘビメタ騒音が鳴ってたから遅刻したと答えるしかないのだけど、ヘビメタ騒音が鳴っていたから遅刻したということは、認められない。ヘビメタ騒音が鳴っていたということが、遅刻をするということに関する、ちゃんとした理由だとは思われない。ゆるされる理由だとは思われない。遅刻だけではなくて、宿題をやらなかったという場合もそうだ。けど、ほんとうにできない。美術とか物理の授業のために、用意をしていかなければならない場合もおなじだ。『理由として認められない」。けど、ほんとうに、最大限、全力を尽くしても、できない状態になる。鳴ってなければ簡単にできることも、できなくなる。どーーーしても、できなくなる。音のなかでできない状態が積み重なると、疲労困憊してどうしてもできなくなる。たとえば、歩ける人だって、一日に一〇〇キロ歩いたあとは、『もう歩けない』という状態になるだろ。その状態のとき『もう歩けない』と言ってもおかしくはない。休めば歩ける。休めば回復するから歩ける。実際その人は一〇〇キロ、歩いている。『歩けない』なんてことはない。けど、その時の状態はまさしく、『もう歩けない』状態なのである。これ、『歩く』ということだと、『限界なんてない』とか言い出す人がいるけど、なんて言うのかな? 普通に、眠りたいときは眠りたいわけだろ。ものすごく眠りたいときは、眠りたいわけだろ。ものすごく眠りたいときに、歩くということは、できない。で、人間はそういうときも、がんばれば歩ける……という状態がある。そういう状態はあるのだけど、そういう状態をずっと毎日続けていると、どうしてもつかれた状態になるときがあり、そのつかれた状態のときは、まさしく、歩けない。普通の一日のなかで、回復時間があるから、他の人は、回復時間がないときのことがわからない。毎日連続して回復時間がない場合の話がわからない。だから、普通の『負荷』には、人間はがんばって対応することができるのだけど、それは、無理をして対応しているわけ。で、無理をして対応している時間が長くなればなるほど、ほんとうに『できない状態』になりやすい。もう無理が効かない状態になる。普通の人は、一日のなかで、普通に回復できる。そういう一日しか経験してない。一日というのは毎日ということだ。ヘビメタ騒音が鳴る前は、俺もおなじだった。けど、ヘビメタ騒音が平日で約七時間続くようになってからは、回復時間がない状態で毎日すごした。で、無理をして対応している時間が長くなった。

2019年6月10日月曜日

じゃあ、さみしくないかというと、さみしいのだ


とりあえず、いろいろとやっているけど、汁汁カレーを作っているとき、猛烈にさみしくなった。ブラジルの鶏肉があったので、それを入れた。けど、それは、厚さ三センチぐらい、縦横一四センチぐらいの肉のかたまりなのだ。なので、ゆであげたあとに、切った。ゆであげたと書くと、完全になかまで火が通った状態になっているような印象を与えるけど、なかのほうは、まだ、火が通った状態ではなかった。菜箸でおさえながら、包丁で切った。ゆでてからのほうが、いろいろと都合がいい。だいたい、かっちかちに凍っているので、包丁で切るのは無理なのだ。(凍っているものもなんなく切れる)特殊な包丁じゃないし。

ヘビメタ騒音で『彼女』とかほんとうに無理だった。これ、だれもわからないだろうけど、ほんとうにそれどころじゃないのだ。じゃあ、さみしくないかというと、さみしいのだ。普通の人たちが働く年齢に達したあとは、「働けない」ということが、いろいろとネックになった。精神的にネックになった。


心身ともにヘビメタでぼろぼろな状態のうえに、働けないという属性が付け加わった。くるしかった。ヘビメタ騒音に一五年間毎日さらされてない人間は、またまた、「じぶんにじしんがないのはおまえがわるい」と俺を責めやがる。ゆるせない。「ヘビメタでズタボロなんだ」と言っているだろ。ヘビメタで普通に起きる能力、普通の体力、普通の精神力、普通の好奇心をうしない、働けないからだになったあとも、気違い兄貴は、シランプリで、ヘビメタを鳴らしていた。一日のなかで、自分が鳴らせる時間があれは、その時間はすべて、自分が思ったとおりの大きな音で鳴らす……ということになっていた。それが、俺を働けない体(からだ)にしたというのは、わからないのだろう。そりゃ、言われたってわからない。やりたいときはやりたいわけだから、一切合切を否定して、顔を真っ赤にして腹を立てて鳴らしやがる。そういう『怒った状態』はそれほど長く続かない。言われれば、怒るが、怒ったあとは、いわれたというとを忘れてしまう。完全に忘れてしまう。だから、言われたあと、がむしゃらに執着してやっていたとしても……やり続けたとしても、本人は「まったくやってない」のとおなじつもりだ。あとは、『自分が(やめろと)言われたということも忘れてしまうので、相手がいやがることをやったと言うつもりもしょうじない。そういう毎日、そういう毎時間、そういう毎分、そういう毎秒なのだ。「ワルギナンテナイ」。悪気なんてあるわけがない。じゃあ、「やめてくれ」と言われれば「やめてやる」のかというと、それは、絶対にない。そういう、意識、そういう、態度だ。で、これが、一日二四時間中二四時間、かわらない。一年三六五日中三六五日、まったくわからない。だから、本人はいつも鳴らしているのだけど、いつも、知らないという『気持ち』『認知』を維持できる。そして、毎日やるのだ。どれだけ「やめろ」と言われても、やり続けるのだ。で、まったくほんとうにやったつもりがない。……こういう状態で生きていた。だから、ほんとうに『悪気』なんてないんだよ。『勉強の邪魔をしている』つもりなんてないんだよ。親父そっくりなんだよ。いや、むしろ、こういう点では親父の強化版みたいなところがある。ほんとうにやり続けて、やったつもりがしょうじない。そういう認知が、どれだけ言われても、しょうじない。言われたら、腹を立てるけど、本人は(俺が困っているということに関してだけは)知らないままなのだ……。これは、ほんとうに親父譲りで、親父とおなじ。こんなの、芝居でやろうとしてもやれない。意識してやろうとしても、意識してやっているのであれば、やり続けることができない。(普通の人間は、それだけの悪意を維持し続けることができないから)。まったく、意識に登らないから、やり続けることができる。悪意もしょうじない。悪気もない。けど、困ったことをやり続ける。気違い的な意地でやり続ける。ドレダケイッテモオナジダカラ。けど、他の人には「ドレダケイッテモオナジダ」ということがわからない。だから、俺の交渉能力、コミニュケーション能力の問題だと勘違いするやつらが出てくる。こういうしくみなんだよ。勘違いするやつらは、勘違いするやつらで、「自分のコミュ力(りょく)スゲーと思っているようなうぬぼれたやつらだ。だから、『自分だったら、そんなの、交渉してしずかにさせることができるのに(エイリさんは交渉力がないからできなかった)』とどこかで考えているふしがある。『勘違い野郎! いいかげんしろ』……と思う。けど、相手が……その勘違い野郎が働いていて、なおかつ、俺が働いていない状態だと、第三者は、勘違い野郎が言ってることが正しいと思ってしまう。第三者も、気違いヘビメタを経験してないという意味では、勘違い野郎とおなじだし、第三者も気違い兄貴の性格を知らないという意味では、勘違い野郎とおなじだから……勘違い野郎と似たり寄ったりのところがある。おなじ血は流れてないけど、おなじ血が流れているようなところがある……比喩的にはね。だいたい、勘違い野郎も中立的な第三者?も、働いてない人間を下に見るという点ではおなじだからな。『働いてない』人間は、自分たちより一段、二段、三段も劣った存在だと思ってしまう。『働いてない』ということだけで、人をバカにする。軽蔑する。

ぼくはかつて、日本労働教徒という言葉を使ったけど、日本労働教徒は、働いてない人間ならどれだけバカにしてもいいと思っているところがある。
実は、日本労働教徒の『労働観』はおかしい。それに、人によってちょっとしたちがいがある。『人は働くべきだ』と言ったとしても、『人』の範囲がちがうのだ。こういうのは、ここでは書かない。ちょっと話しが複雑すぎる。一点だけ指摘しておきたいのは、実は、基準は暗黙知のように、本人が意識してないところで決まっているということだ。暗黙知のような基準を言葉にしようとすると、ズレがしょうじるのである。ほんとうは暗黙知のように成り立っている基準と本人が意識的に言葉にした基準がズレている。もっと言ってしまうと、『だれが働くべき』で『だれが働かなくてもよいのか』ということについて、本人が意識してない基準が成り立っている。


こういうことの基礎的な考察は『無職の現象学』に書いた。刮目して読んでくださいよ。

2019年6月9日日曜日

こころがない人こそが、『人のため』『社会のため』と口にしやがる


しかし、ほんとうにヘビメタ騒音でつらい。ずっとつらい。
だれもわからないんだよな。俺じゃないから。けっきょく、経験した人じゃないと本当のところはわからない。理解はできるかもしれないけど、それは、経験をともなわない理解で、ぼくが経験したこととは違う。ぼくが経験したことの影響までは理解でない。ほんとうに、『派生』してしまう。ほんとう、どれだけ、つらいか。しかも、つらいということに関して、他人は、『愚痴を言うな』『ネガティブなことを言うな』『ネガティブなことを言うからネガティブなことが起こるんだ(ヘビメタ騒音に関しては大きな間違い)』と思うわけだ。もちろんすべての他人じゃない。しかし、『そう思う』……こころがない他人もいる。けど、そういうこころがない人こそが、愛を口にする。隣人愛、共同体愛を口にする。『人のため』『社会のため』と口にしやがる。おかしい。本人は、まったく気がついてないんだろう。こいつらは、ただ単に、想像力がないだけだ。『つらいんだな』ということが、わからない。とても、血の通った人間だとは思えない。他人事だと思って、簡単に言いやがって。

2019年6月8日土曜日

言葉の認知すら、過去の出来事がなければ成り立たない(過去は現在に影響を与える)

たとえば、「いまげんざい」と発音するとしよう。その場合、「い」と「ま」と「げ」と「ん」と「ざ」と「い」のあいだには適切な間隔が必要なのだ。たとえば、今日の午前一時に「い」と言って、次の日の午前一時〇分一秒目に「ま」と言った場合は、「いま」とは聞こえない。それぞれ「い」と「ま」にしか聞こえない。けど、二四時間と一秒後に次の音(ひらがな)を発するというルールを知っていれば、ルールに従って、暗号を解読するように理解することはできる。しかし、それにはまず、ルールを導き出されなければならない。


最初の「い」を発音したあと「ま」「げ」「ん」「ざ」とそれぞれ適切な時間間隔で、発音するからこそ、最後の「い」が「いまげんざい」という意味をなす言葉の最後の「い」だと認識するのだ……聞いている人は。
それは、最後の「い」が発音される前に、つまり、過去において、順番に「い」「ま」「げ」「ん」「ざ」という言葉が適切な間隔で発音がされたということが、最後の「い」の認知に影響を与えているということになる。

つまり、過去においていくつかの発音をしたということ自体が、新しく発音される「い」の解釈に影響を与えているのだ。これは、過去の出来事が、いま現在?の出来事に影響を与えているということの証拠だ。

過去、適切な間隔で「いまげんざ」と発音されたので、現在?聞こえている「い」が「いまげんざい」の「い」だと認識されるのである。認識されると書いたけど、認識されうるのほうがより正しいだろう。

現在に「?」をつけておいたのは、どういう時間感覚で、それが過去のことになるのかということを、問いたいからだ。時系列的な意味で最小の単位を考えた場合、最小の単位の始まりと終わりがあるという問題が横たわっている。これはつまり、なにを「いま」と考えるのかという問題に他ならない。なにを「いま」と考えるのかということは、裏を返せば、なにを「かこ」として考えるのかという問題でもある。だからこれは、より本質的な問題である。

2019年6月5日水曜日

時間の区切りを最小にした場合、意味がないということになってしまう


もう、つかれた。一日のなかでやっていることが少ない。
ほんとうに、ヘビメタ騒音が鳴ってから、つかれてばかりだ。陸続きだ。区切れなく、つかれている。つかれた日の更新ということになってしまう。

けど、こんなことをどれだけ言ってもヘビメタ騒音に長時間さらされたことがない人にはわからない。

ヘビメタ騒音に一〇年以上毎日さらされたことがない人にはわからない。

だから、『過去は過去』とか『過去のことは現在のことに影響を与えない。過去も未来もなく、いましかない』などということを言いやがる。過去の出来事が現在に影響を与えない場合もあるけど、与える場合もあるということがわかってない。

影響を与えないと言っても、影響が小さすぎて忘れてしまっているだけだ。そういう小さな出来事なら、過去は現在に影響を与えないと言っても間違いではない。しかし、そういう過去の出来事だけではなく、現在に影響を与える過去の出来事もある。

なおさら、毎日繰り返されていた過去の出来事は、現在に影響を与える可能性が高いと言える。そりゃ、繰り返して蓄積されたものだからな。いま、と言った瞬間にリセットされているとでも思っているのか?

 「いま」と言うには、時間が必要だ。「い」を言い終わったあと、「ま」を言わなければならない。けど、「い」を言い終わった瞬間に、「い」と言った過去の出来事が一切合切関係がないことになるなら、たんに「ま」を発音したということだけがわかるのではないか?

あるいは、「ま」という音も、いろいろな音の「連続体」であり、時間の区切りを考えられるかぎり最小にした場合、意味がないということになってしまう。わかるだろうか?

すくなくても「ま」と言ったと認識できるような時間が必要なのだ。これは、とりもなおさず、「いま」「このとき」ではないということにを意味している。時間の区切りを考えた場合、過去の区切り期間内(時間内)に起きたことが、それ以降の現在?の出来事に影響を与えているのだ。どうして、こういうことがわからない?のか?

『瞬間瞬間』などいうことが言われるけど、そこで言われる『瞬間』というものは、存在しない。アトダシでつくった概念だ。ここで言う『瞬間』という概念はたぶん『時間の区切りを考えられるかぎり最小にした場合の最小』の単位時間なのことなのだろう。

しかし、時間は切れ目なく続いているわけで、相当に短い単位時間をつくって考えたにしろ、単位時間内のはじまりとおわりがあるということになってしまうので、『瞬間』はないということになってしまう。

まあ、そんなふうに考えなくても、いま現在に影響を与える過去の出来事というのはある。過去の出来事は「かこのできごと」なので、関係がないと考えるのは、一種の信仰である。信仰なのだから、しかたがないけど、いま現在に影響を与える過去の出来事もあると考えたほうが現象をより明快に説明することができるのである。

無視して歩いていっちゃう気違い兄貴の姿が、目に浮かんで腹が立って腹が立ってしかたがない

夢が叶ったのに、しずんできた。おそろしいほど、しずんできた。
やばい。これはやばい。気が狂いそうだ。

他の人にはわからない理由で、ぼくがくるしい。

風の谷に行けば、多少は気分がまぎれるかもしれないけど、お金がもったいないので風の谷には行けない。けど、こんなやせがまん……。

ラーメンの街に行って来るかな。ラーメンの街なら、八〇分の一ぐらいですむ。

ほんとうにあんなにムキになってヘビメタを鳴らしやがって。しかも、「うち」でしか鳴らせないほどでかい音で鳴らしやがって。しかも、毎日毎日、すべでの時間を使って鳴らしやがって。

シーンが浮かぶ。これ、昨日の夜もそうだったんだけど、気違い兄貴に「鳴らすな」と言っているのに、シランプリで自分の部屋に向かって歩いて行く気違い兄貴の姿が浮かぶ。そこの!廊下!! 「入試だから困る」「明日試験だから困る」と言っているのに、気違い親父のようにへんな感じで歩いていっちゃって……。これ、ほんとうになにも感じてないんだよ。なにも感じてない。どれだけ言われても、弟が自分の騒音で困っているということが、気違い親父並みに、わからない。わからない。この、「わからなさ」が他の人にはわからない。うちにいない人にわからない。ヨソの人にはまったくわからない。そして、兄貴本人も、わからない。兄貴本人は、親父のことについてはわかるけど、自分がやっていることについては、親父のようにわからないままなのだ。わからないまま、頑固にやり続ける。「なんだってかんだって」「ぜったいのいじで」やり続ける。何百回、何千回、何万回、絶対の意地でやり続ける。ならば、相手が必死になって言っているを無視して「やった」のに本人は「まったくやったつもりがないまま」なのだ。こういうことが「ふつう」に成り立つのが……成り立ち続けるのが……毎日毎日何年間も何年間も「ふつう」に成り立ち続けるのが、「うち」なのだ。だから、他の人にはまったくわからないよ。俺が言っていることがへんなふうに聞こえる。体験、したことがないから、勝手に『どれだけ鳴らされたって自分は大丈夫だ』という前提でものを言う。言いやがる。「うち」のことに関して、常に間違った前提で間違ったことを言う。ヨソの人は……。ヘビメタ騒音を経験したことがない人は……。

無視して歩いていっちゃう気違い兄貴の姿が、目に浮かんで腹が立って腹が立ってしかたがない。これ、絶望的な時間なんだよ。鳴っている時間というのは、ただ単に「べんきょうができないじかん」じゃない。そんなんじゃない。「そんなんじゃない」って言っているのに、ほんとうにヨソの人は、わかってないな。ただ単に勉強ができなくなる時間ではなくて、ものすごい『マイナス』時間なのだ。すべてがうばわれる。でやられているあいだだけに限定されているわけではなくて、六時間から一四時間鳴らされると、……一日に六時間から一四時間鳴らされると……鳴らされていない時間も、だるくてだるくて、能力が下がった状態でだめになってしまうのだ。どんだけ、体が重たいか。鳴らされたあと、どれだけからだが重たいか。気分が重たいか。頭がまわらなくなるか。不安な気持ちになるか。

2019年6月4日火曜日

どんだけの飢餓感がしょうじるか?


それにしても、ここまで、想像想像、空想空想で生きてきたなぁ。しかし、(ここに書くべきではないけど)ヘビメタ騒音で普通の体力がない。普通に暮らせない。すべての挑戦は、普通に暮らせるところでやらなきゃダメなんだよ。普通に暮らせないのに、挑戦するなんて、無理。挑戦すること自体が無理という状態だ。これ、わかる人いるかな? 普通の生活ですら成り立たないのに、なにか他のことを付け足してやるということはできないんだよ。
基礎がない状態だとだめなんだよ。基礎がない状態で挑戦するときは、基礎の穴埋めを他の人にたのんで、他の人にやってもらわなければならない。そもそも、そういう状態にない人が、そういうことをできるはずがない。なんてたって、『敵』は家族なのだから。生活を成り立たせることができない状態になったのは、家族の趣味のせいなのだから。せいなのだから」というと拒否反応を示す人がいるか? なら、もうちょっと正確に言おう。家族の趣味が原因で、困っている。家族の趣味が原因で、普通の生活が成り立たないようになった。ほんとうに『原因』が家族の行為なのである。もちろん、「やめろ」と何回も言うわけだけど、サイコパス的な家族で、絶対に言うことを聞かない。殺さなければ、やめさせることができない。事実、できない。そういった場合、新しいことに挑戦することができなくなる。

++++++++++

それにしても、『好きすぎてホストを殺してしまった人』のふわっふわした笑顔が気になるなぁ。たぶん、ふわっふわしたリアルなんだろうな。



まあ、いいや。そんなの俺に関係がない。


俺がさみしいんだよ。どうするんだよ。



実は、むかしのパソコンよくを成仏させるために、モニターを買った。



俺にとっての理想的な状態って、『俺が好きな女の子』『パソコン』『本』『自分の才能を発揮できる仕事』がそろっている状態なんだよな。



ヘビメタ騒音がなければ、青春時代に全部そろった。全部。まあ、『自分の才能を発揮できる仕事』はなくてもよいとする。ヘビメタ騒音がなければ……。気違い兄貴が気違い兄貴のやり方で、気違い兄貴の感覚で……ヘビメタを鳴らさなければ……。気違い兄貴がヘビメタに興味を持たなければ……。三つは可能だった。手に入れられた。ところが、ところが……。どんだけの飢餓感がしょうじるか? 飢餓感。飢餓感。飢餓感。

2019年6月2日日曜日

いま、日曜日の午後一時四五分なんだけど


いま、日曜日の午後一時四五分なんだけど、この時間も激しく鳴っていた。気違い親父が勝手に植えた竹を切ったんだけど、目にゴミが入った。竹には虫がいないように見えたけど、実際に切ってみると、粉のような虫が舞うし、ほこりが舞う。切り口以外からもほこりが舞う。腹立たしいな。防塵サングラスをつけようと思ったけど、なくなってしまった。なんか、これ、ヘビメタ騒音のなかで「ものをさがしている」ときとおなじなんだよな。けっきょく、防塵サングラスなしでやった。竹を捨てるのはめんどうくさい。葉っぱのほうを落として、葉っぱは葉っぱでまとめて捨てなければならないのだ。芯の方(竹の幹?側)は、一メートル以内に切って、ひもでまとめて捨てる必要がある。
気違い親父がやったことの穴埋めをしているのだけど、もう、いやだ。だから、『やめてくれ』『塀に沿って植物を植えないでくれ』と言っただろ。ネズミのことだって、『ネズミがくるから、魚の切り身をそのまま出しておくのはやめてくれ』と言っただろ。おまえ、ネズミの糞とほこりで、俺がどれだけ困っていると思っているんだ。『ネズミなんて出ないよ』と怒って言ってたけど、出たじゃない。出たら、出たで、『もう出ないよ』とこれまた、怒って言いやがる。侵入経路があるのだから、出るだろ。『おいしいものがある』と学習してしまったのだから出るだろ。ネズミの糞は、調べれば調べるほどやっかいなものだった。生物兵器みたいなものだな。いろいろなばい菌を空気中に『放出』している。放出と言うよりも、花粉みたいな感じなんだけどな。めんどうだな。ぼくには到底切れない木がある。あれをプロにたのむと三万円ぐらい取られるのかな? 横のうちの方に枝が出ているのがあるんだよ。横の人は、『目隠しになるからいい』と言ってくれたんだけど、それはもう、十年以上前だ。そのときより、当然、育って、横に出ている。塀を越えて、「あっちがわ」に枝が出ている。横の家の窓につきそうなんだよな。

ともかく、それで、俺が今週の木曜日に親父の病気のことで、A病院とB病院に行かなければならないというのは、問題がある。しかも、時間を決められている。で、ほんとうにやばいのである。今日、午前一一時に起きた。昨日は午前一〇時だ。で、たとえば、今日、午前九時に起きて行動することができたかというと、できない。これ、A病院に自転車で行くとなると、事故を起こす可能性がある。普通の状態じゃない。また、四〇時間ぐらい起きているような状態になってしまう。木曜日だと午後三時に起きるのが普通の状態だということになる。気違いヘビメタに一四年以上毎日たたられた人じゃないとわからないけど、ほんとうにつらいのだ。これ、ほんとうに、けっきょく、一四年以上毎日経験した人と、一四年以上毎日経験してない人とでは、基本的に意見が異なる。前も書いたけど、けっきょく、ぼく以外の人はそういう経験をしていないのだから、経験をしてない人として、『なんとか起きれない??』などと言いやがる。そういうことが、すべて、屈辱だ。もちろん「なんとか起きれない??」と言う人は、別に悪意はないのだろう。けど、ゆるせない。ゆるせないと言ったら、ゆるせない。……もう、そういう状態になる。あれだけでかい音で、自分がこの世で一番嫌いな音を、何時間も何時間も連続して聞かされる……聞かされ続けるということがどういうことなのか、他の人はわかってない。しかも、相手が家族であるという特殊な状態についてまったく理解してない。これ、家族ではないという意味で「他人」だったらどれだけ楽に話がつくか? そして、気違い親父が気違い親父でなければ、どれだけ楽に解決するかわからない。親父が兄貴と同じ性格で、兄貴に対して、ちょうど「ヘビメタ騒音をやる」ようなことをしてきたというのが問題なのだ。親父はもちろん、ヘビメタ騒音をやらなかった(鳴らされなかった)わけだけど、そういうことじゃない。構造だけ考えて、項目を入れ替えると、気違い兄貴がヘビメタを鳴らすような態度で、きちがい行為をやって、絶対にゆずらなかったということがわかる。そういうことが、毎日毎日、……ほんとうに一日に何十回も、何百回も繰り返されてきた。親父が親父だから、親父モードで行動して判断すると、何回も何回もそういうことをするということになってしまう。要は、(1)「迷惑行為を夢中になってやる」(2)「夢中になってやっている迷惑行為は『相手』がどれだけやめてくれと言ってもやめてやらない」(3)「何百回言われても、やめてやらないけど、本人は「そうした」というつもりがない(認識がない)」という構造がおなじなのだ。迷惑行為というのを、Xとして考えると、そのXにいろいろな項目を代入してもおなじだということになる。ヘビメタを鳴らすという項目を代入しても、「いちゃもんをつけて発狂する」という項目を代入してもかわらない。構造は変わらない。おなじなのである。ちなみに、「本人の気分で植木を植える(植えたくなったら、まわりの人がどれだけ「やめてくれ」と言っても、無視して植える)」とか、「魚の切り身をテーブルのうえに出したままにしておく」とかいったことも、代入できる。問題なのは(3)だ。ほんとうにそのときは、気違い的な意地で相手の言っていることを無視して、相手の存在を無視して、やりきるけど、本人はやったつもりがまったくないのだ。これが困る。これが、普通の記憶障害と違うのは、「じぶんがせめられているかどうか」という判断が成り立っているというところで違う。「せめられた」途端に「やってないやってない」「そんなんじゃないそんなんじゃない」と言うのである。で、言っているときは、そういう「つもり」なのである。ほんとうに、そうであるつもりなのである。嘘を言っているつもりがないのである。で、要するに本人が怒って、相手が言っていることを「ふうさ」してしまえば、それで関心がなくなってしまうわけで、嘘を言ったのかどうかということは、まったく問題にならない。意識に登らない。だから、時系列的には普通の記憶障害と似たような感じになる。けど、嘘なんだよね。嘘でかためている。ともかく、兄貴がヘビメタ騒音でやったことは、親父が他のことでやったことのコピーなので親父には、兄貴にとやかく言って「やめさせる」ということができない。で、こういうところでも、気違い親父の構造が成り立っているわけで、『注意してくれ』と言われたら、絶対に注意しないでのりきるということになってしまう。意地でも注意してやらないということになる。そういう行動をとる。「(兄貴に)注意してくれ」と言われたら、「そんなの、なっちゃったらなっちゃったでしかたがない」と言って怒ってしまう。そういう、でたらめなことが発生する。『家族で話し合って」『そんなことは、家族で話し合えばいい』というような家庭ではないのだ。ぜんぜん違う。お母さんは、お母さんで、困っているだけだ。お母さんが、兄貴に注意すると、兄貴は、『お母さんは、エイリの味方をして』と怒ってしまう。一度だけ、『お母さんにそんなことを言うなぁ』などと言って、本人のなかではしずかにしてやったことがあるのだけど、それは、気違い兄貴本人の中で静かにしたということであって、全然静かになってない。こういう、ほんとうはやってないのにやってやったつもりになるという「いじわる」も親父のコピーだ。「いじわる」と書いたけど、「いじわる」なんてなまやさしいものじゃないぞ。普通の相手は、激高してしまう。そりゃ、腹が立つだろ。「こっち」がどれだけ言っても、まったく役に立たないアイディアを思いついて、そのアイディをやってやったから、やってやったという態度で、当初の迷惑行為をずっとやり続けるわけだから、腹が立つだろ。一日に何時間も何時間も……執着してやっているのに、本人は「やってない」と思っているんだからな。あるいは「譲歩してやったからいい」と思っているわけだからな。こんなのない。

ヘビメタ騒音が何時間も何時間も鳴っている暮らしというのは、体が九割ぐらい、くさっているような状態で生きているのとおなじ暮らしなんだよ。どんだけつらいか。どれだけ能力を制限されるか。そして、どれだけ『ヨソの人』にはそれがわからないか。気違い兄貴が気違い兄貴のしくみで……気違い兄貴のしくみは気違い親父のコピーなんだけど……気違い兄貴のしくみで……なにもしてないつもりで!!頑固に頑固にやり切るからこういうことになってしまうんだぞ。

いま、竹を何本も切ってきたけど、そして、他の木も切ってきたけど、手をかげした。親指の付け根のところにトゲ状のものが刺さって、出血した。もう、いやなんだよ。

シランプリで、鳴らしやがって、シランプリで鳴らしやがって。いま、四時〇一分。さっき書いたときから、ずっと鳴っているんだぞ。今日じゃない。今日じゃないよ。気違い兄貴が一五歳から三〇歳までの一五年間、俺が一一歳から二五歳までの一五年間、毎週日曜日の午後一時四五分から四時〇一分は気違いヘビメタがずっと、デカイデカイ音で鳴っている時間だ。これから、夜の七時一〇分まで鳴って、それから、七時三九分ぐらいまでしずかだけど、七時四〇分から、また、午後一一一一分ぐらいまで、デカイデカイ音で鳴る。ずっと鳴っていると言うことの、意味がわかってない。『ヨソの人』はずっと鳴っているということの意味がわかってない。かりに、騒音のなかで竹を切るという作業をしたにしろ、不愉快なんだよ。聞かされながらやるわけだから。そして、その作業は、今日の作業よりも安全性が低い。怒ってやる作業で、今日のキズなんかよりもでかい傷をつけてしまう場合がある。で、そういうことを気にして、騒音のなかで作業するというのが地獄なんだ。じゃあ、作業しないで、横になっていればつらくないかというと、そうじゃない。ヘビメタ騒音のなかで横になっているのは、ヘビメタ騒音のなかで作業するのとおなじように、地獄なんだよ。ヨソの人はまったくわかってない。そういう日曜日の積み重ねがどういう月曜日をつくるかわかってない。月曜日に憂鬱な人はいるけど、その人たちは、ヘビメタ騒音一五年を経験してない。違う。そうすると、「もとサザエさん症候群であった人」が、俺に対してえらそうなことを言ってくるということになる。『自分は克服した。こうすれば克服できる』と認知療法家みたいなことを言いやがる。けど、そいつらは、一五年ヘビメタ騒音を経験してない。だから、違う。


これで、俺がもういやだと思って、「うわーーーっ」と声をあげれば、となりのやつは、『あいつは、急に声をあげて。狂っているな』と思うわけだろ。もういやなんだよ。そいつは、楽器が好きで、三つの楽器を練習しているやつだけどな。けど、あいつの楽器はいい。ヘビメタ騒音の何千分の一だ。もっと小さいかな。気違い兄貴の音がでかすぎる。隣の部屋の気違い兄貴の音がでかすぎる。これも、他の人は「どれだけでかい音で鳴ってたと言っても、たいした音じゃないんだろう」と決めつけてしまう。


迷惑行為というのを、Xとして考えると、そのXにいろいろな項目を代入してもおなじだいうことになる


いま、日曜日の午後一時四五分なんだけど、この時間も激しく鳴っていた。気違い親父が勝手に植えた竹を切ったんだけど、目にゴミが入った。竹には虫がいないように見えたけど、実際に切ってみると、粉のような虫が舞うし、ほこりが舞う。切り口以外からもほこりが舞う。腹立たしいな。防塵サングラスをつけようと思ったけど、なくなってしまった。なんか、これ、ヘビメタ騒音のなかで「ものをさがしている」ときとおなじなんだよな。けっきょく、防塵サングラスなしでやった。竹を捨てるのはめんどうくさい。葉っぱのほうを落として、葉っぱは葉っぱでまとめて捨てなければならないのだ。芯の方(竹の幹?側)は、一メートル以内に切って、ひもでまとめて捨てる必要がある。
気違い親父がやったことの穴埋めをしているのだけど、もう、いやだ。だから、『やめてくれ』『塀に沿って植物を植えないでくれ』と言っただろ。ネズミのことだって、『ネズミがくるから、魚の切り身をそのまま出しておくのはやめてくれ』と言っただろ。おまえ、ネズミの糞とほこりで、俺がどれだけ困っていると思っているんだ。『ネズミなんて出ないよ』と怒って言ってたけど、出たじゃない。出たら、出たで、『もう出ないよ』とこれまた、怒って言いやがる。侵入経路があるのだから、出るだろ。『おいしいものがある』と学習してしまったのだから出るだろ。ネズミの糞は、調べれば調べるほどやっかいなものだった。生物兵器みたいなものだな。いろいろなばい菌を空気中に『放出』している。放出と言うよりも、花粉みたいな感じなんだけどな。めんどうだな。ぼくには到底切れない木がある。あれをプロにたのむと三万円ぐらい取られるのかな? 横のうちの方に枝がでいるのがあるんだよ。横の人は、『目隠しになるからいい』と言ってくれたんだけど、それはもう、十年以上前だ。そのときより、当然育って、横に出ている。塀を越えて、「あっちがわ」に枝が出ている。

ともかく、それで、俺が今週の木曜日に親父の病気のことで、A病院とB病院に行かなければならないというのは、問題がある。しかも、時間を決められている。で、ほんとうにやばいのである。今日、午前一一時に起きた。昨日は午前一〇時だ。で、たとえば、今日、午前九時に起きて行動することができたかというと、できない。これ、A病院に自転車で行くとなると、事故を起こす可能性がある。普通の状態じゃない。また、四〇時間ぐらい起きているような状態になってしまう。木曜日だと午後三時に起きるのが普通の状態だということになる。気違いヘビメタに一四年以上毎日たたられた人じゃないとわからないけど、ほんとうにつらいのだ。これ、ほんとうに、けっきょく、一四年以上毎日経験した人と、一四年以上毎日経験してない人とでは、基本的に意見が異なる。前も書いたけど、けっきょく、ぼく以外はそういう県警をしていないのだから、経験をしてない人として、『なんとか起きれない??』などと言いやがる。そういうことが、すべて、屈辱だ。もちろん「なんとか起きれない??」と言う人は、別に悪意はないのだろう。けど、ゆるせない。ゆるせないと言ったら、ゆるせない。……もう、そういう状態になる。あれだけでかい音で、自分がこの世で一番嫌いな音を、何時間も何時間も連続して聞かされる……聞かされ続けるということがどういうことなのか、他の人はわかってない。しかも、相手が家族であるという特殊な状態についてまったく理解してない。これ、他人だったらどれだけ楽に話がつくか? そして、気違い親父が気違い親父でなければ、どれだけ楽に解決するかわからない。親父が兄貴と同じ性格で、兄貴に対して、ちょうど「ヘビメタ騒音をやる」ようなことをしてきたというのが問題なのだ。親父はもちろん、ヘビメタ騒音をやらなかった(鳴らされなかった)わけだけど、そういうことじゃない。構造だけ考えて、項目を入れ替えると、気違い兄貴がヘビメタを鳴らすような態度で、きちがい行為をやって、絶対にゆずらなかったということがわかる。そういうことが、毎日毎日、……ほんとうに一日に何十回も、何百回も繰り返されてきた。親父が親父だから、親父モードで行動して判断すると、何回も何回もそういうことをするということになってしまう。要は、(1)「迷惑行為を夢中になってやる」(2)「夢中になってやっている迷惑行為は『相手』がどれだけやめてくれと言ってもやめてやらない」(3)「何百回言われても、やめてやらないけど、本人は「そうした」というつもりがない(認識がない)」という構造がおなじなのだ。迷惑行為というのを、Xとして考えると、そのXにいろいろな項目を代入してもおなじだということになる。ヘビメタを鳴らすという項目を代入しても、「いちゃもんをつけて発狂する」という項目を代入してもかわらない。構造は変わらない。おなじなのである。ちなみに、「本人の気分で植木を植える(植えたくなったら、まわりの人がどれだけ「やめてくれ」と言っても、無視して植える)」とか、「魚の切り身をテーブルのうえに出したままにしておく」とかいったことも、代入できる。問題なのは(3)だ。ほんとうにそのときは、気違い的な意地で相手の言っていることを無視して、相手の存在を無視して、やりきるけど、本人はやったつもりがまったくないのだ。これが困る。これが、普通の記憶障害と違うのは、「じぶんがせめられているかどうか」という判断が成り立っているというところで違う。「せめられた」途端に「やってないやってない」「そんなんじゃないそんなんじゃない」と言うのである。で、言っているときは、そういう「つもり」なのである。ほんとうに、そうであるつもりなのである。嘘を言っているつもりがないのである。で、要するに本人が怒って、相手が言っていることを「ふうさ」してしまえば、それで関心がなくなってしまうわけで、嘘を言ったのかどうかということは、まったく問題にならない。意識に登らない。だから、時系列的には普通の記憶障害と似たような感じになる。けど、嘘なんだよね。嘘でかためている。ともかく、兄貴がヘビメタ騒音でやったことは、親父が他のことでやったことのコピーなので親父には、兄貴にとやかく言って「やめさせる」ということができない。で、こういうところでも、気違い親父の構造が成り立っているわけで、『注意してくれ』と言われたら、絶対に注意しないでのりきるということになってしまう。意地でも注意してやらないということになる。そういう行動をとる。「(兄貴に)注意してくれ」と言われたら、「そんなの、なっちゃったらなっちゃったでしかたがない」と言って怒ってしまう。そういう、でたらめなことが発生する。『家族で話し合って」『そんなことは、家族で話し合えばいい』というような家庭ではないのだ。ぜんぜん違う。お母さんは、お母さんで、困っているだけだ。お母さんが、兄貴に注意すると、兄貴は、『お母さんは、エイリの味方をして』と怒ってしまう。一度だけ、『お母さんにそんなことを言うなぁ』などと言って、本人のなかではしずかにしてやったことがあるのだけど、それは、気違い兄貴本人の中で静かにしたということであって、全然静かになってない。こういう、ほんとうはやってないのにやってやったつもりになるという「いじわる」も親父のコピーだ。「いじわる」と書いたけど、「いじわる」なんてなまやさしいものじゃないぞ。普通の相手は、激高してしまう。そりゃ、腹が立つだろ。「こっち」がどれだけ言っても、まったく役に立たないアイディアを思いついて、そのアイディをやってやったから、やってやったという態度で、当初の迷惑行為をずっとやり続けるわけだから、腹が立つだろ。一日に何時間も何時間も……執着してやっているのに、本人は「やってない」と思っているんだからな。あるいは「譲歩してやったからいい」と思っているわけだからな。こんなのない。

ヘビメタ騒音が何時間も何時間も鳴っている暮らしというのは、体が九割ぐらい、くさっているような状態で生きているのとおなじ暮らしなんだよ。どんだけつらいか。どれだけ能力を制限されるか。そして、どれだけ『ヨソの人』にはそれがわからないか。気違い兄貴が気違い兄貴のしくみで……気違い兄貴のしくみは気違い親父のコピーなんだけど……気違い兄貴のしくみで……なにもしてないつもりで!!頑固に頑固にやり切るからこういうことになってしまうんだぞ。

いま、竹を何本も切ってきたけど、そして、他の木も切ってきたけど、手をかげした。親指の付け根のところにトゲ状のものが刺さって、出血した。もう、いやなんだよ。

シランプリで、鳴らしやがって、シランプリで鳴らしやがって。いま、四時〇一分。さっき書いたときから、ずっと鳴っているんだぞ。今日じゃない。今日じゃないよ。気違い兄貴が一五歳から三〇歳までの一五年間、俺が一一歳から二五歳までの一五年間、毎週日曜日の午後一時四五分から四時〇一分は気違いヘビメタがずっと、デカイデカイ音で鳴っている時間だ。これから、夜の七時一〇分まで鳴って、それから、七時三九分ぐらいまでしずかだけど、七時四〇分から、また、午後一一一一分ぐらいまで、デカイデカイ音で鳴る。ずっと鳴っていると言うことの、意味がわかってない。『ヨソの人』はずっと鳴っているということの意味がわかってない。かりに、騒音のなかで竹を切るという作業をしたにしろ、不愉快なんだよ。聞かされながらやるわけだから。そして、その作業は、今日の作業よりも安全性が低い。怒ってやる作業で、今日のキズなんかよりもでかい傷をつけてしまう場合がある。で、そういうことを気にして、騒音のなかで作業するというのが地獄なんだ。じゃあ、作業しないで、横になっていればつらくないかというと、そうじゃない。ヘビメタ騒音のなかで横になっているのは、ヘビメタ騒音のなかで作業するのとおなじように、地獄なんだよ。ヨソの人はまったくわかってない。そういう日曜日の積み重ねがどういう月曜日をつくるかわかってない。月曜日に憂鬱な人はいるけど、その人たちは、ヘビメタ騒音一五年を経験してない。違う。そうすると、「もとサザエさん症候群であった人」が、俺に対してえらそうなことを言ってくるということになる。『自分は克服した。こうすれば克服できる』と認知療法家みたいなことを言いやがる。けど、そいつらは、一五年ヘビメタ騒音を経験してない。だから、違う。


これで、俺がもういやだと思って、「うわーーーっ」と声をあげれば、となりのやつは、『あいつは、急に声をあげて。狂っているな』と思うわけだろ。もういやなんだよ。そいつは、楽器が好きで、三つの楽器を練習しているやつだけどな。けど、あいつの楽器はいい。ヘビメタ騒音の何千分の一だ。もっと小さいかな。気違い兄貴の音がでかすぎる。隣の部屋の気違い兄貴の音がでかすぎる。これも、他の人は「どれだけでかい音で鳴ってたと言っても、たいした音じゃないんだろう」と決めつけてしまう。

+++++++++++

小さいころ家族と?食べに行ったそば屋さんでカレーを食ってきた。カレーでオッケー。そばじゃなくて、カレーを食べたかった。あそこのカレーは何十年ぶりだろう。

それにしても、ほんとうにヘビメタ騒音の雰囲気しかない。いま、日曜日の午後五時五一分。気違いヘビメタが鳴ってた。どれだけ俺が、「しずかにしてくれ」と叫んでも鳴ってた。何回、言いに行ったと思っているんだよ。日曜日、一日にだけで何回、言いに行ったと思っているんだよ? 兄貴? 二〇回、三〇回、それ以上だ。

俺がその時間どれだけつらいか、だれもわからない。俺が次の月曜、どれだけつらいか、だれもわからない。俺がサボっているようにしか見えない。外から見えるとそうだ。日曜にやるはずの宿題だって、騒音のなかでできない。俺がサボっているようにしか見えない。『日曜なんだから、時間なんていくらだってあるはずだ』と言いやがる。部活をやっているやつは、部活をやめた俺に『俺なんて部活があるのに、宿題をやってきるんだぞ。部活もないのに、宿題ができないなんて……』と言いやがる。そいつには、ヘビメタ騒音がない。四六時中ガンガン鳴っているヘビメタ騒音がない。そいつには『部活』があるかもしれないけど『ヘビメタ騒音』はない。


++++++++++++




2019年6月1日土曜日

「やらないでくれ」と言ったのに、やりやがって



風呂の床を掃除した。目地の汚れを落とすのがたいへんだった。あーあ つかれた。

で、どうしようかな。そういう作業をして、そのあと、ダニを殺すために冷凍したズボンを、干すことにした。で、干した。冷凍は二種類ある。かわいたやつを冷凍する方法としめっているやつを冷凍する方法だ。両方ともためしている。

最近、掃除ばっかりだ。ところが、終わりが見えない。庭の竹を切らなければならないのだけど、そういう行為も、まったくやりたくない。やりたくないんだよーー。どうして、めんどうを増やすようなことをするんだよーー。俺は何回も『竹は植えないでくれ』と言っておいたのに。『ちゃんと切ってくれ』と言っておいたのに。けっきょく、ぼーぼーになって俺がやんなきゃならない。そういうことが多すぎる。

ネズミだって、ネズミの糞だって、ネズミ経由のなめくじだって、ネズミ経由のダニ・のみだって、みんなまるまるがやったことが原因でそうなっているんだぞ。だから、俺が「皿の上に魚を置いて、ずっと出しておくようなことはやらないでくれ」と言ったのに、「だいじょうぶだだいじょうぶだ」と呪文のように言ってやりやがって。

そうやって、俺の用事を増やす!!!
植木だって、親父が問答無用で塀に沿って植えるから、いろいろな問題が発生するんだぞ。
わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



人気の投稿

「公開バージョン」はもとのバージョンの一部を文脈に関係なく削除したものなので、段落と段落のつながりがおかしい場合があります。(少し不自然な場合があります)。ご了承ください。

死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。