2025年12月14日日曜日

●しあわせな生活を想像できない■騒音※2025/12/14 13:13

 まあ、端的に言って、しあわせな生活を想像できない。想像することができない。

これが、やっかいなんだよな。そりゃ、理想的な生活はある。自分にとって、理想的な生活はある。しかし、ヘビメタ騒音で破壊された。それは、わかい時期を破壊されたということだ。わかい時期というのが、ほんとうに重要なのだ。気持ちの問題というのがあるからね。

問題なのは、たとえば、楽しく感じないということだ。これも、長期騒音の結果なんだけど、そうなんだよ。実際に、そうなんだよ。実際に、楽しく感じないんだよ。意欲の問題もある。この楽しく感じる力と、意欲というのは、おなじものを別の言い方で言っているのではないかと思える。まあ、それぞれ、多少ちがう側面に光が当たっている言い方なのだろうけど、だいたいはおなじだ。もっている、実際的な意味がおなじなんだよね。

でっ、問題なのは、自分の意志では、「楽しく感じることができない」ということなのだ。これに関しては、いろいろと言いたいことがある人がいるだろう。「自分は意志で、楽しく感じることができる」と言いたくなる人もいるだろう。その人たちとぼくのちがいはなにかと言えば、きちがいヘビメタ騒音がずっと鳴っていたかどうかのちがいだと思う。

この「自分は意志で、楽しく感じることができる」と言いたくなる人は、本人は「自分だってつらい思いをした」と言うけど、ほんとうは、たいしてつらい思いをしていない人なのである。もう、はっきり断言できる。ほんとうは、たいしてつらい思いをしていないから、「自分は意志で、楽しく感じることができる」と思っているだけなのだ。たぶん、刺激の程度と期間の長さがちがうのだと思う。

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自分の意志で、自分の感じ方を制御できると言い張る人たちもいるけど、この人たちは、感じ方の根源を決めてしまうような体験がない人たちなのだ。あるいは、言霊主義者のように、ほんとうの現実を無視して、「そのときだけ」「その気になっているだけ」の人たちかもしれない。ほんとうは、言霊主義者だって、自分が言った通りに感じる存在ではないのだ。自分が言ったって、自分の感情をかえられないときがあるのだ。実際には、自分が言ったって、自分の感情をかえられない「時間」のほうが長いのに、その「長い時間」を無視してしまうのである。実際には、自分が腹を立てているときは、「うれしい」と言ったって、うれしくならないのに、そういうことは、ガン無視して、「自分は自分の意志で自分の感情を制御できる」と思っているだけなのだ。「自分の感情を制御するには、言えばいい」ということになっている。自分にとって、都合がいい感じ方があったとする。たとえば、「楽しい」とか「うれしい」という感じ方だ。出来事に関係なく「楽しい」と言えば、「自分は楽しく感じる」のである。出来事に関係なく「うれしい」と言えば、「自分はうれしく感じる」のである。そういうことが、自分にはできると「意識的には」確信している。けど、実際の生活のなかでは、ぜんぜんちがうのである。腹が立っているときに、「うれしい」と感じるべきだと思って「うれしい」と言っても、うれしく感じないはずなのである。けど、言霊主義者はそういうことを、無視してしまう。全部の時間、自分は、自分が言ったとおりの感情を維持できると思っているのだ。「どんなにつらいことがあったって、楽しいと言えば楽しく感じる」のである。だから、つらいときは、「楽しい」と言えば、それで、楽しくなるので、問題が解決するのである。自分が言えば、自分が言ったとおりに、自分が感じることができるという「現実的ではない」自己イメージをもっているのだ。

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実際に、きちがい兄貴がきちがい騒音を爆音で鳴らしているときも、爆音で鳴らし終わった後も、ひどい時間なのに、こいつらがわかっていないだけなのである。もちろん、ヘビメタが好きなら、わからないだろう。けど、そういうやつらにだって、苦手な音があるはずだ。この世で一番嫌いな音があるはずだ。この世で一番嫌いな音が、ガンガン、隣の部屋で鳴っていたら、うるさいと思うのである。こういうやつらだって、うるさいと思うのである。そして、それが続けば、こういうやつらにだって、体調の変化が訪れるのである。体調の変化と言うのは、そのまま、意欲や感じ方の問題に移行するのである。全体性と言うのがあるんだよ。脳だって、機関なのだから、影響を受ける。脳だけは、影響を受けないまま存在し続けるという考え方は、明らかにおかしい。脳も、内臓とおなじ機関なんだよ。生物的な機関なんだよ。だから、外界の刺激があれば、影響を受ける。なんで、音という外界の刺激だけ、影響を受けないと考えることができるんだよ? おまえら、ほんとうに、頭がおかしいことを言いやがって。 

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。