2024年1月27日土曜日

言霊のすごい力で、言霊主義者は「言霊理論はまちがっている」と思うようになる。

「相手をかえることは、できないから、自分がかわるしかない」なんてことを精神世界の人は言うけど、それと同時に、言霊の力を信じているとなると、問題がある。

言霊の力で、相手をかえることはできる。自分がかわらなくても、相手をかえることができる。

「相手をかえることができない」という認識は、どこからしょうじるのか?

言霊の力で、相手の言い分なんていくらでもかえることができる。どうして、「相手をかえることができない」と言うのか?

それは、現実的な場面で、相手をかえられなかったから、相手をかえられないと思ったのだ。そして、言霊の力は、現実的な問題に関しては、まったく無力なのである。

言ったって、言っただけで終わってしまう。

それを知っているから、「相手をかえることは、できないから、自分がかわるしかない」などと言いだすのだ。

たとえばの話だけど、言霊主義者に、ぼくが「言霊理論はまちがっている」という話をしても、言霊主義者の意見はかえられない。言霊理論が正しいなら、ぼくが、言霊の力で、言霊主義者の意見をかえることができるのだけど、言霊の力では、言霊主義者の意見をかえることができないのだ。

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 「相手をかえることは、できないから、自分がかわるしかない」というような考えを、とりあえず、自分変換主義と呼んでおこう。そういうことを信じている人を、自分変換主義者と呼んでおこう。 

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 自分変換主義者であって、なおかつ、言霊主義者である人について考えてみよう。このふたつの考え方は、「精神世界」のなかでは、よくある考え方だ。かさなっている場合だって、多い。

自分変換主義者であって、なおかつ、言霊主義者である人は、他人には「相手をかえることは、できないから、自分がかわるしかない」と言うけれども、言霊理論がまちがっているということは認めない傾向がある。

ぼくが、「言霊理論はまちがっている」と言ったら、相手であるぼくの意見をかえることができないのだから、自分変換主義者であって、なおかつ、言霊主義者である人が、自分の意見をかえればいいのだ。「自分がかわるしかない」と言っているのだから、そうすればいい。

けど、実際にはそうしない。「単純なのが正しい」「アバウトでいいんだ」「正しさにこだわるな」と言って、言霊理論を信じたままなのである。

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「すべては受け止め方の問題だ」というようなことを言っている人のことを、受け止め方主義者と呼ぶことにしよう。

 受け止め方主義者であって、言霊主義者である人は、言霊の力を使って、相手の意見や相手のありかたをかえればよいのだ。そうすれば、自分の受け止め方をかえる必要はない。言霊理論にしたがえば、「言ったことが現実化する」のだから、ある人の意見や行動を、自分の言葉でかえることができるということになる。

それは、言霊の力によって、言ったことが現実化するのだからそうすることができる。

たとえば、AさんとBさんがいるとする。Aさんが、「言霊理論はまちがている」と言ったとする。Bさんが言霊主義者であって、なおかつ、言霊にはすごい力があるなら、Bさんは、「Aさんは、言霊理論が正しいと思うようになる」と言えば、それで、Aさんは、言霊のすごい力によって、『言霊理論が正しい』と思うようになる……はずだ。

言霊がそれほど大きな力をもっているのであれば、人の意見を、自由自在にかえることができるのだから、別に、自分の意見をかえる必要がないのである。

言霊がそれほど大きな力をもっているのであれば、人のありようを、自由自在にかえることができるのだから、別に、自分の受け止め方をかえる必要がないのである。

逆の立場で考えてみよう。言霊にすごい力があるなら、「言霊理論はまちがっている」と考えている人は、言霊主義者に、「言霊理論はまちがっていると思うようになる」と言えばよいのだ。そうすると、言霊のすごい力で、言霊主義者は「言霊理論はまちがっている」と思うようになる。

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言霊にはほんとうに、すごい力があるけど、言霊の力を使って、人の意見や人のありようをかえるのよくないことだから、言霊主義者は、このような場合、言霊の力を使わないようにしているのだろうか。いや、ちがう。 単に、言霊の力がないだけだ。

これは、「言ったことが現実化する」と言っておきながら、「言ったって死んだ人は生き返らない」と言うのとおなじタイプのあやまりだ。

「言えば、言ったとおりになる」→「人はかわらないから、自分がかわるしかない」

言霊のすごい力で、言えば、人がかわるのだけど、そういうことは悪いことだからやめておこう……(いつわり)。言っても、人はかわらないから、自分がかわるしかない……(現実に押し切られたときに感じること)。 

「言えば、言ったとおりになる」→「受け止め方をかえればいいんだ」。いやー、言えば言ったとおりになるなら、受け止め方なんてかえないで、言霊の力を使って、現実をかえたほうがよいと思うけどなぁ~~。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。