たとえば、ふるい自転車を使ってる人は、職質をうけやすいとする。あくまでも仮定だ。ふるい自転車を使っている人は、おカネにこまっているだろうから、犯罪を犯しやすいと警察官が考えている場合は、そうなる。ある人が、大学を中退して無職になったあと、ふるい自転車に乗っているときに職質されたとする。おなじような状態で、何回か、職質されたとする。その場合、「職質をうける」という暗いことを考えたから、職質をうけたのだろうか。ちがうのである。ふるい自転車を使っているから職質をうけやすい状態になっている。職質をうけやすい状態で、時間が経過すると、時間の経過とともに、職質をうける回数が増える。なので、「暗い考えをもっている」と「暗いことが起こる」と思ってしまう。この人が、明るい言霊主義者だったとしよう。その場合、「暗いことが起こるので、暗いことを考えないようにしよう」と思ったとする。で、それとはまったく関係なく、ある日、タイヤがパンクしたので、ふるい自転車を新しい自転車に買い替えたとする。その場合、新しい自転車を使ってからは、職質をうけなくなったとする。タイヤがパンクすることは、「暗いことが起こった」ということになるのだけど、そのことについては、今回は考えないことにする。ともかく、新しい自転車に乗っている人は、おカネに余裕があるので、犯罪を犯しにくいと警察官が考えているなら、とりあえず、新しい自転車に乗っているその人は、職質の対象からははずれる。これは、ふるい自転車を新しい自転車にかえるということによってしょうじたことだ。外部環境は、この場合、自転車と警察官だ。その人が「暗いことを考えているかどうか」とは関係がない。行動が変化したことによって……どうのこうのという場合もあるけど、この場合は、自転車が変化したことによって、職質をうけなくなったのだ。けど、その人は、「暗いことを考えないようにしたから、職質をうけなくなった」と思うかもしれない。ほんとうは、別の原因で職質をうけなくなったのだけど、本人は、そう思っているとする。だれも、「別の原因で職質をうけなくなったんだよ」と教えてくれない場合は、そういう考えをもち続けることになる。本人がほんとうの理由に気がつくまでは……「(職質という)暗いことを考えないようにしたら、(職質という)暗いことが起こらなくなった」と思うのである。ようするに、本人は意識してないのだけど、原因が消失する場合がある。その悪いことに対応した原因が消失したあとの期間と、本人が「暗い考えをもたなければ、暗いことは起こらない」と思っている期間が、かさなる場合がある。その場合は、そういう考えを、強化してしまう。けど、原因は別なんだよ。原因は別。
ようするに、「暗い考えを頭の中から排除すれば、暗いことは起こらない」と思っている期間中に、実際にほんとうの原因が消失した場合は、「暗い考えを頭の中から排除すれば、暗いことは起こらない」という考え方が強化さる。ほんとうの原因が消失して、そのあと、そういう状態が続いた場合の話だ。「暗いことを自分のなかから排除したら、暗いことが起こらなくなった」と思える場合はある。けど、それは、「暗い考えを頭の中から排除すれば、暗いことは起こらない」と思っているあいだに、本当の原因が消失したからだ。ほんとうの原因が消失しない場合は、「暗い考えを頭の中から排除しても、暗いことが起こる」ことになる。あくまでも、その本当の原因によって、それ……その暗いことがもたらされている場合の話だ。
暗い考えというのは、ひとつじゃない。多数の暗い考えが同時進行している場合だってある。それから、外部の原因というのは、無数にある。ひとつじゃない。身体という内部の原因も、たくさんある。 ひとつじゃない。ようするに、実際には、ひとつの原因として「きりわけられること」が複数あるということになる。そして、同時進行している。