たとえば、AさんとBさんがいたとする。そして、AさんとBさんは同じ会社に勤めていて、Aさんは、Bさんの上司だとする。AさんがBさんに「今日中に、あること(アルファ)をやっておけ」と言ったとする。
Bさんは、Aさんが言ったとおりにあること(アルファ)をやったとする。
この場合、日常会話のなかでは「Aさんが言ったとおりにBさんが動いた」わけだから、「Aさんが言ったから、言ったことが現実化した」と表現してもいいと思う。
会話レベルの話を考えるなら「言ったから」でいい。
軍隊のような指揮命令系統がはっきりした組織では「命令」されたから、命令通りにしたという場合がある。だれかが命令したから、その通りになった……。こういう場合は、日常会話のなかでは「から」と言っても、まちがいではない。
けど、それはほんとうに、「から」なのだろうかということを考えると、これは、言った「あと」の特殊なケースだということになる。
いづれにせよ、言霊のすごい力によって、Bさんがそうしたのではないということが言える。
さまざまな条件が成り立っているから、Bさんがそうしたと言えるからだ。
AさんとBさんは同じ会社に勤めているという条件が成り立っている。AさんがBさんの上司だという条件が成り立っている。Bさんが、上司の言うことは、きくべきだと考えているという条件が成り立っている。実際に、Bさんがそのことを遂行できるというフィジカルな条件が成り立っている。
Bさんは、Aさんに言われたあと、Aさんが言ったこと実行したにすぎない。これは、「言ったあと」だ。
けど、日常表現のなかでは、「言ったから」そうなったということが、言える。けど、現象として考えるなら、「あと」の非常に特殊なケースだ。
この場合も、じつは、言霊の力によってそうなったのではなくて、言葉の力によってそうなった。これ、言葉の力なのである。言葉には、意思伝達機能がある。言葉になにか不思議な力が宿っているから、なにか不思議な力によってそうなったのではなくて、ただ単に、命令されたほうが、命令されたということを理解しただけだ。
Bさんが、Aさんの部下でなければ、Bさんは、Aさんの命令通りに動くかどうかわからない。Bさんが、Aさんとおなじ会社に勤めていない場合は、Bさんは、Aさんの命令通りに動くかどうかわからない。
Aさんだって、自分がBさんに命令する立場だと思って、Bさんに命令しているのである。
AさんとBさんが、それまであったことがない関係だったら、いきなり、AさんがBさんに命令することは、ほとんどない。
会社の仕事に関係する用事を、以前あったことがないBさんに、命令するということは、ほとんどない。
かりに、命令したとしても、Bさんは、Aさんの命令通りに動かない場合が多い。Bさんが言うことをきかない確率が非常に高い。そして、Aさんが、精神病なのではないかとBさんが思う場合が多い。Bさんがそう思う確率が非常に高い。
言葉に言霊が宿っていて、その言霊が非常強烈な力をもっていると設定するなら、Aさんが会社の仕事に関係する用事を、以前あったことがないBさんに、命令する場合でも、Bさんは、言霊の非常に強烈な力によって、Aさんが言ったことを実行してしまうのである。
言霊の力によって、そうなると言うのであれば、当然、そうなる。
けど、実際には、そうならない。言霊なる非常に強烈な力がないからだ。
言ったら、言っただけで、言ったことが現実化されるのだ。それなら、Aさんが、「Cさんが一秒以内に死ぬ」と言っただけで、Cさんは一秒以内に死ななければならない。物理的な理由がなくても、超物理的な理由によって、Cさんが一秒以内に死ぬ。
物理的な理由を無視して、言霊のすごい力によって、Cさんが一秒以内に死んでしまう。
Aさんが「Cさんが一秒以内に死ぬと言ったから」死んでしまう。
そういうことはない。
Cさんが死ぬ場合は、ちゃんと、Cさんが死ぬだけの物理的な理由がある。Aさんが「Cさんが一秒以内に死ぬ」と言ったから、ほかになんの理由もないのに、言霊という超物理的な力によってCさんが一秒以内に死ぬということはない。
かならず、物理的な理由がある。
それに、言霊理論にしたがえば、そういう力をもっているのはAさんだけではないのである。
だれだろうが、だれかが言ったことが、超物理的な力によって、現実化されてしまうのである。
こんなことが成り立っているなら、そこらじゅうで、超物理的な現象が起こっている。
蚊という存在が気にくわないDさんがいたとする。Dさんがあるとき「地球上から、すべての蚊が消え去る」「蚊は、地球上に存在しなくなる」と言えば、蚊が存在しなくなるのだ。
言霊が力をもっている世界というのは、そういうことが頻繁に起こる世界だ。
そして、別の人がが、蚊が存在しなくなったことに驚いて、「地球上には、蚊が存在する」と言えば、こんどは、蚊が地球上に存在するようになるのである。
そういう、神のような力を、個々人がもっている世界を、想像しなければならなくなる。
言えば、言っただけで、言った内容が現実化するのである。
どんな場合でも、どんな言葉でも、現実化するのである。
実際には、そういうふうになってない。
「自分は、瞬間移動できる」と言っても、瞬間移動できないままだ。「生き返ると言えば、死んだ人は生き返る」と言っても、死んだ人は生き返らない。「走り幅跳びで、一〇〇〇キロメートルとべる」と言っても、一〇〇〇キロメートルとべるようにならない。言っても、現実化しない。