「言ったら、言ったことが現実化する」という文のなかに、「言っても、現実化しない場合もある」という意味をふくめることは、不可能なんだよ。
けど、言霊主義者は「言ったら、言ったことが現実化する」という文のなかに、「言っても、現実化しない場合もある」という意味をふくめて、「言ったら、言ったことが現実化する」と言っているのだ。最初から、矛盾している。
最初から、みずからの矛盾に気がついてない。
だから、「私は蚊に刺されない」と言ったあと、蚊に刺されても、なんとも思わない。矛盾しているとは思わないのだ。
「言ったことが現実化する場合もあるし、言ったことが現実化しない場合もある」のであれば、「言ったことが現実化する」とは言わずに、「言ったことが現実化する場合もあるし、言ったことが現実化しない場合もある」と言うべきなのだ。
言ったことが、現実化する場合はある。
その場合は、言ったあとに、言霊の力とは関係なく、ほかの原因で、言ったことが現実化するのである。言霊の力によって現実化したのではないのだから、「言ったから、現実化した」としても、言霊理論が正しいということにもならないし、言霊には言ったことを現実化させる力があるということにもならない。
日常生活の場合は、だれかが言って、だれかがそれを実行した場合、「だれかが言ったから現実化した」と言ってもまちがいではない場合がある。 それは、表現としてまちがってないだけだ。
この場合も、別に、言霊のすごい力で、現実化したわけではない。
だれがか、身体を使ってやったから、現実化しただけだ。
自己暗示の場合も、これとおなじで、言ったあと、自分が身体を使ってやったから、現実化しただけだ。言霊のすごい力で、自分がなにもしてないのに、現実化したわけではない。