たとえばの話だけど、走り幅跳びで三メートルしかとべないとする。そして、走り幅跳びがきらいだとする。
その人が、努力をすれば八メートルとべるようになると言われて、ずっと、何十年間も、きらいな走り幅跳びの練習をしていたら、どう思う?
「努力をすれば、とべるようになる。とべないと言うから、とべない。とべると言えば、とべるようになる。途中であきらめるから、八メートルとべないままなんだ。毎日、コツコツと努力すれば、とべる」……。
こんなことを言われて、四〇年間、ずっと毎日、きらいな走り幅跳びの練習をして、とべるように努力して、死んでしまったら、この人の人生は、いったいなんなんだということにならないか?
きらいではなくて、好きなら、いいんだよ。あるいは、「うまくいかないけど、どうしても、とべるようになりたい」と思っているならいいんだよ。「一センチでもいいから、自分の記録をのばしたい」と、やる気になってやっているなら、いいんだよ。
好きだからやる……。これならいい。
記録を更新することに生きがいを感じるからやる……。これならいい。
けど、きらいなのに、努力をする毎日だ。
そんな毎日を、何十年と繰り返す。むなしい感じがする。走り幅跳びは、普通の人にとっては、日常生活に影響をあたえないマイナーな陸上競技なので、走り幅跳びにこだわってる人は少ない。
けど、「走り幅跳び」を「仕事」にかえると、いろいろなことが見えてくる。
「コツコツ努力すれば成功する」「言えば言ったことが現実化する」「できると言えばできる」「言ったあと、努力することが肝心だ」「すべては自己責任」「すべては受け止め方の問題」「人間は、すべて、おたがいさま」「すべてに、感謝感謝」「言われたことを素直に受け取ることが肝心だ」……こういう言葉は、むだな努力を続けさせるために言われている言葉だ。
こういうことが、言われていると、「そんなものかな」と思ってむだな努力をしなければならなくなる。
たとえば、名前だけ店長が「もう、できません」と言ったとき、ブラック社長が「できないと言うからできない。できると言えばできる」などと言霊的な発言をしても、みんな、その言霊的な発言に、疑問をもたない。
言霊理論は、ここでずっと述べているように、嘘だ。ペテンなのだ。
そして、「コツコツと努力をすれば成功する」というのも、嘘だ。ペテンなのだ。
もちろん、「成功する」の意味があいまいなので、「自分は成功した」と思っている人にとっては、嘘ではない……ということになりそうだ。
けど、「コツコツと努力をすれば成功する」は、XをすればYになると言ったタイプの言葉で、「言えば言ったことが現実化する」というような言葉とおなじ問題を含んでいる。
条件を無視して、そういうことを言うのは、よくない。
成功するという意味を、客観的な意味にしてみよう。たとえば、走り幅跳びで五メートル以上とべるようになることを「成功する」ということの内容だとする。
その場合、どれだけ練習しても、どれだけ努力しても、五メートルとべない人というのは出てくる。
ところが、「コツコツと努力をすれば、五メートルとべるようになる」「コツコツと努力をすれば、五メートルとぶことに成功する」と言ってしまうと、あたかも、とべない人が出てこないような印象をあたえるのだ。
だれでも、「コツコツと努力すれば、それに成功する」ということを言っているわけで、一〇〇%そうなるということを言っている。
一〇〇%の確率で、一〇〇%の人が成功するのである。
そういうことを言っている。
けど、実際には、成功しない人が出てくるわけ。
距離を八メートルということにすれば、九九%ぐらいの人が成功しないわけ。どれだけ、どれだけ、コツコツと毎日努力しても、九九%ぐらいの人は、一生、走り幅跳びで八メートル以上とべるようにはならない。
けど、「コツコツと努力をすれば、八メートルとべるようになる」という文は、とべない人も出てくるということを含んでいない。あるいは、とべない場合もあるということを、含んでいない。
「コツコツと努力をすれば、八メートル以上とべるようになる」という文のなかに「コツコツと努力をしても、八メートル以上とべない場合もある」という意味を含めるのは不可能なのだ。
「コツコツと努力をすれば、八メートルとべるようになる」という文は、「一〇〇%の人が、コツコツと努力をすれば、一〇〇%確率で、八メートルとべるようになる」という文と、意味的に等価なのだ。
なので、実際にはそうならないのに、そういうふうに言っているということになる。嘘。ペテンだ。
さまざまな条件を無視して、どんな条件でも、XをすればYになると言っているわけだ。
けど、現実世界では、条件が非常に重要な役割を果たすことになる。X側のことをしても、条件によっては、Yにならない場合だってある。そういう、意味で、「コツコツと努力をすれば、成功する」という文は、まちがっている。
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ただ単にメートルと書いたけど、それは、メートル以上を含むことにする。たとえば、八メートルと書いた場合は、八メートル以上を含むことにする。びったしでもよいのだけど、以上を含めたほうがいいだろう。一度、メートルのあとに以上をつけて書いたのだけど、それだと、どうも、すわりが悪い。