そりゃ、本人が死ぬようなことをして死んだ場合や、本人が病気になるようなことをして病気になった場合は、自己責任だと言うことができるかもしれないけど、本人が死ぬようなことをされて死んだ場合や、本人が病気にされるようなことをされて、病気になった場合は、自己責任とは言えない。
死ぬようなことをして死んだ場合も、病気になるようなことをして病気になった場合も、自己責任じゃないかもしれない。
いろいろな連鎖があるから、自己責任とは言いがたいケースが出てくる。
それから、死ぬようなこととか、病気になるようなことというのが、だれからの目線でそういうふうに見えるのかという問題がある。
よく事情を知らない他人から見ると、そういうふうに見えるけど、ほんとうはちがうかもしれない。
ともかく、譲歩したとしても、「自己責任だと言うことができるかもしれない」というレベルだ。あくまで、可能性だ。
どうして、断定してしまうのか。
少ない情報で、勝手に断定してもいいのかどうか、どうして、気にしないのか?
ともかく、条件が悪い人の場合は、条件のせいだ。これ、自己責任論者って、人のせいにしてないような感じがするけど、少ない情報なのに、人のせいにして、責任追及をしている。
どんなことが起こっても、すべては、その人の「せいだ」と言っているのだ。
ちゃんと、人のせいにしている。
自分のせいにしてない。
こういうアホな考え方が、社会にはびこっている状態だと、条件の悪い人が、濡れ衣を着せられたまま、死んでいくことになる。
「その人」の身に起こったことは、すべてその人の責任という考え方なのだから、条件が悪い人がひどいことをされた場合も、されたほうの責任だと考えるのだ。そして、自分の責任だとは考えない。
条件が悪い人がひどいことをされた場合、条件の悪い人が、ひどいことをされたのは、自己責任論者のせいだ。自己責任論者は「すべては、自分の責任」と言っているのだから、そういうことになる。
世界でどのようなことが発生したとしても、それは、すべて自分の責任であると考える自己責任論者が、ほんとうの自己責任論者で、その人の身の上に起こったことは、どんなことであれ、すべてその人の責任だと考えるのが、ニセモノの自己責任論者だからだ。
この、ニセモノの自己責任論者は、「その人」のせいにする。
不幸なのは、不幸なやつの責任だと、責任転嫁をしているのである。不幸な人がいるということは、自己責任論者の責任だ。どうしてなら、すべては、自分の責任であると考えるのが、自己責任論者だからだ。
不幸な人が不幸な思いをしているのも、自己責任論者の責任だ。たとえ、外から見て、そういうふうに思えなくても、自己責任論者のなかから見ると、そう見えるのである。どうしてかというと、「すべては、自分の責任である」と自己責任論者が考えているからだ。
かりに、「自分の身の上に起きたことは、すべて自分の責任だ」と自己責任論者が考えているとしよう。その場合は、「自分のことにしか」言及できないはずなのである。
なんで、他人の身の上に起きたことに言及して、他人の責任だと言うのか。
「自分の身の上に起きたことは、すべて自分の責任だ」と言っているのであれば、他人のことには言及できないことになるのである。本人が、本人の責任についてしか言及できないことになるのである。
すべては、自己責任だからだ。他人の責任を追及することはできない。
ぼくの目から見れば、「それはしかたがないよ」と思えるケースでも、ニセモノの自己責任論者から見ると、「やられたほう」のせいになってしまう。
ニセモノの自己責任論者は、どのようなケースであれ、「やられたほう」の責任を追及してしまう。自動的にそうなる。一〇〇%のケースにおいて、ニセモノの自己責任論者は、「やられたほう」の責任にしてしまう。
けど、そうなのだろうか?
だれかの行為によって、だれかが被害を受けるということがある。
「なんだろうが」被害を受けたほうの責任だ……と言っているのが、ニセモノの自己責任論者だ。
自己責任というと「いさぎがいい感じ」がするけど、勝手に決めつけて、勝手に人のせいにしているだけだ。行為としては、悪質な行為だ。
ニセモノの自己責任論者が他人を(身勝手な理由で)攻撃した場合は、自分(ニセモノの自己責任論者)が勝手に他人を攻撃したのに、ニセモノの自己責任論者は、攻撃されたやつの責任だと思うのだ。すべては自己責任なので、攻撃されたやつの自己責任だと考えてしまうのだ。これが、ちまたにあふれている自己責任論のなかみだ。
見知らぬ他人(Aさん)が、見知らぬ他人(Bさん)を、攻撃した場合も、ニセモノの自己責任論者は、見知らぬ他人(Bさん)の責任だと思ってしまうのである。そういうふうに、きめつけてしまう。
実際に、Bさんが被害をうければ、なんだろうがかんだろうが、どんな理由だろうが、被害を受けたほうの責任だと思ってしまうのである。たとえ、どんな理由があろうとも、ニセモノの自己責任論者は、やられたやつの自己責任だと考えて、やられたほうの責任を追及するのだ。
ニセモノの自己責任論者は被害を受けた人を、かならず、せめる。
被害をあたえたやつのことは、絶対にせめない。どんな理由があっても、被害をあたえたやつの責任を追及することがないのである。まさに、逆転の発想だなぁ。加害者の責任は絶対に追及しないけど、被害者の責任は絶対に追及するという、逆転ぶりだ。
どうして、こんな考え方が、世にはびこっているかというと、やはり、洗脳の影響があると思う。