2024年1月29日月曜日

ニセモノの自己責任論者

 そりゃ、本人が死ぬようなことをして死んだ場合や、本人が病気になるようなことをして病気になった場合は、自己責任だと言うことができるかもしれないけど、本人が死ぬようなことをされて死んだ場合や、本人が病気にされるようなことをされて、病気になった場合は、自己責任とは言えない。

死ぬようなことをして死んだ場合も、病気になるようなことをして病気になった場合も、自己責任じゃないかもしれない。

いろいろな連鎖があるから、自己責任とは言いがたいケースが出てくる。

それから、死ぬようなこととか、病気になるようなことというのが、だれからの目線でそういうふうに見えるのかという問題がある。

よく事情を知らない他人から見ると、そういうふうに見えるけど、ほんとうはちがうかもしれない。

ともかく、譲歩したとしても、「自己責任だと言うことができるかもしれない」というレベルだ。あくまで、可能性だ。

どうして、断定してしまうのか。

少ない情報で、勝手に断定してもいいのかどうか、どうして、気にしないのか?

ともかく、条件が悪い人の場合は、条件のせいだ。これ、自己責任論者って、人のせいにしてないような感じがするけど、少ない情報なのに、人のせいにして、責任追及をしている。

どんなことが起こっても、すべては、その人の「せいだ」と言っているのだ。

ちゃんと、人のせいにしている。

自分のせいにしてない。

こういうアホな考え方が、社会にはびこっている状態だと、条件の悪い人が、濡れ衣を着せられたまま、死んでいくことになる。

「その人」の身に起こったことは、すべてその人の責任という考え方なのだから、条件が悪い人がひどいことをされた場合も、されたほうの責任だと考えるのだ。そして、自分の責任だとは考えない。

条件が悪い人がひどいことをされた場合、条件の悪い人が、ひどいことをされたのは、自己責任論者のせいだ。自己責任論者は「すべては、自分の責任」と言っているのだから、そういうことになる。

世界でどのようなことが発生したとしても、それは、すべて自分の責任であると考える自己責任論者が、ほんとうの自己責任論者で、その人の身の上に起こったことは、どんなことであれ、すべてその人の責任だと考えるのが、ニセモノの自己責任論者だからだ。

この、ニセモノの自己責任論者は、「その人」のせいにする。

不幸なのは、不幸なやつの責任だと、責任転嫁をしているのである。不幸な人がいるということは、自己責任論者の責任だ。どうしてなら、すべては、自分の責任であると考えるのが、自己責任論者だからだ。 

不幸な人が不幸な思いをしているのも、自己責任論者の責任だ。たとえ、外から見て、そういうふうに思えなくても、自己責任論者のなかから見ると、そう見えるのである。どうしてかというと、「すべては、自分の責任である」と自己責任論者が考えているからだ。

かりに、「自分の身の上に起きたことは、すべて自分の責任だ」と自己責任論者が考えているとしよう。その場合は、「自分のことにしか」言及できないはずなのである。

なんで、他人の身の上に起きたことに言及して、他人の責任だと言うのか。

 「自分の身の上に起きたことは、すべて自分の責任だ」と言っているのであれば、他人のことには言及できないことになるのである。本人が、本人の責任についてしか言及できないことになるのである。

すべては、自己責任だからだ。他人の責任を追及することはできない。

ぼくの目から見れば、「それはしかたがないよ」と思えるケースでも、ニセモノの自己責任論者から見ると、「やられたほう」のせいになってしまう。

ニセモノの自己責任論者は、どのようなケースであれ、「やられたほう」の責任を追及してしまう。自動的にそうなる。一〇〇%のケースにおいて、ニセモノの自己責任論者は、「やられたほう」の責任にしてしまう。

けど、そうなのだろうか?

だれかの行為によって、だれかが被害を受けるということがある。

「なんだろうが」被害を受けたほうの責任だ……と言っているのが、ニセモノの自己責任論者だ。

自己責任というと「いさぎがいい感じ」がするけど、勝手に決めつけて、勝手に人のせいにしているだけだ。行為としては、悪質な行為だ。

ニセモノの自己責任論者が他人を(身勝手な理由で)攻撃した場合は、自分(ニセモノの自己責任論者)が勝手に他人を攻撃したのに、ニセモノの自己責任論者は、攻撃されたやつの責任だと思うのだ。すべては自己責任なので、攻撃されたやつの自己責任だと考えてしまうのだ。これが、ちまたにあふれている自己責任論のなかみだ。

見知らぬ他人(Aさん)が、見知らぬ他人(Bさん)を、攻撃した場合も、ニセモノの自己責任論者は、見知らぬ他人(Bさん)の責任だと思ってしまうのである。そういうふうに、きめつけてしまう。

実際に、Bさんが被害をうければ、なんだろうがかんだろうが、どんな理由だろうが、被害を受けたほうの責任だと思ってしまうのである。たとえ、どんな理由があろうとも、ニセモノの自己責任論者は、やられたやつの自己責任だと考えて、やられたほうの責任を追及するのだ。

ニセモノの自己責任論者は被害を受けた人を、かならず、せめる。

被害をあたえたやつのことは、絶対にせめない。どんな理由があっても、被害をあたえたやつの責任を追及することがないのである。まさに、逆転の発想だなぁ。加害者の責任は絶対に追及しないけど、被害者の責任は絶対に追及するという、逆転ぶりだ。

どうして、こんな考え方が、世にはびこっているかというと、やはり、洗脳の影響があると思う。


毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。