言霊主義者だって、「蚊に刺されてかゆくなった」と考えているのである。
普段の生活のなかでは、自分に関係することであり、なおかつ、その人にとって、理由があきらかなことにかんしては、言霊思考が入り込むすきがなく、言霊思考は、奥のほうに閉じこもって、前面に出てこないのである。
言霊主義者(本人)にとっても、現実的で、はっきりした理由があることにかんしては、言霊思考は放棄された思考方法なのである。
まあ、どれだけ言ってもわからないかもしれないけど、蚊がたくさんいる竹藪に入っていくことについて考えよう。その竹藪に入ると、蚊に刺されるということが、経験的にわかっているとする。
竹藪に入る必要があるけど、蚊に刺されたくない場合、言霊的な解決法が有効であるのか、ないのかについて、考えてみよう。
「自分は蚊に刺されない」と言ったあと、竹藪に入れば、蚊に刺されないようになるかというと、そうではなくて、やぶ蚊に刺される。
どうしてかというと、「蚊は蚊で、機能しているから」である。蚊には、人を刺す理由があり、本能行動として、刺すのである。なので、蚊がたくさんいる竹藪に入れば、蚊に刺される確率が増す。
たとえばの話だけど、蚊のいない部屋にいて「蚊に刺されない」と言うと、蚊に刺されない。「蚊に刺されない」と言っても、蚊に刺されないし、「蚊に刺される」と言っても、蚊に刺される。
蚊のいない部屋にとどまることは、蚊に刺されないようにするという点では、「蚊に刺されない」と言って竹藪につっこむ方法よりも、有効な方法なのである。
問題なのは、「送り出す側の人間」と「送り出される側の人間」が別の人間だということなのである。
竹藪に送り出す人間が、言霊主義者で、言霊は絶対だと信じているとする。そうすると、竹藪に送り出される人間に対して「自分は蚊に刺されないと言えば、蚊に刺されない」というようなアドバイスをしてしまうのである。
送り出すほうの人間は、それでいいかもしれないけど、送り出されるほうの人間はそれではよくないのである。言霊的な解決方法は、まったく無意味なので、無防備なまま、対策をたてないまま、竹藪に突進した場合とおなじことになってしまうのである。
刺されるのは、送り出されたほうなのである。たとえば、パクチーを食べれば、蚊に刺されにくくなるという方法があるとする。この方法は、有効だとする。アドバイスをするなら、そういう有効な方法をアドバイスするべきなのだ。
虫よけスプレーに関しては、ほかに問題があるかもしれないから、ぼくは特にすすめないけど、体にまったく無害な虫よけスプレーがあるとするなら、虫よけスプレーを服にかけておくというのも有効な対策だ。
それらの対策に対して、「自分は蚊に刺されない」と言霊的な宣言をする方法は、まったく、有効ではないのである。無効。まったく意味がないことなのである。
そして、体じゅうを蚊に刺されるのは、送り出されたほうなのである。