2024年1月26日金曜日

送り出すほうの人間は、それでいいかもしれないけど、送り出されるほうの人間はそれではよくない

 言霊主義者だって、「蚊に刺されてかゆくなった」と考えているのである。

普段の生活のなかでは、自分に関係することであり、なおかつ、その人にとって、理由があきらかなことにかんしては、言霊思考が入り込むすきがなく、言霊思考は、奥のほうに閉じこもって、前面に出てこないのである。

言霊主義者(本人)にとっても、現実的で、はっきりした理由があることにかんしては、言霊思考は放棄された思考方法なのである。

まあ、どれだけ言ってもわからないかもしれないけど、蚊がたくさんいる竹藪に入っていくことについて考えよう。その竹藪に入ると、蚊に刺されるということが、経験的にわかっているとする。

竹藪に入る必要があるけど、蚊に刺されたくない場合、言霊的な解決法が有効であるのか、ないのかについて、考えてみよう。

「自分は蚊に刺されない」と言ったあと、竹藪に入れば、蚊に刺されないようになるかというと、そうではなくて、やぶ蚊に刺される。

どうしてかというと、「蚊は蚊で、機能しているから」である。蚊には、人を刺す理由があり、本能行動として、刺すのである。なので、蚊がたくさんいる竹藪に入れば、蚊に刺される確率が増す。

たとえばの話だけど、蚊のいない部屋にいて「蚊に刺されない」と言うと、蚊に刺されない。「蚊に刺されない」と言っても、蚊に刺されないし、「蚊に刺される」と言っても、蚊に刺される。

蚊のいない部屋にとどまることは、蚊に刺されないようにするという点では、「蚊に刺されない」と言って竹藪につっこむ方法よりも、有効な方法なのである。

問題なのは、「送り出す側の人間」と「送り出される側の人間」が別の人間だということなのである。

竹藪に送り出す人間が、言霊主義者で、言霊は絶対だと信じているとする。そうすると、竹藪に送り出される人間に対して「自分は蚊に刺されないと言えば、蚊に刺されない」というようなアドバイスをしてしまうのである。

送り出すほうの人間は、それでいいかもしれないけど、送り出されるほうの人間はそれではよくないのである。言霊的な解決方法は、まったく無意味なので、無防備なまま、対策をたてないまま、竹藪に突進した場合とおなじことになってしまうのである。

刺されるのは、送り出されたほうなのである。たとえば、パクチーを食べれば、蚊に刺されにくくなるという方法があるとする。この方法は、有効だとする。アドバイスをするなら、そういう有効な方法をアドバイスするべきなのだ。

虫よけスプレーに関しては、ほかに問題があるかもしれないから、ぼくは特にすすめないけど、体にまったく無害な虫よけスプレーがあるとするなら、虫よけスプレーを服にかけておくというのも有効な対策だ。

それらの対策に対して、「自分は蚊に刺されない」と言霊的な宣言をする方法は、まったく、有効ではないのである。無効。まったく意味がないことなのである。

そして、体じゅうを蚊に刺されるのは、送り出されたほうなのである。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。