2025年12月19日金曜日

● 自己責任論を振り回すやつ■社会※2025/12/19 7:51

 自己責任論を振り回すやつというのは、圧迫面接をするやつとおなじなんだよ。圧迫面接をするやつのなかには、「ほんとうは、こんなことはしたくない」と思っているやつもいるだろう。思っていないやつもいると思う。自己責任論を振り回すやつというのは、「ほんとうは、こんなことはしたくない」と思っていない、圧迫面接者とおなじなわけ。だから、じつは、「条件が悪い人」に圧力をかけていることになる。相手の身の上に起こったことは、すべて、なんであれ、相手の責任だという考え方をふりまわすわけだから、やられたほうは、不愉快になる。条件が悪ければ悪いほど、自己責任論を押し付けられたやつは、不愉快になるんだよ。ところで、たとえば、自己責任論を振り回しているやつが、「相手が嫌がることはやめましょう」と普段言っているとする。そういう人は、「相手が嫌がることはやめましょう」信者であり、自己責任論信者であるのだ。とりあえず、Aさんだとする。Aさんは、両方とも、ほんとうに、信じているわけ。その場合、条件が悪い人に自己責任論を押し付けることは、相手が嫌がることなんだけど、相手が嫌がることだとは、Aさんは、認識できないわけ。しかし、条件が悪いほど、自己責任論を押し付けられるのは、いやなことなんだよ。これも、いちおう、例外を除けば……という言葉を付けくわえてく。たいていの「条件が悪い人」にとっては、自己責任論で片づけられることは、不愉快なことなんだよ。「そんなのは自己責任だ」と認識されることは、不愉快なことなんだよ。こんなのは、断罪だ。無実の罪で、断罪されているようなものなのだよ。けど、Aさんは、気がつかない。どこまでも、どこまでも、気がつかない。自分が、道徳的に、倫理的に、正しいことをしていると思って、疑わない。Aさんの相手が、相手の条件について、語れば、Aさんは「そんなのは、あまえだ」「そんなのは、いいわけだ」と言うことが、決まっているんだよ。どうしてなら、他人を対象とした自己責任論というのは、「どんな条件であれ、相手の身の上に起こったことなら、相手の責任だ」と決めつける思想だからだ。Aさんは、相手の条件を無視して、相手の責任だと決めつけたとき、自分が悪いことをしているとは思っていないわけ。自分が正しいことをしていると思っているわけ。ほんとうに、「相手が、いいわけをしているだけだ」と思っているわけ。圧迫面接をしているけど、圧迫面接は悪だと思っている人とはちがうんだよ。Aさんと圧迫面接をしているけど、圧迫面接は悪だと思っている人とは、ちがう。このちがいは、でかい。相手にとって、不愉快な圧力になる。たとえば、Aさんが、「自己責任論は正しい」と本気で思っていて、「相手が言っていることはいいわけだ」と本気で思っている場合、相手は、不愉快な圧力を感じるんだよ。そりゃ、Aさんが「自己責任論なんて、ほんとうは正しくない」とか「相手が言っていることはいいわけではない」とかと思っている場合とはちがうんだよ。このちがいが、わからないやつらがいる。たしかに、いる。このちがいは、けっこうでかい。お芝居をしているのか、ほんとうにそう思っているのかのちがいだ。本当にそう思っている人は、やっかいなのである。相手にとって、やっかいな存在なのである。条件が悪い人と書いたけど、あまりにも特殊すぎて、普通の人が、悪条件だと認識できないような悪条件を抱えている人は、ごく普通に、不愉快な思いをすることになっているのである。自己責任論がはやっていて、自己責任論が正しいと思っている人が、増えれば増えるほど、普通の人が、悪条件だと認識できないような悪条件を抱えている人は、不満を抱えることになるのである。不愉快なトラブルが多発することになるのである。その場合、「よくなるよくなる」と言えば、「よくなるか」と言うと、よくならない。おまじないのでは、不愉快なトラブルが発生することを解決できないのだ。たとえば、Aさんに、自己責任論を押し付けられた人をBさんだとする。Bさんが、どれだけ、「楽しいことが起こる」と思ったって、実際に、自己責任論者が多い社会に住んでいれば、かなりの確率で、Bさんがいやな思いをすることになっているのである。Bさんは「普通の人が、悪条件だと認識できないような悪条件を抱えている人」だとする。その場合、ごく普通に、普通の人から、いやなことを言われるというとになるのだ。無理解ぶりを発揮した発言をされるということになっているのだ。トラブルが増えるわけなのである。どれだけ、Bさんが「楽しいことが起こる」「楽しいことが起こる」「楽しいことが起こる」「楽しいことが起こる」と呪文のように言ったって、Aさんのような人間が、自己責任論に従って、圧迫発言?をするのだから、不愉快なことは、起こるのである。楽しいことが起こらず、かなりの確率で不愉快なことが起こることが、決まっているのである。

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ほんとうに、責任がある人だっている」ということを言い出す人がいると思う。ようするに、「たしかに、Bさんには、Bさん特有の条件があるのかもしれないけど、悪い条件がなくたって、悪いことを次々にして、自分で自分の首を絞めるやつがいる」ということを言いたくなる人間がいると思う。相手の身の上に起こったことは、すべて、相手の責任だという考え方は、個別性を無視した考え方なのである。「すべて」なのだから、個別性を無視しているのである。だから、ぼくが言っていることは、矛盾していないわけ。「相手の身の上に起こったことのうち、たしかに、相手の責任だと言えることが、あるかもしれない」ということは、ぼくが言っていることとは、関係がないことなのである。起点は、自己責任論者の責任論だからだ。起点の自己責任論者が、条件を考えないということが、問題の本質なのである。しかし、これも、たとえば、Aさんのような自己責任論者に「条件を考えていない」ということを言えば、「考えている」「俺だって考えている」と言うかもしれないのである。言った場合、さらに、不愉快なことになる。ぼくにとっては、ね。

自己責任であることと、自己責任ではないことがあるとぼくは、考えているわけ。相手の身の上に起こったことのうち、相手の責任であることは、あるかもしれない。ある可能性はある。否定できない。けど、それと、「すべては自己責任である」と言う考え方は、ちがうんだよ。「相手の身の上に起こったことのうち、相手の責任であること」があるということは、別にぼくが、今まで説明してきた考え方を否定するものではないのである。どうしてかというと、起点である自己責任論が、「条件を無視する理論」だからだ。

ようするに、 「相手の身の上に起こったことのうち、相手の責任であることがある」ということは、「相手の身の上に起こったことは、すべて、相手の責任だ」ということを意味しているわけではないのである。「相手の身の上に起こったことのうち、相手の責任であることがある」という文の意味と、「相手の身の上に起こったことは、すべて、相手の責任だ」という文の意味はおなじじゃない。ここらへんも、ごちゃごちゃになっているやつが、いるんだよなぁ。こまるなぁ。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。