どうするかな。
さっさと、カネを出す決意をして、中古住宅を買い、引っ越すべきなんだけどなぁ。めちゃくちゃに、憂鬱なんだよ。
親父が最後にやった、『魚だしっぱなし事件』と『ネズミ事件』と『ネズミ対策工事事件』と『ダニ問題』……がでかすぎる。
バルサンをたいても、粗大ごみ業者の人が、ダニに刺されることになるんだよなぁ。それが、いやなんだよな。めちゃくちゃに、こころが重い。
もう、俺は八年間ぐらいダニに刺されてきたので、もう、いやなんだよ。
そして、ダニに刺されるようないやな思いをほかの人にさせたくないと思う。けど、タンスなんて(俺が独自の力で)処理できるわけがないだろ。 運び出してもらわなければならない。
そして、タンスの裏に、ネズミの糞があるわけさ。それを、作業員の人が見てしまうわけ。「きたないなぁ」と思うだろう。「きたないところに住んでいるんだなぁ」と思うだろう。
いやなんだよ。そういう風に思われたくない。
けど、きちがい親父が、俺に押し付けた。これ、きちがい親父がやったことなんだよな。それも、普通の人がやることじゃないから、一回目、ほかの人に言うと、ほかの人が信じない……ところがある。
兄貴の嫁さんも、親父が、魚を出した話や、どれだけネズミが増えても、「俺(親父)がネズミシートで捕まえる」と言って、きかなかったという話をしても、最初は、俺が嘘を言っていると思ったんだよな。
兄貴の嫁さんが、兄貴に「そんなこと、あるのかな」と言ったら、兄貴が「やりそうだな」と言ったんだよ。兄貴は、ヘビメタに関してはきちがいだけど、親父がやりそうなことはわかっているんだよ。
だから、兄貴の嫁さんは、兄貴の言葉に「おどろいた」わけ。
ほんとうに、親父が『めちゃくちゃにくさい魚』を出しっぱなしにするんだよ。そういうことは、普通の人は、しないんだよ。注意しなくても、しないんだよ。
普通の人は『臭いからやめよう』と思うんだよ。
ところが、めちゃくちゃにくさいのに、突然スイッチが入って、親父がそういうことをやってしまう。親父にとって自発的にやったことだから、親父のなかでは、ゆずれないことなんだよ。ものすごいこだわりがあるわけ。
自分が思いついてやり始めたことを、邪魔されると、発狂しておこるんだよ。
俺が「臭いからやめろ」と言うと、親父が「におわないよぁ」「におわないよぁ」「におわないよぁ」と真っ赤な顔をして、怒鳴るんだよ。きちがい親父が、基本的な事実を、発狂して、否定する空間なんだよ。
うちの居間は、そういう空間なんだよ。
これは、きちがい兄貴が、ヘビメタをやりっぱなしにしたときとおなじ構造が成り立っている。認めたくないことは、事実でも、認めないのだ。
けど、事実だけど、認めてやらなかったという認識が一切合切成り立っていないのだ。だから、やりっぱなしになる。きちがい兄貴の場合も、普通の人なら、思いつかないことなんだよ。普通の人ならやろうと思わないことをやるわけ。普通の人は、あんなでかい音で、鳴らそうと……そもそも……思わない。
ヘビメタを爆音で鳴らすことも、兄貴が、自発的に思いついたことなんだよ。だから、親父とおなじで、感覚器をだまして、認めない。ものすごい音で鳴らしているのだけど、ものすごい音で鳴らしているということを、認めない。けど、本人は、嘘をついているつもりがないのだ。これが問題なんだよ。
ここが、ほかの人にとっては、わからないことなんだよ。ほかの人から見て、この部分が盲点になっているんだよ。
けど、ほかの人ではなくて、きちがい兄貴にとっても、盲点になっているいるんだよ。これがきちがいでなくて、なんだ。自分にとって都合がいいように、狂っているのだ。
でっ、こういう『しくみ』がある場合は、『相手』がどれだけ言っても、「でかい音で鳴らしているということ』を発狂して認めない。
そして、『発狂して認めないということ』をしたはあとは、本人とって、なかったことになってしまうのだ。
相手が「こまったということ」も、「相手がこまっているから、自分に文句を言ってきたということ」も、ないことになっている。兄貴のなかではないことになっているのだ。
そして、そのあと、ずっと「でかい音で」鳴らし続けるわけだけど、そのあと、ずっと「でかい音で」鳴らし続けても、本人が鳴らし終わって寝るときには、「そんなことはしていない」というような認識のまま、寝てしまう。どれだけこだわりつくしてやったって、やってないのとおなじなのだ。
とりあえず、説明をするために「そんなことはしていない」ということを書いたのだけど、じつは「そんなことはしていない」ということも、意識的に思ったことではない。あえて言うなら、そういう状態だ。
ほんとうは、「そんなことをしていない」と思わずに、まったく関心がない状態になってしまうのである。まったく関心がない状態のとき、『やった』という認識が成り立っているけど関心がない状態になっているのと、『やった』という認識が成り立っていないまま、関心がない状態になっているのとは、ちょっとちがうのである。
まあ、そんなちょっとしたちがいを説明しても、ほかの人にはわからないと思うけど、けっこう、重要なちがいだ。
* * *
話を、親父の魚事件に戻す。
親父・本人は、ほんとうににおわないつもりでいるんだよ。都合が悪いときだけ、嗅覚がおかしくなるわけ。くさいということを認めてしまったら、かたづけなければならなくなるだろ。
それがいやなんだよ。
絶対に「だしっぱなしにしたいわけ。そういうところに、スイッチが入ってしまったわけ。だから、嗅覚が正常なら絶対にわかることを、絶対の意地で、否定して、怒鳴り続けるわけ。
ともかく、認めると、自分が死んでしまうとような、切羽詰まった気持ちで、発狂して、認めないわけ。絶叫バージョンと、緘黙バージョンがあるんだけど、おなじなんだよ。
* * *
ここで、きちがい兄貴の騒音事件に話を戻す。
きちがい兄貴も、ほんとうは、普通のうちでは絶対に鳴らせないようなでかい音で鳴らしているのだけど、「普通のうちでは鳴らせないようなでかい音で鳴らしている」ということを、認めてしまうと、自分が「普通のうちでは鳴らせないようなでかい音」鳴らすことができなくなってしまうということが、わかっているわけ。
だから、「普通のうちでは鳴らせないようなでかい音で鳴らしている」ということを、絶対の意地で認めないわけ。聴覚が正常なら、絶対に、でかい音で鳴らしているということがわかるのだけど、聴覚が正常なのに、でかい音で鳴らしているということを、絶対の意地て認めないわけ。いつもそうなんだよ。認めてしまったら、でかい音で鳴らせなくなってしまうわけ。
それがわかっているから絶対に認めない。
けど、それがわかっているのは、兄貴の意識ではなくて、兄貴の無意識なんだよ。
だから、意識の視線では、ほんとうにでかい音で鳴らしていないつもりなんだよ。本人が、ほんとうに、わかっていないのだ。
だから、こういうところで、「自分自身にだましがある人」は、いやなんだよ。けど、これが、ほかの人にはわからない。だから、ほかの人は「お兄さんにやめてと言えばいい」ということを言うわけ。「ちゃんと言えば、お兄さんだってわかってくれるよ」ということを言うわけ。
普通の人は、普通の人で、兄貴の構造が……この構造が……わかっていないのだ。
そして、うちという環境を考えると、兄貴が意地を通そうとしたとき、通せる環境なんだよ。これも、ヨソの人にはわからないことなんだよ。正確に言えば、ヨソの人が認めたくないところなんだよ。
だから「そんなのは、へんだ」ということになる。ヨソの人の頭のなかで「そんなのはへんだ」と言うことになる。だかから、ヨソの人は「エイリが嘘を言っている」と思うわけ。だから、多くのヨソの人は……「エイリがちゃんと言わないからだめなんだ」と思ったり、「エイリが嘘を言っている」と思うわけ。
きちがい兄貴が、きちがい感覚をもっていて、きちがい感覚に根ざした行為をしてしまうと、ぼくが疑われるわけ。これが、セットなんだよ。
兄貴は、もちろん、意図してやっているわけではない。ヨソの人に、誤解をさせるために、わざと「わからない芝居」をしているわけではないのだ。
ここが、さらに、やっかいなんだよ。
きちがいがきちがいの意地を通せるところで、きちがいの意地を通してしまうと、そうなるわけ。でっ、これで、こまるのは、俺だけ(エイリだけ)なんだよ。ヨソの人がこまるわけではない。兄貴がこまるわけではない。
兄貴が、でかい音で鳴らしてしまってこまるわけではない。兄貴が、ヨソの人に、誤解をさせて、兄貴がこまるわけではない。兄貴が、きちがい構造を通して、ヨソの人に誤解をさせ、エイリにぬれぎぬを着させているのだけど、それで、兄貴やヨソの人がこまるわけではないのだ。俺だけがこまるの……。こういう構造なんだよ。