遺伝の問題で、いい空気の中で暮らしていても、肺の病気になる人のことを考えてみよう。ようするに、悪い空気の中で暮らしていても、肺の病気になることはあるし、いい空気の中で暮らしていても肺の病気になることがある世界について考えてみよう。
原因が、空気と遺伝子のふたつある場合だ。
たとえば、Aさんが「いい空気の中で暮らしていても肺の病気になる人はいるのだから、空気の問題ではない」と言ったとする。空気の問題なのであれば、いい空気の中で暮らしている人が肺の病気になることはないという理論を(Aさんが)主張したとする。
けど、この理論は、まちがっている。最初の設定では、悪い空気の中で暮らしていると一〇〇%の確率で、肺の病気になるのである。
そして、遺伝の問題で、病気になる人がいるにしろ、「悪い空気の中で暮らしているから、肺の病気になった」という理論は、正しいのである。Aさんの推論が間違っているのである。
いい空気の中で暮らしている人が肺の病気になったということは、『空気原因論』を否定しないのである。
ところが、Aさんが勝手に間違った推論をして「否定できる」と思っているだけなのだ。
空気が悪いところに住んでいる人は、空気が悪いから肺の病気になっている。たとえば、空気がいいところに住んでいるのに、肺の病気になった人をBさんだとする。Bさんは、空気の悪さではなくて、遺伝の問題で肺の病気になったのだ。
Bさんが肺の病気になったということは、空気が悪いところに住んでいる人たちが、空気の悪さによって肺の病気になったいうことを否定しないのである。
空気がきれいなところでも、肺の病気になった人がいるので、「空気の悪さによって肺の病気が引き起こされる」という『空気原因論』は間違っていると主張している人は、間違っている。空気がきれいなところにいる人が、ひとりでも、肺の病気になったのであれば、『空気原因論』は間違っているという推論は、間違っているのである。
空気がいいところに住んでいる人が、肺の病気になったということは、『空気原因論』を否定しないのである。Bさんは、遺伝の問題で肺の病気になったのだから、『空気原因論』を否定できない。