はっきり言って、鬱なんだよ。どうしても、明るい気持ちで、部屋探し、うち探しができない。いろいろとありすぎたんだよ。
きちがい的な父親の行動ということを考えるなら、うまれたときから、たたられている。
うまれたときから、普通の環境じゃないのである。
いや。もう、うまれるまえからたたられている。
当時、おかあさんが、病院に持ち込むための電気ストーブみたいなものを買ってもらえなかったのだ。おかあさんの話だと、当時は、病室に、おのおのが、暖房機を持ち込むような方式だったのらしい。
おかあさんと別の人ひとりで、ひとつの部屋を使っていたのだ。相部屋(あいべや)で、隣の人が、おかあさんにもあたるようにしてくれたみたいだ。そのときだって、おかあさんは、隣の人に「かり」ができてしまう。わかるかな?
もっていないから、かりるということになる。
おかあさんが、「さむいから、早く電気ストーブを買ってきて」と父に言ったのだけど、父が、拒否したのだ。もったいなくて、買えなかった。カネはあったんだよ。電気ストーブぐらい、買うカネはあったんだよ。
けど、けど、けど……親父の性格がたたって、買えなかった。
けっきょく、一番寒いときは、電気ストーブを買わず、春になって?電気ストーブが「セール」になったら、買ってきたのだ。
けっきょく、一番、寒いときには、電気ストーブがなかったわけ。
母親のストレスが、当時、子宮内にいた俺に影響を与えている。うまれるまえから、きちがい的な父の影響があった。
この、必要じゃなくなったときに、買ってやるというのが、父の手口なのだ。きちがい的な父は、特に考えてそうしているわけではないのだけど、いつもいつも、そうなる。
必要性がなくなったとき、あるいは、必要性がうすれたときに買ってくるというのは、いじわる以外のなにものでもない。
だって、そうだろ。相手が一番、こまっているときは、無視して、我慢させる。やせ我慢だ。
* * *
まあ、親父としては、「せっかく買ってきてやったのになんだ」ということで、腹を立てるのだろう。腹を立てたのだろう。相手が、あるものを必要としているときには、絶対に買ってやらないという性格なのだ……。親父は……。
おカネがかかわっているけど、おカネがかかわっていない場合でもそうなることがある。買ってやらないということは、やってやらないということに、内包される。
買ってやらないということは、やってやらないということの部分集合。ごく自然に、そうなるんだよ。これも、きちがい親父が(よその家で)やってもらえなかったということが、影響している。
きちがい親父がよその家で虐待され続けていたわけだから、そうなる。
きちがい親父は、自分が(本当に必要なとき)いつもやってもらえなかったのである。いつも、その家の子どもはやってもらえるのに、親父はやってもらえなかったのである。
そりゃ、ぐっとくるだろう。
けど、これがまた、普通の人には、そういうときのくやしさが、あんまりよくわからないのである。
だから、こういうところでも、親父の行為が誤解される。「そんなこと……ないんじゃないの」と言うわけだよ……。よその人は……。
けど、きちがい親父は、やってやらないことを、無意識的に選択しているのである。相手にとって(それが)必要ではなくなったら、やってやれるようになるのだ。
もっとも、これは、カネがかかわっている。電気ストーブだって、子どもの机だって、子どもの鉛筆だって、子どもの消しゴムだって、子どもの靴だって、子どもが必要しているハンダゴテだって、全部、おなじなのである。
全部!おなじ事になっている。
「親父がかかわったら、おしまい」なんだよ。
けど、よその人が……また・・ 「親父がかかわったら、おしまいだ」というのは、ぼくの側の間違った思い込みだと思うようにできているのだ。
こういうズレが、いろいろなところ発生してしまう。
* * *
ちなみに、何度も言うけど、親父の頭と、兄貴の頭は部分的におなじなので、やっぱり、相手が、「それで」どれだけこまっているのかということがわからないところがあるんだよね。
相手がこまっているということを、自動的に無視してしまう。これは、「きちがい親父は、やってやらないことを、無意識的に選択しているということ」とは、ちがうことだ。
関係があるのだけど、ちがうことだ。
両方が重なっているのである。
親父と兄貴の場合、きちがい親父は、「やってやらないことを、無意識的に選択している」ということと「相手がどれだけこまっているかまったくわからない」ということが、重なっているだけで、いちおう、別のことだ。
あたかも、おなじことのように見えるけど、べつのことだ。
* * *
かさなっているので、兄貴は、自分のヘビメタ騒音で、弟がどれだけこまっているかということを、普通に、無視してしまうのである。
普通の人は無視できない部分を、あたりまえのように無視してしまうのだ。ヘビメタ騒音に対する、親父の態度だって、『普通の親』というものを考えた場合、あらかにおかしいのである。
だから、「そんなにでかい音で鳴ってなかったんじゃないか」とよその人が……これまた……誤解してしまうのである。
「そんなでかい音で鳴らしていたら、親が注意をするはずだ」とよその人は、考えてしまうのである。「親が、ヘビメタ騒音を無視して暮らしているなら、そんなでかい音で鳴っていないはずだ」とよその人は考えてしまうのである。
ようするに、「親が注意しないのだから、エイリが言っているようなでかい音で鳴っていない」とよその人は考えてしまうのだ。
ともかく、うちの父を、「普通の父」だと思ってしまう人は、誤解をするんだよ。俺の言っていることを、誤解する。けど、これまた……誤解しているということを認めない。
よその人は、認めない。
むしろ、よその人にとっては、ぼくが「父」のことを誤解していると思っているのである。こういうことばかりなんだよ。
ともかく、うちの兄を、「普通の兄」だと思ってしまう人は、誤解をするんだよ。俺の言っていることを、誤解する。
けど、これまた……誤解しているということを認めない。よその人は、認めない。
むしろ、よその人にとっては、ぼくが「兄」のことを誤解していると思っているのである。
こういうことばかりなんだよ。