悪い空気のところに住んで、肺病になった人に「よくなるよくなると言うと、よくなる」と言うのは、いいことなのか悪いことなのかというと、悪いことだ。
悪い空気のところに住んで、肺病になった人に「なおるなおると言うと、肺病がなおる」と言うのは、いいことなのか悪いことなのかというと、悪いことだ。
どうしてかというと、空気が悪いところで、どれだけ「なおるなおる」と言っても、なおらないからだ。
「病気になると思ったから、病気になった」という決めつけをした場合も、おなじだ。
もともと、「病気になると思ったから病気になった」のではないのだ。悪い空気が原因で病気になったのだ。「思い」は関係がないのである。
けど、後出し思考をする人は「実際に病気になったのなら、病気になると思ったにちがいがない」と思ってしまうのである。
これも、推論自体が間違っている。思ったから病気になったのではなくて、悪い空気によって……悪い空気の中に含まれている物質によって……病気になったのだ。
だから、病気になった人に、「病気になると思ったから病気になった」というのは、ひどいことなのである。勘違いの原因をつくりだして、病気になった人のせいにしてしまう。
これと、自己責任論がつけば、「病気になる」と思った人の自己責任だということになってしまうのである。本当に必要なのは、空気を浄化することなのである。悪い空気という条件をかえることなのである。
ニセの原因をつくって、人をせめるのはやめろ。
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悪い空気のなかで「なおるなおる」と言っても、なおらないことが決まっている。どうしてかというと、「悪い空気」によって、病気になったからだ。手短に言うと、ニセの希望をもたせて、挫折させるということになる。挫折することが、最初から決まっているのである。でたらめなことを言っているだけなのである。余裕がある人が、でたらめなことを言っているだけなのである。
たとえば、いい空気の中で生活しているAさんがいたとする。そして、悪い空気のなかですごしているBさんがいたとする。そしてさらに、Bさんが肺の病気になったとする。
Aさんは、自分のことではないので、余裕があるのである。AさんにとってBさんの「肺の病気」というのは、自分の「肺の病気」ではないので、余裕があるのである。
そして、Aさんが、精神世界を信じている人だと、「Bさんが病気になると思ったから病気になったのだ」と言い「Bさんが、なおるなおると言えばBさんの病気がなおる」ということを言うのである。ひとごとなのである。余裕があるのである。
Aさんは、自分の推論が正しいと思って譲らない。そして、Aさんは実際に悩んでいない。Aさんは、悪い空気のことでこまっていなのだ。Aさんの身の上には、悪い空気によって、肺の病気になるという出来事か発生していない。発生していないのだ。
けど、Aさんは、Aさんで、「よかれ」と思って、「実用的な方法」を教えてやっているつもりなのだ。当然、(方法に)自信があるので、方法が無効だということを言われると、腹を立てやすい傾向がある。精神世界の人にはそういう傾向がある。ぼくの経験の範囲で言うと、一〇〇%の人が腹を立てたのである。
Aさんが実用的な方法だと思っている方法は、ぜんぜん実用的な方法ではないのである。どうして、そうなってしまうかというと、Aさんが、原因について間違った考えをもっているから、そうなってしまう。Aさんは、Bさんが肺の病気になった原因について、間違った考えをもっているのである。
もともと、悪い空気が原因なので、Bさんがどれだけ「なおるなおる」と熱心に言っても、なおらない。悪い空気のなかで、Bさんがどれだけ 「なおるなおる」と熱心に言っても、なおらないということが、決まっている。そうなると、Aさんは、「Bさんが、なおるなおると言ったときの言い方が悪かったから、なおらないのだ」ということを言い出すのである。これも、決まっているのである。