条件を無視した話というのは、よくない話なのだ。
しかし、言霊、思霊、引き寄せ、努力論、自己責任論というのは、条件を無視した話なのだ。
だから、それらの言説というのは、じつは、悪い効果をもっている。それらの言説というのは、社会に対して良い効果ではなくて、悪い効果をもっている。
条件というのは重要だ。たとえば、いい空気と悪い空気について考えてみよう。いい空気のところに住んでいる人は、普通に暮らせる。けど、悪い空気のところに住んでいる人は、時間の問題で肺の病気になるとする。まあ、悪い空気の内容によっては、ほかの病気にもなるだろう。これは、空気の成分がもたらす結果だ。だから、空気という条件が重要なのである。
「明るいことを考えると明るいことが起こり、暗いことを考えると暗いことが起こる」とする。この場合、よい空気のところに住んでいる人も、悪い空気のところに住んでいる人も、みんな、「明るいことを考えると明るいことが起こり、暗いことを考えると暗いことが起こる」ということになるはずだ。
ところが、悪い空気のところに住んでいる人は、明るいことを考えても、「肺の病気になるという」悪いことが起こることが決まっているのである。
いっぽう、いい空気のところに住んでいる人は、すくなくても、空気が原因で「肺の病気になるという」悪いことが起こらないようになっている。
もちろん、ほかの原因で、肺の病気になる場合はあるのだけど、すくなくても、悪い空気によって、肺の病気になることは避けられるのだ。
この結果は、「明るいことを考えると明るいことが起こり、暗いことを考えると暗いことが起こる」ということとは、一切合切、関係がないことなのだ。
しかし、いい空気のところ住んでいる人は、「明るいことを考えると明るいことが起こり、暗いことを考えると暗いことが起こる」と言って、悪い空気のところに住んでいる人が肺の病気になったことを、悪い空気のところに住んでいる人のせいにすることができるのだ。
悪い空気のところに住んでいるということが、ほんとうの原因なのに、肺の病気になった人は、「暗いことを考えたから、肺の病気になったのだ」と責めることができるのである。
もちろん、ほかの条件が一緒なら「明るいことを考えると明るいことが起こり、暗いことを考えると暗いことが起こる」と考えに関係なく、いい空気のところに住んでいる人は、悪い空気のところに住んでいる人よりも、肺の病気になりにくいということが言える。
ほかの条件が一緒なら、いい空気のところに住んでいる人は、悪い空気の影響を受けないので、悪い空気が原因である肺の病気にはならないのである。
とりあえず、いい空気のところに住んでいる人と、悪い空気のところ住んでいる人の、ほかの条件はおなじだとする。これは、遺伝子的個体差をこえて、おなじだとする。
その場合、肺の病気になったかどうかというのは、「明るいことを考えたか 暗いことを考えたか」のちがいではなくて、いい空気のところに住んでいるか、悪い空気のところに住んでいるかのちがいによって、決まるものなのである。考え方は、一切合切関係なく、「いい空気」か「悪い空気」かでちがってくる。考え方の差が、結果の差をもたらすわけではないのだ。これが重要だ。
そして、とりあえず、肺の病気になっていない人が、肺の病気になっている人をせめることができるということも、非常に重要なことなのである。
これは、行為としては、悪いことをやっているとぼくは思う。
けど、前投稿のように、本人は、悪い行為をしているつもりなんてない。「明るい考え方を持てば、肺の病気にならないのだから」いい行為をしていると思うだろう。
やっている人はそう思うだろう。
だって、本人の意識としては「病気にならない方法」を教えてやっているのだから、いい行為にちがいがないのである。しかし、まちがった認識に基づいた、悪い行為なのである。
思霊理論は、一般的には、自己責任論とともに語られることはないけど、思霊もこの点において、自己責任論なのだ。実際には、運用において、思霊理論は他人を対象にした自己責任論になる。
「暗いことを考えた人が、病気になったのだから、そんなのは自己責任だ」ということになる。
ほんとうは、空気の問題なのに、空気の問題であるということを無視して、「その人(病気になった人)が暗いことを考えたから、病気になったのだと決めつけてしまうのである。
この決めつけは間違っている。間違っているし、病気になった人に対して、たいへん失礼な決めつけなのである。
まちがった決めつけをされて不愉快になる人はいる。その場合、まちがった決めつけをした人は、まちがった決めつけをされた人に、まちがった決めつけをされた人がいやがることをしているということになる。
別に、人がいやがることをしようと思って、人がいやがることをしているわけではないのだけど、結果的に、人がいやがることをしているケースが発生する。
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空気の悪さと空気のよさが、肺の病気になるかどうかを決定しているというモデルについて考えてみた。言いたいのは、ほんとうは、空気の問題なのに、「その人がどう思ったか」の問題にすり替えて、「その人」が悪いことを思ったから病気になったんだと決めつけることだ。
しかも、ほんとうは、まちがったことを言っているのに、まちがったことを言っていると認めないのである。精神世界の人たちは認めない。原因の帰属理論が間違っているのである。精神世界の人は、最初から、「原因」について間違った考え方をもっているのである。
その間違った考え方に基づいて現実を解釈してしまうのである。相手の現実を、まちがった考え方に基づいて解釈してしまうのである。決めつけてしまうのである。
しかし、多くの場合、精神世界の人が、自分の間違いを認めることはない。「絶対に、自分の考え方が正しい」と言い張ることが多い。ぼくの経験の範囲だと、すべての精神世界の人がそういう反応をした。
精神世界の人は、人には、「受け止め方をかえればいい」と言うのだけど、自分の受け止め方は、頑固にかえない傾向がある。
精神世界の人は、人には、「相手をかえることはできないから、自分がかわるしかない」などと言うのだけど、条件が悪くてこまっている人の考え方にあわせて自分の考え方を、頑固にかえない傾向がある。
原因について間違った考えをもっているということについて、精神世界の人が「原因について間違った考えをもっていた」と認めることは、ほとんどない。こっちがどこまで説明しても……精神世界の人は、「最初に決めつけた原因が原因だと」と思ったままなのだ。