実際の場面における、メタ認知というのがある。
場面におけるメタ認知」というのは、ほんとうは、重要なことなのに、はぶかれやすいことなのだ。はぶかれやすいというのは、考慮に入らないということだ。
お題目について書いたけど、お題目の一文は、実際のメタ認知を考慮に入れていないお題目の一文なのである。
だから、原理としては、「こうするべき」というのがあるのだけど、それが、実際には成り立たないということになる。実際の場面におけるメタ認知のほうが、一文であらわされた行動の基準よりも、優先されてしまうのである。
「こうするべき」というのは、基準について書かれた文なのである。
行動基準であったり、判断基準であったりする。「人間は働くべきだ」と思っている人は、「人間は働くべきだ」と思って、「働かない人」に対して、特殊な感情を抱くのである。その人にとって「働かない人」は「働くべきなのに、働いていない人」だからだ。
* * *
Aさんが「人間は働くべきだ」という判断基準をもっているとする。Bさんが働かない人だとする。
その場合、AさんにとってBさんは 「働くべきなのに、働いていない人」になる。Bさんがある病気になっていたとする。
なので、Bさんは、働けないと思っているとする。Aさんが、たしかに、Bさんは働けない状態だと思った場合、Aさんのなかには、まだ「人間は働くべきだ」という基準が成り立っているのだけど、「Bさんは働かなくてもいい」ということになるのである。
そして、Bさんは、Aさんのなかでは、まだ「人間」なのである。だから、例外ができたことになる。
「人間は働くべきだ」という基準が成り立っているのだけど、Bさんの条件を考えると、働けなくても当然だと(Aさんが)判断したので、「人間は働くべきだ」という基準をもったまま、「Bさんは例外だ」と考えるのである。
Aさんは「Bさんは例外だ」と思うのである。
けど、Bさんが、Aさんのなかで、人間であるならば、基準のほうが、否定されなければならないのである。
「人間は働くべきだ」という基準は、間違っていたということにならなければならないのである。
しかし、Aさんは「人間は働くべきだ」という基準をもったまま、Bさんという、例外をつくってしまうのである。
実際には「人間は働くべきだ」という基準よりも、AさんのBさんに対するメタ認知が、優先されたのである。そういう例外事項は、いくらでも、発生する可能性がある。
だから、お題目としては「正しい」と思っていたって、実際の場面では、メタ認知が優先して、お題目にしたがった「正しい判断」をしない場合があるのである。
正しい判断というのは、お題目に従っているという意味で正しいと言っているわけで、そのお題目自体が正しいと言っているわけではない。
最初から、例外が発生することがわかっているような文を、お題目の文にすると、実際には、お題目通りに行かなくてもいいということになるのだから、お題目の意味がなくなるのである。
「人間は働くべきだ」というお題目の文と「例外があるので、例外に相当する人は働かなくてもいい」という文は、その例外に相当する人が「人間」である限り、両立しないのである。
相互に矛盾しているので、どちらも、正しいということにはならない。
条件を無視している文で、現実の問題を考えようとすると、いろいろな矛盾が発生するのである。 「人間は働くべきだ」「私は、人間である。人間である私は働かなくてもよい」ということになると、矛盾がしょうじる。
「人間は働くべきだ」という文と「人間は働かなくてもよい」という文は、両立しないのである。