2025年12月19日金曜日

●実際の場面における、メタ認知■社会※2025/12/19 9:55

 実際の場面における、メタ認知というのがある。場面におけるメタ認知」というのは、ほんとうは、重要なことなのに、はぶかれやすいことなのだ。はぶかれやすいというのは、考慮に入らないということだ。お題目について書いたけど、お題目の一文は、実際のメタ認知を考慮に入れていないお題目の一文なのである。だから、原理としては、「こうするべき」というのがあるのだけど、それが、実際には成り立たないということになる。実際の場面におけるメタ認知のほうが、一文であらわされた行動の基準よりも、優先されてしまうのである。

「こうするべき」というのは、基準について書かれた文なのである。行動基準であったり、判断基準であったりする。「人間は働くべきだ」と思っている人は、「人間は働くべきだ」と思って、「働かない人」に対して、特殊な感情を抱くのである。「働くべきなのに、働いていない人」だからだ。 

Aさんが「人間は働くべきだ」という判断基準をもっているとする。Bさんが働かない人だとする。その場合、AさんにとってBさんは 「働くべきなのに、働いていない人」になる。Bさんがある病気になっていたとする。なので、Bさんは、働けないと思っているとする。Aさんが、たしかに、Bさんは働けない状態だと思った場合、Aさんのなかには、まだ「人間は働くべきだ」という基準が成り立っているのだけど、「Bさんは働かなくてもいい」ということになるのである。そして、Bさんは、Aさんのなかでは、まだ「人間」なのである。だから、例外ができたことになる。「人間は働くべきだ」という基準が成り立っているのだけど、Bさんの条件を考えると、働けなくても当然だと(Aさんが)判断したので、「人間は働くべきだ」という基準をもったまま、「Bさんは例外だ」と考えるのである。Aさんは「Bさんは例外だ」と思うのである。けど、Bさんが、Aさんのなかで、人間であるならば、基準のほうが、否定されなければならないのである。「人間は働くべきだ」という基準は、間違っていたということにならなければならないのである。しかし、Aさんは「人間は働くべきだ」という基準をもったまま、Bさんという、例外をつくってしまうのである。

実際には「人間は働くべきだ」という基準よりも、AさんのBさんに対するメタ認知が、優先されたのである。そういう例外事項は、いくらでも、発生する可能性がある。

だから、お題目としては「正しい」と思っていたって、実際の場面では、メタ認知が優先して、お題目にしたがった「正しい判断」をしない場合があるのである。正しい判断というのは、お題目に従っているという意味で正しいと言っているわけで、そのお題目自体が正しいと言っているわけではない。

最初から、例外が発生することがわかっているような文を、お題目の文にすると、実際には、お題目通りに行かなくてもいいということになるのだから、お題目の意味がなくなるのである。「人間は働くべきだ」というお題目の文と「例外があるので、例外に相当する人は働かなくてもいい」という文は、その例外に相当する人が「人間」である限り、両立しないのである。相互に矛盾しているので、どちらも、正しいということにはならない。

条件を無視している文で、現実の問題を考えようとすると、いろいろな矛盾が発生するのである。 「人間は働くべきだ」「私は、人間である。人間である私は働かなくてもよい」ということになると、矛盾がしょうじる。「人間は働くべきだ」という文と「人間は働かなくてもよい」という文は、両立しないのである。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



人気の投稿

「公開バージョン」はもとのバージョンの一部を文脈に関係なく削除したものなので、段落と段落のつながりがおかしい場合があります。(少し不自然な場合があります)。ご了承ください。

死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。