ほんとうに、ダイヤと遊んでいたころが、一番楽しかったなぁ。ヘビメタ騒音が鳴っていたけど……。ヘビメタ騒音が鳴っていたけど……。
ダイヤとデパートに行くのがめちゃくちゃに楽しかった。わくわくした。ダイヤと東京のでかい本屋に行くのが、めちゃくちゃに楽しかった。近所の本屋に行くのも、めちゃくちゃに楽しかった。
まあ、帰れば、きちがい兄貴が、きちがいの音を猛烈にでかい音で鳴らしていて、こっちは、気分が悪くなるのだけど。発狂したい気分になるのだけど。憂鬱気分になるのだけど。騒音の中で勉強することができないので……まーーったくできないので……腹が立つし、不安になる。それは、避けられない。騒音の中で「楽しい楽しい」と言ったって、楽しくならない。「不安になる必要がない」と思ったって、不安になる。そりゃ、きちがい家族が、きちがい観測で、こっちがっていることをガン無視して、鳴らしていたら、勉強することができないわけだから、将来に不安を感じる。試験の結果に不安を感じる。あたりまえだ。「必要がない?」……。ふざけんな。あんなでかい音でガンガン鳴っていて、発狂的な気分で勉強することがまったくできないのだから、将来に不安を感じてあたりまえだ。そして、「騒音が鳴ったって勉強ぐらいできる」と言った友達との会話シーンを思い出して、不愉快な気持ちになる。そんなことの繰り返しでいいわけがない。きちがい兄貴の態度と言うのは、きちがい親父の態度とおなじだ。きちがい兄貴は、でかい音で鳴らしているという基本的なことを、頑固に認めないで鳴らしている。こんなの、腹が立たないわけがないだろ。そして、こういうところを、無意識的に無視して鳴らしてしまうので、ぼくがほかの人から誤解を受けることになる。「騒音が鳴ったって勉強ぐらいできる」と言った友達だって、自分が、この世で、一番嫌いな音が、あのでかさの音量で鳴っていたら勉強なんてできないんだよ。けど、その友達には、耳が正常なら絶対にわかることを、発狂的な意地で否定して、頑固に鳴らし続ける家族がいないんだよ。だから、わからないだけなんだよ。あの音のでかさがわからない。そして、きちがい兄貴の構造がわからない。きちがい兄貴が卑怯な手を使って、鳴らしているのである。しかも、まるわかりの卑怯な手を使っているきちがい兄貴が、卑怯な手を使っているとは、まったく思ってないのである。きちがい兄貴のなかでは、普通の音で鳴らしているだけということになってしまう。こんなの、ない。これが……こういう態度が、どれだけ腹が立つことか、「騒音が鳴ったって勉強ぐらいできる」と言った友達は、知らない。そりゃ、近くにそういう他人がいないからだ。そりゃ、横の部屋にそういう家族が住んでいないからだ。こまるんだよ。腹が立つ、卑怯な手段で、やっているんだよ!!