2025年12月29日月曜日

●普通の人は普通の人で、「ちがいがある」ということを認めない■騒音※2025/12/29 16:38

 きちがい兄貴がやったことというのは、特殊ことなのである。特殊な騒音、そして、特殊なやり方。きちがいだから、気にしないで鳴らせるでかい音で鳴らし続けた。普通の人なら、「気にして」鳴らせない音で、鳴らした。もう、ここがちがうのである。そして、きちがいだから、きちがい的な熱量で鳴らし続けたのである。普通の人ならやらないしつこさで、鳴らし続けた。ここもちがうのである。もともと、でかい音で鳴らすというのが異常なことなのだけど、それにもまして、「言われても気にしない」性格だった。「言われたら」怒り狂って、やり続けてしまう性格だった。これも、普通の人とはちがうのである。普通の人なら、でかい音で鳴らしたくて、でかい音で鳴らしても、「うるさい」と言われたら、いちおうは、相手が言ってることがわかるということになる。ところが、きちがい兄貴は、きちがいだから、どこまでも、どこまでも、「相手が言っていることがわからない態度」で鳴らし続けた。だから、ちがうのである。そして、家族が何千日も、文句を言っていれば、普通の人は、「気にする」のに、兄貴はまったく気にならなかった。ここもちがう。ちょっと横道にそれるけど、アドラーは「気にしないこと」をすすめる。あたかも、それが正しい態度であるかのような進め方だ。けど、もともと、気にしない人が、どれだけ非道なことをするのかということについては、無視しているのである。「そんなのは、常識だ」というひとことで無視しやがる。完全に、気にさせないでやらせる側の理論なのである。もちろん、気にしすぎの人にとっては、ありがたい理論だけど、そもそも、まったく気にしない人間がいるということがぬけている。そして、そういう人間が、非道徳的ことに邁進してしまう可能性があるということも、無視しているのである。アドラーは無視しているのである。アドラーの主張には、こういう性質がある。これは絶対におさえておかなければならないことなんだよ。けど、普通のアドラーは、おさえない。「正しい教えだ」「いい教えだ」と思っている。だから、基本的には、きちがい的な家族に、きちがい的なことをされた人間のこころを揺さぶるのである。アドラーやアドラー信者が言うことは、きちがい的な人間に傷つけられたほうの人間を、さらに、傷つける可能性がある。だいたい、もともと、気にしない人は、きちがい的な感覚やきちがい的な理論によって、気にしないのである。それが、悪い方向に発揮されると、まわりの人がこまるのである。そして、「家族」だと、もっとこまるのである。家族が、気にしない人で、それが悪いことに発揮される人だと、家族として一緒に住んでいる人がこまるのである。まあ、アドラーの話は、いいよ。ともかく、きちがい兄貴が、普通の人がやらないことをやったのである。きちがい兄貴が、きちがい的な感覚で、普通の人が絶対にやらないことをやったのである。だから、きちがい兄貴のような家族と一緒に住んでいる人は、少ない。その少ない人は、すでに、普通の人ではない。だから、普通の人は、きちがい家族が鳴らす騒音を経験したことがないのである。だから、普通の人が「俺だって苦労した」「俺だって困難を経験した」「俺だって、つかれるときはある」「俺だって、憂鬱なときはある」「俺だって騒音ぐらい経験した」と言ったって、それらは、ちがうことなのである。ちがうことなのである。けど、普通の人は普通の人で、「ちがいがある」ということを認めないのである。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。