2018年5月29日火曜日

常識に基づいて、非常識な家のことを判断するな

金銭的にはそこそこ、生きられそうなんだけど、ヘビメタにやられた部分がデカすぎて、希望がもてない状態になっている。ほんとうにすべてが、ヘビメタ騒音だった。

全部がヘビメタ騒音だった。

ヘビメタ騒音対応で披露して疲労して疲労して、鬱病になって、動けなくなって、人生のなかで一番重要な「若い時期」を無駄にしてしまった。

ともかく、きついんだよね。いまも、きつい。俺が寝るとき、どういう気持ちになると思っているんだよ。俺が寝るとき、どういう状態になっていると思っているんだよ。こんな状態で、輝ける未来なんてつかめるわけがないだろ。その輝ける未来というのは、ヘビメタがなければ、普通に手に入れることができた未来なのだよ。

気違い兄貴も、気違い親父もこういうことが、根本的にわかってない。

自分が「気違い的な意地」で「毎日」※息を吸うように※やったことは、全部やってないことなんだからな。

「そんなんじゃない!そんなんじゃない」とわめくようなことなんだからな。それだったら、あの一五年間はなんなんだよ? って話になる。

やってたじゃないか。

とりつかれたようにやってたじゃない。どれだけ「やめてくれ」と言っても一秒もやめてくれなかったじゃないか。

あれで「ゆずってやった」と思っているということ自体が、おかしい。

親父のようにおかしい。親父とおなじなんだよ。兄貴は!!

兄貴は、すっかり親父とおなじ存在になっている。兄貴は、親父とまったくおなじ脳みそをもっている。兄貴は親父とまったくおなじ感覚をもっている。

どれだけなにを言っても、「やっているうち」は通じない。「やめてやる」なんてことは、絶対にないんだよ。死んでもない!!!

……死んでもないという意地でやったことなんだよ。それを、「そんなの知らなかった」「そんなのやってない」「そんなんじゃない」と否定する。頭がおかしい。



シランプリだから、やりきることができたんだよ。普通に気にする頭があったら、絶対にやりきることができないことなんだよ。そういうやり方でやったことは、一日中やったことでも、一年中毎日やったことでも、まったくやってないこととおなじなんだよ。

兄貴の感覚のなかでは、ほんとうは意地になってやったことが、「やってないこと」になっている。

じゃあ、「やめてくれと」言ったらやめてくれるか?? やめてくれとどれだけ、何万回、何十万回言っても、やめてくれるということはない。それこそ、息を吸うようにやり続ける。息を吸わないで生き続けるのとおなじだ。

それくらいに、気違い人間のなかでは無理なことなのだ。そりゃ、普通の人は一分ぐらいは息を止められる。訓練すればもうちょっと長く息を止められるかもしれない。

けど、二四時間中二四時間、ほんとうに呼吸をしないなんてことは無理だ。そして、二四時間中二四時間息を止める日をずっと繰り返すなんてことは無理だ。そのくらいに、無理なんだよ。気違い兄貴にとってみれば……うちのなかにいる!!気違い兄貴にとってみれば……ヘビメタを鳴らさない時間というのは、息を止めている時間に等しい。

だから、普通に全部の時間鳴らし切る。

まあ、条件がある。まず第一に、起きているという条件がある。第二に「自分の都合」でヘビメタ騒音道具の前をはなれる必要がないという条件がある。寝ている時間と自分の都合でヘビメタ騒音道具の前をはなれるときは、鳴らさない。だから、息を止めるようなものだというのは、正しい比喩にならないような気もする。

けど、寝ている時間と自分の都合でヘビメタ騒音道具の前をはなれる時間以外の時間は、すべて、息を吸うように鳴らしていた。「やめろ」と言われても、普通の人が息を止められないのとおなじようにとめられない。

その必要性も認めない。その必要性というのは「やめてやる」必要性のことだ。普通の人が「息を止めろ」と言われても、「なんで俺が息を止めなければならないんだ」と思うだろ。それとおなじように気違い兄貴が爆音でヘビメタを鳴らしているとき「やめろ」と言われても、「どうして、俺がヘビメタをやめなければならないんだ」というような気持ちにしかならない。

「やめてやろう」なんて気持ちにはならないんだよ。だから、絶対にやめない。一分だって、やめてやらないのである。ヘビメタを鳴らす限りは、自分の満足できる音で鳴らさなければならないわけで、その音を落とすということはできない。

音を落とすなら、自分が満足できる範囲で落とすということしかできない。気違い兄貴が満足できる範囲で音を落としても、その音は、気違い的にでかい音だから、音を落としたという意味がない。そりゃ、一〇〇デシベルを九九・九デシベルに落としたって、九九・九デシベルは爆音騒音だから、落とした意味がない。



全部毎日やられてみろ。



俺が寝るときの破滅的な状態はない。ひとごとだから、みんな平気なんだよ。そして、常識に基づいて、非常識な家のことを判断して、「エイリが甘えている」みたいなことを言いやがる。

全部間違いだから。

俺がどういう状態で、どういうことを押しつけられたか、理解してないだけ。理解できるはずがない。「やったってやってない」という感覚がほんとうに成り立っている家族と一緒に住んだことがないのだからわかるはずがない。

で、それは、いっしょに住んだことがない他の人にとってみれば、聞きたくもないへんな話しなんだよ。考えたくない話しなんだよ。考慮に入れたくない話しなんだよ。考慮に入れたとしても「ソンナノハ……」といいたくなるような話しなだよ。どうしてかというと、そういうことは、自我を構成しているルールに抵触するからだ。これはすでに書いたので、ここでは書かない。

2018年5月28日月曜日

家の前がデカイ幼稚園で横の家が離れていたから、できたこと

ほんとうにヘビメタ騒音でどうしてもつらい。ヘビメタ騒音でつらい。兄貴のヘビメタ騒音でつらい。兄貴よ! 兄貴は、親父が太鼓をあの音で慣らしてたらどう思うんだよ。学校から帰ってきたら、親父がいて、横の部屋で太鼓をドンドンドンドン鳴らしている。

強烈にうるさい音で鳴らしているのに、「こんなのたいした音じゃない」と言ってでかい音だということをさえ認めない。勉強しようとしても、横でドンドンドンドン太鼓を鳴らしているので集中することができない。どれだけ、「やめてくれ」「勉強するからやめてくれ」とこっちが言っても、「なんだ!そんなのぉ」と言ってやめてくれない。

一日に何十回も、怒鳴り込んでいるのに、一回一回、怒ってやめてくれない。けど、その親父が、「そんなつもりなかった」「そんなの知らなかった」と言ったらどう思うんだよ?

一日や二日の出来事じゃないぞ。一〇〇〇日、二〇〇〇日、三〇〇〇日、四〇〇〇日、五〇〇〇日の出来事だ。家の前がデカイ幼稚園で横の家が離れていたから、できたことなんだよ。マンションやアパート、公団に住んでいたら、絶対に兄貴ですら、できない音なんだよ。

それが証拠に、よそのうちに行ってから、兄貴は、一分も、「うちで鳴らしていた音」で鳴らしてない。よその人は、兄貴や親父の性格がわかってない。「うちでの態度」がわかってない。だから、気違い兄貴にどれだけ言っても聞かないのに、「おまえが、ちゃんと言わないからだめなんだろ」みたいなことを言われる。ハンダゴテの日がずっと続いているようなもんなんだよ。

五〇〇〇日、六〇〇〇日、七〇〇〇日。ほんとうに、あのヘビメタ騒音のなかで勉強できない。みんな、わかってないけど、実際にあの音でやられたら、ヘビメタが好きな人以外絶対に、一〇分しか勉強きでない。

これは、一日で一〇分じゃなくて、五〇〇〇日で一〇分だ。最初の日の最初の一〇分間、貼り付けメタ気持ちで「集中しよう集中しよう」と思って、集中して一〇分間だけは、続くかもしれない。けど、そういう張り詰めた気持ちが、いつまでも続くわけがない。全速力で走っているようなものだからな。短距離競走の圧力なんだよ。集中力なんだよ。持久走じゃない。持久走だって、毎日、ガンガン鳴らされて、睡眠時間が二、三時間という状態でずっと続けていたら、数千日後には、再起不能になってしまうだろう。

兄貴はほんとうに、親父がへんな宗教に凝って、笛太鼓をあの音のでかさで鳴らしているところを考えたほうがいいよ。親父の態度は、兄貴の態度だから。なにを言ったってつうじない。つうじないということもつうじない。

ヒトコト言えば絶対にわかることが、一〇年も二〇年も三〇年も一切合切、わからない。すっとぼけたことばかり言う。やっているとき!は、絶対の意地でやって、どれだけこっちがわめこうが、絶対にやりきる。

けど、相手が反対したということがわからない。反対された途端に怒ってはねのけて「なんだそんなの」と親父のように怒ってしまえば、それで、自分はなにもいわれなかったというステータスに戻ってしまう。これは、親父もおなじなんだよ。こんなの、何十万回繰り返したって、一回も言われたことがないというステータスにとどまり続けるのだから、何十万回言っても、意味がない。一回も言われてない状態が、気違い兄貴のなかで成り立ち続ける。親父もおなじだ。兄貴の場合は、怒って無視するというのがあるんだよ。むすーーっとした顔で、無視する。「なんだそんなの!!」と絶叫しないバージョンだけど、「なんだそんなの!!」と絶叫するバージョンと中身はおなじだ。

相手が「やめろ」と言ってきたのに、自分が押し通してやりきったということがわかってない。ほんとうは、やりきったのに、やりきったという気持ちがわかない。ほんとうは相手が必死になって反対したのに、それを押し切ってやったのに、相手が必死になって反対したということも、自分がそのあと押し切ってすべてやりきったということも、わかってない状態のままなんだよ。

「そんなんじゃない」つもりのままだ。ゼロたすゼロはゼロなんだよ。どれだけやっても迷惑をかけたと思ってない。どれだけやっても自分の意地を通して、相手の言い分を聞いてやらなかったということがわからない。

自分としては「聞いてやったつもり」なのである。頭おかしいから、そういうふざけた態度をとれる。夢中になってそういうことをして、夢中になって、そういうことをしたということを無視する。

無視ししているあいだは、どれだけやったってやってないことになっている。気違いの頭のなかでは、やってないこと、なのである。

じゃあ、こだわらずにやめてくれるのかと言ったら、絶対にそれはない。※気違い的な意地※で、※こだわってこだわってこだわって※やりきる。

こっちがそれでどれだけ、他の人から悪く言われても、まったく気にしない。「おまえがやっていることで、人から悪く言われるからやめろ」ということを言われても「そんなの関係がない」つもりでいる。

これは、親父が兄貴が自分が渡したハンダゴテで恥をかいたということを絶対に認めないということとおなじだ。親父が「使える使える」と言い切って、(兄貴に)持たせたものなのに、自分が強制的に持たせたということが親父にはわかってない。それは、普通の人なら認識していて当然なのだけど、親父は言われてもわからない。兄貴も、おなじだ。

自分の騒音で「宿題ができない」というようなとは、どれだけ言われても、親父のように!!!認めない。で、兄貴は、自分が親父のように認めなかったということが、いまだにわかってない。現在進行形で認めないときも、あたりまえだけど、認めなかったということも、認めない状態でやりきって認めない。

どれだけ強制的に押しつけても、一切合切自分の関与を認めない。親父も兄貴も強制的に押しつけるのに、……発狂して意地になって押しつけるのに……発狂して意地になって押しつけたということがまったくわからない。そして、発狂して意地になって押しつけたことで、相手が困ったということがわからない。相手がどれだけ、そのことについて話しても、ただ単に「怒るだけ」でおしまいだ。

「なんだそんなの!!」と怒ってしまえば、それですんでしまうのである。本人のなかでは、はねのけたら、はねのけた瞬間に、ほんとうに関係がない存在になっている。比喩的に言うと、ほんとうにやってない人であるような気持ちになってしまうのである。やっているから、相手が文句を言ってくるのに、「なんだ!そんなの」と怒ってはねのけたら、一切合切関係がない存在になってしまう。「これは、やってないからそんなの知らない」と言う場合とおなじ感覚だ。

普通の人が、やってないことについて文句を言われたら、「やってないのになんだ」と怒って、無視するだろ。それとおなじなんだよ。けど、やってる。たとえば、自分がエレキギターを鳴らしてないのに、「エレキギターがうるさいから静かにしてくれ」と言われたとする。「俺は鳴らしてないぞ」「だから、そんなのは知らない」と思うだろ。それでも、「おまえが鳴らしている」と相手が言ったら、相手の頭がおかしいと思うだろ。「鳴らしてないだろ!! いちゃもんをつけるな!! いい加減にしろ!!」と思うだろ。……それとおなじなのである。違うのは、気違い的にでかい音でエレキギターを鳴らしているということだ。デカイ音でエレキギターを鳴らしているのに、エレキギターを鳴らしてない人とおなじ感情が生まれる。これは半分ぐらいだけど。そういう態度があるんだよ。人を馬鹿にしているだろ。そういう態度なんだよ。自分がやめることは、一切合切考えてない。自分がいちゃもんをつけられたような気持ちしかない。無視して、頑固に「やり続ける」。やり続けるからやっているのだけど、それがわからない。そういうことを無視する。やってないのとおなじつもりなのである。そういうふうに狂っている部分がある。そういう感じ方がある。これは、親父も兄貴もおなじ。
自分が意地になってやっていることなのに、「やめてくれ」と言われたら、怒って(相手の言っていることを)はねのけて、やり続けようとするところがある。最初から最後まで、自分がやっていることは認めない。現在進行形でやっていることを絶対の意地で認めない。認めたら、(相手の言い分を聞いてやめなければならないこと)に関してはそういう圧力が働く。たぶん、無意識的な圧力なのだろう。ともかく、自分が悪いとか、自分が「相手に」迷惑をかけていることをやっている(やった)とういうことは、一切合切、認めない。認めないし、認めないということも、認識しない。ほんとうに自分がやってない場合とおなじような意識でやり続ける。当然、相手の言い分なんて認めない。なんてたって、デカイ音で鳴らしているという部分を認めないのだから、デカイ音で鳴らされて「迷惑をしている」という相手の高度な言い分を認めるわけがない。実際にデカイ音で鳴らしているというのは、言ってみれば基礎部分だ。
(1)デカイ音で鳴らしている(基礎部分)
(2)そのデカイ音で相手が困っている(基礎部分の上に立つ高度な部分)というような二段階の「認識」を考えるとする。そうすると、気違い兄貴は(1)の部分も(親父のように)無視しているのである。無視しているということは、「やったってやってない」と思っているということだ。意識的には「やってない」と思っているのとおなじ状態だ。こんなのは、他の人にはわからない。他のうちではあり得ないことだからだ。この基本的な部分や無視してやりきって、しかも(実際にやっている、あるいは、実際にやった当の本人が)怒るなんてことは、うち以外のうちではあり得ない。



2018年5月24日木曜日

そういうふうに、「なめられる」

いま、幼稚園できーー、ぎゃーーーと奇声をあげている子供が三〇人ぐらいいる。けど、ぼくはもちろん、作業ができる。気違いヘビメタ騒音下では、作業はできない。気違いヘビメタ騒音下での作業ってどういうもんだと思っているんだよ?



これ、気違い兄貴も他の人もわからないんだよな。これを経験したのは僕だけだから、ぼくにしかわからない。ちなみに、幼稚園の子供の絶叫に関しては、ここ一年まで、まったく気にならなかった。最近になって気になるようになった。



ともかく、きちがいヘビメタ騒音が鳴る前、幼稚園はずっと、いまのようにうるさかったし、気違い兄貴のフォークギターにも、居間のテレビの音にも文句を言ってない。



気違い兄貴の部屋にあったむかしのステレオで(レコードを聴く)ことにはずっと文句を言ってなかった。気違いヘビメタ騒音が異常にデカイ音だから問題になった。むかしあったステレオでヘビメタを鳴らすなら、問題はなかった。



あのステレオだと音が割れずに出る音が、だいたい、居間のテレビとおなじだからだ。



気違い兄貴が、考えられないような非常識なデカイ音でヘビメタを鳴らすように鳴ったから問題が生じた。これが、わかってないんだよな。気違い兄貴は、むかしのステレオの音も、ヘビメタノ音もおなじだと思っている。



これは、完全に耳がおかしい。いま、兄貴が住んでいるマンションで、兄貴はヘビメタをかつての音で鳴らすことができないのだから、気違い兄貴は、自分がどれだけデカイ音で鳴らしていたか、無意識的には知っているはずだ。意識的には、むかしのステレオで鳴らしていた音もヘビメタの音もおなじだと思っている。ヘビメタの音とフォークギターの音がおなじだと思っている。



これがおかしいんだよ。自分がデカイデカイ音で鳴らしたいから、そういうふうに決めてしまった。これは、気違い親父に「このハンダゴテは使えない」とどれだけちゃんと説明しても、まったくわからなくなるのとおなじだ。(親父は)絶対に、命がけで、使えないということを認めない。



だから、それで押し通す。兄貴もおなじだ。自分がデカイデカイ音で鳴らしたいので、デカイデカイ音だということを認めない。最初から決まっている。認めないとなったら認めない。認めなければ、気違い兄貴のなかでは、デカイ音じゃないのである。「こんなの普通の音だ」と思っている。気違いだから、そうやって、親父とおなじように、自分の思いを押し通すことができる。



一度決めたら、一五年間にわたって毎日何十万回も、「デカイ音だ」ということを(こっち)が言っても、気違い兄貴は、認めないで、そのデカイ音で鳴らしきる。最初に決めたら、どれだけなにを言われても、気がつかない状態になる。



これも、親父とおなじなんだよ。



これが、気違いの壁なんだよ。そうするとどうなるか? 気違い兄貴が、親父にどれだけちゃんと説明しても、親父がわからなかったように、こっちがどれだけちゃんと説明しても、気違い兄貴はわからないということになる。



で、世間の人は、そういう人がいるということがわかってないので、「ちゃんと説明しないからだめなんだ」と、「うち」なかでやられている側が思われるということになる。



世間のほうだって、世間のほうで、決めつけがある。「そんなにデカイ音で鳴らせるわけがない」「そんなにデカイ音で鳴らしているのに親が注意をしないというのはおかしい」という常識的な感覚がある。そういう常識的な感覚がある人は、ちゃんと言わないからだめなんだと考える。



自分だったら、ちゃんと説明して「わからせることができる」のに、(エイリは)ちゃんと説明することができないから、だめなんだと思う。そういうふうに、「なめられる」。「問題解決能力がない」「説明能力がない」と思われる。気違いの壁に対面したことがない人がそういうふうに勝手な解釈をする。「俺はそんなんじゃない」「俺は、ちゃんと説明できるから(そんな問題はちゃんとかいけつすることかできる)」「俺すげー」と思ってしまうやつも少なからずいる。



しかも、ヘビメタ騒音は実際の生活態度と実際の学業成績に影響を与える。なんてたって、ほんとうに、ずっと、爆音で鳴っている。あんなので、勉強ができるはずがない。一〇〇万人中一〇〇万人が勉強することができなくなる。「どれだけ騒音が鳴ってたって、俺は勉強ができる。俺すげー」と思うやつもいるのだろう。

けど、それは、空想だろ。俺の部屋で気違い兄貴のヘビメタ騒音を聞いたわけじゃない。聞かされたわけじゃない。気違いヘビメタ騒音かで何千日も勉強したわけじゃない。一〇分なら、張り詰めた気持ちで勉強することができるかもしれない。けど、効率は悪いだろうけどな。その一〇分でおぼえたことは、気違いヘビメタ騒音のなかで、消散する。



だいたい、学校から帰ってきたあと約七時間気違いヘビメタ騒音にさらされるということがわかってない。これ、ほんとうに考えるのと経験するのとでは違う。考えるというのはだいたいこういうことなんだろうなと空想することだ。これと、実際に経験した場合の感覚が違うということは、よくある。世の中には、違う場合とだいたいおなじである場合がある。考えたことと経験した場合の感覚がだいたいおなじようなものだってある。



けど、気違いヘビメタ騒音の場合は、ぜんぜん違う方に属する。考えたのと経験したのとではまるで違う。俺の話を聞いて、そういうことがあったんだなと思う人は、考えただけだ。その人たちが勝手に空想で決めつけたものと、現実は違う。経験の総体は違う。けど、それは、経験した人じゃないとわからない。ヘビメタ騒音障害を不当に低く見積もられるということがあるんだよな。

ともかく、うちのなかに気違い的な人がいて、その人が意地を張って、なんかのことをやった場合、世間の人からやられた人が悪く言われるということがよくあるんだよ。そういうしくみがある。けど、気違い的な家族がいない人は、そこのところが、とことんわかってない。とことんわかってないのは、しあわせだと思う。わかっているひとは不幸だ。わかることができる人は不幸だと思う。そんなの、わからないほうがどれだけ幸福かわからない。




2018年5月23日水曜日

小説も女もどうでもいいや

とりあえず、ジュースを買いに行こうかな。

炭酸ジュースを飲むことだけが、唯一の楽しみ。



小説も女もどうでもいいや。

ヘビメタ騒音で全部吹っ飛んだ。



気違い兄貴の、気違いモードはない。

あれは、親父の気違いモードとおなじ。



気違い的にこだわって、やったことは、全部やってないことなんだよな。何万回いわれても、自分が関係しているということが、まったくわからない。そのまま押し通してやる。



その期間が、一〇年間続いても、わからないままだ。二〇年間でもおなじだ。気違い兄貴が引っ越したから一五年間で終わっただけ。毎日、すべての時間、気違い的な意地で押し通してやったことは、全部やってないことなのだ。全部知らないことなのだ。



こんな精神異常ない。しかも、それが発揮されるのは、家族に対してだけだ。気違い兄貴だって、よその家では、一分だって鳴らしてない。こんなのあるか? 自分の『うち』でやったことは、全部了承済みで、やっていいことなんだよ。やっていいことだからやったというモードが崩れない。



けど、じゃ、「そうしたんだな」と言われると「やってないやってない」「そんなの知らない」「ゆずてっやったゆずってやった」と興奮する。むすーーっと不愉快になる。



で、毎日、そういうモードでやったの。そういうモードで否定してやったの。「やめてくれ」と言われたら、「なんだそんなの」と怒り狂って、夢中になって、絶対にゆずらないでやったんだよ。



そういうことの繰り返しだから、ほんとうに全部通してやったのに、本人は、全部自分が譲らずに、全部自分が通してやったなら!やってないということになる。「ゆずってやったゆずってやった」と興奮しているときのモードと、ゆずらずにやってるときのモードがおなじなんだよ。



「やめてくれ」と言われてたら、そういうモードに移行して、ゆずらずにやりきる。ゆずらずにやりきったことは、全部『やったってやってないこと』なのである。だから、本人は『知らない』。「そんなの知らなかった」なんて言い出す。



それは、全部やりきったあとだから、そういうふうに言い出す。もう、ゆずってやることができない状態になったら、「そんなの知らなかった」と言い出す。



たとえば、一五年経って、(兄貴が)他のうちに住むことになって、自分のうちではもう鳴らす必要がなくなったら、「そんなの知らなかった」と言い出す。



気違い兄貴はまったく気がついてないけど、気違い親父とおなじなんだよ。やり方が全部おなじなんだよ。ほんとうにまったく気づいてないんだからな。親父が、自分のやったことに対してまったく無頓着なのとおなじで、兄貴も自分がやったことに対して、まったく無頓着なんだよ。.



けど、じゃあ、ゆずって欲しいときに、ゆずってくれるかといったら、それは、もう、絶対にない。そういうジンカクなんだよ。『うち』にいるときは、常にそういうモードでやりきる。やりきったって、やったという気持ちがしない。いつまでもいつまでも、『そんなの知らなかった』という気持ちのままだ。何万回、何十万回もめても、そういうモードのままなんだよ。そういうステイタスにおさまる。

2018年5月22日火曜日

今夜から無料セール~~ 騒音サイコパス17

今夜から無料セール~~ 騒音サイコパス17: 兄のヘビメタ騒音で人生がない 絶対にゆずらない兄。 どうして、スピーカーから鳴らすことにこだわって、ヘッドホンをしてくれないのか??. アフィリンクではありません↓ https://www.amazon.co.jp/%E9%A8%92%E9%9F%B3%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%82%B3%E3%83%91%E3%82%B9-%EF%BC%91%EF%BC%97-%E5%85%84%E3%81%AE%E3%83%98%E3%83%93%E3%83%A1%E3%82%BF%E9%A8%92%E9%9F%B3%E3%81%A7%E4%BA%BA%E7%94%9F%E3%81%8C%E3%81%AA%E3%81%84-%E3%82%A8%E3%82%A4%E3%83%AA-ebook/dp/B0725MJ14L/

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ヘビメタ騒音が一一時一一分まで鳴っているというとは、一日二〇時間の過酷な労働をしているのとおなじ状態になる。たぶん、それよりもつらい状態になると思う。眠れる時間は三時間ぐらいだ。そんなのが、七年間も続いて良いわけがないだろ。八年目以降も続くけど、ヘビメタ騒音にたたられながら、次の日も次の日も学校に通ったのは約七年間だ。その7年間ですべてを失った。ちゃんと通勤できる体力、ちゃんと通勤できる精神力、仕事をする体力、進学の機会、恋人といちゃいちゃする機会、楽しいクリスマスを迎えること……すべてがめちゃくちゃになった。つねに死にたい気分で暮らすことになった。八年目以降だって、気違い兄貴が、ちゃんと静かにしてくれたことがない。一日に一分だって、ちゃんと静かにしてくれたことがない。全部の時間、気違い兄貴が鳴らしていた。変更がない。『願書を書くから、一〇分間静かにしてくれ』とどれだけ懇願しても、絶叫しても、何回も何回も絶叫しても、気違い兄貴は無慈悲に一秒も譲らずに気違いヘビメタを、デカイデカイ音で鳴らしていた。

2018年5月21日月曜日

声かけは人類の思い込みでしかない

「声かけ」についてちょっと考えてみた。一般的には次のようなことが言われる。たとえば、「太郎君が、『かわいいかわいい』『大きく育てよ』と声をかけてあだたほうの植物はよく育って、存在を無視してまったくかまわなかったほうの植物はよく育たなかった」というようなことが、言われる。「よく育たなかった」バージョンではなくて「枯れてしまった」バージョンもあるみたいだ。

しかし、これは、間違っている。実験しなくても間違っていると言える。むしろ、こういう実験をほんとうに、統制がとれたところでやったのかという疑問がわく。僕は、この手の実験は、自分でやってみたいと思っている。

ただ、ほんとうに環境を同一にすることができないのである。こういうのは、照明や温度を完全に制御できる環境で実験したほうがいい。横の植物のほうが、実は、日照時間が長いというようなことがあるから。

で、「実験しなくても間違っていると言える」という根拠を書こう。それは、前人未踏のジャングルや前人未踏の密林があるからだ。人が入りこまいところで、植物が勢いよく育っている。

むしろ、人が入り込むことによって、密林が密林ではなくなる。木が減る。生態系が壊されて、「木が育たなくなる」。

無人島に、木がいっぱいは生えているのはなぜか? 木の生育に人の「関心」が必要ないからだ。普通、海底火山が爆発して、島ができると、そこには、さまざまな微生物が住み出すようになる。そして、いつしか、岩の割れ目のようなところに、小さな草が生える。そして、その草が枯れたりすることによって、より栄養がある土壌?が生まれる。ちょっとずつね。小さな草が生えたところは、まだまだ、岩だろうけど。(岩がちょっとずつ削れて砂になり、砂に植物の死骸が積み重なって、土ができていく。)だから、人間なんて必要ないのだ。だから、植物が育つのに人間の愛情や人間の関心も必要がない。

道路の割れ目に小さな草が生えていることがあるでしょ。植物にとっては、道路なんて、不必要なものなんだよ。有害なものなんだよ。人間が道路なんて作るから、植物にとっては、住みにくい環境ができあがる。(まあ、これは、人間の関心が植物の発育にどういう影響を与えるかという話しとは、関係がないけどね)。

話を元に戻そう。はっきり言って、住宅街の空き地にすら、草が生える。ぼうぼうに生える。その生命力はすさまじいばかりだ。あおあおとしげる。人間は、実は住宅地の空き地に草が生えることを好まない。

「生えてくれるな」「枯れてくれ」と負の関心を示している。にもかかわらず、ほっておけば、ぼーーぼーーになる。あおあおとしげって、すぐに腰の高さあたりまで、草が育つ。「わ、すれげぇ。もう、こんなに生えている」と感動してしまうほど、よく育つ。

なので、人間が関心を示さなかったり、あるいは、「育つな」「枯れろ」とマイナスの言葉を口に出して言っても、そんなことはまったく関係なしに、がんがん育つ

なので、太郎ちゃんが無視した植物は元気をなくして、太郎ちゃんが感心をもった植物はガンガン育つというのは、嘘の話しだ。実際に太郎ちゃんが無視した植物が枯れて、太郎ちゃんが関心を持っていた植物がぐんぐん育ったとしても、それは、太郎ちゃんの関心とは「関係」がない。太郎ちゃんが適切な量の水をやったり、害虫をとったり、日の当たるところにおいてやれば、そりゃ、人工的な環境のもとで、プラスの影響を与えるだろう。しかし、それは、「関心」とか「声かけ」とは関係がない。関心もって「声かけ」以外のなにかをしてしまったのでは、実験にならない。

   *   *   *
それから、これは言ってはいけないことかもしれないけど、植物史のほうが人類史よりも長い。人類が発生する前に、植物が発生していた。そして、人類が発生する前の植物も、すさまじい生命力で、繁殖していたのである。なので、「声かけ」に効果があるにしても「声かけ」は他の要素にくらべて、たいした効果がないと推測できる。他の要素というのは、日照時間とか気温だ。土壌の状態とか風のながれだ。

人類の一員の関心がないから枯れてしまうなんてことはない。
人類の関心がないから枯れてしまうなんてこともない。

えーっと、それでも、声をかけたい人は声をかけてもいいんです。声をかけると植物が元気になった感じがするということもあるでしょう。けど、それを、あたも、科学的に証明されたみたいに言うのはどうかなと思うのだ。基本、声かけは、人間の側のエゴだ。エゴだからやめろとも言わないし、エゴだから価値がないともいわない。人間がそういうことをするのは、人間の自然な?性格の一つだから、やってもいいし、やったことで、植物が良くなったと思うことも別に悪いことじゃない。けど、エゴだ。

たとえば、メロンを育てるとする。メロンを収穫することが目的だ。メロンの実はたくさんできるのだけど、そのうち一つを残して他の実は、育つ前に切り落とさなければならない。そうしないと、一つのみに○栄養が集中しないからだ。一つのみに栄養を集中させるために、他のみを切り落とさなければならない。剪定と言われる作業だ。

これは、糖分の高いおいしいメロンを作るための方法で、メロンのがわからしたら、いいことかどうかわからない。人間が、あとで食べるために、手をかけているのである。そもそも、農耕・農作ということ自体が、自然に働きかけて、不自然なものにするという意味がある。人間の手で育てられている植物は、すでに、人為的な、あるいは人工的な植物なのである。人間に育てられている植物は、非・自然であり、不自然な存在なのだ。

けど、たとえば、良いメロンを作るために、メロン農家の人が、メロンに「いい子だいい子だ」「ぐんぐん育てよ」と言ってなでることは、別に悪いことじゃない。人間というのは自然に対してそういうことをして、生きてきた存在なのだ。なので、メロンの立場からみると、ほんとうにそれがいいことかどうかわからないけど、すくなくても、人間の立場からみると、それはいいことなのである。

けど、それはもともと、うまいメロンを作りたいという人間の側のエゴから発生した行為だ。うまいメロンを作りたいと思うということは、うまいメロンを食べたいと思っている他の人類がいるということを明示している。暗示じゃないよ。もともと、うまいメロンを食べたいという欲求から発生していることなのだ。これは、人間の側のエゴだ。メロンちゃんにはもともと、関係がない。だから、「声かけ」がよいことであるにしろ、それは、人間のエゴから出たことだということを忘れてはいけないのである。

2018年5月19日土曜日

四歳、五歳差がある兄弟は基本的に仲が悪い……親の愛情をかっさらっていくものに対する攻撃心

あーあ、めちゃくちゃにだるい。こればかりはしかたがないなぁ。

だるい。こまった。



こういう時間ヘビメタ騒音が鳴っている感じがする。あくまでも感じね。こういう雰囲気の時、常に鳴ってたから。鳴っている時間の長さが半端じゃない。そりゃ、『光景』に音がくっついてしまうでしょう。普通に学習できる人なら……。そういうしつこさなんだよな。あと、俺が四歳ぐらいの時、気違い兄貴が俺の布団で簀巻きにして、出してくれなかったことを思い出した。ゆるせない。お母さんが「小さい子をいじめちゃだめでしょ」と言ったら、気違い兄貴はふくれっ面なんだよ。「お母さんは弟の味方をして」って怒っている。もう、むかしっからそうだったんだよな。簀巻きにされて、息ができなくてくるしかったぞ、くそ兄貴。それから、気違い兄貴と俺が喧嘩をしたとき、俺がこたつのテーブルを持ち上げて、あいつのことをたたこうとしたときがあるんだよ。これも、小学生の時じゃなくて、幼稚園生の時なんだよな。全力で持ったんだよ……自分のからだよりデカイテーブルを。で、気違い兄貴が、テーブルの向こう側から、テーブルをぶった。そうしたら、テーブルが顔に当たって、したくちびるが、ぷつっんとさけて切れた。洗面器に水を張って?口をゆすいだとき、洗面器の水がまっかかっになっちゃったんだぞ。お湯が入っていたけど、相当に血が出てとまらなかった。で、問題のなのは、血じゃなくて、くちびるのかたちだ。ゆるせない。あれでしたくちびるがちょっとふくらんだんだよ。ゆるせない。気違い親父が気違い親父だろ。で、四歳と四ヶ月はなれているんだよね。小さいときの四年と四ヶ月の違いはデカイ。四歳児と八歳児、九歳児の違いはデカイ。一〇歳児と一四歳、一五歳の差はでかい。小学三年生の時、気違い兄貴が中学二年生だからな。俺は早生まれだから、学年的には四年の差になる。五年の差にならない。あとちょっと生まれるのが遅かったら、ひとつ下の学年になって、五年の差になったんだけどな。



心理学的にはこの四歳、五歳の差というのがものすごく悪い差なのである。親がしっかりしていて、第一子のほうにもちゃんと気を遣って、さみしい思をさせないようにしないといけないんだけど、うちの場合、気違い親父が抑圧者、気違い暴君なのだから、そんなのはあるわけがない。新しい子供ができて、そっちのほうにかかりっきりだと、お兄さんお姉さんが仲間はずれになっているような錯覚をおぼえるわけ。自分は大切にされていないと思ってしまうわけ。母親の関心が新しい赤ちゃんの方に行って、自分は大切に思われてないと感じてしまうわけ。そうなると、新しい赤ちゃんが憎くてたまらなくなるわけ。母親や(普通の家だと父親の関心を)さらってしまう赤ちゃんの存在がおもしろくないわけ。で、まあ、そういう気持ちが、不健全家族だともっと拡張されるわけだよ。だって、母親しかたよりにならないわけだから。父親は、わけのわからないことで一日じゅう怒り狂っている頭がおかしい暴君だから。最初から、抑圧者なんだよ。気違いの親というのは……。

2018年5月18日金曜日

あの頃のつかれがまだたまっている感じだ

ぼろぼろにつかれた。あのあとずっと横になって、ときどき眠ったりしているんだけどつかれた。

ヘビメタ騒音と親友のことを考えている。心が重い。



これから、ご飯を炊くところ。



けど、ごはんはあとで食べるとして、とりあえずパンでも買ってくるかな。ボロボロなんだけどぉ~~、なんか歩きたい。



ちょっと歩きたいなぁ。



まあ、とぼとぼと歩いてくるかな。



東南アジア逃亡とか、考えたけど、意味ないわ。だめだ・俺。どこにいても、俺がこの状態だと、だめなんだよ。ほんとうになんか生きているのがくるしい。



なんか、すぐにつかれる。ぼろっぼろっにつかれているんだよ。

まあヘビメタ騒音と「地続き」なんだけど。

あの頃のつかれがまだたまっている感じだ。とれない。

あの時とおなじ状態なんだよなぁ。



ほんとう、つかれた。

2018年5月17日木曜日

『人生つまらない』

『人生つまらない』で検索すると僕の環境では一番に出てくるサイトがあるんだけど、読んでいると、『ヘビメタ騒音』のことが気になってしかたがない。すべてが違うんだよな。こういう人たちが言っていることと、僕が経験したことは。「そういうレベルの話しじゃない」と言いたくなる。ぜんぜん、ほんとうに他の人と違うんだよな。こんなの、ない。

ヘビメタ騒音、長すぎた。他の普通の人はぜんぜん違う「つまらなさ」を経験している。「それではどうにもならん」という話しなんだよな。ほんとうに限界超えて、限界超えて、限界、超えすぎた。ぜんぜん違うよ。「あの日々がどういう日々だと思っているんだよ?」と言いたくなる。ぜんぜん違う。

あれ、ほんとうにすべての話がちがってきてしまう。どうしてもつらい。気違いヘビメタにやられた時間が終わらない。どうしても終わらない。長すぎた。あんなの、ない。気違い兄貴が、気違い親父とおなじように、夢中になってやりやがって……。夢中になってやったことは、どれだけやったって全部やってないことなんだからな。あいつらの頭のなかでは……。それなのに、「本人がやりたい」以外の理由がない。血相、かえてやっているのに、どうしてやったということを認めないんだろうな。全部おなじしくみなんだよな。そりゃ、他の人は信じない。ほんとうに俺が全部、誤解を受ける。ぜんぜん違うしくみが成り立っているわけだから、普通の人は『違和感』を感じる。けど、事実そうなんだよ。

こんなのほんとうに、気違い兄貴が気違い兄貴ではなくて、『うるさいからやめてくれ』と言ったら、やめてくれたら良かったんだよ。けど、そんなことはないわけ。気違い兄貴にしたって、よその家じゃ一分だって鳴らせない音でずっと鳴らし続けた。鳴らし続けたんだよ。気違い兄貴は気違いだから、「そんなつもりはない」と言っているけど。これ、全部親父とおなじなんだよな。本人は嘘をついているつもりがない。どれだけの意地で鳴らしたか!!! どれだけの意地で鳴らしたか本人がまったくわかってない。鳴らしている最中から、それは無視する。無視したら、鳴らしてないのとおなじなのである。親父流に言うと「やってない」のとおなじだ。どれだけ言ったって話がまったく通じない。通じない以上は、「あたりまえのこと」として頑固にやり続ける。だからこまる。

   *   *   *
気違いヘビメタが一日で終わった場合の人生を考えて、わくわくしながら、眠るかな。ほんとうに、ヘビメタにやられて、一日中、どの時間も「悲惨」だ。これ、言いようがないんだよな。たぶん、気違いヘビメタ騒音が一〇年間毎日続かなかった人にはまったくわからないことだと思う。一日のうち、六時間四〇分続くと、もうだめだ。他の時間も気違いヘビメタ騒音のことで、こころが重たくなる。ものすごく憂鬱になる。ものすごく腹が立った状態になる。それらは、どれだけキレイゴトを言っても、「鳴らされる限り」続く。で、これも、そういうことが実際に「ジブンノミニ」しょうじた人じゃないと、わからないと思う。だから、一般論を言ってくる。けど、その一般論は、僕が鳴らされている間だ繰り返してきたことで、効果がなかったことだ。効果がないと言うよりも逆効果がある方法なのである。どうして、逆効果がしょうじるかというと、気違いヘビメタが鳴っているからだ。これもわからないかとは思うけど、そうなんだよ。ともかく、気違いヘビメタが鳴って、ボロボロだ。これは、いいわけでもなんでもなくて事実だ。これも、実際に「変わった人」にやられた人じゃないとわからないと思う。変わった人が、家族で、毎日「おなじ家」に住んでいた人じゃないとわからないと思う。家族だと避けようがない。特に、俺の場合、小学六年生のころからはじまった。毎日そうだ。騒音を避けて「引っ越すこと」なんてできるわけがないだろ。昔のことは、こだわらなくたっていいと言ったって、実際にそういう時間をすごしたということが決定的に問題なんだよ。これに関しても「いつでもやりなおすことができる」などと言う人がいる。そういう人のほうが通りが良いと思う。別にその人が「いつでもやりなおすことができる」と考えることを否定しない。また、「いつでもやりなおすことができる」という考え方がある人たちにとっては正解であるということを否定しない。しかし、自分の場合はどうかというと、小学六年生の時からヘビメタ騒音にたたられた身としては、なんて言うのかな? そういうことがどれだけ俺を苦しめたと思っているんだ? と言い返してやりたくなるようなことなのである。これも、わかる人はいないかもしれない。僕がこういうことを書いているということ自体、どういう意味があるのかわかってない人たちが多いだろう。こういうことを、書くということは、僕にとっての「いつでもやりなおすことができる」バージョンなんだよ。だいたい、どれだけがんばっても、ヘビメタ騒音八年目以降は、どこかに週三回でも決まった時間に行くということができなくなった。で、これは、どれだけ努力してもそうなんだよ。だから、そうなったと言うことを認めない限りは、やり直すことなんてできない。だってそうだろ。無理なのだから。無理なことをやっても破綻するだけなのだから。破綻が積み重なるだけなのだから。そして、気違いヘビメタ騒音を一四年と四ヶ月鳴らされ続けたことがない人は、決まった時間に起きることができないという僕の悩みを理解しない。「そんなの、やろうと思えばできることなのに、エイリさんがやらないだけだ」などと思うわけだから。「からだをならしていけばいい」……からだをならせないから問題なんだろ。これ、気違いヘビメタ騒音を一〇年以上毎日浴びないで!僕が言っていることじゃないんだよ。「決まった時間に通うことができない」というのは、気違いヘビメタが鳴っている中で、それでも、七年間、通い続けたから、しょうじたことなんだよ。それを、七年間、気違い気違いヘビメタ騒音にたたられているにもかかわらず、とりあえず毎日学校に通ったことがない人にわかるわけがない。もう、はじめから条件が違う。「そんなの、やろうと思えばできることなのに、エイリさんがやらないだけだ」はヘビメタ騒音が鳴ってなかった。俺が経験したことを経験してない。一日も経験してない。俺とおなじ経験をしてないから、言えることなんだよ。けど、それも、経験してない人には、ほんとうのことかどうかわからない。それから、うちのことは、あまりにも特殊すぎて、普通の人の理解を超えるところがある。だから、半分しか信じてない状態で、そういうことを言う。「ほんとうだとしても(仮定)、できるはずだ」「鳴っていたとしても、からだを徐々にならしていくことはできるはずだ」……。おまえ、俺がどういう経験をしたと思っているんだ? いずれにせよ、他の人にはわからないかもしれないけど、「からだをならして通う」ことには、まったく希望がない。「通う側」には、一切合切のしあわせも、成果もない。「通う側」への努力はまさに、破滅の道なのである。「通えるように努力して死ね」と言っているようなものなのである。常識的な人にはまったくわからないだろうけど、ヘビメタ騒音の一五年間はそういう時間なのである。そのあとの、一〇年、二〇年だってそういう時間なのである。「通う側」には絶望しかない。ほんとうだとしても(仮定)、できるはずだ」「鳴っていたとしても、からだを徐々にならしていくことはできるはずだ」……こんな言葉がどれだけ俺を苦しめてきたかわからない。気違いヘビメタにたたられたことがない人はそういうことを平気で言うし、それが俺にとってどういう言葉なのか理解できないだろうと思う。けど、これはほんとうに、「通えるように努力して死ね」と言われてるようなものなのだ。せめて、一〇年間でもいいから、毎日、ヘビメタ騒音相当の騒音を浴びてからものを言ってくれ。


世間的には特殊な話し

このまま歳をとって死ぬのはいやだ。このまま歳をとって死ぬのはいやだ。けど、そうなりそうな気がする。実際、この状態を維持できるのかどうかもわからない。いまの状態は、たとえば、二〇代の時にくらべて、だいぶいい状態だ。どうしてかというと、金がある。あとは、ヘビメタ騒音が鳴りやんでいる。だから、良さそうなものなのだけど、良くないんだよ。とことん良くない。まあ、からだが衰えてきているというのもあるんだろう。けど、普通の人は、ヘビメタ騒音に一〇年以上毎日やられてないので、『いい時』があったわけだ。おれは、『いい時』がない。二〇代のほうが、くるしい。「二〇代の時にくらべてだいぶいい状態」というのは、お金の状態がいいだけで、からだの状態は含まない。



これ、ほんとうに、わからないのだろうな。頭がおかしい家族にたたられた人じゃないとわからないと思う。あの態度はない。頭がおかしい態度で常に、やられた。常に鳴らされた。あれ、あんなに意地になって鳴らしているのに、意地になって鳴らした時間は全部、鳴らしてないつもりの時間なんだろうな。そういうふうに考えると、兄貴の態度や兄貴の発言が納得のいくものになるけど、ひどすぎる。どんだけ俺が……。気違い兄貴、気違い兄貴は、親父と世間とのあいだにはさまれてつらい思いをしたのだろうけど、兄貴のせいで、俺は、兄貴と世間の間にはさまれて、何兆杯もつらい思いをしてきた。いまもそうだ。世の中には、ヘビメタ騒音なんて認めない人がいる。俺がどれだけ、こういう問いで、こういう音のでかさで鳴っていたと言っても、気違い親父の気違い的な態度を信じない人のように信じない人がいる。その人たちにとってみれば、『説明能力が不足しているからだめなんだ』とかそういうことになる。気違い兄貴が、親父にハンダゴテの説明をしたけど、親父はわからなかった。それについて、技術科の教師は、兄貴がちゃんと説明しなかったからお父さんがわからなかったのではないかと推論して、「ちゃんと説明すればわかったはずだ。なのに、おまえ(兄貴)がちゃんと説明しなかったからだめなんだ」ということを言ったわけだ。親父と世間の人にはさまれるとつねにそういうことになった。世間の人には『うちにいるときの』親父の態度はわからない。それとおなじように、世間の人は、気違い兄貴の態度もわからないので、『エイリの説明能力がたりなかったから、お兄さんが静かにしてくれなかったのではないか』と思うやつが出てくる。自分の説明能力に自信があるやつなら、『俺だったら、そんなことをされてない。ちゃんと交渉して、ヘビメタをやめさせることができた』という前提で、俺のことを馬鹿にする。こういうやつは、ただのうぬぼれで、『きちがい家の状態』がわかってないだけの話なのだけど、そういう人は、自分の思い込みに自信がある。だから、自分の意見をかえようとしない。その人のなかではずっと『交渉能力がないからだめだったんだ。俺だったら、そんなのすぐにやめさせることができた』と永遠に思いっぱなしだ。こういうふうに、事情を知らない世間の人から不当に能力を低く見なされるのが、よくあることだ。普通にそういうことになる。狂っている家族と世間の人にはさまれるとかなりの高確率でそういうふうな二次的な問題が生じる。これは、特殊じゃない。世間的には特殊な話しだけど、狂っている家族と世間の人にはさまれる人にとっては、特殊な話しじゃない。常にそうなると言っていいほど、あたりまえの話しだ。

   *   *   *

今日も、学校に持って行くものをそろえられなかった夢をみた。なぜか、その学校に持って行くものというのが『寿司弁当』なんだけどね。毎日午後一一時一一分まで鳴っている気違いヘビメタ騒音でズタボロなんだよ。午後のあかるい時間から、夜の一一時一一分までズタボロなんだよ。用意をするのも、気違いヘビメタ騒音のなかで用意をしなければならない状態なんだよ。気違いヘビメタがガンガンキーキー鳴っているということは……。これ、ほんとうにこういう空間のひどさがわかってない人がいるんだよな。家中、どこにいても、気違いヘビメタがガンガン鳴って、まとわりついてくるんだぞ。家の中で、静かな場所がないんだぞ。死にたい。まったく落ち着かない状態で、……言ってみればパニック状態でものをそろえるということをしなければならないということになる。これが、きついんだよ。あの音のなかで、計算もできない。計算が必要な勉強はできない。俺は、理科が得意だったのに、ヘビメタ騒音でズタボロだよ。これ、ほんとうにヘビメタ騒音でズタボロなのに、「ヘビメタ騒音のせいにしてる」と言われるわけだ。そういうふうに言われる可能性があるから、「ヘビメタ騒音のせいで、理科ができなくなった」と言わないようにしていたけど、ほんとうにくるしかったぞ。名誉の問題だからな。

2018年5月16日水曜日

僕がどれだけ!!

あの時もほんとう、無理に動いていたなぁ。

ほんとう、僕がどれだけ

僕がどれだけ!!

『つらい思い』の差

たまったものを出して、ゴミ袋に入れたあと、本体プラスチックの部分をブラシでごしごし洗った。

あとは、置きっぱなしにしておいた鍋などを所定の場所に移動。

もう、この時点でけっこうつかれているな。(ほんとうにヘビメタでくるしい。これ、ヘビメタのことは特殊な家族がかかわっているので、他の人にはわからない。どうしても、他の人は誤解するところがある。たいした問題じゃないのではないか、あるいは、注意すればすむことなのではないかと思ったりする。そんなことじゃないから、こまっている。ずっと。)

さっきちょっと腹が痛くなった。

ドクターペッパーを飲んだあとなので、ドクターペッパーも飲まない場合をためしてみなければならなくなった。

   *   *   *

つかれた。買い物に行くかどうか迷う。



さっき、麻婆豆腐を作ったので、まだ麻婆豆腐がある。

一杯分は食べた。二食目は麻婆豆腐だったわけだけど、やはり、二食目のあとは別に腹が痛くならないな。それはいいことなんだけど、たいしたことをしてないわりにつかれる。もう、つかれた。



他の人はどうなんだろうな? ヘビメタ騒音にやられなかった場合のからだがないので、どうなのかわからないよ。ともかく、現在の俺は、現状疲れている。



今日は作業してないし自分の文章も書いてないのに、つかれているんだよな。このつかれはなんだ?



ヘビメタ騒音のつかれなんだけど、つかれすぎている。どうしてヘビメタ騒音の疲れだとわかるかというと、地続きでおなじだからだ。おなじなんだよ。どこまでも……。おなじなんだよ。どこまでも……。あの時のつかれとおなじなんだよ。

   *   *   *

他の人はヘビメタ騒音に一五年間やられてないからだですごしいるんだろ。ずるいな。それで、『だれだってつらいときはある』なんてことを言っているのか?? ほんとうに冗談じゃないな。そりゃ、あるだろう。けど、違うんだよ。ヘビメタ騒音にやられてないときの俺だって、つかれはあった。つらいこともあった。けど、それは、ヘビメタ騒音がぴったり張り付いてはがれない一五年間のつかれとは違うし、つらさとも違う。ぜんぜん違うつかれで、ぜんぜん違うつらさだ。ほんとうに不平等。けど、言っている人は、自分が言っていることが正しいと思っているのだろう。「だれだってつかれはある」と言っている時、自分が経験したつかれと俺が経験した疲れがおなじだと思っているのだろう。けど、違う。

前々から思っていることだけど、なんて言うのかな?たまたま運が良かった人は、『つらい思い』をしたあと成果を得ている。どこまでもやられっぱなしなんてことはない。ちゃんと、つらい思いをしたあと成果を得ている。つらい思いをしたしたではなくて、ちゃんと、そのあと成果を得ている。それは、つらい思いをしただけで死んじゃった人や、つらい思いをしただけで、まるで成果がない人は違う。つらい思いをして、ズタボロになって回復できない状態になってしまった人は違う。すべてが違う。

おなじように『つらい思い』と言っても、人によって思い浮かべる『つらい思い』が違う。おなじように『つらい思い』と言っても、人によって経験した『つらい思い』が違う。だから、『つらい思い』というおなじ言葉を使っているにもかかわらず、そこで表されている内容がちがう。おなじ言葉を使っているにもかかわらず、意味している内容がちがう。だから、話があわないのではないかと思う。

   *   *   *

たとえば、『リンゴ』という言葉を使ったとき、それぞれが思い浮かべる『リンゴ』は違う。しかし、『リンゴ』という言葉の場合、それぞれが持つ『差』はそんなには問題にならない。問題になる場合だって、色や種類を限定していけば両者のあいだには同じようなリンゴ増がなり立つと思う。そのリンゴ増は違っていたとしても、だいたいおなじようなリンゴ増であれば、問題が生じることがない。しかし、『つらい思い』というような言葉だと、それぞれが違うことについて話しているという場合があるのではないかと思う。おなじ言葉(表現)を使っているのだけど、表しいる内容がちがうので、それにまつわる話がまとまらない。
まず、リンゴというのは、実際にある。これがまた、なにがリンゴなのかということになると、けっこうむずかしい話になるんだよ。そして、背景がなければリンゴというものが「切り出されて」見えることがないという問題が生じる。これは、現象学の問題だ。けど、今回はそういう話しではなくて、リンゴのばあいは、具体的なオブジェクトとして客観的に存在するのだけど、『つらい思い』というのは、具体的なオブジェクトとして客観的に存在するわけではないという問題だ。『つらい思い』という言葉の内容がそれぞれ違うのだから、『つらい思い』をしても耐えてがんばるほうがいいのか、それとも、『つらい思い』をしているのであれば耐えずに逃げたほうがよいのかということに関しては、まるで違ったことについて話しているという可能性がある。

   *   *   *

どーーしても、ヘビメタで人生ないわ。朝の七時……。この雰囲気。この雰囲気。死ねる。俺はどれだけ何回、こういう朝を繰り返したんだ? 気違い兄貴、気違い秋のヘビメタで毎朝つらかったよ。死にたいほどつらかったよ。気違い兄貴のヘビメタで、朝の五時ぐらいまで眠れなかった。毎日だ。そして、朝の七時三〇分ぐらいという、一番眠りが深いときにむりやり起こされた。すべてがつらかった。どれだけあせったか。どれだけからだが動かなかったか。それを、むりやり動かしたか。俺は、気違い兄貴のせいで、一週間前まで校名すら知らなかった男子校に通うことになったんだ。その時だって、その時だって、一分もゆずってくれなかったからな。気違い兄貴は、気違い親父モードでうるさくしたから、うるさくしているあいだの記憶がまったくないみたいだけど、気違い的な意地でうるさくしてたんだよ。そういうときは、自分が満足できる気違い的にデカい音で鳴らして、絶対にゆずってくれなかった。ほんとうに地獄だ。あれで『鳴らしてない』『たいして鳴らしてない』と思っているんだろ。それが、親父とおなじなんだよ。自分が一〇〇%思った通りの音で、一〇〇%の時間、やりたいようにやれたから「やったつもりがない」だけ。そういう構造なんだよ。一日に一時間でもヘッドホンをして我慢しなければならなかったということがあれば、一時間我慢させられたという記憶が残る。すべての時間自分が好きなようにならせたから『鳴らした記憶がない』だけだ。『ゆずってやらなかった』記憶がないだけだ。頭がおかしいからそういうことが、できる。頭がおかしいから、そういうことをしても、平気でいられる。頭がおかしいからそういうことをしてもなにも関係がないつもりでいられる。親父と一〇〇%おなじだから! どんだけの意地で鳴らしたか? フォークギターぐらいの音まで、落とすわけがないだろ。そんなの、一日一秒だってないよ。そんなことをしてくれたことは一日だってない。試験の前の日だって、試験期間中だって、自分がやりたければ自分がやりたい時間は絶対に、自分が満足できるデカイ音で鳴らして、一秒もゆずってくれなかった。一秒も、ヘッドホンをしなかった。一秒も鳴らさないで我慢しなかった。一秒も、フォークギターの音まで落としてくれなかった。

それで『静かにしてやった』『ゆずってやった』と思っているのが気違い兄貴なんだよ。これは、親父が『やってやった』と言うのとおなじだ。親父が『譲歩してやった』と言うのとおなじだ。親父にとって最大限の譲歩が、使えないハンダゴテを持ってきて渡すと言うことなので亜。使えない』というとは死んでも認めない。気違い兄貴の譲歩は、まったく意味が内情本なんだよ。気違い兄貴が、最大限譲歩したつもりで鳴らしていた音はヘビメタが好きなカオ君が聞いてもでかすぎる音なんだよ。親父が、『このハンダゴテは使えない』ということを言われても『だいじょうぶ』『だいじょうぶ』と言って認めなかったのとおなじように、『気違い兄貴もデカイ音で鳴らしたら、弟さんがかわいそうだよ』と言われても『だいじょうぶ』『だいじょうぶ』と言って(デカイ音だということを)認めなかったんだよ。『だいじょうぶ』という言葉を使って認めなかったんだよな。『うるさいから静かにしてくれ』『うるさくて勉強ができかないから静かにしてくれ』と言われても、自分が鳴らしている音が『デカイ音だ』と言うことを認めない。気違い兄貴にとっては、うちで鳴らしても『だいじょうぶ』な音なのだ。弟である俺がそれまでに何万回も文句を言っているのに、気違い兄貴にとっては何万回言われても『だいじょうぶな音』なのだ。『だいじょうぶじゃない音だ』ということは絶対に認めない。それは、親父にとって、親父のハンダゴテはどれだけ何回『だいじょうぶじゃない』と言われても『だいじょうぶなハンダゴテである』のとおなじだ。回数は関係がない。事実は関係がない。どっちも、言われた回数とか、事実は関係がないんだよ。気違い兄貴なら気違い兄貴の内的な理由で、『でかくない音』ということになっている。現実を無視して、『でかくない音だ』と決めつけている。親父も、現実を無視して『だいじょうぶなハンダゴテだ』と決めつけている。一度、内面的な理由で、現実を無視して決めつけたら、何万回言われても、本人のなかの認識がかわらないのだ。しかも、『認識がかわらなかった』という認識もしょうじない。『何回も何回も、相手が文句を言ってきた」という記憶もない状態なのである。『そんなの知らなかった』『そんなの、言われなかった』という状態を維持する。それは、何万回も言われて……言われるたびに何万回も怒って喧嘩したとしてもそうなんだよ。まるで悪気がないまま続ける。せめて、言い合いになったということがわかればいいが、そんなのはわかるはずがない。そういうレベルでずれているんだぞ。

2018年5月14日月曜日

いろいろな負の記憶がよみがえってくるんだよ。

俺は歯磨きをしたら、横になる。

頭がもやもやで作業ができない。



もやもや度20以下じゃないと、できない作業がある。

その時間は短い。



疲れた体で、横になって起きていると、いろいろな負の記憶がよみがえってくるんだよ。

2018年5月13日日曜日

建前や、裏建前

やっぱり、腹が痛くなる。

ビオフェルミンを飲んだ。



ちょっとは緩和されるはずだ。

にしても……。



ボロボロなんだよな。ヘビメタはじまってから、どこに行ってもボロボロ。ボロボロなんだよ。ほんとうにくるしい。だいたい、ほんとうに動けなくなっちゃうからな。動けなくなったときは、まあ、布団の上で横になっているわけだけど、あの気分はいいがたい。ほんとうに、別次元のいやなことなんだよ。気違いヘビメタ。やっぱり、気違いヘビメタが一ヶ月以内に鳴り終わらなければ、どんな意味でも、僕の人生はなかった。ない。気違い兄貴が気違い親父とおなじで「やったってやってない」を実行しまくる。本人は、つもりがない。気違い的な意地で頑固にやっているのに、本人はつもりがない。あるいは、「つもりがなかった」とあとで言える状態だ。この、あとで「つもりがなかった」と言う場合は、ほんとうにもめごと全部を無視しているんだよね。「つもりがなかった」ということについて嘘を言っているつもりがない。言うことを聞かないで頑固に言い張ってやったのに、やってないつもりでいる。で、それが現在進行形で成り立つわけで、「つもりがなかった」と言った後に、当のその行為をまた頑固にやり始めても、なんの矛盾も感じないんだよな。こまるんだよな。そういうの!! こまる。普通の人は、……普通の家庭に生まれ育った人は……気違い兄貴の、家での態度というのはわからない。気違い兄貴の、家での態度もわからないけど、実際にヘビメタをやられて数千日つもった場合の、俺の体の状態もわからない。建前しかないんだよ。「そんなのちゃんとやらなきゃだめじゃないか」っていうね。ちなみに、がんばる必要はない……うんぬん系もけっきょくは、がんばらなければならなくなるんだよ。そういう建前や、裏建前が、数千日の午後一一時一一分までのヘビメタ騒音で吹っ飛んだ。そんなの、もう、つながってない。けど、けど……娑婆に出ていくとそうも言ってられない。建前や裏建前にあわせるしかない。が、しかし、もう、ヘビメタ騒音に十数年やられたからだだと、あわせられない。そういう破綻の日々なんだよね。他人は、わからないわけだからさ。普通の基準で普通の建前を押しつけてくるわけだから。「これはただしい」と。

2018年5月12日土曜日

ヘビメタ騒音がもたらことの総和なんて、ぼくしか知らない

ここまでで、一回目の食事と歯磨きが終わった。

これから、また、紅茶を飲む。



さて、これからどうしようかな?

この時間の使い方が人生を決めてしまうのだ!



この時間の使い方がうまい人は、人生を楽しく生きられる。この時間の使い方がへたな人は人生を楽しく生きられない。そういう大切な時間なんだなぁ。けどけど、僕は……。例のことがあるので、そんなに楽しくは生きられない。

どうしたってあるからな。経歴というものを考えれば楽しく生きられるはずがないのだ。ヘビメタ騒音がなかった場合の人生か? ヘビメタ騒音がなかった場合の人生……。これはもうぜんぜん違う。なかったので、証明はできないけど、ぜんぜん違う。中学時代の生活から、高校進学、大学進学、彼女云々までぜんぜん違う。ぜんぜん違う。

で、まあ、気違いヘビメタのハンディがなかった場合のことについて考えると、むなしい気分になるんだよ。あれやこれやの漫画的な展開について妄想することだってできるんだぞ。あれやこれやの内容に関しては、はずかしすぎて書けない。けど、それが理想と言えば理想だったんだな。



ヘビメタ騒音のこと、あるいは、気違い兄貴のことに関しては、もう、ぜんぜん違う。たとえば、僕が、僕ではない人間だったとしてこのストーリーを聞いたらどう思うだろう? ということを考えたとする。

考えているわけだけど……。

父親の問題と兄貴のヘビメタ騒音の問題がある。父親の問題だけで、気違い兄貴に勉強と生活の邪魔をされずに普通に育っていたら……。あるいは、勉強することができたら……あるいは、普通に自由時間を使うことができたら……ぜんぜん違う。

ヘビメタ騒音を経験してない俺は、案外普通の人とおなじことを言うかもしれない。『そんなのこだわってたってしかたがない』『俺だって、父親が気違いで常に精神的虐待されていたが、いまは、ちゃんと働いている』『ヘビメタ騒音が鳴ってたから働けないなんていうのは、いいわけだ。そんなの、どれだけ鳴ってたって、働こうと思えば働ける』……とまあ、ちらっと思ったかもしれない。

親父のハンディというのは、これまた、普通の人には理解ができないことなのだけど、普通の人でも似たような経験は一度や二度ぐらいならあるかもしれないので、その経験をもとに考えて、……俺だって!そういうことがあったけど、俺はぁ!そんなことにめげずにがんばって働いている(なのに、おまえはなんだ)と思うもかれしない。親父のハンディだけだったら、働けると思う。

けど、違うんだよな。すべてが違う。経験が足りないからわからないだけ。俺のことを社会的な経験が足りない人間だと認識しているやつがいて、その俺のことを社会的な経験が足りない人間だと認識しているやつが、エイリさんは、だ・か・ら、そんなことを言ってると思うかもしれない。けど、それは、ハズレだ。

そういうことを言う人が間違っている。その人の推論が間違っている。その人の推論の根本にあるものが間違っている。考え違いなのである。推論が間違っているだけではなくて、推論のしかたが間違っているという状態だから、たぶん、話しても伝わらないと思う。

その人はその人で、「エイリさんは社会経験が不足している未熟な人だからそんなことをいっている」と思うだろう。けど、それはほんとうに間違っているんだよ。そんなことというのは、親父や兄貴に関することね。それと、騒音経験と、騒音がもたらした経験に関することね。

騒音は、だれでも経験したことがあるけど、気違い兄貴の騒音は僕しか経験してない。距離が離れれば、騒音のレベルが違ってくるので、ぼくの部屋で気違い兄貴の騒音を(ずっと)経験した人は僕だけなのだ。で、兄貴の性格や兄貴の態度というのが他の人にはわからないので、僕が誤解を受けることになる。

それは、親父の性格や親父の態度が他の人にはわからないので、兄貴や僕やお母さんが他人から誤解を受けてきたこととおなじなんだよ。

気違いヘビメタ騒音の総和なんて、ぼくしか知らない。気違いヘビメタ騒音がもたらことの総和なんて、ぼくしか知らない。なので、なにを言っても無駄だという部分がある。けど、僕は、記述はしておく。人類史のなかでそういうことがあったということは、記述しておかなければならない。





これ、ほんとう、気違い兄貴の態度でやられてみろという話になる。気違い兄貴の態度、あれはない。他の人はまったくやられたことがないから、わからないだけだ。ヒトゴトなので、自分の身にそういうことが起こらなくて良かったと『防衛的な』態度になるだけだ。

   *   *   *

ヘビメタ騒音障害とは、普通のことが普通にできなくなる障害なのである。

それを、やられたって、(自分なら)普通にできる。「普通にできないなんて言うのは甘えだ」と思っているやつがいるんだよ。

そんなの、実際にやられたらどういうことになるか、知らないだけじゃないか。七年間毎日積み重なって、そのあいだずっと、学校に通った場合、どういう状態になるか知らないだけじゃないか。中学・高校の六年間、毎日、午後一一時までやられて、次の日どういう状態になるかわからないだけの話じゃないか。想像ができないだけの話じゃないか。

こういう、事情を知らないやつや、事情を話しても、「自分ならそんなことにならない」と勝手に決めつけて事情を理解しないやつはまるまるまるまるまる。

   *   *   *

僕も、父親が気違いで常に精神的虐待されただけだったら働けたと思う。「じゃ、なんで働けないんだ?」「じゃ、どうして働かないんだ?」とむきになって思う人が出てくるわけだけど、前から言っているでしょ。ヘビメタ騒音で働けない。と。ヘビメタ騒音なんだよ。ほんとうにわかってないな。毎日、七時間から一三時間、ヘビメタ騒音を鳴らされ続けていいわけがない。

こだわりの強さ(度合い)が、「しらんぷり」の強さ(度合い)に比例している。

だりーーだりーーーぃ

だるいけど、眠れない。



頭を使うことは一〇〇%無理か。

ともかく、つまんない。つまんない。つまんない。



この、だるいのどうにかならないかな?

これじゃ、俺が仮に年に一〇万円の不労所得を得られるようになったとして、それで、海外で暮らしたとしても、まるで状態がかわらないということになる。けっきょく、ヘビメタ騒音の毒をどうにかしないと、俺の人生はどうにもならない。長年投与されたヘビメタ騒音の毒が効いている。これ、だれに言ってもわからないことだからな。俺が「どうしょうもないこと」にこだわっているようにしか見えない。過去のこと?……過去のことと言うには長すぎるとは思うけど……過去のことにこだわってるようにしか見えない。ダイヤ君のことを考えてもやはり、ヘビメタ騒音が直接の原因だ。ヘビメタ騒音を巡る意見の違いなのである。そりゃ、友達が目の前で……。そりゃ、はげますよな。……一〇年も続いちゃったから……一一年も、一二年も、一三年も毎日続いちゃったから……。へんなことになるんだよ。親友との対立ということになるんたよ。俺の中で、ゆるせないこと……それこそ、どうにもできないことが積み上がっていく。気違い騒音のなかで!! ダイヤは、怒ってくれたけど……(中学の入試の時に俺が落ちまくっていた……)ああ……あの時ですら、気違い兄貴はどれだけ家族会議を開いて(鳴らさないでくれと)言っても、一分だって静かにしてくれなかったんだからな。他の友達は知らなくて、教師はヘビメタ騒音のことを聞いても「それは、家族で話し合って」というような気持ちにしかならない人で……要するにその教師のなかでは……ヘビメタ騒音問題がどれだけ兄貴に直接言っても解決しない強烈に深刻な問題なんだというような認識がなかったわけ。認識ができなかったわけ。「ちょっと言えばしずかにしてくれること」「どれだけデカイ音で鳴っていると言ってもそんなに鳴っているわけではないだろう」というような認識なんだよ。……で、手短に言うと、俺がさらし者にされた。俺がさらし者にされた……。サボっているから落ちまくっているみたいなことを言われたんだよな。そういう認知なんだよな。たるんでいるから、サボっているから、真剣になってないから……。気違い兄貴! 俺がどれだけおまえのせいで恥をかいたと思っているんだよ? あんな騒音のなかで勉強できるわけがないだろ。耐えて起きている時間が影響して、午後一一時一一分以降、どうやっても眠れない状態になってた。眠れないまま、入試を受けに言ったときの気分がわかるか? あの破滅的な力が入らない気持ちがわかるか? 試験中に、眠たくなってまったく頭が働かなくなったときのあせりがわかるか? 破滅的な状態のなかで「どうにかしなきゃ」と思いながらも、どうすることもできない状態がわかるか? これ、高校入試の時だけじゃないんだぞ。大学入試の時だってまったくおなじことが成立していた。そして、高校一年から高校三年までの間だずっと、日曜日も祝日も、ずっと、午後一一時一一分まで、あの忌々しい気違いヘビメタが、ドデカイ音で鳴っている状態なんだぞ。あんな音で鳴っているうちはない。実際気違い兄貴にしたって、いま住んでいるところじゃ、一日に一分だって鳴らせないだろ。そういうデカイ音なんだよ。そういう非常識な音なんだよ。あんな非常識な音で、午後四時から午後一一時一一分まで鳴らしていいなんてことはないんだよ。朝の九時一五分から午後一一時一一分まで鳴らしていいなんてことはないんだよ。それが普通のことで、午後一一時一一分まで鳴らせるなら、一分もゆずらないでその時間鳴らしてたんだからな。それで、『静かにしてやった』『協力してやった』なんて、親父と同じようなことをいっているのが気違い兄貴なんだよ。親父の態度で、気違い兄貴がヘビメタを鳴らし続けた。そして、親父の感覚で、鳴らし続けたということを否定している。そりゃ、やっているさいちゅうから『たいした音じゃない」ということになっている。「たいしたことじゃない」ということになっている。「たいしたことじゃない」なら揺すってくれるかというと、そうじゃないんだよ。ビタ一秒ゆずらない。そういう態度が、気違い親父が『否定』しているときおなじなんだよ。見れば一発でわかることを『否定』しているときとおなじなんだよ。そういう態度で、『デカイ音で鳴らしている』ということを否定して、なんでもないつもりで……しかし、気違い的な意地で……気違い的な強情さを発揮して、鳴らしてた。気違い兄貴が鳴らしていた。俺がその音にさらされているあいだ、どういう状態になっていたと思ってるんだよ? こんな人生あるか? あんな状態で暮らしている中学生、高校生なんていないんだよ。世界に一人もいないんだよ! 気違い兄貴が気違い兄貴だから、強情に鳴らし続けて、『認めなかった』。否定した。どうでもいいことだったら、どうでもいいことなのだから、二四時間中二四時間、ゆずればいいだろ。鳴らすときはかならず、ヘッドホンをつけ鳴らせばいいだろ。普通の家だったら、一日目の一〇分目に、『ヘッドホンをしろ』と親に言われて、しかたがないから、それ以降はヘッドホンをして鳴らすことに鳴るんだよ。それがあたりまえなんだよ。それが、気違い親父が作った家だから、気違い兄貴が気違い親父のまねをして、気違い的な意地で、頑固にすべての時間、デカイデカイ音で鳴らしてゆずらなかった。しかも、すべての時間自分が満足できるデカイ音で鳴らすことができれば、『まったく鳴らしてないのとおなじ気持ち』になってしまう。これが、他の人にはわからない。兄貴にもわからない。兄貴よ! 気違い兄貴は気違い親父とおなじ。いや、気違い親父の強化版なのである。絶対の意地でやる。絶対の意地でやるけど、やったということを絶対の時で認めない。自分が一〇〇%満足できる音で鳴らしている以上、そんなのは、たいしたことじゃなくて、やってないことなのである。『ぜんぜん気がつかないこと』なのである。あれだけでかい音で鳴らしている気違い兄貴が『デカイ音で鳴らしている』ということにまったく気がつかないという気違い空間だ。こんなの、気違いと言わずになんと言う? どう形容するのだよ? これだって、「家族を気違いとか」「家族を気違いと言うなんて、おまえが気違い」とか、平気で言われるんだぞ。親父とおなじなんだよ。兄貴が押しつけてくれるものは!! 兄貴が押しつけてくるものは……強烈な意地で押しつけてくるものは……気違い親父が強烈な意地で押しつけてくるものとおなじ。そして、何万時間、何千日やっていようが、本人は「しらんぷり」なんだよ。こだわりの強さ(度合い)が、「しらんぷり」の強さ(度合い)に比例している。こんなの、反比例しているならわかるけど、気違い的なこだわりでやっていることを、気違い的意地で認めないとか、おかしいだろ。

なんか、人生バカらしい。

なんか、缶ジュースを飲んでもやーっとしてる。ちょと飲みすぎかな。

ほんとうにヘビメタ騒音のことで気が重い。



なんか、人生バカらしい。

2018年5月11日金曜日

押しつけた認知がしょうじない

頭がもやもやでどうにもならない。

体力的にこれはもうだめだな。

長かったなぁ。

ヘビメタ騒音がはじまってからずっと、からだが……。くるしくてくるしくて……。ほんとうに、熱が三九度で出ているときより、常にくるしかった。くるしいんだよ。ゼンブガゼンブくるしくなる。それから、昨日の夜、外に出たんだけど、いちゃいちゃしているカップルとか見るとさみしくなる。気違いヘビメタで女の子の前に立つのがいやになったけど、気違いヘビメタがなければ、俺は普通の恋愛ができた。相手は何人かいた。チャンスは何回かあった。ヘビメタでどうしてもくるしい。ヘビメタでくずされている内面を知られたくないという気持ちがある。それは、まるで、無職の人が無職だということを恋人に知られたくないというような気持ちとおなじだ。ヘビメタで、本物の無職になってしまったけどな(当時)。



違うんだよな。すべてが他の人と違う。年下先輩の問題だって、引きこもり?の問題だってほんとうに、すべてがすべて他の人と違うんだよな。ヘビメタ騒音という特殊な理由。理解されない特殊すぎる理由。他の人にとっては「いっくら鳴ってると言ったって、ちょっとうるさい音が二、三時間ぐらい鳴っているようなものなんだろ」とか「騒音ぐらい俺だってある」とか「言えばいいのに」とかと思うようなことなんだよな。(これ、最後の「とか」はいらない感じがするけど、入れるのがより正しいらしい。)



ゼンブガゼンブ違う。気違い兄貴が、親父にやられて、他の人から「(お父さんに)言えば(お父さんだって)わかってくれる」とか「ちゃんと説明しないからだめなんだ」とか「そんなハンダゴテが使えると思っているいるのか? ばっかじゃないの」とかと言われるようなものなのだよ。そんなんじゃないのに。まったく違うのに。よその人が間違っているのに。よその人は自分が間違っているとは思わない。よその人たちは、自分たちが間違った見立てをしているとは思わない。常識で考えると、そうだ。けど、大きく違う。ようは、『うちのなか』の親父の状態がわかってないから、そういう間違ったことを言えるだけ。気違い兄貴の態度もおなじなんだよ! 気違い兄貴!! おまえがやったことは、親父がやったこととまったくおなじ。どれだけ言っても、まったく通じない。どれだけ言っても、やったつもりがしょうじない。押さえつけて、押しつけた認知がしょうじない。「やったってやってない」が常に成りっている状態だ。そして「やったってやってない」と思っている状態で、頭がおかしいことを押しつけてくる。常に常に毎日毎日。

そうなると、ものすごく不利な立場に立たされて、人からバカにされたりする。他の人はうちのことがわかってない。他の人は『うちの常識』がわかってない。どうしたって他の人は、普通の常識』でものごとを判断する。その判断が、常に間違っているのである。……『うちのこと』にかんしては……。

それから、他の人は実際に毎日やられていないので、毎日やられた場合の体の状態がわからない。人類史のなかで、一番ヘビメタ『騒音』を長く聞かされ続けたのは、僕だと思う。ヘビメタじゃないよ。ヘビメタ騒音だよ。自分で好きで聞いているぶんには、どれだけデカイ音で聞いていても、騒音にはならない。騒音とは自分が制御できない音なのである。俺がスイッチを持っていて、スイッチを押すと、あら不思議……ヘビメタ騒音がまったく聞こえなくなりましたという状態であれば、気違い兄貴が横でどれだけデカイ音で鳴らしていても、ヘビメタ『騒音』じゃない。

耳栓とか、イヤーマフでは、どうにもならないレベルの騒音だ。耳栓でどうにかできる音じゃないんだよ。(当時なかったけど、ノイズキャンセリングヘッドホンでも、おなじだ。四万円ぐらいのノイズキャンセリングヘッドホンを買ってみたけど、イヤーマフレベルの防音効果しかないということがわかってしまった。)

   *   *   *



無職引きこもりで『だらしがない』と思われるのが俺なんだぞ。だれだって、あんなことをやられ続けたら、無職引きこもりになるしかないけどな。俺がどれだけがんばって、気違いヘビメタに何時間も何時間もさらされながら、学校に行ったと思っているんだよ。その七年間だけで、すべてが終わっている。これ、他の人はわからないんだよな。本人が、あの状態で、朝起きたことがないから。七年間それでもがんばって、なんとか学校に通い続けたということがないから。「七年間通い続けることができるなら、(これからも、通い続けることができそうだ)」と思うような、頭が悪いやつばかりだ。

(俺が)引きこもり無職でだらしがないと思われるのは、見れば使えないとわかるハンダゴテを持ってきたので(兄貴は)バカだと思われるのとおなじなんだよ。親父にわかるように説明することができなかったので兄貴は説明能力がないと他の人に思われることは、俺が、兄貴のヘビメタ騒音に対処できなかったので、対処能力がないと思われることとおなじなんだよ。気違いを相手にしているということが、他の人にはわからない。そこが盲点になっている。気違いを相手にしたことがない人のほうが多数派なので……もっと言えば、うちのなかにいる家族としての気違いを相手にしたことがない人のほうが多数派なので、多数派はこれらのことを理解しない。できない。どうしたって、自分たちの「うち」の基準で考える。『こういうふうに言えばつたわるはずだ』『ちゃんと言えばつたわるはずだ』『ちゃんと言わなかったから、だめなんだ』『人のせいにするな』と思う。全部、間違っているんだけどな。

一〇〇人中一〇〇人ができないことなのだけど、一〇〇人中一〇〇人が自分ならできると思っていることなんだよ。もちろん、その一〇〇人のなかには、気違い親父のような人と、目下の家族としていっしょに住んでいたことがある人は含まれない。兄貴のような自分の騒音に関する感覚がおかしい人といっしょに住んでいたことがある人は含まれていない。気違い兄貴が狂っているのは、自分の騒音に関してだけなんだよ。他の騒音に関しては狂ってない。しかも、『よそのうち』に行ったら、『よその感覚』にあわせている。そういう都合がいい気違いなんだよな。よそじゃ、うちでやってたことは、一分もやらない。よそのうちでは、全部の時間ゆずっていることを、うちでは、一秒だってゆずらない。それで、あたりまえだ。これは、親父の感覚なんだよ。気違い兄貴、おまえ、うちにいるとき、ずっと親父の感覚で鳴らしてたんだよ。いまも、うちでやったことに関しては、親父の感覚が生きている。だから、親父の感覚で、否定する。真っ向から否定する。頭がおかしい。気違い的な意地で、すべての時間を使ってやったことなのに、「やってない」とか本気で思っている。頭がおかしい。ほんとうは、一日一分だろうが、一秒だろうがゆずってないのに「ゆずってやった」と本気で思っている。頭がおかしい。そういうやり方でずっと毎日やってきたんだよ。毎日毎日、一〇年以上。

気違い親父がうちにいるとき、気違い親父は、普通のうちではあり得ないことで、普通のうちではあり得ない理由で怒り狂っていた。一三年ぐらい毎日そう言う状態だ。「うちにいれば」怒り狂っていた。わけのわからないことで怒り狂っていた。怒り狂っているのがうちにいるときの、親父のノーマルな状態だ。けど、親父はいま「そんなんじゃない」「そんなこと、しない」と言っている。

やっているときからそうなんだけどな。

おまえ、気違い兄貴! おまえ、知っているよな。一三年間毎日、気違い親父は、うちにいるときは、かならず、きちがい的な理由でいちゃもんをつけて怒り狂っていた。「どうしてそんなことで怒り狂うんだ?」「どうして、そういうことになっちゃんだ?」「どうして、そういうことを言ってくるんだ?」「どうして、そういうことをけしかけてくるんだ?」と(こっちが)思うようなことを、常に!してた。あいつ(親父)がかかわると常に!そうなった。自動的にそうなる。どれだけ外部に理由がなくても、(気違い親父の内部の理由で)そうなっていた。例外はない。

気違い兄貴! 知っているよな!

けど、親父は「そんなつもりがない」らしいよ。一三年間の事実なのに、親父の頭なかではそうじゃないらしい。気違い兄貴もおなじ。うちで一三年以上毎日、必死になって、絶対の意地でやったことがわかってない。毎日ズッとやってたのに「そんなんじゃない」「そんなのやってない」と思っている。おなじ! 悲しいけどおなじ。涙が出てくるよ。書いていて涙が出てくる。

   *   *   *

つまんない。つまんない。全部がつまらない。つまらない。あー、つまらない。全部、つまらない。

アイドル級の美少女が横にいても、「つまんねぇ」「つまんねぇ」連発しそうだな。


2018年5月9日水曜日

『そんなの、おかしいよ』

『異世界食堂』と『たくのみ。』を見て、ちょっとなごんだ。



こういう、「いいひと」としか出てこないアニメっていいよな。







俺の現実はそんなんじゃなかったけどな。



家の中に最大、最悪の敵が二人いるというとげとげしい状態。



常に苦しんできたよ。毎日。







言っておくけど、これは、俺が悪いのじゃないのである。たとえば、普通の人なんだけど、悪い部分をだけを見て悪く思っているとかそういうことじゃないのである。あいつらが俺にしたこと……。あいつらが俺にしたことはひどい。けど、はやりの言葉で言えば発達障害なのか、まったく本人たちはわかってないのである。あれだけ頑固に発狂してやりきって、やったと思ってない。本人が意地を張ってやっていることなのに、完全に無関係だと思っている。『ゆずってやった』と思っている。頭がおかしいから、そう思える。で、一度そう思ったら、何十万回もめても、何十万回絶叫して言っても、まるで伝わらないんだよ。へんな調子で無視してやりきる。あれ、やったつもりないの? おかしいよ。そんなの。けど、事実だ。







だから、俺の話を聞いて『そんなの、おかしいよ』と思う人の感覚はある意味で正常だ。けど、『そんなの、おかしいよ。だから(エイリという人は)嘘を言っているに違いがない』と考えるのは間違っている。





2018年5月8日火曜日

それこそ、一生


風呂に入っている間も兄の騒音のことを考えている。兄の態度について考えている。ゆるせない。風呂に入っている間も、気違いヘビメタがガンガン鳴ってた。頭をシャンプーで洗っているときも、耳をふさぎたくなるような気違いヘビメタが風呂場に反響していた。どうしてもゆるせない。すべての時間、気違い兄貴のきちがいヘビメタにつきまとわれて、くるしかった。風呂だけじゃない、トイレに入っているときだってそうだ。ガンガンガンガン、異常な音で鳴っていた。非常識なデカイ音で鳴っていた。よその家じゃ一分だってあり得ないような、ドデカイ音で鳴っていた。気違い兄貴の耳が悪くなるようなデカイ音で、気違い兄貴は、常にヘビメタを鳴らしていた。(いわゆる、ヘビメタ難聴)。

風呂に入っているときも、常に、やられている」ってどういうことだと思っているんだよ。もちろん、風呂から出て、着替えているあいだも鳴っている。「わーー」とこっちが奇声を発しても、気違い兄貴のヘビメタのほうが強烈にデカイので気違い兄貴の耳には入らない。兄貴の友達のカオ君が一分でわかることが、兄貴には一生わからない。自分が思いっきり、鳴らしたいという気持ちがある以上、思いっきり鳴らすわけなんだよ。で、その思いっきり鳴らした音がデカイということを認めない。「こんなの、フォークギターぐらいの音」なのである。けど、違う。頭がおかしい。そういう頭がおかしいいいわけを本気で信じている。気違い兄貴の感覚では、そうなのである。これ、気違い親父とおなじで、一度そうなったら、何万回、言っても、聞かない。何十万回もめても、まったくなにも言われなかったという前提で鳴らす。そういうことができる人間なんだよ。気違い兄貴、おまえ、親父が笛太鼓をデカイ音で鳴らし続けて、そういう感覚だったらどう思うんだよ。何万回もめても、まるで、反省しないでドンドンピーヒャラ鳴らしてたら、どう思うんだよ。いい加減しろと思うだろ。そして、まったくなにもしてないつもりの親父に対して、腹を立てるだろ。鳴らしているのに、まったく鳴らしてないつもりの親父に腹を立てるだろ。何回も、何万回ももめているのに、まったくもめたつもりがないまま、現在進行形でシランプリで……しかし、夢中になって鳴らしている親父に腹を立てるだろ。何千日、何万時間、そういう時間を、弟に押しつけたと思っているんだよ。兄貴のしらばっくれた態度は、親父のしらばっくれた態度とおなじ。何万回もめても、「まったくそんなことはなかった」という態度で、鳴らしているやつが……どういうふうに思われるかわかるよな。わからないか。これも、一生俺が言っても、気違い兄貴は気違い兄貴のままで「これっぽちっも自分がやったことがわからないなという状態が、続くんだろうな。それこそ、一生。親父がそうだから、兄貴もそうだろう。

2018年5月7日月曜日

「うちでだけ狂う人」の問題はデカイ問題なんだけど


まあ、俺が生きていれば、書きたいことは次から次へとわきだす」はずだ。なので、死なずに生きていこう。けど、いまは、こういう気分なんだけど、絶望モードになっていると、ほんとうに死にたい気持ちになってどうしょうもなくなるというようなところがある。まあ、『つかれている』とそうなるんだよな。やっぱり、つかれが問題だな。けど、僕は、気違いヘビメタを七年間やられたころから、だいぶおかしくなっている。これ、七年間毎日ってどういうことなのか、わかる人、いないんだろうな。経験としてわかる人はいないんだろうな。経験としてわかる人と会って話しをしたいものだ。これ、ほんとうに、一部の常識的な人から「かるく」見られるのだけど、「おもい」問題だ。問題の重さがわからないんだよな。自分の身に発生したことじゃないからわからない。それに、気違い兄貴はかなり特殊だ。気違い親父が特殊であるように、気違い兄貴は特殊だ。だから、『ヘビメタ騒音を鳴らさないにしろ』そういう『特殊』な人の態度と感覚がわからない人は、そもそもが、わからないということになる。「そんなのは、言えばいい」というような感覚の持ち主は、だめだ。まあ、ヒトゴトなので、深くは考えないのだろうけど、こういう人は、かなり長めの説明をしても、感覚的にわからないから、わからないと思う。そりゃ、気違い親父みたいな人にやられてない人が、気違い親父みたいな人の態度全体、感覚全体を把握するのは無理だ。無理なものは無理だ。「うちでだけ狂う人」の問題はデカイ問題なんだけど……うちにいる人にとってはデカイ問題なんだけど……うちでだけ狂う人にたたられたことがない人のほうが多数派なので、少数派は理解されない。無理なんだよな。これ。



2018年5月6日日曜日

睡眠障害と目覚まし用のコーヒー

実は、今朝、メロンクリームソーダとコーラフロートを買いに行った。午前四時ぐらいだ。なので、メロンクリームソーダとコーラフロートがさっきまであったのだけど、もうなくなってしまった。コーラフロートは二本も買ったのに、もう、ないのか。



喉がかわく。これも、なんかやばい感じがする。歳をとるといろいろとがたがくなるなぁ。コーヒーは失敗した。特に、砂糖入りコーヒーが失敗だったんだな。目をさまそうとして、コーヒーを飲み始めるんじゃなかったな。あの時は、なんとかバイトをしようと思って、コーヒーで目をさまそうとしてたんだよな。もちろん、起きてからコーヒーを飲むわけだけど。カフェインでなんとか、景気づけをしたかったんだけど、そういう問題じゃなかったんだよな。ヘビメタ騒音が問題だったわけで……。ヘビメタ騒音で夜眠れなくなるというのが問題だったわけで、それを、『薬(カフェイン)』でどうにかしようとしたのが問題だった。ああっ、言っておくけど、起きたあと、ごはんを食べてそのあとコーヒーを飲んでいたんだよ。まるまる荘に行ってからのことだけど……。これは、そのうち詳しく書くか? バイトに行く前、頭をしゃっきりさせようとして、コーヒーを飲み出したのが始まりなんだよ。けっきょく、朝、眠気覚ましのコーヒーを飲むということでは、俺の睡眠障害は解決しなかった。言っておくけど、意思の問題でもない。だれもが、あの生活を一〇年以上毎日続ければ、……あの騒音が何時間も何時間も絶え間なく午後一一時まで鳴っている状態で暮らせば……だれもが、深い深い睡眠障害を抱えることになる。それは、たとえば、睡眠導入剤とかそういうものでは、治らない。けっきょく、非二四時間でまわることになる。朝のコーヒーも無力だった。ただ、朝、出かける前にコーヒーを飲んで、頭をしゃっきりさせれば、どうにかなるんじゃないかとあわい期待を持ったことは、ある。無駄だったけど。バイトからつかれて帰ってきたら、夜は眠れると思ったんだよね。夜はコーヒーを飲んでなかった。というよりも、朝だけしか飲んでなかった。朝、コーヒーを飲んで、眠気を覚まし、ずっと働いて、つかれて帰ってくれば、眠れると思っていた。それも、あわいあわい期待だった。けっきょく、十数年(その当時)続いたヘビメタ騒音で、僕の睡眠障害は、そういうことではどうにもならないレベルにまで到達していた。長すぎる。気違いヘビメタ騒音のなかで、苦しんだ時間が長すぎる。あの音を浴びたあと、(眠れずに)深夜をすごし、ほんのちょっとしか寝てないのに、学校に通うために、一番眠りが深いときに起きていた期間が長すぎる。脳の根本的なところがだめになった。睡眠回路がほんとうに壊れてしまった。『睡眠回路』というのは比喩的な言い方だけど。ともかく、ヘビメタ騒音を五時間以上、午後一一時まで浴びたあとは、交感神経が興奮して、副交感神経が優位にならない。これは、気違い兄貴の態度も影響している。広域騒音や線路の騒音とは違うのだよ。親がやっているカラオケ屋の騒音とは違うのだよ。ちなみに、カラオケ屋ぐらいのものだろうと思うかもしれないけどそうじゃない。だいたい、カラオケ屋でずっと、ヘビメタが流れているということはない。カラオケ屋は防音しているところが多いだろ。気違いヘビメタの音のでかさと言ったら……そんなもんじゃない。ほんとう、ふざけるな。気違い兄貴。目の前がでかい幼稚園の敷地で隣の家が離れていたから、できたことなんだよ。気違い兄貴よ! ウソだと思うなら、うちで鳴らしていた音のでかさで、いま住んでいるところで一〇分でもいいから鳴らしてみろ。一〇分間で、ものすごい文句を言われる。そういう音だ。隣の部屋の人だって黙っちゃいないだろ。これ、ほんとうに、条件がそろいすぎているんだよな。俺のことだけ無視すれば、気違い兄貴がデカイデカイ音でヘビメタを鳴らせる条件が、そろっていた。ほんとうに頭にくる。昨日も書いたけど、親父の影響はデカイ。親父の態度で、兄貴がヘビメタを鳴らした。親父の気違い感覚で、兄貴が夢中になって、ヘビメタをデカイデカイ音で鳴らした。他の人にはない経験だ。これ、違う。他の人の騒音体験と違いすぎる。ずーっと続くなんてことはないんだよ。俺が普通の騒音に絶えられるのは、ずっと、何十年間もデカイ幼稚園の横ですごしているということで証明済みだ。これも、わかってないな。俺が最近になって、幼稚園の音にこだわっているのは、あるきっかけがあったからだ。(他の人の経験している騒音と、自分のヘビメタ騒音は違うということを書いたら、逆に、普通の騒音が気になるようになってしまったのだ。また、はっきり言って、ヘビメタ騒音で僕の、騒音許容量は、使いはたしてしまったので、いまはもうない。)ともかく、四十数年間の、幼稚園の騒音に耐えてきたということだけでも、僕が(ついこないだまで)普通の騒音に弱かったわけではないということを意味している。で、気になるようになってしまったわけだけど、それでも、言っておく。普通の騒音とヘビメタ騒音は質がちがう。量が違う。だから、普通の人が、『騒音』と言って思い浮かべるものと、僕がヘビメタ騒音と言って思い浮かべるものは、内容が異なる。まったく違う。これがわかってない。わかるわけがない。(僕が経験した)ヘビメタ騒音を一度も経験したことがないわけだから。

   *   *   *
めちゃくちゃ、さみしいわぁ。
もし、ヘビメタ騒音がなかったら……ああだ、こうだということを考えていたら、めちゃくちゃにさみしくなった。

   *   *   *

すでにやられたからだで、動いてもいいことがない。全部、むちゃくちゃにつかれた状態で、むりやりからだを動かしているような状態になる。

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2018年5月5日土曜日

宿題なんて早いうちにやっておけば良いだろ

気違い兄貴! おまえ俺がどういう思いで暮らしてきたと思っているんだ? 気違い親父とおなじで『まったくなにもしたつもりがない』んだろう。だから、一〇〇%意地になって、一〇〇%頑固にやり切った。これ、つながっているんだよな。



「なにもしたつもりがない」ということと『頑固になってやりきる」ということが地続きでつながっている。こんなの、普通の人には、それそこまったくわからない。そして、これがやっかいなのは、本人が、普通の人以上にわからないということだ。



本人は、普通の人以上に否定して、なおかつ、やりきる。



「やってんじゃない」というのがほんとうにまったくつたわらない!! やっているのに、「やってるだろ」というのがまったくまったくまったく、つたわらないのだ。怒り狂ってやりきるくせに、まったくやったつもりがないんだよな。一〇〇%できればね。自分が満足できる程度やりきればそれで、やってないことになってしまう。



ほんとーーーに、関係がない人なのである。『張本人なのに』。気違い兄貴よ! おまえ、親父がへんな宗教に入って、ものすごくデカイ音で笛太鼓を鳴らしていたらどう思うんだよ。何回も『宿題をするからやめてくれ』と言っているのに、言われるたびに、怒って、真っ赤になって、執着してやりきる。



それなのに、『宿題ができなくてこまった』とお母さんに言っている兄貴の発言を聞いて……張本人の親父が『宿題なんて早いうちにやっておけば良いのに』と言ったら、どう思うんだよ。腹が立つだろ? 



なに言ってんだと思うだろ。兄貴がヘビメタでやったことは、まさしく、そういうことだ。『本人だから』わかってないだけ。『張本人だから』わかってないだけ。『親父とおなじ脳みその持ち主だから』わかってないだけ。



やっているんだよ! 一〇〇% 自分が満足できるデカイ音で、自分がやりたい時間すべて鳴らしている!! だから、やっているのに、やっているつもりがないんだよな。



ものすごい騒音を出して弟の宿題の邪魔をしたというつもりがない。それは、何万回『宿題をやるから、静かにしてくれ』と言われても、かわらない。どれだけ言われても、「やったつもりがないまま」なのだ。それで、『宿題なんて早いうちにやっておけば良いだろ』とクソ発言をする。



もし、意地になって鳴らしていることを(本人が)知っていたら、絶対に口が裂けてもそんなことは、言えないのに……まったくかかわっているつもりがないから……そういうことを平気で言う。



全部、親父とおなじなんだよ! 兄貴は!! 親父とおなじだから、やったことを否定して、親父とおなじだということを否定するだろうけど、……ほんとうに一〇〇%、うちでは、好きなように鳴らした!! 



絶対にゆずってくれなかった。一日に一分もゆずってくれなかった。自分が、『静かにしてくれ』と言われたら、『ハンダゴテを買ってくれ』と言われた親父とおなじで、真っ赤な顔をして、怒って、そのまま、頑固にやり続けて、絶対にゆずらない。



そして、なぜか?「やってやったつもり」になっている。『押しつけた』なんて思ってない。そんなの、一〇〇回言われたって、一〇〇万回言われたって、わからないんだよ。つもりがないままだ。



そういう態度で、すべての時間鳴らしてた。一日に、一分だってゆずってくれなかった。俺が『静かにしてくれ』と言った後、一時間ヘッドホンをしてくれた時なんて、一日もないぞ。もちろん、俺が『宿題をするから静かにしてくれ』と言った後、兄貴が鳴らさないで一分間静かにしてくれたこともない。これが事実だ。



それなのに、『宿題を邪魔したつもりなんてない』ままだ。親父とおなじだからそういう感覚で、ずっとやり続けることができるんだぞ。



おなじなんだよ。



兄貴と親父は、おなじなんだよ。



兄貴は、親父に対してどういう感情を持っているんだよ? 俺は、兄貴が親父に持っている感情の数百倍、数万倍、数億倍の感情を持っているよ。負の感情を持っている。親父が俺にやったことを、一だとする。親父が兄貴にやったことを一だとする。兄貴が俺にやったことは一兆だ。



そのくらい、俺の邪魔をしている。俺がちゃんと生きることの邪魔をしている。俺が普通に生きることの邪魔をしている。俺以外の人間は兄貴にやられていないので、どのくらいやられているか、わかってない。『そんなんは鳴ってたって……』と思うのが、他人だ。



毎日、あんなことをやられて、良いわけがないだろ。俺がどういう思いで、気違い騒音のなかで、学校から持ち帰った作業をしていたと思っているんだよ。作業をする前に、「これからやらなければならないことがあるから、静かにしてくれ」と何回も何回も、兄貴の部屋まで行って叫んだからな。



二〇分、気違い騒音のなかで作業して、いたたまれなくなって、また、「作業をしているから静かにしろ」と怒鳴りに行かなければらなくなる。で、怒鳴り行く。気違い兄貴が、気違い親父の態度ではねのけて、真っ赤な顔をして『認めない』。そのままやり続ける。



そのあと、四〇分して、兄貴の部屋に、『いい加減しろ』と言いに行くと、何回話しても、話がまったく通じない親父のように、怒り狂って、やり続ける。『デカイ音で鳴らしている』ということ自体を、気違い親父の態度で否定しやがって。



一日のなかで何十回、繰り返したって、その都度、気違い兄貴が、気違い親父の態度で怒って、静かにしてくれなかった。一分も静かにしてくれなかった。これが事実だ!! どうして『静かにしてやった』とか言ってるんだよ? どうして『そんなの知らなかった』なんて言っているんだよ??



   *   *   *



ごめんよ。ダイヤ! たしかに、俺がずっと迷惑をかけっぱなしだった。君はいつも自分のことのよう俺のことを心配してくれた。ありがとう。

底辺の男兄弟は、仲が悪い(たいていの場合)

そういえば、底辺の男兄弟で仲が良いというのを聞いたことがないな。まあ、俺が聞いた範囲ではということで、底辺家族でも、仲が良い男兄弟もいるのだろうけど、仲が悪いのが普通なのではないかと思う。これは必然的にそうなるんだな。底辺の父親がストレスを抱えた頭がおかしい親だと必然的にそうなる。ローシナジーが発生するから、父親が長男と次男をいじめて、長男が次男をいじめるということが発生しやすい。いじめるつもりはまったくなくても、普通に父親とおなじことをするということがしょうじやすい。特に、無意識的な親の行動は、「うつり」やすい。無意識的な部分に激しい問題を抱えている親の行動をまねしてしまう。もちろん、「つもりがないまま」だ。気違い的な親だって、つもりがないわけだから。ようするに、自分が父親にやられて、腹が立ったことを、別のかたちで次男にやりつける。けど、父親とおなじように「やったつもりがないまま」なのである。あるいは、「あたりまえ」なのである。そりゃ、父親だって、あたりまえだと思って、きちがい行為、気違い的な認知を押し通しているのだから。侮辱的なところがあるんだよ。けど、本人はあたりまえだと思って(自分が)侮辱的な行為をしているとは思わない。むしろ、自分が我慢してやっているのになんだ!という気持や、自分がせっかくやってやったのになんだ!!という気持ちしかない。そういう侮辱なんだよな。これは、やられた人間にとっては「どうでもいいこと」ではない。

2018年5月4日金曜日

この時間!! この時間!!

どうでもいいが、本当につかれた。おれがどれだけ。おれがどれだけ……。おれがどれだけ。この時間、鳴ってたぞ。この時間!! そして、どれだけやめろといっても、やめてくれなかったぞ! この時間!! この時間!!

2018年5月3日木曜日

ゆるす努力の末に、強迫神経症になる人がいる

つまんない。ほんとうにつまんない。
これ、どうなるんだよ?
こういう一生なのか?

僕の頭のなかでは、まだ、ヘビメタ騒音がまわっている。僕の頭のなかは、ヘビメタ騒音にやられていたときのままだ。どうしてもくるしい。世界が、そうだから。世界の認知がそうだから……。僕の感覚器を通してみる世界がヘビメタ騒音の時と変わらない。

ヘビメタ騒音のときとおなじ疲れを感じる。ヘビメタ騒音のときとおなじ破滅を感じる。あの破滅感はない。

どれだけ言ってもやめてくれなかった。

時間の持続が「並みじゃない」のである。こんなのない。ぜんぜん違う時間だ。とにもかくにもくるしい。

ヘビメタ騒音は僕にとって、常に、死ぬか生きるかの重大な問題であった。あり続けた。そんな重大な問題が、気違い兄貴のタダの趣味によってもたらされたものだというのが、いまだに信じられない。

そして、気違い兄貴は、「よその家」では、気違い兄貴であることをやめて、普通の人としてふるまっているのである。一日中、ヘビメタ騒音を鳴らさない。一日中、ヘッドホンをして鳴らしている。

押しつけたということがわからないんだよな。発狂して、反対のことを言って絶対にゆずらないで押しつけたのに、押しつけたつもりがまったくない。自分が自由に、自分の言い分をすべて通して、相手の言い分を一〇〇%握りつぶしているのにそれに気がつかない。気がつかないとなったら気がつかないわけで、「そんなのやったってやってない」という態度でやりきる。

で、これは、態度だけではなくて、ほんとうに『認知』がそうなっている。

で、本人は、そういう態度だということや、そういう認知が成り立っているということについて、気がつかない。気がつかないだけではなくて、どれだけ言われても、おなじように発狂して正反対のことを叫ぶので、本人は気がつくことができない。どれだけ言われても、気がつけない。気がつくということに失敗する。どれだけ、相手から強く言われても、発狂して認めないし、認めないということも気がつくということがない。

そういう二重の無視、二重の否定構造が成り立っている。で、やりきったら、ほんとうにやってないと思っているのである。これが、わかる人がいない。こういうことを、小さいときから……というよりも生まれたときから、やられ続けていいわけがない。けど、他の人には、このすごさがわからない。

だから、「そんなことないだろう」というような感想を持つ。また、「だとしても、こだわる必要はない」といった、まったくわかってない認知療法家のようなことを言う。認知療法家やアドラー主義は心理学者は、ほんとうに、「きちがい家」のことがわかってない。「トラウマ」がわかってない。

そんなのは、『感じ方の問題』でどうにでなることなのである。『気にしないようにすれば、気にしないようにすることができること』なのである。

けど、何度も言うけど、そういう努力の末に、強迫神経症になる人がいる。認知療法家やアドラー主義は心理学者がすすめるあきらめやゆるしやかりそめの合理主義は、基本的は『強迫神経症を生成するのに』役立つ。

これが、わかってない。
これがわかってない。

努力の方向が同じだということがわかってない。やられたにもかかわらず、そういう方向であきらめたりゆるしたり、かりそめの合理主義的な考え方をしようするから、強迫神経症がうまれてしまう。どれだけの専門家がこのことを理解しているのだろうか?


2018年5月2日水曜日

おもしろいわけがない。

あーあ、おもしろくない。

おもしろいわけがない。

なんか修学旅行に行く前のヘビメタ騒音にたたられている時の雰囲気だな。死にたくなるなぁ。あれほんとうにひどかったな。絶対に、やめてくれなかった。くそ意地でずっと鳴らし続けた。一時間は鳴らしたけど、一時間でやめてくれたということではない。いま、明るいけど、これから暗くなるまで鳴らして、暗くなってからも、五時間ぐらいずっと鳴らすということになる。もっとか。鳴りやまない限り、屈辱的な、くるしい状態が続く。気違い兄貴は鳴らしているあいだ、なにもしてないつもりだったのだろうけど……それは、親父とおなじしくみでわからないだけなのだけど……鳴っているあいだ、どれだけつらかったと思っているんだ?

実際の持続……六時間、七時間、八時間、九時間、一〇時間鳴っているときの持続が他の人にはわからない。『気にしなければいい』なんて気楽に言えるものじゃないのである。これ! この経験がない人にどれだけ言っても、むだだ。けど、そいつらは、やられていないという前提で、しかし、理解したふりをしてせめる。『もう時間が経ったのだから』『もう過去のことなのだから』『影響を受ける必要瀬はない』と。けど、違う。

俺は……数千日、数万日の出来事で……こんなふうになってまって、……いまくるしいんだ。

俺がこだわればこだわるほど、実際に数千日にわたってずっと毎日やられたことがない人から見れば、俺が異常に見えるというね……。俺がだめな人に見えるというね……。そういう構造が成り立っている。彼らが理解しているのは『鳴っていた』ということだけだ。それは、「時間の経験」をしてない人のたわごとだ。どれだけ長い時間鳴っていたと思っているんだよ? そして、その音が破滅的な音だと思っているんだよ? あんなの鳴らされて、鳴らされてない時間、平気だと思っているのか? 鳴り終わったら、すぐに眠れると思ってるのか? 憂鬱気分にもならず、やっていけると思っているのか? 体のつかれで、絶望的な気分にならないとでも思っているのか? ほんとうに、数千日続いて、平気なのか? 

   *   *   *

そりゃ、どうしたって、孤独になっていく。どれだけいい人でも孤独になっていく。どれだけ人なつっこい人でも、孤独になっていく。『時間』がおかしくなっていく。おまえ、ほんとう、アノカンジ、ないよ。

2018年5月1日火曜日

引きこもり無職を集めて、強制労働所みたいなところに入れればいいという意見について


社会順応的なサラリーマンが、幼稚園の騒音を批判したやつを批判していたけど、それは、デカイ幼稚園が横にないからそういうことが言える。頭が悪すぎる。

俺が何十年幼稚園の横に住んでいると思っているんだよ?
僕が何十年幼稚園の騒音といっしょに住んでいると思っているんだよ?

けっこうデカイ幼稚園はかなりうるさい。
けど、通常運行の場合はいい。けど、通常時ないときがうるさい。あとは、補修工事などでうるさいときが(わりと頻繁にある)。

   *   *   *

あと、その社会順応的なサラリーマンだけど、引きこもり無職を集めて、強制労働所みたいなところに入れればいいなんて言っているんだよ。頭が悪いな。刑務所ですら、コストがかかってしかたがないのにそんなもの作ったらコストがかかってしかたがないだろ。そして、刑務所で受刑者がつくっているものだけど、市場経済社会のなかではたいして、売れない。売れてもお金にならない。わかるかな? 全部が、不効率なんだよ。そういうことをやればやるほど、コストがかかってしまうんだよ。

   *   *   *

気違い兄貴が、こだわりの音で気違いヘビメタを思う存分鳴らし続けたために、こんなやつの言っていることが、目に入るような状態になってしまったのだから不幸だな。

   *   *   *

ほんとうに、過労死寸前の状態を何千日繰り返したか? 七年以上あの状態を繰り返してないやつが、どれだけ、普通の人には受け入れらルようなことを言っても、まったく無意味。彼らと僕の違いは、いろいろあるけど、経験の差もでかい。普通の人が一日も経験したことがない状態を、何千日も経験してしまったら、そりゃ、言うことが違ってくる。ぼくの言っていることは、過労死寸前で働き続けて燃え尽きちゃった人じゃないとわからないかもしれない。あまいのがどちらかと言えば、もちろん、普通の生活しか経験してないやつのほうがあまい。究極の状態を知らない。究極の状態が何年も続いたら、どうなるのか知らない。だから、ふつーーのことを言える。普通の状態しか知らない一般人にとっては、それは正しいことだけど、究極の状態を何年も毎日経験した人にとっては、正しいことじゃない。そんな建前はとっくに吹っ飛んでいる。けど、本人の範囲のなかで、「つかれ」を経験しているわけで、「ジブンダッテ、残業ヲシタコトガアル」とか思うわけだよ。けど、それは、違うんだよ。わかってないだけ。


わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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「公開バージョン」はもとのバージョンの一部を文脈に関係なく削除したものなので、段落と段落のつながりがおかしい場合があります。(少し不自然な場合があります)。ご了承ください。

死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。