2018年8月20日月曜日

人は言う『自分で楽しくしなかったら楽しくならないよ』と。

人は言う『自分で楽しくしなかったら楽しくならないよ』と。



……そういうレベルじゃないんだよね。ヘビメタ騒音一四年生活は、そういうレベルの生活じゃない。一四年目以降も、そうなんだよ。これ、どれだけのことか、他の人にはわからない。

そういうレベルの話しでもない。これ、「われとひと」の差を感じるよ。どれだけ離れているかわかる。

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いやー、まじ、つまんねぇ~~~
つまんない。つまんない。

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なんか、あまい菓子パンをやけ食いしたい気分だなぁ。そんなことをしたって、なんもいいことがないが。それはわかっているけど……。

いや、ほんとう、つまんないんだよ。つまんないのぉ。つまんない。どうしょうもなく、つまらない。これ、ほんとうに、ヘビメタ騒音で疲れ果てて、なんの展開もなかったよ。それでも、チャンスは何回もあったんだよな。いい友達にも囲まれていた。

俺がいい人なので、俺の友達もいいひとばっかりだった。ただ、ヘビメタがブラックホールになってしまうんだよね。ヘビメタがあるとすべてがだめになる。

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2018年8月19日日曜日

『つかれ』あるいは『つかれた状態』をいっしょくたにしてはいけない

なんとか、起きた。なんとか……。



つかれた。もう、なんかつかれはてたなぁ。この、つかれはなんだろうか? つかれた。



まあ、矛盾しているようだがドクターペッパーを買いに行こうかと思う。なんとか、歩いているうちに、元気が出るようにしむける。けど、なんて言うのかな? これまた、矛盾しているようだけど、ドクターペッパーを買いに行けるということは、かなり元気なんだよ。この時点で、そういうエネルギーは残っている。

けど、これが、ドクターペッパーを買いに行くことさえできないような状態になることもある。その時のつかれは、いまのつかれよりも、上だ。つかれにも種類があるんだよな。

だから、そういう、『つかれ』あるいは『つかれた状態』をいっしょくたにして『できると言えばできる』とか『できると言えばできるというのはおかしい』ということを言っても、しかたがない。



けっこう重要なんだよ。これ、けっこう重要だから。赤線引いておいて~~

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2018年8月18日土曜日

けど、実際には、警察も裁判所もある 不平不満を言うべきではない(4)

たとえば、すべての人が「不平不満を言うと、人が傷つくので、どんな場合でも、不平不満を言わないようにしよう」というように考えてくれるような理想社会を考えたとする。

その場合は、ほんとうにそういうレベルで「ひとのこと」を考えてくれる人ばかりなので、いじめもパワハラも、普通の犯罪もない社会だと思う。

まあ、もちろん、過失はある。過失による事故はあるだろう。そういう社会でも。けど、みんなそこまで、気を遣ってくれるのだから、相手の立場を考えて、裁判になるようなことはないだろう。

ここでは、過失による事故もない社会を考えてみよう。そういう社会は、いい人ばかりによって構成される社会だから、不平不満に思うことも少ない社会になるのではないだろうか。なぜなら、『不平不満と思えることを言うと、人が傷つくので、絶対に言わないようにしよう』と思うレベルで、人のことを考えてくれる人たちによって構成される社会だからだ。

こんなことを気にする人たちが、パワハラやいじめをするはずがない。こんなことを気にする人たちが、迷惑行為を『注意された後も』頑固に繰り返すはずがない。こんなことを気にする人たちが、万引きや暴行といった犯罪をするはずがない。

「不平不満を言うと人が傷つくので、不平不満を言うのはやめましょう」というようなことを言う人たちの頭のなかでは、社会はすでにそういう人たちだけで構成される社会に昇格?されているのである。

犯罪をおかす人間、他人を自殺に追い込むような迷惑行為をする人間、パワハラやいじめをする人間が、実際の社会にはいーーっぱい!!いーーっぱい!!いる!! 

実際には、いっぱいいるのに、いっぱい!!いるということを(理想世界の住人は)過小評価してしまう。あるいは無視してしまう。

そうすると、実際には他人を自殺に追い込むような迷惑行為をする人間に、自殺に追い込まれる人間もいるわけだから、問題がしょうじる。

はっきり言えば、現実を無視して、表面的なキレイゴトを押しつけるということは、そういう被害者側の人間を追い込むことになってしまうのである。どうしてこれがわからないのか?

現実社会には、犯罪者、死にいたる迷惑をかける人たち、いじめやパワハラをする人たちがいる。そういう人たちがいるのだから、そういうことをされて、不満不平を抱える人たちだっているということになる。

そういう人たちに『どんな場合でも不平不満を言うべきではない』とせまるのは、よくない。こういうキレイゴトを言う人は、警察も裁判所もいらない社会を想定してものを言っているのである。

どんな場合でも不平不満を言うべきではないと言う人たちは、警察も裁判所もいらない社会の住んでいる。頭のなかでは、そういう理想社会の中に住んでいる。

けど、実際には、警察も裁判所もある。

どうしてかというと、他者の行為によって『傷つく』人たちがいるからである。自分の勝手な都合で他者を激しく傷つける人たちがいるから、警察や裁判所が必要になる。

被害者が『不平不満』を感じるから、裁判であらそわなければならなくなるのだ。それは、『不平不満を言われたから』自分が不快に思うといった程度の不平不満をはるかにこえた不平不満だ。だからこそ、裁判にうったえなければならなくなるのだ。

精神レベルが高い人たちのみで構成された社会なら「どんな場合でも不平不満を言うべきではない」というルールが成り立ってもよいけど、実際はそうじゃないから、そういうルールがもし実際に成り立ってしまった場合には、ものすごく悪い社会になるだろう。そういうことが、キレイゴトを言う人たちには、まったくわかってない。

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2018年8月17日金曜日

『これが不平不満である』というような文それ自体がない 不平不満(3)重複あり


もうひとつは、不平不満というのは、かならずしも実体があるわけではないということだ。かならず、だれもが不平不満だと認識する「話し(言葉の実体)」というのは、存在しない。



ようするに、話しを聞いた人が『不平不満』だと判断すると、不平不満になるということだ。話しを聞いた人が誰かの話を『不平不満だ』と判断すると「不平不満を言われた」ということになる。たとえば、EさんがFさんに、悩みを言ったとしよう。この場合、Fさんが「不平不満を聞かされた」と思えば、「Eさんは不平不満を言った」ということになるのである。Fさんのなかでは!


EさんがGさんに悩みを言ったとしよう。この場合、Gさんが「Eさんは自分に悩みを打ち明けた」と思えば「Eさんは悩みを打ち明けた」ということになるのである。Gさんのなかでは「Eさんは不平不満を言ったわけではない」ということになる。


不平不満だけではなくて、たとえば、のろけ話とか自慢話ということにも、おなじことが成り立つ。たとえば、Eさんが『自分の夫の行動について』FさんとGさんに言ったとする。



その場合、聞かされたFさんが「Eさんはのろけ話をした」と思えば、Fさんのなかでは「Eさんはのろけ話をした」ということになる。おなじことを聞かされたGさんが「Eさんは夫の行動について話した」と思えば「Eさんは特にのろけ話をしたわけではない」ということになる。


『受けとめ方』が問題なのだ。これに関しては、受けとめ方はいろいろだということにしておく。ほんとうは、事柄それ自体を事柄それ自体と考えよいのかどうかという問題がある。それに関しては、ここでは突っ込まない。その話はあまりにも哲学的だから、ここでは、『同じ内容を聞かされても、受けとめ方がちがう』というところで、打ち止めにしておく。


+++++


たとえば、「おまえら、たたき斬ったる」というような物騒な発言を誰かがしたとしよう。これは、『不平不満』である可能性が高い発言だ。



しかし、「おまえら、たたき斬ったる」という文だけを考えて、それが不平不満であるか不平不満でないのかということを決定することができない。



また、一〇〇人にアンケートをとって、一〇〇人中一〇〇人が「おまえら、たたき斬ったる」という文が不平不満の表明だと判断したとしよう。



しかし、一〇一人目が否定する可能性は、否定できない。一〇一人目が「たしかに、不満不平だ」と答えたとしても、一〇二人目はどうだかわからない。



一万人中一万人が「これは、不平不満である」と考えたとしても、一万一人目は、わからない。だから、たしかに、これが不平不満であると決定できるわけではない。



それから、不平不満だと『思われる可能性』が高い文を、何個集めても、それで、不平不満それ自体になるわけではないという問題がある。



『まるまるはひどい』『まるまるが嫌いだ』『まるまるは人間じゃない』というような『文』それ自体を何個集めても、『不平不満』それ自体とはイコールにならない。



何度も言うことになるが、『不平不満』というのは、それを聞いた人が『不平不満だ』と判断したときに、『不平不満になる』というものだ。



誰のなかで不平不満になるかというと、その人のなかで不平不満になる。逆に言えば、その人のなかだけで不平不満になるものだと言える。



個別の『誰にとっても不平不満である』文、あるいは、個別の『誰にとっても不平不満である』発言が決まっているわけではない。



しかし、人々が不平不満であると考える可能性が高い文はある。だから、この場合、不平不満それ自体が決まっているわけではなくて、不平不満であると多くの人が判断する可能性が高い文と、多くの人が不平不満であると判断する可能性が低い文があるということになる。そのようなものでしかないと言える。

たとえば、『私はあなたが好きだ』は不平不満である可能性が低い文だが、『私はあなたが憎い』は不平不満である可能性が高い文だ。『ゆるせない』『おまえらは、人間じゃない』『たたき斬ってやる』と真剣を持ちながら言った場合は、不平不満である可能性が高い文(複数)だ。しかし、ゆるせない』『おまえらは、人間じゃない』『たたき斬ってやる』の場合は、不平不満の表現と言うよりも、むしろ『怒りの表現』と普通の人は考えてしまうのではないだろうか。だから、不平不満の場合、むしろ、直接的な行動には出ないというような意思が表明されている場合が多いのではないかと思う。
『ぶっ殺してやる』『ぶん殴ってやる』などは、不平不満の表現と言えば不平不満の表現ととれるけど、『怒りの表現』と言えば、怒りの表現ともとれる表現だ。

好意の表現……愛している。好きだ。気に入っている。大事にしたいと思っている。かわいい。(不平不満である可能性が低い表現)
嫌悪の表現……嫌いだ。にくい。気にくわない。まるまるはひどい。ゆるせない。かわいくない。(不平不満である可能性が高い表現)
怒りの表現……ぶっ殺してやる。ぶった斬ってやる。なぐってやる。倒してやる。(不平不満である可能性が高いが、不平不満の域をこえて、怒りの領域にすすみつつある表現)

こんな感じかな。

「愛している」が不平不満の表現であると思う人はいないと思う。しかし、『私はCさんを愛している』『けど、Cさんは振り向いてくれないんだ』と言った場合、ふたつの文を続けて解釈すると、全体では不平不満だと思う人も出てくる。うしろの文が前の文に影響を与えるわけだ。話しには、全体の流れがあり、全体の流れを聞いたあとに『不平不満である』とか『不平不満でない』ということを(聞いた人が)判断するわけだから、文同士の前後関係は重要である。

人間は皮肉を言う場合もあるし、おなじ表現なのにまったく逆の意味を持つ場合もある。
「あいつはにくいやつだ」の「にくい」があいつに対する嫌悪の表現ではなくて、好意の表現である場合がある。また、「かわいい」が皮肉である場合もある。

2018年8月14日火曜日

不平不満を言われたら『傷つく』とは限らない (2)「吉良上野介吉央はひどい」「吉良上野介吉央はゆるせない」

(つづき)

そのむかし、赤穂浪士は吉良邸に討ち入りしたのだけど、当然、赤穂浪士には「吉良上野介吉央(きらこうずけのすけよしひさ)はひどい」「吉良上野介吉央はゆるせない」という気持ちがあった。

だから、赤穂浪士のなかで、「吉良上野介吉央はひどい」「吉良上野介吉央はゆるせない」といった不平不満を口にしても、『不快に思う』人がいなかったのではないかと思う。

だれかが「まるまるはひどい」「まるまるはゆるせない」といった多くの人が『不平不満』と考えそうなことを口にしても、それを『自分に関係がない不平不満』としてとらえるか、『自分に関係がある不平不満』としてとらえるかで、不快に思うかどうかはちがってくる。

だれもが、不平不満を言われたら『傷つくとは限らない。自分に関係がある不平不満であり、なおかつ自分もそう思っている不平不満なら、別に、どれだけ言われても、傷つかない。

だれかが言っている不平不満(と思えること)が、自分にとって関係がない不平不満だから、『不愉快に思う』のだ。『傷つく』と言っているけど、だれかが自分に不平不満を言うことや、だれかがだれかに不平不満を言うところを自分が聞いてしまったということが、そのひとにとって『不愉快な体験』だから、傷つくと考えているのだ。

自分が傷つくのだから、他人もみんな傷つくだろうという類推が働いている。

しかし、いままで述べてきたように、だれかがだれかに不平不満を言った場合、言われたほうが傷つくとは限らない。

『忠臣蔵』はどうして受けなくなったか?

昨日、赤穂浪士について調べた。これが、史実と『忠臣蔵』などのドラマとでは、だいぶちがうみたいなのである。史実のほうは、あんまりはっきりしない部分がある。

あと、関心事は、『忠臣蔵』を年末にやらなくなった理由である。まあ、『飽きられた』ということはあるのだろうけど、他にもいろいろと理由がある感じがする。

ひとつは、『忠臣蔵』が四七人で、ひとりの人間を殺しに行くものがたりだということが、ネックになっている感じがする。実際には、討ち入りをしたのは四六人だったらしいけど……。

『討ち入り』と言うと、なんとなく格好いいけど、ようは殺しに行くということだ。そういう部分が受けなくなった理由のひとつだと思う。いちおう、悪役だけど「ひと」だからなぁ。

もうひとつは、『忠義』というような考えが、支持されなくなってきたのではないかと思う。『忠義』のエートスがなくなったから、人々はそういう話しに感情移入できなくなったのではないだろうか。

忠義ではないが義理ということに関しもおなじことが言えると思う。むかし、義理と人情のあいだにはさまれて葛藤するヤクザ映画がはやったことがある。この場合の義理とは『恩義』ということである。『一宿一飯の恩義』とおなじことである。『義理』がなくなってしまったのだから、あるいは『義理』を感じるもとのこころがなくなってしまったのだから、『義理』と『人情』のあいだで葛藤する人の気持ちがわからなくなってしまったのではないか。

あるいは、関心がないものになってしまったのではないか。なくなってしまったと言っても、完全になくなってしまったわけではなくて、影をひそめた、あるいは、威力をなくしたということだ。『忠義』は武士だけの話じゃないし、『義理』はヤクザの話しだけじゃない。

会社に対する『忠義』、社長に対する『義理』というものが、たいへんな威力を持っていた時代があったのではないかと思う。しかし、それらが力をなくしたのではないだろうか。『忠義』や『義理』が威力をなくしたので、忠臣蔵が受けなくなったのではないかと思う。



2018年8月13日月曜日

「不平不満を言われたら」人がかならず傷つくか どんな場合でも不平不満を言うべきではないということに考えてみた(2)


ここでもう一度「どんな理由があっても、不平不満を言うことで人を傷つけてはいけないということを誰かが言った場合」について考えてみよう。

この発言にはいくつかの前提が必要だ。ひとつは、不平不満を言えば、かならず人が傷つくということだ。不平不満を言った場合、言われた者が傷つく場合と傷つかない場合がある。

たとえば、ある企業は、商品に関する不平不満を訊いて、商品を改良しようしている。この場合、その商品のユーザーが不平不満を言うことは、よいことなのである。

また、ある企業は、職場の不平不満に耳を傾けるかもしれない。よりよい職場を作るためには、現在の不平不満に対処しなければならないのだから当然だ。不平不満を言うこと「自体」は、かならず、人を傷つけるというわけではないのだ。

そのほかにも、政治に関する不満は、政治家に伝えたほうがいい場合のほうが多い。むしろ政治に関する不満は、ちゃんと伝えたほうがよいと思う。

また、不平不満の対象になっている人に対して、おなじような感情を持つものは、不平不満について聞かされても、傷ついたりしない。

たとえば、AさんとBさんとCさんがいたとする。Aさんは、BさんとCさんの共通の上司だとする。で、AさんとBさんが、酒場で、Cさんに関する不平不満を話したとする。それがいいことだとは言わない。AさんとBさんは、かげで、Cさんの悪口を言っている……と考えることもできるから。けど、ここではそういうことは、考えないで、ただ単に「不平不満を言われたら」人がかならず傷つくかということだけを考えるようにしよう。Aさんが、Bさんにむかって、Cさんの言動に関する不平不満を言ったとき、BさんがAさんとおなじことを考えている場合は、別にBさんは傷ついたりしない。だから、この場合も、「誰かが誰かに、不平不満を言ったら、言われた人はかならず傷つく」という前提が間違っているということがわかる。

「誰かが誰かに、不平不満を言ったら、言われた人はかならず傷つく」という前提が成り立たないのだから、「どんな場合でも、不平不満を言うべきではない」ということも成り立たない。




2018年8月11日土曜日

「あれだけ、言ったのに」

セブンイレブンの冷凍スパゲッティーを食いたい気もする。しかし、セブンイレブンは食べて応援プログラム参加企業。



ちょっとずつ片付けていけば、いつかは片付く。

散らかる速度よりも、片付ける速度のほうがはやければ、いつかは片付く。いつかは……。



ところで、なんか、お菓子に期待をかけたくなったけど、やめた。無理だよね。お菓子で、リフレッシュ! あり得るけど、あり得ない。いまは、だめだ。



ともかく、シャワーはありがたい。



繰り返しになるけど、エアコンとシャワーがあるのに、この気分。どっちもなかったときよりも、生活の質は向上しているはずだ。それなのに、ヘビメタ騒音のことで、暗くなるばかりだ。「あれを、気がつかずにやったのか」というような気持ちが、浮かび上がる。「あれだけ、言ったのに」というような気持ちが、ふつふつと浮かび上がる。

ほんとう、ムキになって夢中になってやっているのに、やっているつもりがないのかよ。いつもひどいことをしていたのに、ひどいことをしているつもりがないのかよ。どれだけ言ったと思っているんだよ? 何万回言っても、親父のようにまったく、伝わらないんだよな。この『ツタワラナサ」がひどすぎる。ひどすぎる。あんなのはない。で、他の人にも、このツタワラナサは、わからないのだけど、当の本人がまったくわかってないというのがおかしいんだよな。それも、親父とおなじなんだよな。まったくおなじ。張本人が一番、気がついてない。関心がない。どれだけ言われても、やっているということに気がつかない状態なんだよな。けど、本人は真っ赤な顔をして、やる。やり続ける。殺さなければとめることができない。俺は、兄貴は知っているのかと思った。兄貴は親父じゃないから、完全におかしい人ではなく、知っててやっている悪い人なのかと思っていた。これ、兄貴も親父もまったくおなじだった。

これで、外に出るとなると、やはり、ヘビメタ騒音に『焼き出された』ころの感情がよみがえる。よみがえると言うよりも、現在進行形なんだよな。くるしい。で、あれだけ長く、あれだけ無頓着な人?にやられたし、だれだって、こういう状態になるのに、こういうことを言えば、俺が異常だと思われる。実際に、気分はよくない。けど、一〇〇人中一〇〇人が、気違いヘビメタ騒音を一四年間にわたって毎日、ヘビメタ騒音を経験したら、こういうことになると思う。で、学生時代、家でまったく勉強ができないということが与える影響がでかすぎる。これも、そうではなかった人にとっては「なんだそんなこと」と言えるようなものなのだ。

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よい気分を保つこと……に関してはまるで、能力のようにあつかわれるわけだけど、能力というよりも、経験なのではないだろうか。『よい気分』を保つ能力が高い人と低い人がいる。よい気分を保つ能力が高い人はよい人で、よい気分を保つ能力が低い人はだめな人だというようなメタな考え方があると思うんだよな。けど、経験だろ。経験が悪すぎると、どれだけ『よい気分を保つ能力がある人』でもだめになると思う。

2018年8月10日金曜日

普段、普通に不平不満を言っているのに、本人は気がつかない

「どんなことがあっても不平不満を言うべきではない」と言っている人も、実は、普通に不平不満を言っていると思う。


ただ、本人が不平不満だと思ってないので不平不満を言わなかったことになっているだけだと思う。いままで述べたように、不平不満というのは、聞かされたほうが判断することだ。言ったほうが、不平不満だと思ってなければ、不平不満を言ったということにならない。


「どんなことがあっても絶対に不平不満を言うべきではない」なんて格好いいことを言っている人だって、通販で不良品が届けば不平不満を言うし、ストアでなにかものを買ったとき、店員が釣銭を間違えば、不平不満を言うはずだ。

自分が普通に道を歩いていただけなのに、ヘンな人にナイフで刺されたら、不平不満を言うはずだ。交通事故に巻き込まれたら不平不満を言うはずだ。隣の部屋の人が何時間も、ものすごくデカイ音でステレオを聴いていたら、不平不満を言うはずだ。入院をしていて、看護婦が点滴の種類を間違ったら不平不満を言うはずだ。『点滴の種類を間違ったって、いいんですよ』なんて、ニコニコして言うはずがない。命にかかわることで、間違われたら、不平不満を言うはずだ。不平不満を言ったあと、注意をうながすことを言うはずだ。

鳩ふん公害に悩まされたら不平不満を言うはずだ。エアコンの工事を担当した人が、ちゃんと設置してくれなかったら、不平不満を言うはずだ。他人が『自分』をバカにしたら、その他人について不平不満を言うはずだ。


「どんなことがあっても不平不満を言うべきではない」と言っている人は、普段、自分が『自然に』不平不満(と他人から思われること)を口にしているのだけど、自分は不平不満を一回も口にしたことがないと思っているしあわせな人なのだと思う。

けど、自分が「どんなことがあっても不平不満を言わないようにしよう」と思っている人はいい。他人も「どんなことがあっても不平不満を言うべきではない」と言うとすると問題がしょうじる。











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ちなみに、これはまったく関係がないことだけど、『不平や不満』と『不平不満』は完全にイコールではない。コロケーションがちがうということがわかってしまった。最初、不平や不満という表現を使って書いたところがあった。実は不平不満ではなくて、不平や不満という言葉で統一しようとしたんだけど、統一できなかった。不平や不満で書き直すと、不自然な文になってしまう箇所が何カ所かあった。めんどうだな。

2018年8月9日木曜日

どんな場合でも不平不満を言うべきではないということに考えてみた(1)

そりゃ、ひとにはなるべく不平不満を言わないほうがいい。それは、わかる。しかし、『どんな場合でも』というような条件はつかない。『言わないほうがいい』というような努力目標と、『どんな場合でも言わないほうがいい』というような努力目標は、根本がちがう。

また、人に対して『普遍的真理として』……『どんなときでも不平不満を言うべきではない』ということを押しつけている人は、自分がなにをしているかわかってない。その人が押しつけていることは、不平不満を言うことよりも、ひどいことだ。

これ、ほんとうにつらい思いをしたことがないからわかってないだけだ。

ずっと、何十年も続くつらい思いを経験したことがないからわからない。

しかも、そのつらいことというのが他者によってもたらされるものであるというケースを経験したことがないから、そういうことが言える。はっきり言えば、『どんな場合でも』不平不満を言うなというのは、ひどい命令(あるいは押しつけ)なのである。

ほんとうに、特殊な人の特殊な状態がわかってないんだよな。誰か不平不満を言えば、不平不満を聞かされた人が傷つくので言ってはいけないということなのだろう。『どんな場合でも』というような条件がつかず、一般論として言っているのであれば、肯定できる。

しかし、例外があるということは先に認めていなければならない。例外がある話しであるのならば、納得できる。しかし、例外なく、どんな場合でも、どんなにひどいことをされても、言うべきではないということには、納得できない。

「その人」という言葉で書くといろいろと混乱が生じるので、とりあえず、Aさん、Bさん、Cさんがいるとしよう。AさんがBさんの家族で、Bさんに対して何十年も毎日ひどいことをしたとする。Bさんは毎日死にたい気持ちで生きていたとしよう。

その場合、BさんはAさんに対して不平不満を言うことは、ゆるされる。Bさんは、Aさんの行為で死にそうになっているので、Bさんに不平不満を言い、その行為をやめるようにせまることができる。できるというのは、やってもいいことだという意味だ。けど、そういう行為でさえも、『どんな場合でも、不平不満を言うべきではない』という普遍的なルールには抵触することになってしまうのである。次に、BさんがCさんに対して、「自分はAさんの行為で死にたい」と言ったとしよう。

その場合、たしかに、Cさんにとってはよくないことだけど、それが絶対にゆるされないことかというと、そうではない。Bさんが、Aさんの行為というCさんにはまったく関係がないことについて不満を漏らすことは、よいことではないかもしれないが、Aさんの行為とはちがって、許容範囲内の行為だと思う。

また、Cさんは「自分に対して不平不満を言わないでくれ」とBさんに言う権利もある。だから、BさんもCさんも『不平不満』を言ってもいいということになる。不平不満を言うということは、たいして悪いことではない。もし、それが、殺人級の悪いことなら、人は毎日、殺人級の悪いことをしあっているということになってしまう。

日常生活のなかで、多少の不平不満を「きかされること」は、許容範囲なのである。もちろん、不平不満はなるべく人に言わないほうがいい。しかし、日常生活のなかでは許容範囲内の行為だ。

もし、Cさんにとって、Bさんの言っていることが、タダの不平不満なら、Cさんは「俺に、そんなことを言ってくるな!」とどなりちらすことだってできる。Cさんには「俺に不平不満を言うな!」と不平不満(と思われる可能性がある言葉)を言う権利がある。

どうしてなら、日常生活のなかで、不平不満を言うことは、ある程度許容されているからである。それは、Cさんにも保証されていることだからだ。

『悪さの度合い』ということを考えてみよう。たとえば、AさんがBさんに毎日やっている悪いことを一〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇だとする。そうすると、BさんがAさんに『不平不満』を言うことは一ぐらいの悪さなのである。また、Bさんが(その問題に関係がない)Cさんに、Aさんとのことで不平不満を言うことは、一〇ぐらいの悪さだ。一〇と一〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇をくらべてみれば、一〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇のほうがでかいと言える。

しかし、その場合でもCさんには『俺に不平不満を言うな!』という不平不満を絶叫する権利があるので、それを行使すればよいということになる。誰か他の人(Dさん)が、このCさんの行為を『不平不満を言う』行為だとみなす場合がある。DさんにとってはCさんは『不平不満を言った』ということになるだろう。だからこの場合、Dさんの視点からすればCさんは『どんな場合でも』不平不満を言ってはならないというルール(普遍的な原理原則)をやぶっていることになる。

ところで、AさんBさんCさんのなかで一番悪いのはAさんなのである。

しかし、DさんはAさんの悪さに関してはまるでなにも言わない。ただ単に、『どんな場合でも不平不満を言うことは悪いことだ』ということを言っているだけなのである。実は、Dさんは自分が『どんな場合でも』不平不満を聞かされたくないという願望を持っていたとする。その場合、不平不満を聞かされるということは、Dさんにとっては相当に悪の度合いが高いことなのである。

けど、人殺しと不平不満を言うこととどっちが悪の度合いが高いことかと言えば、普通は、人殺しのほうが悪いことだろうということになる。あるいは、毎日、人をいじめて、その人を自殺に追い込むことは、不平不満を言うことよりも、普通に言って、悪の度合いが高いことなのであるとぼくは思う。

Dさんのなかでは、不平不満を言うことは、人を殺すことや、人を自殺に追い込むことよりも、悪いことなのかもしれない。どうしてなら、『どんな場合でも』不平不満を言うことは悪いことだと言っているからである。

Aさんにいじめられて、Bさんが自殺を考えているような状態でも『不平不満を言うべきではない』のである……Dさんにとっては。どうしてなら、例外なくどんな場合でも不平不満は言うべきではないとDさんは考えているからだ。

Dさんは、例外なく、普遍的に絶対に正しいこととして『不平不満を言うべきではない』と言っているのである。

『どんな場合でも、不平不満を言うべきではない』という視点から見れば、Bさんが悪いということになってしまうのである。Aさんはこの場合、悪い度合いは〇(ゼロ)であり、Bさんは言ったぶんだけ悪いということになってしまう……Dさんのなかでは。『どんな場合でも、不平不満を言うべきではない』のだから不平不満を言ったBさんは、するべきではないことをした悪い人だということになる……Dさんのなかでは。

普遍的真理はいつでも、全体に求められるものであって、全体に対し適応されるものであるから、例外がない。例外があるということを認めているわけではないのだ。そうなると、傷つく人がでてくる。

実際には、他者がやることが原因で自殺を考えているような人にとっては、「どんな場合でも、不平不満を言うべきではない」というルール(普遍的な原理原則)それ自体がその人自身を傷つけるものなのである。そりゃ、「じゃあ、自分を自殺に追い込むようなことをしている人間はどうなんだ?」という疑問がわくからだ。

「不平不満を言うことがそんなに悪いことであるなら、人を自殺に追い込むようなことを毎日頑固にやり切るということは、悪いことではないのか」と考えるからである。

Dさんは不平不満を言うということ全体が、人を自殺に追い込むことよりも悪いことだと思っているのだろうか? そんなことは思ってないだろう。

けど、『どんな場合でも』という言葉を使った場合、不用意にそういうことを主張しているということになってしまうのである。『どんな場合でも』というのは、そのくらいの威力がある言葉なのだ。不用意に使うべきではない。例外があるということを先に認めておくべきだ。


不平不満を言うこと……を抽象的に考えると、まわりが見えなくなってしまうのである。たとえば、実際に、AさんがBさんにやっていることが見えなくなってしまう。Bさんはどんなことをされていても、不平不満を言うべきではないのである。

どうしてなら、『不平不満を言うこと』というのは、すべての条件から切り離された、『不平不満を言うこと』だからである。背後の文脈は関係がないのである。まったく関係がない。ただ単に、Bさんが不平不満を言ったということだけが問題になる。

Bさんの不平不満の内容……つまり、実際に、AさんがBさんに対してしてきたことは、『不平不満を言うこと』自体!とは関係がないことなのである。

不平不満を言うか言わないかは、言うか、言わないかの二値であらわすことができる。たとえば、不平不満を言うのが、一(イチ)だとする。不平不満を言わないが〇(ゼロ)だとする。そうすると、かならず、〇(ゼロ)か一(イチ)で表現できるものなのである。

Bさんが不平不満を言った場合は、不平不満を言ったというフラグが立つ。一になる。その場合、不平不満を言うことが悪いことだと考えている人にとっては、Bさんは悪いことをした悪い人だということになってしまう。二値だから。背後のBさんの事情は関係がないから。

実際にAさんがBさんにしたことは斟酌されずに、Bさんが不平不満を言ったというとだけが、問題になってしまうのである。どんな理由があっても、Bさんが不平不満を言った途端に、「Bさんは悪いことをした」というレッテルが貼られるのである。悪いことをしたというフラグが立つ。

繰り返して言うが、Aさんがやったことは、斟酌されない。たとえ、それが、不平不満を言うということよりも、悪いことであった場合も、それは、〇(ゼロ)なのである。フラグが立たない。

それだと、ほんとうにひどいことは、見すごして、ただ単に、「不平不満を言うか」「不平不満を言わないか」ということだけを価値判断基準にして人を批判しているということになってしまうのである。

この批判は、受けとめる人によっては、逆に「不平不満だ」と認知されるだろう。どうしてなら、『Bさんは不平不満を言うべきではない』ということ自体が、それを言った人の不平不満の表明になってしまうからだ。

たしかに、DさんはBさんの行為について不平不満を言っている。「Bさんはやるべきでないことをやったので、自分は不快に思っている」という不平不満を言っているのとおなじだということになる。そういうふうにDさんの判断を受け取る人も出てくるだろう。

2018年8月8日水曜日

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「言いがたい家族」

   *   *   *

俺は文章的にはこれが限界なのかな?と感じる。死んでから公開する文書なら、書いておくことができるけど、いろいろ書けないことがある。

『あれ、ほんとうにわかってなかったんだな』と思う。兄貴は親父と頭の構造がおなじだったんだ。そうじゃなきゃ、あんな態度はとれない。おなじなんだよね。どこまでも。

気違い兄貴は、それでいいのかもしれないけど、こっちはそれじゃよくない。あれ、ほんとうにやっている気持ちがなかったのか』……『あんなデカイ音で、親父のようにこだわりつくして、血相を変えて、鳴らしていたのに』……『気違い兄貴が、静かにしてくれるわけがないだろ』……『ほんとう、入試のときだってなんのときだって、『自分』が言われたら、顔を真っ赤にして怒って、ムキになって鳴らした』……『あれで、鳴らしたつもりがないのかよ?』『あれで、鳴らし続けたつもりがないのかよ』『どんなときも、一分もゆずってくれなかったのが気違い兄貴だ』

一部の第三者は「そんなの、ほんとうだったら気持ち悪い」と思う(公開バージョン)

(省略)



気違い兄貴よ。気違い兄貴の話しをすると……俺が気持ち悪がられたりする。本当の話しをすると、俺が気持ち悪いやつだと思われたりする。そういう場合がある。





あれ、ほんとうに、親父とおなじで、まったくわかってなかったんだな。あれだけ、毎日、トータルで何万回も言ったのに、まったくなにもわかってなかったんだな。親父と思考回路がおなじなんだよな。自分がやりたいことがあると、普通ならヒトコト言えばわかることがまったくわからなくなってしまう。普通は、無視しているということは認識している。普通は、ヒトコト言われればわかることをわからないふりをして、やりきっているということがわかる。認識している。それを、兄貴や親父は、やりたいことがあると、無意識的なレベルで、相手が言うことを無視して、「わからない」という状態になってしまう。相手が言うことというのは、普通なら、ヒトコト言えばわかることだ。頭がおかしくない学生や大人なら、絶対に、わかることだ。「そんなのがわからないなんておかしい」と言われてしまう。やった人間を第一者、やられた人間を第二者、まったく関係がない人間を第三者だとする。そうすると、第一者が実際にやったことを、第二者が、「(第一者はこういうことを、こういう調子で)やった」ということを第三者に言うと、第三者は「そんなことはない」と思うようなことなのだ。一部の第三者は「そんなの、ほんとうだったら気持ち悪い。気持ち悪いことを言うな」と思うようなことなのだ。これがわかるか? こういうレベルの話しだ。おかしいんだよ。たしかに、おかしい。おかしい。おかしいけど、事実だ。





気違い兄貴よ。あれだけほんとうに、意地になって、鳴らしていたのに、鳴らしたつもりがないのかよ? おかしいよ。ほんとうにおかしいよ。親父以上だよ。親父をはるかに超えているよ。あれだけやって、やってないつもりとか、おかしいよ。俺がどれだけ言ったと思っているんだよ。あれだけ言われて、『まったく言われたつもりがない』なんておかしいよ。おかしいよ。






2018年8月6日月曜日

兄貴に言っておくけど、兄貴のほうがひどい

やっぱりつらい。気違い兄貴が毎日やったことでつらい。もう、俺はまるまるだ。まるまるしたい。やっぱり、つらいなぁ。



昨日の夢というか、起きているときに回想したことが、やっぱり、こたえている。ほんとうどうして俺が、頭がおかしい家族にやられ続けなければならないのか。警察? 警察は、呼んでも注意するだけで帰ってしまうだろう。気違い兄貴は、あの音で鳴らして、しずかにしてやった」と恩着せがましく思うような人間なのだから、かならず、「しずかにしてやった」つもりで、鳴らすだろう。「しずかにしてやったつもり」で、前とかわらない大爆音で鳴らすだろう。「ここまで、さげてやればいいだろう」と思って、気違い的にデカイ音で鳴らすだろう。あれでぇ!!!!!さげたつもり!!!!になれるのであれば、もちろんそうする。気違い的にデカイ音で鳴らしたいわけだから。ヘビメタ騒音に対して気違い的なこだわりがある、気違い兄貴が満足できる音で鳴らすなら、かならず、デカイ音で鳴らすことになる。けど、警察は、呼んでおいた方がよかったな。測量とか言わないで……。気違い親父が葬ったんだよ。いくら俺が「うるさい」「デカイ音だ」と言っても、測量しなければ裁判にならないんだよ。気違い親父が「そんなのできるわけないだろ」と言って、終わった。気違い親父は、気違い親父で一度、スイッチが入ると、そっちに入りっぱなしになる。たぶん、無意識的には兄貴に自分がやったことを知っていたのだろう。あるいは、体が大きくなった兄貴にはなにも言えなくなってしまったのだろう。「兄貴に注意してくれ」と言われたら「そんなのしかたがない!!」と真っ赤な顔をして絶叫しておしまいだ。自分の寝床に入って寝てしまう。そうしたら、もう、なにもなかったことになる。そういうことの繰り返しだからな。これも、「そんなにデカイ音で鳴らしているのに、親が注意しないなんておかしい」とか言い出すやつがいるんだよ。そういう人たちの常識を覆すような親なんだよ。親父は! うちの親父は!! ほんとうに親父にしろ、兄貴にしろ、常識の範囲ないに入らない人たちだから、常識的な人と兄貴の間にはさまれる。常識的な人と親父のあいだにはさまれる。兄貴は、親父だけなんだよ。兄貴は、親父と常識的な人のあいだにはさまれただけ。俺は、親父と常識的な人のあいだにはさまれて、さらに、兄貴と常識的な人のあいだにはさまれて、こまった。







そして、兄貴に言っておくけど、兄貴のほうがひどい。親父よりも、兄貴のほうが一兆倍ぐらいひどい。兄貴にくらべたら、親父なんて、屁でもない。兄貴のヘビメタが一番つらかった。親父の奇行の一兆倍ぐらいつらかった。兄貴のヘビメタの〇・一秒が、親父の奇行の一個分だ。親父の奇行の一個分って、たとえば、ハンダゴテ事件だ。ハンダゴテ事件全部で、ヘビメタ騒音〇・一秒分。あるはい、〇・一秒分にも満たない。そういうレベルだ。気違い兄貴は、親父とおなじで、なにもしたつもりがないのだろうけど、鳴らしているあいだ、そういうことが、つもりまくる。どうしても、俺はゆるせない。これも、他の人にはわからないんだよな。俺が、ヘンなことにこだわっているように、他の人からは見えるのだろう。こだわらなくてもいことにこだわっているように見えるのだろう。けど、ちがう。実際におなじ分量だけやられればわかる。ヘビメタ騒音の汚染は、ほんとうに、いろいろなところに広がっていく。どうやっても、食い止めることができない。二次災害、三次災害が起こる。そして、三次災害が起こっているその時も、気違い兄貴が、気違い兄貴の態度で、頑固に鳴らしている。親父よりも頑固な態度で、鳴らしている。兄貴! おまえは、親父よりも頑固だ。親父よりもわかってない

2018年8月3日金曜日

自分で稼げる知識と技術

けど、まあいろいろ考えると、普通のサラリーマンをしてきた人よりも、ぼくのほうが自分で稼げる知識と技術があるんだよな。



そんなには暗くないかもしれない。けど、俺がやりたかったことはちがうんだ。兄貴がヘビメタにこだわらなければ、できたんだ。兄貴がスピーカーで、大爆音でヘビメタを鳴らすことに、こだわらなければ!! 何年も何年も毎日毎日こだわらなければ、普通に、ぼくがやりたいことができた!!! もう、がんじがらめだよ。すべての点で、手枷足枷になる。ものすごいハンディになる。

やっぱり、中学時代と高校時代をとられたのがでかい。特に、中学時代がでかいな。あれはない。あの生活の連続はない。ほんとうにどれだけくるしんだか。いまもくるしい。おなじことでいまもくるしい。

で、また、普通の生活しかしてない人が言うことが、ひどいんだよな。まったくわかってない。こんなの差別だ。偏見だ。そりゃ、普通の生活のなかにも、いろいろな困難が隠れているものだと思うけど、そういう困難とはちがうんだよ。普通の生活が成り立っているというのと、普通の生活が成り立っていないというのとでは、まったくちがう。要は、過労死寸前、自殺寸前で働く毎日と普通に働く毎日はちがう。そういうことだ。毎日が、自殺寸前じゃだめなんだよ。ヘビメタ騒音が続いていると、どうしても、毎日自殺を考えるようになる。他の人はヘビメタ騒音のくるしみが自殺寸前のくるしみだとは思ってない。『そんなのは、言えばいい』『どれだけ騒音が鳴っていると言ったって、たいしたことはないんだろう』と考えるやつがいる。そういうことではないのに、低く見積もりやがって。勝手なことを言いやがって。無理難題を押しつけやがって。自分の偏見を得意そうに言いやがって。

そういうのは、普通の生活が成り立っていたから言えることだ。自殺寸前の状態で十数年も毎日暮らしたことがないから言えることだ。感覚がずれている家族に、小さいときからやられたことがないから言えることだ。感覚がずれている、気違い家族が、絶対の意地で、異常な迷惑行為をした場合、とめられない。殺さないととめられない。殺さないととめられないことが、自分にとって小さなことならいいけど、毎日死にたくなるようなでかい問題だとこまる。こまりまくる。けど、どれだけ言っても、気違いだから????? 通じない。この『通じなさ』がわかる人がいない。普通の人はこの『通じなさ』はわからない。だから、普通の人とのあいだにも、ディスコミニュケーションが成り立ってしまう。こういう(家族の問題)の場合、迷惑行為をしている家族の一員じゃなくて、迷惑行為をされている家族の一員と『世間』とのあいだに溝ができる。この溝はでかい。『世間』側としては、理解できないことなのである。そりゃ、こんな特殊なこと、理解できるわけがない。だから、『世間』の常識を持ち出して判断する。そうすると、間違っている判断をするということになる。これ、もう、決まっているんだよ。

気違い兄貴よ。気違い兄貴のヘビメタ騒音のほうが、親父の怒り狂いよりも、一〇〇倍、一〇〇〇倍も、一〇〇〇〇倍もくるしかったよ。おまえ、あれ、ほんとうに、勉強ができない。普通の気持ちで暮らすことができない。常に消耗戦になる。行き場のある怒りが爆発している状態になる。ずっと鳴っていれば、ずっと爆発している状態だ。強烈につかれる。行き場のある怒りといったけど、気違い兄貴が、気違い親父の態度で、自分がやっていること自体を否定して、受け付けないわけだから、行き場のない怒りになる。行き場のない?怒りが常に爆発している状態だ。俺が静かに暮らしたいとしても、気違い兄貴が気違い騒音を出すので、どうしても、常に怒り狂った?状態で暮らすことになる。強制的に腹が立つ。強迫的に腹が立つ。ヘビメタノ音というのは、そういう音なんだよ。そういう音が、爆音で、ガンガンガン、壁をたたくように連続したら、こまるだろ。そういうのが、まったくわからないんだよな。親父とおなじ感覚、親父とおなじ状態で、わからない。本人がわからなかったら、どれだけやったってやったことにならないのである。だから、押し通してやっているのに、押し通してやったという気持ちがない。強制的に押しつけたと気持ちがまったくないのである。どれだけ、言われたって、相手が困ることを押しつけているという気持ちがまったくない状態で、やりやがる。で、このやっている状態が、鬼なのである。ものすごいこだわりでやる。気がつかなかったから知らずにやったという意識が成立しているみたいなんだけど、ぜんぜんちがう。一〇〇%ちがう。正反対。こういう態度が、むかつくんだよな。ふつーーに、毎日、毎時間、毎分、毎秒、……そういうスイッチが入っている。スイッチが入っていたら、どれだけ言ったって、まったく通じない。そういう、親父の態度で、兄貴は、くるしんできたはずなのに、やっていることが親父とまったくおなじなんだよ。もちろん、親父とおなじだから「まったくやったつもりがない」んだよ。死にものぐるいで意地になって、頑固にやったことが……毎日ズッとやったことが……やってないことになっているんだよな。言われればゆずってやったこと……なんだよ。自分がもうやりたくなくなれば!! けど、自分がやりたいあいだは、発狂して認めずに頑固にやる。この『発狂して認めずに頑固にやっている状態』が他の人にはわからない。世間』の人にはわからない。『世間』の人には、こういうタイプの異常者がいるということがわからない。だから、『そんなの、お兄さんにやめてって言えばいいことなのに、なんで、言わずに悩んでいるんだ』というような意見を持つのである。そんなんじゃないのに、そういう解釈をする。間違った解釈だ。間違った意見だ。で、そういうふうに言う人に、兄貴や親父の態度のことを説明しても、わかってくれない。わからない。根本からわからない。

親父だけなら、どうになかったんだけどな。俺がはい上がるには、試験制度を使ってはい上がるしかなかった。小学生のときは、早い話、勉強なんてどうでもよかった。しかし、このことに気がついた中学以降は、くるしかったぜ。ヘビメタが鳴っているから、くるしかった。

まあ、一般コースと特殊コースがある。特殊コースは、アイドル、俳優、学者、経営者など、普通の従業員としての能力があまり問われないコースだ。一般コースは普通の会社で普通に働くコースだ。『普通の従業員』として働く能力が、激しく問われる。普通コースの頂点が官僚や大企業のエリート?だ。普通コースのなかで、ピラミッドが形成されている。普通コースの場合、やはり、学歴で振り分けられる。学歴は有効だ。けど、年度制があるので、新卒カードを有効に使わないと、その学歴がむだになってしまう。学歴と言ったけど、もうちょっと詳しく言うと、学校歴だ。学校の程度が問題になる。学校も学校でピラミッドが形成されている。それは、試験学力方面の程度が問題になっているだけで、学問とは関係がない。ほんとうなら、小室直樹氏が言っていたように、こういう試験学力ピラミッドとは関係なく、大学で学問ができる状態を維持しなければならない。けど、日本では無理だ。まあ、今回はその話はよそう。

ともかく、一般コースと特殊コースがある。一般コースの常識は、特殊コースの常識じゃない。特殊コースの常識は、一般コースの常識じゃない。経営者のところで、ひっくり返っているということに、着目したほうがいい。

日本の職場というのは、実際の年齢(崩壊しかかっている年功序列)、能力主義(機能不全・職階)、年度制(一括採用・学歴ピラミッド)が複雑に組み合わさった『場所』なのである。実際の年齢属性、能力職階属性、年度属性が人間関係に複雑な影響を与える。

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ぼくは、つかれました。

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2018年8月2日木曜日

毎日やられて、(ほんとうの姿)というのがなくなる

なんかちょっと、タンメンを食べたい気持ちがある。

どうするかべきか?



いろいろな思いがあるんだよな。いろいろな思いがある。

やっぱり、ヘビメタ騒音できつい。くるしい。どうにもならない。



なんとかしたいけど、ヘビメタ騒音がなかった場合の人生はあゆめない。ヘビメタ騒音がなかった場合の『到達点』には到達できない。どれだけがんばっても無理だ。ヘビメタ騒音がなければ、簡単に到達できたところですら、もうまったく、無理だという状態になっている。気違い兄貴が、普通の兄貴で、普通に言葉が通じて、普通に静かにしてくれたなら……ぼくの人生はまったくちがったものになっていただろう。気違い兄貴自身は、気違い親父とおなじように、自分がやったこと……に関してはまったく気がついてない。そういうしくみが成り立っている。自分が発狂的な意地で、うちにいるときはいつもやったことが、やってないことになっている。それで、普通だ。そういう状態で、普通なのだ。『うちでなら』。あるいは、『うちでやったことに関しては』。うちでやったことに関しては、……そういうモードでうちでやったことに関しては、やってないという記憶のままなのである。どれだけ言われたって! どれだけ言われたってやったのに!!! どれだけやめてくれ』と言われても、意地になってやっていたのに、意地になってやっていたこと関しては、まったくやってないつもりなのだ。まったくやってないのとおなじつもりなのだ。これは、ほんとうにまったくそんなことをしなかった場合の気持ちとおなじだということだ。こんなのはない。こんなのはないけど、気違い兄貴の発言を聞いていると、ほんとうにその通りに感じているとしか思えない。じゃあ、あれはなんなんだ!! 入試の前日だってどれだけ言ったって、一二時間鳴らせれば、一二時間、けたたましい音で、一秒もゆずらずに鳴らしてたのはなんなんだ?という話になる。もちろん、そんな話は、俺以外のひとにとってはどうでもいい話だ。けど、ぼくにとっては、どうでもいい話じゃない。



全部の時間、やってないつもりだ。気違い兄貴が、気違い親父とおなじような状態になって、気違い親父とおなじような『絶対の意地』でやったことは、やってないつもりなのだ。このやってないつもり』というのも、親父とまったくおなじだ。ほんとうにこまる。こういうことに、こまらされ続けたのが、ぼくの人生だった。これ、こまり方が並みじゃないのである。こんな異常な家族に、毎日毎日、何万時間もやられて……やられて……やられて……疲れ果てた人生が俺の人生だ。これも、他の人にとっては、『やられてないのとおなじ』なのだ。他の人にとっては『おなじ』だ。これが、きついんだよな。気違いヘビメタ騒音で、睡眠に関しては完全に障害者、生活体力に関しては「ギリ健」になってしまったのに、まるで、俺が最初からそういう状態であるかのようにあつかわれる。そりゃ、俺以外のひとにとってみれば、そんな話は聞いたって聞かなくたって、おなじだ。その時の俺の状態。その時の俺の属性が問題になる。それでしかないからだ。気違いヘビメタ騒音が毎日14年以上続くというハンディの意味がわかってない。わかるわけがない。わかるわけがないけど、わかろうがわかるまいが、その時の俺状態しか問題にならないので、ものすごく下に見られるのである。まるで俺がサボってるから悪いんだというように思われる。こういう人生だ。毎日やられて、(ほんとうの姿)というのがなくなる。毎日やられて、(やられなかった場合の状態)というのがなくなっていく。やられている状態……能力値が極限まで下がった状態が……エイリの状態だということになる。この睡眠系の問題と体力系の問題は、だめ人間問題に直結している問題だ。

   *   *   *

もう、俺、つかれたなぁ~~
つかれた。ボロボロにつかれた。
もう、いい。

いや、よくない。よくないけど、つかれた。

   *   *   *

気違い兄貴にしたって、気違い親父にやられているときは、気違い親父の態度!!がどれだけ腹立たしいものかわかっているはずなのに、親父の態度でやりやがるんだからな。毎日、すべての可能な時間を使って、親父の態度でヘビメタを極限の音で鳴らしまくる。だから、やっているのに、やってないと思っているんだよな。ほんとうに親父とおなじ。まったくわかってないんだよな。どれだけ、やったか、まったくわかってない。何万回も言われたのに、言われたということがまったくわかってない。まったくなにもつたわってない。そういう態度全体。そういう状態全体だ。気違い兄貴がなんのことわりもなく、そういう態度、そういう状態、そういう存在になっている。で、こんなの、親父とおなじで、どれだけ言ったってかわらない。その人がその人であるように、その人なのだ。気違い兄貴が気違い兄貴であるように、気違い兄貴なのだ。だから、殺さないと、ほんの少しもわからないまま、ずっとやられることになる。ずっとやられた。あっちは、やったと思ってないんだけどな。気違い兄貴の態度というのは、親父とおなじだ。親父の態度というのは、実は、「うち」の人以外のひとにはわからないと思う。根本からわからないと思う。けど、こっちが、強烈に腹が立つ態度なんだよ。どれだけ温厚な人でも、腹が立って腹が立ってしかたがない状態になってしまうような態度なんだよ。いろいろ無視しているからな。で、兄貴もおなじ。兄貴は、自分がやられたときは、親父の態度の中にいろいろな問題があるということがわかっているのに、自分がやっているときは、親父とおなじように、自分の態度の中にいろいろな問題があるということは、まったく感知しない状態になってしまう。ごく普通に、そうする。ごく普通にそう感じる。ごく普通にそう認知するという状態になってしまう。

2018年8月1日水曜日

学校の先生なんて、本当におどろくと思う

つかれたぁ。







俺は寝る。







ヘビメタ騒音のことを考えると、やはり、腹が立つ。



しかし、俺の人生はなんだったのか?



気違い兄貴は、あれだけしつこく、頑固に、デカイ音で鳴らしたのに、デカイ音で鳴らしたつもりがないんだってさ。そりゃ、鳴らしているときも、そういう態度、そういう認識で鳴らしていたから、「つもりがない」んだろ。



ずっとそうだった。

親父とおなじ。





気違い的な頑固さで、絶対にゆずらないでやったことは、全部やってないことなんだよな。つもりがないことなんだよな。何万回、「やめろ」と言われたとしても、「やめろ」と言われたつもりもない。一回も言われなかったから知らないという態度だ。



で、そういう態度で鳴らし切る。こっちが、入試で、「家族会議を開こう」と言ってたって、会議のテーブルにつかない。話しあいが成立しない。



話しあいが成立しないとき、あいつは一〇〇%自分が気に入るように、一〇〇%時間、一〇〇%の音で鳴らす。いいわけがない。いいわけがないのだけど、親父とおなじ気違い頭だから、いいと思っている。



いいと思っていると言うか、ほんとうに『知らない状態』なのである。



それは、怒るたびに忘れているから、何万回繰り返しても、〇回なのである。自分がやれるなら、永遠に〇回だ。ずっとそういう態度で、一秒もゆずらないでやりきる。「やっている」のに、本人だけは『つもりがない状態』なのである。やってくれなかったことは、やってやったと思っている。ゆずらなかったのに……一分もゆずらなかったのに、……どんなときもゆずってやらなかったのに……ゆずってやったと思っている。頭がおかしい。



全部毎日、そういう状態で、やりきる。



で、こういうことが、学校の先生にはわからない。おまえ、兄貴が鳴らしているときに、くれば、一発でわかる。学校の先生なんて、本当におどろくと思う。「こんなでかい音で、いつも鳴らしているの?」「なんだ!この音は!!」と思うと思う。けど、『話し合えばいい』と言って、うちにきてくれなかった。だから、気違い兄貴のヘビメタ騒音のでかさを知らない。自分が知らなければ……なんて言うのかな? その人が思っている普通の騒音を思い浮かべてしまう。絶対に、うちにきたら、おどろくと思う。



ともかく、全面的に人生がない。ヘビメタがはじまってからずっとくるしい。これから寝るけど、死にたい気分だ。いつも朝、強烈に死にたかった。ヘビメタ騒音で死にたかった。ヘビメタ騒音のつかれが朝残っていて、呆然とした頭の中で死にたかった。死にたい気持ちがくるくる回っている……。毎日そうだった。



それをおして、俺は学校に行ってたんだ。ボロボロのからだで!!



どうしてボロボロのからだかというと、ヘビメタ騒音が三〇〇日も四〇〇日もつもっていたからだ。ヘビメタ騒音のつかれがとれない。一日のヘビメタ騒音のつかれがとれない。その日のヘビメタ騒音のつかれがとれないまま次の日になってしまう。



次の日は、次の日で、新しい気違いヘビメタ騒音のつかれがつもる。そういうことの繰り返し。たとえば、「一日に七時間 鳴っている」と言うとするだろ。この「一日に七時間 鳴っている」という言葉であらわせることは、記号でしかない。そういう情報でしかない。実際の七時間を経験してない人に、それがどういう七時間だか、わかるわけがない。わかるわけがないんだ。



兄貴に言っておく。親父にどれだけ「このハンダゴテは使えなかった」「先生もはっきりと、そう言った」と言っても、親父は『使える!!使える!!だいじょうぶだ!!!だいじょうぶだ!!!!!』と逆上して、『使えない』ということ自体を認めなかった。



兄貴もおなじだ。『ものすごくデカイ音で鳴らしている』ということを、こっちが、何回も何回も言ったのに、気違い兄貴は『ものすごくデカイ音で鳴らしている』ということ自体を認めなかった。



そういう一四年間だ。

そういう一四年間毎日だ。



これがどういうことだかわかるか? 気違い兄貴だって、一〇分間親父と「せっしょく」して、一〇分間もめれば……『使える-使えない』でもめれば、気違い親父の態度がどれだけ腹立たしいものか、経験としてわかっているのに、俺に対してはずっと、一四年間そういう態度で接してきたんだよ。



異常にデカイ音で鳴らしているのに、異常にデカイ音で鳴らしていると言うこと自体を認めない。認めないあいだは、デカイ音で鳴らしているのである。



一度やめて、鳴らさないまま、あの時『デカイ音で鳴らしてた』ということを認めないということではない。現在進行形でデカイ音で鳴らして、デカイ音で鳴らしているということ自体を認めない。



認めなければ、どれだけデカイ音で鳴らしたって、デカイ音で鳴らしていることにならないのである。現在進行形でそうだから、七時間やり終えたあとは、一分もデカイ音で鳴らしたつもりがないという状態ができあがる。



入学試験だろうが、期末試験だろうが、俺がどれだけ言っても、七時間鳴らせるなら、七時間、デカイデカイ音で鳴らしてたんだよ。それが事実だ。けど、気違い兄貴は親父とおなじで、「つもりがない」。気違い兄貴や気違い親父にとって「つもりがない」ということは「やってない」ということとイコールなのである。こういう、気違い回路。



常にそうやって、現実を無視して鳴らしてやがる。毎日それだ。毎時間毎分毎秒それだ。そうじゃない時間がないのである。そうじゃない一秒がない。どれだけ「やめてくれ」と言ってもそうじゃない一秒がない状態が続く。



気違い親父は、兄貴が学校でこまったということを絶対の意地で認めなかった。兄貴が、「親父のハンダゴテで恥をかいた」ということをどれだけ熱心に説明しても、一切合切わからない状態のまま通した。「なんだぁ!そんなの!!」と怒り狂ったら、それでおしまいだ。まったくなにも残らない。「相手が自分が押しつけたことで、こまったんだな」ということが、わからない。



一回しか言わなかったからわからないのではなくて、何十回言ったって、おなじように怒って、はねのけてそれでおしまいだから、わからないままなんだよ。で、ハンダゴテ事件は二日で終了したからよかったけど、ヘビメタ騒音事件は五〇〇〇日以上続いた。どれだけの長さ、俺の勉強を邪魔しているか、わかるよな。わからないか。いまでもわからないか。



現在進行形のときなんて、親父とおなじで「なんだそんなのぁ」と自分が怒ってはねのけたら、もう、それで、おしまいだった。そのまま、デカイ音で鳴らし続ける。そういう態度のとき、こっちがどういう思いで、その鳴っている時間……をすごしたと思っているんだ。鳴っている時間に耐えたと思っているんだ? 



なにもしてないつもりなんだろ。親父おなじだから、わからないだけなんだよ。本人が怒ってはねのけたら、ぜんぜん関係がない人になってしまっている。で、ほんとーーに、一〇〇%そういう性格だから、なにも気にしないで……ものすごくデカイ音で鳴らし続けることができる。



言われた後、ものすごくデカイ音で鳴らしているときは、まったく言われなかったという気分なのである。まったく言われなかったという認識なのである。



親父にどれだけ『ハンダゴテが使えなかった』『学校で恥をかいた』と言っても、まったくつたわらないのとおなじだ。



自分にとって不都合なことを言われたら、なんだろうがかんだろうが、真っ赤な顔をして「なんだぁそんなのぉ!!」と怒鳴っておしまいなんだよ。興奮して怒鳴ったら、もう、言われなかったということになってしまう。『情報』としても伝わってない。そういう一四年間なんだぞ。



毎日そういう態度だ。性格としてそうなっている状態? だから、かわりようがないのである。親父もそういう性格だったけど、兄貴もそういう性格なんだよ。



だから、(兄貴は)まるで悪いと思ってない。「やってない」と思っているから、悪いと思えない。兄貴なんて、二日間、使えないハンダゴテを押しつけられただけで、あんなに怒ってたのに、自分は、へーきでおなじことをしやがる。親父は二日間。兄貴は五〇〇〇日以上。どっちの方が長いかわかるよな。
わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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「公開バージョン」はもとのバージョンの一部を文脈に関係なく削除したものなので、段落と段落のつながりがおかしい場合があります。(少し不自然な場合があります)。ご了承ください。

死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。