2018年11月20日火曜日

どうすっかな。俺が精神的に限界なんだよな。


どうすっかな。俺が精神的に限界なんだよな。

これは、どうにかしなければならないと思うけど、どうなんだろうなぁ~~。

相当に(弱気に)なっている。







もうちょっと、効率よくお金を稼げないと、だめだと思う。



「おれもう、だめだわ」というような言葉が、あたまのなかでまわっている。まわっているというか、いろいろと思い浮かぶ機会がある。金銭的には三〇代のときよりも恵まれているけど、だめだ。



あとは、缶コーヒーを飲みたくなっている。缶コーヒーが飲みたい。



   *   *   *



むなしいよ。

ずっとヘッドホンをして静かにしてくれればいいだろ。

一日もそういうことをしないで、一日に一分もヘッドホンをしないで「しずかにしてやった」とかおかしいだろ。それがおかしくないと思えるような人格なんだよ。だから、だめなんだよ。だから、こっちが(騒音で)おかしくなっているんだよ。




書くと人が減る……。別にいいけどさ。

これ、ヘビメタ騒音のことは新しい人間関係をつくるときに出さない方がいいみたいなんだよな。けど、「それじゃ、俺はどうなる」という部分があった。無職のときは特にそうだ。




2018年11月19日月曜日

ちゃんと用意をしたかったという気持ちがある

だいぶ、文章を書いたのだけど、まとまらなくなった。

うわわわわうわわわわわ~~~

と叫びたくなった。



なので、叫んだ。



どうしたらいいんだ!どうしたらいいんだ!どうしたらいいんだ!まよう!!まよう!!まよう!!



この雰囲気!!!!



足を引っぱられる感じ。毎日勉強を邪魔されているのに、その体で、試験を受けに行く雰囲気。旅行に行く雰囲気。



足、引っぱられ感が並みじゃない。

毎日やられて、準備ができてないのに、「行かなきゃいけない」という感じ!! 毎日やられて、つらかった。ものすごくつらかった。いつもいつも、ヘビメタ騒音で感情がめちゃくちゃになった状態で外に出る……出てた。友達と会うときだってそうだ。家を出るときもヘビメタが鳴っていた。後ろ髪を引かれるような状態……。気違い兄貴の、気違い親父的な態度!!! あの、腹立つ!!態度!! あの、腹立つ認知!!! ゼンブガゼンブボロボロの状態で、修学旅行にも行ったわけだし、試験を受けにいったわけだし、毎日学校に通っていた。そのときに、全部狂っている。この「全部」というのは、本当に「全部」で、行きすぎた一般化じゃない。「全部」といっても問題がない「全部」なんだよ。どうしてかというと、すべてのイベントが始まる前の日、ヘビメタが鳴っていたから。前日までの、積み重なったヘビメタ騒音で、身も心も、大きくやられている。こんな状態で、行くのはいやだ……という気持ちがある。ちゃんと用意をしたかったという気持ちがある。ちゃんと寝たかったという気持ちがある。眠りたかったという気持ちがある……けど、前の日も、前の前の日も、三〇〇日前も、四〇〇日前も、たえず、気違いヘビメタが鳴っているという状態だ。どんな重要な日の前も気違いヘビメタが鳴っているという状態だ。休みの日や、平日の午後四時以降は、どんなところに行くときも、ヘビメタ騒音の中から出ていくという状態だ。その時の、腹が立つ、……腹わたが煮えくりかえった状態というのは、ない。頭が怒りと心配で、ゴッチャになっている状態といったらない。ヘビメタ騒音がなかった人……人生の中で毎日続かなかった人にどれだけ説明しても無駄だけど……あの感覚はない。この感覚がずっと残っている。

2018年11月15日木曜日

体験を通さないと絶対に理解できない

紅茶を飲んだ。
めぞん一刻を見ている。うーん。

俺の人生はなんだったのか?
ヘビメタ騒音生活でなくした力(ちから)のうち、けっこう大きな力(ちから)が、ものごとを楽しむ力(ちから)だ。どうしても楽しくない。もっとも、こういうことだって、「楽しまないやつが悪い」ということになる。そういうふうに言われる。そいつにとってはそうなのだろう。なんてたって、ヘビメタ騒音生活を五〇〇〇日も送ってないからな、そいつは。土台がちがう。まあ、人とくらべてもしかたがないけどね。圧倒的少数だから、ぼくの言っていることは普通の人には通じない。普通の人は……ヘビメタ騒音生活を体験してない人は……その人の基準で「よしあし」を考える。そして、「ようは、こころのもちようで、ポジティブに考えないやつが悪い」と判断する。

けど、ともかく、楽しくない。別の個体だとこういうことに関しては、体験がちがうので意見が一致しないことのほうが多い。体験がちがうと、言うことがちがう。

ぼくにとっても、「楽しめない」というのが切実な問題だということだ。もちろん、「意見する」そいつらは、「楽しめない」という問題を抱えてない。抱えていたとしても、程度が小さい問題だ。威力が小さい問題で、一時的に「楽しめない」と本人が「感じる」状態になっているだけだ。ヘビメタ騒音生活は、長すぎる。

理想像として、なにかに没頭すればいいとか、一生懸命に仕事をすればよいということは言われる。「俺なんて、いそがしすぎて、悩んでいるひまなんてないよ」などといいたくなる人は、それなりによい状態なのだろうと思う。けど、その人たちは経験してないからわからないだろうけど、ヘビメタ騒音プラス日常生活(一定の時刻に通うことが必要な生活)というのは、その人たちが想定しているようないそがしさではない。ちがう。ヘビメタ騒音によって押し出される、いそがしい生活は、「一所懸命に作業をしていると」ヘビメタ騒音のことを忘れてしまうような生活ではない。そもそも、ヘビメタ騒音……の連続で……「一所懸命に作業している」ときも、頭の三割ぐらいは、ヘビメタ騒音のつかれと悪寒にむしばまれている状態だ。つかれて、帰るところが、ヘビメタ騒音が鳴っている場所だというのも、頭がいたい問題だ。本当に、追い詰められる。何千日も続いた場合、本当に追い詰められるのだけど、追い詰められているときの(日常の状態)が他の人にわかるような状態ではないんだよな。だから、常に、「まとはずれ」なことを言われる。この、他人に的外れなことを言われるというのも、兄貴によるヘビメタ騒音問題の一つだ。それは、気違い親父によるハンダゴテ事件が、他の人には理解しがたい問題を含んでいるというのとおなじだ。他の人には理解しがたいというか、根本的にまったくわからない。根本的にまったくわからない人は、間違った推論をする。間違った前提で間違った推論をする。けど、「体験」にかかわることなので、その人たちは、体験を通さないと絶対に理解できない。その人たちは、事実を告げられたあとも、事実を認めずに、不可解な気持ちでいる。自分が持っている間違った認識をあらためることができない。

ともかく、ヘビメタ騒音の「いやな感じ」は、どんなにいそがしいときも、減らない。逆に、つかれたあと、増える。それは、体験から出てきたことだから、体験してない人には、根本的にわからない。わからないひとがわからないレベルで適当なことを言っているにすぎないのだけど、そのひとにとっては、「真実」と言えるものなんだよな。なので、こまる。どうしてかというと、溝があるから。そういうことを巡って、意見に対立ができる。ヘビメタ騒音を経験した圧倒的少数はの俺と、ヘビメタ騒音を経験してない圧倒的多数の他人とでは、圧倒的多数の他人の方が、人数が多いので、圧倒的多数の方が正しいことを言っているように思われる。そりゃ、多数の人(自分の感覚に基づいて)が、どちらが正しいか判断するわけだからそうなる。

   *   *   *

問題なのは、理由はどうであれ「問題を抱えているのは俺だ」ということだ。俺が、くるしい。俺が楽しくなくてくるしい。「つらいなんて感じる間もないほどいそがしければそんな問題は吹っ飛ぶ」とか「楽しい気持ちになろうと努力しないからいけないんだ」というようなことを言う人たちじゃない。その人たちは、楽しんでいるのだろう。ヘビメタ騒音に一四年間もやられなかったから、ものごとを「楽しく思う」機能が破壊されていない。なので、努力や意志の力で「楽しくなる」ことが可能だ。
けど、根本から壊されていると……あるいは、機能不全になっていると……それが無理なのだということになる。そして、機能不全になってこまっているのは「俺」であって、他の人たちではないという問題がある。

長いこと、かけて、ぼくの人生をうばった。あいかわらず、午前七時の雰囲気は最悪

とりあえず、こういう文章を書ける状態になった。こっちにはあまり書きたくないけど、朝は、きつい。ヘビメタ騒音の朝、そのものだから。特に、部屋が明るいときがきつい。午前七時とか、強烈にきついなぁ。午前八時もおなじ。

いままでやったことは、とりあえず、他の人のブログを見て、読んで、具なし味噌汁を作って飲んで、紅茶を飲んだだけだ。あとは、風呂の用意をした。用意と言っても、ボタンを押すだけだから。まあ、バスタブにちょっと水をかけて流したけど。

どうしたもんだ? さみしいから風の谷に行くということをちょっと考えたけど、憂鬱でどうにもならない。憂鬱。さみしい。風の谷に行くところを想像すると、さみしさがこみあげる。ぜんぜん楽しくない。むなしい。

この朝の雰囲気は、やばい。いま、冷凍スパゲッティーを解凍しているさいちゅうだ。(まあ、海外旅行に行ったって、この雰囲気は、かわらない。ずーっとやられて、朝の光景が、くるしい光景とむすびついている。本当に、気違い的な意地で「がめて」やったのに、本人はまったく悪いと思ってないんだよな。まったく、やってないと思っている。

本当にあいつがぼくの人間関係を全部うばった。長いこと、かけて、ぼくの人生をうばった。

2018年11月14日水曜日

ゲームの試合から逃げて仕事に現実逃避する?

現実逃避というのは、本人がたいせつだと思っている現実から逃避することなのだ。だから、人によっては「仕事に逃避する」ということもありえる。現実世界で、現実に仕事をしているのに、さらに、仕事に逃避するなんてことがありえるか? ありえる。本人がたいせつだと思っていることから逃避するわけだから、仕事に逃避するということはありえる。たとえば、サラリーマンで、子供がぐれているのだけど、ぐれている子供のことには対処せずに、仕事に逃げるということがある。ようするに、「本人が」なにかたいせつだと思っていることから逃げることが現実逃避なのである。なので、たとえば、ゲームの試合から、逃げることも現実逃避だ。ゲームの試合がたいせつだと思っているのであれば、ゲームの試合から逃げることは、現実逃避なのである。他人にしてみれば、ゲームの試合は大切なことではないかもしれない。けど、「本人にとって」大切なことであれば、ゲームの試合から逃げることは、現実逃避なのである。だから、ゲームの試合から逃げるために、仕事に没頭している人は、仕事に現実逃避しているということになる。客観的な目で見れば、ゲームをやらずに仕事に没頭しているのだから、現実に没頭しているように見える。どう見ても、外からは、現実逃避しているのか、それとも、単純に仕事に没頭しているのかわからない。普通は、仕事が現実で、ゲームなどの趣味?が逃避先に選ばれることだ。しかし、ゲームが現実で、仕事が逃避先に選ばれることもある。どうしてなら、ゲームより仕事がたいせつといった世間的な価値観ではなくて、本人の価値観が重要だからだ。本人の中でゲームが大切なことであれば、ゲームから逃げて、仕事に没頭したいと思うことがある。それは、やはり、仕事に現実逃避しているということになるのである。なので、世間的な価値観とは関係なく、本人がなにかしら重要だと本当は考えていることから、逃げることが現実逃避なのである。AさんとBさんがいるとしよう。AさんもBさんも、客観的にはものすごく熱心に仕事をしているとしよう。Aさんが、仕事が大切なことだと考えて、仕事に没頭しているなら、Aさんは現実逃避していることにならない。Bさんが、仕事よりも大切なものがあると考えているのにもかかわらず、その大切なものに直接対峙することがいやなので、仕事に没頭している場合は、仕事に現実逃避しているということになる。問題なのは、現実逃避先よりも、たいせつなものがある(ことがある)と感じてしまっているこころだ。「たいせつなもの」は人によってちがうので、世間的な価値観が通用しない場合がある。あくまでも「本人のなかで」どちらがたいせつかということなのだ。本人のなかで、なんとなくだが、重要だと思っていることから逃げた?場合、本人が「現実逃避している」と感じてしまうわけだ。



仕事に没頭しているサラリーマンは、他人から見れば、じゅうぶんに現実に対応しているように見えるのだけど、本人にとってなにか重要なことが他にあるのであれば、その重要なことから逃げて現実逃避しているということになる。問題なのは、ゲームに現実逃避しているのとおなじ問題がしょうじるということだ。もちろん、お金が入るぶんだけ、問題が少ないと言っていい。普通に考えれば、仕事をすればお金が入り、ゲームをすればお金が出ていくということになる。しかし、心的な過程では、仕事に逃避した場合も、ゲームに逃避した場合とおなじことがしょうじる。なので、本人は、焦燥感や虚無感を感じるようになる。

2018年11月12日月曜日

くさくてきたないのがヘビメタ騒音だ


2018年11月12日16時13分16秒
意識を失うように眠りたい。
ヘビメタのことで頭が重い。
あのときのまんまなんだよな。
外に出ても、ヘビメタ騒音にやられて入学試験に落ちていて、くるしかったときとおなじ気持ちのままだ。歩いているときのかんしがそういう感じだ。だれもわからない。近くで見ていたお母さんですらわからない。近くで見ていた親友ですらわからない。本気で心配してくれたけど……自分のことのように心配してくれたけど……ヘビメタ騒音で無理だ。期待にこたえられない。
ヘビメタ騒音とヘビメタ騒音当時の女の子のことを思い出す。あの二人は、本当にきれいだった。気違いヘビメタで、薄い氷のうえを歩いているような気分だ。冷たい水の中に落ちてもがいているような気分だ。

言いようがないんだけど、ともかく、無理だ。普通の気持ちなんて保てるはずがない。一〇年間やられれば、みんなこういう精神状態になる。一〇年間やられたあとは、どれだけ時間が経っても、まったくつかれがとれない状態になる。やられたときのままの冷たい風がふいている。冷たい水の中でもがいている。それも、きれいな水じゃなくて、くさくてきたない水なんだからな。くさくてきたないのがヘビメタ騒音だ。

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ひととつきあう体力も、仕事をする体力もなくなった。

いやー、まじ、つまんねぇわ。

買い物でも行くかな。

昨日買いそこねた、冷凍スパゲッティーでも買ってくるか。

さすがに二日続けて、外食はまずい。うまいけどまずい。金銭的にまずい。



ちっと、横になるか、紅茶を飲むか、ココアを飲むか、まーよーうー。



起きてから何時間たったのかよくわからないけど、けっこうつかれているなぁ。これは、やばい。



もっとばりばりといろいろな作業をするつもりだったのに、そーーーとーーにつかれている。しかも、なんか、さみしい。SNSはまわった。文章によるたわいもない会話。まあ、本当に人に会った方がいいんだろうな。そういうことに関しては。けど、ヘビメタ騒音一四年目以降、人づきあいがくるしい。まあ、ここらへんもヘビメタ騒音を一四年以上やられてひきこもっていると、ヘビメタ騒音を一四年以上やられないでひきこもっているひととでは、感覚がちがうんだろうなぁと思う。



ほんとう、ヘビメタ騒音をやられて、ひととつきあう体力も、仕事をする体力もなくなった。

2018年11月11日日曜日

この日曜日の感覚! ヘビメタ騒音の感覚!

あーーっ、やっぱりだめだ。
この日曜日の感覚!
ヘビメタ騒音の感覚!

ぜんぜん、かわりがない。
どれだけ俺がヘビメタ騒音で無駄でくるしい時間をすごしたか??
どれだけ……
本当、どれだけ……

   *   *   *

あーーあ、つまんない。
これ、どうするか?
人とはちがうんだよな。
精神病質的な家族の騒音で……こだわりの爆音騒音で、ぼくの人生は、こなごなになってしまった。どんだけ長く続いたか?
気違い兄貴がどれだけ長く鳴らしたか?

こだわりの音で! 気違い兄貴が静かな音や、普通の音で聞くわけがないだろ。気違い兄貴がヘビメタを鳴らすなら、かならず、ヨソではあり得ないようなどでかい音で鳴らしてたんだよ。

気違い兄貴! おまえ、親父とおなじで、うちの人にどれだけ言われても、まったく認めないのな。そして、兄貴の友達であるカオ君に「こんなデカイ音で鳴らして、家族の人だいじょうぶなの」「弟さん、かわいそうだよ」と言われても、まったくなにも感じないんだよな。こんなの、親父以上! 親父以上に頭がおかしい。

だから、『まったくなにも気にしないで』鳴らし続けることができたんだぞ。普通の人だったら絶対に気になる。気にして、静かにする。それがあたりまえだ。一日中、ヘッドホンをしてあたりまえだ。入学試験など特別な日の前だけではなくて、毎日、ヘッドホンをしてあたりまえだ。そのあたりまえがずっとない。

で、他の人たちは、そういう意地で(あにきが)鳴らしているということがわからない。『ヘッドホンをしてくれ』と言われれば、ずっとヘッドホンをしてくれるものだと思っている。こういうズレが俺をどれだけ追い詰めたと思っているんだ? こんなの、何十年もつもって良いわけがないだろ。ずっと、つもっているよ。

宣言をしておけば、現実が追いついてそうなる


宣言をしておけば、現実が追いついてそうなる。
↑にかんして言っておくと、ぼくは別にそういう考えを否定したわけではありません。『おまん、否定しとっちゃじゃないか』と思う人もいるかもしれないけど、『本人がそう思うぶんにはまったくかまわない』という意見なので、否定はしてないんです! 否定したと思っている人は、読み取り力(読解力)がないのだと思います。

俺がいやなのは

「宣言をしておけば、現実が追いついてそうなる」という命題は正しい(真である)のに、どうして、そうしないのだ? と責めてくる人たちなんです。

実験してみればわかるけど、『言えば現実になる』とか『書けば現実になる』ということは、100%成り立つことではありません。

なかには、言ったら現実化した(現実になった)と思う人がいるけど、言っても現実化しなかった(現実にならなかった)と思う人もいるわけです。

この現実化したかどうかというのは、主観的な思いこみで、客観的な事実とはちがいます。客観的な事実として現実化したかどうかということを問題にするのであれば、現実可能性が低いことに関しては、「現実化しなかった」と思う人が多くなります。

たとえば、50歳の日本人が、「俺はアメリカの大統領になる」と言ったとします。国籍は、50歳の時点で、日本です。彼は日本語は流暢に話すことができますが、英語は話せません。……こういう場合は、現実化する可能性は低いと言えます。

たとえば、50歳の日本人、10000人が「俺はアメリカの大統領になる」と言った場合、アメリカの大統領になれるのは、せいぜいひとりでしょう。そして、たとえば、ひとりの「50歳の日本人」が実際にアメリカの大統領になったとします。それですら、ほぼ確率がないことだけど、客観的事実としてアメリカの大統領になったとします

その場合、ひとりのひとは『言えば、現実化する』ということを言うことができる地位を手に入れるわけです。実際、言ったことが現実化したわけですから。

しかし、9999人のひとは『言えば、現実化する』ということを言うことができる地位を手に入れることはできません。『言っても、現実化しなかった』ということを言うことができる地位を手に入れるわけです。

だれにでも100%成り立つわけではないわけです。

しかし、そういうことを無視して、これは宇宙の法則だから、『言ったら、かならず、どんなことがあっても現実化する』というようなことを、言ってしまうわけです。

この『言ったら現実化する』というような言い方をする人は、100%、そういう意味で言ってるんです。そういう意味というのは、『言ったら、かならず、どんなことがあっても現実化する』という意味です。ところが、ひとり、大統領になれただけで、『これは事実だ』とまた、断言してしまう。そういう、病気みたいなものなんだよね。

いまの前提ですら、なれたのは、ひとりで、他の9999人はなれなかったわけです。架空の話しですけどね。その場合、9999人は、事実なれなかったということなります。『言ったことが現実化しなかった』わけです。

けど、ひとつの例で、それが、くつがえされてしまう。『現実化したじゃないか』と言い張る。結果が出る前と、結果が出たあとで言っていることが異なるということがわかりますか?

結果が出る前の『言えば現実になる』は『言ったら、かならず、どんなことがあっても現実化する』という意味であり、結果が出たあとの『言えば現実になる』は『言えば現実化することはあり得る』ということなんです。それは、同時に『言っても現実化しないことはあり得る』ということを暗示してます。ぜんぜん内容がちがう。

この内容のちがいを無視して、ゴッチャにしている。(本当は『言えば』というよりも、『言ったことが』と言ったほうが正確なんだけど、まあ、『言えば』という言い方をする人もいるので、今回はそれで、いいでしょう。)

で、ぼくの場合はどうかというと、
 宣言をしておけば、現実が追いついてそうなるんです。

   *   *   *

まあ、他の人にはない、ヘビメタ騒音のハンディがでかすぎるけど……。でかいんだよな……。他の人には、まったく関係がないので、そんなのたいしたハンディじゃないと思うかもしれないけど、うまれかわって?ヘビメタ騒音のハンディを経験してみればそれがどれだけデカイハンディかわかりますよ。

   *   *   *

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   *   *   *

本とは関係がないけど、リッチになることに決めました!!!

2018年11月10日土曜日

俺の、いまの症状は、そういう地道な努力の結果なんだよ

(省略)

だから、おなじ製造ラインでつくったものにしても、差があるのは事実だ。けど、霊の差はないんじゃないか。結論としては、中古ならわかるけど、新品だとわからない。中古の場合なら、「霊」とかそういうことにこだわる人がいるというのはわかるけど、新品だとなぁ~~。新品なら、その人の「霊」やその人の精神状態の方が影響を与えそうだけどなぁ。

つかれて、注意力散漫な状態で買ったものがあるとする。その場合、注意力散漫な状態が一ヶ月以上続いているのであれば、その日に注意力散漫な状態で蒔いてしまった、トラブルのタネが開花するときもあるだろう。問題なのは、疲れ果てて注意力散漫になっているという状態だ。(買ったもののせいじゃない)。俺は、ヘビメタ騒音で注意力散漫な状態で暮らしていたから、よくこまっていたよ。

そして、ヘビメタ騒音で疲れ果てて注意力散漫な状態になっているわけだから、その注意力散漫な状態で、トラブルが発生すると、とてつもなくこまったよ。トラブルが発生してしたあと、家に帰って、そのトラブルの原因になったヘビメタをまた、聞かされてしまうので、際限なくこまったよ。ものすごくこまった。こまった。

どうしてなら、ヘビメタ騒音が一日に何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も続く状態というのが続いているからだ。そういう状態で、発生したトラブルに対応しなければならなくなる。こういうことが、一四年も、一五年も続いたらどうなるよ? 学生時代を通して続いたらどうなるよ? 二〇歳の時、すでに、九年間そういう状態が毎日続いてたらどうなるよ?

「ヘビメタ騒音のせいにするな」と他人から言われる……言われやすい状態だ。けど、本当に、ヘビメタ騒音が原因なんだよ。ヘビメタ騒音が鳴っていて、鳴っているあいだ、怒って疲れる。どれだけ、怒らないようにしても、責め立てるように、がんがんがんがんがん、ヨソの家では絶対に一分だってあり得ないようなばかでかい音でヘビメタが鳴っている。これが、どういうことだかわかるか? わからないと思う。

そりゃ、そういう一日を「実際に」経験した人じゃないとわからない。それから、そういう一日が、五〇〇〇日(以上)続いた人じゃないとわからない。これ、「そういう話しを話しとして聞いた人」と「実際に経験した人」ではちがうんだよ。量がちがう。体験がちがう。聞いてわかった人の理解というのは、聞いてわかっただけの理解だから、理解の質がちがう。話しとして理解しただけだから……。

この体験の差が、どこまでもどこまでも、俺と他人の人間関係に影響を与える。ヘビメタ騒音はそういう呪いなんだよ。誠におそろしいのは、ものについている「霊」じゃなくて、現実の人間(兄貴)がやったことだ。気違い兄貴にしたって、よその家じゃ一分だって鳴らせない、ヘビメタ騒音を、うちでは、すべての可能な時間鳴らしてたんだからな。こんなのゆるせるか? やられて、影響を受けないなんてことはないんだよ。影響を受けないように、あるいは、ヘビメタ騒音にうち勝つように、どれだけの努力をしたと思っているだ?


他の人は、そういうことがまったくわかってない。聞いて理解しただけの人はそういう、俺の地道な努力がまったくわかってない。俺の、いまの症状は、そういう地道な努力の結果なんだよ。

それでも、「気にしないように努力すればいい」「過去のことは現在のことに影響を与えない」などと言いやがる。これが、どれだけ、失礼なことかわかってない。ああっ! そういうところも、溝があるよ。でっかいでっかい溝があるよ。ふっかいふっかい溝があるよ。ヘビメタ騒音一時間で、他の人が一生のなかで経験する「いやなこと」をすべて経験しているような状態だ。いてもたってもいられない。

だれもが、おなじ経験をしたら、ヘビメタ騒音が原因で、いろいろなトラブルに見舞われることになるだろう。それは、「俺だから」ではないのである。けど、おなじ経験をしてない人にはわからない。本当にヘビメタ騒音が原因でこまっているのに、他の人は、ヘビメタ騒音の影響を過小評価する。どうして過小評価するかというと、経験してないからだ。経験すればわかる。

親友に「エイリがどんな目に遭ったか知っているけど……」と前置きされて、「どうにかならない?」と言われたときの気分がわかるか? 知っている人に言われたということがデカイ。デカすぎる。デカすぎるんだよ。「なにも言えなくなってしまうだろ」と言ってたけど、「ヘビメタ騒音にやられても立ち直ってくれ」ということ以外の話しはいくらだってできるだろ。

本当に気違い兄貴。気違い兄貴がこだわりきって、鳴らした騒音のせいでひどい目に遭っているよ。親父がこだわったハンダゴテのせいで、…『見分けがつかないバカ』のように言われたり、『ちゃんと説明ができないバカ』のように言われて、腹が立って傷ついただろ。(兄貴が、友達から、「これが使えると思っているなんておかしい。そんなこともわからないなんておかしい」と言われたということ。兄貴が、先生や友達から「お父さんにちゃんとハンダゴテのことについて説明することができないバカだ」と思われたということ。)

当の親父は、まったくそんなの知らないだろ。どれだけ言ったって「言われなかった」と思っているよ。

まさしく、それが、気違い兄貴の状態なんだよ。気違い兄貴の態度なんだよ。あれだけ昂然と、やっていることを無視してやりやがって。なにもやったつもりがないんだからな。どれだけ意地に鳴って相手が言っていることを否定したか、本人がまったくわかってない。これ、本当、言われなかったわけじゃなくて、言われたけど、本人が(相手の言っていることの意味を)よく認識する前に、頑固にはねのけたから、本人の主観としては(言われた内容について認知してない)状態なのである。

けど、無意識的にはもちろん、認知しているんだよ。どうしてなら、「怒った」からだ。怒るという反応があるということは、相手が言っていることが一時的な意味では?わかったということだ。わかったから、「なんだ!そんなのぉ!!」と興奮して、否定するのである。

わかってなかったらそういう反応があるはずがない。

「そんなの、なんだぁ」と怒り狂っているときは、自分がやったことが原因で、相手が(他人から)悪く言われたということがわかっているはずなのである。一瞬はわかったはずなのである。

で、一瞬はわかったのだけど、……これは、意味がわかったというわけで、自分が本当にその原因になっているということは、認めたわけじゃない……ただ単に、相手が言っていることの意味がわかったということだけだ。けど、「自分が不都合なことを言われた」というのは、わかるのである。もし、相手が困ったということを認めると、自分の行動に制限ができてしまうのである。兄貴なら実際に音を落とさなければならなくなる。あるいは、ヘッドホンをしなければならなくなる。……そんなのはいやだ!!! という、気違い的な、発狂的な、第一優先の無意識があるんだよ。

だから、はねのけてしまえば、そのあとのことについては一切合切考える必要がなくなるのである。これは、意地を通してやり続けるためには必要な行為なのである。「そんなの、なんだぁ」と叫んだ瞬間に言われたことを忘れてしまう……言われなかったことにしてしまう……というのも、意地を通してやり続けるためには必要な行為なのである。

問題なのは、それが意識の過程にのっているわけではないということだ。要するに、本人はまったくそのつもりがないまま、ひたすらそうするということになってしまう。

「なんだぁ!!そんなのぉ!!!」と叫んだあとは、なにも言われなかったことになってしまうで、本人は、夢中になってその問題行為をすることができるのである。

これは、叫ぶことが「なんだぁ!!そんなのぉ!!!」じゃなくて、「やってないやってない」でもおなじだ。

「やってないやってない」と叫んだあとは、その当の行為(やってないと言った行為)を夢中でやり続けることができる。それでも、「言われたことになってない」ので、相手を傷つけているつもりはまったくないのである。ようするに、相手が「こまるからやめてくれ」といったことを、そのまま続けても、まったく心が痛まない。相手が「こまるからやめてくれ」と言ってきたという記憶がなくなっている。相手は、なにも言わなかった……言ってこなかったという記憶のまま、その当の行為をやり続ける。

夢中になって、もちろん、「自分が思ったとおりのやりかたで」やり続けるのである。そりゃ、「自分が思ったとおりのやりかたでやる」ということに、気違い的なこだわりがあるので、ほんのちょっとでもゆずらない。

気違い的なこだわりを維持して、それでも、ゆずってやったという体裁を整える? ために、まったく無意味な譲歩をする。その譲歩だって、気違い側は、ものすごくやってやったと思っているのだけど、相手にとっては「ふざけるな!!」と言いたくなるような行為なのである。

気違い兄貴だって、気違い親父にやられて、怒ってたのに、自分が弟にやりつけるときは、気違い親父以上にこだわって、気違い親父以上に相手の状態を無視してやりきる。

だから、やっているのだけど……夢中になってやっているのだけど、本人はまったくつもりがない状態なのである。これは、一日に何十回言われたって、一回も言われなかった状態とおなじ状態で夢中になってやりきるということなのである。だから、気違い兄貴は夢中になって、「ヨソじゃ絶対にあり得ないようなばかでかい音で」ヘビメタを鳴らし続けるのだけど、鳴らし続けているあいだ、あたかも「ぜんぜんヘビメタを鳴らしてない」と思っているような状態が続いているのである。

で、一日に一三時間鳴らせるなら、絶対の意地で、一三時間鳴らすし、一三時間のうち一三時間かならず、「ヨソじゃ絶対にあり得ないようなデカイ音で鳴らすのだけど、「鳴らしたたつもりもない」し「そんなにデカイ音で鳴らしたつもりもない」という気違い認知が成り立ってしまうのである。

ああ~~、ちなみに、その日に何十回「やめてくれ」と言われても、まったくなにも言われなかったという認知も成り立っている。一日の終わりは、まったく、迷惑行為をしなかったという認知になってしまうのである。それが毎日繰り返されれば、五一〇〇日繰り返したとしても、一日もそんなことはしなかった。一回もそんなことは言われなかったということになってしまうのである。

そういう、他の人が考えられない気違い的な状態が……気違い的な状態でやる行為が、どれだけ他の人と俺の縁(えん)をさくと思っているだよ? これは、ほんとうにわからないよな。気違い親父が、兄貴のことを心配できなかったのとおなじで、兄貴は俺のことを心配することができない。他の人にくるしめられているならそれでいいけど、俺は、俺は兄貴にくるしめられているんだよ。

兄貴が夢中になって、一日中執着してやっている行為で、こまっているんだよ。兄貴が執着して、デカイ音でヘビメタ騒音を鳴らしているからこまっているんだよ。俺はさんざん言ったぞ。気違い兄貴は、ハンダゴテのときの親父の状態で、否定してわからなかっただけだ。

言わなかったわけじゃないのである。「言わなかったわけじゃない」ということが、(気違い兄貴は)根本からわからないだろ。それは、兄貴の頭が親父の頭とおなじだからだよ。

やってるんだよ!! 意地になってやっているんだよ!! 何回も何回も「やめてくれ」と言われているんだよ!! 現在進行形でやっているとき……現在進行形でやっていた期間……毎日ずっと、そういうかたちで、やりきったことなんだよ。「知らない」わけないだろ。

知らないわけがないのに、へーーきで「そんなの知らなかった」とか言い出すんだよ。それは、当時のそういう態度とおなじなんだよ!!!

当時からそういう態度で、ずっと鳴らしてた。ずっとデカイ音で鳴らしてた。

   *   *   *

俺が働けなくなったのは、ヘビメタ騒音時代に繰り返した、地道な努力の結果なんだよ。俺が一定の時間に通勤することができなくなったのはヘビメタ騒音時代に繰り返した、地道な努力の結果なんだよ。それなのに、俺がちょっと努力すれば働けるようになると思っている人たちがいる。俺がちょっと努力すれば一定の時間に通勤することができるようになると思っている人たちがいる。逆。真逆。どんだけのことが、繰り返されたか。どんだけのことが繰り返されたか、その人たちは、わかってないだけ。自分の体験を通して、わかってないだけ。見立てが最初から間違っている。けど、『他人』であれば……つまり、他の個体であれば、簡単に間違う。そして、その間違いを認めない。その人なかでは、(俺)は『ちょっと努力すれば働けるようになるのに、働こうとしない悪い人間(サボっている人間)』なのだ。こういう、(その人の)自我に根ざした勘ちがい。意見のちがい。見立てのちがい。

2018年11月9日金曜日

どれだけ言われても、相手がこまるということは、絶対に認めない……認めずにやりきる……やりきるけどやってないと思っている

気違い兄貴にわかりやすいように言っておく。

親父が、『ハンダゴテが使えないんじゃ、兄貴がかわいそうだ』と思わなかったのとおなじなんだよ。兄貴が『ヘビメタ騒音がデカくて、勉強ができないんじゃ弟がかわいそうだ』と思わなかったのと、親父が『ハンダゴテが使えないんじゃ、兄貴がかわいそうだ』と思わなかったことは、おなじことなんだよ。

まったくおなじ。

本人が、そう思わなかっただけ。

で、どれだけ言っても、通じない。通じなかっただけなのに、『まったく言われなかった』と思うところまで、そっくりだ。

自分がおしつけている……ということが、わからない。で、自分にとって不都合なことを言われたので、怒るという反応をまず返して、そのあとは、まったく言われなかったのとおなじ態度で、やり続ける。兄貴のハンダゴテ場合、まず、親父が物置から出してきたハンダゴテがエレクトロニクス工作に使えるのかどうかの議論があった。これは、議論と言うよりも言い合いだ。言い合いというよりも、喧嘩だ。で、親父は最後の最後まで、親父が親父が物置から出してきたハンダゴテがエレクトロニクス工作に使えないということを認めなかった。

これは、気違い兄貴が、ヘビメタ騒音がデカい音で鳴っている(ヘビメタノ音がデカイ)ということを認めなかったこととおなじだ。そのまま押しつけていたら、相手がこまるということが、まったくわからないのである。気違い兄貴も気違い親父も。気違い兄貴の方が程度がひどい。自分がやってることと、自分がやっていることで相手が文句を言ってきた(相手が困っているということが)どうやっても、結びつかないのである。言われた後、一秒で忘れる。言われた後、「怒ったら」一秒で忘れる。「言われたって言われてない」状態が成り立ってしまうのである。

だから、入試の二日前だろうが、一日前だろうが、自分がその日一三時間鳴らせるなら、どれだけ(弟が)「デカイ音で鳴らさないでくれ。デカイ音で鳴らされると入試でこまるからやめてくれ」と言われても、気違い親父が、「ハンダゴテは使えない」と言われたときの態度とおなじ態度で否定して、忘れてしまうのである。自分がそういう状態を「おしつけている」ということがわからない。自分が続けたら、相手がこまっている……その状態……が続くということが、とことん、わからない。

これは、どれだけ言われたってわからないわけで、「自分が不快なことを言われた」という感触しかない。相手のことは、どうだっていいのである。これも、いちおうは、相手のことを考えて、そのあと「どうでもいい」という結論を出したというわけではなくて、なんて言うのかな? そういう思考がはじまる以前の段階で、どうでもいいからどうでもいいという結論を出したというような状態なのだ。これ、本当に、思考がかかわってない。自分が不愉快なことを言われたから、「めっちかち」になって、否定しているだけなのである。

親父は「使える使える。だいじょうぶだだいじょうぶだ」で、兄貴は「こんなのたいした音じゃない。だいじょうぶだだいじょうぶだ」なのである。両方とも、認めてしまったら、自分がこまることは、即座に、否定して、それで、怒ったら、忘れてしまうのである。自分がこまることを言われたら、怒るのである。一〇〇%怒りという感情がしょうじる。不愉快なのである。

親父にしてみれば、自分が出してやったハンダゴテが「使えない」と言われるのが、ものすごく腹が立つことで「使える使える」とわめきちらしたら、それでおしまいなのである。兄貴にしてみれば自分が本当に静かにしてやらなければならないのは、絶対にいやなので、「本当にちゃんと静かにしてくれ」と言われたら、「静かにしてやったのになんだ」と怒り狂ったら、それでおしまいなのである。兄貴は親父よりも気違いで、無言で鳴らしたりする場合の方が多い。顔真っ赤にして、目を三角にして、ともかく無視して鳴らしやがるのである。

で、本当は、「ちゃんと静かにしてない」にもかかわらず、自分がほんのちょっと音を落としてやれば、それで、ゆずってやったつもりになってしまう。その譲歩が譲歩ではない譲歩でこまる。そんなことをやられても、こまるというような譲歩だ。

気違い兄貴の譲歩というのは、まったく意味がない譲歩で、「よその家じゃ絶対にあり得ないようなどでかい音」で鳴らし続けている。気違い兄貴がゆずってやった(つもりになっている)わずかな時間も、「よその家じゃ絶対にあり得ないようなどでかい音」で鳴らし続けている。

だから、本当は、ゆずってやったわけじゃないのに、自分がやってやりたいやり方で、相手の感情を無視してゆずってやれば、本人のなかでは、ものすごくゆずってやったことになってしまうのである。

たとえば、入試の前日でも、その日が日曜日で本人が、ずっとうちにいて鳴らせる状態なら、俺が、どれだけ「明日、入試だからやめてくれ。ヘッドホンをしてくれ」と怒鳴り込んでも、気違い的な意地で鳴らし続ける。一三時間鳴らせるなら、ぴったり、一三時間鳴らして、一秒もゆずらない。気違い兄貴が、五分間、「静かにしてやったつもり」で、「気違い的にでかい音で」鳴らす。そうしたら、気違い兄貴のなかでは、一日中静かにしてやったのとおなじことになってしまう。親父のハンダゴテとおなじなのである。「やってやったんだからもういい」ということになってしまう。

だから、五分間、気違い兄貴が、ゆずったつもりで、「よその家じゃ絶対にあり得ないような」デカイ音で鳴らしたあと、六分目からは一二時間五五分、ずっと、「よその家じゃ絶対にあり得ないような」デカイ音で鳴らし続けるのである。一三時間鳴らせるなら一三時間「自分が思ったとおりの音で」鳴らすことに命がかかっているんだよ。だから、ものすごくこだわってこだわって、こだわって、絶対にゆずらないで鳴らす。鳴らし切る。

それなのに、本人は、「一日中ゆずってやった」という気持ちになっている。「明日、入試なのに、こんな音でずっと鳴らしていたらかわいそうだ」なんて、一切合切考えないんだよ。五分間、本当は、デカイ音で鳴らしているけど、気違い兄貴のなかでは、最大限ゆずってやった気持ちで鳴らしてしまえば、あとは、もう、「静かにしてやったんだからいい」というきちがい的な理由で、頑固に鳴らしてゆずらない。一秒だってゆずらない。

入試の前日ですらこういう状態だ。俺がどれだけ「騒音でこまる。ヘッドホンをしてくれ」と言っても、ハンダゴテの気違い親父状態で、絶対に認めないで鳴らし切るんだよ。気違い兄貴は鳴らし切るんだよ。鳴らし切ったということは鳴らし切ったということなんだよ。ところが、そうやってやったことは、全部やってないことなのである。本人にとっては、まったくやってないこと……とおなじこと……なのである。

これも、親父とおなじだ。何万回、何十万回、数千日にわたってやったことでも、「そんなんぜんぜんやってない」という主観を持ってしまう。やっているときからそうなんだよ。

本当は、「うるさいからこまる。勉強ができないから、静かにしてくれ」と一日に何十回も言われているのに、そういう数千日が続いているのに、トータルでは一〇万回以上言われているのに、「そんなのぜんぜん知らなかった」という主観を持ってしまう。気違い的な認知が成り立っている。本人がそう感じていたら、本人のなかではそうなんだよ。だから、いまでも、気違い兄貴のなかでは「言われなかったから、気づかずにやってしまった」というようないいわけが成り立つ。

知らないわけがないんだ!!!

けど、本人はそうなんだよ。「知らなかった」とか言ってられる構造が、当時、(何十万回も言われたのに、無視して)やり続ける構造とおなじなんだよ。そういうことができる構造とおなじ。そういうことができる認知とおなじ。

(注解)「めっかち」はぼくがつくった造語で、目を真っ赤にして、目を三角にして、つんのめるように夢中になって」という意味。


気違い兄貴は気違い親父と頭の構造がおなじだから、どれだけ言ってもわからないと思うけど、「やってない」わけじゃなくて「やりつづけた」。それから、俺(弟)は、ずっと言い続けたわけで、気違い兄貴はずっと言われ続けた。「言われてないから知らなかった」なんてことはないんだよ。怒って鳴らしてただろ。怒って、鳴らし続けていただろ。俺が「宿題をするからヘッドホンをしてくれ」と言ったとき、そのあとずっとヘッドホンをしてヘビメタを聞いた日は、いったい何日あるんだ? ゼロ日だろ。俺が「宿題をするからヘッドホンをしてくれ」と言ったあと、兄貴は、「ヨソじゃ絶対にあり得ないような」爆音でずっとヘビメタ鳴らし続けた。鳴らしているとき「このまま鳴らしたら、弟は宿題ができなくてこまるだろう」なんてことは、考えないんだよ。それは、親父が、使えないハンダゴテを押しつけて「あのハンダゴテじゃ、授業を受けらなくてこまるだろう」なんてことを考えないとおなじなんだよ。まったく気にならないのとおなじなんだよ。自分のことしか考えてないから、気にならない。「気にする」ということに失敗する。それとおなじで、本当は、ものすごく迷惑な音でヘビメタを鳴らしてたんだけど、「こんなデカイ音でヘビメタを鳴らしたら、勉強ができなくてこまるだろう」ということを考えなかったのとおなじだ。自分がヘビメタを鳴らしたいという気持ちがあるから、それでこまる人のことは考えることができない。気にするということに失敗する。どれだけ言われても、本当に「気にならない」のである。「こまるからやめてくれ」と言われても、本当にまったく気にならない。それは、親父が、兄貴がハンダゴテでこまるというのを気にしなかったのとおなじなんだよ。兄貴はちゃんと言ったけど、親父は気にならなかった。同様に、俺はちゃんと言ったけど、兄貴は気にならなかった。気にすることができなかった。俺が言っていることを、気にすることがまったくできなかった。だから、鳴らした。気がつかないつもりのまま鳴らした。俺はちゃんと説明した。気違い兄貴が親父に説明したのは、二回だ。俺が兄貴に説明したのは、二〇万回だ。ぜんぜんちがう。どれだけ言われても、「親父の態度で」気にしなかった。気にならなかった。気にすることができなかった。どれだけ、言われても、気にすることができなかった。それが、一五年間の、事実だ。毎日おなじだ。気違い親父の頭とおなじ構造の頭を持つ兄貴が、ある日突然気にしてくれて、そのあとずっと気にしてくれたなんてことはないんだよ!! 最後までやりやがった。途中で頭が「かわる」わけがないだろ。親父は親父の頭を持っているし、兄貴は兄貴の頭を持っている。兄貴の頭である以上、かわらないんだよ。うちでやるかぎりかわらないんだよ。どれだけこっちが言ったって、親父のようにかわらないんだよ。親父のようにかわらずに、親父のように、頑固に気違いヘビメタ騒音を押しつけて、まったく、押しつけたつもりがない。つもりがないだけで、四六時中!!押しつけている。すべての可能な時間を使って、ヘビメタ騒音を鳴らしていた。気違い兄貴がうちでヘビメタ騒音を鳴らすなら、気違い兄貴が静かにしてやったつもりの時間も含めて、かならず、気違い的にデカい音で鳴らしたんだよ。兄貴がうちでヘビメタを鳴らすのに、小さい音で鳴らしたなんてことはないんだよ。普通の音で鳴らしたということも、一五年間で一分も、ないんだよ。一日に一分じゃなくて、一五年間で一分もない。ヘビメタを鳴らすなら、かならず、ヨソじゃあり得ないようなデカイ音で鳴らしていた。

「そんなつもりはない」のは、気違い兄貴が気違い親父とおなじ頭を持っている可視、わからないだけなんだよ。本当は、気違い的な意地で一秒だってゆずらないでやったことを、今度は、気違い的な意地で否定する。「やってないやってない」と言い出す。そう言い出したら、もう、聞かない。これは、矛盾してない。そういうやつだから、そういうことを言い出す。


2018年11月8日木曜日

自分が思いついた「やってやりたいこと」しかやってやらない


本人のなかでやってやりたいことをやってやれば、それで、本当に一〇〇%やってやったことになってしまうというような性格傾向がある……親父と兄貴には。ようするに、勝手に「やってやりたいこと」を思いついて、それしかしない。

相手が「やってくれ」と真剣に頼み込んでいることは絶対にやってやらないのだ。相手が「やってくれ」と言っていることを、気違い的な解釈で誤解して、「自分が思いついたことを」やってやるということになる。

相手にしてみれば、「それを」やられると、もっともっとこまるわけで、ぜんぜん解決にならない。むしろ、やっかい事が増えた状態だ。こまった状態なのに、さらにこまった状態になる。こういうことが、おこってしまう。

ハンダゴテ事件の場合、親父の「やってやりたいこと」が、「自分の物置からハンダゴテを出してやる」ということだった。で、ハンダゴテを出してやったら、それで、終わりなのだ。もし、「これじゃない」「これは使えない」と言ってくる相手がいるとしたら、その相手が悪いということになる。「使えない」ということを絶対の意地で認めない。自分がよくわかってなくても、絶対の意地で認めない。最初から!!事実とは関係なく、親父のなかでは、使えるハンダゴテだと決まっているのである。で、それを、相手がくつがえすことはできない。

「ちゃんとやってやったのに」→「相手ががたがた文句を言ってくる」……ということで怒る。やってやりたいことは、物置にあるハンダゴテを持ってきてやるということであって、それ以外ではない。気違い兄貴は、当時、中学一年生で金を儲けるわけにはいかなかった。※親父に頼むしかない※のである。

だから、親父が首を縦に振らなければ、「ちゃんとした」ハンダゴテを学校に持っていくのは不可能だということになる。そして、親父は、(兄貴が)学校にちゃんとしたハンダゴテを持っていけない状態を、作り出している。そういう状態を頑固に押しつけている。

もちろん、発狂して頑固に、「使えないハンダゴテだ」ということを認めなくても、「押しつけている」とは(親父は)思ってない。これも、言われればわかることではなくて、※その場では※どれだけ、「親父がそういう態度で使えないハンダゴテを押しつけるのでこまる」ということを相手(ここでは兄貴)が言ったとしても、「そういう態度で使えないハンダゴテを押しつけて、相手をこまらせているということ」は……「使えないハンダゴテだということを認めない」のと同様に認めない。

この「みとめなさ」は「いのちがかかったみとめなさ」だから、普通の人が考えるような「みとめなさ」ではない。全力で、命をかけて否定するわけで、本当に、殺人的な心的エネルギーが投入されている。なので、そういうことを、認めるか認めないかについても、殺人的な「いじ」がかかっている。

兄貴がやって欲しかったことは、「金を渡してくれ」ということだった。要するに、金をもらったら、それで、自分でエレクトロニクス用のハンダゴテを買ってくるから、金をくれというのが兄貴が要求したことだった。

で、気違い親父が出してきたハンダゴテがちゃんとエレクトロニクス工作に使えるものであればよかったんだけど、そうじゃない。で、その場合、ちゃんと兄貴が説明しているのだから、『このハンダゴテではだめだ』ということを親父が認めればいいだけの話だ。普通の親だったら、……あるいは、普通の大人だったら絶対にわかる話しなのである。学校に持っていくハンダゴテを買うのだから、悪いことに金を使うわけじゃない。

……ヘビメタ道具を買うという悪いことに金を使うわけじゃない。ヘビメタ道具を買うのは悪いことである。その道具を使って、他の家では絶対にあり得ない騒音を出し続けるという前提で買うのだから、人を刺すためにナイフを買うのとおなじで、悪いことだ。

まあ、この話は抜きにして、元の話を続けると……使えるハンダゴテか使えないハンダゴテかということを見わけるのは本当は、簡単なことなんだよ。三角と丸を見分けるのとおなじぐらいに簡単なことなんだよ。それに、(エレクトロニクス工作用に使うハンダゴテを)知らないのであれば、知らないのだから、『絶対に使える』『だいじょうぶだだいじょうぶだ』と主張しなければいい。

現実は、絶対に使えないハンダゴテなんだけど、※親父の妄想のなかでは※、※絶対に使えるハンダゴテ※なのだ。で、そういうところで、スイッチが入ってしまうと絶対にゆずらない。何万回言っても、絶対に認めないということになる。そういうことが、他の人にはわからないから『ちゃんと説明しなかったおまえ(兄貴)が悪い』ということになる。

親父の頭のなかでは、「使えるハンダゴテ」でなければならないので、他人(相手が)どれだけ説明しても、頭の中で、最初に決めた答えが、かわらない。相手の説得によって、最初に決めた答えがかわるということが、ない。けど、そういう頭の構造を持っているということは、家族以外の他人にはわからない。あとは、親父自身がわかってないところがある。

で、兄貴もまったく親父とおなじで、自分がやってやりたいことしかしない。そして、それが、相手にとってどれだけ意味がないことであったとしても、相手にとって意味がないことだということを、認めない。相手が、必死になって、どれだけ、説明しても、(親父のように)怒るだけで、認めない。本人が認めなければ、どれだけ言われても、言われたことにならないのである。本人が認めなければ、どれだけ「事実」であったとしても、本人のなかでは、「事実ではない」ということになる。

こういうしくみも、親父と瓜二つ。まったくおなじなんだよ。兄貴は、ハンダゴテ事件や他の事件で、おやじこそういうことを、何万回もやられて、そういうことをやられたときの悔しさやいらだちがわかっているはずなのに、俺には、そういうことを、親父の態度で何十万回もやった。何十万回もやるわけだよ。

自動的にそうなる。

毎日、自動的にそうなる。
毎日、自動的にそうしている。

親父が兄貴にやってきたそういう、きちがい行為の回数を一〇〇だとすると、兄貴がヘビメタ騒音だけで俺にやったきちがい行為の回数は、一不可思議ぐらいの値になる。自分がやられて、頭にきたことを、俺にそのままのかたちでやり返す。やりまくる。

もちろん、そのままのかたちなので、本人のなかでは、何万回、何不可思議回繰り返しても、一回もやったことにならないのである。親父と頭の構造がおなじなので、自分がやりたいことを(自分が相手にやってやりたいことを)やってやったら、それでおしまいなのである。

で、その「自分が相手にやってやりたいこと」というのが、相手にとっては、許しがたいことなのである。「自分が相手にやってやりたいこと」というのは、相手の話を聞いて「勝手に自分が思いついたこと」なのである。で、その「勝手に自分が思いついたこと」というのは、相手にとっては、かならず、意味がないことなのである。相手にとっては、かならず、屈辱的なことなのである。

それは、どうしてかというと、相手が本当に要求していることは、がぜん無視して、逆にこまることを押しつけてくるということになるからだ。

で、これが最初から「きまっている」のである。

親父のハンダゴテのように、決まっている。親父は、ハンダゴテを買うお金を出したくなかった。だから、親父が物置からハンダゴテを出してきたときには、そのハンダゴテは現実を無視して、使えるハンダゴテだということになっていた。(親父なかでは、なっていた)。

で、どれだけ言っても、それは、くつがえらない。親父がやってやりたいことは、家にあるハンダゴテを出してやるということであって、新しいハンダゴテを買うために金をやるということではないから!! 新しいハンダゴテを買うために金をやるというのは、死んでもいやなことなのである。最初から、死んでもいやなことなのである。

だから、現実には関係なく、家にあるハンダゴテは絶対に使えるものでなければならないのである。現実には関係がないので、どれだけ相手が説明しても無駄なのである。兄貴がやりたいことは、「どデカイ音で思いっきりヘビメタを鳴らしたい」ということなのである。

だから、それに反することは、絶対にできないのである。親父とおなじで、現実を無視してやることに決めていることだから、相手が言っているように「ちゃんと静かにしてやる」ということは、絶対にできないことなのである。だから、相手がどれだけ、「本当に静かにするというのはどういうことか」ということを説明しても、認めない。

親父の態度で親父とおなじように認めない。

「そんな譲歩じゃ、静かにしたことにならないから、ちゃんと静かにしてくれ」と言われた兄貴は、「そんなハンダゴテじゃだめだから、新しいハンダゴテを買うための金をくれ」と言われた親父のように、「そんな譲歩じゃ、静かにしたことにならない」ということを絶対の意地で認めないのである。絶対の意地で認めなかった期間は、一四年と五ヶ月だ。あしかけ、一五年間だ。一五年間毎日、どれだけなにを言われても、こういう基本的なことを、絶対に認めなかった。

命がけで認めなかった。

認めてしまったら、本当に静かにしなければならなくなる。それは、死んでも、いやなのである。だから、発狂して、はねのける。親父のようにはねのける。親父が兄貴の要求をはねのけたように、兄貴は俺の要求をはねのける。親父は何回繰り返しても、実は、兄貴の要求を(自分が)はねのけたという基本的な事実を認めなかったのだけど、兄貴も、(弟の要求)を自分がはねのけたということは、一五年間、認めてない。

毎日頑固にやっていることなのに……一五年間にわたって、気違い的な意地で繰り返し繰り返しやっていることなのに……一回もそんなことをしたつもりはないということになっている。兄貴の認知としては、一回もそんなことはしたことがないという認知なのだ。

で、これも、絶対に認めない。いまだに、何十年経っても認めてないよ。「自分が親父みたいだったなんて、そんなことはあり得ない」「静かにしてやった」と思っているわけだよ。あんな態度で、一五年間、毎日鳴らし切って、そういう認知なんだよ。

こんなやつが、「やっているとき」に認めるわけがない。「やっているとき」というのは、「やりたいとき」なんだよ。「やりたいとき」に「自分の行為で相手が困っているということを認めてしまったら」できなくなってしまうだろ。そんなことは、最初から認めないことになっているから、認めない。

そして、認めなかったということも、認めない。認めなかったというとを認めるということは、あり得ない。そういうふうに、時間階層的に、時間入れ子構造的に認めない。これは、兄貴も親父もおなじだ。まったくおなじ。本当に全部おなじ構造でやっている。脳みその構造がおなじでやったことがまったくおなじなんだよ。ハンダゴテとヘビメタのちがいはあるけどやったことはおなじ。

自分が思いついた「やってやりたいこと」しかやってやらない。けど、そういうことでも、やってやったら、すごいことなんだよ。ものすごく恩着せがましく、まったく役に立たないことを「やってやる」ということになる。まったく役に立たないどころか、こまるんだよ。相手がこまる。兄貴も親父も相手がこまることしか思いつかないし、相手がこまることしかやってやらない。

けど、自分がやってやりさえすれば、それで問題が片付いたと思ってしまうのである。で、「問題が片付いたわけじゃない」ということを、(相手)がどれだけ説明しても、発狂して認めない。そして、認めないということも、認めなかったということも、認めないということになる。やりっぱなし。ごり押しで、やりっぱなし。やり続ける。気違い的な意地で発狂してやり続ける。

だから、実際には、やり続けたのに、今度は、やり続けたということを、発狂的な意地で認めないということになる。一度そうなったら、相手が、その考えを修正するということは、できない。

それは、他の人が、統合失調症患者の妄想を修正できないのとおなじだ。けど、それが、他の人にはわからない。(うちにいる人以外はわからない)。なので、他の人は「家族で話し合えばいい」などという無茶なことを言う。「ちゃんと説明すれば絶対にわかるはずだ」というようなことを言う。「ちゃんと説明しないからだめなんだ」というようなことを言う。けど、それでは、「うちのなか」の現実を説明できない。


「あれを、まったくやってないつもりで、やったのか」みたいな気持ちにはなる


2018年11月08日02時17分36秒
起きた。実際には20分ぐらい前に起きて、いろいろやっていた。
水分補給、ブラウジングなどいつもの定番。
まだ、ごはんは食べてない。フルーツゼリーをひとつ食べておしまいにしようかなと思っている。味噌汁は、冷えたのを飲んだ。これは、寝る前につくって、一口飲んだんだけど、そのあと歯磨きをする気になったので残しておいたものだ。まあ、電子レンジであたためればいいわけだけど、それも、めんどうくさい。たまには、冷えたのもいいだろうと思って飲んだ。
まあ、具なしなので、あたたかい具なし味噌汁と、大差ない。

また、喉がかわいたので、お湯か紅茶でも飲む。

いま、さみしくてむなしい気分だが、希死念慮などはない……。
むなしく、くやしい気分です。
あれ、やっぱり、大きいんだよな。「あれを、まったくやってないつもりで、やったのか」みたいな気持ちにはなる。

隣の部屋の電灯をつける。これは、無駄なんだけど、なんとなく、さみしくなくなる。蛍光灯の電球色という、かわったものを使っている。黄色っぽい電気が横からプラスされると、なんとなく安心感を感じる。

2018年11月7日水曜日

本当にろくでもない「ちゃちゃ」でしかない


いま、俺が考えていることは、こっちにも書けないことだ。ヘビメタ騒音でむなしい。
犬、いまは吠えるな!
ヘビメタ騒音のことが頭にあるとき、吠えられると頭にくる。
ところで、俺はやっぱり、しあわせがない。このまま、ヘビメタ騒音のことを一生抱えていくしかないような感じがする。まあ、そういうことを言うと、「一生抱えていくしかない」一生が現実化するとか、言霊信仰者が言い出しそうな感じもする。けど、ね。あなたはやられてないかもしれないけど、俺はずっと長い間やられた。あなたにはずっと問題ではなかったことかもしないけど、そして、いまですらまったく問題じゃないことかもしないけど、俺にとってはずっと問題であったことだ。そういう「ちゃちゃ」を入れるのはやめろ。こんなの、本当にろくでもない「ちゃちゃ」でしかない。ああいう態度で、学生時代をふくんで、毎日、一四年と四ヶ月にわたってやられて、いいわけがない。人生に影響を与えないわけがないだろ。

2018年11月6日火曜日

ヘビメタがぁ。至近距離でずっと、ガンガン鳴ってた


外壁用パティを買うかどうかまよっている。まだ、穴がふさがってなかった。昨日の夜、内側のあそこの部分をやった。(いちおう記録なので、あそこでいい。洗濯機の下の部分だ。)

今日はもう、洗濯をしたのでそういう作業はやらない。雨が降ってきそうだし、晴れた日にやらないと意味がない。

で、まあ、階段掃除をしたのだけど、やっぱり、むせるんだよな。ほこりアレルギー。むせるような気分がする。階段掃除に関しては、なんかもっといいやりかたを考えるしかない。足でやるのはいいアイディアなんだけど、今日は、手でやってしまった。どういう順番でやればいいのかわからない。

ともかく、外側の壁?の穴がふさがってないことを確認したので、気分が落ちている。まだ、たりなかった。

外壁用パティは、時間指定ができないので、問題児なんだよ。チャイムがふたつあって、まるまる用は下のチャイムをおすように、但し書きをしてあるのだけど、みんな無視して、上のチャイムをおしてしまうんだよな。
再配達の場合は、時間指定便になる。事実上。けど、これは、あんまりよくない。眠っている場合、上のチャイムをおされると、気がつかない。起きていれば別なんだけどな。

ともかく、ネットが再開したら、あれをやってこれをやって、と思っていたけど、たいしたこと、やってない。実は、整理ボックスを注文しておいた。これは、時間指定できるので、時間指定した。時間指定があれば問題はないんだけどな。

あっ、そうそう。今日は、松屋で牛丼・並と漬け物を食べた。ミニサラダより漬け物の方がいいかと思って……。うまかった。基本、うまかったな。あとは、ローソン100で、『ショコラケーキ』というの買ってしまった。これもけっこううまい。柿のタネも買ったので、柿のタネも食べた。これも、ナイス。

さらに、ドクターペッパー(ペットボトル)を買って、飲んでしまった。いま、炭酸水(ペットボトル)を半分まで飲んでいる。

あっ、そうそう、行くときになって『帽子がない』ということに気がついて、探していた。その探していたときに、ある程度、ちらかった。もう、すでに(服が)ちらかっている。整理ボックスは、服を入れるために買った。夏物を入れるボックスにしようかなと思っている。けど、ちょっと、よく考えないと……。帽子は見つけたんだよね。けど、かぶらないで出た。帽子の所定位置は、三畳間の方だから。(隣の部屋のことを三畳間と呼ぶことにする)。モデムだけ出して工事をしてもらった部屋。WiFiがついちゃうから、電磁波のことが気になったけど、心配する必要はないようだ。まあ、まだ、WiFiを使ってないけど。使わなければだいじょうぶかなと思ったけど、電源が入っているだけで、電磁波は出ているだろうからな。まあ、モニターの方が強い電磁波が出ているから、問題はないな。問題なのは、ヘビメタ騒音だったんだよ。いまでも、それでだるいんだよ。電磁波の問題じゃないんだよ。

どうするかなぁ。いろいろ……。WiFiがついているなら、スマホはいらないかな? 追加料金はなしだって……。

幼稚園の子供たちがきーーきーー、さわいでいる。本当に、複数で同時にさわいでいる。まあ、それは、いい。本当に、幼児?こども?ってきーーって、意味もなく、さわぐなぁと思ってさ。ずっと、奇声をあげて、走っているような感じだ。子供の奇声は問題はない。距離の問題だ。本当に一〇メートルでも離れているとだいぶちがう。一五メートルならさらにちがう。外壁と打ち壁を隔てて一五メートル離れていたら、ヘビメタ騒音もどうにかなってたんだけどなぁ……。

ヘビメタがぁ。至近距離でずっと、ガンガン鳴ってた。どうしてもそれで、引きこもり無職にならざるを得ないような状態が続いた。いまだって、通勤する仕事はできない。どんだけのハンディか?

体験してわかっている俺と、体験してない一般の人とで、感情が異なる


言いたくないけど、ねずみが出た。外壁対策が無意味だったということになる。ちょっと内側を見なおして、内側のある部分にもパティをつけておいた。

パティをつけているとき、ヘビメタ騒音の雰囲気がしたので、俺はむなしくなった。『俺はいったい、こんなところでなにをしているんだ』という気持ちになった。あとは、二〇歳頃の気分を思い出した。どれだけ言っても、静かにしてくれなかった。『あれで、静かにしたつもりなのかよ』という文句が俺の頭の中で、まわっていた。ダイヤのことにしたって、U君のことにしたって、S君のことにしたって、W君のことにしたって……全部、気違いヘビメタでめちゃくちゃだ。

他の人にはわからないだろうけど、めちゃくちゃになっていく。全部がめちゃくちゃになっていく。これは、やられればわかるけど、やらなければ、体験としてはわからない。なので、体験してわかっている俺と、体験してない一般の人とで、感情が異なる。本当に何万時間も自分のこととして体験しないと、わからない部分がある。たとえば、他人がなんかすごい病気になっていたとしよう。そして、その病気のことを聞いたとしよう。『たいへんそうだな』と思う。けど、自分がその病気を経験していなければ、知識として知っているという段階にとどまる。で、自分もおなじ病気になったとしても、また、症状や程度が違うので、けっきょくは、……他人の病気に関しては……知識として知っているという段階にとどまる。同じ体験ではないから。おなじ病気になったって、そりゃ、ちがう。ぜんぜんちがうと言ってもいい。わかったらなんなんだ?という問題もある……。
で、なんて言うのかな? AさんとBさんがいたとしよう。Bさんがものすごい病気にかかったとしよう。で、Bさんが「こういう病気にかかって、くるしかった」と言ったとしよう。で、Aさんは「Bさんはこういう病気にかかってくるしかったんだな」ということをBさんにかかわる知識として理解したとしよう。で、Aさんにとって、Bさんのことは、Aさんが蚊に刺されたことよりも小さいことなんだよ。どれだけ、AさんがBさんのことを親身になって心配したとしても、他人の人生上の問題より、いま、自分が蚊に刺されてかゆいという問題の方が、感覚的にはデカイ。それは、Aさんの感覚だからしかたがない。一匹の蚊に一カ所刺されて、かゆいという問題の方が、Bさんの人生上の問題よりも、デカイのだ。Aさんにとっては。『心配』というのはある。『気にする』というのもある。AさんにとってBさんがどの程度重要なひとかということは、『心配』の度合いに影響を与える。

今回、言いたいことがまとまらないけど、その人のことをあんまり知らなければ、自分が蚊に刺されてかゆいという感覚の方が、その人の重要な病気に関する知識よりも優先される。

うちはちがうけど、家族がなんかひどい病気になったら、普通の人は気にする。蚊にいくら刺されてたって、家族の病気の方が気になるだろう。(けど、何カ所も刺されてパニックになっているときは、家族の病気の心配は一時的に、後退する)。うちの家族なんて、本当に、本人が張本人で、本人が(別の)家族をくるしめているのに、ぜんぜん、関係がない人のつもりでいるんだよな。「おまえが、犯人だろ!!」って言いたくなる。これ、どれだけ注意されても、注意されたあとその行為をやり続けて、まったくなにも感じないんだよ。これは、親父と兄貴で、おなじ。完全に、親父の感覚を譲り受けている。兄貴は、完全に、親父の感覚を譲り受けている。兄貴が兄貴でいる限り、「そうでしかない」んだよ。そういう状態でしかない。どれだけ言っても、なにもかわらない。その構造がかわらない。その構造が相手の説得や説明によってかわることがない。だから、どれだけ説得されても説明されても、わからないまま、ずっとやり続ける。普通はやってたら、やっているということがわかりそうなものなのに、まったくなにもやってないという感覚でやり続ける。夢遊病とかじゃなくて、起きている人が、意地になってやっていることについて、そういう感覚しか持てないというのは、やはりおかしい。おかしいけど、そうだ。

病気に対して、なんか言う場合、その人が持っているその病気のイメージが重要な役割を果たす。ようは、その人が持っているその病気に関する知識が重要な役割を果たす。その知識に応じた、ティピカルな言葉を返すと思う。ひどそうな病気に関しては「それは、たいへんですね」と言うだろう。軽そうな病気に関しては「すぐになおるといいですね」と言うだろう。まあ、他にもいろいろとあるだろうけど。病気の病名と、たいへんさの度合いがだいたい対応していると思う。

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たぶん、ヘビメタ騒音のつらさは、自分が蚊に刺されたときのつらさの、一兆分の一ぐらいのつらさだと感覚されていると思う。いや、一〇兆? 一京? 一不可思議?

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何万時間やられようが、それが過去のことなら、そんなのは一切合切関係がない。(だから、働いた方がいい。働けないというのは甘えだ。)

そんなのは、お兄さんに言えばいい。言えば解決するのだから、そんなのは一切合切関係がない。(だから、遅刻するな。だから、忘れ物をするな。だから、ちゃんと宿題をやってこい。)

まあ、普通の人にこういうことを言われる『立場』に追い込まれる。これは、ポジションなんだよね。説教されるポジション。けど、そういうことを言う人たちは、ヘビメタ騒音を俺とおなじ分量、経験してない。見立てがちがっているだけなんだよ。その人たちにとって「ヘビメタ騒音病」は軽い病気か、あるいは、病気ですらない。

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気違い兄貴よ! 気違い兄貴のヘビメタ騒音のせいで、こういうことを言われるポジションに立った。ヘビメタ騒音がなければ……気違い兄貴が、ヘビメタを聞くときはかならずヘッドホンをして聞いてくれれば……こんなことにはならなかった。こういうことを言われたくなかったので、俺は必死にがんばったが、気違い兄貴の気違いヘビメタの影響のほうがでかかった。どれだけ死にものぐるいでがんばっても、そういうポジションに、立たされた。

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注解。「働く」というのは、普通に通勤して「働く」ということを意味するとする。一定の職場に、一定の時刻までに出勤し、一定の時刻まで働くということを意味しているとする。家で働くとか、好きな時間に働くということは、意味してないとする。
わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。