現実の結果というのは、さまざまな条件を反映したものなのだ。人によって、まったく条件がちがう。うまれおちた、家がちがえば、条件はまったくちがったものになる。
ところが、言霊理論では、言霊に注意が向いているので、言霊をどれだけうまく使えるのかということが、重要なことになってしまうのである。
そして、言霊をうまく使えない人は、バカにされるのである。
しかし、言霊はないので、ほんとうは、言霊をうまく使える人なんて、ひとりも、いないのである。かってに、いると思っているだけなのである。
そして、勝手に、人々には、言霊をうまく使う能力に差があると思っているだけなのである。
そして、実際の差は、能力の差を指し示していると勝手に思ってしまうのである。
これが、どれだけおろかなことか。
こうなると、現状肯定になる。羽振りのいい人、社会的な地位が高い人は、自動的に言霊の能力が高い人だということになる。
言霊主義者は、奴隷根性丸出しで、(言霊の能力が高い人に)しっぽを振るようになる。自動的にそうなる。
いっぽう、実際に、不幸な状態で暮らしている人に対しては、傲慢な態度になるのである。自分のほうが優れていると思って、言霊のうまい使い方について説明するようになる。「こうすれば、うまくいく」ということを、善意で、教えるようになる。
ところが、でたらめなのである。でたらめなのだ。言霊なんてないし、現実的な地位が低いということは、別に、言霊の力をうまく使う能力がないということを意味しているわけではないのだ。
ところが、もう、条件反射のように、そういう態度になってしまう。
彼らは、どのみち、相手の条件は無視する。
条件なんて、関係がないのである。
さまざまな条件は、影響を与えないということになっているのである。
たとえ、条件が影響を与えるにしろ、そんなことは、言霊でひっくり返してしまえばよいのである。言霊で、条件を制御することができるという前提でものを言ってしまうのである。
しかし、言霊で条件が制御できるわけではないのだ。
どうしてかというと、言霊なんてないからだ。言霊の力なんてないからだ。人によって、言霊をうまく使う能力に差があるなんてことはないからだ。
実際に、条件が悪いので、その人は、くるしんでいるのである。
あたかも、言霊で条件を、どうにでもかえられるようなことを、言うべきではない。
事実、言霊で条件をかえられないのだから、妄想的なことを押し付けるのはよくないことだ。
あんまり言いたくはないけど、君たち、幼児的万能感を利用されているよ。あんまり言いたくはないけど、悪事に加担することになる。
言霊は、こころのなかで、しっかりと信じていればいい。