どう思うかは、恣意的なのだけど、それでも、条件が悪い人は、実際に「いいことが起こった」と思う確率が、低いのである。
どうしてかというと、条件が悪いので「いいこと」だと感じることが、なかなか、起こらないからだ。これは、言霊ということを考えとると、条件の悪さではなくて、その人の「能力の問題」になる。
その人が「言霊の力をうまく使えない」ということになる。
ようするに、「その人の言い方が悪いから、言った通りにならないのだ」ということになる。さらに、こころがけサブルーチンに入れば、「こころがけが悪いから、言った通りにならないのだ」ということになる。
ようするに、条件を無視してしまっているので、その人の「能力の問題」になるのである。「うまい言い方で言う能力」の問題になる。
そして、「その人の言い方が悪いから、言った通りにならないのだ」と言っているほうは、まるで、相手をディスっている気持ちがないのだ。
気持ちがないだけで、ディスっている。
「こころがけが悪いから、言った通りにならないのだ」と言っているほうは、まるで、相手をディスっている気持ちがないのだ。
気持ちがないだけで、ディスっている。
まあ、ディスっているという表現を使ったけど、悪口を言うということだ。あるいは、誹謗中傷をするということだ。
「いい助言をしてやっている」と思っている。「実際に(相手が)そうだから、言っても、現実化しない」と思っている。
悪口ばっかり言っているのに、そのつもりがない。
自分は、いいことをしていると思っている。自分の助言は適切だと思っている。
こういうことになってしまう。
言霊パラダイムを受け入れて、言霊で、さまざまな事象やさまざまな出来事を説明しようとする、そうなってしまう。
こういう人たちが「人に親切にしましょう」「人の悪口を言わないようにしましょう」と言ったって、意味がない。自分が、こころから納得して「人に親切にしよう」「人の悪口を言わないようにしよう」と思っていたとする。
その場合、自分がほかの人たちを説得して、「人に親切にしよう」「人の悪口を言わないようにしよう」を増やせば、そのぶん、世の中はよくなると確信している人たちがいる。
けど、こころから納得していても、こころから納得している人たちを増やしても、世の中は、よくならないのである。
運用に問題がある。認知・認識に問題がある。
むしろ、社会の構造や人の構造に注目したほうがいい。
* * *
「こころがけが悪いから、言った通りにならないのだ」という発言については、「そんなことは、言っていない」と思う人がいるだろう。「悪い」という言葉を使っていなくても、ようするに、「じゅうぶんでない」ということを言っているのならば、「悪い」と言っているのとおなし効果がある。
AさんとBさんがいたとする。
AさんがBさんに『言霊』でマウントをとったとする。
その場合、Aさんのなかには『自分は、言霊をうまく使える』という自信と、『Bさんは言霊をうまく使えない』という軽蔑(見下し)が存在している。勝手に、自分のほうが上だというヒエラルキーをつくってしまう。
それから、たとえば、「人のせいにしない」という言い方がある。これは、「言い方が悪い」というさぶールチンのなかの、サブルーチンなることがある。
ようするに、メインから見れば、サブ・サブルーチンだ。メインは「言えば言ったことが現実化する」ということだ。
たとえば、Aさんが、Bさんに「人のせいにしない」と言った場合、Aさんは、Bさんのことを、人のせいにする(悪いやつだ)と見なしているということになる。
この「人のせいにしない」という、言い方は、絶妙だ。「人のせいにするな」と直接的な表現で言っているわけではないのだ。
あらゆることに関して「人のせいにしない(ようにしたほうがいい)」ということを、たぶん言っているのだろう。
しかし、これには、相手が……あるいは読者が……「人のせいではないこと」を「人のせいにする」悪い性格の人だという前提が必要なのだ。この、いやらしい表現。
「人のせいにしない」というのは、まあ、こころがけサブルーチンなんだよね。
こころがけサブ・サブルーチンなのか、こころがけサブルーチンなのかは別にして、ともかく、いろいろな言い方のサブルーチンとして、出てくる言い方だ。
悪いけど、相手側をそれとなく、ディスっている。
たとえば、引き寄せができないのは、こころがけが悪いからなのだということを言う場合がある。こころがけが悪いと言わなくても、「こころがけがたりない」と言う場合があるし、「こころがまえができていない」と言う場合がある。
ともかく、相手は、「不足している」のだ。
ともかく、相手は、「じゅうぶんではない」のだ。
言霊でも、引き寄せでも、サブルーチンは大体おなじようなものになる。思霊理論は「思えば、思ったことが現実化する」という理論だ。
変形バージョンとしては「明るいことを思えば明るいことが起こり、暗いことを思えば、暗いことが起こる」というものがある。
どうして、「思ったことが現実化しないのか」ということが問題になる場合がある。
あるいは、「明るいことを思っているのに、どうして、明るいことが起こらないで、暗いことばかりが起こるのか」ということが問題になることがある。
そのときは、「思い方が悪い」ということになるのだ。
ようするに、「思い方が悪い」というサブルーチンに入ることになる。
そして、「いい思い方」についてレクチャーするようになる。
それでも、うまくいかなかったとしよう。その場合は、「思い方が悪いのはどうしてか」ということが問題になり、こころがけサブルーチンや、こころがまえサブルーチンに話が進むことになる。
こころがけサブルーチンのなかに、「人のせいにしない」というサブルーチンがあるのだ。
相手は人のせいではないことを人のせいにしているという……決めつけ。
そして、そのメンターや教祖だって、ほんとうは、人に責任があると思っている場合は、人のせいにするのである。
だいたい、人のせいではないのに、人のせいにしているではないか。
「思い方が悪い」と人のせいにして、「こころがけが悪い」と人のせいにして、「こころがまえができていない」と人のせいにして「(あなたは)人のせいにするからダメなんだ」と人のせいにする。
そして、よく観察してみてみると、メンターや教祖だって、人がおこりやすいところで、おこっている。普通の人が、おこることが多い場面では、メンターや教祖だって、よくおこっている。
自分自身にとってみれば、そのときにおこるのは、あたりまえなのだ。
それから、思霊なんてないから、メンターや教祖も一〇〇%の確率で、思霊の力を使えない。ただ単に勘違いをしているだけなのだ。勘違い。勘違い。大きな大きな勘違い。
幼児的万能感が強いから『自分は思霊の力を使える』と思っているだけだ。ようするに、ニセの自己効力感が強い人なのだ。