精神世界の人も、普通の出来事に関しては、普通に対応しているのである。
ようするに、精神世界的な理論にあわせないで、普通に、対応している。
「まさかと思うことが起こった」とする。「まさかと思うことが起こった」ということは、予期していたことが起こったわけではないということを意味している。
「まさか、自分の身には起こらないだろうと思っていたことが、起こった」のである。
その場合、普通の感情がわくのである。
「自分が起こると思っていたから起こったのだ」と自分の記憶を塗り替えたりしない。自分が思っていなかったことが起こったと、普通に認知しているのである。「まさか」と思うことが起こったのに、自分は、そのことが起こると思っていたと、記憶を改ざんしたりしない。
たいていの場合、思霊理論にあわせて、「実は、自分が思っていたから、思っていたことが起こった」と改ざんしたりはしないのだ。
特殊な人は、思霊理論にあわせて、「自分には記憶がないけど、思っていたのだ」ということにしてしまう。そういう人もいるにはいるけど、少数派だ。
そして、その少数派の人だって、すべての「まさか」と思うことに関しては、そのように思わないのである。ぬけがある。
自然に感情がわく場合は、予期していなかったことに関しては、普通の認知が発生して、普通の認知に合わせて、普通の感情が発生する。
そのプロセスは、あたりまえのプロセスだから、思霊的な考えたで、認知を修正したりしない。
ぼくに、思霊理論を批判されて、おこった思霊主義者は、普通に、自分が……正しいと信じていたことを批判されて、おこっている。
「エイリによって、自分が正しいと信じていたことを批判される」と自分が思っていたから、実際に、エイリが……自分が正しいと信じていたことを批判批判した……とは、思わないのだ。
自分が信じていたことが批判されると、普通に、怒りの感情がわくのである。
けど、「普通の感情」に関しては、特に、「自分が思っていたから、そういうことが起こった」とは思わないのだ。普通に感情が発生している。
普通に感情が発生しているということについて、思霊主義者は、あまりにも、無頓着だ。
* * *
「まさかと思うことが起きた」ということは、「こうなると思っていなかったことが、起こった」ということだ。
ようするに、「思っていなかったことが、起こった」のだ。
ようするに、「思わなかったことが起こった」のだ。
「思えば、思ったことが現実化する」というのは一〇〇%構文の文なんだよ。すべての思ったことが一〇〇%の確率で現実化するのである。
「思えば、思ったことが現実化する」という文の意味に、どうやって「思わなかったことが現実化することもある」ということを含めるのだ。
けっきょく、思霊主義者の現実認識は、「思ったことが現実化することもある」し「思わなかったことも現実化することもある」ということになる。
だって、「まさかと思うことが起こった」と認識しているのだから、思わなかったことが現実化した(実際に起こった)ということを認めているということになる。
ところが、ぬけぬけなので、「まさかと思うことが起こった」と認識しているときは、思霊理論なんてどうでもいいのである。
どれだけ、強く「思えば、思ったことが現実化する」ということを主張していても、現実の認識においては、思わなかったことが現実化することがあるということを、認めているのである。
この、ていたらく。この矛盾認知の回避。
* * *
思霊主義者というのは、「思ったことが現実化する」という文の意味と「思ったことが現実化することもある」という文の意味を、区別していない。ここに、間違いの根源がある。
ほんとうは、「思えば、思ったあとに(思霊以外の理由で)思ったことが現実化することがある」ということを言っているにすぎない。
ところが、無意識的には、空想のなかで、一〇〇%構文を思い描いているのである。
つまり、思ったのだから、それは、絶対に現実化する」ということを信じたいのである。だから、一〇〇%構文で言っているということは、特に意識していないのだけど、願いを込めて一〇〇%構文で言い切っているのである。
もう、この時点で、自分をだましている。
自分が言っていることの意味がわかっていない。
自分の矛盾に気がついていない。
そういうレベルの理解力なんだよ。自分をだましている。
しかし、意識的には「絶対に(思霊の力でそうなる)と思っている」ので、他人には、大威張で、「思えば、思ったことが絶対に現実化するので、思えばいい」ということを言ってしまう。
この時は、ほんとうに、思っただけで、思ったことが一〇〇%の確率で現実化すると思っているのだ。他人に言うときは、思っただけで、思ったことが一〇〇%の確率で現実化するという意味で「思ったことが現実化する」と言っているのである。
だから、他人に言うときは、「思ったことが現実化する」は、一〇〇%構文の意味で、「思ったことが現実化する」と言っているのである。
一〇〇%構文の意味というのは、ようするに、「すべての思ったことが、一〇〇%の確率で現実化する」という意味だ。
思ったことのなかに、思わなかったことを含めるのは無理なんだよ。だから、「思ったこと」と、「すべての思ったこと」は等価なんだよ。
他人に言うときは、一〇〇%構文の意味で言っているのだけど、現実的なことに関しては、「思わなったことが現実化することもある」ということを認めているのである。
「自分が思わなかったことが、起こった」と認めている。
それならば、せいぜいのところ、「思ったことが現実化することもあるし、思わなかったことが現実化することもある」という表現にとどめておくべきなのだ。
けど、最初から、 思ったことが現実化することもあるし、思わなかったことが現実化することもある」と言ってしまったら、「絶対に現実化する」という意味にならない。
「思えば、すべての思ったことが一〇〇%の確率で現実化する」ということが決まっているというのが、夢を持たせる思霊理論の概要だ。じつは……これは、自分の念の力で、現実化するという意味と、宇宙の摂理として現実化することが決まっているという意味がある。
思いに、言霊のような力(思霊・念)があるという理論と、思ったことが現実化してしまうのは宇宙の摂理なんだという理論が混じった考え方になっている。
思霊主義者のなかで、両方の理論が混じった考え方になっている。それは、そういうふうに、なんとなく、教えられたのである。
だから、思霊主義者は……「自分の潜在意識が、宇宙意識に伝わって、宇宙意識が、現実をつくる」という考えた受け入れやすい。
潜在意識・宇宙意識系の考え方も、思霊主義のなかに含まれている。しかし、第一段階では、自分の「念」が現実をつくるという考え方のほうが主流であるようだ。
まあ、現在の状況から考えると、『潜在意識・宇宙意識系』も『念系』も、両方とも、思霊主義者の(頭の)なかにあると思う。
潜在意識という言葉を使うと、「思わなかったこと」が現実化してしまうことがあるということを、説明できるようになるのだ。
顕在意識では、思っていなかったことが、起こったって不思議じゃないということになる。ようするに、潜在意識という似非科学タームは、矛盾の解消に役立つ。
しかし、似非科学タームだ。
* * *
そりゃ、これだけ条件に差がある世の中だから、人によっては、不幸な条件によって、不幸な思いをする人だっている。悪い条件によって、悪い出来事が起こる場合だってある。人によって、ぜんぜんちがう条件のなかで生きている。
いまの社会というのは、原始共産社会のように、共同体のなかの人が、だいたいおなじような条件でおなじような暮らしをしているわけではない。絶対的な条件の差というものがある。環境の差と言ってもいい。
ところが、思霊主義的な考え方を通すと、不幸な人が不幸なのは、その人個人の問題だということになってしまうのである。
その人が、不幸なことではなくて、幸福なことを思えば、幸福なるということになってしまう。ところが、幸福になるということをどれだけ、うまく思っても、不幸な条件があると、幸福には、なれないのである。
不幸な条件の解消がほんとうは、必要なのである。
* * *
俺が言っていることは、受けないということは、わかっている。
別に「念をこめる」ことが悪いと言っているわけではないのだ。自分のことであれば、しずかに、念をこめて思うことだっていいと思う。
ただ、社会のしくみというものを考えると、所与の条件として、悪い条件がある人は、悲惨なことになってしまう。
精神世界の人たちは、条件が悪い人に言霊のことや思霊のことを教えてあげれば、人助けになると思っている。
しかし、それがちがうのだ。
ちがうということが、たぶん、わからないのだろうと思う。