いま、金曜日の午後8時45分。金曜日の午後8時45分は、きちがいヘビメタがものすごい音で鳴っていた。きちがい兄貴が、やってはいけないことをやっているんだぞ。きちがい兄貴が、きちがい感覚で、やりきってしまった。きちがい兄貴は自分耳が悪くなるような爆音で鳴らしているのに、小さな音で鳴らしていると思っているのである。きちがいだから、自分自身をそうやって、だますことができるのである。きちがい兄貴ですら、「いま住んでいるマンション」では、半分野音だって鳴らすことができないような音で鳴らしているのである。きちがい兄貴が、思う存分、鳴らせたのは、「うち」だからだ。親父がつくった「うち」だからだ。親父がずっとそれまでやってきたことを考えると、やって当然なのである。やれて当然なのである。親父がやってきたことというのは、まさにそういうことなのだ。親父は爆音でヘビメタを鳴らしたいという気持ちがなかった。だから、やらなかっただけなのだ。しかし、親父が、爆音でヘビメタを鳴らしたいと思ったなら、親父は兄貴とおなじやり方で、鳴らしていただろう。親父が、「うち」でずっとやってきたことというのは、自分が押し通したいとなったら、普通なら絶対認識することを認識しないで、押し通してしまうということなのだ。だから、それの兄貴バージョンが、騒音なのだ。
本人は、小さな音で鳴らしているつもりだから、まったく悪いと思わないのである。感覚器を書き換えて、爆音なのに、小さな音で鳴らしていると思ってしまう。そして、ヘッドホンをすることには、絶対の意地で、反対するのである。ヘッドホンをつけて鳴らすという方法は、本人のなかにないのである。スピーカーから、なまの音で、聴きたいという気持ちがあり、なまの音は、でかい音でなければならないのだ。そして、でかい音で鳴らしているのに、でかい音で鳴らしているということを認めない。ただ単に認めないだけではなくて、本気でそう思っている。でかい音で鳴らしているのに、でかい音で鳴らしているという認識が、まったーーーく、まったーーーく、まったーーく、ない。でかい音で鳴らしているというとは、普通の人なら、わかってしまうことなのである。どれだけ認めたくないことでも、感覚器が正常なら、認めるしかないことなのである。ところが、きちがいだから、苦もなく、認めないということを、続けてしまう。ぜんぜん、でかい音で鳴らしていないという認識しかないのだ。爆音で鳴らしているあいだずっと、でかい音で鳴らしていないという認識しかない。俺がどれだけ言っても、でかい音で鳴らしていると言うことが、わからない。わからないふりをしているのではなくて、ほんとうにわからない。そういう人は、特殊なんだ。だから、特殊な人に、騒音でやられた人は少ない。なおさら、その特殊な人が、家族である人は少ない。家族なら、ほんとうに、どれだけ、でかい音で鳴らしたいという気持ちがあったとしても、三日で、やめている。それが、15年間、兄貴が引っ越すまで続いてしまった。何度も言うけど、入試一日前に、ものすごくでかい音で何時間も何時間も鳴らし続けても、まったく悪いと思わないんだよ。どれだけ、言っても、まったく悪いと思わないんだよ。だから、特殊なの。特殊なんだよ。ほかの人が経験しない騒音を経験したんだよ。
そして、よその人は、「お兄さんに言えばしずかにしてくれる」と思っている。ところが、しずかにしてくれないのである。よその人は「家族で相談すればいい。家族で相談すれば問題は解決する」と思っているのである。ところが、解決しないのである。