『どうせ、普通の人はぬけぬけだから、矛盾するメッセージを出しても、矛盾を感じないだろう』という思いが、洗脳計画者にはあると思う。
たとえば、「言えば言ったことが現実化する」というメッセージを出したとする。言っただけで、言った内容が現実化するのだから、ものすごいことだ。
条件なんか、関係なく、だれもが、現実をかえることができるのだ。現実をつくりだすことができるのだ。まさしく、夢のようなスーパーパワーだ。スーパーマンにだって、こんな能力はない。神に匹敵する能力だ。物理法則だって、自由に変えることができるのだから、すごい。
ところが、もう一方で、「自分ができることだけに注目すればいいのだ」というようなメッセージを出す。これは、小市民的な価値観を醸成する。
「自分がかえられないことには、関心なんて、持たなくてもいい」という政治家側からすれば、すごくいい価値観だ。
世の中にはいろいろな問題がある。自分がかえられるような問題かどうかということを考えた場合、自分がかえられないような問題である場合が多い。そういう、自分がかえられないことで、自分の気持ちを乱すのはよくないという考え方だ。
だって……「どうせ、なにをしても、かわらないのだから、考えるだけ無駄だ」ということになる。時間がもったいないし、自分が心配してもしかたがないことを心配したことで、憂鬱な気分になる必要はないという考え方だ。
けど、おかしいと思わないか。
「言えば、言ったことが現実化する」のだろ。言えば、簡単にかえることができるじゃないか。
なんで、言うことでかえようと思わないのだ。
「言霊は絶対だ」なんて言っているやつだって、「自分がかえられないことを考えて、気持ちを乱す必要はない」なんてことを言う。
「言えば、言ったことが現実化する」なんて言っているやつだって「自分が気にしても、しかたがないことは、気にしないようにする」なんてことを言う。
いやーー。矛盾しているでしょ。
「言霊は絶対」なのであれば、言うだけで、かえられるはずだ。自分だけではなくて、だれもが、そういうパワーをもっているということになる。
言葉に、すごい言霊が宿っているのだから、言いさえすればいい。
そうすれば、なんだって、かえられる。
自国の政治、他国の政治、全部、言うだけでかえられる。
なんで、「自分には、自国の政治、他国の政治をかえる力がない」と考えるのだ?
「言うだけで、かえられる」という価値観と「自分がかえられないことには、関心を持たなくていい」という価値観が、同居しているのだ。
おかしいだろ。
けど、「ぬけぬけ」だから、気にしない。
そのとき、そのときで、気分がちがう。
そのとき、そのときで、言っていることが一八〇度、ちがっていても、特に気にしない。