もうすでに話したことだけど、たとえば、氷河期世代という属性を考えた場合、氷河期世代に属する人も、条件は、いろいろとちがう。
氷河期世代でも、コネがある人は、正社員(正規従業員)として会社に滑り込めただろうし、コネのない人は、非正規労働者ならざるを得なかったかもしれない。
しかし、氷河期世代というひとつの属性を考えると、氷河期世代でも、就職できた人がいるのだから、就職できなかった人は、ダメ人間だというようなことを言う人が出てくる。ダメ人間といわなくても、「就職できなかったのは、自己責任だ」というようなことを言う人も出てくる。
「就職できなかった人は、あまえている」とか「氷河期世代だから、就職できなかったと言う人は、言い訳をしているだけなのだ」とかと言ってしまう人がいる。この人たちの「頭のなか」にあることは、「就職氷河期世代でも、就職できた人はいるのだから、就職できないということはない」ということだ。
就職氷河期世代でも、就職できた人がいるということが、根拠になっているのである。
しかし、就職氷河期という属性をもっている人でも、条件がちがうのである。
だから、その条件のちがいによって、就職できない場合もある。ところが、「就職氷河期世代のなかにも、就職できた人はいるのだから、就職ができないなんてことはない」と間違った推論をしてしまうのだ。
就職氷河期という条件だけを見て、ほかの条件を無視してしまうのだ。就職氷河期世代の人でも、ひとによって条件がちがうということを無視してしまう。
これは、「自分だって苦労した」と言う場合にも、おこなわれていることだ。
「苦労をした」というひとつの条件を考えれば、苦労の質や量は、考えずに、相手のことについて結論をくだしてもいいという考え方があるのだ。
苦労といっても、同一の苦労ではないのだから、苦労によって差があるということは、頭のなかに入れておかなければならない。
ところが、この人たちは……苦労をしたというひとつの属性にこだわって……ほかの属性を無視してしまう。
まあ、苦労の程度も無視してしまうのだけど、同時に、ほかの属性を無視してしまう。「苦労をした属性」の人は、みんなおなじだと考えてしまうのだ。
ところが、ちがうのである。
「就職氷河期という属性」の人は、みんなおなじだと……この人たちは考えてしまうのだ。
ところが、ちがうのである。
この人たちの考え方は間違っている。前提となる思考に間違いがあるのである。「ある属性の人たちは、みんなおなじだ」と考えてしまうのである。これが間違いなのである。
就職氷河期の人というのは、全体的には、条件が悪い人なのである。就職において条件が悪い人たちなのである。当然、就職氷河期の人は、みんな、おなじように条件が悪かったのかというと、ちがうのである。ぜーーんぜん、ちがう。
何度も言わなければならないのだけど、コネという条件を考えただけでも、だいぶちがう。ほかにもいろいろな条件がある。
たとえば、年収と能力が一致しているという仮説を立てたとする。
その場合、氷河期世代だけ、他の世代にくらべて能力が低いということになってしまう。この仮説は、間違っている。
学校を卒業した時点で、就職がしにくい状態だと、そのあとの人生にいろいろな影響を与えるという仮説のほうが、説得力がある。いろいろな影響のなかに、年収という項目があるということになる。
正規従業員になれなかったことが、そのときだけではなくて、その後の年収に影響を与えるということだ。これは……「個別の能力値」の問題ではないということを意味している。