限界ぎりぎりの努力をしても、どうしてもそうなる」というのが、実際に経験した人じゃないとわからないのである。きちがい兄貴のやり方が異常なので、きちがい兄貴のような家族にやられた人が、めったにいないのである。騒音問題はいろいろとあるけど、きちがい兄貴の騒音は、程度、性質、時間の長さ、機関の長さが異常なのである。
ほんとうに、きちがい兄貴のヘビメタ騒音のせいで「不可避的に、どうしても、発生してしまうこと」があるんだよ。ところが、やられていないほかの人は、「人のせいにしている」と思うわけ。エイリが「人のせいにしている」と思うわけ。できなくなった個々のことに関しても、ほんとうは、ぎりぎりの努力をしているんだよ。ほかの人がまったくわからない、ぎりぎりの努力を毎日していたわけ。それを、破壊するような音で、きちがい兄貴のヘビメタが鳴ってたんだよ。ほかの人には、「必然性」が見えない。ほかの人は、どうしても、自分のことではないから、きちがい兄貴の影響も、ぼくの努力も、無視してしまう。自分のことではないからだ。自分が実際に経験したことではないからだ。「話として」聞いたことだからだ。これ、わからない。ほんとうに、ぼくは、騒音のなかで、切羽詰まった生活をしていた。ほんとうに、ぼくは、騒音のなかで、できる限りの努力をしていた。その努力の結果、いろいろな障害が発生するのである。ようするに、もっともっとできなくなるである。このプロセスも、何年間も「自分が一番嫌いな音」をずっとずっと、自分の家で、何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も、聞かされ続けた人じゃないとわからない。
基本的に言って、「人のせいにしている」と言われることも、ヘビメタ騒音派生物だ。きちがい兄貴が、きちがい兄貴のセンスで、きちがいヘビメタをあれだけこだわってこだわってやらなかったら、なかったことなのである。
* * *
あーあーーあっ。どこに行っても、なにをやっても、ヘビメタ騒音の暗い気持ちがぬけない。ヘビメタ騒音の切羽詰まった気持ちがぬけない。何十年、毎日、こんな状態で暮らしてきたと思っているんだ。
そりゃ、対処可能期間がある。
対処可能期間中に、鳴り終わってくれなければ、意味がないのである。ところが、ほかの人たちは「鳴り終わったら関係がない」「過去なんて関係がない」「元気だ元気だと言えば元気になる」「楽しい楽しいと言えば楽しくなる」「俺だって、苦労した」と言う。ぜんぜんちがう。ぜんぜんちがうのに、ぜんぜんちがうということが、まったくわかっていない。
「鳴り終わったら関係がない」なんて、口が裂けたって言えないことだ。こいつらが、俺と同レベルのことを経験していないことが、その発言からわかる。