言霊理論が正しいなら、ほんとうは、サービス残業なんてしなくてすむわけ。
カネなら、いくらでも「言うだけで」出てくるからだ。
サービス残業ではなくても……自分のことではなくて……相手のことなら……相手がどれだけ「無理だ」と言っても、相手に「作業」を押し付けることができるのである。
ようするに、言霊理論が背後にある言葉というのは……相手に「無理なこと」を押し付ける道具になってしまうのだ。
言霊思考が、相手に無理なことを押し付ける道具になってしまう。
しかも、押し付けるほうは、まったく悪いと思わないことが可能なのである。
「無理だと言うから無理なんだ」という言い方も、言霊理論が正しいなら、成り立ってしまう。
「無理だ」と言ったことが、無理であることの原因にはならないのである。
ところが、言霊主義に汚染されていると、「無理だと言うから無理なんだ」という意見が正しいことのように思えてくるのである。
だから、言霊主義者は「無理だと言うから無理なんだという考え方が正しい」と思ってしまうのである。「無理だと言っている相手が、間違っている」と思ってしまうのである。
『相手は、無理ではないことを無理だと言っているのだから、相手が言い訳をしているだけだ』……と言霊主義者は思ってしまうのである。
あるいは、『相手は、無理ではないことを無理だと言っているのだから、あまえているだけなのだ』……と言霊主義者は思ってしまうのである。
『言い訳をするのはよくないことだ』……と言霊主義者が考えている場合、言霊主義者の頭のなかでは……『相手が言い訳をしているのだから、相手が悪い』ということになってしまうのである。
『あまえることが、悪いことだ』……と言霊主義者が考えている場合、相手があまえているだけだから、さとしていいと思ってしまうのである。
なので、「無理だ」と言っている相手には、たいていの言霊主義者が、高圧的な態度をとることになるのである。
ところが、自分の態度が、高圧的だと思っていないのである。
言霊主義者の頭のなかでは……『無理だと言っている相手』がおとっているからダメなんだという解釈になってしまうのである。
「言えば、言ったことが(言霊の力によって)現実化する」という考えたを受け入れだけで、このように、「相手に無理なことを押し付ける」ことに抵抗がない人間になってしまうのである。
自分のことであれば、無理な理由が、わかっているのである。自分のこととしてわかっている。自分の!!経験を通してわかっている。
だから、普通の現実感が成り立っている場合、言霊主義者は、自分には、言霊理論を適用しないのである。ようするに、「これは、言い訳だ」と思わないし「これは、あまえだ」と思わないのである。言霊主義者が、自分のことについて、相手には説教をしたようなことを思っても、相手に説教をしたときの気持ちとはちがう、気持ちになってしまうのである。どうしてかというと、自分の身に起きたことの場合は、自分が「無理だ」と思う理由が、自分のなかで成り立っているからなのである。
しかし、他人のことだと、自分にとっての「普通の現実感」がないので、他人には、「無理なこと」を平気で押し付けることができるようになるのである。
もっとも、他人にとって……つまり、言霊主義者から見て相手にとって……それが本当に無理ことなのかどうかというのは、この場合、不定だ。実際に、無理なことになっている場合と、無理なことにはなっていない場合がある。
しかし、無理なことになっている場合は、言霊主義者の発言は、不適切な発言になってしまうのである。
これ、こういうことの犠牲者は、まじめな人なのである。
まじめな人が、耐えて耐えて、耐えて耐えて、それで「もう無理だ」という意味で「無理だ」と言っているのである。
言霊主義者は、まじめな人が、耐えて耐えて、耐えて耐えて、やってきた期間を、無視してしまう。
言霊主義者の認識というのは……相手が「無理だ」と言っているだけだ……というような認識なのである。
だから、「無理だというから無理なんだ」「できると言えばできる」というセリフを、気軽に言ってしまう。
しかし、耐えて耐えて、耐えて耐えて、やってきた期間を、無視されることは、たいていの場合、屈辱なのである。
ところが、言霊主義者は「いいことを言っている」と思っているのだ。自分は適切なことを言っていると思っているのだ。『相手が「無理だ」とネガティブなことを言って、さぼろうとしているのだから、さぼろうとしている相手が悪い』……と言霊主義者は思ってしまう。