たとえば、「すべては受け止め方の問題だから、受け止め方をかえればいい」という考えをもっている人が、ブラック社長が、名前だけ店長にサービス残業を押し付けているとき、どっちの味方になるかという問題は、けっこうでかい問題なんだよ。
どうしてかというと、これが、精神世界全体に成り立っているからだ。
そし、精神世界だけではなくて、努力論や自助論といったビジネス精神世界にも、成り立っている。
ようするに、社会で「よし」とされていることが、運用の場面では、悪い効果をもっているということになる。
一見、よさそうな考え方が、じつは、抑圧システムと相互監視社会をつくっているのだ。
そして、条件が悪い人が、より、くるしみ、条件がいい人が、よい思いをするということになっている。
支配者階級、特権階級、特権階級よりちょっと下の階級(準特権階級)……こういう階級の人たちが、「とく」をして、条件が悪い人が、「そん」をすることになっている。
そして、それをつくりだしている人たちが、一見、良心的な人たちだというところが問題なのだ。
「すべては受け止め方の問題だから、受け止め方をかえればいい」という考えについては、すでに説明した。「明るいことを考えれば、明るいことが起こる」「暗いことを考えれば暗いことが起こる」とという考えについて考えてみよう。
「明るいことを考えれば、明るいことが起こる」「暗いことを考えれば暗いことが起こる」と考えている人は、ブラック社長が、名前だけ店長にサービス残業を押し付けているとき、どっちの味方になるかというと、ブラック社長の味方になるのだ。
「明るいことを考えて、頑張れば、明るいことが起こるから、頑張ればいい」ということになってしまう。名前だけ店長の言っていることは、暗いことなので、だめだということになる。
名前だけ店長は、「もう無理だ」と言っている。暗いことだ。その場面では、名前だけ店長は、「できない」ということを言うわけだから、当然、暗いことを言うことになる。
「もう、無理だ」「できない」とネガティブなことを言うことになる。
名前だけ店長は「このままでは、ダメだ」ということを言うことになるので、ネガティブなことを言っているということになる。名前だけ店長は、ネガティブなことを考えているということになる。
当然、「明るいことを考えれば、明るいことが起こる」「暗いことを考えれば暗いことが起こる」と考えている人は、「できると言えばできる」と「明るいこと」を言っているブラック社長の側に立ち、ブラック社長の味方をすることになる。
名前だけ店長に、明るいことを考えて、このまま、続ければいいということを言うのだ。
これも、「できると言えばできるから、できると言って頑張ればいい」ということの別バージョンだ。
「ネガティブなことを考えると、ネガティブなことが起こる」と考える人は、実際につらい思いをしている人を攻撃することになる。
攻撃する側に加勢するのである。
やる側の人と、やられる側の人を考えた場合、ネガティブなことが起こると考える人は、やる側の人を応援するのである。
押し付ける側と押し付けられる側のことを考えた場合、「よさそうなこと」に酔いしれている人は、実際の場面では、押し付けるほうに味方をするのである。
押し付けられるほうが、くるしんでいても、それは無視して、押し付けられるほうが、もっともっと、くるしむことに賛成するのである。
これは、たまたま、発生することではない。
システムとしてそうなっている。
基本的には、「一括思考」と「自分を対象とした思考から他人を対象とした思考への移行」がある。「自分を対象とした思考から他人を対象とした思考への移行」は個人のなかのことなのだけど、移行することがあらかじめ想定されている「きれいごと」なのである。
「明るいことを考えれば、明るいことが起こる」「暗いことを考えれば暗いことが起こる」という考え方だって、それを聴いたときに「その通りだ」と思った人は、他人を対象する用意ができあがっている人なのだ。
ようするに、たいていの場合、自分から他人への移行が発生する。
そして、「助言をすることはいいことだ」「いいアイディアを教えてあげるのはいいことだ」という気持ちがあるので、『やられているほう』を攻撃しているつもりは、発生しない。
ようするに、本人の認知としては、「いいことをしている」ということになる。
ところが、実際には、押し付けるほうに味方をして、押し付けられるほうに、敵対するということになる。
悪いことをしているほうの味方になってしまうのである。
しかし、こういうことをしている人たちは、悪いことをしているほうの味方になったという認識がない状態なのである。
これは、まずい状態だ。
こういうことになるということを、見込んで、『やられているほう』を攻撃しているつもりなどは、発生しない。というような、一見正しそうだけど、間違っている教えを、つくっておくのだ。
洗脳の道具なのだ。
一見よさそうな考え方(教え)が、じつは、現実の場面では、悪い教えとして作動してしまうのである。
精神世界やビジネス精神世界の教えは、一見よさそうなのだけど、悪い教えだ。
まあ、わからないかな。