もう、むりかな。もう、むりな感じがする。おなじなんだよね。じつは、ネズミが入ってきてしまった。おなじなんだよねーー。きちがい騒音にやられてから、めちゃくちゃにくるしい。普通の人は、普通の騒音なんだと思ってしまう。けど、きちがい兄貴はきちがいなので、やり方がちがうんだよ。異常なんだよ。その異常が、ずっと、成り立っている状態なんだよ。こっちが、ずっとくるしいんだよ。ほかの人は、助けてくれないよ。「そんなのは、お兄さんに言えばいい」「家族で話し合えばいい」と言っておしまいだ。ほかの人は、きちがい兄貴ときちがい親父が、きちがいだということがわかっていない。わかっていないレベルでの発言なんだよ。実際に、きちがい兄貴の騒音で、その人・本人がこまっているわけではない。異常なやり方なんだよ。死にたくなるような、やり方なんだよ。そして、勉強の邪魔だ」「入試の邪魔だ」「期末テストの邪魔だ」と言ったって、きちがい兄貴が、きちがい基準で、のりこえて、自分がやりたい時間、自分がやりたい音で、鳴らしてしまう。自分というのは、きちがい兄貴のことだ。しかも、のりこえてと書いたけど、きちがい兄貴本人は、ほんとうにまったく、悪いことをしているつもりがないのだ。この「つもりのなさ」がひどいんだよ。こっちが、「やめてくれ」と言えば、きちがい兄貴が、きちがい親父のように、興奮して、発狂して、「はねのけて」しまう。本人が、興奮して、発狂して、「はねのけて」しまったら、どれだけやり続けたって、本人は、なんともないんだよ。
こっちは、きちがい兄貴の騒音で、毎日死にたい気分だよ。だったし、いまもそうだ。よりよく生きたいと思っているので、自殺はしないけどね。きちがいヘビメタが鳴っていた、一〇代と二〇代というのが、とてつもなく、重要なのである。だいたい、ずっと毎日続いたことが、その人の人生に影響を与えないわけがないだろ。「鳴り終わったら関係がない」とか「過去は関係がない」というやつは、なぐってやりたくなる。
ヘビメタ騒音で穴があいている。ほかの人は、自分の問題ではないから、きちがいヘビメタ騒音の影響をあまく見ている。これ、ぼくにとって、屈辱なんだよ。侮辱なんだよ。これも、相手は、まったく気がつかないけどね。相手は、自分の見立てが、正しいと思っている。相手は、自分の信じていることが正しいと思っている。たとえば、言霊主義者は、言霊理論が正しいと思っている。「元気だ元気だと言えば、元気になる」のである。「楽しい楽しいと言えば、楽しくなる」のである。「できるできると言えば、できる」のである。こんなのない。どんだけ、きちがいヘビメタ騒音でズタボロになっている俺を、傷つける言葉なのか、まったくわかっていない。
きちがい兄貴も、言霊主義者も、ヘビメタ騒音の影響をあまく見るのは、おなじなんだよな。きちがい兄貴も、言霊主義者も、ヘビメタ騒音の影響を無視するのは、おなじなんだよな。「そんなのは気にしなければいい」「そんなのは、こだわらなければいい」「しずかになると言えばしずかになる」「眠れると言えば眠れる」だからなぁ。こんなのない。「鳴らない、と言えば、鳴らない」……。こんなのはない。どれだけ、「鳴らない」と言ったって、きちがい兄貴がきちがい兄貴の意志を持って、きちがい的にでかい音で……自分が満足できる時間の長さ鳴らしたいと思っていたら、鳴らすんだよ。おれが「鳴らない」と言ったって、きちがい兄貴が鳴らす。
「ならないと言ったって、鳴る」と、言霊主義者に言えば、「言い方が悪いんだ」と言霊主義者が言ってくる。こんなの、ない。「うまく言えば、鳴りやむ」というきちがい理論だ。こんな人を傷つけることを言っておいて、まったく、へっちゃらなんだよ。やっぱり、きちがい兄貴と言霊主義者は似ているところがある。「人のせいにするな」と言う言霊主義者もいるけど、「やり方がへたくそなんだ」と俺のせいにするじゃないか。根本的に理論が間違っているから、鳴りやまないんだよ。「うまく言えば、鳴りやむ」という発想自体が、おかしい。人のせいにしている。「(あなたの)言い方が悪いから、鳴りやまない」と言うのであれば、人のせいにしている。『言い方が悪くなければ、鳴りやむ』と思っているんだよな。言っただけで問題が解決するなら、苦労しないよ。
ともかく、きちがい兄貴が、きちがい兄貴の態度で鳴らすと、自動的に、俺と言霊主義者のなかが悪くなるんだよ。言霊主義者は言霊主義者で、『言ったことが現実化する。これが正しい』と思っているわけだからな。
きちがい兄貴の態度と言うのが、ほかの人にとって想像しにくい態度なんだよな。誤解がうまれる態度なんだよな。だいたい、兄貴・本人が「でかい音で鳴らしていない」という気持ちをもっていること自体がおかしいからな。そりゃ、ほかの人は誤解するだろう。常識的に考えて、ありえないことだから、誤解をする。あれだけでかい音で鳴らしていて、普通の音で鳴らしているという感覚をもっている(認識をもっている)ということ自体が、おかしいことだ。異常なことだ。でかい音で鳴らしていても、普通の音で鳴らしているというふりをしているという場合はある。聴力が正常で、自分が、おなじ音で騒音を聞かされたら、「うるっさささい」と逆上してしまうような音で鳴らして、静かな音で鳴らしていると思っている感覚がおかしい。認識がおかしい。 そんな、隠れ設定」ほかの人にわかるはずがない。きちがい兄貴がきちがいたるゆえんは、本人がわかっていなことだ。ほかの人だけではなくて、本人がわかっていないのだ。自分が頑固にやっていることなのに、わかっていない。聴覚が正常なら、どれだけ止めたくないことだって、認めるしかないのことなのに、「認めないぞ」と思っていないのに、ごく自然に「認めない」状態になっている。こんなの、おかしい。まじで、きちがいだ。こういうところに、ずるさがあるんだよ。きちがい兄貴のずるさがある。絶対に、きちがい兄貴がきらいな音を、きちがい兄貴が鳴らした音のでかさで、鳴らしているやつがいたら、うるさいと思うのである。きちがい兄貴だって、『うるさい』と思って腹を立てるのである。きちがい兄貴だって、その騒音なかで、勉強することができないのである。ところが、ヘビメタは自分が思いっきり鳴らしたい曲なので、そういう部分を乗り越えてしまう。もちろん、無意識的に乗り越えているから、意識的には、ぜんぜん気にしないということになる。わざとやっていることじゃないんだよ。普通なら……きちがいでない人なら……わざとやることになるんだよ。必然的にそうなる。きちがい兄貴は、きちがいだから、「でかい音で鳴らしている」という認識が、一五年間、ずっとなかった。これがおかしいのである。けど、そのおかしさが、また、ほかの人にはわからないのである。だから、俺が嘘を言ってると思うやつが、続出する。俺が大げさに言っているだけなんだと思うやつが、続出する。きちがい兄貴は、そういうことを、俺に押し付けている。このやり方は、きちがい親父のやり方とまったくおなじだ。やっているやつの感覚がおかしいから、よその人が誤解をしてしまうのだ。こんなの、ない。
よその人はよその人で、自分の解釈に自信があるんだよ。常識的な解釈をしているわけだからそうなる。こまるんだよな。言霊主義者とぼくとの間に起こったことが、常識的な人とぼくのあいだに、起こる。しくみは、おなじなんだけど、認めないだろ。みんな、自分の解釈に自信がある。「そんなのおかしい」と思ったら、よっぽどのことがない限り「そんなのおかしい」と思ったままだ。つきあいが深い人でなければ、そういう表面的な、第一印象的な解釈が、ずっと続くことになる。