「自分が、かかわろうとしても、どうにもならないことは、放っておきましょう」というような考え方には、一理ある。
しかし、問題もある。
これは、無関心を誘う考え方だからだ。
基本的に言って、このような考え方に傾くときは、つかれはてているときが多い。自分のことで、頭がいっぱいであるときが多い。
自分のことでたいへんなのに、さらに、ほかのことに関心を払っている余裕がないときは、このような考え方に傾きやすくなる。
「自分が制御できないことは、放っておく」という考え方は、精神世界やビジネス精神世界にもある。
そして、ある程度、正しい考え方のようにも思えるのだ。
精神世界の場合は、言霊や思霊という考え方とは、反対の方向を向いているにもかかわらず、言霊という考え方にこっている人は……つまり、言霊があると信じている人は…… 「反対の方向を向いている」ということには、気がつかない。
言霊という考え方と「自分が制御できないことは、放っておく」という考え方は、反対の方向を向いているのである。
言霊思考をするときは、万能感があるので、自分が制御できるのである。
自分が言った通りになる……と思っているのである。自分が言えば、自分が言った通りになる……と思っているのである。
これは、「自分が制御できないことはない」という考えにつながる。……というか、自分が言えば、自分が言った通りになるのであるから、自分が制御できないことなんて、最初からないのだ。
万能感が成り立っているのだから「自分が制御できないことはない」と考えるべきなのだ。
実際、言霊モード?になっているときは、そう思っているのである。
万能感に満ちているのである。
『言えば、言っただけで、その通りになる』と本気で思っているのである。
けど、「ぬけぬけ」だから、おカネを稼ぐために、会社に通っていたりするのである。
言えば言った通りになるのだから、会社なんて行かなくても、カネを稼ぐことは可能だ。「言えばいい」のである。しかし、「ぬけぬけ」だから、矛盾に気がつかない。
言霊モードと書いてしまったけど、「言霊は絶対だ」と思っているときのモードと、現実的なことについて考えているときのモードがまったくちがうのである。
そして、(言霊主義者は)器用に、モードの切り替えをやっているのである。
このモードの切り替えは、意識的にやることではないので、トラブルを生み出す。
しかし、言霊モードのときの思考と現実モードのときの思考が食い違うので、自分の矛盾が、トラブルを生み出しているとは、思うことができないのである。
現実と接しているときも、自分が一倍速で経験したことに関係していないことに関しては、言霊モードになることができるのである。
たとえば、他人の身に起こったことについては、言霊モードになるのである。
他人の疲労は、自分の疲労ではないので「元気だ元気だと言えば、元気になる」と言ってしまうことができる。
他人の条件は自分の条件ではないので「できると言えばできる」と言ってしまうことができる。
このとき、言霊主義者は、夢のなかにいるわけではなくて、現実世界のなかにいるのである。
そして、他人と一緒の空間に存在しているのである。
だから、自分にとって不可能なことも、「できると言えばできる」と言ってしまう。
自分にとって不可能なことも、実際に自分の身の上に起こっていることではないので、言霊モードになってしまうのである。