2026年8月22日土曜日

●「脳をだませばいい」■社会※2026/08/22 3:02

 「脳をだませばいい」という言い方がある。意味としては、自分の脳をだませばいいということだ。けど、自分の脳をだましているのは、自分の脳なのである。

ほんとうに、だまされているのだろうか。

これは、「お得理論」なのである。こうすれば、つらいことにも対処できるという対処理論なのである。

しかし、ほんとうに対処していることになっているのかどうかわからない。

たとえば、「口角をあげると、楽しいと感じる」ということを言ったとする。笑顔をつくるだけで、脳は「楽しいことが起こった」と勘違いするというメソッドだ。

だから、つらいことが起こったとき、自分で意図的に「口角」をあげれば、楽しいと感じることができるというメソッドだ。 

まず、第一に考えなければならないのは、条件だ。どういう条件で、高角をあげるのかということだ。実験室で、高角をあげるわけではないのである。

日常生活の中で、つらいことがあったとき、高角をあげるということを推奨しているのである。実験室で、高角をあげる場合は、多少は、緊張するかもしれないけど、「特別にいやなことが起こったあと」でない場合が多い。

ようするに、自分の意思で、実験に参加しているわけで、その意味でも、余裕がある。心理的に余裕がある状態で、実験に参加しているのだ。

これは、日常生活の中で「つらいことがあった」場合とは、ちがう。降格を意識的にあげるということを行う前の心理状態がちがうのである。

実験室で、特別にいやなことが起こらなかったあと、高角をあげるということをしてみたときの感情と、日常生活の中で、腹が立つことがあって、そのあとに、高角をあげる場合は、心理状態が明らかにちがうと言える。

まあ、特に、いいことも、いやなこともなかったという意味で、中立的な状態のとき、高角をあげることと、特別に不愉快な状態で、高角をあげることは、ちがう意味をもつのだ。

 

もうひとつ言いたいことは、自分の脳が、自分の脳をだますということだ。これ、意図的にやっているのに、だまされちゃうの?

おかしいと思わない。意図的にやろうとして、意図的にやっているのも、脳なんだよ。降格をあげたとき、ある、脳の部位が反応したとする。笑っているときも、その脳の部位が反応した。

だから、その部位が反応しているときは、人間は「楽しい」「おかしい」と感じている……と結論づけていいのだろうか。その部位は、高角をあげるときに反応する部位なのかもしれないのである。

人間の場合、まず、自然な感情があり、自然な感情に対応した(筋肉の運動)が、自然に発生する。

これは、別に、教わったわけではないのである。ごく自然に、そういうことになる。

もっとも、感情と筋肉の運動が、普通の人よりも、連合していない人もいる。

しかし、一般的には、やはり、多くの人が、だれから教わるでもなく、楽しいときは、笑顔をつくるときの筋肉を動かす。「だれから教わるでもなく」ということは、重要だ。

最初は、意図的に、やっていることではないということを、意味しているからだ。最初は、意図的にやっているのではないのに、感情に対応した表情菌が動くのである。この反応は、(たいていの)人間にとって所与の反応なのである。

いっぽう、「つらいときは笑ったほうがいい」と思って、無理やり降格をあげるときは、「効果を期待した」行動をしているだけなのである。

自然に笑っているときの脳の全体的な反応と、効果を期待して降格をあげるときの脳の全体的な反応は、ちがうのではないかと思われる。

どうしてかというと、効果を期待して、高角をあげているからだ。これは、感情にもとづいた、自然な筋肉の動きではない。

そして、脳は、自分がどうして、高角をあげたのかということを知っているのである。楽しいと思って、意図せずに、高角をあげるような筋肉を動かしたときの「全体的な脳の反応」と、効果を期待して高角をあげるような筋肉を、意図的に動かしたときの「全体的な脳の反応」はちがうはずなのだ。

はっきり言ってしまえば、意図的に高角をあげようとしているのだから、脳は、その意味を知っている。だまされていない。

楽しいと思って、意図せずに、高角をあげるような筋肉を動かしたときの脳の動きと、効果を期待して高角をあげるような筋肉を、意図的に動かしたときの「全体的な脳の反応」はちがうはずなので、ほんとうに、脳が「楽しく感じている」のかどうか、わからない。

所与の反応として、楽しいときは高角があがる。高角をあげるような脳の部位が反応している。楽しいときは、高角をあげる(脳の)部位が活性化?する。

なら、高角をあげる(脳の)部位が活性化すれば、楽しいと感じると言い切ることができるか?

できない。

所与の反応として、楽しいと感じるときは、脳のほかの部位が楽しいと感じているのかもしれないのである。

楽しいと感じるときに働く脳の部位全部(から)高角をあげるときに働く脳の部位をひいたとする。 楽しいと感じるときに働く脳の部位全部(から)降格をあげるときに働く脳の部位をひいた部位のことを、「引いた部位」と呼ぶことにする。

そうすると、ほんとうに、楽しさを感じさせているのは、「引いた部位」かもしれないのである。

楽しいと感じているときに、高角をあげる脳の部位が活性化する……だから、高角をあげる脳の部位が活性化しているのであれば、(人間は)楽しいと感じていると言えるのかというと、言えない。

言えるわけがない。

必要十分条件について考えようということになる。言えると思っている人は、必要十分条件だと思っているかもしれないけど、この場合は、必要十分条件ではない。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。