二回目の洗濯をしたあと、ご飯を食べた。二回目の洗濯をしたとき、相当につかれていたので、ご飯を食べたあと、横になったら、眠ってしまった。
眠るつもりはなかったのだけど、眠ってしまったようだ。
さっき、起きた。あーー。入眠時間が、ボロボロだ。相当に、ズレた。
ヘビメタ騒音の「超・不健康な日々」が睡眠回路と起きているときの気分を完全に破壊してしまった。
これは、おなじことをされたら、だれにでも起こることなのだけど、ぼく以外の人は、おなじことをされていないので、おなじことをされたら、おなじことが起こるということが、わからない。
ぼく以外の人には、わからない。
だいたい、入眠時間のことについて(ぼくが)言えば、言われた人は、入眠時間の問題だと思うだろう。
けど、起きたあとも問題なのだ。
この問題の深刻さがわからない。
わからない人ばかりだ。だから、「エイリの気がゆるんでいる」とか、「エイリがあまえたことを言っている」とかということを言うわけ。
その人たちはその人たちで、「眠い日」がある。
「朝起きたときにつらいと思う」ことがある。
あるのだけど、それは、普通の生活の範囲のなかで起こることなのだ。きちがいヘビメタ騒音が毎日ガンガンかなっている状態というのは、普通の生活の範囲内のことではないのだ。ヘビメタ騒音が毎日(あの音のでかさで・長時間鳴っている)ということは……鳴っているということ自体が、普通の生活の範囲をこえることなのだ。
これがわかっていないのだ。
そりゃ、だれだって、「眠たい日」はある。だから、エイリのヘビメタ騒音生活中やヘビメタ騒音生活後にしょうじた睡眠障害も、そんなものなのだろうと、思ってしまう。
そして、思ったということについて、まるで悪いとは思わないのだ。だって、正しいと思っているからな。自分の判断は正しいと思っている。自分の考え方は正しいと思っている。
どうやって、エイリに悪いと思うのだ。どうやって、反省するのだ。どうやって、自分の考え方は間違っていたと思うことができるのだ。ちがい家族によってももたらされる騒音について、わかっていないと、こういうところでも、ぼくの実感、あるいは僕の現実と、相手の考え方のあいだにズレがしょうじる。
ぼくの立場で言えば、「そんなものじゃない」のだ。
そんなものじゃない。