2026年8月22日土曜日

● 「脳は主語を認識しない」■社会※2026/08/22 7:51

「脳は主語を認識しない」というような言い方がある。けど、これは、ほんとうだろうか? ぼくには、脳は、たいていの場合、主語を認識しているように思えるのだけど……。

たとえば、AさんとBさんがいたとする。Aさんがコーチで、Bさんが生徒だったとする。Aさんが「急げ」と言ったとする。

その場合、Aさんは、「急げ」という言葉を自分にむかって言ったと、勘違いするのだろうか。それは、たいへんまれなケースで、脳の障害だと言っていい。

たいていの場合は、Aさんは、Bさんにむかって(自分が)急げと言ったということを、認識している。

つまり、主体(主格)や客体(対象格)を認識しているのである。なので、Aさんが、自分(Aさん)にむかって「急げ」と言ったと勘違いしてしまうということは、ほとんどの場合、ない。

「主語を認識しない」という言い方は、日本語だから、自然に思えるかもれない。もちろん、英語でも、命令文では、主語?を省略?する。

しかし、普通の文であれば、英語は、日本語ほどは、主語を省略しない。

主語を省略した言い方をすると、(自分に言った)と脳が勘違いしてしまうというのは、おかしい。

対象者であるBさんにむかって、Aさんが「急げ」と言ったとき、Aさんは、Bさんにむかって、「急げ」と言ったことを認識しているわけで、勘違いして自分(Aさん)に言ったと思っているわけではない。

たとえば、うしろから、クラクションを鳴らされたとする。その場合、自分にむかって鳴らされたのか、ほかの人にむかって鳴らされたのか確認するために、うしろを見たとする。

たしかに、自分が対象者であるかどうかわからないことがあるので、確認するという行為が必要になる場合がある。

あるいは、ただ単に、大きな音に反応して、うしろを向く場合もある。なんらかの危険が迫っているかもしれないからね。

たとえば、「どけろ」という言葉が、うしろのほうから聞こえてきたとする。

その場合、自分にむかって言ったのか、ほかの人にむかって言ったのか確認するために、うしろを見たとする。

たしかに、自分が対象者であるかどうかわからないことがあるので、確認するという行為が必要になる場合がある。

しかし、この場合も、「どけろ」と言った本人が、自分(本人)にむかって「どけろ」と言ったのかどうかわからないということは、普通ではありえないケースだ。

完全におかしい人ならありえるけど、普通の人の場合、ありえない。

自分にむかって「どけろ」と言ったのか……他人にむかってどけろと言ったのか「脳が認識できない」ということは、ほとんどない。

ちゃんと、脳は文脈を理解して、その言葉を発している。「脳は、主語を認識できない」ということは、たいていの場合、ない。

たとえば、「どけろ」と言った本人をAさんだとする。そして、AさんはBさんにむかって「どけろ」と言ったとする。その場合、Aさんは「自分がBさんに対してどけろと言った」ということを認識している。

Aさんが、Aさんに対して、「どけろ」と言ったわけではないということを、Aさんは、認識している。

ところが、「脳は主語の認識しない」という文の内容が正しいなら、Aさんの脳は「主語」を認識しないので、それがわからないということになってしまう。

Aさんが、「どけろ」言ったので、Aさんは自分(Aさん)に対して、どけろと言ったのか、Bさんに対してどけろと言ったのわからずに、混乱してしまうということは、ほとんどの場合、ない。わたし(が)「どけろ」と言ったのか、わたし(が)どけろと言われたのか、Aさんの脳が認識し無いということはない。

しかし、「脳は主語を認識しない」と言っている人たちは、そういうことを暗に言っているのである。

それは、「脳が勘違いする」ということだ。

Aさんの脳は、Aさんが、Bさんに「どけろ」と言ったにもかかわらず、自分(Aさん)がどけろと認識してしまうと言うのだ。自分(Aさんが)どけろと言われたような気分になると言うのだ。

たとえば、AさんがBさんに「バカ」と言ったとする。しかし、Aさんの脳は、Aさんが、Bさんに「バカ」と言ったにもかかわらず、自分(Aさん)がバカと言われたような気分になると言うのだ。

主語ではなくて、対象格(目的語)を認識できないということになってしまうのだけど、ほかの人に「バカ」と言うと、脳は(目的語を理解できない)ので、自分がバカだと錯覚してしまうということを言う。

だから、否定的な言葉を言うことはやめましょうと言うことを言うわけ……。彼らは、言うわけ。

脳が、自分に対して「バカ」と言ったように勘違いしてしまうので、ほかの人に「バカ」と言うことは、やめましょうということになる。たいていの場合は、こんな説明をしなくても、人に対して「バカ」と言うことは、よくないことだ。

しかし、例外がある。相手が、きちがい的な理論で、自分のことをバカにしてきた場合は、別に、相手に対して「バカだ」と思ってもしかたがない。口に出ることもあるだろう。

ともかく、例外なく、どんな場合でも「ネガティブなことを言ってはいけない」というような考え方は、実際には、ネガティブな出来事を引き起こす可能性がある。 

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「急げ」と言ったとき、「急げ」という言葉を、自分に言ったのか、ほかの人に言ったのか、わからないとする。

この場合は、対象を認識していないわけであって、「主語」を認識していないわけではない。通常は、自分が「急げ」と言ったときは、自分が「急げ」と言ったことを、認識している。

「わたしは、急げと言った」という文を考えた場合、急げと言ったのは、自分だということになる。ちゃんと、わたしが「急げ」と言ったということを認識している。

だれか他人に「急げ」と言ったのに、脳が勝手に?「自分にむかって」自分が急げと言ったと勘違いしてしまうことは(たいていの場合)ない。

他人に言ったことを、脳が自分に言ったことだと勘違いしてしまうことなんて、普通はない。ちゃんと、脳は、自分が他人にその言葉を言ったということを、認識している。

他人に言う前も、他人に言うつもりで、他人に言おうとしている。勘違いしてしまう脳が、他人に言うつもりの言葉を、自分に言おうとしているということは、普通の場合、ない。 

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たとえば、クラクションを鳴らした人は、自分がクラクションを鳴らされたと誤解するわけではない。健常者であれば、ちゃんと、自分がクラクションを鳴らしたと思っている。自分がクラクションを鳴らしたのに、自分がクラクションを鳴らされたとは、誤解しない。

たとえば、「どけろ」とCさんがDさんに言ったとする。Cさんは、自分が「どけろ」と言われたとは思わない。

脳は、誤解をしない。

Cさんが健常者であれば、ちゃんと、Cさんは、Dさんに対して「どけろ」と言ったということを、認識している。

「どけろ」と言った主体は、自分だということを認識している。Dさんに対して「どけろ」と言ったと認識している。

これは、客体に関しても、ちゃんと、正常な認識が成り立っているということを意味している。

Cさんが健常者であれば、Cさんが、Dさんに「どけろ」と意識的に言ったのに、Cさんが「どけろと言われた」と誤解することはない。

脳は、主語を認識しないということになっているけど、行為の主体と、行為の客体をちゃんと認識している。その認識を含めた文を、つくるなら、「自分(Cさん)がDさんに対して、どけろと言った」ということになる。

主語を認識していないわけではない。

命令文を言うときも、脳は、行為の主体と行為の客体をちゃんと区別して認識しているのである。普通は、この認識に間違いがない。だから、「脳は主語を認識しない」わけではない。

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「あなた」と言われる立場で、ものを考えているときは、命令文について、自分に言われたのかどうかということが、気になることがある。

これは、うしろから、「どけろ」と言われたときおなじだ。自分が言われたのかどうか、確認しなければならないのである。

たとえば、「バカ」という言葉がある。うしろから「ばーーーか」と言われたとする。その場合、自分が「バカ」と言われたのかどうかということが気になる。

どこかの本の作者が、ページいっぱいに「ばーーーか」と書いたとする。読んでいる人は、自分が「ばーーーか」なのかどうか、気になる。

気になるけど、それは、自分が客体なのかどうかということを、たしかめる必要がある場合の思考なのである。

そういう、特別な立場における、相手の側の文(相手が発した文)なのである。

この相手の側の文に、主語がない場合は、相手から見た客体としての自分ということを考えなければならなくなるのである。

それは、「脳は主語を認識しない」ということとは、ちがうことなのである。あるいは「脳が、主語を認識できない」ということとは、ちがうことなのである。

相手が、主語を明示しない言い方でなんらかのことを言った場合、言われる立場であるなら、自分のことを言ったのか、ほかの人のことを言ったのか、単なるひとりごとなのかということが、気になることがある。

どうしてかというと、「はっきりしていないから」だ。

だから「脳は主語を認識しない」と言うことができるかというと、言うことはできない。脳は主語を認識しないわけではない。主語が明示されない場合、主語について自分との関係を考察しなければならなくなるのである。

相手が主語を明示しないので、主語について疑問がしょうじることと、「脳が主語を認識しない」ということは、ちがうことだ。主語と書いたけど、客体だったり、主体だったりする。

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EさんがFさんに対して「天才だ」と言ったとする。Eさんは、Fさんに対して言ったということを、ちゃんと認識している。

これは、Eさんの脳が、「自分は、Fさんに対して天才だ」と言ったということを認識しているということだ。

ところが、「脳は主語を認識できない」という考え方を採用するとEさんは、Eさんが天才なのか、Fさんが天才なのかわからないということになる。

Eさんの脳も、主語を認識しないわけだから、そうなる。自分がFさんに対して「Fさんは天才だ」という意味で「天才だ」と言ったのに、それが、わからないのである。

自分のことを天才だと言ったのか、Fさんのことを天才だと言ったのか、Eさんにはわからないということになる。いやーー。そんなことはないよ。

脳は主語を認識しないので、ある対象に「天才」と言った場合も、自分に対して天才と言ったのか、ある対象に「天才」と言ったのか、わからないということになる。いやーー。そんなことはないよ。

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クラクションには、主語がない。目的語もない。クラクションを鳴らした主が、主体だ。クラクションを聞いたほうは、認知とメタ認知によって、クラクションを鳴らした理由などを推測するのである。

けど、これは、「主語」を脳が認識できないということを意味しているのではない。

日本語は、特に、主語が明示されない場合が多い言語だ。そして、命令文や名詞だけの文、名詞+だ(断定の助動詞)の文など、主語が明示されない文がある。

だれが、どういう目的で、だれに、その文を言っているのかということに、ゆらぎがあるのである。

ようするに、解釈の余地がある。明示されていないのだから、推測するわけ。推測しているあいだは、だれが、どういう目的で、だれに、その文を言っているのかということについて、まよっているわけだ。

この迷いの時間を、「脳は主語を認識しない」と表現しているだけだ。

主語が明示された、文であれば、脳は主語を認識するのである。

相手が、言った言葉が、自分にむけられた言葉なのかどうかということが、わからない場合、脳は、自分にむけられた言葉なのかどうかということについて、考えるわけだけど、これは、脳が主語を認識できないということを意味していない。

「脳は主語を認識しない」という話のなかで、「勘違いしてしまう」という言い方があらわれることがある。「自分のことを言われたと勘違いするから、脳は主語を認識しないのだ」という話になってしまうのだ。

そりゃ、うしろから、クラクションを鳴らされたら、自分にむけて鳴らされたのかどうかが気になるだろう。

けど、これは、「脳は主語を認識しない」ということではない。そのクラクションを鳴らした人は、自分ではなくて、ほかの人むけてクラクションを鳴らしたとする。けど、一瞬「自分にむけて鳴らされたのかな」と(自分が)考えたとする。

じつは、別の人に向けて鳴らされたクラクションだということが、あとでわかった場合、脳は、「自分にむけたクラクションだと勘違いした」と(強引に)解釈することもできないことではない。

しかし、ほんとうに、クラクションの主が、クラクションを鳴らす場合だってある。別に、「自分に対してクラクションを鳴らしたのかな」と考えることは、勘違いではない。

「自分にむけられたクラクションだと、勘違いしてしまうことがあるから、脳は主語を認識しない」という推論をした場合、その推論は、完全に間違っている。

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一瞬でも……「自分のことかな」と思ったとする。一瞬でも、「自分のことかな」と思った人の脳は、主語が明示されているいろいろな文の主語を認識できないのだろうか?

そんなことはない。

いろいろと、話がずれている。 

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「脳は主語を認識しない」というのは、「口癖系」とおなじだ。繰り返して言っている言葉は、自己暗示のもとになるというような考え方だ。

それなら、そのように言えばいいのである。「脳は主語を認識しない」というような嘘を考えて、言う必要はない。

この人たちは、現実的な「条件」を、ことごとく、無視する。 

「口癖系」に関しては、以前、ちゃんと説明したので、今回は省略する。 

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だいたい、「脳は主語を認識しない」のであれば、どうやって、「脳は主語を認識しない」という文の意味を理解するのだ?

脳が主語を理解しているから、「脳は主語を認識しない」という文の「全体の意味」がわかるのではないか?

矛盾しているとは思わないのか? 

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ほんとうは、主語ではなくて、目的語(対象格)なのだけど、ある対象にネガティブなことを言うと、自分がネガティブなことを言われたと脳が勘違いするということを、言っているのだ。

だから、ネガティブなことを言うのはやめましょうということになる。これ、いろいろな誤解が成り立っているから、やっかいな考え方なのだ。

条件が悪ければ、実際に、ネガティブなことが発生しやすくなる。発生してしまったネガティブなことについて、ネガティブなことが発生したということを言えなくなるとなると、それはそれで、ストレスがたまって、悪い結果を招来してしまう。

ある意味、「ネガティブな言葉狩り」みたいなところがある。

実際に不幸な条件が成り立っている人は、いる。

実際に不幸な条件が成り立っている人は、ネガティブな言葉を一切合切言わなくても、不幸な条件が成り立っているので、不幸なことがしょうじやすい。

はっきり言えば、くつがえらないのだ。「ネガティブなことを一切合切、言わないようにすれば、ネガティブなことが発生しないようにすることができるのか」と言うと、できない。

条件を無視して、くつがえるようなことを言うのはやめろ。

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「ネガティブなことを言うから、ネガティブなことがしょうじる」という思霊思考があるのだ。この思霊思考を利用して、「実際に条件が悪くてくるしんでいる人」をおいつめるための言葉のひとつが『脳は主語を認識しない』という言葉だ。

ほんとうは、脳が主語を認識できないから、ネガティブなことがしょうじているわけではない。もちろん、ほんとうに、脳が主語を認識でないのであれば、ネガティブなことは、いっぱいしょうじそうだけどね。

何度も言うけど、ほんとうに脳が、主語を認識しないのであれば、どうやって、「脳は主語を認識しない」という文の意味を理解するのだ?

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。