2014年8月20日水曜日

俺は、もう、行き場がない気持ちになる。死にたい。そんなんじゃない……

絶対にやめてくれなかったんだよな。その「絶対」が他の人にわからない。きちがい兄貴にも、わかってないところがある。というか、きちがい兄貴は、まるでわかってないだろう。自分が意地になって、絶対にやめてやらなかったのに、自分が意地になって、実際にはやめてやらなかったという「つもり」がない。「つもり」だけがない。こういう、変な状態なんだよな。

やめてくれるかと言ったら、それは、ぜったーーーーーーーーいにやめてくれない。こっちがどれだけ、困っていても、ぜったーーーーーーーーいにやめない。本当、狂ったように、そういう状態で鳴らし続ける。どれだけの意地で鳴らしきったと思っているんだよ? と訊いてやりたい。きちがい兄貴に訊いてやりたい。俺は、墓場でもそう思っている。棺桶の中でもそう思っている。

いま、夏休み期間中で、朝の九時から鳴っている。もちろん、いまと言っても、いまじゃない。夏休み期間中は、常に、午後八時三三分は、鳴っていたということだ。夏休み期間中は、朝の九時一五分から、かならず鳴らして、朝の九時一五分から、いまのいままで……午後八時三三分まで、ずっと鳴らしていたということだ。そして、午後八時三三分に、どれだけ、「やめろやめろやめろ」「鳴らすな、鳴らすな鳴らすな」「もう、さんざん鳴らしたんだから、静かにしろ」と言っても、一分だって、静かにしてくれことがなかった。ずっと、鳴らし続けるよ。そりゃ、途中でやめて、我慢するとなんてことは絶対にあり得ない。死んでもあり得ない。まあ、きちがい兄貴がその場で死ねばありえるけどね。ともかく、途中でやめるなんて選択肢は、きちがい兄貴にはない。そんなことは、考えもしない。

「静かにしてやる」というのは、きちがい兄貴がクソうるさい音で、その後もずっと鳴らし続けるということだ。これが、伝わらないのである。ずっと、そういうやり方でやられた。まあ、きちがい兄貴が「わかったわかった」などというのは、年に、何回かしかないけど、その年に何回かの「わかったわかった」のあと、やめて静かにするかというと、静かにしない。きちがい兄貴が、譲れる範囲でゆずるということになってしまう。そして、きちがい兄貴が譲れる範囲というのは、ものすごく狭い。だから、殆ど変わらない音で鳴ってしまう。それが現実。だから、現実をきちがい兄貴が理解していればまだいいのだけど、きちがい兄貴は、理解してない。「十分静かにししてやった」と思ってしまう。こっちは、ずっと、どかすか鳴らされて苦しい状態が続くだけなんだ。もともと、どでかい音でガンガン鳴らしたい人の気持ちが、傷つかない程度に……まったく傷つかない程度にしかゆずらない。ようするに、どでかい音でガンガン鳴らすということは維持して、その中で、ほんのちょーーーっとだけ、本当に微々たる量下げけてやるということだ。その……きちがい兄貴が、静かにしてやったつもりの音が、ものすっごくうるさいのである。客観的に言って、ものすごく非常識で、ものすごく、どでかい音なのである。いま住んでいところで、鳴らしてみろというのだ。きちがい兄貴。きちがい兄貴が、ゆずった音で、「ゆずったんだからいいだろ」と一〇時間鳴らしてみろ。おまえ、絶対に、文句を言われる。きちがい的なでかい音で鳴らして、それで、「静かにしてやった」と思っている状態なのだ。そういう、催眠術にかかったように都合が良い状態というのが、ずっと続いた。だから、どんな言葉も、伝わらないのだ。絶対の無視。

きちがい兄貴の伝わらなさというのは、「荒らし」以上だ。あらしなんて、まだ可愛いものだ。けど、なんというか、その「伝わらなさ」が同じなんだよね。本人の中で「つもりがない」というのもまったく、「荒らし」と同じ。何万回やったって、本人は、……「なにも悪いことをしてないのに、突然、いいかげんにしろといわれた」というような気持ちしかない。それで、どれだけ揉め事を起こしても、まったく、気がつかない。普通だったら、一回言われたところで理解しろというの。理解できるはずなんだよな。けど、荒らしやきちがい兄貴は、絶対に、なにがなんだろうが理解しない。相手が、悪いと思っている。そういう状態。一切合切の常識なんて、通じないからね。だから、他の人が「お兄さんだって、ちゃんと言えばわかってくれるんじゃないの」なんていうと、俺は、もう、行き場がない気持ちになる。死にたい。そんなんじゃない……。

ともかく、今の時間、どれだけ、何回、怒鳴りこんで、精一杯の大声で、「うるさいからやめろ!!!!」といっても、絶対にやめてくれない。そういう、毎日だ。そういう、毎時間、だ。毎日、度の時間に言っても、絶対にやめてくれない。途中でやめて静かにするなんてことは、絶対にあり得ない。それは、入学試験の前だってあり得ないことだ。それで、俺が二十歳の時、どれだけ苦しい思いをしたと思っているんだ? きちがい兄貴。きちがいだから、気にしなかった……気にすることができなかった……気にするつもりになれなかった……だけだろ。そうやって、全部の時間、毎日、鳴らしきったんで、「ゆずってない」よ。一分だってゆずってないよ。それがわからないのがおかしい。それで、「それがわからない」ということをいいことにして、鳴らしている……全部鳴らしているという状態なのだ。だから、本人は、常に「悪気がない」。悪気がないけど、どれだけ明確に、注意されても、絶対にやめるつもりがない。やめないけど、「ゆずってやった」と思っている……そういうきちがい的な状態だ。で、そういうきちがい的な状態が、感覚としてわからない人がいるのである。そういう人が俺の話を聞いた場合、俺が嘘を言っている……誇張していっていると思う……傾向がある。だから、そういう人にとってみれば、俺が勝手にダメ人間になったようにみえるのである。そして、ダメ人間だから「それだって、本当のことかどうかわからない」というような気持ちになる。「それ」というのは、きちがい兄貴がきちがいヘビメタを、俺が言った頻度で、俺が言った時間の長さ、俺が言った期間の長さ、鳴らしているということだ。

で、トータルでいうと、俺が「変な人にみえてしまう」のである。そういうことだって、もう、何回繰り返したかわからない。あるいは、「そんな音で鳴らしているのを、そんなに長い間許してしまうなんて、君はなんて、お人好しでバカなんだ」と思ってしまう。ようするに、俺が弱いから、ずっとやられたんだという話になる。あるいは、「ちゃんと言わないから、お兄さんが気が付かないので鳴らしているんじゃないの。そんな話は、おかしい!!」ということになってしまう。きちがい兄貴が、きちがいヘビメタを、きちがい的なでかさで、鳴らしただけなのに、俺がそういうところに、追い込まれる。それも、鳴らされ始めた、小学六年生の頃から同じだ。だれも、そういうすごい音で、すごい意地で鳴らしていると思わない。「言えば静かにしてくれるんじゃないの」なんて態度だ。本当に、死にたい。












毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。