「明日は、雨が降る」と言って、次の日に雨が降ったとしよう。
その場合、言霊主義者は「言霊(理論)は正しい」「言ったことが、現実化する」と思うわけだ。けど、「明日は、雨が降る」と言って、次の日は、晴れたとしよう。
ようするに、雨が降らなかったとしよう。その場合は、「言霊(理論)は間違っている。言ったことは、現実化しない」と思うかというと、たいていの場合、思わない。
「たいていの場合」と書いたけど、「言霊(理論)は間違っている。言ったことは、現実化しない」と思った時点で、言霊主義者ではなくなるので、言霊主義者はほぼ一〇〇%の人が、「言霊(理論)は間違っている。言ったことは、現実化しない」と思わないのである。
かたよりがある。
ちなみに、どちらの一般化も間違っている。
実際には、「明日は雨が降る」と言ったあとに、雨が降ることもあるし、雨が降らないこともあるということになる。
言ったあと、かならず、言った内容を否定することが起こるわけではない。
言ったから、そうなるという考え方が間違っている。言ったあと、言霊の力とは関係なく、言った通りになる場合があるし、言った通りにならない場合もあるということだ。
言霊は、関係がないのである。
だから、「言霊(理論)は間違っている」ということだけは、正しいということになる。「言ったことは、現実化しない」という文の意味内容は間違っている。
言ったあと、言霊の力とは関係なく、現実化?することはある。まあ、現実化といういいかたが、いやらしいけどね。それだといかにも、言霊の力で「現実化した」というニュアンスが出てしまう。
ただ単に「言った通りになる」「言った通りにならない」ということなのに、『現実化』などという表現を使うことで、いかにも、真理のような感じをつくりだしている。
言霊は一切合切関係がないので「言霊(理論)」が「言霊の力によって、言えば言ったことが現実化する」ということなのであれば、「言霊(理論)は間違っている」と言い切ることができる。
ただ、言霊主義者は、「言霊理論」ではなくて「言霊は正しい」とか「言霊は間違っていない」という表現を使うから、ほんとうは、なにを言いたいのかわからないところがある。
さらに、「言霊は絶対だ」という表現は、言っている本人も、なにを言っているのか、わかっていないと思う。問題なのは、上記の例だと、言霊主義者が、「雨が降らなかった場合」のことを、無視してしまうことだ。
言った通りにならなかった場合は、「言霊の力によって、言えば言ったことが現実化する」という理論は間違っていたのだということを、認めないのだ。
かわりに、無視して、考えないことにしてしまう。
しかも、それについて、まったく問題がないと思っているのである。あるいは、それについて、問題があるとは、まったく思っていないのである。
ようするに、上記の例だと「雨が降らなかった場合」も、言霊主義者は「言霊理論は正しい」と思ったままなのだ。こんなのは、おかしい。
けど、そうなのである。
現実は、そうなのである。