2026年8月23日日曜日

●「そんなのは言い訳だ」■社会※2026/08/22 14:22

相手が(相手の)条件について、何事かを言ったら、「そんなのは、言い訳だ」と言い返せばよいのである。

もう、最初から決まっている。

相手がなにを言おうが「そんなのは、言い訳だ」と決めつけることにしているのだ。

たとえば、AさんとBさんがいたとする。Aさんが、いろいろな不利な条件を抱えていたとする。

Bさんが自己責任論者だとする。Bさんにとっては「相手」の身の上に起きたことは、すべて、「相手」の責任なので、相手がなにを言っても「そんなのは言い訳だ」と言い切ることができる。

ひとつずつ、Aさんが言っていることを吟味して、「これは、Aさんの責任だが、これは、Aさんの責任ではない」と考えているわけではないのだ。

ともかく、最初から、すべてはBさんの責任だということが、決まっている。

*     *     * 

Bさんが自己責任論者だと、そうなるのだけど、Bさんが、言霊主義者でも、思霊主義者でも、引き寄せ論者でも、努力論者でも、「そんなのは、言い訳だ」と決めつけることができるのである。

こんなに、便利な言葉はない。

しかも、本気で、言っているのである。

自分が相手をおいつめるために、わざと、「そんなのは言い訳だ」と言っているつもりがないのである。

本来なら……言い訳であることと、言い訳ではないことの、区別をしなければならない。

ひとつずつ、条件について考えなければならないのである。

不可避的なことに関しては、不可避的なことだということを認めなければならないのである。

しかし、サブルーチンやサブ・サブルーチンのなかで「そんなのは、言い訳だ」という言葉が出てくるときには、相手がなにを言っても、「そんなのは、言い訳だ」と言い返すことが、決まっているから「そんなのは、言い訳だ」と言っているところがある。

『サブルーチンや、サブ・サブルーチン』というのは、言霊理論、思霊理論、引き寄せ理論、努力論のなかの、『サブルーチンやサブ・サブルーチン』のことを意味する。

相手がなにかを言ってきたら、「そんなのは言い訳だ」と言い返せばいいということが、決まっているのである。

最初から決まっている。

これは、悪質なことなのだけど、ほとんどの人が、普通にやっていることだ。

『洗脳の結果だ』と思う。

別に、マニュアルに書いてあるわけではない。けど、慣習として受け継がれていくのだ。ちゃんと、日常生活の中に、お手本があり、学習していく。

いろいろなメディアのなかで、「なんらかの条件について言及すること」がみっともないことだということになっている。「(自分の)不利な条件について、語る人」は、みっともない人なのである。

だから、「そんなのは、言い訳だ」と言い切ることで、相手をやっつけたような快感が生まれる。こういう、快感の奴隷なのだ。『サブルーチンやサブ・サブルーチン』のなかで「そんなのは言い訳だ」と言い切ることは、『報酬』になっている。

ほんとうは、道徳的なことじゃない。

何度も言うけど、個別具体的なことについて、個別具体的に考えなければならないのだ。個別の出来事について「これは、言い訳だけど、あれはいいわけではない」ということを考えなければならないのだ。 

自分のことは、認知とメタ認知が成り立っているから、普段の思考のなかでは「いいわけではない」ということになっているのだ。

ようするに、他人対する基準と、自分に対する基準がちがう。そして、問題なのは、まったく無頓着なことだ。言霊主義者が、普段、言霊を気にしないで、言霊に頼らずに、現実的な出来事に対処しているのに、言霊主義者にはその自覚がないということが問題だと……以前指摘したことがある。

それとおなじように「そんなのは、言い訳だ」と(具体的な事柄について考えないで)他人に言う人は 、自分が、普段、『できない理由』を考えて、暮らしているということについて、無頓着だ。認識していない。

自分のことであれば「こういう条件だからできない」ということになっていて、それが、言い訳だとは思わないのだ。他人のことであれば、「すべてが言い訳」なのだ。

別に、(他人の身に起こった)個別具体的になことについて考えているわけではないのだ。こういう人たちが多い。多すぎる。

 *     *     *

こういう行為が、悪い行為だと思わないのである。

相手が、「そんなのは、言い訳だ」と言われて、どんな気持ちになるのかは、まったく考えないのである。自動的に「そんなのは、言い訳だ」と言い返して、ほんとうに、相手が言い訳をしているだけなんだと思い込んでいるのである。

こんな人たちが「人に親切にしましょう」なんて言っても、ぼくは『どの口で言っているんだ』と思うね。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。