ヘビメタを鳴らされると、他人との関係がかわるんだよ。他人との関係がかわることは、副次的なものだけど、とても、副次的なものだとは言えない。むしろ、メインなんじゃないかと思えるほど、重要な変化だ。これ、ただ単に「騒音が鳴ってたんだろ」ぐらいの理解の人には、逆立ちしたってわからないことだ。そして、ただ単に「騒音が鳴ってたんだろ」ぐらいの理解の人が、必然的に、俺のことをばかにしてくる。この「騒音が鳴ってたんだろ」ぐらいの理解が、そもそも、あれを考えると、バカにしていることなのである。あれって、実際のヘビメタ騒音だ。実際のヘビメタ騒音が流れている、時間だ。きちがいヘビメタの音圧がひどすぎる。そして、きちがい兄貴の態度がひどすぎる。きちがい兄貴の態度を、ほかの人は理解しない。きちがい兄貴のきちがい的な構造をほかの人は理解しない。だから、「単なる騒音」なのである。いま、幼稚園の工事をやっているのだけど、幼稚園の工事の音と、きちがい兄貴のヘビメタ騒音は、根本的にちがう騒音なんだよ。あんな、発狂的な音のなかで、勉強ができるはずがない。幼稚園の工事の音なら、勉強ができる。このちがいがわかってない。だから、そういうふうに「ほかの人間」からなめられるからやめろと、何万回も言ってきたのに、きちがい兄貴が、きちがいおやじとおなじきちがい回路で、無視しやがるのだ。これは、屈辱だ。これ、一分でも、一秒でも、なぐり殺してやりたい感情がしょうじる。一分間鳴っていたら、一分間、ずっと、なぐり殺してやりたい感情になるのである。腹がたって腹がたって、へちゃむくれになる。こころがめちゃくちゃになるのである。そういう、数万時間を経験したことがない人が、「ヘビメタ騒音が鳴ってたって、デートぐらいできるだろ」「ヘビメタ騒音が鳴ってたって、女の子とつきあうことは可能だ」と言うのだ。これ、ヘビメタ騒音のなかから出ていって、人に会うということがどういうことだかわかってない。前日ヘビメタ騒音が鳴っていて、頭がフラフラな状態で、なおかつ、今日のきちがいヘビメタ騒音の不安を抱えながら、ほかの人に会うということが、どういうことなのかわかってない。わかってないだけなんだよ。つきあえるわけがないだろ。数千日続いている時点で、毎日が、尋常じゃない毎日なんだよ。
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兄貴の嫁さんとは、親父の入院や退院のことで、つきあいがある。で、兄貴の嫁さんに、きちがい兄貴のことをずっと言っていた。で、兄貴の嫁さんが、兄貴に、「そういうことをしていた」ということを言ったんだよ。そうしたら、兄貴が「ぜんぜん気がつかなかった」と言ったんだよね。きちがいおやじとおなじ脳みそなんだよな。兄貴の嫁さんが「そういうところがおかしい」と、兄貴に言ったんだけど、まったくその通りだ。これ、きちがいの度合いがわかってない人だと、まったくわからないと思うけど、ほんとうに、きちがいなんだよ。きちがいの度合いが強すぎる。あんなに頑固に、絶対譲らずに、ずっとずっと、どれだけもめてもやってきたのに、「つもりがない」のだ。こういうふざけた態度。きちがい的な態度。こんなの、ほかの人に、絶対にわかるわけがない。だから、ほかの人に話が通じないし、なめられることになる。「そんなのは、言えばいい」とほかの人は言う。「そんなのは、言えばいい」というのは、「そんなのは、お兄さんに相談すればいい」「そんなのは、お兄さんに、うるさいと言えばいい」という意味だ。もう、ぜんぜんちがうんだよね。言えば、しずかにしてくれる家族しか、相手にしたことがないんだよね。もめて、もめて、もめて、もめれば、しずかにしてくれる家族しか、相手にしたことがないんだよね。一三時間鳴らせるなら、一三時間鳴らすけど、鳴らしたつもりがまったくないというきちがい的な感覚をもっている家族と一緒に住んだことがないからそういうことが言える。そして、「鳴らさないでくれ」「しずかにしてくれ」とこっちが言ったときの、きちがい兄貴の態度がわかってないから、そういうことが言える。きちがいなんだよ!!! きちがいなの!! 親父とおなじ気ちがいなんだよ。脳みその構造がまったくおなじなの!!!
けど、まあ、ほかの人に……「 きちがいなんだよ!!! きちがいなの!! 親父とおなじ気ちがいなんだよ。脳みその構造がまったくおなじなの!!!」……と言ったって、ほかの人は、きちがい兄貴といっしょに住んでいるわけではないので、きちがい兄貴がやることによって生じる損害のでかさがわかってない。影響のでかさがわかってない。からだでわかってないから、過小評価する。無視する。そうなると、きちがい兄貴のヘビメタ騒音は、ぼくの、能力にダイレクトにかかわることだから、ぼくにとっては、重要なことなのである。
これ、たとえば、気持ちの持ちようで解決できる問題じゃないのである。けど、きちがいヘビメタ騒音生活をずっとずっとずっと、おくってきた人じゃない人は、「きちがいヘビメタ騒音なんて影響がない」「過去のことは影響がない」と考えるので、「気持ちの持ちようで解決すればいい」というようなことを言ってくる。これがまた、屈辱なのである。相手は、別に、まとはずれなことを言っているつもりがないかもしれないけど、それは、経験してないから、必然性がわからず、まとはずれなことを言っているつもりがしょうじないだけだ。まとはずれなんだよ。
これも、ほかの人には絶対にわからないことなんだよな。きちがい兄貴が、きちがい脳みそで、きちがい的な意地で、無視してやって、無視してやったということを、無意識的に、きちがい的な感覚で、きちがい的な意地で無視してしまったので、こういうことがしょうじる。ほかの人の人生にはしょうじない。しょうじてない。しょうじてない人が、(自分の理解)で適当なことを言う。本人は、適切なことを言っているつもりなのである。けど、不適切だ。まったくわかってないだけ。
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きちがい兄貴に鳴らされていると、ぼくが必然的に、他人からなめられるようになる。
こんな、人生、おしつけられて、いいわけがないだろ。
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他人には、しょうじなかったことなんだぞ。きちがい兄貴が、普通に、しずかにてくれたら、それですんだ話なんだぞ。それを、十数年も、きちがい的な意地で、毎日毎日、一分もゆずらずに鳴らし続けるなんておかしいだろ。けど、本人はまったく、やったつもりがないのである。本人はまったく、影響をあたえたつもりがないのである。一日目から、ものすごい影響があるよ。勉強だけじゃないんだよ。睡眠に影響をあたえる。生活体力に影響をあたえる。勉強以外の全体的な能力が、がんがんさがっていく。そして、たとえば、言霊的な解説ほうは、きちがい兄貴が鳴らしているあいだずっとずっと、毎日、まったくまったく、役に立たなかったことなんだよ。けど、俺が「ヘビメタ騒音でつかれた」と言えば、言霊主義者は「元気だ元気だと言えば元気になる」と言ってくる。そういうことが、多発する人生になってしまう。そういうふうに言う言霊主義者には、きちがい家族がいないのである。きちがい的な意地で、普通の家では絶対に鳴らせないような音で、一日に何時間も何時間も、こだわってこだわってこだわって、鳴らすような家族がいないのである。そういう家族と、学生時代ずっといしっょに住んでいたわけではないのである。その言霊主義者は、学生時代、きちがい的な家族による、きちがい的な騒音に悩まされたことがないのである。