2023年7月16日日曜日

「自分が言葉で命令すれば、自分は、その命令通りに感じるようになる」

 たとえばの話だけど、自分が「すきですきでたまらない」人とデートできて「うれくしくて、くれしくて」たまらないときに、「頭にきた」と言えば、頭にくるのか? 腹がたったといえば、腹がたつのか。うれしいときは、うれしいと感じているわけで、出来事に関係なく、自分に言葉で命令すれば、その通りに感じるようになるとでも言うのか? 言っているんだよね。

ほんとうは、自分の日常生活のなかでは、そんなことはしてない。そういうことをこころみたとしても、そういうふうには、いかないのである。そんなことにはならないのである。うれしくうれしくてたまらないとき、文脈に関係なく、出来事に関係なく「腹がたつ」と言えば、腹がたつか? ほんとうは、腹なんて立たないのではないか。うれしいままなのではないか。

どうして、「自分の感情なら、自分が制御できる」というようなライフハックがはやってしまうのか。ほんとうは日常生活のなかで、そういうことをしてないのに、どうして、あたかも可能であるかのような話をするのか。真実であるという前提で、大ぶろしきをひろげるのか? 自分が言葉で命令すれば、自分は、その命令通りに感じるようになる……。こんなおかしい話に、疑問をもたないのか?


そして、「そういうことは成り立たない」ということを、ぼくが言えば、ぼくに対して、敵対心をもつのか? 自分が信じているのことを、否定されたから、不愉快になったんでしょ。

じゃあ、ぼくが、「言霊は成り立たない」「言霊理論はまちがっている」ということを話したとき、ぼくに対して敵愾心を感じて、不愉快になったとする。そのとき、「エイリさんからありがたい話を聞いた」と思わないのか?

「エイリさんが言っていることは正しい」「エイリさんが自分の目を覚まさせてくれた」……こう思って、「感謝感謝、なんでも感謝」と思えば、それでいいのではないか?

「言霊理論を否定されて、うれしくしてうれしくてたまらない」と言えば、うれしくなるのではないか?

ところが、実際には、不愉快なままなのである。「こんなの読むんじゃなかった」「言霊は正しい」と思って、なんとか、気持ちを切り替えようと思って、ほかのところを読むのである。

この、「自分の感情なら、自分が制御できる」というような理論は、ひらたく言ってしまえば、かなりやばい。「自分が言葉で命令すれば、自分は、その命令通りに感じるようになる」というような理論は、ひらたく言ってしまえば、かなりやばい。

暗闇条件の人を、追いつめるのである。「条件なんて関係がない。過去なんて関係がない。すべては、自己責任」……という考え方とセットになって暗闇条件の人をおいつめる。

そういうふうにできている。 

さらに言ってしまうと、カルマ論がこういう理論の礎(いしずえ)になっているのである。カルマ論が、精神的な正しさを付与するのである。カルマ論は、じつは、悪の理論だ。この世の差別を肯定するための理論だ。

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 「自分が言葉で命令すれば、自分は、その命令通りに感じるようになる」という考え方と他人による感情制御は、多少似ている。これ、こういうことに鈍感にさせるための理論なのではないか。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。