たとえばの話だけど、ある言霊主義者がベッドから落ちて、いたい思いをしたとする。原因は、ベッドから落ちて、床に身体をぶつけたということだ。言霊主義者は、こういうことは疑問に思わないのである。
自分のことだから、自分が現実的に体験したことだから、「原因」がわかっている。
なので、「言霊が原因だ」「落ちると言ったから、落ちた」とは思わない。
さらに、いたいと感じているときは、ベッドから落ち前に、「いたくなる」と言ったから、いたくなったのだとは考えない。実際に、自分がベッドから落ちるまえに、「いたくなる」とは言わなかった。そういう記憶がある。
だから、「言ったから」「こうなった」とは思わないのである。つまり、「いたい」と言ったから、「いたくなった」とは思わないのである。
ほかの理由がはっきりしているので……自分にとってはっきりしているだけなのだけど……ほかの理由がはっきりしているので、ほかの理由で説明して、「言ったからこうなった」とは思わないのだ。
言霊主義者だって実際には、こんな感じで暮らしている。
ある言霊主義者が、「三年後の一二月二五日に、俺は、あの道で、ころぶ」と言ったとしよう。けど、三年後の一二月二五日に、ころばなかったとする。言ったということを、忘れていたので、ころぶ芝居ができなかったのだ。
そして、四年後の一二月二五日に、『そういえば、四年前に、「三年後の一二月二五日に、俺は、あの道で、ころぶ」と言ったのに、ころばなかった』ということを思い出したとする。
「言ったことが現実化しないこともあるんだな」と思って、「言霊理論はまちがっていた」ということに、思い至るべきなのである。言霊主義者は思い至るべきなのである。
「言ったことが現実化する」「言霊にはそういう神秘的な力がある」……これが言霊理論だ。「言ったことが現実化する」ということの意味は、「一〇〇%の言ったことが、一〇〇%の確率で現実化する」という意味なのである。
「言ったことは、現実化することもある」という意味ではないのだ。それだと、「言ったことは、現実化することもあるし、言ったことは現実化しないこともある」という意味になってしまうので、言霊理論にはならない。
「言ったにもかかわらず」「現実化しなかった」ということに直面したなら、「言ったことでも、現実化しないことがある」ということを、さとるべきなのだ。言霊主義者はさとるべきなのだ。
ところが、言霊主義者は、最初から「言ったことが現実化する」という言葉のなかに「言ったことは、現実化することもある」という意味をふくめて使っている。つまり、「言ったことは、現実化する」というひとつの言葉のなかに、「一〇〇%の言ったことが、一〇〇%の確率で現実化する」という意味と「(言ったことは、現実化することもあるし)言ったことは、現実化しないこともある」という意味を込めて使っているのだ。
両方とも成り立つことは絶対にない。矛盾している。「一〇〇%の言ったことが、一〇〇%の確率で現実化する」と「言ったことが現実化しないこともある」ということは、両立しない。いいかげん、そういうことに気がつけ。