2023年7月21日金曜日

父親が死んだことで、明るくなる人はいる。ぜんぜん、おかしくない

 俺は、ほんとうは、親父が死んだら、明るい人になるはずだったのだ。まあ、きちがい兄貴のことはあるから、「相対的に」ということだ。きちがい親父がいるときの俺にくらべれば、きちがい兄貴のヘビメタ騒音の影響はあるけど、相対的に!明るくなるはずだったのだ。けど、きちがい親父が、ネズミを入れてしまったことで、一変する。これで、また、きちがい親父が、ネズミを餌付けしたり、餌付けされたネズミががんがん入ってくるようになったときの態度が、おなじなのだ。きちがい親父特有の態度なのだ。ネズミの糞は、普通の人なら、絶対に気にする。けど、きちがい親父は、どれだけネズミの糞が増えても気にしない。「そんなの気にしすぎだ」と思っているのだ。「おまえは神経質だ」と思っているのだ。きちがい親父が、なんでもないことで怒り狂っていたことは、俺が神経質になったことと関係しているんだけどなぁ……と言いたくなる。普通の人なら、絶対に気にすること、どれだけ気にするように言っても、気にしない。これ、きちがい親父の態度だけど、きちがい兄貴のヘビメタ騒音に対する態度が、これとまったく同じなのだ。こういうところで、非常に似ているのだ……親父と兄貴は……。こいつら、そっくり。まったくおなじ脳みその構造をもっている。そうなると、じつは、うちなかで狂っている人間に、やられた人間が、「よその人」からへんな風に思われるのだ。こんなのない……。けど、ある。きちがい的な親兄弟にたたられたやつは、みんな、こういう思いをしている。こういう体験がある。けど、きちがい的な親兄弟にたたられてないやつは、みんな、「やられた側のこういう体験」について、誤解をすることになっている。かならず、誤解をする。そういう構造が成り立っている。やられてない人間の理解力が、ぜんぜんたりないのだ。経験として、知ってないので、「やられた側が言うことが」へんなことだと思えるのだ。「やられた側の人が」へんだと思って、解釈を中断するのである。そういうふうに、判断してしまう。これは、言霊主義者に、言霊理論はまちがっているということを、どれだけ説明しても、言霊主義者が理解しないということと、一致している。普通の人の理解力なんてそんなもの。経験がないことに関する理解力なんてそんなもの。普通の人は、きちがい的な親のもとにうまれてないのである。だから、きちがい的な親が、家で、どんな行動をするかわかってない。きちがい的な親がきちがい的な行動をしたとして、その行動に関するきちがい的な親の側の認知が、まったくわかってない。「よそのひと」……きちがい的な親のもとに生まれてない人は、きちがい的な親の行動だけではなくて、きちがい的な親の認知もわかってない。この、きちがい的な親の認知というのは、きちがい的な親自身の行動に関する認知のことだ。まあ、これ、きちがい兄貴がきちがいヘビメタを頑固にやったときも、発揮されているんだよな。きちがい兄貴なんて、普通の人なら気にする騒音をずっと鳴らしても、「まったくそんなことはやってない」と気がつかない状態の膜なのである。きちがい的な意地できちがい的な騒音を鳴らしているのに、きちがい的な意地できちがい的な騒音を鳴らしているという認知がまったく生じない。鳴らしているときにしょうじなければ、鳴らし終わったあとにもしょうじない。なので、本人の認知としては、「そんなことはやってない」という認知なのである。まったく鳴らしてないときとおなじ認知のままなのである。とことん、親父と兄貴は似ている。おやじの行為と、きちがい兄貴の公開が本質的におなじなんだよ。ただ、きちがい親父は、ヘビメタに興味をもたず、ヘビメタを鳴らさなかっただけで、きちがい的な脳みその構造がおなじなんだよ。

ともかく、きちがい親父が死んだら、ぼくは相対的に明るくなるはずったんだけど、それが、ネズミと墓で、こわされてしまった。ネズミの問題は、ネズミだけの問題じゃなくて、ネズミの糞の問題や、ダニの問題や、ナメクジの問題や、ネズミ対策工事業者の問題や、粗大ごみ回収業者の問題なんだよ。粗大ごみ回収業者の人にたいして、もうしわけがない気持ちになったり、うちのなかに入ってくる人に対して、ぼくがはずかしい思いをしなければならなくなる。 

むかし、どこかのブログで「父親が死んだら、明るくなって、旅行に行きまくっているやつがいる」というようなことが書いてあった。旅行に行きまくった人は、「ひきこもり」系の人だ。「ひきこもり」系の人が、父親が死んだことによって、明るくなり、積極的に旅行に行くようになったという記事が書いてあったのだ。で、記事を書いた人は、「親が死んで明るくなるとか、おかしいだろ」みたいなノリがあったんだけど、そんなことはない。父親がきちがいなら、父親が死んだことで、明るくなる人はいる。ぜんぜん、おかしくない。これをおかしいと感じるほうがおかしい。ガキ。こども。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。