条件のちがいというものは、絶対に無視してはいけないのだけど、条件を無視することが、はやっている。条件を無視して、いきなり話をはじめる。
話には『条件』が含まれてない。
「条件は関係がある」ということをだれかが言えば「条件なんて関係がない」と条件反射のように言うことになっている。「そんなのは、関係がない」「条件なんてことを言うやつは、負け犬だ」「できない人が、そういうふうに言っているだけだ」と決めつけるようになっている。
強迫的に『条件に関する思考』を排除するようになっている。この社会では『条件』について言及するのは、みっともないことなのである。この態度は、公平ではない。
ところで、日当たり条件と暗闇条件について書いたとき、もうひとつ、書こうと思っていた条件がある。それは、「日影条件」だ。日当たり良好ではないけど、暗闇というほどでもない。
じつは、「日影条件」にも、日当たり良好条件に近い条件から、暗闇条件に近い条件まで、いろいろな条件がある。日陰条件のなかでグラデーションがある。
たとえば、「希望をもつことは重要だ」という意味で「いつか花を咲かせると言えば、花が咲く」と、日当たり良好条件の種が言ったとしよう。これは、強い言霊じゃなくて、弱い言霊だ。強い言霊なら、すぐに、言霊の力で、花を咲かせることができるのである。どんだけでかい花でも咲かせることができるのである。
一〇〇%言ったことが、一〇〇%現実化する。言霊にはそういう力があるということだから、別に「いつか」なんてことを言って、まつ必要がない。
もう、「いつか」なんて言ってる時点で、強い言霊の力はないと言っているのとおなじだ。強い言霊の力と書いたけど、言霊信者は、強い言霊の力を力説するのである。真実だと力説している。
そして、なぜか、弱い言霊の話になってしまうのである。
言葉には、言っただけで、現実化させる力なんてない……。言葉には、言ったことを現実化されせるような超・自然的な、神秘的な力がない。宿ってない。そういうことだ。
けど、ともかく、今回言いたいのは、日陰条件の種が、「言えば現実化する」と言うことを信じて、「幹をのばすぞ」と言った場合、幹がのびるということだ。
これは、からだのしくみと、時間経過で幹がのびただけなんだけど、「から」と「あと」を混同しているので、まさしく、言ったから、幹がのびたんだと思うわけだ。
もともとは、言霊思考というものは、だれにでもある。
なので、伝播したとは言わないけど、「言霊が正しい」と思う人が増えたということだ。日当たり良好条件の人が、強い言霊の嘘をついたあと、弱い言霊について語ると、信じる人がでてくる。「確かに、のびた」「言霊は正しい」と思う人が増える。
けど、それは、「から」と「あと」を混同している人が増えただけだ。
そして、暗闇条件の種は、あいかわらず、「のびる」と言っても、のびないのである。なので、暗闇の条件の種にとっては、「嘘だ」ということになる。真実じゃないのである。
日当たり良好条件の種が言っていることは、嘘だ。
「から」と「あと」を言い換えて、嘘をついている。弱い言霊の話というのは、条件の無視と「から」と「あと」の言い換えと、「言葉」と「言霊」の言い換えによって、できあがっている。条件の無視が、最初から横たわっているのだから、条件がちがえば、「言ったこと」が成り立ったり成り立たなかったりするのである。
言ったことが成り立つというのは、言ったとおりになるということだ。そして、言ったことが成り立たなかったというのは、言ったとおりにならなかったということだ。
しかし、言霊主義者は、条件を無視して、条件のちがいではなくて、「こころがけのちがいだ」と言っているのである。「希望をもつか持たないか」のちがいが結果になってあらわれるということを言っているのである。
ここにも、嘘がある。嘘なんだよ。条件のちがいが結果に影響をあたえているだけなの……。それなのに、嘘ばかりついて、人をだます。だましまくっている。だましているということに、本人が気がついてない状態だ。どうしてかというと、本人が、言霊の嘘を信じているからだ。
* * *
条件を無視しているので、残酷な助言ができるのである。言ったほうが、いい気持になっているだけだ。そりゃ、暗闇条件ではなくて、日陰条件なら、小さな花を咲かせることもできるかもしれない。できるだろう。
その場合、「言ったから」咲かせることができたのか?
ちがう。言わなくても、条件とからだのしくみがそろっていれば、小さな花を咲かせることができる。だから、「言ったことが現実化した」と日陰条件の種も思うことができる。けど、それは、「言ったことは、現実化する」という意味ではないのだ。
「言ったことが現実化することもある」という意味だ。
言ったか言わなかったかではなくて、ほかのことが原因で、花が咲くか花が咲かないかが、わかれる。言ったか?言わなかったか?なんてまったく関係がないのである。
ところが、ほかの条件……つまり、ほかの原因……をまったく無視して、「言ったかどうか」だけを気にするのである。そして、「言ったあと」実現化すれば、「言ったから」実現化したと、ごまかしてしまうのである。
けど、暗闇条件の種は、そもそも、花を咲かせることも、幹をのばすこともできないので、いくら言っても、花が咲かない。どれだけ言っても、花が咲かない。条件で……つまり、ほかの理由で……花が咲くかどうか決まっている。
なので、日当たり良好条件の種や日陰条件の種が言ったことが、成り立たないのである。むだな努力をさせたということだ。かなわない期待をもたせたということだ。
言葉たくみにだまして、むだな努力をさせたのである。
けど、「そんなのは、自己責任」ということになっている。「努力がたりなかったのがいけないんだ」ということになる。あいかわらず、条件には目をむけない。